負けました。今年のチームには力がある。その力を出し切れば、絶対に勝てる。そう信じ切っていた僕には、衝撃的な敗戦。このコラムを書く気力さえ失せてしまうほどのつらい結末でした。
いやな予感はありました。6日前、リーグ戦の最後に戦った関大の「負けっぷり」にあまりに余裕があったからです。前半に早々とリードされ、後半に入っても、関学の守備陣に対応できないと見ると、彼らはさっさとその日の試合の目的を変更。無理して追いつき、逆転しようとするよりも、ファイターズの戦術を見極め、弱点を探ることに集中していたかのように見えました。
案の定でした。リーグ戦最終の試合から6日後に再開した代表決定戦では、彼らはファイターズのランプレーを止めることに集中。見事な対応をしてきました。その結果、ファイターズは中央のランプレーをことごとく止められ、攻撃は次第に手詰まりになっていきます。エースの松岡君が負傷で退いた後は、ますますプレーの幅が狭くなり、わずかにRB稲村君へショベルパスだけが進むというありさまです。
もともと関大は、能力の高いDB陣を中心に、ファイターズのパスプレーに対処するノウハウを持っているようです。それは春の関関戦で、QB加藤君からWR松原君への長いパスがことごとく封じられたことをみても、証明されています。あとはランアタックを止めれば、短いパスを少々通されても、ロースコアの戦いに持ち込めると見極めたのでしょう。実際、試合後の統計をみても、ファイターズのラン攻撃をわずか26ヤードに封じ込めています。
これに対して、ファイターズの戦いはどうだったでしょう。記録を見ると、タイブレークを含め、パスは21回投げて成功15回、獲得距離は151ヤード。一方、ランは32回の攻撃で26ヤードです。関大の守備陣がファイターズのランアタックを完封したといってもよいでしょう。
結局、試合は互いにフィールドゴール(FG)で3点を獲得しただけで延長戦。互いにゴール前25ヤードから攻めるタイブレークにもつれ込みました。延長戦になると、ランプレーを完封していることが関大には自信になり、ファイターズにとっては、大いなる気がかりだったと思います。
実際、最初の攻防では、先攻のファイターズが関大のアグレッシブな守備に陣地を後退させられ、52ヤードからFGを狙わなければならないことになりました。飛距離も正確性もあるK大西君でも、この距離は厳しい。わずかに届かず、後攻めの関大が圧倒的な優位に立ちました。
しかし、この場面で主将の平澤君を中心に守備陣が奮起、38ヤードからトライした相手のFGを見事にブロックし、失点を食い止めました。
延長戦2度目の攻撃。ファイターズは加藤君から松原君へのパス、稲村君へのショベルパスで相手ゴール前2ヤード、ダウン更新まで約1ヤードと迫りました。この距離を中央のランプレーで突破しようとしますが、それが失敗。結局、FGに追い込まれます。大西君がそれを成功させましたが、得点は3点にとどまりました。逆に、関大は5ヤードのランとゴール前2ヤードに迫るパスでダウンを更新。今度は中央のランを一発で決めてTD。堂々の勝利を収めました。
試合後、鳥内監督は「僕の判断ミス(第4Qゴール前14ヤードからの攻撃でFGを狙わず、K大西君を走らせるギャンブルプレーが失敗した場面)を含め、プレー選択のミスが多過ぎました。あれでは勝てません」と述べ、悔しい気持ちを抑えきれない様子でした。
例えば、さきのゴール前2ヤード、ダウン更新まで1ヤードという場面です。中央のプレーがなぜ止められたのか。この試合でもショートヤードを何回か止められていました。別の選択肢はなかったのでしょうか。
ファイターズには加藤君という有能なQBがおり、レシーバーにも人材がそろっています。ランとパスを駆使して相手を幻惑させる多彩なプレーも持っています。なぜ、それが有効に機能しなかったのでしょうか。もちろん、そこには部外者の知りえない戦術的な状況や判断が絡み合っていると思います。結果論で言うべきことではないということも頭では理解しています。
ただ、ファイターズは、少なくともこの十数年、たとえ戦力的に劣勢を強いられているとしても、彼我の戦力や士気の高さを冷静に見極めて戦術を選び、相手に力を発揮させないまま勝機を見つけることのできるチームでした。悔しいけれど、今年はその芸が見られないままの敗退。攻守とも死力を尽くして戦ってくれただけに、心残りのある敗戦でした。来シーズンの巻き返しに期待しています。
◇ ◇
ファイターズの敗退をもって、今季の「スタンドから」は終了します。もっともっと長いシーズンになることを期待していましたが、残念です。この悔しさを抱きしめ、来年こそ、という気持ちで雌伏します。
来春、またお目にかかりましょう。ご愛読ありがとうございました。
2010年12月06日
(31)敗退
posted by コラム「スタンドから」 at 10:49| Comment(25)
| in 2010 season
2010年11月22日
(30)青の戦士たちへ
僕は知っている。
夏、ひと気のないグラウンドで、一人黙々とボールを蹴っていた男を。
練習を手伝ってくれるスナッパーやホールダーの顔ぶれは変わっても、蹴るのはいつも一人。背番号3。ボールを蹴るという、人とは異なった役割を果たすため、仲間とは違った時間に孤独な汗を流していた男である。
僕は知っている。
秋の京大戦。足を骨折しながら、なお試合に出続け、懸命に走っていた男を。
背番号22。試合から数日後、ギプスで固めた足を松葉杖でかばいながら「甲子園には間に合わせます」と言い切った彼の言葉が耳に残っている。
ぼくは知っている。
秋の初戦、最初の攻撃で腕を骨折。機能回復訓練にシーズンを費やした男を。
背番号7。手術した腕の機能が回復しないまま、立命戦を戦ったが、存分にはプレーできなかった。その悔しさをこらえて、彼はいまも懸命にリハビリに励んでいる。
僕は知っている。
4年生、最後のシーズンにけがで一度も試合に出ることなく、ただ最終戦に間に合わせたいと機能回復訓練に励んでいる男を。
背番号28。秋の深まりとともに、グラウンドの片隅で、ゆっくりと走り始めた姿を見てどれほど待ち遠しかったことか。試合に出るのは無理かもしれないが、失意の中でもあきらめず、懸命にリハビリに励む彼の姿に、どれほど仲間が勇気付けられたことか。
僕は知っている。
春、新しいシーズンが始まると同時に、リーダーとなった4年生たちが懸命に指導力、統率力を発揮するようになったのを。
例えば背番号1、そして背番号74。高校時代はもちろん、大学に入っても、笑顔は見せるが、自分からはほとんど口を利くことのなかった彼らが、人が変わったように仲間を叱咤し、激励し、指示を与えている。無口な男たちの変貌に、僕は括目(かつもく)した。
僕は知っている。
いつも、大事なところでけがに悩まされ、成長しきれなかった男が、シーズンの深まりとともに、恐ろしいプレーヤーになったのを。
背番号86。2年生の時、僕の授業に顔を出すたびに、いつもどこかを故障していた彼がついに回復。恵まれた体を生かし、今では誰よりも信頼の厚いレシーバーに脱皮した。
僕は知っている。
陽気だけれど落ち着きのなかった男が、堂々のチームリーダーに育っているのを。
背番号52。主将になって以降、いつも試合後に、一言ふたこと言葉を交わすのだが、その言葉の端々に、彼の成長を実感する。
そして、僕は知っている。
誰よりも努力する男を。
背番号6。1年生の時からずっと、人の見ているところ、見ていないところで懸命の努力を続けてきた。自らのプレーを極限まで追求し続けてきた。人は彼を天才と呼ぶかもしれないが、僕の目には、ひたすら努力を続ける男に映る。
ファイターズには、ほかにも努力し、チームに貢献している男たち、女たちがいっぱいいる。彼、彼女たちが懸命にチームを支え、一丸になって戦ってきた。素晴らしい戦いも、物足りない戦いもあった。力を発揮できずに敗れた試合もあった。
けれどもこれらはすべて、春から夏、そして秋までの物語である。
時は晩秋。残された試合はただひとつ。すでに優勝を決めている関西大学との戦いだけである。この試合がすべてを決める。
けがで苦しんだ者、思い通りにプレーできずに涙をのんだ者、思いもよらないミスをした者、何よりライバルに敗れて悔しい思いをしたチームの全員。
君たちは、極限の試練に立ち向かえるか。
どんな苛酷な場面に遭遇しても、臆さずひるまず、敵のど真ん中に突っ込んでいけるか。
俺が倒れたらチームが倒れる。そう、腹をくくって戦えるか。
言い訳はない。
心と体が試される。君たちの取り組みのすべてが試される。
11月28日。神戸ユニバースタジアム。
極限で戦い、極限を超えた時、君たちの前に道は開ける。君たちの可能性が広がる。
人は続き、道は続く。
頑張ろう。
夏、ひと気のないグラウンドで、一人黙々とボールを蹴っていた男を。
練習を手伝ってくれるスナッパーやホールダーの顔ぶれは変わっても、蹴るのはいつも一人。背番号3。ボールを蹴るという、人とは異なった役割を果たすため、仲間とは違った時間に孤独な汗を流していた男である。
僕は知っている。
秋の京大戦。足を骨折しながら、なお試合に出続け、懸命に走っていた男を。
背番号22。試合から数日後、ギプスで固めた足を松葉杖でかばいながら「甲子園には間に合わせます」と言い切った彼の言葉が耳に残っている。
ぼくは知っている。
秋の初戦、最初の攻撃で腕を骨折。機能回復訓練にシーズンを費やした男を。
背番号7。手術した腕の機能が回復しないまま、立命戦を戦ったが、存分にはプレーできなかった。その悔しさをこらえて、彼はいまも懸命にリハビリに励んでいる。
僕は知っている。
4年生、最後のシーズンにけがで一度も試合に出ることなく、ただ最終戦に間に合わせたいと機能回復訓練に励んでいる男を。
背番号28。秋の深まりとともに、グラウンドの片隅で、ゆっくりと走り始めた姿を見てどれほど待ち遠しかったことか。試合に出るのは無理かもしれないが、失意の中でもあきらめず、懸命にリハビリに励む彼の姿に、どれほど仲間が勇気付けられたことか。
僕は知っている。
春、新しいシーズンが始まると同時に、リーダーとなった4年生たちが懸命に指導力、統率力を発揮するようになったのを。
例えば背番号1、そして背番号74。高校時代はもちろん、大学に入っても、笑顔は見せるが、自分からはほとんど口を利くことのなかった彼らが、人が変わったように仲間を叱咤し、激励し、指示を与えている。無口な男たちの変貌に、僕は括目(かつもく)した。
僕は知っている。
いつも、大事なところでけがに悩まされ、成長しきれなかった男が、シーズンの深まりとともに、恐ろしいプレーヤーになったのを。
背番号86。2年生の時、僕の授業に顔を出すたびに、いつもどこかを故障していた彼がついに回復。恵まれた体を生かし、今では誰よりも信頼の厚いレシーバーに脱皮した。
僕は知っている。
陽気だけれど落ち着きのなかった男が、堂々のチームリーダーに育っているのを。
背番号52。主将になって以降、いつも試合後に、一言ふたこと言葉を交わすのだが、その言葉の端々に、彼の成長を実感する。
そして、僕は知っている。
誰よりも努力する男を。
背番号6。1年生の時からずっと、人の見ているところ、見ていないところで懸命の努力を続けてきた。自らのプレーを極限まで追求し続けてきた。人は彼を天才と呼ぶかもしれないが、僕の目には、ひたすら努力を続ける男に映る。
ファイターズには、ほかにも努力し、チームに貢献している男たち、女たちがいっぱいいる。彼、彼女たちが懸命にチームを支え、一丸になって戦ってきた。素晴らしい戦いも、物足りない戦いもあった。力を発揮できずに敗れた試合もあった。
けれどもこれらはすべて、春から夏、そして秋までの物語である。
時は晩秋。残された試合はただひとつ。すでに優勝を決めている関西大学との戦いだけである。この試合がすべてを決める。
けがで苦しんだ者、思い通りにプレーできずに涙をのんだ者、思いもよらないミスをした者、何よりライバルに敗れて悔しい思いをしたチームの全員。
君たちは、極限の試練に立ち向かえるか。
どんな苛酷な場面に遭遇しても、臆さずひるまず、敵のど真ん中に突っ込んでいけるか。
俺が倒れたらチームが倒れる。そう、腹をくくって戦えるか。
言い訳はない。
心と体が試される。君たちの取り組みのすべてが試される。
11月28日。神戸ユニバースタジアム。
極限で戦い、極限を超えた時、君たちの前に道は開ける。君たちの可能性が広がる。
人は続き、道は続く。
頑張ろう。
posted by コラム「スタンドから」 at 00:22| Comment(6)
| in 2010 season
2010年11月17日
(29)旗印、高く掲げよ
黒澤明監督の「7人の侍」に、脇役だけれども、魅力的な人物が登場する。千秋実が扮する林田平八。茶屋の代金を支払う代わりにマキ割りをしているところを、主役の勘兵衛(志村喬)らから「村を守る戦(いくさ)に加わらないか」とリクルートされる。僕はこの侍が大好きだ。組織にとっては必要不可欠な人物だと、高く評価している。
ところが、現実には「腕はまあ、中の下。しかし、正直な男でな。その男と話していると、気が開ける。苦しい時には重宝だと思う」という程度の評価である。実際、リクルーターから剣の流儀を聞かれて「マキ割り流を少々」と答えるような、ひょうひょうとしたところがある。
この男が勘兵衛ら6人の侍と協力して、野伏の攻撃から村を守る戦いに参加する。防衛体制づくりに余念のないある日、雨で外の作業ができない時に、彼は一人、針を手に旗を縫い始める。下に百姓の「た」を大きく書き、その上に6人の侍の印として○が6つ。その中間に、百姓の出身だが、ゆえあって侍になりたがっている菊千代(三船敏郎)の△を配した堂々たる旗である。
「なぜ、忙しい中、こんな旗を作るのか」と聞く仲間たちに、平八が答えて曰く「戦には、何か高く掲げるものがないとさびしいでな」。
そう、戦には高く掲げる旗が必要なのである。太平洋戦争中、あの硫黄島の戦いでも米軍は星条旗、日本軍は日章旗を高く掲げて、互いに死に物狂いの戦いを繰り広げた。
「7人の侍」で平八は、野伏との戦いが始まって間もなく、あっけなく死んでしまった。しかし、彼が作った旗は村の高台に高く掲げられ、村人たちの団結と闘争のシンボルとして、見事にその役割を果たしたのである。
ファイターズの旗印は言うまでもなく「プライド」である。今年4月、新しいチームが船出するに当たって、4年生を中心にこの言葉をチームの旗印に決めた。その間の事情は「主務のブログ」の1回目に、柚木君が書いている。この言葉のもと、チームは一致団結、火の玉となって日本1を目指そうとしているのである。
上ヶ原のグラウンドの2か所の物見塔(それは選手たちのプレーをビデオに収録するための施設であり、練習中の選手から1番よく見える場所である)には、この文字(正しくは「PRIDE」の5文字)が掲げられている。ファイターズの諸君は日々、この文字を見ながら切磋琢磨しているのである。
ところが、ファイターズの旗印である、この「プライド」について、一部の方から「生臭く漂っている」とか、「苦笑する」というコメントが寄せられている。匿名のコメントなので、書き込まれた方の意図は不明だが、選手や指導者にとっては不愉快なこと限りない言説であろう。
前回「疾風に勁草を知る」というタイトルで書いたように、人は苦しい局面に立たされた時にこそ、その真価が問われる。だから、他人はともかく、僕だけは敗戦という事実に取り乱したり、不穏当な言動で選手たちを傷つけたりすることはするまい、と心がけている。
実際、このコラムを書き始めて5年。チームは何度も苦杯をなめた。勝負に勝っても、内容的には不満足な試合もいっぱいあった。その間、勝った時の選手の振る舞いに苦言を呈したことはあったが、敗れた時に選手やチームを責めたことは一度もない。
懸命に戦っている選手や指導者にとって、ホームページ上で、匿名のだれかから、その努力を揶揄(やゆ)するような言葉を浴びせられるのは、悔しいことであろう。腹立たしいことでもあろう。
けれども、そんなことでくじけてはならない。たとえ千切れても、旗は旗である。堂々と「プライド」の旗印を掲げ、本来の使命に取り組んでほしい。悔しさをエネルギーに変え、捲土重来の勝負に挑んでもらいたい。
幸い先週、チームは同志社に圧勝。関大もしたたかに戦って立命館を下した。おかげでファイターズにも雪辱のチャンスが巡ってきた。28日の関大戦に勝てば3校が6勝1敗で並び、甲子園への可能性が開かれるのだ。
この好機を命掛けでつかみ取ってほしい。真価が試される日は目前である。「疾風に勁草を知る」。本当に強い草として、選手もスタッフも、もちろん指導者も、知能の限りを尽くし、体力と技の限界を突破して、存分に戦ってもらいたい。自らの意志で高く掲げた「プライド」という旗印に恥じない戦いを期待している。
ところが、現実には「腕はまあ、中の下。しかし、正直な男でな。その男と話していると、気が開ける。苦しい時には重宝だと思う」という程度の評価である。実際、リクルーターから剣の流儀を聞かれて「マキ割り流を少々」と答えるような、ひょうひょうとしたところがある。
この男が勘兵衛ら6人の侍と協力して、野伏の攻撃から村を守る戦いに参加する。防衛体制づくりに余念のないある日、雨で外の作業ができない時に、彼は一人、針を手に旗を縫い始める。下に百姓の「た」を大きく書き、その上に6人の侍の印として○が6つ。その中間に、百姓の出身だが、ゆえあって侍になりたがっている菊千代(三船敏郎)の△を配した堂々たる旗である。
「なぜ、忙しい中、こんな旗を作るのか」と聞く仲間たちに、平八が答えて曰く「戦には、何か高く掲げるものがないとさびしいでな」。
そう、戦には高く掲げる旗が必要なのである。太平洋戦争中、あの硫黄島の戦いでも米軍は星条旗、日本軍は日章旗を高く掲げて、互いに死に物狂いの戦いを繰り広げた。
「7人の侍」で平八は、野伏との戦いが始まって間もなく、あっけなく死んでしまった。しかし、彼が作った旗は村の高台に高く掲げられ、村人たちの団結と闘争のシンボルとして、見事にその役割を果たしたのである。
ファイターズの旗印は言うまでもなく「プライド」である。今年4月、新しいチームが船出するに当たって、4年生を中心にこの言葉をチームの旗印に決めた。その間の事情は「主務のブログ」の1回目に、柚木君が書いている。この言葉のもと、チームは一致団結、火の玉となって日本1を目指そうとしているのである。
上ヶ原のグラウンドの2か所の物見塔(それは選手たちのプレーをビデオに収録するための施設であり、練習中の選手から1番よく見える場所である)には、この文字(正しくは「PRIDE」の5文字)が掲げられている。ファイターズの諸君は日々、この文字を見ながら切磋琢磨しているのである。
ところが、ファイターズの旗印である、この「プライド」について、一部の方から「生臭く漂っている」とか、「苦笑する」というコメントが寄せられている。匿名のコメントなので、書き込まれた方の意図は不明だが、選手や指導者にとっては不愉快なこと限りない言説であろう。
前回「疾風に勁草を知る」というタイトルで書いたように、人は苦しい局面に立たされた時にこそ、その真価が問われる。だから、他人はともかく、僕だけは敗戦という事実に取り乱したり、不穏当な言動で選手たちを傷つけたりすることはするまい、と心がけている。
実際、このコラムを書き始めて5年。チームは何度も苦杯をなめた。勝負に勝っても、内容的には不満足な試合もいっぱいあった。その間、勝った時の選手の振る舞いに苦言を呈したことはあったが、敗れた時に選手やチームを責めたことは一度もない。
懸命に戦っている選手や指導者にとって、ホームページ上で、匿名のだれかから、その努力を揶揄(やゆ)するような言葉を浴びせられるのは、悔しいことであろう。腹立たしいことでもあろう。
けれども、そんなことでくじけてはならない。たとえ千切れても、旗は旗である。堂々と「プライド」の旗印を掲げ、本来の使命に取り組んでほしい。悔しさをエネルギーに変え、捲土重来の勝負に挑んでもらいたい。
幸い先週、チームは同志社に圧勝。関大もしたたかに戦って立命館を下した。おかげでファイターズにも雪辱のチャンスが巡ってきた。28日の関大戦に勝てば3校が6勝1敗で並び、甲子園への可能性が開かれるのだ。
この好機を命掛けでつかみ取ってほしい。真価が試される日は目前である。「疾風に勁草を知る」。本当に強い草として、選手もスタッフも、もちろん指導者も、知能の限りを尽くし、体力と技の限界を突破して、存分に戦ってもらいたい。自らの意志で高く掲げた「プライド」という旗印に恥じない戦いを期待している。
posted by コラム「スタンドから」 at 10:02| Comment(7)
| in 2010 season
2010年11月08日
(28)疾風に勁草を知る
「疾風に勁草(けいそう)を知る」という言葉がある。本当に勁(つよ)い草か、それとも、強そうなのは外見だけで、実は簡単に倒れてしまうような草か、それは台風のような強い風に見舞われたときに初めて分かる、という意味である。
同じような言葉に「磐根錯節(ばんこんさくせつ)利器を分かつ」というのがある。磐(いわ)のようにごつごつした根っこや錯綜した節、つまり、とてもじゃないけど切断できそうにないものに出会って初めて、それを切断できる道具とできない道具の違いが分かる。転じて難局に出会ったときに、その人間の器が見えてくる、という意味に使われる。
順風に恵まれているときは、何をやってもうまくいく。人もちやほやしてくれる。けれども、人生はコインの裏表。順風があれば必ず逆風がある。人間の力では到底打開できそうにない壁にぶつかることもある。
そのようなときに、人はどう振る舞うのか。苦しい時の身の処し方にこそ、その人間の値打ち、本質が見えてくると、僕はつねづね考えている。だからこそ、こうした言葉を身近において自らを戒め、たとえ倒れても、再度立ち上がろうとしてきたのである。
ファイターズもいま、疾風に見舞われている。立命に敗れて「日本1」の文字が一気に遠くなった。チームに吹く風がいきなり逆風に変わった。関西リーグの残り2試合、たとえ勝ち続けても、甲子園ボウルに自力でたどりつくことはできなくなった。
この事態に、どう対処するのか。自分たちの努力の至らなさを嘆くのか。この逆境を招いたのは「監督の責任だ」とか「選手の気合が足りなかったから」と言い募るのか。
立命館との試合が終わった時に目にした、いくつかの光景を振り返りたい。
一つはスタンドでの一部OBたちの見苦しい振る舞いである。第4Q残り1分余りでファイターズが試みたオンサイドキックが立命の選手に確保された途端にどたばたと席を立ち、試合後のエール交換には見向きもせずに帰路についた人のなんと多かったことか。彼らは試合中、途切れることなくファイターズを罵倒していた人たちである。
「監督があほや」「こんな根性の入ってないチームは初めて見た」。試合中からビールを飲み、そういう罵詈雑言を浴びせ続けた人たちにとっては、エールの交換はつまらない儀式であり、敗れた選手をねぎらう必要も感じられなかったのだろう。でも、同じ関西学院に籍を置いた一人として、そのような心にゆとりのない卒業生の見苦しい振る舞いを見せつけられるのは耐え難かった。
二つ目は、試合後のスタンドの後片付けをされていた保護者の一人から、丁寧なご挨拶を頂いたことである。チームが敗れ、甲子園への道が限りなく遠くなったという事態にもかかわらず「4年間、いや高校のときから、息子がお世話になり、本当にありがとうございました」とお礼を言われたのである。その言葉を聞いて、僕は思わず泣きそうになった。
子どもをファイターズに預けた日から4年間、ひたすらその成長に思いをはせ、見守ってこられた親御さんにとって、この日の敗戦がどれほど悔しかったことか。毎週医者に通わなければならないほど体は傷ついているのに、それについては一言も言い訳せず、体を張ってチームを引っ張ってきたその選手の事情を知っているだけに、そんな事情も敗戦の悔しさも押し隠して、きちんと大人の挨拶をされる行き届いた姿に心を揺さぶられた。
三つ目は、もうすっかり日の落ちた正面出口でこの数年の間に卒業したファイターズの若手OBらと交わした会話。それぞれ久しぶりに会ったメンバーばかりで、久闊(きゅうかつ)を叙した後の彼らの言葉が印象深かった。
「池永って、1年生ですって。すごいプレーをしますね。これからが楽しみです」「立命は強かったですね。でも、ディフェンスは踏ん張っていたし、よく戦いましたよ」
異口同音に後輩の健闘をたたえる言葉が続く。立命と骨と骨がぶつかり、身のきしむような戦いをしてきたメンバーだからこそ、その立命の攻撃を必死になって受け止めてきた後輩をねぎらう言葉が出るのだろう。「気合が足りない」などといって後輩の戦いぶりを責めたOBは、僕が話した数人の中には一人もいなかった。
その直後には、顧問の前島先生から「尾崎は無事でした」と声をかけられた。尾崎君はこの日の第1プレー、キックオフされたボールをリターンしようとして、腹部に強烈なタックルを受け、そのまま病院に送られていた。検査の結果、内臓に損傷はなかったそうで、それをトレーナーの鶴谷さんと栗田さんから聞かされた先生が、たまたま顔を会わせた僕にも教えてくださったのだ。いつも、なによりも選手の心身を気遣われている先生からその言葉を聞いて、僕もスーッと気持ちが落ち着いた。そして、尾崎君に付き添って病院まで行ってくれた二人のトレーナーに、思わず頭を下げた。
疾風に勁草を知る。悔しい敗戦ではあったが、そんな中でも、人としてのたたずまいのよい人に次々と出会えたことは、僕にとって心慰められることであった。
同じような言葉に「磐根錯節(ばんこんさくせつ)利器を分かつ」というのがある。磐(いわ)のようにごつごつした根っこや錯綜した節、つまり、とてもじゃないけど切断できそうにないものに出会って初めて、それを切断できる道具とできない道具の違いが分かる。転じて難局に出会ったときに、その人間の器が見えてくる、という意味に使われる。
順風に恵まれているときは、何をやってもうまくいく。人もちやほやしてくれる。けれども、人生はコインの裏表。順風があれば必ず逆風がある。人間の力では到底打開できそうにない壁にぶつかることもある。
そのようなときに、人はどう振る舞うのか。苦しい時の身の処し方にこそ、その人間の値打ち、本質が見えてくると、僕はつねづね考えている。だからこそ、こうした言葉を身近において自らを戒め、たとえ倒れても、再度立ち上がろうとしてきたのである。
ファイターズもいま、疾風に見舞われている。立命に敗れて「日本1」の文字が一気に遠くなった。チームに吹く風がいきなり逆風に変わった。関西リーグの残り2試合、たとえ勝ち続けても、甲子園ボウルに自力でたどりつくことはできなくなった。
この事態に、どう対処するのか。自分たちの努力の至らなさを嘆くのか。この逆境を招いたのは「監督の責任だ」とか「選手の気合が足りなかったから」と言い募るのか。
立命館との試合が終わった時に目にした、いくつかの光景を振り返りたい。
一つはスタンドでの一部OBたちの見苦しい振る舞いである。第4Q残り1分余りでファイターズが試みたオンサイドキックが立命の選手に確保された途端にどたばたと席を立ち、試合後のエール交換には見向きもせずに帰路についた人のなんと多かったことか。彼らは試合中、途切れることなくファイターズを罵倒していた人たちである。
「監督があほや」「こんな根性の入ってないチームは初めて見た」。試合中からビールを飲み、そういう罵詈雑言を浴びせ続けた人たちにとっては、エールの交換はつまらない儀式であり、敗れた選手をねぎらう必要も感じられなかったのだろう。でも、同じ関西学院に籍を置いた一人として、そのような心にゆとりのない卒業生の見苦しい振る舞いを見せつけられるのは耐え難かった。
二つ目は、試合後のスタンドの後片付けをされていた保護者の一人から、丁寧なご挨拶を頂いたことである。チームが敗れ、甲子園への道が限りなく遠くなったという事態にもかかわらず「4年間、いや高校のときから、息子がお世話になり、本当にありがとうございました」とお礼を言われたのである。その言葉を聞いて、僕は思わず泣きそうになった。
子どもをファイターズに預けた日から4年間、ひたすらその成長に思いをはせ、見守ってこられた親御さんにとって、この日の敗戦がどれほど悔しかったことか。毎週医者に通わなければならないほど体は傷ついているのに、それについては一言も言い訳せず、体を張ってチームを引っ張ってきたその選手の事情を知っているだけに、そんな事情も敗戦の悔しさも押し隠して、きちんと大人の挨拶をされる行き届いた姿に心を揺さぶられた。
三つ目は、もうすっかり日の落ちた正面出口でこの数年の間に卒業したファイターズの若手OBらと交わした会話。それぞれ久しぶりに会ったメンバーばかりで、久闊(きゅうかつ)を叙した後の彼らの言葉が印象深かった。
「池永って、1年生ですって。すごいプレーをしますね。これからが楽しみです」「立命は強かったですね。でも、ディフェンスは踏ん張っていたし、よく戦いましたよ」
異口同音に後輩の健闘をたたえる言葉が続く。立命と骨と骨がぶつかり、身のきしむような戦いをしてきたメンバーだからこそ、その立命の攻撃を必死になって受け止めてきた後輩をねぎらう言葉が出るのだろう。「気合が足りない」などといって後輩の戦いぶりを責めたOBは、僕が話した数人の中には一人もいなかった。
その直後には、顧問の前島先生から「尾崎は無事でした」と声をかけられた。尾崎君はこの日の第1プレー、キックオフされたボールをリターンしようとして、腹部に強烈なタックルを受け、そのまま病院に送られていた。検査の結果、内臓に損傷はなかったそうで、それをトレーナーの鶴谷さんと栗田さんから聞かされた先生が、たまたま顔を会わせた僕にも教えてくださったのだ。いつも、なによりも選手の心身を気遣われている先生からその言葉を聞いて、僕もスーッと気持ちが落ち着いた。そして、尾崎君に付き添って病院まで行ってくれた二人のトレーナーに、思わず頭を下げた。
疾風に勁草を知る。悔しい敗戦ではあったが、そんな中でも、人としてのたたずまいのよい人に次々と出会えたことは、僕にとって心慰められることであった。
posted by コラム「スタンドから」 at 09:08| Comment(17)
| in 2010 season
2010年11月02日
(27)神さまが与えた試練
10月30日は僕の66回目の誕生日。この年になったら「冥途への一里塚」というくらいで、特段の喜びはなかったけれど、関学の宗教活動委員会から「あなたの誕生日を心からお祝い申し上げます」というはがきが届いた。グルーベル院長をはじめたくさんの方々のお祝いの言葉や署名も入っていたから、喜んで頂戴した。なにより、立命との決戦を前に、こういうお祝いのメッセージがいただけることは、ゲンのよいことに思えた。
試合開始前後に襲来が予測されていた台風も紀伊半島のはるか南を通り過ぎ、その影響もなさそうに思えた。QB加藤のパスに支障が出ないかと心配していた強風もおさまり、これまたゲンがよいと、心を弾ませながら長居競技場に向かった。
ところが、試合が始まった瞬間、状況は一変した。相手のキックしたボールを受け、リターンしようとした尾崎が強烈なタックルを腹部に受けてダウン、担架で運び出された。リターンチームの切り札が退場し、いやな予感が漂う。
自陣37ヤード付近から始まったファイターズの攻撃。最初のプレーは加藤からRB稲村へのパスだったが、相手守備陣にカットされて失敗。続く第2プレー、加藤からハンドオフされたボールを抱えて走り始めたRB松岡に、相手DLが強烈なタックル浴びせ、ボールをはじき出してしまう。それを立命守備陣が抑えて、ターンオーバー。心の準備が整っていなかった守備陣が相手オフェンスに対応する前に、QBに30ヤードを独走され、先制点を与えてしまった。
苦しい。先手を取った上で、準備に準備を重ねてきた多彩なプレーで相手を翻弄するはずだった段取りがいきなり狂ってしまった。
それでも、ファイターズは踏ん張る。次の攻撃シリーズは、松岡のランに加藤からWR松原や春日へのパス、それに加藤やQB畑のキーププレーをからませてゴール前に迫り、仕上げは尾嶋の中央ダイブプレーでTD。
ここでベンチはキックではなく、2点を狙ってセンターがLB村上に直接スナップするとっておきのプレーを選択したが、わずかにゴールラインに届かない。
これで歯車が狂ったのか、前半の攻撃はその後、いっこうに進まない。逆に相手に2本のフィールドゴールを決められ、13−6で折り返し。
後半になっても、攻守のリズムはかみ合わない。DLを5人並べ、そのうちスピードのある主将、平澤をラインバッカーの位置に下げた守備陣が機能して、相手に得点機会を与えないまま試合は一進一退になったが、ここでまたファイターズに手痛いミスが出た。相手が自陣ゴール前から蹴ったパントを確保、ハーフライン付近で攻撃権を得たはずなのに、キッカーへの反則でそれを台無しにしてしまったのだ。それどころか、この攻撃シリーズを相手のTDに結び付けられ、第4Q9分29秒というところで20−6と引き離されてしまった。
苦しい。残り時間2分30秒弱で2本のTDを奪わないと、逆転の目はない。しかし、ここで加藤とWR陣が奮起。加藤から小山、春日へのパスを立て続けに決め、残る19ヤードを再び春日へのパスでTD。K大西のキックも決まって、わずか1分足らずの攻撃で7点差に迫る。
残り時間は1分40秒。次のオンサイドキックを決め、攻撃権を確保すれば、まだ何とかなる。この場面で、K大西が春からずっと練習してきた「一人時間差」のオンサイドキックに出たが、警戒していた相手守備陣はごまかされない。一瞬、あわてさせることはできたが、結局ボールを確保され、万事休す。そのまま試合終了となた。
悔しい。確かに試合は終始、立命のペースだった。相手にはミスらしいミスは一つもなかったのに、ファイターズはいくつかのミスが続いた。自ら招いたミスもあったし、相手に仕掛けられたミスもあった。そのミスにことごとく付け込まれたのだから、勝てなかったのは当然かもしれない。
いま、試合経過を振り返ってみても、相手の猛攻をよく20点で食い止めたという感想はあっても、ファイターズが付け込む隙はなかったような気もする。相手がファイターズの攻撃やキックリターンの傾向を徹底的に研究し、十分な対策を練ってきたこともよく分かった。ファイターズの攻撃が、終始自陣深くから始まったという状況から、打つ手が限られたということも理解できる。
しかし、である。日頃のファイターズの準備と練習を見てきた立場からいえば、どこかで仕掛けるチャンスはあったはずではないかと悔いが残る。確かに相手は強かった。けれども、ファイターズも、あのような負け方をするほど弱いチームではなかったはずだ。それは、あの強力な立命の攻撃陣を食い止めた守備陣の頑張りや最終局面での鮮やかなパス攻撃が証明している。
それだけに、あの結果が残念でならない。いまこの原稿を書いていても、心は穏やかではない。なぜ勝てなかったのか。どこに欠陥があったのか。考えてもわからない。けれども負けたことは事実である。いまは、あの敗戦をファイターズがもっと強いチームになるために、フットボールの神さまが与えてくださった試練であると受け止め、無理やり心を鎮めている。
試合開始前後に襲来が予測されていた台風も紀伊半島のはるか南を通り過ぎ、その影響もなさそうに思えた。QB加藤のパスに支障が出ないかと心配していた強風もおさまり、これまたゲンがよいと、心を弾ませながら長居競技場に向かった。
ところが、試合が始まった瞬間、状況は一変した。相手のキックしたボールを受け、リターンしようとした尾崎が強烈なタックルを腹部に受けてダウン、担架で運び出された。リターンチームの切り札が退場し、いやな予感が漂う。
自陣37ヤード付近から始まったファイターズの攻撃。最初のプレーは加藤からRB稲村へのパスだったが、相手守備陣にカットされて失敗。続く第2プレー、加藤からハンドオフされたボールを抱えて走り始めたRB松岡に、相手DLが強烈なタックル浴びせ、ボールをはじき出してしまう。それを立命守備陣が抑えて、ターンオーバー。心の準備が整っていなかった守備陣が相手オフェンスに対応する前に、QBに30ヤードを独走され、先制点を与えてしまった。
苦しい。先手を取った上で、準備に準備を重ねてきた多彩なプレーで相手を翻弄するはずだった段取りがいきなり狂ってしまった。
それでも、ファイターズは踏ん張る。次の攻撃シリーズは、松岡のランに加藤からWR松原や春日へのパス、それに加藤やQB畑のキーププレーをからませてゴール前に迫り、仕上げは尾嶋の中央ダイブプレーでTD。
ここでベンチはキックではなく、2点を狙ってセンターがLB村上に直接スナップするとっておきのプレーを選択したが、わずかにゴールラインに届かない。
これで歯車が狂ったのか、前半の攻撃はその後、いっこうに進まない。逆に相手に2本のフィールドゴールを決められ、13−6で折り返し。
後半になっても、攻守のリズムはかみ合わない。DLを5人並べ、そのうちスピードのある主将、平澤をラインバッカーの位置に下げた守備陣が機能して、相手に得点機会を与えないまま試合は一進一退になったが、ここでまたファイターズに手痛いミスが出た。相手が自陣ゴール前から蹴ったパントを確保、ハーフライン付近で攻撃権を得たはずなのに、キッカーへの反則でそれを台無しにしてしまったのだ。それどころか、この攻撃シリーズを相手のTDに結び付けられ、第4Q9分29秒というところで20−6と引き離されてしまった。
苦しい。残り時間2分30秒弱で2本のTDを奪わないと、逆転の目はない。しかし、ここで加藤とWR陣が奮起。加藤から小山、春日へのパスを立て続けに決め、残る19ヤードを再び春日へのパスでTD。K大西のキックも決まって、わずか1分足らずの攻撃で7点差に迫る。
残り時間は1分40秒。次のオンサイドキックを決め、攻撃権を確保すれば、まだ何とかなる。この場面で、K大西が春からずっと練習してきた「一人時間差」のオンサイドキックに出たが、警戒していた相手守備陣はごまかされない。一瞬、あわてさせることはできたが、結局ボールを確保され、万事休す。そのまま試合終了となた。
悔しい。確かに試合は終始、立命のペースだった。相手にはミスらしいミスは一つもなかったのに、ファイターズはいくつかのミスが続いた。自ら招いたミスもあったし、相手に仕掛けられたミスもあった。そのミスにことごとく付け込まれたのだから、勝てなかったのは当然かもしれない。
いま、試合経過を振り返ってみても、相手の猛攻をよく20点で食い止めたという感想はあっても、ファイターズが付け込む隙はなかったような気もする。相手がファイターズの攻撃やキックリターンの傾向を徹底的に研究し、十分な対策を練ってきたこともよく分かった。ファイターズの攻撃が、終始自陣深くから始まったという状況から、打つ手が限られたということも理解できる。
しかし、である。日頃のファイターズの準備と練習を見てきた立場からいえば、どこかで仕掛けるチャンスはあったはずではないかと悔いが残る。確かに相手は強かった。けれども、ファイターズも、あのような負け方をするほど弱いチームではなかったはずだ。それは、あの強力な立命の攻撃陣を食い止めた守備陣の頑張りや最終局面での鮮やかなパス攻撃が証明している。
それだけに、あの結果が残念でならない。いまこの原稿を書いていても、心は穏やかではない。なぜ勝てなかったのか。どこに欠陥があったのか。考えてもわからない。けれども負けたことは事実である。いまは、あの敗戦をファイターズがもっと強いチームになるために、フットボールの神さまが与えてくださった試練であると受け止め、無理やり心を鎮めている。
posted by コラム「スタンドから」 at 08:36| Comment(7)
| in 2010 season
2010年10月26日
(26)みんなの笑顔が見たい
先週末、上ヶ原の第3フィールドに顔を出したら、冷たい「甲山おろし」が吹き付けていた。涼しいを通り越して、寒い寒い。一緒に練習を見学していた顧問の前島先生と二人で、かわるがわるに「寒いですね」「たまりませんね」とボヤキ続けていた。
前例のないほどの酷暑も終わり、キャンパスには秋が訪れている。校内のカエデやイチョウは色づき始め、池のほとりのツツジも赤くなってきた。野球場の壁を覆っている蔦も日に日に紅葉している。
シーズンも折り返しを過ぎ、今週末はいよいよ立命館との決戦。毎年のことだが、この季節になると、練習はがぜん活気づく。選手やスタッフの集散は速くなるし、だれかがいつもグラウンド全体に響くような声を出している。プレーのリズムは格段によくなってくるし、精度も上がっている。
グラウンドの入口に「試合練習のため、関係者以外立ち入りお断り」の張り紙が出され、けがでリハビリ中の選手が外来者をチェックするようになるのもこの時季だ。グラウンドに緊張感がみなぎり、不用意な反則をしたレギュラー選手を下級生が本気で怒鳴りつけるのも、この時季ならではの光景である。
「こういう雰囲気の練習をせめて2か月前から続けていたら、恐ろしいチームが出来上がるでしょうね」と前島先生。「分かっていても、それができなんですよね、試験勉強と一緒で。尻に火がつかないと、本気になれないのが人間という動物でしょう」と僕。お里が知れるというのか、こんな場面でも、昔、試験という試験で苦しみ続けた人間ならではの反応をしてしまう。なんせ、語学は「オール可」、フランス語は4年生まで履修という情けない経歴の持ち主なんです、僕は。
余談はともかく、先週の京大戦以降、チームの雰囲気は確実に変わっている。京大という厄介な相手に、終始先手を取り、手応えのある試合をしたことで、自信をつけた選手が多いからだろう。
例えば、京大戦後半の立ち上がり、見事なオンサイドキックを決め、相手の度肝を抜いたキッカーの大西君。今季は、彼の力をもってすれば簡単に決められそうなフィールドゴールを立て続けに失敗するなど、もう一つ結果が出ていなかったが、京大戦で変身。本来の冷静さを取り戻して、パントもフィールドゴールも自在に決めた。
その象徴が、あのオンサイドキック。キックしたボールを自ら抑えた瞬間のはじけるような笑顔がすべてを物語っていた。テレビ放送の録画を何度も見直したが、何かが吹っ切れたような彼の表情はもう、完全に戦いのモードに入っていた。
京大戦終了後の西京極競技場のグラウンドで言葉を交わした選手たちも同様だ。急所で2度のラッシュを成功させたLBの望月君は「2回走って3ヤード。でも、決めましたよね」とにっこり。最初は第3ダウン2ヤードから、2度目は第4ダウン、ゴール前1ヤードからという状況で、QB加藤君からハンドオフされたボールを抱えて、ともにダウン更新、タッチダウンという成果につなげた。「大村コーチからいわれて練習していたプレーですが、初めは完全にテンパっていました。でも、ともに成功したので、思い切り自信がつきました」と笑顔が弾む。
後半から登場し、第4Qにダメ押しとなる29ヤード独走TDを決めた1年生RB野々垣君も、ニコニコしながら「京大相手のタッチダウンですから自信になりました。これからも思い切り走ります」。拭いても拭いても汗が吹き出す笑顔が印象的だった。
ここで名前を挙げて紹介するのは3人だけだが、試合終了後、多くの選手たちが笑顔で引き揚げてきた。勝利したことの喜びというよりも、それぞれ持てる力を発揮できたことがうれしかったのだろう。スコアだけでみると、開幕後3試合の方が開いているのに、それらの試合でははじけるような笑顔で引き揚げてくる選手が少なかったのが、その間の消息を物語っている。
今週末は立命戦。京大よりもはるかに厄介な相手である。その強敵を相手に、ファイターズは毎年、アメフットの歴史に語り継がれるような試合を続けてきた。その時代、その時代の選手たちがなんとか倒したい、どうしても勝ちたいと、心血を注ぎ、脳髄を絞るように戦術を練り上げてきたからこその結果である。
もちろん、敗れることもあった。でも、いつの時代でもファイターズの諸君は、全力でこの強敵に立ち向かってきた。立命の選手もまた、目の色を変えて戦った。だからこそ、伝説となる試合が次々と展開されてきたのである。
今年もタフな試合になるだろう。チームとして個人として、それぞれが持てる力のすべてを発揮しても、なお勝利に結びつかない可能性もある。けれどもファイターズにつながるすべての人間は、この試合にプライドをかけている。勝敗はどうあれ、自分に負けるわけにはいかないのである。
プライドという一言にすべてをかけ、存分に戦ってくれ。そして、試合が終ったら、みんなが笑顔を見せてくれ。それは持てる力のすべてを出し切った証拠である。僕は君たちみんなの笑顔が見たい。
前例のないほどの酷暑も終わり、キャンパスには秋が訪れている。校内のカエデやイチョウは色づき始め、池のほとりのツツジも赤くなってきた。野球場の壁を覆っている蔦も日に日に紅葉している。
シーズンも折り返しを過ぎ、今週末はいよいよ立命館との決戦。毎年のことだが、この季節になると、練習はがぜん活気づく。選手やスタッフの集散は速くなるし、だれかがいつもグラウンド全体に響くような声を出している。プレーのリズムは格段によくなってくるし、精度も上がっている。
グラウンドの入口に「試合練習のため、関係者以外立ち入りお断り」の張り紙が出され、けがでリハビリ中の選手が外来者をチェックするようになるのもこの時季だ。グラウンドに緊張感がみなぎり、不用意な反則をしたレギュラー選手を下級生が本気で怒鳴りつけるのも、この時季ならではの光景である。
「こういう雰囲気の練習をせめて2か月前から続けていたら、恐ろしいチームが出来上がるでしょうね」と前島先生。「分かっていても、それができなんですよね、試験勉強と一緒で。尻に火がつかないと、本気になれないのが人間という動物でしょう」と僕。お里が知れるというのか、こんな場面でも、昔、試験という試験で苦しみ続けた人間ならではの反応をしてしまう。なんせ、語学は「オール可」、フランス語は4年生まで履修という情けない経歴の持ち主なんです、僕は。
余談はともかく、先週の京大戦以降、チームの雰囲気は確実に変わっている。京大という厄介な相手に、終始先手を取り、手応えのある試合をしたことで、自信をつけた選手が多いからだろう。
例えば、京大戦後半の立ち上がり、見事なオンサイドキックを決め、相手の度肝を抜いたキッカーの大西君。今季は、彼の力をもってすれば簡単に決められそうなフィールドゴールを立て続けに失敗するなど、もう一つ結果が出ていなかったが、京大戦で変身。本来の冷静さを取り戻して、パントもフィールドゴールも自在に決めた。
その象徴が、あのオンサイドキック。キックしたボールを自ら抑えた瞬間のはじけるような笑顔がすべてを物語っていた。テレビ放送の録画を何度も見直したが、何かが吹っ切れたような彼の表情はもう、完全に戦いのモードに入っていた。
京大戦終了後の西京極競技場のグラウンドで言葉を交わした選手たちも同様だ。急所で2度のラッシュを成功させたLBの望月君は「2回走って3ヤード。でも、決めましたよね」とにっこり。最初は第3ダウン2ヤードから、2度目は第4ダウン、ゴール前1ヤードからという状況で、QB加藤君からハンドオフされたボールを抱えて、ともにダウン更新、タッチダウンという成果につなげた。「大村コーチからいわれて練習していたプレーですが、初めは完全にテンパっていました。でも、ともに成功したので、思い切り自信がつきました」と笑顔が弾む。
後半から登場し、第4Qにダメ押しとなる29ヤード独走TDを決めた1年生RB野々垣君も、ニコニコしながら「京大相手のタッチダウンですから自信になりました。これからも思い切り走ります」。拭いても拭いても汗が吹き出す笑顔が印象的だった。
ここで名前を挙げて紹介するのは3人だけだが、試合終了後、多くの選手たちが笑顔で引き揚げてきた。勝利したことの喜びというよりも、それぞれ持てる力を発揮できたことがうれしかったのだろう。スコアだけでみると、開幕後3試合の方が開いているのに、それらの試合でははじけるような笑顔で引き揚げてくる選手が少なかったのが、その間の消息を物語っている。
今週末は立命戦。京大よりもはるかに厄介な相手である。その強敵を相手に、ファイターズは毎年、アメフットの歴史に語り継がれるような試合を続けてきた。その時代、その時代の選手たちがなんとか倒したい、どうしても勝ちたいと、心血を注ぎ、脳髄を絞るように戦術を練り上げてきたからこその結果である。
もちろん、敗れることもあった。でも、いつの時代でもファイターズの諸君は、全力でこの強敵に立ち向かってきた。立命の選手もまた、目の色を変えて戦った。だからこそ、伝説となる試合が次々と展開されてきたのである。
今年もタフな試合になるだろう。チームとして個人として、それぞれが持てる力のすべてを発揮しても、なお勝利に結びつかない可能性もある。けれどもファイターズにつながるすべての人間は、この試合にプライドをかけている。勝敗はどうあれ、自分に負けるわけにはいかないのである。
プライドという一言にすべてをかけ、存分に戦ってくれ。そして、試合が終ったら、みんなが笑顔を見せてくれ。それは持てる力のすべてを出し切った証拠である。僕は君たちみんなの笑顔が見たい。
posted by コラム「スタンドから」 at 07:20| Comment(2)
| in 2010 season
2010年10月19日
(25)準備のスポーツ
アメフットは準備のスポーツであるといわれる。日曜日の京大戦では、そのことを思い知らされる場面に何度も遭遇した。
例えば立ち上がり、ファイターズの先制点につながったLB辻本のパントブロック。ボールが蹴られる瞬間に相手パンターの足元に飛び込むには、事前の綿密な準備と分析が必須条件。データをもとに、何度も何度もタイミングを計り、それを練習で身につけてきたからこそ、相手の防御網を突破することができたのだろう。彼がブロックしたボールを確保したLB村上をはじめ、キッキングチームの周到な準備が呼び込んだファインプレーである。
こうして手に入れた相手ゴール前1ヤードからの攻撃。加藤からRB兵田へのタッチダウン(TD)パスも、周到な準備から生まれた。一般的にいって、ゴール前に詰め寄っても、それをTDに結びつけるのは意外に難しい。チームの力量に圧倒的な差がある場合は別にして、通常は事前の準備がなければ攻撃側が苦労する。守備側にとっては、守るスペースが限定されるため、あれもこれもと考えず、思い切ったディフェンスができるからである。順調に進んできた攻撃がFGで終わる例は、それを裏付けている。
攻撃側がこの困難な条件を突破するには、単純なランプレーや見え透いたパスプレーでは限界がある。相手の考えの裏の裏をかくプレーを日ごろから準備し、その完成度を高めておかなければならない所以(ゆえん)である。加藤と兵田のコンビがこともなげに決めたパスは、そういう準備から生まれたプレーであり、それが守備陣の意表を突いたからこそ、簡単に決まったのである。
第3Q4分46秒。第4ダウン、相手ゴールまで1ヤードという状況で、LB望月が中央を突破して決めたTDもそういうプレーだった。その時点でファイターズは10点リード。この場面では、キッカー大西を信頼し、FGで点差を広げるという選択もあったが、ベンチはTDを狙いに行った。後半の立ち上がりとあって、どうしてもプレーを成功させ、勢いに乗りたかったのだろう。
そういう条件を前提に、相手守備側から見れば、考えられるプレーは、テールバックの中央ダイブ、QBスニーク、そしてエースレシーバー、松原へのパスといったところだったろう。ブロック力のあるLB望月をフルバックの位置に起用したファイターズの隊形も、それらのプレーを想定しているように見えた。
ところが、ベンチが選択したのは、ボールを望月に直接ボールを渡し、そのままゴールになだれ込むプレー。これが相手の意表を突いてTD。大西のキックも決まって17−0、ファイターズが完全に主導権を握った。
さかのぼれば、このチャンスもファイターズが周到に準備したオンサイドキックから生まれた。第3Qは、ファイターズのキックで開始したが、この場面で大西がフィールド中央、自陣45ヤード付近にゆるいゴロを蹴り、それを自ら走りこんで確保した。まるでサッカーのドリブルのようなプレーだったが、これが大西のキック力を警戒して後方に注意を払っていた京大の守備陣の意表を突き、守備から始まるはずだった後半を、攻撃からスタートさせることに成功した。
これもまた、局面を打開するために周到に準備されていたプレーである。鳥内監督は試合後、記者団の質問に「やりたい、いうからやらせた」「守備陣が止めていたから(たとえ失敗して相手に好位置を与えても)なんとかするやろと思ってました」と、独特の言い回しで答えていた。でも、その表情を見ていると、初めから成功することを確信していた様子がありあり。キッキングチームの日ごろの練習、準備に注目している監督ならではの発言だった。
もちろん、監督の言葉のように前半、守備陣がしっかり京大の攻撃を食い止めていたからこそ、あのような思い切ったプレーが選択できたのだろう。それが成功したことにより、攻撃にリズムが生まれ、追加点につながったことは間違いない。
それほど守備陣は安定していた。平澤主将を中心としたスピードがあって力強いDL陣、速くて当たれる善元と成長著しい望月、そこへ村上が復帰してきたLB陣、この日もインターセプトを決めたアスリート、吉井駿哉を中心にしたDB陣。彼らは強力なランとパスを持つ京大の攻撃陣を相手に、得点を与えなかった。今季4試合を終え、ディフェンスとしてはいまだに失点ゼロである。
安定した守備陣が控えているからこそ、攻撃陣も落ち着いて攻撃できる。事前に準備した思い切ったプレーも選択できる。攻守とも強力な京大を相手に戦って、ようやくチームの歯車がかみ合ってきたようだ。
負傷者が多いのは気がかりだが、次週はいよいよ立命戦。選手だけでなくコーチ、アナライジングスタッフ、スカウトチーム、スペシャルチームを挙げて、準備に準備を重ねてきたことの成果を示すときである。
例えば立ち上がり、ファイターズの先制点につながったLB辻本のパントブロック。ボールが蹴られる瞬間に相手パンターの足元に飛び込むには、事前の綿密な準備と分析が必須条件。データをもとに、何度も何度もタイミングを計り、それを練習で身につけてきたからこそ、相手の防御網を突破することができたのだろう。彼がブロックしたボールを確保したLB村上をはじめ、キッキングチームの周到な準備が呼び込んだファインプレーである。
こうして手に入れた相手ゴール前1ヤードからの攻撃。加藤からRB兵田へのタッチダウン(TD)パスも、周到な準備から生まれた。一般的にいって、ゴール前に詰め寄っても、それをTDに結びつけるのは意外に難しい。チームの力量に圧倒的な差がある場合は別にして、通常は事前の準備がなければ攻撃側が苦労する。守備側にとっては、守るスペースが限定されるため、あれもこれもと考えず、思い切ったディフェンスができるからである。順調に進んできた攻撃がFGで終わる例は、それを裏付けている。
攻撃側がこの困難な条件を突破するには、単純なランプレーや見え透いたパスプレーでは限界がある。相手の考えの裏の裏をかくプレーを日ごろから準備し、その完成度を高めておかなければならない所以(ゆえん)である。加藤と兵田のコンビがこともなげに決めたパスは、そういう準備から生まれたプレーであり、それが守備陣の意表を突いたからこそ、簡単に決まったのである。
第3Q4分46秒。第4ダウン、相手ゴールまで1ヤードという状況で、LB望月が中央を突破して決めたTDもそういうプレーだった。その時点でファイターズは10点リード。この場面では、キッカー大西を信頼し、FGで点差を広げるという選択もあったが、ベンチはTDを狙いに行った。後半の立ち上がりとあって、どうしてもプレーを成功させ、勢いに乗りたかったのだろう。
そういう条件を前提に、相手守備側から見れば、考えられるプレーは、テールバックの中央ダイブ、QBスニーク、そしてエースレシーバー、松原へのパスといったところだったろう。ブロック力のあるLB望月をフルバックの位置に起用したファイターズの隊形も、それらのプレーを想定しているように見えた。
ところが、ベンチが選択したのは、ボールを望月に直接ボールを渡し、そのままゴールになだれ込むプレー。これが相手の意表を突いてTD。大西のキックも決まって17−0、ファイターズが完全に主導権を握った。
さかのぼれば、このチャンスもファイターズが周到に準備したオンサイドキックから生まれた。第3Qは、ファイターズのキックで開始したが、この場面で大西がフィールド中央、自陣45ヤード付近にゆるいゴロを蹴り、それを自ら走りこんで確保した。まるでサッカーのドリブルのようなプレーだったが、これが大西のキック力を警戒して後方に注意を払っていた京大の守備陣の意表を突き、守備から始まるはずだった後半を、攻撃からスタートさせることに成功した。
これもまた、局面を打開するために周到に準備されていたプレーである。鳥内監督は試合後、記者団の質問に「やりたい、いうからやらせた」「守備陣が止めていたから(たとえ失敗して相手に好位置を与えても)なんとかするやろと思ってました」と、独特の言い回しで答えていた。でも、その表情を見ていると、初めから成功することを確信していた様子がありあり。キッキングチームの日ごろの練習、準備に注目している監督ならではの発言だった。
もちろん、監督の言葉のように前半、守備陣がしっかり京大の攻撃を食い止めていたからこそ、あのような思い切ったプレーが選択できたのだろう。それが成功したことにより、攻撃にリズムが生まれ、追加点につながったことは間違いない。
それほど守備陣は安定していた。平澤主将を中心としたスピードがあって力強いDL陣、速くて当たれる善元と成長著しい望月、そこへ村上が復帰してきたLB陣、この日もインターセプトを決めたアスリート、吉井駿哉を中心にしたDB陣。彼らは強力なランとパスを持つ京大の攻撃陣を相手に、得点を与えなかった。今季4試合を終え、ディフェンスとしてはいまだに失点ゼロである。
安定した守備陣が控えているからこそ、攻撃陣も落ち着いて攻撃できる。事前に準備した思い切ったプレーも選択できる。攻守とも強力な京大を相手に戦って、ようやくチームの歯車がかみ合ってきたようだ。
負傷者が多いのは気がかりだが、次週はいよいよ立命戦。選手だけでなくコーチ、アナライジングスタッフ、スカウトチーム、スペシャルチームを挙げて、準備に準備を重ねてきたことの成果を示すときである。
posted by コラム「スタンドから」 at 06:35| Comment(2)
| in 2010 season
2010年10月11日
(24)スカウトチームと化学反応
鈴木章・北海道大学名誉教授(80)と根岸栄一・パデュー大学特別教授(75)、それにリチャード・ヘック・デラウェア大学名誉教授(79)に今年のノーベル化学賞が贈られることになった。日本のノーベル賞受賞者はこれで17、18人目になるそうだ。その中に関西学院の先生方の名前のないのが悔しいが、それは今日のテーマとは関係ない。
日本のお二人の人となりや研究の課程、業績や喜びの言葉は先週来、新聞やテレビで洪水のように報道されているから、新聞は読んでもテレビはろくに見ない僕より、このコラムをお読みになっている皆さんの方が、よほどお詳しいだろう。理系にはからっきし弱い(もちろん、文系も体育系も弱い。人より優れているところがあるとすれば、せいぜい野次馬系ぐらいだろう)僕はただ、お二人の業績として顕彰されている「有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリング」という「言葉」に神経をくすぐられただけである。
どういうことか。
朝日新聞などによると、「炭素同士を効率よく繋ぐ」ことは、有機化学の大きなテーマだった。その方法の一つとして注目されていたのがクロスカップリング反応。この反応に繋ぎたい場所につける「目印」と、反応を仲介する「触媒」をうまく組み合わせて反応させると、本来は結合しにくい炭素同士が簡単に結合する。その触媒にパラジウムを使う方法をヘックさんが確立し、根岸さんがそれを応用してバリエーションを広げ、より使いやすい形に改良した。鈴木さんはそれを改良した「鈴木カップリング反応」を開発、実用化に結びつけた。それを応用した技術によって、医薬品や農薬が開発され、テレビやパソコンの画面に使われる液晶を有機化合物から製造する際の結合に利用されているという。
前置きが長くなった。申し訳ない。今日のテーマは、この「触媒」と「化学反応」という言葉をファイターズに当てはめたらどうなるか、ということである。スカウトチームを例に、考えてみたい。
ご承知の通り、アメフットでは大半のチームがオフェンスとディフェンスの分業体制を敷いている。日ごろの練習から攻守のパートに分かれ、それぞれの完成度を上げるべく努力しているのである。
ファイターズも例外ではない。スペシャルチームも含めた攻守蹴のパートがそれぞれ、過去の蓄積を生かした練習法、新たに導入した練習法をミックスし、試行錯誤しながら日々鍛錬している。経験を積んだコーチが指導し、アナライジングスタッフが編集したビデオを参考にして戦術を考える。
毎年、営々と繰り返されるそうした動きの中で、チームとしてある種の化学反応を起こさないと、飛躍はない。新しい技や戦術は生まれない。過去のチームが成功したからと言って、その成功体験に寄りかかり、反復練習をしているだけでは未来はない。日々創意をこらし、工夫し、進化し続けているチームには勝てないのである。
誰もが想像したこともないような化学反応を引き起こすには、想像もつかないような触媒が必要になる。それを使い勝手のよいように効率化し、実用化していくためには、さらなるひらめき、工夫がいる。今回、ノーベル賞を受賞することになった研究者たちが実証したのと同じことだ。
そこでスカウトチームである。対戦する相手に備え、オフェンスやディフェンスのメンバーに適切な動きを身に着けさせ、必要な戦術を発見させるためには、相手チームになりきらなければならない。相手がスピードランナーを使ってくるなら、それと同じスピードで走りきる選手が必要になる。相手のラインが強い当たりでまくり上げてくるなら、たとえ練習台とはいえ、その強さを備えたラインがほしい。パスを投じてくる相手に備えたディフェンスの練習を効果的に行うには、同じようなパスが投げられるQBとそのパスをキャッチして走れるレシーバーが不可欠だ。
相手のプレーを具体的に再現できるスカウトチームであってこそ、練習台としての役割が果たせる。そういう練習台を相手に、工夫し、対策を練ってこそ、一段上のプレーが展開できる。技という名に値する動きが生まれる。戦術という名にふさわしい動きが共有できる。すなわち化学反応である。
先輩から引き継いできた反復練習で体力を養い、対戦相手の特徴を完備したスカウトチームを相手に動きの質を高める。戦術を工夫する。それによって初めて勝利への道が開けるのである。
スカウトチームの役割は、外部の人間が想像することも及ばないほど重要である。試合に出る選手たちに練習の機会を与え、その力を引き出し、適切な戦術を工夫する触媒になれるということは、具体的には当たる、投げる、走る、受ける、交わすといった、アメフットに必要なそれぞれの分野で、傑出した能力が必要ということ。たとえ先発メンバーとして試合に出ることはかなわなくても、それぞれの分野で相手チームのエース級と同等以上の力を持ち、その能力を発揮できるプレーヤーでなければならないということだ。
求めて求められないような人材だが、そういう人材がいてこそ、チームは化学反応を起こすことができる。
幸いなことに今年は、近年になくそういう夢のような人材に恵まれていると、僕は見ている。差し障りがあるので、あえて名前は挙げないが、走る方でも、受ける方でも、もちろん投げる方にも守る方にも、素晴らしい能力を持った選手たちが確実に存在する。ありがたい。あとは彼らの能力を仮想の敵と見た先発メンバーたちが、チームに化学反応を起こしてくれるのを待つだけだ。17日は京大戦。存分に戦ってほしい。
日本のお二人の人となりや研究の課程、業績や喜びの言葉は先週来、新聞やテレビで洪水のように報道されているから、新聞は読んでもテレビはろくに見ない僕より、このコラムをお読みになっている皆さんの方が、よほどお詳しいだろう。理系にはからっきし弱い(もちろん、文系も体育系も弱い。人より優れているところがあるとすれば、せいぜい野次馬系ぐらいだろう)僕はただ、お二人の業績として顕彰されている「有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリング」という「言葉」に神経をくすぐられただけである。
どういうことか。
朝日新聞などによると、「炭素同士を効率よく繋ぐ」ことは、有機化学の大きなテーマだった。その方法の一つとして注目されていたのがクロスカップリング反応。この反応に繋ぎたい場所につける「目印」と、反応を仲介する「触媒」をうまく組み合わせて反応させると、本来は結合しにくい炭素同士が簡単に結合する。その触媒にパラジウムを使う方法をヘックさんが確立し、根岸さんがそれを応用してバリエーションを広げ、より使いやすい形に改良した。鈴木さんはそれを改良した「鈴木カップリング反応」を開発、実用化に結びつけた。それを応用した技術によって、医薬品や農薬が開発され、テレビやパソコンの画面に使われる液晶を有機化合物から製造する際の結合に利用されているという。
前置きが長くなった。申し訳ない。今日のテーマは、この「触媒」と「化学反応」という言葉をファイターズに当てはめたらどうなるか、ということである。スカウトチームを例に、考えてみたい。
ご承知の通り、アメフットでは大半のチームがオフェンスとディフェンスの分業体制を敷いている。日ごろの練習から攻守のパートに分かれ、それぞれの完成度を上げるべく努力しているのである。
ファイターズも例外ではない。スペシャルチームも含めた攻守蹴のパートがそれぞれ、過去の蓄積を生かした練習法、新たに導入した練習法をミックスし、試行錯誤しながら日々鍛錬している。経験を積んだコーチが指導し、アナライジングスタッフが編集したビデオを参考にして戦術を考える。
毎年、営々と繰り返されるそうした動きの中で、チームとしてある種の化学反応を起こさないと、飛躍はない。新しい技や戦術は生まれない。過去のチームが成功したからと言って、その成功体験に寄りかかり、反復練習をしているだけでは未来はない。日々創意をこらし、工夫し、進化し続けているチームには勝てないのである。
誰もが想像したこともないような化学反応を引き起こすには、想像もつかないような触媒が必要になる。それを使い勝手のよいように効率化し、実用化していくためには、さらなるひらめき、工夫がいる。今回、ノーベル賞を受賞することになった研究者たちが実証したのと同じことだ。
そこでスカウトチームである。対戦する相手に備え、オフェンスやディフェンスのメンバーに適切な動きを身に着けさせ、必要な戦術を発見させるためには、相手チームになりきらなければならない。相手がスピードランナーを使ってくるなら、それと同じスピードで走りきる選手が必要になる。相手のラインが強い当たりでまくり上げてくるなら、たとえ練習台とはいえ、その強さを備えたラインがほしい。パスを投じてくる相手に備えたディフェンスの練習を効果的に行うには、同じようなパスが投げられるQBとそのパスをキャッチして走れるレシーバーが不可欠だ。
相手のプレーを具体的に再現できるスカウトチームであってこそ、練習台としての役割が果たせる。そういう練習台を相手に、工夫し、対策を練ってこそ、一段上のプレーが展開できる。技という名に値する動きが生まれる。戦術という名にふさわしい動きが共有できる。すなわち化学反応である。
先輩から引き継いできた反復練習で体力を養い、対戦相手の特徴を完備したスカウトチームを相手に動きの質を高める。戦術を工夫する。それによって初めて勝利への道が開けるのである。
スカウトチームの役割は、外部の人間が想像することも及ばないほど重要である。試合に出る選手たちに練習の機会を与え、その力を引き出し、適切な戦術を工夫する触媒になれるということは、具体的には当たる、投げる、走る、受ける、交わすといった、アメフットに必要なそれぞれの分野で、傑出した能力が必要ということ。たとえ先発メンバーとして試合に出ることはかなわなくても、それぞれの分野で相手チームのエース級と同等以上の力を持ち、その能力を発揮できるプレーヤーでなければならないということだ。
求めて求められないような人材だが、そういう人材がいてこそ、チームは化学反応を起こすことができる。
幸いなことに今年は、近年になくそういう夢のような人材に恵まれていると、僕は見ている。差し障りがあるので、あえて名前は挙げないが、走る方でも、受ける方でも、もちろん投げる方にも守る方にも、素晴らしい能力を持った選手たちが確実に存在する。ありがたい。あとは彼らの能力を仮想の敵と見た先発メンバーたちが、チームに化学反応を起こしてくれるのを待つだけだ。17日は京大戦。存分に戦ってほしい。
posted by コラム「スタンドから」 at 20:46| Comment(2)
| in 2010 season
2010年10月05日
(23)心配の種は尽きず
10月2日は、リーグ戦3試合目。甲南大学との戦いである。同時にこの日は、近所に住む孫ふたりが通う小学校の運動会の日であり、3男坊にとっては幼稚園の面接試験日でもある。
スポーツ推薦で関西学院大学を受験する高校生のお手伝いはできても、幼稚園の面接試験では、じいちゃんは無力である。何の助けもできない。ならば、運動会に出掛けて上の二人の応援でもしてやろうか、というところだが、試合と重なれば、当然のことながらファイターズが優先。
「運動会は午前中だけ見て、昼からは帰るよ」と今春、1年生になったばかりの次男坊にいうと、口の達者な孫は「そんなん、行かなくてもいいやん。孫の運動会があるから、試合は行けませんと断ればええねん」と知恵を付けてくれる。
「ありがたい助言」を振り切って、早々に運動会の観戦を切り上げ、一路王子スタジアムへ。僕の気持ちの中では、この日の試合は「リーグ前半戦の締めくくりであり、2週間後に控えた京大戦、その次の立命戦に向けてチームを整える」大切な一戦。ディフェンスはともかく、これまでもう一つピリッとしなかったオフェンスを仕上げるための大事な試合。孫の相手をしている場合ではなかった。
結果はどうだったか。まずはファイターズの得点経過を見ていこう。
1Q5分10秒 RB稲村1ヤードラン、K大西キック成功
10分43秒 RB尾嶋78ヤードラン、大西キック成功
2Q0分11秒 RB尾嶋2ヤードラン、大西キック成功
11分14秒 QB畑13ヤードラン、大西キック成功
3Q7分39秒 畑からRB久司へ31ヤードパス、大西キック成功
4Q1分53秒 WR松原からWR小山へ23ヤードパス、大西キック成功
10分37秒 RB野々垣25ヤードラン、大西キック成功
11分57秒 大西39ヤードフィールドゴール成功
この経過だけを見れば、ファイターズの圧勝である。クオーターごとに満遍なく得点を重ね、パスとランのバランスもとれている。今季から試合に出始めたばかりの2年生、尾嶋が78ヤードを独走したし、1年生RB野々垣の25ヤード独走TDもあった。QBからピッチを受けた松原が思い切った縦パスを小山に投げ、TDを奪うという意表をついたプレーもあったし、ブロック力と走力に秀でたRB久司をレシーバーの外に置き、そこにミドルパスを投げ込んで一気にゴールラインまで走らせるというスペシャルプレーも成功した。その結果が52−7である。
けれども、スタンドで見ている限り、その得点差ほどの力の差は感じられなかった。とくに前半は、オフェンスが力でもぎ取った得点という印象が薄かった。
なるほど、稲村の中央ダイブ、尾嶋の独走、尾嶋の中央ダイブ、畑のQBドローと、前半の得点経過を見ると、ことごとくランプレーで仕上げている。しかし、この内の2本は、LB善元とLB望月がそれぞれ相手パスをインターセプトし、相手ゴール前の好位置で攻撃権を奪ったことが伏線にあり、もう一本は尾嶋の独走である。残りの1本も、攻撃が手詰まりになった場面でQB糟谷が3度、自ら走って獲得した52ヤードがベースになっている。
つまり前半は、ファイターズが得意とする多彩なパスとランによるバランスのとれた攻撃で獲得した得点シーンは一度もなかったのである。
後半もしかり。都合3本のTDを奪っているが、その内の2本はさきにいった通りRB久司へのパスと、WR松原からWR小山へのパスという「相手の目をくらます」プレーで挙げた得点。パスとランを組み合わせて陣地を進める「いかにもファイターズ」という攻撃は、最後まで目にすることができなかった。
それが不安である。攻撃のベーシックな姿が仕上がらないままで京大、立命という強敵を相手にどう戦うのか、心配でならない。初戦から守備陣が活躍し、ゆっくりとファイターズペースで試合が進められるはずなのに、なぜか攻撃が手詰まりになってしまう。パスがオーバースローになる場面は再三だし、きれいなパスが投じられても、レシーバーがしっかり走り込んでいない場面がある。見事なパスが通ったのに、関係のない場所での反則でそれが取り消されるということも続いている。
これで、京大や立命、そして関大という強力なオフェンス陣を持つチームに守備陣の動きが封じられたらどうなるのか。それだけでも心配なのに、今季はやたらとけが人が出ている。それもチームの主力を構成する選手やスーパーサブたちだ。これもまた心配の種である。
おまけに今週末は、運動会の観戦を途中ですっぽかしたことで、孫からの苦情(?)も覚悟しなければならない。かくしてまた、僕の髪は白くなるのである。
スポーツ推薦で関西学院大学を受験する高校生のお手伝いはできても、幼稚園の面接試験では、じいちゃんは無力である。何の助けもできない。ならば、運動会に出掛けて上の二人の応援でもしてやろうか、というところだが、試合と重なれば、当然のことながらファイターズが優先。
「運動会は午前中だけ見て、昼からは帰るよ」と今春、1年生になったばかりの次男坊にいうと、口の達者な孫は「そんなん、行かなくてもいいやん。孫の運動会があるから、試合は行けませんと断ればええねん」と知恵を付けてくれる。
「ありがたい助言」を振り切って、早々に運動会の観戦を切り上げ、一路王子スタジアムへ。僕の気持ちの中では、この日の試合は「リーグ前半戦の締めくくりであり、2週間後に控えた京大戦、その次の立命戦に向けてチームを整える」大切な一戦。ディフェンスはともかく、これまでもう一つピリッとしなかったオフェンスを仕上げるための大事な試合。孫の相手をしている場合ではなかった。
結果はどうだったか。まずはファイターズの得点経過を見ていこう。
1Q5分10秒 RB稲村1ヤードラン、K大西キック成功
10分43秒 RB尾嶋78ヤードラン、大西キック成功
2Q0分11秒 RB尾嶋2ヤードラン、大西キック成功
11分14秒 QB畑13ヤードラン、大西キック成功
3Q7分39秒 畑からRB久司へ31ヤードパス、大西キック成功
4Q1分53秒 WR松原からWR小山へ23ヤードパス、大西キック成功
10分37秒 RB野々垣25ヤードラン、大西キック成功
11分57秒 大西39ヤードフィールドゴール成功
この経過だけを見れば、ファイターズの圧勝である。クオーターごとに満遍なく得点を重ね、パスとランのバランスもとれている。今季から試合に出始めたばかりの2年生、尾嶋が78ヤードを独走したし、1年生RB野々垣の25ヤード独走TDもあった。QBからピッチを受けた松原が思い切った縦パスを小山に投げ、TDを奪うという意表をついたプレーもあったし、ブロック力と走力に秀でたRB久司をレシーバーの外に置き、そこにミドルパスを投げ込んで一気にゴールラインまで走らせるというスペシャルプレーも成功した。その結果が52−7である。
けれども、スタンドで見ている限り、その得点差ほどの力の差は感じられなかった。とくに前半は、オフェンスが力でもぎ取った得点という印象が薄かった。
なるほど、稲村の中央ダイブ、尾嶋の独走、尾嶋の中央ダイブ、畑のQBドローと、前半の得点経過を見ると、ことごとくランプレーで仕上げている。しかし、この内の2本は、LB善元とLB望月がそれぞれ相手パスをインターセプトし、相手ゴール前の好位置で攻撃権を奪ったことが伏線にあり、もう一本は尾嶋の独走である。残りの1本も、攻撃が手詰まりになった場面でQB糟谷が3度、自ら走って獲得した52ヤードがベースになっている。
つまり前半は、ファイターズが得意とする多彩なパスとランによるバランスのとれた攻撃で獲得した得点シーンは一度もなかったのである。
後半もしかり。都合3本のTDを奪っているが、その内の2本はさきにいった通りRB久司へのパスと、WR松原からWR小山へのパスという「相手の目をくらます」プレーで挙げた得点。パスとランを組み合わせて陣地を進める「いかにもファイターズ」という攻撃は、最後まで目にすることができなかった。
それが不安である。攻撃のベーシックな姿が仕上がらないままで京大、立命という強敵を相手にどう戦うのか、心配でならない。初戦から守備陣が活躍し、ゆっくりとファイターズペースで試合が進められるはずなのに、なぜか攻撃が手詰まりになってしまう。パスがオーバースローになる場面は再三だし、きれいなパスが投じられても、レシーバーがしっかり走り込んでいない場面がある。見事なパスが通ったのに、関係のない場所での反則でそれが取り消されるということも続いている。
これで、京大や立命、そして関大という強力なオフェンス陣を持つチームに守備陣の動きが封じられたらどうなるのか。それだけでも心配なのに、今季はやたらとけが人が出ている。それもチームの主力を構成する選手やスーパーサブたちだ。これもまた心配の種である。
おまけに今週末は、運動会の観戦を途中ですっぽかしたことで、孫からの苦情(?)も覚悟しなければならない。かくしてまた、僕の髪は白くなるのである。
posted by コラム「スタンドから」 at 14:43| Comment(5)
| in 2010 season
2010年09月21日
(22)スペシャリストの活躍
「刮目(かつもく)して相待つべし」という言葉がある。有為の人材は、別れて3日後に会っても、目をこすって見直さなければならない、彼は必ず進歩している、いままでの先入観で判断してはならない、というような意味である。
秋のリーグ戦2戦目、近大との試合では、その言葉を思い起こすような場面に、たびたび遭遇した。
まずは、ハーフライン付近から始まったファイターズの最初の攻撃。第1プレーで、QB加藤からピッチを受けたRB稲村が左のライン際を駆け上がり、そのまま49ヤードを走り切ってタッチダウン(TD)。追いすがる相手守備陣をかわす絶妙のステップが目を見張らせた。初戦でエースRBの松岡と久司が負傷したことに発憤したのだろうか。驚くような成長ぶりだった。
ふたつ目は、主将・平澤を柱とするDL陣の成長ぶり。この日は平澤(4年)、梶原(2年)、長島(3年)、池永(1年)の4人が先発したが、その全員が大暴れ。QBサックやロスタックルを立て続けに見舞い、相手攻撃陣を完封した。
途中から交代で入った佐藤(3年)、朝倉(2年)、岸(2年)もそれぞれQBサックを記録。終わってみれば、相手攻撃をトータルでわずか1ヤード、ランプレーに至っては37回の攻撃でマイナス6ヤードという信じられない記録を作った。
1列目の面々が入れ替わり立ち代わりボールキャリアに襲い掛かるのだから、2列目、3列目の選手たちが活躍する場面がないように見えるほど(もちろん、2Qに鮮やかなインターセプトTDを決めたDB吉井駿哉をはじめ要所要所では活躍しているのだが、スタンドから見ていると、相手のほとんどのプレーを1列目が処理してしまっているように見えた)だった。
試合後、平澤主将に「存分に暴れて楽しかったやろ」と声をかけると「下級生がオレもオレもと競争で頑張ってくれたので……。あれだけ後輩が勢いよくプレーしてくれると、僕も思い切りに動けます」とにっこり。「みんな自信をつけたので、次からもいいプレーをしてくれるでしょう」と付け加えた。
言葉通り、3戦目以降も括目して待とう。下級生が試合ごとに経験を積み、成長していく姿を見るのはワクワクする。
稲村の好走、守備陣の活躍、それぞれに大満足。「満腹、満腹、ごちそうさん」といいたいところだったが、この日の真打ちは、ほかにいた。キッキングゲームで、リターナーとして活躍した尾崎である。彼の活躍ぶりこそ「括目して待っていた」内容だった。
記録を見ると、彼がボールに手を触れたのはキックオフリターンが1回12ヤード、パントリターンが5回161ヤード。獲得距離も素晴らしいが、そのうち2回が一発TDである。1Q8分37秒の55ヤード、4Q5分10秒の65ヤード。相手に警戒されながら、それでも守備陣を切り裂いて一気にゴールラインまで走り切る走力。ブロッカーを使う巧みなカット。スタンドからもどよめきが上がった。
スペシャリストの面目躍如。こんなプレーは、これから対戦する関大の選手の前で見せずに隠しておきたい、と贅沢なことを考えたほどだった。
思えばファイターズが好成績を残した年には、必ず信頼できるスペシャリストがいた。最近では、甲子園ボウルを制した2007年度卒のスナッパー小林雄一郎君。体が小さく、スタメンを奪うことはできなかったが、ロングスナップのスペシャリストとして欠かせぬ存在だった。ファイターズがキックを選択する場面になるたびに登場し、キッカーの大西君に正確無比なボールを供給、彼の活躍を支えた。その甲子園ボウルで、三原君から起死回生のパスを受け、ファイターズの攻撃を繋げたFB多田羅君も、そのプレーを成功させるためだけに1年間を費やしたようなスペシャリストだった。
昨年のチームでいえば、4年生QBの浅海君がそんな役割を果たしていた。最終の立命戦で披露したバスケットボールのゴールシーンのようなパスも、彼が1年間、WR柴田君らと組んで、磨きに磨いた技だった。
ファイターズには、スタッフを除いても150人もの部員がいる。いくら交代自由のアメフットとはいえ、その全員がプレーヤーとして出場し、チームに貢献するのは難しい。けれども、ひとつでも長所があれば、それを磨き抜くことで道は開ける。背の低い者は誰よりも低いタックルをすることで役割が果たせるし、足の速い者はそれで貢献できる。スナッパーもキッカーも、ホールダーも、一芸を磨くことで、役割を果たせる。
こうしてチームに所属するさまざまなメンバーがそれぞれの役割、居場所を見つけることができれば、チームのモラルも向上する。
そういう考え方で、各人がそれぞれ活躍できる場面を想定し、日々黙々と練習しているのがファイターズである。そのリーダー格の尾崎君が颯爽と走る姿を見て、彼らの活躍の場が広がったことを実感できたことがうれしかった。
リーグ戦は始まったばかり。これから対戦するチームは当然、対策を講じてくるだろうが、その警戒網をかいくぐってさらなる活躍をしてほしい。スペシャリストの活躍が現実になったとき、ファイターズの「日本1」が見えてくるはずだ。
秋のリーグ戦2戦目、近大との試合では、その言葉を思い起こすような場面に、たびたび遭遇した。
まずは、ハーフライン付近から始まったファイターズの最初の攻撃。第1プレーで、QB加藤からピッチを受けたRB稲村が左のライン際を駆け上がり、そのまま49ヤードを走り切ってタッチダウン(TD)。追いすがる相手守備陣をかわす絶妙のステップが目を見張らせた。初戦でエースRBの松岡と久司が負傷したことに発憤したのだろうか。驚くような成長ぶりだった。
ふたつ目は、主将・平澤を柱とするDL陣の成長ぶり。この日は平澤(4年)、梶原(2年)、長島(3年)、池永(1年)の4人が先発したが、その全員が大暴れ。QBサックやロスタックルを立て続けに見舞い、相手攻撃陣を完封した。
途中から交代で入った佐藤(3年)、朝倉(2年)、岸(2年)もそれぞれQBサックを記録。終わってみれば、相手攻撃をトータルでわずか1ヤード、ランプレーに至っては37回の攻撃でマイナス6ヤードという信じられない記録を作った。
1列目の面々が入れ替わり立ち代わりボールキャリアに襲い掛かるのだから、2列目、3列目の選手たちが活躍する場面がないように見えるほど(もちろん、2Qに鮮やかなインターセプトTDを決めたDB吉井駿哉をはじめ要所要所では活躍しているのだが、スタンドから見ていると、相手のほとんどのプレーを1列目が処理してしまっているように見えた)だった。
試合後、平澤主将に「存分に暴れて楽しかったやろ」と声をかけると「下級生がオレもオレもと競争で頑張ってくれたので……。あれだけ後輩が勢いよくプレーしてくれると、僕も思い切りに動けます」とにっこり。「みんな自信をつけたので、次からもいいプレーをしてくれるでしょう」と付け加えた。
言葉通り、3戦目以降も括目して待とう。下級生が試合ごとに経験を積み、成長していく姿を見るのはワクワクする。
稲村の好走、守備陣の活躍、それぞれに大満足。「満腹、満腹、ごちそうさん」といいたいところだったが、この日の真打ちは、ほかにいた。キッキングゲームで、リターナーとして活躍した尾崎である。彼の活躍ぶりこそ「括目して待っていた」内容だった。
記録を見ると、彼がボールに手を触れたのはキックオフリターンが1回12ヤード、パントリターンが5回161ヤード。獲得距離も素晴らしいが、そのうち2回が一発TDである。1Q8分37秒の55ヤード、4Q5分10秒の65ヤード。相手に警戒されながら、それでも守備陣を切り裂いて一気にゴールラインまで走り切る走力。ブロッカーを使う巧みなカット。スタンドからもどよめきが上がった。
スペシャリストの面目躍如。こんなプレーは、これから対戦する関大の選手の前で見せずに隠しておきたい、と贅沢なことを考えたほどだった。
思えばファイターズが好成績を残した年には、必ず信頼できるスペシャリストがいた。最近では、甲子園ボウルを制した2007年度卒のスナッパー小林雄一郎君。体が小さく、スタメンを奪うことはできなかったが、ロングスナップのスペシャリストとして欠かせぬ存在だった。ファイターズがキックを選択する場面になるたびに登場し、キッカーの大西君に正確無比なボールを供給、彼の活躍を支えた。その甲子園ボウルで、三原君から起死回生のパスを受け、ファイターズの攻撃を繋げたFB多田羅君も、そのプレーを成功させるためだけに1年間を費やしたようなスペシャリストだった。
昨年のチームでいえば、4年生QBの浅海君がそんな役割を果たしていた。最終の立命戦で披露したバスケットボールのゴールシーンのようなパスも、彼が1年間、WR柴田君らと組んで、磨きに磨いた技だった。
ファイターズには、スタッフを除いても150人もの部員がいる。いくら交代自由のアメフットとはいえ、その全員がプレーヤーとして出場し、チームに貢献するのは難しい。けれども、ひとつでも長所があれば、それを磨き抜くことで道は開ける。背の低い者は誰よりも低いタックルをすることで役割が果たせるし、足の速い者はそれで貢献できる。スナッパーもキッカーも、ホールダーも、一芸を磨くことで、役割を果たせる。
こうしてチームに所属するさまざまなメンバーがそれぞれの役割、居場所を見つけることができれば、チームのモラルも向上する。
そういう考え方で、各人がそれぞれ活躍できる場面を想定し、日々黙々と練習しているのがファイターズである。そのリーダー格の尾崎君が颯爽と走る姿を見て、彼らの活躍の場が広がったことを実感できたことがうれしかった。
リーグ戦は始まったばかり。これから対戦するチームは当然、対策を講じてくるだろうが、その警戒網をかいくぐってさらなる活躍をしてほしい。スペシャリストの活躍が現実になったとき、ファイターズの「日本1」が見えてくるはずだ。
posted by コラム「スタンドから」 at 09:34| Comment(4)
| in 2010 season
2010年09月14日
(21)イヤーブックと大人の経験知
ファイターズの2010年度イヤーブックが出来上がった。さっそくページを開き、端から端まで丁寧に読み込む。
例年通りの部長や学長、院長の挨拶、主将の抱負、パートごとの紹介から始まり、「なんでもベスト3」と名付けた部内のランキング、大学から高校、中学校、そして啓明学院の高校、中学校、さらには女子タッチフットボール部に至るまで個々のデータをしっかり盛り込んだ選手・部員紹介へと続く。
今年は、ビッグプレーメーカーの特集、コーチとしてジャーマン・ジャパンボウルに参加した神田コーチの随想や南メソジスト大学に出掛け、練習にも参加した松原弘樹君の体験記もあり、読み応えは十分。例年通りチームの過去の戦績と卒業生の一覧、過去3年間の卒業生の進路一覧もあるので、資料的な価値も高い。僕もこのコラムを書くときに、基礎資料としてたびたび利用させていただいている。
編集の実務は毎年、3年生マネジャーが担当している。今年はリクルーター担当でもある森田義樹君。昨年は竹田ゆいさん、その前の年は豊田早穂さんが担当だった。
チームに出入りしている関係で、この編集作業を横合いから垣間見る機会がある。それを通じて、いろいろ思うところもある。内輪の話になるが、その一端を紹介してみたい。それによってファイターズというチームの特徴を紹介することも可能だろう。
この編集作業は、新しいチームがスタートすると同時に始まる。まずは企画を立て、広告を集める段取りから開始。その年の部員がほぼ確定する6月になると、写真の撮影(今年は名鑑に使う顔写真だけで計605人。膨大な人数だから、その作業だけでも大変だ)やゲーム写真の選択作業が始まる。同時に原稿を集め、7月になると編集、校閲の作業に入る。7月には前期試験があるから、試験勉強と同時並行だ。8月には2度の合宿もあるし、リクルーター担当マネジャーはスポーツ推薦で受験する高校生の世話もしなければならない。
しかし、どんなに忙しくても秋のシーズン開始までに完成させ、市販しなければならないという制約があるから、作業工程(各種の締め切り)は厳守。有料で販売し、資料として利用する人もいるから、校正ミスなど間違いは許されない。
当然、担当者一人の手に負えるものではない。ディレクター補佐の宮本敬士氏をはじめコーチやスタッフが協力して、企画から編集、校正までの作業を手助けする。
聞けば、イヤーブックを初めて手掛けたのは、当時のヘッドコーチで、現在はチームのディレクターをしている伊角富三氏。伊角氏の話では「1970年代の後半、アメリカで発行されていたメディアガイドから発想し、その真似事で始めた。77年と78年はメンバー表を少し詳しくしたぐらいで、イヤーブックの体裁になったのはたしか79年から。当時、日本でイヤーブックを発行しているチームはなく、ファイターズが初めて手掛けた。部員にプライドを持たせ、責任を自覚させるためにも効果があったと思う」という。
その当時から、編集や企画についてはマネジャーの担当だったが、広告集めや校正の仕事は伊角氏の受け持ち。「主体はあくまで学生だったが、大人が関与することで、社会的に信頼してもらえた。誌面企画にあたり、大人の経験知を伝えることで、内容的にも次第に充実してきた」と伊角さん。
この「大人の経験知を伝える」という仕組みが、実はファイターズの特徴であり、ファイターズの生命線だと僕は考えている。
大学生の課外活動である以上、学生が活動できるのは4年間。どんなに優秀、有能であっても、5年目には現場を離れなければならない。これは、グラウンドに出る選手であっても、それを支えるスタッフであっても等しく与えられた制約である。
その制約の中で、チームをどのように強くしていくか、どう育てていくか。これを考えると、当然監督・コーチを初め、チームにかかわる大人の役割が見えてくる。コーチには4年間という時間の制約がない。毎年のチーム作りの中で蓄えたノウハウを経験知として蓄積し、それを選手たちに伝えることができる。同様に、スタッフを支える人たちも毎年積み重ねた経験知をチームに還元することができる。
これによって学生の情熱と実行力を刺激することができれば、同じ4年間でも学生の伸びる可能性は大きくなる。仕事のできる範囲も広がる。選手に技術的なことを指導するだけでなく、戦術の面でも、育成方法や組織づくりの点でも、大人の経験知を適切に伝承することの効果は計り知れないのである。
ファイターズでは、これがイヤーブックの制作にも生かされている。だからこそ、僕たちは毎年、秋のシーズンが開幕するまでに、商品として充実し、資料的な価値も高いイヤーブックを手にすることができるのである。
例年通りの部長や学長、院長の挨拶、主将の抱負、パートごとの紹介から始まり、「なんでもベスト3」と名付けた部内のランキング、大学から高校、中学校、そして啓明学院の高校、中学校、さらには女子タッチフットボール部に至るまで個々のデータをしっかり盛り込んだ選手・部員紹介へと続く。
今年は、ビッグプレーメーカーの特集、コーチとしてジャーマン・ジャパンボウルに参加した神田コーチの随想や南メソジスト大学に出掛け、練習にも参加した松原弘樹君の体験記もあり、読み応えは十分。例年通りチームの過去の戦績と卒業生の一覧、過去3年間の卒業生の進路一覧もあるので、資料的な価値も高い。僕もこのコラムを書くときに、基礎資料としてたびたび利用させていただいている。
編集の実務は毎年、3年生マネジャーが担当している。今年はリクルーター担当でもある森田義樹君。昨年は竹田ゆいさん、その前の年は豊田早穂さんが担当だった。
チームに出入りしている関係で、この編集作業を横合いから垣間見る機会がある。それを通じて、いろいろ思うところもある。内輪の話になるが、その一端を紹介してみたい。それによってファイターズというチームの特徴を紹介することも可能だろう。
この編集作業は、新しいチームがスタートすると同時に始まる。まずは企画を立て、広告を集める段取りから開始。その年の部員がほぼ確定する6月になると、写真の撮影(今年は名鑑に使う顔写真だけで計605人。膨大な人数だから、その作業だけでも大変だ)やゲーム写真の選択作業が始まる。同時に原稿を集め、7月になると編集、校閲の作業に入る。7月には前期試験があるから、試験勉強と同時並行だ。8月には2度の合宿もあるし、リクルーター担当マネジャーはスポーツ推薦で受験する高校生の世話もしなければならない。
しかし、どんなに忙しくても秋のシーズン開始までに完成させ、市販しなければならないという制約があるから、作業工程(各種の締め切り)は厳守。有料で販売し、資料として利用する人もいるから、校正ミスなど間違いは許されない。
当然、担当者一人の手に負えるものではない。ディレクター補佐の宮本敬士氏をはじめコーチやスタッフが協力して、企画から編集、校正までの作業を手助けする。
聞けば、イヤーブックを初めて手掛けたのは、当時のヘッドコーチで、現在はチームのディレクターをしている伊角富三氏。伊角氏の話では「1970年代の後半、アメリカで発行されていたメディアガイドから発想し、その真似事で始めた。77年と78年はメンバー表を少し詳しくしたぐらいで、イヤーブックの体裁になったのはたしか79年から。当時、日本でイヤーブックを発行しているチームはなく、ファイターズが初めて手掛けた。部員にプライドを持たせ、責任を自覚させるためにも効果があったと思う」という。
その当時から、編集や企画についてはマネジャーの担当だったが、広告集めや校正の仕事は伊角氏の受け持ち。「主体はあくまで学生だったが、大人が関与することで、社会的に信頼してもらえた。誌面企画にあたり、大人の経験知を伝えることで、内容的にも次第に充実してきた」と伊角さん。
この「大人の経験知を伝える」という仕組みが、実はファイターズの特徴であり、ファイターズの生命線だと僕は考えている。
大学生の課外活動である以上、学生が活動できるのは4年間。どんなに優秀、有能であっても、5年目には現場を離れなければならない。これは、グラウンドに出る選手であっても、それを支えるスタッフであっても等しく与えられた制約である。
その制約の中で、チームをどのように強くしていくか、どう育てていくか。これを考えると、当然監督・コーチを初め、チームにかかわる大人の役割が見えてくる。コーチには4年間という時間の制約がない。毎年のチーム作りの中で蓄えたノウハウを経験知として蓄積し、それを選手たちに伝えることができる。同様に、スタッフを支える人たちも毎年積み重ねた経験知をチームに還元することができる。
これによって学生の情熱と実行力を刺激することができれば、同じ4年間でも学生の伸びる可能性は大きくなる。仕事のできる範囲も広がる。選手に技術的なことを指導するだけでなく、戦術の面でも、育成方法や組織づくりの点でも、大人の経験知を適切に伝承することの効果は計り知れないのである。
ファイターズでは、これがイヤーブックの制作にも生かされている。だからこそ、僕たちは毎年、秋のシーズンが開幕するまでに、商品として充実し、資料的な価値も高いイヤーブックを手にすることができるのである。
posted by コラム「スタンドから」 at 00:56| Comment(3)
| in 2010 season
2010年09月07日
(20)さあ、開幕だ
9月5日午後5時、王子スタジアム。神戸大学のキックオフで、2010年のファイターズのシーズンが始まった。
天気は晴れ。例年にない残暑の中である。日は西に落ちかかっているとはいえ、日差しは厳しい。選手にとっても観客にとっても、熱中症を警戒し、暑さとも戦わなければならない試合開始となった。
キックオフされたボールをRB松岡が31ヤードのリターン。自陣41ヤードの好位置から攻撃が始まる。まず松岡が7ヤード、続いてRB久司が5ヤードを走り、早々にダウン更新。続いてTE垣内へのパスやランプレーで敵陣35ヤード。ここからQB加藤がスクランブルで30ヤード前進、ゴール前5ヤードまで漕ぎ着ける。
順調、順調。今年はランだけでも攻撃できる、これに安定感のある加藤のパスと強力なレシーバー陣が加わるのだから、攻撃力は心配ない、と勝手に思いこんでいたところが、いきなりアクシデント発生。最初のプレーで引っ込んだ松岡に続いて久司までがベンチに下がってしまったのだ。
幸い二人とも歩いてベンチに下がっていたから、シーズン途中に復帰するのは間違いなかろうが、それにしてもショックだった。開幕してほんの数プレーで、いきなり飛車と角が相手に取られたようなことになった。選手にもベンチにもショックがあったのか、この残り5ヤードがとれず、第4ダウンでフィールドゴールに。それをこともあろうに名手、大西が外して得点ならず。前途に暗雲が立ちこめる。
このピンチを救ったのが主将平澤を中心とした守備陣。いきなりQBサックを決めたDL長島やロスタックルを決めた1年生DL池永の活躍で神大攻撃陣に前進を許さない。ファイターズの攻撃が手詰まりになっても、すぐに攻撃権を奪い取ってくれる。
これで攻撃陣も落ち着き、2Qに入ると加藤からWR春日へのパス、RB稲村のカウンター攻撃などで一気に陣地を進め、仕上げは稲村が中央にダイブしてTD。大西のキックも決まって7点。ようやく一息つく。
次のファイターズの攻撃シリーズは大西のフィールドゴールで3点にとどまったが、次の神大の攻撃シリーズで守備陣が再びビッグプレー。LB前川が相手の中途半端なパスを奪い取って一気に41ヤードを走り切り、インターセプトTD。前半を17−0で折り返した。
後半は神大のレシーブで試合が始まったが、その最初のシリーズも守備陣がしっかり抑え、パントに追い込む。そこで守備陣がまたまたビッグプレー。相手陣15ヤード付近から蹴られたボールを守備選手がブロックし、相手ゴールに転がり込んだ所を出足よく突っ込んだLB辻本が押さえてTD。この2度にわたる守備陣のTDで試合は完全にファイターズペース。
相手パントを確保した尾崎が45ヤードをリターンして始まった相手陣25ヤードからの攻撃は、稲村のランと加藤からWR松原への17ヤードTDパスで得点に結びつけ、点差は31点。この辺りから、攻守ともに次々と新しいメンバーが登場。QBも糟谷に交代し、豪快なスクランブルを立て続けに決める。仕上げは意表をついたRB兵田へのパスでTD。続くシリーズも糟谷のキーププレーで陣地を進め、仕上げは1年生WR松下への24ヤードTDパス。あっという間に14点を獲得して試合を締めくくった。
こうして得点経過を追っていくと、初戦ならではのぎこちなさ、いきなりのエースランナー二人の退場というアクシデントはあったが、チームとして着実に攻撃力が上がっていることは見て取れた。松原のパスをキャッチからのランは力強かったし、加藤も糟谷も走る能力をアップさせている。これでOLのメンバーがそろってくれば、そこそこの得点力は計算できるだろう。
それ以上に目を引いたのが、安定した守備陣だ。2本のQBサックを決めた平澤の動きはさすが「オールジャパン」。さらに鋭さを増しているし、この日はLBに入った副将、善元のタックルにも威力がある。1年生ながら先発メンバーに名を連ねたDLの池永やDBの池田も先輩の足を引っ張ることなく、溌剌としたプレーを展開していた。
これに、攻守とも後半から登場した新しい戦力が試合経験を積んでくれば、相当層の厚い布陣ができるだろう。不満や心配事を並べ立てればきりはないが、ともあれ、初戦を乗り切ったことで、2戦目以降のさらなる活躍に期待したい。あとは飛車と角の元気な復帰を祈るだけだ。
天気は晴れ。例年にない残暑の中である。日は西に落ちかかっているとはいえ、日差しは厳しい。選手にとっても観客にとっても、熱中症を警戒し、暑さとも戦わなければならない試合開始となった。
キックオフされたボールをRB松岡が31ヤードのリターン。自陣41ヤードの好位置から攻撃が始まる。まず松岡が7ヤード、続いてRB久司が5ヤードを走り、早々にダウン更新。続いてTE垣内へのパスやランプレーで敵陣35ヤード。ここからQB加藤がスクランブルで30ヤード前進、ゴール前5ヤードまで漕ぎ着ける。
順調、順調。今年はランだけでも攻撃できる、これに安定感のある加藤のパスと強力なレシーバー陣が加わるのだから、攻撃力は心配ない、と勝手に思いこんでいたところが、いきなりアクシデント発生。最初のプレーで引っ込んだ松岡に続いて久司までがベンチに下がってしまったのだ。
幸い二人とも歩いてベンチに下がっていたから、シーズン途中に復帰するのは間違いなかろうが、それにしてもショックだった。開幕してほんの数プレーで、いきなり飛車と角が相手に取られたようなことになった。選手にもベンチにもショックがあったのか、この残り5ヤードがとれず、第4ダウンでフィールドゴールに。それをこともあろうに名手、大西が外して得点ならず。前途に暗雲が立ちこめる。
このピンチを救ったのが主将平澤を中心とした守備陣。いきなりQBサックを決めたDL長島やロスタックルを決めた1年生DL池永の活躍で神大攻撃陣に前進を許さない。ファイターズの攻撃が手詰まりになっても、すぐに攻撃権を奪い取ってくれる。
これで攻撃陣も落ち着き、2Qに入ると加藤からWR春日へのパス、RB稲村のカウンター攻撃などで一気に陣地を進め、仕上げは稲村が中央にダイブしてTD。大西のキックも決まって7点。ようやく一息つく。
次のファイターズの攻撃シリーズは大西のフィールドゴールで3点にとどまったが、次の神大の攻撃シリーズで守備陣が再びビッグプレー。LB前川が相手の中途半端なパスを奪い取って一気に41ヤードを走り切り、インターセプトTD。前半を17−0で折り返した。
後半は神大のレシーブで試合が始まったが、その最初のシリーズも守備陣がしっかり抑え、パントに追い込む。そこで守備陣がまたまたビッグプレー。相手陣15ヤード付近から蹴られたボールを守備選手がブロックし、相手ゴールに転がり込んだ所を出足よく突っ込んだLB辻本が押さえてTD。この2度にわたる守備陣のTDで試合は完全にファイターズペース。
相手パントを確保した尾崎が45ヤードをリターンして始まった相手陣25ヤードからの攻撃は、稲村のランと加藤からWR松原への17ヤードTDパスで得点に結びつけ、点差は31点。この辺りから、攻守ともに次々と新しいメンバーが登場。QBも糟谷に交代し、豪快なスクランブルを立て続けに決める。仕上げは意表をついたRB兵田へのパスでTD。続くシリーズも糟谷のキーププレーで陣地を進め、仕上げは1年生WR松下への24ヤードTDパス。あっという間に14点を獲得して試合を締めくくった。
こうして得点経過を追っていくと、初戦ならではのぎこちなさ、いきなりのエースランナー二人の退場というアクシデントはあったが、チームとして着実に攻撃力が上がっていることは見て取れた。松原のパスをキャッチからのランは力強かったし、加藤も糟谷も走る能力をアップさせている。これでOLのメンバーがそろってくれば、そこそこの得点力は計算できるだろう。
それ以上に目を引いたのが、安定した守備陣だ。2本のQBサックを決めた平澤の動きはさすが「オールジャパン」。さらに鋭さを増しているし、この日はLBに入った副将、善元のタックルにも威力がある。1年生ながら先発メンバーに名を連ねたDLの池永やDBの池田も先輩の足を引っ張ることなく、溌剌としたプレーを展開していた。
これに、攻守とも後半から登場した新しい戦力が試合経験を積んでくれば、相当層の厚い布陣ができるだろう。不満や心配事を並べ立てればきりはないが、ともあれ、初戦を乗り切ったことで、2戦目以降のさらなる活躍に期待したい。あとは飛車と角の元気な復帰を祈るだけだ。
posted by コラム「スタンドから」 at 08:51| Comment(0)
| in 2010 season
2010年09月01日
(19)山の話と戦士の話
先週末、北アルプスの蝶ケ岳(2677メートル)に登ってきた。
年に一度だけ集まって山歩きを楽しむグループの登山である。元々は森林ボランティア活動で知り合った仲間で、12年ほど前からは「山部会」と称して、あちこちの山に登っている。職業も性別も、年齢も住んでいる場所もバラバラだが、なぜか毎年、この季節になるとだれかから声がかかり、みんながいそいそと集まってくるのである。
午前7時、大阪や東京から参加した7人が上高地の河童橋に集合。旧交を温めるのもそこそこに、歩き始める。梓川沿いの道は平坦で歩きやすい。話も弾む。道の両側を覆う樹林が日差しをさえぎってくれるから、暑さも気にならない。
だが、元気がよかったのは最初の2時間だけ。徳沢を過ぎ、急な上りが始まると、全員、一気に口数が少なくなる。なんせ約1000メートルの標高差をひたすら登り切らねばならないのだ。汗はかくし、息も上がってくる。背中の荷物がやたらと重い。「山部会」を始めた当初は、屋久島の縦走や白馬岳の登山などを平然とこなしていたメンバーなのに、いまはすぐに「小休止」がしたくなる。12年の歳月は、僕を含め、確実に全員の体力を奪っている。
スタートしてから8時間余。ようやく頂上を極め、目的地の山小屋に着く。
翌朝は、日の出前に起き、山小屋を出る。快晴。西側正面に前穂高、奥穂高、涸沢、北穂高の荒々しい壁がそびえ、槍ケ岳の穂先が手の届きそうな場所に屹立(きつりつ)している。目を南に転じると乗鞍岳から御岳山、遠く木曽駒ケ岳までくっきりと見える。南東には遠く富士山の秀麗な姿、その手前に南アルプスの北岳。東の正面には八ケ岳の8つの峰が手に取るように並び、その北側に遠く浅間山から四阿山など上信国境の山々が独特の山容を見せている。つまり、自分がその場でぐるりと1回転するだけで、360度の眺望が日本地図を眺めるようにくっきりと広がっているのである。
それだけではない。贅沢(ぜいたく)なことに、東に夏の太陽が顔を出しているのに、西側の奥穂高の上には十六夜の月が残っている。岩場ばかりの山々の上に、月がアクセントを付けた姿は、まるで絵画の世界。幽玄という言葉がぴったり当てはまる。汗をかき、息を切らしながら、それでも一歩ずつ足を運んできたからこそ目にすることのできる光景である。
この雄大な景色の中では、人間はあまりにも小さい。けれども、冷たい岩場に寝ころんでこの光景を眺めていると、いつの間にか自分がこの宇宙を両手の中に抱え込んでいるような気になってくる。宇宙の中の限りなくちっぽけな自分が、宇宙のすべてを支配しているような気分になってくるのである。
どうしてだろうと考えているうちに、ハタと気が付いた。これはまるでファイターズとそれを構成する一人一人の部員との関係ではないか、と思ったのである。
ファイターズという宇宙がある。それは現役部員だけのものではなく、70年近い歳月の中で、歴代の部員が営々と歴史を積み重ねることによって生まれた。その中で、現役が占めるスペースは、ほんの一部である。一人一人の部員が占めるスペースとなると、それよりもさらに小さい。
けれども、いったん試合となれば、その役割はガラリと変わる。そのときフィールドにいる選手がその宇宙のすべてを支配するのである。もっといえば、その時プレーに参加した選手だけがそのすべてを支配することができるのである。その瞬間に限れば、ファイターズのすべてをその選手が体現しているのである。
功も罪も、すべてはたった一人に帰す。
もちろんアメフットはチームスポーツである。グラウンドに出ている選手だけでなく、サイドラインに並ぶ控えの選手やスタッフも一体となって戦わなければならない。監督、コーチはもちろん、チームをマネジメントする人たちの強い力も必要だ。それらのすべてが戦闘モードに突入し、必ず日本一になるという強い気持ちで戦って初めて、光明は見えてくる。
そういうことは百も承知だが、ときにはその「チームワークという幻想」が個々の責任を曖昧にしてしまう。チームのために何ができるか、何をすべきかと考え、実行することは大切であり、なにより優先すべきことだが、それを理由に一人一人の選手の使命感や責任感を曖昧にしてしまうことは決してあってはならない。
試合は戦闘である。それは集団としての戦いであると同時に、選手一人一人が目の前の敵を圧倒する戦いでなければならない。「オレが倒れたら、ファイターズが倒れる」のでる。ファイターズにつながるすべての人間は、あくまでも「ファイターズという宇宙を支配しているのはオレだ」という覚悟で戦わなければならない。
すべての部員がそういう戦士になれるかどうか。フィールドは、真の戦士のためにだけ用意されている。
年に一度だけ集まって山歩きを楽しむグループの登山である。元々は森林ボランティア活動で知り合った仲間で、12年ほど前からは「山部会」と称して、あちこちの山に登っている。職業も性別も、年齢も住んでいる場所もバラバラだが、なぜか毎年、この季節になるとだれかから声がかかり、みんながいそいそと集まってくるのである。
午前7時、大阪や東京から参加した7人が上高地の河童橋に集合。旧交を温めるのもそこそこに、歩き始める。梓川沿いの道は平坦で歩きやすい。話も弾む。道の両側を覆う樹林が日差しをさえぎってくれるから、暑さも気にならない。
だが、元気がよかったのは最初の2時間だけ。徳沢を過ぎ、急な上りが始まると、全員、一気に口数が少なくなる。なんせ約1000メートルの標高差をひたすら登り切らねばならないのだ。汗はかくし、息も上がってくる。背中の荷物がやたらと重い。「山部会」を始めた当初は、屋久島の縦走や白馬岳の登山などを平然とこなしていたメンバーなのに、いまはすぐに「小休止」がしたくなる。12年の歳月は、僕を含め、確実に全員の体力を奪っている。
スタートしてから8時間余。ようやく頂上を極め、目的地の山小屋に着く。
翌朝は、日の出前に起き、山小屋を出る。快晴。西側正面に前穂高、奥穂高、涸沢、北穂高の荒々しい壁がそびえ、槍ケ岳の穂先が手の届きそうな場所に屹立(きつりつ)している。目を南に転じると乗鞍岳から御岳山、遠く木曽駒ケ岳までくっきりと見える。南東には遠く富士山の秀麗な姿、その手前に南アルプスの北岳。東の正面には八ケ岳の8つの峰が手に取るように並び、その北側に遠く浅間山から四阿山など上信国境の山々が独特の山容を見せている。つまり、自分がその場でぐるりと1回転するだけで、360度の眺望が日本地図を眺めるようにくっきりと広がっているのである。
それだけではない。贅沢(ぜいたく)なことに、東に夏の太陽が顔を出しているのに、西側の奥穂高の上には十六夜の月が残っている。岩場ばかりの山々の上に、月がアクセントを付けた姿は、まるで絵画の世界。幽玄という言葉がぴったり当てはまる。汗をかき、息を切らしながら、それでも一歩ずつ足を運んできたからこそ目にすることのできる光景である。
この雄大な景色の中では、人間はあまりにも小さい。けれども、冷たい岩場に寝ころんでこの光景を眺めていると、いつの間にか自分がこの宇宙を両手の中に抱え込んでいるような気になってくる。宇宙の中の限りなくちっぽけな自分が、宇宙のすべてを支配しているような気分になってくるのである。
どうしてだろうと考えているうちに、ハタと気が付いた。これはまるでファイターズとそれを構成する一人一人の部員との関係ではないか、と思ったのである。
ファイターズという宇宙がある。それは現役部員だけのものではなく、70年近い歳月の中で、歴代の部員が営々と歴史を積み重ねることによって生まれた。その中で、現役が占めるスペースは、ほんの一部である。一人一人の部員が占めるスペースとなると、それよりもさらに小さい。
けれども、いったん試合となれば、その役割はガラリと変わる。そのときフィールドにいる選手がその宇宙のすべてを支配するのである。もっといえば、その時プレーに参加した選手だけがそのすべてを支配することができるのである。その瞬間に限れば、ファイターズのすべてをその選手が体現しているのである。
功も罪も、すべてはたった一人に帰す。
もちろんアメフットはチームスポーツである。グラウンドに出ている選手だけでなく、サイドラインに並ぶ控えの選手やスタッフも一体となって戦わなければならない。監督、コーチはもちろん、チームをマネジメントする人たちの強い力も必要だ。それらのすべてが戦闘モードに突入し、必ず日本一になるという強い気持ちで戦って初めて、光明は見えてくる。
そういうことは百も承知だが、ときにはその「チームワークという幻想」が個々の責任を曖昧にしてしまう。チームのために何ができるか、何をすべきかと考え、実行することは大切であり、なにより優先すべきことだが、それを理由に一人一人の選手の使命感や責任感を曖昧にしてしまうことは決してあってはならない。
試合は戦闘である。それは集団としての戦いであると同時に、選手一人一人が目の前の敵を圧倒する戦いでなければならない。「オレが倒れたら、ファイターズが倒れる」のでる。ファイターズにつながるすべての人間は、あくまでも「ファイターズという宇宙を支配しているのはオレだ」という覚悟で戦わなければならない。
すべての部員がそういう戦士になれるかどうか。フィールドは、真の戦士のためにだけ用意されている。
posted by コラム「スタンドから」 at 08:33| Comment(0)
| in 2010 season
2010年08月25日
(18)暑い、厚い、熱い
暑い。それにしても暑い。8月も終わりというのに、この暑さはどういうことか。雨さえまったく降らないのだから恐れ入る。
先日、上ヶ原の大学構内を歩いていたら、よれよれになったクマゼミが肩にとまった。あれれ、と思って手を出すと、逃げもせず、そのまま死んでしまった。セミも熱中症でくたばってしまったのか、それとも寿命が尽きてお亡くなりになったのか。
毎日の通勤経路にある紀州・田辺の道路沿いでは、土手一面に白いタカサゴユリが咲いているのだが、この1週間ほどのうちに、すっかり元気がなくなってしまった。連日の暑熱と日照りで、さしもの南国渡来の花も、くたばってしまったらしい。
セミも花もくたばるくらいだから、人間も持ちこたえられない。日々暑い、暑いと文句をたれながら、ずぼらをかましている。
それでも、高校野球開催期間中は、大阪市内や甲子園球場に出掛けなければならない用事が多い。ぶつくさいいながら、それでも汗だくになって歩き回っていた。その分、ファイターズの練習を見に行く機会が減り、このコラムもすっかりご無沙汰してしまった。申し訳ない。
とはいえ、13日は午前4時に起きて、東鉢伏まで直行。合宿での鍛錬ぶりを見学してきた。先週は大学の第3フィールドで行われている2次合宿の様子も見に行った。遅ればせながらその報告をしよう。
鉢伏の合宿を見学した感想を一言でいえば「層が厚くなった」。従来はレギュラー組とフレッシュマン組に分けて練習していたのだが、今年からはいわゆる1軍と2軍にチームを分割。合宿ではそれぞれ70人前後の規模で練習に取り組んでいた。
当日は「2軍」が午前中と午後の前半、「1軍」は午前中に筋トレ、午後の後半が練習という振り分け。まずは「2軍」の午前の練習につきあったのだが、このレベルが高い。リーグ戦に出場した経験を持つ4年生や3年生が何人も含まれており、1、2年生の中にもスポーツ推薦組をはじめ有望選手が多々いるのだから、当然といえば当然だが、それにしても、とてもJVとは思えないような動きをしている選手が何人もいる。知らない人が見たら、これがファイターズのフルメンバーと勘違いしてもおかしくないぐらいだ。
年に一度の鉢伏合宿ということ、それに何とか認められて上のメンバーに入りたいという強い意志があることから、どの選手も意欲満々。2時間ほどの練習時間があっという間に感じられた。午後の練習になると、さらに気合いが入り、パスプレーの練習などを見ていると、このままリーグ戦に出しても、下位チーム相手なら通用するのではないかと思えるほどの充実ぶりだった。
思えば、近年のファイターズは部員数こそ多いけど、戦力としての層の薄さに泣いてきた。とくにラインは攻守とも層が薄く、1本目の選手が故障すると、その穴を補充するのにおたおたしていた感があった。
それに引き換え、今年は質も量も層が厚くなっている。ポジションによっては「2軍」でさえ、リーグ戦で通用しそうなメンバーがごろごろいるのだから頼もしい。
「2軍」が充実すれば、当然のことながら「1軍」の競争も激しくなる。午後も遅くなってから始まったその練習ぶりを見ていると、みんな歯切れがよい。運悪く練習が始まると同時に強い雨が降り出したが、それを苦にする様子もなく、流れるようにメニューをこなしていく。昨年までに比べると、今年は一つ一つのプレーの間隔が短く、その分、選手が息を整える時間は短い。それでもダウンする選手はいない。気持ちがこもっているからだろう。
これは上ヶ原の第3フィールドでの練習でもいえることだが、プレーの間隔が短くなればなるほど、一つ一つのプレーの集中力が上がるようだ。一般的には、大相撲の立ち会いのように、しっかり間隔をとってプレーした方が集中力が増すように考えがちだが、実際の練習を見ていると、リズムに乗って、短い間隔でテンポよくメニューをこなしていく方が逆に集中できている。
ともあれ、「暑い」夏に、層の「厚い」メンバーが「熱い」練習を繰り広げているのを見て、一安心。夏の成果を秋のシーズンに存分に発揮してもらいたいと思いながら、東鉢伏を後にした。
先日、上ヶ原の大学構内を歩いていたら、よれよれになったクマゼミが肩にとまった。あれれ、と思って手を出すと、逃げもせず、そのまま死んでしまった。セミも熱中症でくたばってしまったのか、それとも寿命が尽きてお亡くなりになったのか。
毎日の通勤経路にある紀州・田辺の道路沿いでは、土手一面に白いタカサゴユリが咲いているのだが、この1週間ほどのうちに、すっかり元気がなくなってしまった。連日の暑熱と日照りで、さしもの南国渡来の花も、くたばってしまったらしい。
セミも花もくたばるくらいだから、人間も持ちこたえられない。日々暑い、暑いと文句をたれながら、ずぼらをかましている。
それでも、高校野球開催期間中は、大阪市内や甲子園球場に出掛けなければならない用事が多い。ぶつくさいいながら、それでも汗だくになって歩き回っていた。その分、ファイターズの練習を見に行く機会が減り、このコラムもすっかりご無沙汰してしまった。申し訳ない。
とはいえ、13日は午前4時に起きて、東鉢伏まで直行。合宿での鍛錬ぶりを見学してきた。先週は大学の第3フィールドで行われている2次合宿の様子も見に行った。遅ればせながらその報告をしよう。
鉢伏の合宿を見学した感想を一言でいえば「層が厚くなった」。従来はレギュラー組とフレッシュマン組に分けて練習していたのだが、今年からはいわゆる1軍と2軍にチームを分割。合宿ではそれぞれ70人前後の規模で練習に取り組んでいた。
当日は「2軍」が午前中と午後の前半、「1軍」は午前中に筋トレ、午後の後半が練習という振り分け。まずは「2軍」の午前の練習につきあったのだが、このレベルが高い。リーグ戦に出場した経験を持つ4年生や3年生が何人も含まれており、1、2年生の中にもスポーツ推薦組をはじめ有望選手が多々いるのだから、当然といえば当然だが、それにしても、とてもJVとは思えないような動きをしている選手が何人もいる。知らない人が見たら、これがファイターズのフルメンバーと勘違いしてもおかしくないぐらいだ。
年に一度の鉢伏合宿ということ、それに何とか認められて上のメンバーに入りたいという強い意志があることから、どの選手も意欲満々。2時間ほどの練習時間があっという間に感じられた。午後の練習になると、さらに気合いが入り、パスプレーの練習などを見ていると、このままリーグ戦に出しても、下位チーム相手なら通用するのではないかと思えるほどの充実ぶりだった。
思えば、近年のファイターズは部員数こそ多いけど、戦力としての層の薄さに泣いてきた。とくにラインは攻守とも層が薄く、1本目の選手が故障すると、その穴を補充するのにおたおたしていた感があった。
それに引き換え、今年は質も量も層が厚くなっている。ポジションによっては「2軍」でさえ、リーグ戦で通用しそうなメンバーがごろごろいるのだから頼もしい。
「2軍」が充実すれば、当然のことながら「1軍」の競争も激しくなる。午後も遅くなってから始まったその練習ぶりを見ていると、みんな歯切れがよい。運悪く練習が始まると同時に強い雨が降り出したが、それを苦にする様子もなく、流れるようにメニューをこなしていく。昨年までに比べると、今年は一つ一つのプレーの間隔が短く、その分、選手が息を整える時間は短い。それでもダウンする選手はいない。気持ちがこもっているからだろう。
これは上ヶ原の第3フィールドでの練習でもいえることだが、プレーの間隔が短くなればなるほど、一つ一つのプレーの集中力が上がるようだ。一般的には、大相撲の立ち会いのように、しっかり間隔をとってプレーした方が集中力が増すように考えがちだが、実際の練習を見ていると、リズムに乗って、短い間隔でテンポよくメニューをこなしていく方が逆に集中できている。
ともあれ、「暑い」夏に、層の「厚い」メンバーが「熱い」練習を繰り広げているのを見て、一安心。夏の成果を秋のシーズンに存分に発揮してもらいたいと思いながら、東鉢伏を後にした。
posted by コラム「スタンドから」 at 21:06| Comment(0)
| in 2010 season
2010年08月08日
(17)真夏の甲子園球場で
夏の高校野球、第92回全国高校野球選手権大会が7日から、阪神甲子園球場で始まった。僕も例年通り朝早くから開会式のために甲子園球場に出掛けた。
なぜかこの数年、この大会の本部委員という肩書をいただいている。まずは球場の正面入り口近くにある大会本部に顔を出してあいさつ。特段の仕事はないので、すぐに通路に出て、集まってくる旧知の面々とあいさつを交わす。昔の同僚や後輩が、いまは朝日新聞社の幹部になってときめいている。その顔がみんな年齢相応に貫禄が付いている(老け込んでいる)のを見て、自分が朝日新聞社を退職してからの歳月を実感する。
なんと、この秋で定年後満6年。まさに「光陰矢の如し」である。本人はまだバリバリの現役気分でいるのだが、もちろん先日、このコラムに書かせてもらった通り、いまもある地方新聞で編集の責任者を務め、若い記者を育てる仕事をしているのだが、それでも互いに髪の毛が白くなったり薄くなったりしているのを見ると、時間の過ぎる速さにあ然とする。「歳月人を待たず」である。
開会式の入場行進が始まる。昨年は関西学院の高等部が兵庫代表として出場、鳥内監督の息子さんが選手として出場したが、今年は某コーチのお嬢さんが出場校のプラカードを持って入場行進の先導役を務めている。アメフット観戦用の双眼鏡を持参し、バックネット裏の役員席最前列から焦点を合わせて、表情を見る。逆光でよく見えなかったが、それでも緊張感が表情から伝わってくる。
思えば、僕の娘もその昔、このプラカードを持って入場行進の列に加わったことがある。第73回大会だから、もう20年近く前のことだ。娘が「甲子園に出る」というのは、わが家にとっては一大イベントだったから、その日は仕事を休んで朝から球場に駆けつけた。プラカードを持った娘の顔を望遠レンズで撮影し、思い切り拍手を送った。無事開会式を終え、退場してくると、こちらまでホッとして、肩の荷が下りたことを覚えている。
その後しばらくは、そのときの写真を職場に飾り、同僚や部下に見せて喜んでいたのだから、僕も相当な親ばかだ。いま、ファイターズの親御さんたちが、試合のたびに応援に駆けつけ、子どもの活躍に一喜一憂されている姿を見ると、その時の自分の姿を見ているようで、なんだかほほえましくなる。
某コーチの心境も似たようなものだろう。遠くに住まわれるおじいちゃんやおばあちゃんまで、球場に駆けつけられたそうだ。帰宅してからも、入場行進の録画放送を見ながら家族挙げて盛り上がっている姿は、想像に難くない。
そのビデオを見ながら「今度はお父さんが甲子園に出る番ですよ」と娘さんがいったかどうかは定かではない。
でも僕は、新装なった甲子園球場の美しい姿を眺め、満員の観衆の声援を聞きながら、「今度はファイターズが主役になる番だ」と思い続けていた。真夏の太陽に焼かれながら、冬枯れの芝生の上でファイターズの面々が躍動している姿を想像し、その日のプレーに心を躍らせていた。
開会式のあいさつで、奥島・高野連会長は「いまや夏の高校野球大会は、スポーツの祭典というだけにとどまらず、日本の文化の一つになった」と話された。それは92回を数える歴史が形成したものであり、過去、甲子園球場を舞台に繰り広げられた数多くの名勝負、感動的な場面の積み重ねによってもたらされたものである。どんなシナリオライターの想像も及ばない幾多のドラマが繰り広げられ、それが人々の記憶の中に、何層にも渡って積み重ねられてきた結果、夏の甲子園、高校野球は「日本の文化」になったのである。
アメフットも同じである。甲子園ボウルで繰り広げられた名勝負の数々が人々の心を揺さぶり、感動の記憶となって残っている。それが毎年、営々と積み重ねられて、現在の姿になった。
その主人公の一人として、ファイターズはこれまで、多くの足跡を甲子園のグラウンドに残してきた。そこに今年も、新たな1ページを刻んでもらいたい。高校球児が与えてくれる感動に倍する感動を与えてほしい。
夏の日差しを浴びて野球を見ながら、思いはすっかり芝生の上で躍動するファイターズに飛んでいた。
なぜかこの数年、この大会の本部委員という肩書をいただいている。まずは球場の正面入り口近くにある大会本部に顔を出してあいさつ。特段の仕事はないので、すぐに通路に出て、集まってくる旧知の面々とあいさつを交わす。昔の同僚や後輩が、いまは朝日新聞社の幹部になってときめいている。その顔がみんな年齢相応に貫禄が付いている(老け込んでいる)のを見て、自分が朝日新聞社を退職してからの歳月を実感する。
なんと、この秋で定年後満6年。まさに「光陰矢の如し」である。本人はまだバリバリの現役気分でいるのだが、もちろん先日、このコラムに書かせてもらった通り、いまもある地方新聞で編集の責任者を務め、若い記者を育てる仕事をしているのだが、それでも互いに髪の毛が白くなったり薄くなったりしているのを見ると、時間の過ぎる速さにあ然とする。「歳月人を待たず」である。
開会式の入場行進が始まる。昨年は関西学院の高等部が兵庫代表として出場、鳥内監督の息子さんが選手として出場したが、今年は某コーチのお嬢さんが出場校のプラカードを持って入場行進の先導役を務めている。アメフット観戦用の双眼鏡を持参し、バックネット裏の役員席最前列から焦点を合わせて、表情を見る。逆光でよく見えなかったが、それでも緊張感が表情から伝わってくる。
思えば、僕の娘もその昔、このプラカードを持って入場行進の列に加わったことがある。第73回大会だから、もう20年近く前のことだ。娘が「甲子園に出る」というのは、わが家にとっては一大イベントだったから、その日は仕事を休んで朝から球場に駆けつけた。プラカードを持った娘の顔を望遠レンズで撮影し、思い切り拍手を送った。無事開会式を終え、退場してくると、こちらまでホッとして、肩の荷が下りたことを覚えている。
その後しばらくは、そのときの写真を職場に飾り、同僚や部下に見せて喜んでいたのだから、僕も相当な親ばかだ。いま、ファイターズの親御さんたちが、試合のたびに応援に駆けつけ、子どもの活躍に一喜一憂されている姿を見ると、その時の自分の姿を見ているようで、なんだかほほえましくなる。
某コーチの心境も似たようなものだろう。遠くに住まわれるおじいちゃんやおばあちゃんまで、球場に駆けつけられたそうだ。帰宅してからも、入場行進の録画放送を見ながら家族挙げて盛り上がっている姿は、想像に難くない。
そのビデオを見ながら「今度はお父さんが甲子園に出る番ですよ」と娘さんがいったかどうかは定かではない。
でも僕は、新装なった甲子園球場の美しい姿を眺め、満員の観衆の声援を聞きながら、「今度はファイターズが主役になる番だ」と思い続けていた。真夏の太陽に焼かれながら、冬枯れの芝生の上でファイターズの面々が躍動している姿を想像し、その日のプレーに心を躍らせていた。
開会式のあいさつで、奥島・高野連会長は「いまや夏の高校野球大会は、スポーツの祭典というだけにとどまらず、日本の文化の一つになった」と話された。それは92回を数える歴史が形成したものであり、過去、甲子園球場を舞台に繰り広げられた数多くの名勝負、感動的な場面の積み重ねによってもたらされたものである。どんなシナリオライターの想像も及ばない幾多のドラマが繰り広げられ、それが人々の記憶の中に、何層にも渡って積み重ねられてきた結果、夏の甲子園、高校野球は「日本の文化」になったのである。
アメフットも同じである。甲子園ボウルで繰り広げられた名勝負の数々が人々の心を揺さぶり、感動の記憶となって残っている。それが毎年、営々と積み重ねられて、現在の姿になった。
その主人公の一人として、ファイターズはこれまで、多くの足跡を甲子園のグラウンドに残してきた。そこに今年も、新たな1ページを刻んでもらいたい。高校球児が与えてくれる感動に倍する感動を与えてほしい。
夏の日差しを浴びて野球を見ながら、思いはすっかり芝生の上で躍動するファイターズに飛んでいた。
posted by コラム「スタンドから」 at 15:29| Comment(0)
| in 2010 season
2010年08月01日
(16)スポーツの発展と暴力行為
プロ野球の西武球団は29日、2軍の打撃コーチを務めていた大久保博元氏(43)を解雇した。選手に対する暴力行為があったからという。暴行を受けた選手名について、球団は公表していないが、30日付の朝日新聞は今春、ドラフト1位で入団した菊池雄星投手(19)だと報じている。
その記事を受ける形で、同じ日のスポーツ面には
――(大久保氏は)今季も、早朝から夜間練習まで若手に付き添うなど精力的に活動し、渡辺監督の信頼も厚かった。一方、意見の食い違う選手を冷遇する一面もあったといわれる。そりが合わず、しばらく練習に出てこられなくな選手もいた。球団側は「チームの統制を乱す言動があった」とも説明している。――
という記事を載せている。熱血指導という言葉で暴力を振るい、勝手気ままに行動していたコーチの姿が浮かび上がってくる。
シーズンたけなわのこんな時期に、現場を預かるコーチが「暴力行為」を理由に解雇されるのは極めて珍しい。僕も長い間、プロ野球のファンをやっているが、こんな話を聞くのは初めてである。
ところが、野球界では指導者が暴力を振るうのは決して珍しいことではない。これは例えば、巨人のエースだった桑田真澄氏の著書『野球を学問する』を読んでいただければ、たちどころに分かる。彼は現役引退後、早稲田大学大学院で学び「これからの時代にふさわしい野球道」について研究。現役のプロ野球選手270人にアンケートをしてデータを収集し、それを基にまとめた論文で、社会人1年コースの最優秀論文賞を受賞している。
その論文と、それを作成する過程を中心にまとめたのが『野球を学問する』だが、彼はその中で、現役のプロ野球選手で「指導者から体罰を受けた経験がある」人は、中学時代で46%、高校時代で47%。「先輩からの体罰」は、中学時代が36%、高校では51%もいたことを紹介している。
さらに彼自身の体験として、小学校3年生のころから、指導者に「顔がぱんぱんに腫れ上がるまで殴られ、尻をバットで殴られた」ことを綴っている。PL学園で同級生だった清原選手が1年生の時(彼らは1年生の時からエースと4番打者のコンビで、夏の甲子園大会で優勝している)、本塁打を打つたびに先輩に殴られた話も打ち明けている。
小学生から高校生まで、野球界が暴力に汚染されていることを裏付ける、これはデータであり、証言である。そういう土壌で育っている以上、プロ野球界に暴力行為や陰湿ないじめが横行していることを想像することは、難しいことではない。
その昔、縁あって、僕がかわいがっていた高校野球のヒーローも、高校卒業後、ドラフト1位で人気球団に入ったが、彼も入団早々、「ドラ1」と先輩たちに揶揄され、いろんな嫌がらせを受けたそうだ。彼が不遇の時、食事をしながら直接、本人から聞いた話だから、間違いないだろう。今回の大久保コーチと菊池投手の話を聞いた時、思わず彼の話を思い出した。
大久保元コーチだけではない。「指導に名を借りた」暴力行為はスポーツの現場に蔓延している。それが、子どもたちのスポーツに取り組む楽しさをどれほどスポイルしてきたことか。
幸いファイターズには、このような陰湿な土壌はない。部の創立以来、チームにかかわった多くの指導者がアメフットに取り組む明確な哲学を持ち、歴代の部員もまた、それをよく理解してきたからだろう。草創期からの指導者だった米田満先生や武田建先生、長く学生アメフット界の世話をしてこられた古川明氏らの話を聞くたびに、ファイターズがストイックな伝統を守り続けていることに、意を強くする。
そして、そういうチームだからこそ、常勝軍団であってほしい、あらねばならない、という気持ちが強くなる。暴力が横行するチームではなく、暴力が支配しないチームが勝ち続けるという事実を天下に示すことが、日本のアメフット界、スポーツ界の発展に寄与するはずだと信じているからである。
◇ ◇
前回のコラムで「ヘルペスにかかってへこんでいる」と書いたことで、読者のみなさまにご心配をかけました。遠くニュージーランドから便りをくださった谷口義弘さん(ファイターズが甲子園ボウル5連覇を果たした当時のエースRBです。僕は当時、朝日新聞の阪神支局員。仕事をサボって試合を見に行っていましたが、ハーフライン付近から何度も独走し、タッチダウンを重ねた彼の雄姿がいまも目に浮かびます)をはじめ、この欄にコメントを寄せていただいたみなさまに心から感謝します。
もうすっかり回復しました。7日からの全国高校野球選手権大会にも、ファイターズの鉢伏合宿にも、心おきなく顔を出せそうです。
その記事を受ける形で、同じ日のスポーツ面には
――(大久保氏は)今季も、早朝から夜間練習まで若手に付き添うなど精力的に活動し、渡辺監督の信頼も厚かった。一方、意見の食い違う選手を冷遇する一面もあったといわれる。そりが合わず、しばらく練習に出てこられなくな選手もいた。球団側は「チームの統制を乱す言動があった」とも説明している。――
という記事を載せている。熱血指導という言葉で暴力を振るい、勝手気ままに行動していたコーチの姿が浮かび上がってくる。
シーズンたけなわのこんな時期に、現場を預かるコーチが「暴力行為」を理由に解雇されるのは極めて珍しい。僕も長い間、プロ野球のファンをやっているが、こんな話を聞くのは初めてである。
ところが、野球界では指導者が暴力を振るうのは決して珍しいことではない。これは例えば、巨人のエースだった桑田真澄氏の著書『野球を学問する』を読んでいただければ、たちどころに分かる。彼は現役引退後、早稲田大学大学院で学び「これからの時代にふさわしい野球道」について研究。現役のプロ野球選手270人にアンケートをしてデータを収集し、それを基にまとめた論文で、社会人1年コースの最優秀論文賞を受賞している。
その論文と、それを作成する過程を中心にまとめたのが『野球を学問する』だが、彼はその中で、現役のプロ野球選手で「指導者から体罰を受けた経験がある」人は、中学時代で46%、高校時代で47%。「先輩からの体罰」は、中学時代が36%、高校では51%もいたことを紹介している。
さらに彼自身の体験として、小学校3年生のころから、指導者に「顔がぱんぱんに腫れ上がるまで殴られ、尻をバットで殴られた」ことを綴っている。PL学園で同級生だった清原選手が1年生の時(彼らは1年生の時からエースと4番打者のコンビで、夏の甲子園大会で優勝している)、本塁打を打つたびに先輩に殴られた話も打ち明けている。
小学生から高校生まで、野球界が暴力に汚染されていることを裏付ける、これはデータであり、証言である。そういう土壌で育っている以上、プロ野球界に暴力行為や陰湿ないじめが横行していることを想像することは、難しいことではない。
その昔、縁あって、僕がかわいがっていた高校野球のヒーローも、高校卒業後、ドラフト1位で人気球団に入ったが、彼も入団早々、「ドラ1」と先輩たちに揶揄され、いろんな嫌がらせを受けたそうだ。彼が不遇の時、食事をしながら直接、本人から聞いた話だから、間違いないだろう。今回の大久保コーチと菊池投手の話を聞いた時、思わず彼の話を思い出した。
大久保元コーチだけではない。「指導に名を借りた」暴力行為はスポーツの現場に蔓延している。それが、子どもたちのスポーツに取り組む楽しさをどれほどスポイルしてきたことか。
幸いファイターズには、このような陰湿な土壌はない。部の創立以来、チームにかかわった多くの指導者がアメフットに取り組む明確な哲学を持ち、歴代の部員もまた、それをよく理解してきたからだろう。草創期からの指導者だった米田満先生や武田建先生、長く学生アメフット界の世話をしてこられた古川明氏らの話を聞くたびに、ファイターズがストイックな伝統を守り続けていることに、意を強くする。
そして、そういうチームだからこそ、常勝軍団であってほしい、あらねばならない、という気持ちが強くなる。暴力が横行するチームではなく、暴力が支配しないチームが勝ち続けるという事実を天下に示すことが、日本のアメフット界、スポーツ界の発展に寄与するはずだと信じているからである。
◇ ◇
前回のコラムで「ヘルペスにかかってへこんでいる」と書いたことで、読者のみなさまにご心配をかけました。遠くニュージーランドから便りをくださった谷口義弘さん(ファイターズが甲子園ボウル5連覇を果たした当時のエースRBです。僕は当時、朝日新聞の阪神支局員。仕事をサボって試合を見に行っていましたが、ハーフライン付近から何度も独走し、タッチダウンを重ねた彼の雄姿がいまも目に浮かびます)をはじめ、この欄にコメントを寄せていただいたみなさまに心から感謝します。
もうすっかり回復しました。7日からの全国高校野球選手権大会にも、ファイターズの鉢伏合宿にも、心おきなく顔を出せそうです。
posted by コラム「スタンドから」 at 12:49| Comment(0)
| in 2010 season
2010年07月22日
(15)僕の「本業」
ヘルペスって、油断がならない。初めは胸のあたりに時々、変な痛みが走る程度だったんだけど、お医者さんに診断してもらって、薬を飲み始めたころから、キツイ痛みに変わり、痛み止めを飲まないと仕事も手に着かなくなってしまった。1週間ほど前から、ようやく痛みはなくなったけど、不摂生をすると再発することが多いそうだ。
かかりつけの医者は「これも老化現象の一つですよ」と簡単にのたまう。けれども、老化を認めたくない僕としては、見栄を張って「もう痛みは消えました。大丈夫です」というしかない。そんなこんなで、このコラムもしばらく間があいてしまった。
そうこうするうちに、昨日(21日)は朝日新聞の夕刊(統合版地域では22日朝刊)に連載されている「メディア激変」に僕の名前が載り、古い知り合いから電話やメールが相次いでいる(ほんの2本だけですけど)。
どういうことで取り上げられたのかは、その新聞を読んでいただくとして、これは報酬をもらっている「本業」に関することだから、その仕事ぶりをまっとうに取り上げられることは、それなりにうれしい。先日来、朝日新聞社発行の「ジャーナリズム」という専門誌や日本新聞協会発行の「新聞研究」に、相次いで長文のレポートを掲載。「本業」の方でも、少しばかりは存在感をアピールしてきたから、それに注目してくれる人もいるということだろう。
けれども、世間からはまったく注目されていないところに、僕の本当の「本業」がある。ファイターズで活躍することを夢見て、スポーツ推薦で関西学院の試験を受けようとする高校生に対する小論文の指導である。毎年、この時期になると、毎週のように該当する高校生に集合してもらい、夜間、2〜3時間の勉強会を開いて、文章の書き方を教えているのである。あの平郡君や池谷君の代からスタートした集まりだから、今年でもう12年目になる。
今年も、高校の1学期の試験が終わった直後から勉強会を始めた。関西勢は西宮市内の某所に集まってみっちりと個別指導。東京組は、ファクスで送ってもらった小論文を添削し、個別に講評を書いて送り返す。それをこの夏休み期間中、毎週のように続け、9月の試験に備えるのである。
スポーツ推薦制度について、ファイターズの受け止め方は、かなりストイックである。いま高校野球で問題になっている「特待生」制度とは、考え方が根本から違っている。監督にもコーチにも、アメフットの選手として優れていればそれでいい、という考え方はまったくない。アメフットを通じて、いかに立派な社会人を育成するか、人間としてどのように成長していくのか、という点に力点を置き、ファイターズという組織がその成長をどう担保していくか、というところに心を砕いている。
推薦入試を受ける高校生に対しても、この考え方は貫かれている。だからこそ、試験に備えて、少しでも勉強しよう、力を付けようということで、この勉強会も開催しているのである。及ばずながら、僕もお手伝いをさせていただいているのである。
毎年のことだが、この勉強会に集まってくる高校生は、好感の持てる子ばかりである。リクルートを担当しているディレクター補佐の宮本敬士氏や歴代のリクルート担当マネジャー(今年は森田義樹君)が高校生の試合を丁寧に見て回り、試合中のパフォーマンスはもちろん、それ以外の行動や学業に対する取り組みなどをチェックしたうえで、推薦するメンバーを厳選しているからだろう。
もともとが同じアメフットの選手。学校は違っても、関西の大会で対戦している選手同士だから、顔を会わせれば打ち解けるのも早い。勉強会のたびに、簡単な食事をともにして、あれやこれやと話し合うのだが、全員がもう同じチームのメンバーのように、親しく口をきいている。
その姿を見ていると、絶対にこの子たち全員を合格させたい、一人も落としたくないという気持ちになる。小論文指導者としての闘志がわいてくる。これが小論文指導を、僕の「本業」と思い定めている由縁である。
かかりつけの医者は「これも老化現象の一つですよ」と簡単にのたまう。けれども、老化を認めたくない僕としては、見栄を張って「もう痛みは消えました。大丈夫です」というしかない。そんなこんなで、このコラムもしばらく間があいてしまった。
そうこうするうちに、昨日(21日)は朝日新聞の夕刊(統合版地域では22日朝刊)に連載されている「メディア激変」に僕の名前が載り、古い知り合いから電話やメールが相次いでいる(ほんの2本だけですけど)。
どういうことで取り上げられたのかは、その新聞を読んでいただくとして、これは報酬をもらっている「本業」に関することだから、その仕事ぶりをまっとうに取り上げられることは、それなりにうれしい。先日来、朝日新聞社発行の「ジャーナリズム」という専門誌や日本新聞協会発行の「新聞研究」に、相次いで長文のレポートを掲載。「本業」の方でも、少しばかりは存在感をアピールしてきたから、それに注目してくれる人もいるということだろう。
けれども、世間からはまったく注目されていないところに、僕の本当の「本業」がある。ファイターズで活躍することを夢見て、スポーツ推薦で関西学院の試験を受けようとする高校生に対する小論文の指導である。毎年、この時期になると、毎週のように該当する高校生に集合してもらい、夜間、2〜3時間の勉強会を開いて、文章の書き方を教えているのである。あの平郡君や池谷君の代からスタートした集まりだから、今年でもう12年目になる。
今年も、高校の1学期の試験が終わった直後から勉強会を始めた。関西勢は西宮市内の某所に集まってみっちりと個別指導。東京組は、ファクスで送ってもらった小論文を添削し、個別に講評を書いて送り返す。それをこの夏休み期間中、毎週のように続け、9月の試験に備えるのである。
スポーツ推薦制度について、ファイターズの受け止め方は、かなりストイックである。いま高校野球で問題になっている「特待生」制度とは、考え方が根本から違っている。監督にもコーチにも、アメフットの選手として優れていればそれでいい、という考え方はまったくない。アメフットを通じて、いかに立派な社会人を育成するか、人間としてどのように成長していくのか、という点に力点を置き、ファイターズという組織がその成長をどう担保していくか、というところに心を砕いている。
推薦入試を受ける高校生に対しても、この考え方は貫かれている。だからこそ、試験に備えて、少しでも勉強しよう、力を付けようということで、この勉強会も開催しているのである。及ばずながら、僕もお手伝いをさせていただいているのである。
毎年のことだが、この勉強会に集まってくる高校生は、好感の持てる子ばかりである。リクルートを担当しているディレクター補佐の宮本敬士氏や歴代のリクルート担当マネジャー(今年は森田義樹君)が高校生の試合を丁寧に見て回り、試合中のパフォーマンスはもちろん、それ以外の行動や学業に対する取り組みなどをチェックしたうえで、推薦するメンバーを厳選しているからだろう。
もともとが同じアメフットの選手。学校は違っても、関西の大会で対戦している選手同士だから、顔を会わせれば打ち解けるのも早い。勉強会のたびに、簡単な食事をともにして、あれやこれやと話し合うのだが、全員がもう同じチームのメンバーのように、親しく口をきいている。
その姿を見ていると、絶対にこの子たち全員を合格させたい、一人も落としたくないという気持ちになる。小論文指導者としての闘志がわいてくる。これが小論文指導を、僕の「本業」と思い定めている由縁である。
posted by コラム「スタンドから」 at 22:24| Comment(5)
| in 2010 season
2010年07月06日
(14)新戦力の見本市
帯状疱疹、すなわちヘルペスにかかった。この1週間、胸部の内側で時折、針に刺されたような痛みが出る。かかりつけの医者の話では、もう相当快復しているそうだが、それでも痛み止めの薬は手放せない。年齢も省みず、睡眠不足と過労を積み重ねた罰が当たったのだろう。
体調が悪くても、大雨でも試合はある。先週末は僕が大好きなJV戦。「薬を飲んでゆっくり静養してくださいね」という医者の言葉に逆らって、雨の中をいそいそと上ケ原の第3フィールドに出掛けた。
試合の始まる前から強く降っていた雨は、試合開始と同時に土砂降り。人工芝のグラウンドには水がたまり、大げさにいえばプールの中で試合をしているような状態になった。選手が走るのも投げるのも、ボールを確保するのも困難な状況だったが、この試合を待ち望んでいたファイターズの新戦力にとってはまったく苦にならない様子。次々と登場する新顔たちが元気はつらつとしたプレーを見せてくれた。
相手は大阪学院大。2部のチームではあるが、高校時代の経験者もおり、例年のことながら、個々には目を引くプレーヤーも少なくなかった。けれども、部員の層の厚さが違う。ファイターズは新戦力が次から次へと選手の見本市のように登場し、チーム内の競争をそのままプレーに反映させていたが、相手は攻守両面でプレーする選手もおり、雨の中では消耗も激しい。結果は59−2。スコアだけなら、一方的な試合だったが、僕には見どころが満載だった。
とにかく1、2年の新しい戦力が次々と登場してくれた。オフェンスではラインの田淵(滝川)、長森(同志社国際)、石橋(足立学園)、TEの曽和(啓明学院)が先発メンバーに並び、ディフェンスでもラインの池永(仁川学院)、DBの大森(関西大倉)が先発した。いずれも、先日の桃山学院戦で活躍した1年生である。これまでの試合で少しずつ経験を積んでいるだけあって、全員この日も落ち着いてプレーし、着実に階段を上っていることが分かった。
加えて、この日は交代メンバーでも活躍する新顔が目立った。50ヤードのタッチダウンパスを確保したWR梅本(高等部)がその象徴。高校時代は野球部。昨年夏の甲子園に1番レフトで先発出場した選手だが、足が速くセンスがいい。QB畑が50ヤード付近から投じたパスを相手陣25ヤード付近でキャッチ、そのまま一気にゴールまで駆け抜けたスピードに目を見張らされた。4月に入部したばかりで、まだ基礎練習しかしていない状態なのに、もう試合で結果を出す。末頼もしい選手である。
同じく高等部で野球をしていたRB雑賀のスピードも素晴らしい。未経験者で、まだアメフット選手の動きにはなっていないが、RBとしては体も大きく今後の伸びが大いに期待できる。同じRBでは野々垣(関西大倉)の動きもよかった。4回のランで39ヤードを獲得、キックオフリターンでも素早い動きを見せていた。彼も今後、どんどん伸びる選手だろう。
ディフェンスの交代メンバーも多士済々。これまでの試合にも出て、強烈な当たりを見せつけているDLの中前(高等部)は先発した池永にひけをとらない動きを見せていたし、相手のファンブルボールを確保したDL吉田(関西大倉)の動きもよかった。目立った活躍はなかったが、DBの中では出場時間の長かった池田(高等部)も落ち着いたプレーぶりだった。
もちろん、この日の試合を率いたのは2年生。最初から最後まで出ずっぱりだったQB畑は、強い雨の中でも落ち着いてプレーし、4本のTDパスを決めた。1年生の時から期待されながら、けがなどで練習が不足し、試合に出る機会が少なかっただけに、JV戦とはいえフル出場し、結果を出したことで、今後一層自信を持ってプレーしてくれるだろう。
オフェンスでは、立ち上がりにいきなり59ヤードの独走TDを決めたRB尾嶋、同じく5回の攻撃で2本のTDランを含め48ヤードを稼いだRB大石、前半終了間際に30ヤードのTDパスをキャッチした押谷、同じくTDパスをキャッチしたWR岸本らの動きが目に付いた。
ディフェンスでは、前回のJV戦でも活躍したLBの3人組。すなわち背番号の若い順に高吹、前川、望月の動きが相手を圧倒していた。
キッカー2人の活躍についても触れなければならない。先発の山崎も、後半になって登場した堀本も、ともに雨の中、ゴムボールにもかかわらず、確実にキックを決め、フィールドゴールを含め、一度の失敗もなかった。集中力を維持し続けた結果だろう。ともすれば大味な試合になりがちな得点差の開いた試合を、キッカー2人が引き締めていたことを書き留めて置きたい。
こうして名前を連ねていくと、つくづくファイターズの層の厚さが実感できる。彼らが今後、しっかり鍛錬を積み、一人でも二人でもこの日は登場しなかった先発メンバーを追い抜いていくことで、ようやく秋の陣を迎える準備が整うだろう。今後、彼らの練習ぶりを心して眺めていきたい。
体調が悪くても、大雨でも試合はある。先週末は僕が大好きなJV戦。「薬を飲んでゆっくり静養してくださいね」という医者の言葉に逆らって、雨の中をいそいそと上ケ原の第3フィールドに出掛けた。
試合の始まる前から強く降っていた雨は、試合開始と同時に土砂降り。人工芝のグラウンドには水がたまり、大げさにいえばプールの中で試合をしているような状態になった。選手が走るのも投げるのも、ボールを確保するのも困難な状況だったが、この試合を待ち望んでいたファイターズの新戦力にとってはまったく苦にならない様子。次々と登場する新顔たちが元気はつらつとしたプレーを見せてくれた。
相手は大阪学院大。2部のチームではあるが、高校時代の経験者もおり、例年のことながら、個々には目を引くプレーヤーも少なくなかった。けれども、部員の層の厚さが違う。ファイターズは新戦力が次から次へと選手の見本市のように登場し、チーム内の競争をそのままプレーに反映させていたが、相手は攻守両面でプレーする選手もおり、雨の中では消耗も激しい。結果は59−2。スコアだけなら、一方的な試合だったが、僕には見どころが満載だった。
とにかく1、2年の新しい戦力が次々と登場してくれた。オフェンスではラインの田淵(滝川)、長森(同志社国際)、石橋(足立学園)、TEの曽和(啓明学院)が先発メンバーに並び、ディフェンスでもラインの池永(仁川学院)、DBの大森(関西大倉)が先発した。いずれも、先日の桃山学院戦で活躍した1年生である。これまでの試合で少しずつ経験を積んでいるだけあって、全員この日も落ち着いてプレーし、着実に階段を上っていることが分かった。
加えて、この日は交代メンバーでも活躍する新顔が目立った。50ヤードのタッチダウンパスを確保したWR梅本(高等部)がその象徴。高校時代は野球部。昨年夏の甲子園に1番レフトで先発出場した選手だが、足が速くセンスがいい。QB畑が50ヤード付近から投じたパスを相手陣25ヤード付近でキャッチ、そのまま一気にゴールまで駆け抜けたスピードに目を見張らされた。4月に入部したばかりで、まだ基礎練習しかしていない状態なのに、もう試合で結果を出す。末頼もしい選手である。
同じく高等部で野球をしていたRB雑賀のスピードも素晴らしい。未経験者で、まだアメフット選手の動きにはなっていないが、RBとしては体も大きく今後の伸びが大いに期待できる。同じRBでは野々垣(関西大倉)の動きもよかった。4回のランで39ヤードを獲得、キックオフリターンでも素早い動きを見せていた。彼も今後、どんどん伸びる選手だろう。
ディフェンスの交代メンバーも多士済々。これまでの試合にも出て、強烈な当たりを見せつけているDLの中前(高等部)は先発した池永にひけをとらない動きを見せていたし、相手のファンブルボールを確保したDL吉田(関西大倉)の動きもよかった。目立った活躍はなかったが、DBの中では出場時間の長かった池田(高等部)も落ち着いたプレーぶりだった。
もちろん、この日の試合を率いたのは2年生。最初から最後まで出ずっぱりだったQB畑は、強い雨の中でも落ち着いてプレーし、4本のTDパスを決めた。1年生の時から期待されながら、けがなどで練習が不足し、試合に出る機会が少なかっただけに、JV戦とはいえフル出場し、結果を出したことで、今後一層自信を持ってプレーしてくれるだろう。
オフェンスでは、立ち上がりにいきなり59ヤードの独走TDを決めたRB尾嶋、同じく5回の攻撃で2本のTDランを含め48ヤードを稼いだRB大石、前半終了間際に30ヤードのTDパスをキャッチした押谷、同じくTDパスをキャッチしたWR岸本らの動きが目に付いた。
ディフェンスでは、前回のJV戦でも活躍したLBの3人組。すなわち背番号の若い順に高吹、前川、望月の動きが相手を圧倒していた。
キッカー2人の活躍についても触れなければならない。先発の山崎も、後半になって登場した堀本も、ともに雨の中、ゴムボールにもかかわらず、確実にキックを決め、フィールドゴールを含め、一度の失敗もなかった。集中力を維持し続けた結果だろう。ともすれば大味な試合になりがちな得点差の開いた試合を、キッカー2人が引き締めていたことを書き留めて置きたい。
こうして名前を連ねていくと、つくづくファイターズの層の厚さが実感できる。彼らが今後、しっかり鍛錬を積み、一人でも二人でもこの日は登場しなかった先発メンバーを追い抜いていくことで、ようやく秋の陣を迎える準備が整うだろう。今後、彼らの練習ぶりを心して眺めていきたい。
posted by コラム「スタンドから」 at 21:06| Comment(1)
| in 2010 season
2010年06月30日
(13)課題が見えた明大戦
長い間、新聞記者をしているせいか、物事を判断する場合、現場で見たこと、感じたことについつい重点を置きすぎてしまう傾向がある。人づてに聞いたことやテレビ画面を通して見たことは信用しないというか、どこか懐疑的になってしまうのである。
目の前のファイターズの試合なら、たいていのことは網膜に焼き付けており、結構細かいところまで覚えている。プレーに失敗して(あるいは成功して)ベンチに戻ってきたときの選手の顔つき、相手を思い通りに仕留めたときのしぐさ。日々の練習に向かうときの足取り、言葉を交わしたときの何げない表情。現場でそうした細部を見届けることで、大げさにいえば、このコラムは成り立っているのである。
逆に、テレビがどんなに白熱した試合の模様を伝えてくれても、どこか冷めている。先日も朝の3時半に起きて、サッカーのデンマーク戦をテレビ観戦したが、ゴールが決まったときのリプレーがさんざん繰り返され、中継するアナウンサーがどんなに絶叫しようとも、見ている当方には「しょせん試合の一部。細部まですべてを見たわけではない」という突き放した気持ちがどこかにある。サッカー観戦が嫌いなわけでもないのに、困ったことだ。これも職業病の一種だろうか。
こんなに「現場至上主義」の人間なのに、先日の明治大学との試合は、途中からしか観戦できなかった。知人の結婚式が岡山市であり、その披露宴に出席していたからである。式がお開きになると、即座に会場を出て、タクシー、新幹線、またタクシーと乗り継いで王子スタジアムに着いたが、もう第2クオーターも残り30秒。前半戦を見ることはかなわなかった。
得点の表示板を身ながら、いつもの観戦仲間の友人に前半の様子を聞くと「この雨の中やから、どうしても大味になるわな」といいながら、先発QBの糟谷が67ヤードを独走したタッチダウンと、糟谷からWR松原へのタッチダウンパスの様子を話してくれた。そして「明治のランは強い。後半、それにどう対応するかが見どころや」と話してくれた。
「なるほど、糟谷の潜在能力の高さを考えれば、独走したって不思議はない」「松原の実力からすれば、少々雨が降ってもパスキャッチに何の支障もないはず」と思いながら、あらためてそのプレーを見られなかった悔しさが募る。
この日も雨。しかし、関西学生アメリカンフットボール界の重鎮、古川明さんのご好意で記者室の一角に席を借りて観戦。持参した結婚式の引き出物や礼服が濡れないので大いに助かった。
後半は明治のレシーブから始まったが、守備陣が完璧に抑えてすぐにファイターズの攻撃。相手陣48ヤードという好位置からRB久司の22ヤード、RB松岡の12ヤード、再び久司の11ヤードと立て続けのラン攻撃で一気に相手ゴール前に迫った。残る3ヤードをRB稲村が走り抜き、あっという間にTD。3人の快足ランナーの持ち味を存分に発揮した鮮やかなシリーズだった。
次の明治の攻撃シリーズ。スペシャルプレーを成功させて一気に陣地を進めたが、結局は得点に結びつけられず、再びファイターズの攻撃。自陣32ヤードから始まったこのシリーズも糟谷から松原へのパス、松原のランなどが次々と決まり、あっという間に敵陣24ヤード。ここで再び糟谷が左オープンを独走してTD。K大西のキックも決まって28−0。たとえ後半戦だけでも見ることができれば、と思ってスタジアムに駆けつけてきた値打ちがあった、と思わせてくれる攻撃の連続だった。
ところが、ここからが凡戦。両軍ともしっかりボールを確保できず、ファンブルの応酬。とりわけファイターズはゴール前で3回もファンブルを重ね、自ら攻撃のリズムを崩してしまった。
雨の中とはいえ、この結果には納得がいかなかったのだろう。試合後、鳥内監督は「ボールのセキュリティーについては、普段から厳しくいうてんのに。結果オーライの練習ばかりしてるから、ああいうことになるんですわ」と厳しい口調だった。
ともあれ、この試合で春のシーズンは事実上終了。3日に上ケ原の第3フィールドで行われるJV戦を残すのみとなった。
春の戦いで見えてきたいくつもの課題を今後どのように克服していくか。春に先発したメンバーを押しのける新戦力がどれくらい成長してくるのか。前期試験をはさんで、夏合宿が始まるまでの間の取り組みが、すべての鍵を握っているような気がする。本気で日本1を目指すのなら、普段から練習のための練習ではなく、常に試合を意識して、さらに高いレベルの鍛錬を続けてほしい。
目の前のファイターズの試合なら、たいていのことは網膜に焼き付けており、結構細かいところまで覚えている。プレーに失敗して(あるいは成功して)ベンチに戻ってきたときの選手の顔つき、相手を思い通りに仕留めたときのしぐさ。日々の練習に向かうときの足取り、言葉を交わしたときの何げない表情。現場でそうした細部を見届けることで、大げさにいえば、このコラムは成り立っているのである。
逆に、テレビがどんなに白熱した試合の模様を伝えてくれても、どこか冷めている。先日も朝の3時半に起きて、サッカーのデンマーク戦をテレビ観戦したが、ゴールが決まったときのリプレーがさんざん繰り返され、中継するアナウンサーがどんなに絶叫しようとも、見ている当方には「しょせん試合の一部。細部まですべてを見たわけではない」という突き放した気持ちがどこかにある。サッカー観戦が嫌いなわけでもないのに、困ったことだ。これも職業病の一種だろうか。
こんなに「現場至上主義」の人間なのに、先日の明治大学との試合は、途中からしか観戦できなかった。知人の結婚式が岡山市であり、その披露宴に出席していたからである。式がお開きになると、即座に会場を出て、タクシー、新幹線、またタクシーと乗り継いで王子スタジアムに着いたが、もう第2クオーターも残り30秒。前半戦を見ることはかなわなかった。
得点の表示板を身ながら、いつもの観戦仲間の友人に前半の様子を聞くと「この雨の中やから、どうしても大味になるわな」といいながら、先発QBの糟谷が67ヤードを独走したタッチダウンと、糟谷からWR松原へのタッチダウンパスの様子を話してくれた。そして「明治のランは強い。後半、それにどう対応するかが見どころや」と話してくれた。
「なるほど、糟谷の潜在能力の高さを考えれば、独走したって不思議はない」「松原の実力からすれば、少々雨が降ってもパスキャッチに何の支障もないはず」と思いながら、あらためてそのプレーを見られなかった悔しさが募る。
この日も雨。しかし、関西学生アメリカンフットボール界の重鎮、古川明さんのご好意で記者室の一角に席を借りて観戦。持参した結婚式の引き出物や礼服が濡れないので大いに助かった。
後半は明治のレシーブから始まったが、守備陣が完璧に抑えてすぐにファイターズの攻撃。相手陣48ヤードという好位置からRB久司の22ヤード、RB松岡の12ヤード、再び久司の11ヤードと立て続けのラン攻撃で一気に相手ゴール前に迫った。残る3ヤードをRB稲村が走り抜き、あっという間にTD。3人の快足ランナーの持ち味を存分に発揮した鮮やかなシリーズだった。
次の明治の攻撃シリーズ。スペシャルプレーを成功させて一気に陣地を進めたが、結局は得点に結びつけられず、再びファイターズの攻撃。自陣32ヤードから始まったこのシリーズも糟谷から松原へのパス、松原のランなどが次々と決まり、あっという間に敵陣24ヤード。ここで再び糟谷が左オープンを独走してTD。K大西のキックも決まって28−0。たとえ後半戦だけでも見ることができれば、と思ってスタジアムに駆けつけてきた値打ちがあった、と思わせてくれる攻撃の連続だった。
ところが、ここからが凡戦。両軍ともしっかりボールを確保できず、ファンブルの応酬。とりわけファイターズはゴール前で3回もファンブルを重ね、自ら攻撃のリズムを崩してしまった。
雨の中とはいえ、この結果には納得がいかなかったのだろう。試合後、鳥内監督は「ボールのセキュリティーについては、普段から厳しくいうてんのに。結果オーライの練習ばかりしてるから、ああいうことになるんですわ」と厳しい口調だった。
ともあれ、この試合で春のシーズンは事実上終了。3日に上ケ原の第3フィールドで行われるJV戦を残すのみとなった。
春の戦いで見えてきたいくつもの課題を今後どのように克服していくか。春に先発したメンバーを押しのける新戦力がどれくらい成長してくるのか。前期試験をはさんで、夏合宿が始まるまでの間の取り組みが、すべての鍵を握っているような気がする。本気で日本1を目指すのなら、普段から練習のための練習ではなく、常に試合を意識して、さらに高いレベルの鍛錬を続けてほしい。
posted by コラム「スタンドから」 at 01:27| Comment(2)
| in 2010 season
2010年06月23日
(12)豪雨の試合に意地を見た
関関戦は、梅雨のまっただ中に行われるせいか、雨になることが多い。18日夕、関西大学のグラウンドで行われた試合も雨。時には激しく降る中での試合となった。
昨年秋のリーグ戦では、ファイターズが13−17で、思いもよらない敗戦。甲子園ボウルへの道を絶たれた因縁の相手である。昨年6月の関関戦でも、終始苦戦を強いられ、かろうじて終了間際に逆転勝ちしている。
そんな相手に、お互いメンバーは更新されたとはいえ、どんな戦いぶりを見せるか、興味津々で観戦した。
立ち上がりから雨は土砂降り。レシーブを選択したファイターズは自陣27ヤードからの攻撃。QB加藤からWR春日へのパス、RB稲村のランで第1ダウンを更新。続いてRB松岡、RB久司の中央突破、さらに久司への18ヤードのパス、稲村の8ヤードランが決まって、相手陣20ヤード付近まで攻撃を進める。
けれどもここからの攻撃が続かず、K大西が36ヤードのフィールドゴール(FG)で3点を挙げただけにとどまった。
続く関大の攻撃を守備陣が食い止め、再び自陣47ヤード付近からファイターズが攻撃。このシリーズも久司のランや加藤のスクランブル、WR松田へ24ヤードパスなどで、簡単に20ヤード付近まで迫る。だが、ここから前に進めない。FGを狙った大西のキックも外れ、再び関大の攻撃。
このシリーズは、守備陣の奮起で簡単に抑えたが、ファイターズの攻撃も進まない。反則やインターセプトもあって、めまぐるしく攻撃権が移り、互いに得点に繋ぐことができない。結局、前半は3−0。
後半に入っても、ファイターズの攻撃は不思議なほど敵陣20ヤード付近で止まってしまう。ランはそこそこ進むのだが、パスが通らない。意表をついたRBへのショベルパスも相手に見切られ、陣地を進めることができない。結局、第3Qは6分3秒に大西が38ヤード、10分49秒に同じく38ヤードのフィールドゴールを決めて6点を挙げたにとどまった。
第4Qになると、関大の追い上げはますます急になる。3人のRBを使い分けてゴール前17ヤードに迫ったが、そこで投じたパスを関学のDB重田がインターセプト。流れを変える。
だが、ファイターズの攻撃もフィニッシュにつながらない。加藤が自陣47ヤード付近からゴールライン近くのWR松原に必殺のロングパスを投じたが、これまたインターセプト。激しく降る雨に手元が狂ったのか、それとも相手の松原へのカバー体制が手厚かったからなのか。ファイターズには嫌な気分がつきまとう展開である。
ところが、ここで主将平澤が値千金のインターセプト。自陣42ヤード付近から相手QBが投じたパスを瞬間的にキャッチし、そのまま58ヤードを独走してタッチダウン。待望の追加点を奪った。
かさにかかったファイターズは、自陣30ヤード付近から始まった最後の攻撃シリーズも、ニーダウンで時間を流すことなく、松岡と久司の独走で陣地を進めた。最後は大西が45ヤードのFGを決めてゲームオーバー。18−0で試合を終えた。
以上、だらだらと試合経過を報告してきたが、そんな中、どうしても伝えておきたい場面が三つあった。
一つはハーフタイム。強い雨に中で、キッカー大西が何度も何度もフィールドゴールの練習をしていた場面である。前半、最初のFGは決めたが、同じような距離の2度目を失敗。40ヤードぐらいなら、確実に決める力を持っている彼にとっては、たとえ雨の中、ゴムボールという制約があっても、37ヤード付近からのFGを外したことが我慢ならなかったのだろう。スナッパー、ホールダーとともに、時間を惜しんで練習に励んでいた。それが、後半、3度のFGトライをことごとく成功に導いたのだろう。たったひと蹴りで勝敗を決する立場に置かれた選手の意地とプライドを見せつけたような場面だった。
二つ目は、後半立ち上がりのシリーズで勢いに乗って攻め込む関大の攻撃をインターセプトで断ち切ったLB村上のプレー。彼はその直前、相手のボールキャリアとすれ違って、ダウン更新を許したばかり。そのスピードと当たりを買われてDLからコンバートされてきた彼にとって、相手のランナーにタックルできなかったは屈辱的。その汚名を返上するため、直後に苦手なはずのパスカバーで殊勲を上げた。これまた意地と名誉をかけたプレーだった。
三つ目は、さきに書いた試合終了直前のファイターズ攻撃。ボールは自陣30ヤード、残り時間は1分を切った状態だったが、ファイターズはニーダウンで時間を流さず、あえて攻撃を選択。松岡と久司がロングドライブを立て続けに決め、加藤が久司へのパスも決めて、あっという間に敵陣27ヤード。ここで大西が落ち着いて45ヤードのFGを決め、試合終了。昨秋、急所でのランプレーをことごとく止められ、結果、思わぬ苦杯をなめた相手に、意地とプライドをかけて挑んだような攻撃シリーズだった。
降りしきる雨の中、三者がそれぞれの持ち場で見せた意地とプライド。これこそ、この日一番の収穫だったと僕は見た。この意地とプライドが彼らだけでなく、ファイターズのすべての選手、スタッフに共有されたとき、チームは一段高いところに登るに違いない。
昨年秋のリーグ戦では、ファイターズが13−17で、思いもよらない敗戦。甲子園ボウルへの道を絶たれた因縁の相手である。昨年6月の関関戦でも、終始苦戦を強いられ、かろうじて終了間際に逆転勝ちしている。
そんな相手に、お互いメンバーは更新されたとはいえ、どんな戦いぶりを見せるか、興味津々で観戦した。
立ち上がりから雨は土砂降り。レシーブを選択したファイターズは自陣27ヤードからの攻撃。QB加藤からWR春日へのパス、RB稲村のランで第1ダウンを更新。続いてRB松岡、RB久司の中央突破、さらに久司への18ヤードのパス、稲村の8ヤードランが決まって、相手陣20ヤード付近まで攻撃を進める。
けれどもここからの攻撃が続かず、K大西が36ヤードのフィールドゴール(FG)で3点を挙げただけにとどまった。
続く関大の攻撃を守備陣が食い止め、再び自陣47ヤード付近からファイターズが攻撃。このシリーズも久司のランや加藤のスクランブル、WR松田へ24ヤードパスなどで、簡単に20ヤード付近まで迫る。だが、ここから前に進めない。FGを狙った大西のキックも外れ、再び関大の攻撃。
このシリーズは、守備陣の奮起で簡単に抑えたが、ファイターズの攻撃も進まない。反則やインターセプトもあって、めまぐるしく攻撃権が移り、互いに得点に繋ぐことができない。結局、前半は3−0。
後半に入っても、ファイターズの攻撃は不思議なほど敵陣20ヤード付近で止まってしまう。ランはそこそこ進むのだが、パスが通らない。意表をついたRBへのショベルパスも相手に見切られ、陣地を進めることができない。結局、第3Qは6分3秒に大西が38ヤード、10分49秒に同じく38ヤードのフィールドゴールを決めて6点を挙げたにとどまった。
第4Qになると、関大の追い上げはますます急になる。3人のRBを使い分けてゴール前17ヤードに迫ったが、そこで投じたパスを関学のDB重田がインターセプト。流れを変える。
だが、ファイターズの攻撃もフィニッシュにつながらない。加藤が自陣47ヤード付近からゴールライン近くのWR松原に必殺のロングパスを投じたが、これまたインターセプト。激しく降る雨に手元が狂ったのか、それとも相手の松原へのカバー体制が手厚かったからなのか。ファイターズには嫌な気分がつきまとう展開である。
ところが、ここで主将平澤が値千金のインターセプト。自陣42ヤード付近から相手QBが投じたパスを瞬間的にキャッチし、そのまま58ヤードを独走してタッチダウン。待望の追加点を奪った。
かさにかかったファイターズは、自陣30ヤード付近から始まった最後の攻撃シリーズも、ニーダウンで時間を流すことなく、松岡と久司の独走で陣地を進めた。最後は大西が45ヤードのFGを決めてゲームオーバー。18−0で試合を終えた。
以上、だらだらと試合経過を報告してきたが、そんな中、どうしても伝えておきたい場面が三つあった。
一つはハーフタイム。強い雨に中で、キッカー大西が何度も何度もフィールドゴールの練習をしていた場面である。前半、最初のFGは決めたが、同じような距離の2度目を失敗。40ヤードぐらいなら、確実に決める力を持っている彼にとっては、たとえ雨の中、ゴムボールという制約があっても、37ヤード付近からのFGを外したことが我慢ならなかったのだろう。スナッパー、ホールダーとともに、時間を惜しんで練習に励んでいた。それが、後半、3度のFGトライをことごとく成功に導いたのだろう。たったひと蹴りで勝敗を決する立場に置かれた選手の意地とプライドを見せつけたような場面だった。
二つ目は、後半立ち上がりのシリーズで勢いに乗って攻め込む関大の攻撃をインターセプトで断ち切ったLB村上のプレー。彼はその直前、相手のボールキャリアとすれ違って、ダウン更新を許したばかり。そのスピードと当たりを買われてDLからコンバートされてきた彼にとって、相手のランナーにタックルできなかったは屈辱的。その汚名を返上するため、直後に苦手なはずのパスカバーで殊勲を上げた。これまた意地と名誉をかけたプレーだった。
三つ目は、さきに書いた試合終了直前のファイターズ攻撃。ボールは自陣30ヤード、残り時間は1分を切った状態だったが、ファイターズはニーダウンで時間を流さず、あえて攻撃を選択。松岡と久司がロングドライブを立て続けに決め、加藤が久司へのパスも決めて、あっという間に敵陣27ヤード。ここで大西が落ち着いて45ヤードのFGを決め、試合終了。昨秋、急所でのランプレーをことごとく止められ、結果、思わぬ苦杯をなめた相手に、意地とプライドをかけて挑んだような攻撃シリーズだった。
降りしきる雨の中、三者がそれぞれの持ち場で見せた意地とプライド。これこそ、この日一番の収穫だったと僕は見た。この意地とプライドが彼らだけでなく、ファイターズのすべての選手、スタッフに共有されたとき、チームは一段高いところに登るに違いない。
posted by コラム「スタンドから」 at 08:54| Comment(0)
| in 2010 season