2011年04月26日

(4)新戦力の楽しみ

 学生スポーツ界で君臨するためには、当然のことながら、毎年、新しいメンバーを発掘し、育成していかなければならない。どんなに有能な選手でも、選手として活動できるのは、4年が限りである。
 だから、どのチームもリクルート活動に全力を注ぎ、新しい人材を育てようと躍起になる。そのシステムを整備、工夫し、コーチングスタッフが存分に力を発揮できる環境を整えたチームが台頭してくる。過去の名声に寄りかかっているだけでは、チーム力は上がってこないのである。
 例えば、24日に行われた今季ファイターズの初戦、日大戦の先発メンバーを、昨年最終の関大戦のそれと比べてみれば、この間の事情がよく理解できる。日大戦のスタメンのうち、関大戦の先発に名前を連ねていたのはオフェンスではOL谷山とWR小山の2人だけ。ディフェンスではDL長島、梶原、池永、池田、重田の6人。それにキッカー、パンターの大西を合わせた計9人である。実に半数以上が新しい顔ぶれになっている。
 もちろん、新しい顔といっても、その多くは昨年から交代メンバーとして試合に出ていた。けれども、2年生OL友国、DB大森(ともに関西大倉)、3年生DB保宗(高等部)のように、昨年の公式戦にはほとんど出ていなかった選手もいる。この日、攻撃の主力として大活躍したRB望月だって、昨年はLBで出ていた選手である。
 そういう選手たちの躍動ぶりを見るのが、春のシーズンの楽しみの一つである。
 その視点からいうと、日大戦は本当に収穫の多い試合だった。スタジアムに足を運べなかったファンのためにも、思いつくままに活躍した選手たちの名前を挙げていこう。まずはオフェンスから。
 最初に目に付いたのはQB畑。昨年は、不動のエース加藤の影に隠れていたが、この日は違った。投げては9回のパスを通して102ヤードを獲得。走っては、思い切りのよいスクランブルなど6回のランで62ヤードを獲得した。その数字だけを見れば、ファイターズのエースとしては物足りないという方もおられるかもしれないが、内容が充実していた。とにかく思い切りがいい。1週間前のJV戦では、レシーバーとの呼吸が合わず、何度も簡単なパスをミスしていたが、この日はパスもランも、別人のように充実していた。「試合に責任を持つのは俺だ」という意気込みがプレーに表現されていた。試合後、「なんだかムキになって走っていたね」と声をかけると、「いやー、夢中でした」と答えていたが、スタンドから見ていても、昨年より確実に階段を上っているという言葉がぴったりだった。
 もう一人はLBからコンバートされたRB望月。昨年も短いヤードを確実に進めなければならない場面で何度か起用されていたが、この日はRBの柱。16回のラッシュで102ヤード獲得という数字も素晴らしいが、すごかったのが突破力。相手守備陣が彼のランを警戒し、決め打ちで守っている場面でさえ、確実に5ヤード前後を稼ぐ迫力に圧倒された。ファイターズでは近年ほとんど見かけなかった突破型のランナーである。
 彼と交代で出場した2年生RB野々垣のスピードにも目を見張らされた。ファイターズの伝統を繋ぐカットバック走者で、その素早い身のこなしが魅力的。とりわけ密集を抜けてからのスピードがピカ1である。第3Q6分33秒に見せた33ヤードの独走TDは、今季の活躍を期待させてくれた。これに、極めつけのスピードを持つ主将の松岡君が復帰してくれば、多彩で強力なラン攻撃が期待できそうだ。
 守備では、フロントラインが健在。長島、梶原、岸、池永と並んだ陣容は、昨年の主将平澤君の抜けた穴を感じさせない。控えの朝倉も、先日のJV戦に続く活躍。鋭い出足でQBサックを決め、層の厚さを見せつけた。LB陣も昨年から試合に出ている川端、前川の3年生が健在。これに昨年はDBだった2年生池田が加わり、スピードのあるメンツがそろった。善元、吉井、三木という能力の高い選手が卒業したDB陣も、先に挙げた大森や保宗の成長で、大きくは見劣りがしない。二人とも、初めてのスタメンだったが、切れのよい動きでそれぞれ相手パスをインターセプト。非凡なところを見せつけた。今後の成長が楽しみである。
 このように、この日活躍した選手の名前を並べていくだけでもワクワクしてくる。5月8日の関大、22日の京大と続くこれからの戦いが大いに楽しみである。彼らがさらなる成長を見せてくれるかどうか。それとも、調整不足で、この日は出場しなかった面々が新しく登場してくるのか。けがで休んでいた4年生のQB糟谷やOL濱本はいつ戻ってくるのだろう。
 春の試合は、選手の能力を引き出し、その成長の度合いを測る段階。試合経験を積ませる場でもある。ベンチもメンバーを固定せず、どんどん新しい戦力を投入してくる。そこで選手の長所や欠点、可能性を確かめながら、秋に向けて備えてくるはずだ。そういったことまで考えながら、私たちは試合を楽しめばよい。スタジアムに向かう足取りもはずんでくるというものだ。
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2011年04月21日

(3)JV戦の二つの光景

 今季、待望の初戦はJV戦。大阪産業大学を上ヶ原の第3フィールドに迎えて、期待される新戦力が次々に登場した。
 まず目についたのは、2年生RB雑賀(高等部)。第1Q5分過ぎ、ゴール前2ヤードを走って先制のタッチダウン(TD)を獲得したのを皮切りに、第3Qに13ヤードの独走TD、第4QにはとどめのTDを決め、ベンチの期待に応えた。高等部では野球部。チームでも1、2を争う足の速さが魅力で、鳥内監督も1年生の時から期待していた。
 だが、1年生の時は、まだアメフット選手としての体が出来ておらず、激しいコンタクトにも戸惑いを隠せない様子。秋のリーグ戦ではたまに起用されたが、そのスピードを生かす場面はなかった。
 それがひと冬を越して一変した。体が一回り大きくなり、密集の中に突進していくことを怖がらなくなった。ボールを持ってからの視野も広がったようで、この日は相手守備陣を巧みにかわし、持ち前のスピードで抜き去る場面が何度もあった。獲得ヤードは12回で71ヤード。175センチ、72キロとファイターズのRBの中では体も大きく、今後、試合経験を積んでいけば大いに期待できそうだ。
 レシーバーでは、3年生の岸本(高等部)と森本(啓明学院)の動きが目についた。それぞれ急所でミドルパスを何度も確保し、確実に陣地を進めた。人材がそろっている先発陣の中に割って入るのは大変だろうが、WRは何人いても出番はある。今後の活躍に注目したい。
 QBは前半が3年生の畑(高等部)、第3Q後半から2年生の橘(高等部)。この日は、両チームが事前に話し合って「QBへのタックルは禁止」という特別ルールで臨んだため、比較的自由に動けたはずだが、二人の出来は明暗を分けた。畑はパス中心で攻めたが、レシーバーとのタイミングが合わず、なかなかパスが通らない。逆に橘は、ラン中心のプレーコールだったが、ときおり交える短いパスが次々とヒットした。
 昨年からときおり試合に出ていた畑はともかく、橘はほとんど試合に出ることがなかった選手。秋のシーズンもスカウトチームのQBとして、ひたすら守備陣を鍛えるためにパスを投げていた。
 そんな選手だったが、この日は違った。最初は、基本に忠実なハンドオフを繰り返し、ランプレーで陣地を進める。試合の雰囲気に慣れてくると、今度は立て続けにパスを投げた。ランが進んでいたから、パスも通る。14回投げて94ヤードを獲得、2本のTDをもぎ取った。
 守備で目についたのは、鋭い出足で再三相手QBに襲いかかったDLの3年生、朝倉(武蔵工大付)と2年生の中前(高等部)。DL陣も層が厚いが、この日のような動きができれば、二人とも先発の一角に割って入ることが期待できる。春のシーズンを通じて、その成長に期待したい。
 DB陣では、2年生大森(関西大倉)のいかにもアスリートらしい鋭い動きと、同じく2年生鳥内(高等部)の相手レシーバーに対する執拗なマークが印象に残った。
 このように、活躍した選手の名前を並べ立てていくと、今季のファイターズは大いに期待できる、と思われた方が多いだろう。ところが、見る人が見たら、また別の景色が広がっていたようだ。例えば、武田建先生の目に写った光景。この日のレシーバー陣の出来栄えには、大いに不満があったという。
 試合直後、顔を合わせるなり「手に当てたボールを落とすのはレシーバーの責任。30年前の私なら、頭から湯気を立てて怒鳴ってましたよ」。言葉も顔つきも穏やかだったが、内容は辛らつだ。フレッシュマンレシーバーの指南役として、ずっと練習を見守ってこられただけに、教え子たちのこの日の状態には我慢がならなかったのだろう。鳥内監督に「レシーバーにアフター(練習)をやらせてよろしいですか」と了解を求め、試合を終えたばかりの選手を集めてパスキャッチの練習を始められた。
 普段の試合ではなかなか目にすることのない光景。それを眺めながら、10数年前、和歌山県の高校野球界であった出来事を思い出した。それは、夏の高校野球和歌山大会の準々決勝が終わった日の夕刻のこと。優勝候補の本命に挙げられていた智弁和歌山高校の選手たちは準々決勝を戦った直後に学校のグラウンドに集合、高島監督からアフター練習を強制された。部内からは「試合を終えたばかりの選手に練習を強制するなんて、体を壊しますよ」と反対する声もあったそうだが、監督は「それで壊れるような選手なら仕方がない。甲子園で優勝する、という目標を立てた以上、それにふさわしいチームを作らなければならない。今日のようなふがいない戦い方では、和歌山では勝てても甲子園では勝てない」と練習を強行したという。
 和歌山大会終了後、当の選手からその時の様子を聞いて「高校生を相手に、そこまでやるか」と半ばあきれ、半ば感心したことだった。ちなみにその年、智弁和歌山は当然のように全国選手権大会に出場。決勝で平安を破って初優勝し、優勝旗を和歌山に持ち帰った。いま楽天にいる中谷捕手が主将、近鉄に入団した高塚投手が主戦だった時である。
 ファイターズが試合後の選手を集めて「アフター練習」をするなんて、少なくともこの数年は見たことがない。でも、17日の第3フィールドでは、レシーバーのパートだけとはいえ、その練習が実現した。そによって技量が向上したかどうかはしらない。しかし、「鉄は熱いうちに打て」という。少なくとも、あえて試合後の練習を強要された武田先生の熱意が選手たちの気持ちを揺るがせたことだけは確かである。
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2011年04月10日

(2)2010年度卒業文集

 2010年度の「卒業生文集」を主務の森田君が届けてくれた。卒業生42人と5年生コーチ6人がファイターズで過ごした4年間を回想し、そこで得たもの、得られなかったものなどをそれぞれ1ページずつに書き込んでいる。部内限り、部員と監督、コーチだけに配布する文集だと聞いたが、どうしても現役の部員たちに伝えておきたい内容が含まれているので、あえてこのコラムで取り上げさせていただいた。執筆された諸君の文章を断りもなく引用している点については、ご寛恕をお願いしたい。
  ◇  ◇
 冒頭のRB稲村君勇磨君の「後輩たちへ」から、末尾の編集者、小野コーチの「後記」まで、じっくりと読んだ。読み終えてからもう2度、すべての文章を読み返した。涙がにじんできた。
 それぞれの文章に、ファイターズに身を置いた部員たちの喜怒哀楽が赤裸々に綴られていた。後悔、無念、教訓、悔しさ、反省、そしてどうしても後輩に書き残しておきたいという執念。書いているうちに感情が押さえきれず、激情を吐露した文章もあるし、逆に、冷静に冷静にと自らに言い聞かせながら書いたような文章もある。それらがまた、筆者の素顔、ありのままを映し出している。まさに「文は人なり」。その人格までを暴露しているといっても過言ではない。
 この文章を綴ることで、部員たちはまた一段、人生の階段を上ったのではないか。一回り大きくなったのではないか。例えば、けがのために最終学年を不本意なままに終えた悔しさ。決定的な局面でミスした後悔。自分の取り組みや意志の弱さに対する反省。優秀な後輩にポジションを奪われる悲哀、選手からスタッフへの配置転換を言い渡された時の落胆。まだ20歳を過ぎたばかりの若者が、そうした生の感情と向き合うことは容易ではない。それを文章にまとめ、人目にさらすことは、苦行でもあろう。4年間のファイターズの暮らしを締めくくり、新たな旅立ちをするため、という目的があるとはいえ、できればその作業を回避したいという気持ちも働いたに違いない。
 けれども、大半の部員がその苦行をいとわず、自らの生の感情と向き合い、自らの弱さや苦しさを文章に綴ったことは事実である。その生の感情が伝わってくるから、読む方も2度、3度と読み返し、感情を揺さぶられるのである。
 例えばパントリターン(PR)のスペシャリストとして4年生の秋、華麗なリターンを何度も見せてくれた尾崎裕則君の「軌跡」。彼は天下分け目の立命戦の1プレー目で負傷、救急車で病院に搬送された。その時のことを彼はこんな風に書いている。「ベンチ裏でどれだけ泣いただろう。このためにやってきたのに、そう思うと悔しくてたまらなかった」「秋シーズン、PRリターナーとして多少でも部に貢献できたのは小野さんのおかげ。そのためにも立命戦で恩返しがしたかった。いままで僕を育ててくださった小野さんのことを思うと、申し訳なくて涙が止まらなかった」
 自分が腹部に強烈なタックルを受け、病院に搬送されるという状態にありながら、なおチームに貢献できず、コーチに申し訳ない、と泣きじゃくる責任感と純情。彼はこの文章を「今という時間は今しかない。その限られた時間の中で、個人個人がチームにとって一番貢献できる場所を模索してほしい。壁にぶち当たったとしても、あきらめず、プライドを持って突き進んでほしい。頑張れ、後輩たち」という言葉で結んでいる。
 5年生コーチの高野篤君は「勝ったのは俺かお前か」というタイトルで「この5年間を非常に悔いている。社会人まで残り2か月としているいま、本当にすべてのことを学ぶことができたのだろうか」と書き出す。4年生の夏、「負けてはいけない後輩」に負けて「おれはすでに用無しではないか」と悩んだことを振り返りながら、5年生コーチとしてある晩、あるコーチに「ファイターズでの苦い経験が払拭できない」胸の内を打ち明けたことを回想する。そして「なぜ私はこのように現役中からコーチと対話しようと思わなかったのか後悔していた。もし、今みたいにコーチに歩み寄っていたら、もっと自分のフットボール人生は変わっていたかもしれない」と書く。最後は、苦しみ抜いた5年間を回顧しながら、後輩に宛てて「立派な社会人となって、胸を張ってグラウンドに立てるようになりたい」と約束する。
 先に挙げた尾崎君の文章とともに、200人を超す部員の中で、自分の居場所を探しあぐねている現役部員にとっては、何回読んでも身につまされる話だろう。
 さらに「後輩へ」というWR松原弘樹君の文章がある。彼はそこで「本当に強いチームで立命、関大に挑めただろうか」と問いかけ「一番の敗因は選手同士、コーチたちともコミュニケーションが不足していた」と反省する。RB稲村君も「後輩たちへ」と題して、自らが関大とのプレーオフ、最後のプレーで失敗した理由を細かく分析、その時の心の動きの細部まで書き込んで「後輩たちに同じ思いをしてほしくない。この文章を複数回読んでほしい」と訴えかける。
 そう、この文集は卒業していく部員たちが自らの傷をさらけ出し、血を流しながら書いた後輩への「遺言」である。後輩へ「贈る言葉」というのでは軽すぎる。卒業生の必死で伝えようとしているその重みを、松岡主将をはじめファイターズの全員がかみしめ、自らのものとして昇華してほしい。そうすれば、QB加藤翔平君が3年生の時の立命戦を回顧して綴った「1試合を通して無になれた。ただ目の前の1プレイに集中し、勝敗やプレイの成否を超えたプレイができていた」という境地、WR春日玲郁君が4年生の立命戦を回顧して書いた「加藤から投げられたボールを目で追い、いろいろな動きがはっきり見えた。タックルに来た選手に捕えられてもニーアップまでできた」「練習でやってきたことは試合になっても裏切ることはない。そう思えた」という境地にも到達できるはずだ。
 そこから道は開ける。部員諸君。この文集をいつも手元に置き、毎日読んでほしい。できれば昨年度やその前の年の文集も熟読してほしい。そして、そこに書き残されている先輩たちの熱い気持ちをわが思いとして練習に生かし、鍛錬してほしい。これはファイターズが強くなるための何よりの教科書である。
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2011年04月04日

(1)お祈りの時間

 ファイターズと硬式野球部、そして馬術部の諸君が練習場所にしているのが上ヶ原の第3フィールド。学生会館の裏手、浄水場の入り口付近から用水路沿いに少し南に歩き、上ヶ原の八幡さんの角を曲がった先にある。数年前にできた新しい施設で、以前練習場に使っていたグラウンドからは5分ほど坂道を上がった場所にある。古い卒業生なら、あそこは確か山だったはずでは、と記憶されているだろう。
 第3フィールドに入るロータリーの正面に石造りのモニュメントがあり、そこに聖書の一節が刻まれている。「ローマの信徒への手紙」にある「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」という言葉である。
 この第3フィールドで4月3日、シーズンの開幕に当たって、恒例のお祈りの時間が持たれた。式を司るのは部の顧問であり、関西学院の元宗教総主事だった前島宗甫先生である。今春入学したばかりの新入部員を含め、選手や監督、コーチらがグラウンド中央に集まり、前島先生の話に耳を傾ける。
 先生は聖書を手に、モニュメントに刻まれている言葉を読み上げ、ファイターズの諸君に、苦難が忍耐を、忍耐が練達を生み、そこから明日への希望が生まれてくる、という話をされた。そして、私たちは、限界と思えることにぶつかるかもしれない、人間の弱さや小ささを思い知らされることもよくある。けれども、私たちは限界を突き抜ける力も持っている。それは求道心である。人間としていかに生きるべきか、ということを突き詰めていけば、どんなに苦しくても忍耐ができる。耐え忍び、目の前の壁を突破しようと努力し続けることで練達が生まれる。そのようにして苦しみを通り抜けて、初めて希望が生まれる。小さい自分が大きい自分になれるようになり、前に進めるようになる。そういう趣旨のことを説かれた。
 僕はキリスト教の信者ではないが、この一説には心を惹かれる。ついでにいうと、モニュメントに刻まれている言葉の続きを、聖書は「希望はわたしたちを欺くことがありません」と記しており、ここまでを含めて、手帳の一番目立つところに書き込んでいる。こういう言葉があると、どんなに苦しい事態に追い込まれたときでも「明けない朝はない」と思って、また頑張る力が湧いてくるのである。
 自分なりの解釈として、忍耐があって初めて、創意や工夫が生まれ、技術的な進歩や飛躍が生まれる。忍耐という過程を通り抜けない練達はあり得ないし、練達がなければ希望も生まれない。苦しいからといって、希望にすがりつくだけでは駄目である。どんなに苦い現実でも、それを直視し、それを克服するために創意、工夫を凝らし、知恵を搾る。その過程があって初めて化学反応が起き、技と呼ぶに値する練達が生まれる。
 勝ちたいからといって過去の成功体験をなぞっているだけでは、競争から落伍するだけだし、第一、先人の描いた絵に色を塗っているだけでは楽しくない。絵を描くなら、どんなに下手でも自分で工夫し、想像力を駆使して初めて楽しみが生まれる。失敗も成功も自分のこととして体感できると思っている。
 お祈りの時間は、冒頭の「東日本大震災」の犠牲者を悼む黙祷の時間を含めても10分足らず。けれども、この時間をファイターズの全員が共有することで、チームが挙げて今季に向けた決意を新たにするのである。今年で8年目の行事で、当初はグラウンド入り口の高台にある平郡雷太氏の記念樹と記念碑の前で、志半ばで不慮の死を遂げた平郡雷太氏に、チームとしての誓いを新たにする形で行われていた。
 部員数が多くなったため、いまはグラウンドの中央に場所を移し、趣旨も多少変わってきたが、ミッションスクールとしての関西学院大学ならではの行事であり、ファイターズというチームの背骨を形作るための大切な場面でもある。前島先生の言葉を借りれば「気持ちの引き締まる」時間である。新しくチームに参加した新入生たちが、この厳粛な雰囲気の中、武者震いをするような表情で聞いていたのが印象的だった。
 このお祈りの時間をもって、2011年のシーズンは始まった。僕の願いはただ一つ。ファイターズの諸君が、今季こそ大学日本1になり、新年1月3日のライスボウルで、これぞファイターズ!という戦いを繰り広げてくれることである。そのために、ささやかな力ではあるが、惜しみなく時間と汗をつぎ込み、チームに尽くしたいと決意している。
     ◇    ◇
 新しいシーズンが開幕し、しばらく休んでいましたこのコラムも再開します。これまで同様、ご愛読を賜り、叱咤激励していただければ幸いです。
posted by コラム「スタンドから」 at 18:32| Comment(5) | in 2011 season

2010年12月06日

(31)敗退

 負けました。今年のチームには力がある。その力を出し切れば、絶対に勝てる。そう信じ切っていた僕には、衝撃的な敗戦。このコラムを書く気力さえ失せてしまうほどのつらい結末でした。
 いやな予感はありました。6日前、リーグ戦の最後に戦った関大の「負けっぷり」にあまりに余裕があったからです。前半に早々とリードされ、後半に入っても、関学の守備陣に対応できないと見ると、彼らはさっさとその日の試合の目的を変更。無理して追いつき、逆転しようとするよりも、ファイターズの戦術を見極め、弱点を探ることに集中していたかのように見えました。
 案の定でした。リーグ戦最終の試合から6日後に再開した代表決定戦では、彼らはファイターズのランプレーを止めることに集中。見事な対応をしてきました。その結果、ファイターズは中央のランプレーをことごとく止められ、攻撃は次第に手詰まりになっていきます。エースの松岡君が負傷で退いた後は、ますますプレーの幅が狭くなり、わずかにRB稲村君へショベルパスだけが進むというありさまです。
 もともと関大は、能力の高いDB陣を中心に、ファイターズのパスプレーに対処するノウハウを持っているようです。それは春の関関戦で、QB加藤君からWR松原君への長いパスがことごとく封じられたことをみても、証明されています。あとはランアタックを止めれば、短いパスを少々通されても、ロースコアの戦いに持ち込めると見極めたのでしょう。実際、試合後の統計をみても、ファイターズのラン攻撃をわずか26ヤードに封じ込めています。
 これに対して、ファイターズの戦いはどうだったでしょう。記録を見ると、タイブレークを含め、パスは21回投げて成功15回、獲得距離は151ヤード。一方、ランは32回の攻撃で26ヤードです。関大の守備陣がファイターズのランアタックを完封したといってもよいでしょう。
 結局、試合は互いにフィールドゴール(FG)で3点を獲得しただけで延長戦。互いにゴール前25ヤードから攻めるタイブレークにもつれ込みました。延長戦になると、ランプレーを完封していることが関大には自信になり、ファイターズにとっては、大いなる気がかりだったと思います。
 実際、最初の攻防では、先攻のファイターズが関大のアグレッシブな守備に陣地を後退させられ、52ヤードからFGを狙わなければならないことになりました。飛距離も正確性もあるK大西君でも、この距離は厳しい。わずかに届かず、後攻めの関大が圧倒的な優位に立ちました。
 しかし、この場面で主将の平澤君を中心に守備陣が奮起、38ヤードからトライした相手のFGを見事にブロックし、失点を食い止めました。
 延長戦2度目の攻撃。ファイターズは加藤君から松原君へのパス、稲村君へのショベルパスで相手ゴール前2ヤード、ダウン更新まで約1ヤードと迫りました。この距離を中央のランプレーで突破しようとしますが、それが失敗。結局、FGに追い込まれます。大西君がそれを成功させましたが、得点は3点にとどまりました。逆に、関大は5ヤードのランとゴール前2ヤードに迫るパスでダウンを更新。今度は中央のランを一発で決めてTD。堂々の勝利を収めました。
 試合後、鳥内監督は「僕の判断ミス(第4Qゴール前14ヤードからの攻撃でFGを狙わず、K大西君を走らせるギャンブルプレーが失敗した場面)を含め、プレー選択のミスが多過ぎました。あれでは勝てません」と述べ、悔しい気持ちを抑えきれない様子でした。
 例えば、さきのゴール前2ヤード、ダウン更新まで1ヤードという場面です。中央のプレーがなぜ止められたのか。この試合でもショートヤードを何回か止められていました。別の選択肢はなかったのでしょうか。
 ファイターズには加藤君という有能なQBがおり、レシーバーにも人材がそろっています。ランとパスを駆使して相手を幻惑させる多彩なプレーも持っています。なぜ、それが有効に機能しなかったのでしょうか。もちろん、そこには部外者の知りえない戦術的な状況や判断が絡み合っていると思います。結果論で言うべきことではないということも頭では理解しています。
 ただ、ファイターズは、少なくともこの十数年、たとえ戦力的に劣勢を強いられているとしても、彼我の戦力や士気の高さを冷静に見極めて戦術を選び、相手に力を発揮させないまま勝機を見つけることのできるチームでした。悔しいけれど、今年はその芸が見られないままの敗退。攻守とも死力を尽くして戦ってくれただけに、心残りのある敗戦でした。来シーズンの巻き返しに期待しています。
  ◇    ◇
 ファイターズの敗退をもって、今季の「スタンドから」は終了します。もっともっと長いシーズンになることを期待していましたが、残念です。この悔しさを抱きしめ、来年こそ、という気持ちで雌伏します。
 来春、またお目にかかりましょう。ご愛読ありがとうございました。
posted by コラム「スタンドから」 at 10:49| Comment(25) | in 2010 season

2010年11月22日

(30)青の戦士たちへ

 僕は知っている。
 夏、ひと気のないグラウンドで、一人黙々とボールを蹴っていた男を。
 練習を手伝ってくれるスナッパーやホールダーの顔ぶれは変わっても、蹴るのはいつも一人。背番号3。ボールを蹴るという、人とは異なった役割を果たすため、仲間とは違った時間に孤独な汗を流していた男である。
 僕は知っている。
 秋の京大戦。足を骨折しながら、なお試合に出続け、懸命に走っていた男を。
 背番号22。試合から数日後、ギプスで固めた足を松葉杖でかばいながら「甲子園には間に合わせます」と言い切った彼の言葉が耳に残っている。
 ぼくは知っている。
 秋の初戦、最初の攻撃で腕を骨折。機能回復訓練にシーズンを費やした男を。
 背番号7。手術した腕の機能が回復しないまま、立命戦を戦ったが、存分にはプレーできなかった。その悔しさをこらえて、彼はいまも懸命にリハビリに励んでいる。
 僕は知っている。
 4年生、最後のシーズンにけがで一度も試合に出ることなく、ただ最終戦に間に合わせたいと機能回復訓練に励んでいる男を。
 背番号28。秋の深まりとともに、グラウンドの片隅で、ゆっくりと走り始めた姿を見てどれほど待ち遠しかったことか。試合に出るのは無理かもしれないが、失意の中でもあきらめず、懸命にリハビリに励む彼の姿に、どれほど仲間が勇気付けられたことか。
 僕は知っている。
 春、新しいシーズンが始まると同時に、リーダーとなった4年生たちが懸命に指導力、統率力を発揮するようになったのを。
 例えば背番号1、そして背番号74。高校時代はもちろん、大学に入っても、笑顔は見せるが、自分からはほとんど口を利くことのなかった彼らが、人が変わったように仲間を叱咤し、激励し、指示を与えている。無口な男たちの変貌に、僕は括目(かつもく)した。
 僕は知っている。
 いつも、大事なところでけがに悩まされ、成長しきれなかった男が、シーズンの深まりとともに、恐ろしいプレーヤーになったのを。
 背番号86。2年生の時、僕の授業に顔を出すたびに、いつもどこかを故障していた彼がついに回復。恵まれた体を生かし、今では誰よりも信頼の厚いレシーバーに脱皮した。
 僕は知っている。
 陽気だけれど落ち着きのなかった男が、堂々のチームリーダーに育っているのを。
 背番号52。主将になって以降、いつも試合後に、一言ふたこと言葉を交わすのだが、その言葉の端々に、彼の成長を実感する。
 そして、僕は知っている。
 誰よりも努力する男を。
 背番号6。1年生の時からずっと、人の見ているところ、見ていないところで懸命の努力を続けてきた。自らのプレーを極限まで追求し続けてきた。人は彼を天才と呼ぶかもしれないが、僕の目には、ひたすら努力を続ける男に映る。
 ファイターズには、ほかにも努力し、チームに貢献している男たち、女たちがいっぱいいる。彼、彼女たちが懸命にチームを支え、一丸になって戦ってきた。素晴らしい戦いも、物足りない戦いもあった。力を発揮できずに敗れた試合もあった。
 けれどもこれらはすべて、春から夏、そして秋までの物語である。
 時は晩秋。残された試合はただひとつ。すでに優勝を決めている関西大学との戦いだけである。この試合がすべてを決める。
 けがで苦しんだ者、思い通りにプレーできずに涙をのんだ者、思いもよらないミスをした者、何よりライバルに敗れて悔しい思いをしたチームの全員。
 君たちは、極限の試練に立ち向かえるか。
 どんな苛酷な場面に遭遇しても、臆さずひるまず、敵のど真ん中に突っ込んでいけるか。
 俺が倒れたらチームが倒れる。そう、腹をくくって戦えるか。
 言い訳はない。
 心と体が試される。君たちの取り組みのすべてが試される。
 11月28日。神戸ユニバースタジアム。
 極限で戦い、極限を超えた時、君たちの前に道は開ける。君たちの可能性が広がる。
 人は続き、道は続く。
 頑張ろう。
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2010年11月17日

(29)旗印、高く掲げよ

 黒澤明監督の「7人の侍」に、脇役だけれども、魅力的な人物が登場する。千秋実が扮する林田平八。茶屋の代金を支払う代わりにマキ割りをしているところを、主役の勘兵衛(志村喬)らから「村を守る戦(いくさ)に加わらないか」とリクルートされる。僕はこの侍が大好きだ。組織にとっては必要不可欠な人物だと、高く評価している。
 ところが、現実には「腕はまあ、中の下。しかし、正直な男でな。その男と話していると、気が開ける。苦しい時には重宝だと思う」という程度の評価である。実際、リクルーターから剣の流儀を聞かれて「マキ割り流を少々」と答えるような、ひょうひょうとしたところがある。
 この男が勘兵衛ら6人の侍と協力して、野伏の攻撃から村を守る戦いに参加する。防衛体制づくりに余念のないある日、雨で外の作業ができない時に、彼は一人、針を手に旗を縫い始める。下に百姓の「た」を大きく書き、その上に6人の侍の印として○が6つ。その中間に、百姓の出身だが、ゆえあって侍になりたがっている菊千代(三船敏郎)の△を配した堂々たる旗である。
 「なぜ、忙しい中、こんな旗を作るのか」と聞く仲間たちに、平八が答えて曰く「戦には、何か高く掲げるものがないとさびしいでな」。
 そう、戦には高く掲げる旗が必要なのである。太平洋戦争中、あの硫黄島の戦いでも米軍は星条旗、日本軍は日章旗を高く掲げて、互いに死に物狂いの戦いを繰り広げた。
 「7人の侍」で平八は、野伏との戦いが始まって間もなく、あっけなく死んでしまった。しかし、彼が作った旗は村の高台に高く掲げられ、村人たちの団結と闘争のシンボルとして、見事にその役割を果たしたのである。
 ファイターズの旗印は言うまでもなく「プライド」である。今年4月、新しいチームが船出するに当たって、4年生を中心にこの言葉をチームの旗印に決めた。その間の事情は「主務のブログ」の1回目に、柚木君が書いている。この言葉のもと、チームは一致団結、火の玉となって日本1を目指そうとしているのである。
 上ヶ原のグラウンドの2か所の物見塔(それは選手たちのプレーをビデオに収録するための施設であり、練習中の選手から1番よく見える場所である)には、この文字(正しくは「PRIDE」の5文字)が掲げられている。ファイターズの諸君は日々、この文字を見ながら切磋琢磨しているのである。
 ところが、ファイターズの旗印である、この「プライド」について、一部の方から「生臭く漂っている」とか、「苦笑する」というコメントが寄せられている。匿名のコメントなので、書き込まれた方の意図は不明だが、選手や指導者にとっては不愉快なこと限りない言説であろう。
 前回「疾風に勁草を知る」というタイトルで書いたように、人は苦しい局面に立たされた時にこそ、その真価が問われる。だから、他人はともかく、僕だけは敗戦という事実に取り乱したり、不穏当な言動で選手たちを傷つけたりすることはするまい、と心がけている。
 実際、このコラムを書き始めて5年。チームは何度も苦杯をなめた。勝負に勝っても、内容的には不満足な試合もいっぱいあった。その間、勝った時の選手の振る舞いに苦言を呈したことはあったが、敗れた時に選手やチームを責めたことは一度もない。
 懸命に戦っている選手や指導者にとって、ホームページ上で、匿名のだれかから、その努力を揶揄(やゆ)するような言葉を浴びせられるのは、悔しいことであろう。腹立たしいことでもあろう。
 けれども、そんなことでくじけてはならない。たとえ千切れても、旗は旗である。堂々と「プライド」の旗印を掲げ、本来の使命に取り組んでほしい。悔しさをエネルギーに変え、捲土重来の勝負に挑んでもらいたい。
 幸い先週、チームは同志社に圧勝。関大もしたたかに戦って立命館を下した。おかげでファイターズにも雪辱のチャンスが巡ってきた。28日の関大戦に勝てば3校が6勝1敗で並び、甲子園への可能性が開かれるのだ。
 この好機を命掛けでつかみ取ってほしい。真価が試される日は目前である。「疾風に勁草を知る」。本当に強い草として、選手もスタッフも、もちろん指導者も、知能の限りを尽くし、体力と技の限界を突破して、存分に戦ってもらいたい。自らの意志で高く掲げた「プライド」という旗印に恥じない戦いを期待している。
posted by コラム「スタンドから」 at 10:02| Comment(7) | in 2010 season

2010年11月08日

(28)疾風に勁草を知る

 「疾風に勁草(けいそう)を知る」という言葉がある。本当に勁(つよ)い草か、それとも、強そうなのは外見だけで、実は簡単に倒れてしまうような草か、それは台風のような強い風に見舞われたときに初めて分かる、という意味である。
 同じような言葉に「磐根錯節(ばんこんさくせつ)利器を分かつ」というのがある。磐(いわ)のようにごつごつした根っこや錯綜した節、つまり、とてもじゃないけど切断できそうにないものに出会って初めて、それを切断できる道具とできない道具の違いが分かる。転じて難局に出会ったときに、その人間の器が見えてくる、という意味に使われる。
 順風に恵まれているときは、何をやってもうまくいく。人もちやほやしてくれる。けれども、人生はコインの裏表。順風があれば必ず逆風がある。人間の力では到底打開できそうにない壁にぶつかることもある。
 そのようなときに、人はどう振る舞うのか。苦しい時の身の処し方にこそ、その人間の値打ち、本質が見えてくると、僕はつねづね考えている。だからこそ、こうした言葉を身近において自らを戒め、たとえ倒れても、再度立ち上がろうとしてきたのである。
 ファイターズもいま、疾風に見舞われている。立命に敗れて「日本1」の文字が一気に遠くなった。チームに吹く風がいきなり逆風に変わった。関西リーグの残り2試合、たとえ勝ち続けても、甲子園ボウルに自力でたどりつくことはできなくなった。
 この事態に、どう対処するのか。自分たちの努力の至らなさを嘆くのか。この逆境を招いたのは「監督の責任だ」とか「選手の気合が足りなかったから」と言い募るのか。
 立命館との試合が終わった時に目にした、いくつかの光景を振り返りたい。
 一つはスタンドでの一部OBたちの見苦しい振る舞いである。第4Q残り1分余りでファイターズが試みたオンサイドキックが立命の選手に確保された途端にどたばたと席を立ち、試合後のエール交換には見向きもせずに帰路についた人のなんと多かったことか。彼らは試合中、途切れることなくファイターズを罵倒していた人たちである。
 「監督があほや」「こんな根性の入ってないチームは初めて見た」。試合中からビールを飲み、そういう罵詈雑言を浴びせ続けた人たちにとっては、エールの交換はつまらない儀式であり、敗れた選手をねぎらう必要も感じられなかったのだろう。でも、同じ関西学院に籍を置いた一人として、そのような心にゆとりのない卒業生の見苦しい振る舞いを見せつけられるのは耐え難かった。
 二つ目は、試合後のスタンドの後片付けをされていた保護者の一人から、丁寧なご挨拶を頂いたことである。チームが敗れ、甲子園への道が限りなく遠くなったという事態にもかかわらず「4年間、いや高校のときから、息子がお世話になり、本当にありがとうございました」とお礼を言われたのである。その言葉を聞いて、僕は思わず泣きそうになった。
 子どもをファイターズに預けた日から4年間、ひたすらその成長に思いをはせ、見守ってこられた親御さんにとって、この日の敗戦がどれほど悔しかったことか。毎週医者に通わなければならないほど体は傷ついているのに、それについては一言も言い訳せず、体を張ってチームを引っ張ってきたその選手の事情を知っているだけに、そんな事情も敗戦の悔しさも押し隠して、きちんと大人の挨拶をされる行き届いた姿に心を揺さぶられた。
 三つ目は、もうすっかり日の落ちた正面出口でこの数年の間に卒業したファイターズの若手OBらと交わした会話。それぞれ久しぶりに会ったメンバーばかりで、久闊(きゅうかつ)を叙した後の彼らの言葉が印象深かった。
 「池永って、1年生ですって。すごいプレーをしますね。これからが楽しみです」「立命は強かったですね。でも、ディフェンスは踏ん張っていたし、よく戦いましたよ」
 異口同音に後輩の健闘をたたえる言葉が続く。立命と骨と骨がぶつかり、身のきしむような戦いをしてきたメンバーだからこそ、その立命の攻撃を必死になって受け止めてきた後輩をねぎらう言葉が出るのだろう。「気合が足りない」などといって後輩の戦いぶりを責めたOBは、僕が話した数人の中には一人もいなかった。
 その直後には、顧問の前島先生から「尾崎は無事でした」と声をかけられた。尾崎君はこの日の第1プレー、キックオフされたボールをリターンしようとして、腹部に強烈なタックルを受け、そのまま病院に送られていた。検査の結果、内臓に損傷はなかったそうで、それをトレーナーの鶴谷さんと栗田さんから聞かされた先生が、たまたま顔を会わせた僕にも教えてくださったのだ。いつも、なによりも選手の心身を気遣われている先生からその言葉を聞いて、僕もスーッと気持ちが落ち着いた。そして、尾崎君に付き添って病院まで行ってくれた二人のトレーナーに、思わず頭を下げた。
 疾風に勁草を知る。悔しい敗戦ではあったが、そんな中でも、人としてのたたずまいのよい人に次々と出会えたことは、僕にとって心慰められることであった。
posted by コラム「スタンドから」 at 09:08| Comment(17) | in 2010 season

2010年11月02日

(27)神さまが与えた試練

 10月30日は僕の66回目の誕生日。この年になったら「冥途への一里塚」というくらいで、特段の喜びはなかったけれど、関学の宗教活動委員会から「あなたの誕生日を心からお祝い申し上げます」というはがきが届いた。グルーベル院長をはじめたくさんの方々のお祝いの言葉や署名も入っていたから、喜んで頂戴した。なにより、立命との決戦を前に、こういうお祝いのメッセージがいただけることは、ゲンのよいことに思えた。
 試合開始前後に襲来が予測されていた台風も紀伊半島のはるか南を通り過ぎ、その影響もなさそうに思えた。QB加藤のパスに支障が出ないかと心配していた強風もおさまり、これまたゲンがよいと、心を弾ませながら長居競技場に向かった。
 ところが、試合が始まった瞬間、状況は一変した。相手のキックしたボールを受け、リターンしようとした尾崎が強烈なタックルを腹部に受けてダウン、担架で運び出された。リターンチームの切り札が退場し、いやな予感が漂う。
 自陣37ヤード付近から始まったファイターズの攻撃。最初のプレーは加藤からRB稲村へのパスだったが、相手守備陣にカットされて失敗。続く第2プレー、加藤からハンドオフされたボールを抱えて走り始めたRB松岡に、相手DLが強烈なタックル浴びせ、ボールをはじき出してしまう。それを立命守備陣が抑えて、ターンオーバー。心の準備が整っていなかった守備陣が相手オフェンスに対応する前に、QBに30ヤードを独走され、先制点を与えてしまった。
 苦しい。先手を取った上で、準備に準備を重ねてきた多彩なプレーで相手を翻弄するはずだった段取りがいきなり狂ってしまった。
 それでも、ファイターズは踏ん張る。次の攻撃シリーズは、松岡のランに加藤からWR松原や春日へのパス、それに加藤やQB畑のキーププレーをからませてゴール前に迫り、仕上げは尾嶋の中央ダイブプレーでTD。
 ここでベンチはキックではなく、2点を狙ってセンターがLB村上に直接スナップするとっておきのプレーを選択したが、わずかにゴールラインに届かない。
 これで歯車が狂ったのか、前半の攻撃はその後、いっこうに進まない。逆に相手に2本のフィールドゴールを決められ、13−6で折り返し。
 後半になっても、攻守のリズムはかみ合わない。DLを5人並べ、そのうちスピードのある主将、平澤をラインバッカーの位置に下げた守備陣が機能して、相手に得点機会を与えないまま試合は一進一退になったが、ここでまたファイターズに手痛いミスが出た。相手が自陣ゴール前から蹴ったパントを確保、ハーフライン付近で攻撃権を得たはずなのに、キッカーへの反則でそれを台無しにしてしまったのだ。それどころか、この攻撃シリーズを相手のTDに結び付けられ、第4Q9分29秒というところで20−6と引き離されてしまった。
 苦しい。残り時間2分30秒弱で2本のTDを奪わないと、逆転の目はない。しかし、ここで加藤とWR陣が奮起。加藤から小山、春日へのパスを立て続けに決め、残る19ヤードを再び春日へのパスでTD。K大西のキックも決まって、わずか1分足らずの攻撃で7点差に迫る。
 残り時間は1分40秒。次のオンサイドキックを決め、攻撃権を確保すれば、まだ何とかなる。この場面で、K大西が春からずっと練習してきた「一人時間差」のオンサイドキックに出たが、警戒していた相手守備陣はごまかされない。一瞬、あわてさせることはできたが、結局ボールを確保され、万事休す。そのまま試合終了となた。
 悔しい。確かに試合は終始、立命のペースだった。相手にはミスらしいミスは一つもなかったのに、ファイターズはいくつかのミスが続いた。自ら招いたミスもあったし、相手に仕掛けられたミスもあった。そのミスにことごとく付け込まれたのだから、勝てなかったのは当然かもしれない。
 いま、試合経過を振り返ってみても、相手の猛攻をよく20点で食い止めたという感想はあっても、ファイターズが付け込む隙はなかったような気もする。相手がファイターズの攻撃やキックリターンの傾向を徹底的に研究し、十分な対策を練ってきたこともよく分かった。ファイターズの攻撃が、終始自陣深くから始まったという状況から、打つ手が限られたということも理解できる。
 しかし、である。日頃のファイターズの準備と練習を見てきた立場からいえば、どこかで仕掛けるチャンスはあったはずではないかと悔いが残る。確かに相手は強かった。けれども、ファイターズも、あのような負け方をするほど弱いチームではなかったはずだ。それは、あの強力な立命の攻撃陣を食い止めた守備陣の頑張りや最終局面での鮮やかなパス攻撃が証明している。
 それだけに、あの結果が残念でならない。いまこの原稿を書いていても、心は穏やかではない。なぜ勝てなかったのか。どこに欠陥があったのか。考えてもわからない。けれども負けたことは事実である。いまは、あの敗戦をファイターズがもっと強いチームになるために、フットボールの神さまが与えてくださった試練であると受け止め、無理やり心を鎮めている。
posted by コラム「スタンドから」 at 08:36| Comment(7) | in 2010 season

2010年10月26日

(26)みんなの笑顔が見たい

 先週末、上ヶ原の第3フィールドに顔を出したら、冷たい「甲山おろし」が吹き付けていた。涼しいを通り越して、寒い寒い。一緒に練習を見学していた顧問の前島先生と二人で、かわるがわるに「寒いですね」「たまりませんね」とボヤキ続けていた。
 前例のないほどの酷暑も終わり、キャンパスには秋が訪れている。校内のカエデやイチョウは色づき始め、池のほとりのツツジも赤くなってきた。野球場の壁を覆っている蔦も日に日に紅葉している。
 シーズンも折り返しを過ぎ、今週末はいよいよ立命館との決戦。毎年のことだが、この季節になると、練習はがぜん活気づく。選手やスタッフの集散は速くなるし、だれかがいつもグラウンド全体に響くような声を出している。プレーのリズムは格段によくなってくるし、精度も上がっている。
 グラウンドの入口に「試合練習のため、関係者以外立ち入りお断り」の張り紙が出され、けがでリハビリ中の選手が外来者をチェックするようになるのもこの時季だ。グラウンドに緊張感がみなぎり、不用意な反則をしたレギュラー選手を下級生が本気で怒鳴りつけるのも、この時季ならではの光景である。
 「こういう雰囲気の練習をせめて2か月前から続けていたら、恐ろしいチームが出来上がるでしょうね」と前島先生。「分かっていても、それができなんですよね、試験勉強と一緒で。尻に火がつかないと、本気になれないのが人間という動物でしょう」と僕。お里が知れるというのか、こんな場面でも、昔、試験という試験で苦しみ続けた人間ならではの反応をしてしまう。なんせ、語学は「オール可」、フランス語は4年生まで履修という情けない経歴の持ち主なんです、僕は。
 余談はともかく、先週の京大戦以降、チームの雰囲気は確実に変わっている。京大という厄介な相手に、終始先手を取り、手応えのある試合をしたことで、自信をつけた選手が多いからだろう。
 例えば、京大戦後半の立ち上がり、見事なオンサイドキックを決め、相手の度肝を抜いたキッカーの大西君。今季は、彼の力をもってすれば簡単に決められそうなフィールドゴールを立て続けに失敗するなど、もう一つ結果が出ていなかったが、京大戦で変身。本来の冷静さを取り戻して、パントもフィールドゴールも自在に決めた。
 その象徴が、あのオンサイドキック。キックしたボールを自ら抑えた瞬間のはじけるような笑顔がすべてを物語っていた。テレビ放送の録画を何度も見直したが、何かが吹っ切れたような彼の表情はもう、完全に戦いのモードに入っていた。
 京大戦終了後の西京極競技場のグラウンドで言葉を交わした選手たちも同様だ。急所で2度のラッシュを成功させたLBの望月君は「2回走って3ヤード。でも、決めましたよね」とにっこり。最初は第3ダウン2ヤードから、2度目は第4ダウン、ゴール前1ヤードからという状況で、QB加藤君からハンドオフされたボールを抱えて、ともにダウン更新、タッチダウンという成果につなげた。「大村コーチからいわれて練習していたプレーですが、初めは完全にテンパっていました。でも、ともに成功したので、思い切り自信がつきました」と笑顔が弾む。
 後半から登場し、第4Qにダメ押しとなる29ヤード独走TDを決めた1年生RB野々垣君も、ニコニコしながら「京大相手のタッチダウンですから自信になりました。これからも思い切り走ります」。拭いても拭いても汗が吹き出す笑顔が印象的だった。
 ここで名前を挙げて紹介するのは3人だけだが、試合終了後、多くの選手たちが笑顔で引き揚げてきた。勝利したことの喜びというよりも、それぞれ持てる力を発揮できたことがうれしかったのだろう。スコアだけでみると、開幕後3試合の方が開いているのに、それらの試合でははじけるような笑顔で引き揚げてくる選手が少なかったのが、その間の消息を物語っている。
 今週末は立命戦。京大よりもはるかに厄介な相手である。その強敵を相手に、ファイターズは毎年、アメフットの歴史に語り継がれるような試合を続けてきた。その時代、その時代の選手たちがなんとか倒したい、どうしても勝ちたいと、心血を注ぎ、脳髄を絞るように戦術を練り上げてきたからこその結果である。
 もちろん、敗れることもあった。でも、いつの時代でもファイターズの諸君は、全力でこの強敵に立ち向かってきた。立命の選手もまた、目の色を変えて戦った。だからこそ、伝説となる試合が次々と展開されてきたのである。
 今年もタフな試合になるだろう。チームとして個人として、それぞれが持てる力のすべてを発揮しても、なお勝利に結びつかない可能性もある。けれどもファイターズにつながるすべての人間は、この試合にプライドをかけている。勝敗はどうあれ、自分に負けるわけにはいかないのである。
 プライドという一言にすべてをかけ、存分に戦ってくれ。そして、試合が終ったら、みんなが笑顔を見せてくれ。それは持てる力のすべてを出し切った証拠である。僕は君たちみんなの笑顔が見たい。

posted by コラム「スタンドから」 at 07:20| Comment(2) | in 2010 season