素晴らしい試合だった。23日、関西学生リーグの最終戦。難敵中の難敵、立命館を相手に、ひるまず、臆さず、全知全能を尽くして戦い続けたファイターズの面々が、みんな輝いて見えた。結果は31−7。この20年間、立命戦では見たこともない点差をつけて勝った。
その試合ぶりを2005年の主将、松本喬行氏は「白刃を手に、裸で敵陣に突っ込んでいくような戦い」と表現した。まさにその通り。失うものは何一つない。攻守の全員が「戦って、戦って、そして、死ね」というような見事な奮闘だった。
どんなに追い込まれても、ひたすらパスを投げ続けたQB加藤。そのパスを必死の形相で確保し続けたWRの萬代や柴田。攻撃が手詰まりになるたびに登場し、磨きに磨いたバスケットボールのシュートのようなパスを立て続けに決めたQB浅海。それを確実にキャッチしたWRの柴田と春日。倒されても倒されても走り続けたRB河原、松岡、平田。急所でパスを確保したTE垣内。
こんなに強かったのか、と目を見張らせてくれたのが、右から濱本、谷山、亀井、村田、新谷と並んだオフェンスライン。5人が一体となって相手を押し続け、QBを守り、RBのために走路をこじ開けた。
作戦がまた攻め一辺倒。フォースダウンロングという状況から再三ギャンブルに挑み、そのうち3度は、見たこともないようなスペシャルプレーを成功させた。
前半が、スペシャルプレーの見本市とすれば、後半は練りに練ったノーハドルオフェンス。相手守備陣に対応する時間とゆとりを与えず、右に左に、前に後ろにと振り回す。立命守備陣のユニフォームは汗でびっしょり。主力選手も肩で息をしている。たまらず足が止まった所を快足RB陣が駆け抜けていく。
試合前、小野コーチが「後半はノーハドルで行きます。加藤が成長しているので勝算はあります」と力強く宣言していた通り、会心の試合運びである。
ディフェンスの面々も負けてはいない。3年生の平澤と村上を軸にしたラインは、再三相手ラインを割ってQBに襲いかかり、ボールキャリアーを倒す。古下、吉川、福井と4年生ばかりを並べたLB陣も、強く激しいタックルで、ロングゲインを許さない。
守備の砦ともいうべきDB陣も、この日の動きは殺気立っていた。善元が再三、強烈なタックルを見舞えば、頼本、三木の岡山東商業野球部コンビが、ともに急所でインターセプトを決める。吉井駿哉は第4ダウン残り4ヤードのシチュエーションから、パント隊形からのフェイクプレーを成功させ、相手に攻撃権を渡さない。
キッキングゲームもスペシャルプレーのてんこ盛り。キッカー高野のフェイクでLB三村が蹴るオンサイドキックをはじめ、相手守備陣の意表を突くプレーの連続である。
ファイターズが攻めに攻め、守りに守って場内が興奮のるつぼと化した中、一人冷静だったのは、キッカーの大西。タッチダウンの後のキックとフィールドゴールを確実に決め、昨年の悔しさを晴らした。
すでに関大が7戦全勝で優勝を決めていたため、この試合を「消化試合」と呼ぶ人もいた。実際、長居陸上競技場に詰めかけた観客はいつもの年より、はるかに少なかった。
けれども、戦う選手たちは誰ひとりそんなことを思っていなかった。関大に敗れたという結果は取り消せない。それをとやかく言うのではなく、とにかく「立命に勝つ」ことを目標として練習に取り組んできた。監督もコーチも、懸命にそれをサポートしてきた。チーム練習の何時間も前から、4年生を中心にひたすら練習に取り組み、手の空いたメンバーは、互いに当たりあって力を養ってきた。それを終始、大村コーチが見守ってきた。
練習前、グラウンドの端っこでハードなコンタクトをしているメンバーには、必ず主将の新谷君や副将の亀井君が含まれていた。真ん中で松原君や萬代君を相手にパスを投げ続けるのはQB加藤君と糟谷君。浅海君はこの2週間いつ見ても柴田君や春日君を相手にスペシャルプレーのタイミングを計っていた。1年生のQB遠藤君は終始、仮想立命チームを率いて守備陣に実戦的な練習機会を提供していた。
4年生の高野君と三村君を中心にしたキッキングチームは繰り返し繰り返し特別のオンサイドキックの練習に励み、それを4年生の池田君が仕切っていた。
マネジャーやトレーナーも、4年生の三井君を中心に、全力でチームを支えていた。ある日の練習では、三井君が防具を着けて練習台になっていた。その姿を見て、「彼らは本気や。何としても、立命に勝たせてやりたい」と心の底から思ったことだった。
似たような話を、関大戦に敗れた後、萬代君と浅海君が所属しているゼミの先生からも聞いた。先生は京大が初めて全国制覇したころに京大を卒業され、アメフットが大好きだという。先生いわく「浅海君と萬代君は元気に練習していますか。とことんアメフットに賭けている二人に、何としてもいい形でシーズンを終わらせてあげたいと思っています」ということだった。
部員はもちろん、ファイターズにつながる多くの人たちの思いのこもった立命戦で、選手たちは「白刃を手に、裸で敵のまっただ中に突っ込んでいく」戦士になった。鳥内監督が常々口にされている「男になった」のである。努力は裏切らなかった。素晴らしい勝利だった。
2009年11月26日
(30)素晴らしい勝利
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2009年11月18日
(29)決戦の月曜日
いよいよ決戦の日がきた。ときは2009年11月23日。舞台は長居陸上競技場。昨年は圧倒された立命館に、雪辱を期してファイターズの面々が立ちふさがる。
いつもの年なら、最高に盛り上がる試合である。しかし今年は、両軍とも関大に苦杯を喫し、自力優勝の目は絶たれている。関大が残る甲南戦に敗れない限り、この10年間、関西のいや日本学生フットボール界の覇権を争ってきた両軍の宿命の戦いが、2位争いになってしまうのである。
それを寂しいと思われるファンは少なくないだろう。打ち明ければ、僕もそのひとりである。
けれども、戦うチームにとっては、そんなことはまったく関係ない。「立命に勝って日本1」を目標に掲げ、この1年間、懸命に努力してきた選手たちから見れば、ようやく目標のチームと戦える機会が巡ってきたということである。全力を尽くし、完全燃焼して、自らの選手生活に刻印を刻んでほしい。
先週末は、木曜日から日曜日まで、それぞれ短い時間ではあるが、上ケ原の第3フィールドに出掛け、練習を見ることができた。さすがに空気は張りつめている。
例年のことだが、入口には「部外者の見学お断り」の張り紙があり、1年生部員が来場者をチェックしている。練習の進行を仕切るマネジャーの声は枯れているし、トレーナーの走るスピードも上がっている。攻守とも、立命館チームを想定した選手は、マルーン色のユニフォームを着けてプレーをしている。ハドルの集散も目に見えて早くなってきた。
素人目に見ても、攻撃に立命戦用の新しいプレーが含まれていることが見て取れる。その一つひとつのプレーを1年がかりで練習し、精度を上げてきたチームの努力に思いを馳せる。
いくらとっておきのプレーでも、使える状況が出現しなければ宝の持ち腐れ。試合で使って経験値を上げようと思っても、ベールを脱いでしまったら、戦術としての価値は落ちてしまう。一方では、ベーシックなプレーや体力づくりも同時並行で進めなければならない。
ライバルチームも、そういう難しい条件を克服しながら、それぞれのチームの特徴を生かしたプレーを磨いているはずだ。たとえ、試合で使えるのは一部であっても、それぞれのチームが彼我の力関係を想定して、いくつもの特別のプレーを作り上げてくるから、アメフットは楽しい。奥が深い。
もちろん、基本は真っ向からのぶつかり合いだ。火花の散るようなタックルを浴びせ、相手を圧倒する魅力に勝るものはない。それがあるから、ピンポイントのパスも、相手の守りをギリギリでかわして突っ走るランプレーも、さらに光ってくる。そういうプレーの応酬があって初めて、特別なプレーの出番が回ってくるのである。
言い換えれば、ファイターズが開発してきたプレーも、それを披露できる条件ができあがってこそ、威力を発揮する。そのためにこそ、日ごろからベーシックなプレーを繰り返し繰り返し練習し、精度を上げてきたのである。
そういう努力を全開でぶつけられるのが立命戦である。そういうギリギリの戦いを毎年毎年、営々と繰り広げてきたからこそ、ライバルがライバルとして存在してきたのである。相手に敬意を持って戦うことができたのである。
少なくとも、この10年余、ファイターズにとって、立命館は特別のチームである。ただ目の前に立ちふさがる壁というだけではなく、全知全能を駆使して戦うにふさわしい相手である。それは、毎年のように1プレーで勝敗が左右されるという試合内容が表し、得点差が示している。
自力優勝の目がなくなったという悔しい状況ではあるが、選手にとっては、特別の思いを持って臨むべき試合である。存分に戦ってほしい。思い残すことなく諸君のすべてをぶつけてほしい。その果てにアメフットの神様が見えてくるだろう。
いつもの年なら、最高に盛り上がる試合である。しかし今年は、両軍とも関大に苦杯を喫し、自力優勝の目は絶たれている。関大が残る甲南戦に敗れない限り、この10年間、関西のいや日本学生フットボール界の覇権を争ってきた両軍の宿命の戦いが、2位争いになってしまうのである。
それを寂しいと思われるファンは少なくないだろう。打ち明ければ、僕もそのひとりである。
けれども、戦うチームにとっては、そんなことはまったく関係ない。「立命に勝って日本1」を目標に掲げ、この1年間、懸命に努力してきた選手たちから見れば、ようやく目標のチームと戦える機会が巡ってきたということである。全力を尽くし、完全燃焼して、自らの選手生活に刻印を刻んでほしい。
先週末は、木曜日から日曜日まで、それぞれ短い時間ではあるが、上ケ原の第3フィールドに出掛け、練習を見ることができた。さすがに空気は張りつめている。
例年のことだが、入口には「部外者の見学お断り」の張り紙があり、1年生部員が来場者をチェックしている。練習の進行を仕切るマネジャーの声は枯れているし、トレーナーの走るスピードも上がっている。攻守とも、立命館チームを想定した選手は、マルーン色のユニフォームを着けてプレーをしている。ハドルの集散も目に見えて早くなってきた。
素人目に見ても、攻撃に立命戦用の新しいプレーが含まれていることが見て取れる。その一つひとつのプレーを1年がかりで練習し、精度を上げてきたチームの努力に思いを馳せる。
いくらとっておきのプレーでも、使える状況が出現しなければ宝の持ち腐れ。試合で使って経験値を上げようと思っても、ベールを脱いでしまったら、戦術としての価値は落ちてしまう。一方では、ベーシックなプレーや体力づくりも同時並行で進めなければならない。
ライバルチームも、そういう難しい条件を克服しながら、それぞれのチームの特徴を生かしたプレーを磨いているはずだ。たとえ、試合で使えるのは一部であっても、それぞれのチームが彼我の力関係を想定して、いくつもの特別のプレーを作り上げてくるから、アメフットは楽しい。奥が深い。
もちろん、基本は真っ向からのぶつかり合いだ。火花の散るようなタックルを浴びせ、相手を圧倒する魅力に勝るものはない。それがあるから、ピンポイントのパスも、相手の守りをギリギリでかわして突っ走るランプレーも、さらに光ってくる。そういうプレーの応酬があって初めて、特別なプレーの出番が回ってくるのである。
言い換えれば、ファイターズが開発してきたプレーも、それを披露できる条件ができあがってこそ、威力を発揮する。そのためにこそ、日ごろからベーシックなプレーを繰り返し繰り返し練習し、精度を上げてきたのである。
そういう努力を全開でぶつけられるのが立命戦である。そういうギリギリの戦いを毎年毎年、営々と繰り広げてきたからこそ、ライバルがライバルとして存在してきたのである。相手に敬意を持って戦うことができたのである。
少なくとも、この10年余、ファイターズにとって、立命館は特別のチームである。ただ目の前に立ちふさがる壁というだけではなく、全知全能を駆使して戦うにふさわしい相手である。それは、毎年のように1プレーで勝敗が左右されるという試合内容が表し、得点差が示している。
自力優勝の目がなくなったという悔しい状況ではあるが、選手にとっては、特別の思いを持って臨むべき試合である。存分に戦ってほしい。思い残すことなく諸君のすべてをぶつけてほしい。その果てにアメフットの神様が見えてくるだろう。
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2009年11月10日
(28)死闘
どうして京大との試合は、毎年、あんなにもつれるのだろう。
2004年がその典型だった。宿敵立命を倒し、甲子園ボウルを目前にして臨んだ西京極競技場の京大戦。相手パントを自陣最深部で落としたり、後ろパスを失敗したり、ファイターズには信じられないミスが続いた。そのたびに京大に攻撃権を奪われ、それをことごとく得点に結びつけられて、思いもよらぬ敗退。立命との甲子園ボウル出場権をかけた再試合も、3度の延長戦の末に敗れた。
7日、神戸のユニバースタジアムで行われた今年の京大戦も、逆転また逆転のきわどい戦い。試合終了の笛が鳴ったとき、ファイターズが1点をリードしていたから、勝利が手に入ったが、勝利の女神が京大にほほえんでいても、少しもおかしくない内容だった。
立ち上がり、レシーブを選択したファイターズは自陣30ヤードからの第1プレー。RB松岡が右オフタックルを抜け、一気に70ヤードを独走してタッチダウン(TD)。ファイターズ1のスピードランナーの目の覚めるようなプレーで観客席の度肝を抜いた。
続く京大の攻撃をDL長島の2度のタックルで簡単に抑え、自陣42ヤードから再びファイターズの攻撃。RB久司のラン、WR松原への38ヤードパスなどわずか4プレーで相手ゴール前1ヤードに迫る。加藤が落ち着いたキーププレーでTDを決め、大西のキックも決まって14−0。ここまでは、完全にファイターズが主導権を握っていた。
ところが、次の京大の攻撃が止まらない。QB桐原のタイミングをずらせた2種類のランプレーと、WR中村への的確なパスをキーに、ぐいぐいと攻め込んでくる。あれよあれよという間にゴール前に迫られ、仕上げは中村へのパスが決まって7点差。
2Q5分51秒に大西が22ヤードのフィールドゴール(FG)を決め、ファイターズが17−7とリードして前半を終えたが、手に汗を握るドラマは後半に待っていた。
後半は京大のレシーブで攻撃開始。自陣25ヤードからQB桐原のランとWR中村へのパスをキープレーに、京大の進撃が始まる。ファイターズ守備陣は、それを必死に食い止めようとするのだが、巧妙にパスとランを裏表に使い分けられ、ターゲットが絞れない。5分39秒を費やしてぐいぐい押し込まれ、ついにTDを許してしま
う。
浮足だったファイターズは次の攻撃シリーズでいきなりパスを奪われ、あげくにレートヒットの反則まで加わって、ゴール前14ヤードから京大に攻め立てられる。ここは、守備陣が踏ん張ってFGで抑えたが、それでも3点を奪われ、ついに17−17の同点。
4Qに入り、再び京大の攻撃。自陣20ヤードから、再び桐原のランと中村へのパスをキーに、怒涛のような攻撃を展開する。またも5分近い攻撃を続け、仕上げは中村への4ヤードパスでTD。キックも決まって、ついに京大が7点のリード。
攻めては京大のブリッツに悩まされ、守ってはパスとランに振り回され、流れは完全に京大に傾いている。観客席から見ていると、実際の点差以上にゲーム内容が開いてしまったような感じさえする。
しかし、選手たちはくじけていなかった。加藤は時に孤立させられながらもパスを投げ続け、萬代を中心にしたWR陣がそれを好捕する。ついに4Q7分59秒、加藤からの18ヤードのパスを萬代が確保してTD。キックを決めれば同点という場面だが、ベンチは逆転を狙ってプレーを選択する。右に松原、柴田、萬代というファイターズが誇る3人のレシーバーを並べて相手守備陣を幻惑、マークが乱れたところへ走り込んだ萬代に、加藤が落ち着いてパスを決めた。
ファイターズが1点をリードしたが、京大も負けてはいない。残り3分53秒から始まった次のシリーズ。3分以上を費やす攻撃で42ヤードのFGにつなげ、再び逆転する。
残り18秒。自陣42ヤードからファイターズの攻撃が始まる。しかし、タイムアウトは3回を使い切っているので、時間とも戦わなければならない。ここで加藤がこの日、一番信頼している萬代に42ヤードのパスをヒット、ゴール前16ヤードに迫る。残り時間は4秒。加藤がすぐにボールをスパイクして時計を止めたが、残りは2秒。相手ベンチや選手からのヤジで騒然とする中、大西が冷静に33ヤードのFGを決めて試合終了。得点は28−27。薄氷を踏む勝利だった。
けれども、大きな勝利だった。試合後、鳥内監督は「勝てただけが収穫。あとはなにもなし」と記者団の質問に答えていたが、それが実感だったろう。
けれども、完全に京大のペースになっていた試合を、最後まであきらめず、選手が一丸となって勝利に結びつけた。そこに意義がある。リーグ戦で1勝しかしていない京大にここまで苦戦を強いられた背景、実情を考えると、とても喜べるような気分にはなれないだろうが、それでも勝ち切ったことが素晴らしい。投げるべきパスを投げ、捕るべきボールをキャッチし、蹴るべくボールを正確にけり込んだ。もちろんラインもダミーになる選手も、それぞれの役割をきちんと果たした。
その結果としての勝利である。たとえ内容は、薄氷を踏むような勝利とはいえ、大いに誇りにできる勝利である。最後の最後に結集したチームの意地を、次の立命戦にも見せてほしい。結果はついてくるはずだ。
2004年がその典型だった。宿敵立命を倒し、甲子園ボウルを目前にして臨んだ西京極競技場の京大戦。相手パントを自陣最深部で落としたり、後ろパスを失敗したり、ファイターズには信じられないミスが続いた。そのたびに京大に攻撃権を奪われ、それをことごとく得点に結びつけられて、思いもよらぬ敗退。立命との甲子園ボウル出場権をかけた再試合も、3度の延長戦の末に敗れた。
7日、神戸のユニバースタジアムで行われた今年の京大戦も、逆転また逆転のきわどい戦い。試合終了の笛が鳴ったとき、ファイターズが1点をリードしていたから、勝利が手に入ったが、勝利の女神が京大にほほえんでいても、少しもおかしくない内容だった。
立ち上がり、レシーブを選択したファイターズは自陣30ヤードからの第1プレー。RB松岡が右オフタックルを抜け、一気に70ヤードを独走してタッチダウン(TD)。ファイターズ1のスピードランナーの目の覚めるようなプレーで観客席の度肝を抜いた。
続く京大の攻撃をDL長島の2度のタックルで簡単に抑え、自陣42ヤードから再びファイターズの攻撃。RB久司のラン、WR松原への38ヤードパスなどわずか4プレーで相手ゴール前1ヤードに迫る。加藤が落ち着いたキーププレーでTDを決め、大西のキックも決まって14−0。ここまでは、完全にファイターズが主導権を握っていた。
ところが、次の京大の攻撃が止まらない。QB桐原のタイミングをずらせた2種類のランプレーと、WR中村への的確なパスをキーに、ぐいぐいと攻め込んでくる。あれよあれよという間にゴール前に迫られ、仕上げは中村へのパスが決まって7点差。
2Q5分51秒に大西が22ヤードのフィールドゴール(FG)を決め、ファイターズが17−7とリードして前半を終えたが、手に汗を握るドラマは後半に待っていた。
後半は京大のレシーブで攻撃開始。自陣25ヤードからQB桐原のランとWR中村へのパスをキープレーに、京大の進撃が始まる。ファイターズ守備陣は、それを必死に食い止めようとするのだが、巧妙にパスとランを裏表に使い分けられ、ターゲットが絞れない。5分39秒を費やしてぐいぐい押し込まれ、ついにTDを許してしま
う。
浮足だったファイターズは次の攻撃シリーズでいきなりパスを奪われ、あげくにレートヒットの反則まで加わって、ゴール前14ヤードから京大に攻め立てられる。ここは、守備陣が踏ん張ってFGで抑えたが、それでも3点を奪われ、ついに17−17の同点。
4Qに入り、再び京大の攻撃。自陣20ヤードから、再び桐原のランと中村へのパスをキーに、怒涛のような攻撃を展開する。またも5分近い攻撃を続け、仕上げは中村への4ヤードパスでTD。キックも決まって、ついに京大が7点のリード。
攻めては京大のブリッツに悩まされ、守ってはパスとランに振り回され、流れは完全に京大に傾いている。観客席から見ていると、実際の点差以上にゲーム内容が開いてしまったような感じさえする。
しかし、選手たちはくじけていなかった。加藤は時に孤立させられながらもパスを投げ続け、萬代を中心にしたWR陣がそれを好捕する。ついに4Q7分59秒、加藤からの18ヤードのパスを萬代が確保してTD。キックを決めれば同点という場面だが、ベンチは逆転を狙ってプレーを選択する。右に松原、柴田、萬代というファイターズが誇る3人のレシーバーを並べて相手守備陣を幻惑、マークが乱れたところへ走り込んだ萬代に、加藤が落ち着いてパスを決めた。
ファイターズが1点をリードしたが、京大も負けてはいない。残り3分53秒から始まった次のシリーズ。3分以上を費やす攻撃で42ヤードのFGにつなげ、再び逆転する。
残り18秒。自陣42ヤードからファイターズの攻撃が始まる。しかし、タイムアウトは3回を使い切っているので、時間とも戦わなければならない。ここで加藤がこの日、一番信頼している萬代に42ヤードのパスをヒット、ゴール前16ヤードに迫る。残り時間は4秒。加藤がすぐにボールをスパイクして時計を止めたが、残りは2秒。相手ベンチや選手からのヤジで騒然とする中、大西が冷静に33ヤードのFGを決めて試合終了。得点は28−27。薄氷を踏む勝利だった。
けれども、大きな勝利だった。試合後、鳥内監督は「勝てただけが収穫。あとはなにもなし」と記者団の質問に答えていたが、それが実感だったろう。
けれども、完全に京大のペースになっていた試合を、最後まであきらめず、選手が一丸となって勝利に結びつけた。そこに意義がある。リーグ戦で1勝しかしていない京大にここまで苦戦を強いられた背景、実情を考えると、とても喜べるような気分にはなれないだろうが、それでも勝ち切ったことが素晴らしい。投げるべきパスを投げ、捕るべきボールをキャッチし、蹴るべくボールを正確にけり込んだ。もちろんラインもダミーになる選手も、それぞれの役割をきちんと果たした。
その結果としての勝利である。たとえ内容は、薄氷を踏むような勝利とはいえ、大いに誇りにできる勝利である。最後の最後に結集したチームの意地を、次の立命戦にも見せてほしい。結果はついてくるはずだ。
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2009年11月02日
(27)大学祭から遠く離れて
上ケ原のキャンパスで、10月30日の午後から大学祭が始まった。中央芝生の特設ステージではにぎやかなバンドの演奏が続き、学内のちょっとした空き地には、びっしり売店や屋台が並ぶ。
とにかく大変なにぎわいである。どこにこんなに学生がいたのかと思うほど多くの学生がつめかけ、銀座通りなどは人で一杯。新型インフルエンザの患者がいれば、一気に感染が広がってしまいそう、と余計な心配もしたくなるほどだ。
聞けば、11月3日の後夜祭を終えて4日の後かたづけまで「日本で一番期間が長い」大学祭だという。この祭りの準備から当日のイベントまで、各種サークルや団体が注ぎ込んできたエネルギーのことを考えると、参加したメンバーが高揚した気持ちになるのも分かる気がする。
けれども、大学祭は秋の数日間。いくら準備に時間をかけ、盛り上がっても、祭りが終われば、おしまいである。後かたづけが終われば、メンバーはまた授業に戻り、大学生としての日常生活が始まる。
ところが、ファイターズはそうではない。たとえ試合で苦杯をなめようが、リーグ戦が終わろうが、この組織に所属している限り、ずっと勝つための戦い、日本1になるための鍛錬が続く。入部したその日から、卒業する日まで、毎日が「祭りの準備」であり、勝利までの「長い道のり」である。常住坐臥、どんな場面にあっても、高いモラルを求められる生活が続くのである。
大学祭でにぎわうキャンパスと第3フィールドは、距離にして500メートル弱。歩いて5分もかからない。だが、その活動内容、置かれた境遇には、気の遠くなるような隔たりがある。
「だからこそ、ファイターズなんだ」「だからこそ、社会が高く評価してくれるんだ」「はるかに遠く離れている、という点にこそ意味があるんだ」
そんなことを考えながら、祭りの人込みを縫い、上ケ原の八幡さんの前を通って第3フィールドに足を運ぶと、いつものようにファイターズが練習をしている。30日から1日までは、恒例の京大戦前の合宿。ミーティングに練習に、朝から晩まで、アメフット漬けの生活である。
コーチも全員が顔をそろえ、練習の雰囲気も締まってきた。週末ということで、普段、なかなか顔を出す機会のない若手OBの姿も見える。
圧巻は、佐岡(04年度)早川(08年度)という二人の主将が練習台に入ったディフェンスライン。これに現役の先発メンバー平澤、梶原などが加わり、鳥内監督をして「立命のラインより強力ですよ」という豪華な布陣が整った。
こういう「早くて強い」相手だと、オフェンスの練習も効果が上がる。1プレーごとに真剣味が増し、グラウンドの空気が張りつめてくる。本気度が見ている方にも伝わってくる。実際に体をぶつけ合っている選手にすれば、1プレーごとに練習の成果が実感されるのではないか。
こういう練習に、少しでも多く時間を割いてほしい。
もちろん、チームの内部で日ごろからオフェンスとディフェンスが本気になって練習し、互いに高めあうことが基本である。けれども、時にはチームのメンバーが経験したことのないほど高度な技術、スピード、強い当たりなどを、自らの体で体験することがあってもいいだろう。そういう刺激があれば、日ごろの練習に対する取り組みも、より深くなってくるはずだ。
そのためには、技術と経験をもった若手OBに、なるだけ多くグラウンドに顔を出してもらいたい。社会人になったばかりで、毎日、自分の仕事をこなすことに追われていることはよく分かる。それでも、グラウンドに顔を出し、練習台となって後輩を本気にさせてもらいたい。そういうファミリーとしての結束の強さが、ファイターズの伝統であり、財産でもあるはずだ。
とにかく大変なにぎわいである。どこにこんなに学生がいたのかと思うほど多くの学生がつめかけ、銀座通りなどは人で一杯。新型インフルエンザの患者がいれば、一気に感染が広がってしまいそう、と余計な心配もしたくなるほどだ。
聞けば、11月3日の後夜祭を終えて4日の後かたづけまで「日本で一番期間が長い」大学祭だという。この祭りの準備から当日のイベントまで、各種サークルや団体が注ぎ込んできたエネルギーのことを考えると、参加したメンバーが高揚した気持ちになるのも分かる気がする。
けれども、大学祭は秋の数日間。いくら準備に時間をかけ、盛り上がっても、祭りが終われば、おしまいである。後かたづけが終われば、メンバーはまた授業に戻り、大学生としての日常生活が始まる。
ところが、ファイターズはそうではない。たとえ試合で苦杯をなめようが、リーグ戦が終わろうが、この組織に所属している限り、ずっと勝つための戦い、日本1になるための鍛錬が続く。入部したその日から、卒業する日まで、毎日が「祭りの準備」であり、勝利までの「長い道のり」である。常住坐臥、どんな場面にあっても、高いモラルを求められる生活が続くのである。
大学祭でにぎわうキャンパスと第3フィールドは、距離にして500メートル弱。歩いて5分もかからない。だが、その活動内容、置かれた境遇には、気の遠くなるような隔たりがある。
「だからこそ、ファイターズなんだ」「だからこそ、社会が高く評価してくれるんだ」「はるかに遠く離れている、という点にこそ意味があるんだ」
そんなことを考えながら、祭りの人込みを縫い、上ケ原の八幡さんの前を通って第3フィールドに足を運ぶと、いつものようにファイターズが練習をしている。30日から1日までは、恒例の京大戦前の合宿。ミーティングに練習に、朝から晩まで、アメフット漬けの生活である。
コーチも全員が顔をそろえ、練習の雰囲気も締まってきた。週末ということで、普段、なかなか顔を出す機会のない若手OBの姿も見える。
圧巻は、佐岡(04年度)早川(08年度)という二人の主将が練習台に入ったディフェンスライン。これに現役の先発メンバー平澤、梶原などが加わり、鳥内監督をして「立命のラインより強力ですよ」という豪華な布陣が整った。
こういう「早くて強い」相手だと、オフェンスの練習も効果が上がる。1プレーごとに真剣味が増し、グラウンドの空気が張りつめてくる。本気度が見ている方にも伝わってくる。実際に体をぶつけ合っている選手にすれば、1プレーごとに練習の成果が実感されるのではないか。
こういう練習に、少しでも多く時間を割いてほしい。
もちろん、チームの内部で日ごろからオフェンスとディフェンスが本気になって練習し、互いに高めあうことが基本である。けれども、時にはチームのメンバーが経験したことのないほど高度な技術、スピード、強い当たりなどを、自らの体で体験することがあってもいいだろう。そういう刺激があれば、日ごろの練習に対する取り組みも、より深くなってくるはずだ。
そのためには、技術と経験をもった若手OBに、なるだけ多くグラウンドに顔を出してもらいたい。社会人になったばかりで、毎日、自分の仕事をこなすことに追われていることはよく分かる。それでも、グラウンドに顔を出し、練習台となって後輩を本気にさせてもらいたい。そういうファミリーとしての結束の強さが、ファイターズの伝統であり、財産でもあるはずだ。
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2009年10月26日
(26)強さと物足りなさと
終わってみれば関学37−0神戸。得点だけを見れば、鮮やかな完封勝利である。けれども、スタンドで観戦していると、本当にチーム力が上がってきたのか、いま一つ確信の持てない内容だった。
自陣41ヤードという絶好の位置から始まった最初の攻撃シリーズがそれを端的に表していた。再現してみよう。
第1プレー、RB松岡がいきなり17ヤードを走ってダウン更新。次はQB加藤からWR萬代への14ヤードのパスが決まってまたもダウン更新。続いてRB稲村のランで9ヤード、WR松原へのパスで15ヤード。わずか4プレーで55ヤードを進め、ゴールまで4ヤードに迫った。
しかし、そこからがもどかしい。3度の攻撃でわずか2ヤードしか進めず、タッチダウンが奪えない。結局、大西が19ヤードのフィールドゴールを決めて3点を挙げたにとどまった。
神戸のオフェンスを完封して始まった次の攻撃シリーズは、自陣22ヤードから。ここは加藤からWR柴田への3本のパスとRB平田、河原のラン、加藤のスクランブルを巧妙に織り交ぜて陣地を進め、最後は平田のランでTDをもぎ取った。
やっとリズムに乗ってきたかと思ったら、次の攻撃シリーズはまたもや最初のシリーズの再現。自陣28ヤードから、まずはTE垣内への17ヤードのパス。続いて松岡のランで7ヤード、平田のランで12ヤード、RB稲村のランで11ヤード、河原のランで12ヤードと存分に走り回って相手ゴール前14ヤードまで迫った。
ところが、ここからが詰めきれない。ここもまた大西の25ヤードFGで3点を挙げたにとどまった。
このように、第3Qまでは加藤、第4Qは糟谷が率いた攻撃は、パスで227ヤード、ランで258ヤードを獲得し、数字的には文句のつけようのない攻めっぷりだった。
守備も相手のランプレーをわずか3ヤードに抑え込む堂々の戦い。前半、DB香山と善元が立て続けにインターセプトを奪い、相手の士気をくじけば、後半はDL平澤が2本、LB吉川が1本のQBサックを決めて、相手に攻撃リズムをつかませない。神大がダウンを更新したのがわずかに5回という数字を見ても、ディフェンス陣の充実ぶりがうかがえる。
ところが、問題はゴール前まで進んでからの攻め。詰めの甘さが、依然として解消されていないのである。これが直接的な原因で、関大に苦杯を喫したのに、いまだにそれが克服されていない。春のシーズンや秋のシーズン当初に比べ、数段、チーム力が上がっていることは、素人目にも明らかなのに、いま一つ物足りなさが残るのは、ここにある。
その辺は、鳥内監督も同じ認識らしい。試合後に顔を合わせると、開口一番「フィールドゴール3本というのが気に入りませんわ」「今日の試合内容なら、70点取ってもおかしくない出来だったのに。もっと練習せなあきませんな」という言葉が飛び出した。
その通りだろう。
僕のような素人が見ても、チームは確実に強くなっている。それは、この日の神戸大との戦いで明確に裏付けられた。新型インフルエンザで試合や練習から外れていた選手も回復し、戦線に復帰した。
問題は、選手一人ひとりが自分たちのやってきたことに確信が持てるかどうかである。それがないから、ゴール前の短い距離が詰めきれないのではないか。
とにかく、自分たちの力に自信を持ち、一つひとつのプレーに確信を持って取り組めるように自らを鍛えることである。
幸いなことに、この日の試合で、その萌芽が見えた気がする。この日、とびきりの活躍をした選手たちのプレーに、それは具体化されていたといってよい。
守備でも攻撃でも、このプレーは「オレが決める」という確信。それが、グラウンドに立つ選手全員に共有されたら、問題は解決できる。いまはもたついているゴール前でも、甘さは克服できるはずだ。
チームの全員が「オレが決める」という確信を持ち、それをプレーで表現できるように、さらなる鍛錬を期待したい。
自陣41ヤードという絶好の位置から始まった最初の攻撃シリーズがそれを端的に表していた。再現してみよう。
第1プレー、RB松岡がいきなり17ヤードを走ってダウン更新。次はQB加藤からWR萬代への14ヤードのパスが決まってまたもダウン更新。続いてRB稲村のランで9ヤード、WR松原へのパスで15ヤード。わずか4プレーで55ヤードを進め、ゴールまで4ヤードに迫った。
しかし、そこからがもどかしい。3度の攻撃でわずか2ヤードしか進めず、タッチダウンが奪えない。結局、大西が19ヤードのフィールドゴールを決めて3点を挙げたにとどまった。
神戸のオフェンスを完封して始まった次の攻撃シリーズは、自陣22ヤードから。ここは加藤からWR柴田への3本のパスとRB平田、河原のラン、加藤のスクランブルを巧妙に織り交ぜて陣地を進め、最後は平田のランでTDをもぎ取った。
やっとリズムに乗ってきたかと思ったら、次の攻撃シリーズはまたもや最初のシリーズの再現。自陣28ヤードから、まずはTE垣内への17ヤードのパス。続いて松岡のランで7ヤード、平田のランで12ヤード、RB稲村のランで11ヤード、河原のランで12ヤードと存分に走り回って相手ゴール前14ヤードまで迫った。
ところが、ここからが詰めきれない。ここもまた大西の25ヤードFGで3点を挙げたにとどまった。
このように、第3Qまでは加藤、第4Qは糟谷が率いた攻撃は、パスで227ヤード、ランで258ヤードを獲得し、数字的には文句のつけようのない攻めっぷりだった。
守備も相手のランプレーをわずか3ヤードに抑え込む堂々の戦い。前半、DB香山と善元が立て続けにインターセプトを奪い、相手の士気をくじけば、後半はDL平澤が2本、LB吉川が1本のQBサックを決めて、相手に攻撃リズムをつかませない。神大がダウンを更新したのがわずかに5回という数字を見ても、ディフェンス陣の充実ぶりがうかがえる。
ところが、問題はゴール前まで進んでからの攻め。詰めの甘さが、依然として解消されていないのである。これが直接的な原因で、関大に苦杯を喫したのに、いまだにそれが克服されていない。春のシーズンや秋のシーズン当初に比べ、数段、チーム力が上がっていることは、素人目にも明らかなのに、いま一つ物足りなさが残るのは、ここにある。
その辺は、鳥内監督も同じ認識らしい。試合後に顔を合わせると、開口一番「フィールドゴール3本というのが気に入りませんわ」「今日の試合内容なら、70点取ってもおかしくない出来だったのに。もっと練習せなあきませんな」という言葉が飛び出した。
その通りだろう。
僕のような素人が見ても、チームは確実に強くなっている。それは、この日の神戸大との戦いで明確に裏付けられた。新型インフルエンザで試合や練習から外れていた選手も回復し、戦線に復帰した。
問題は、選手一人ひとりが自分たちのやってきたことに確信が持てるかどうかである。それがないから、ゴール前の短い距離が詰めきれないのではないか。
とにかく、自分たちの力に自信を持ち、一つひとつのプレーに確信を持って取り組めるように自らを鍛えることである。
幸いなことに、この日の試合で、その萌芽が見えた気がする。この日、とびきりの活躍をした選手たちのプレーに、それは具体化されていたといってよい。
守備でも攻撃でも、このプレーは「オレが決める」という確信。それが、グラウンドに立つ選手全員に共有されたら、問題は解決できる。いまはもたついているゴール前でも、甘さは克服できるはずだ。
チームの全員が「オレが決める」という確信を持ち、それをプレーで表現できるように、さらなる鍛錬を期待したい。
posted by コラム「スタンドから」 at 21:59| Comment(5)
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2009年10月20日
(25)本当に幸せなチーム
いまさらいうのも何だけど、ファイターズというのは、本当に幸せなチームだと思う。先週、書いた僕のコラムに寄せられた数々の書き込みを読ませてもらって、心の底からそう思った。
14日にコラムがアップされてから19日までに寄せられた感想は計15本。これはホームページの管理者が承認した書き込みだけだから、実際はもっとたくさん届いているかもしれない。激励のメッセージを送りたいと思いながら、なかなか言葉にできない人もおられるかもしれない。
「勝敗は相対的なものです。実力の発揮は絶対的なものです。絶対的能力の向上が自己実現という喜びにつながると思います」と書いてくださった「東京より」さん。「まだ、わからんて」という一言に、万感の思いを込めてくださった「「KG ファン ファン」さん。
メッセージは、ホームページに毎日のように追加されている。そのメッセージを日々読ませていただき、感銘を受けると同時に、これだけ愛情あふれる熱心なファンに支えられているチームのことに思いを馳せ、涙の出る思いである。
これも伝統の力というのだろうか。このように苦しい時期に、チームのみんなを叱咤激励し、愛情あふれる言葉で包んでくださるファンの方々。このこと一つとっても、ファイターズというチームの魅力、底力が表現されている思いがする。
このコラムを書くようになって4年目。時々、自分の立っている位置が分からなくなることがある。傍観者でないことだけははっきりしているが、ファイターズに寄り添って部員を激励する立場にあるのか、外野席から応援しているファンの一人なのか。それとも、現役の新聞記者として現実を冷静に分析するのが役割なのか。時に応じて、立ち位置を使い分けてきたが、今回のような事態になれば、その曖昧さがそのまま文章に表れてしまう。感情がむき出しになってしまったのがその証拠である。物書きの端くれとしては、恥ずかしい限りだ。
けれども、というか、だからこそ、多くの方々がこのコラムに反応してくださったのかもしれない。
ファンの心情としては「まだ、わからん。勝負は下駄を履くまでわからん」と思いつつ、新聞記者としては敗戦の現実を受け止めなければならない。その狭間で書いた文章。少々感情がむき出しになったが、それを読者の方々が気持ちを込めた「書き込み」でフォローしてくださったということだろう。
ファイターズが多くの良質なファンに支えられているのと同様、このコラムも読者の方々に支えられているということが、今度ばかりは身にしみて分かった。心から「ありがとうございます」と申し上げたい。
さあ、今週末は神戸大との戦いだ。チームは新型インフルエンザの襲来で、またまた苦しい状況にあるが、そんな事態を吹き飛ばすような試合を期待したい。続く京大、立命館との対戦に向けて、弾みのつくような戦いぶりを見せてもらいたい。
合言葉は「まだ、わからんて」である。最後の最後まで、全力を尽くしましょう。「絶対的能力の向上が、自己実現という喜びにつながる」のである。
蛇足を一つ。先日の昼間、鳥内監督を訪ねてトレーニングセンターの事務所に行くと、隣で大村コーチが熱心にこれから対戦する相手チームの試合のビデオを再生し、繰り返し繰り返しチェックされていた。どんな状況に追い込まれても、勝つための手段を最後まで追求するコーチの姿に接して、どんなにか心強く感じたことだった。
14日にコラムがアップされてから19日までに寄せられた感想は計15本。これはホームページの管理者が承認した書き込みだけだから、実際はもっとたくさん届いているかもしれない。激励のメッセージを送りたいと思いながら、なかなか言葉にできない人もおられるかもしれない。
「勝敗は相対的なものです。実力の発揮は絶対的なものです。絶対的能力の向上が自己実現という喜びにつながると思います」と書いてくださった「東京より」さん。「まだ、わからんて」という一言に、万感の思いを込めてくださった「「KG ファン ファン」さん。
メッセージは、ホームページに毎日のように追加されている。そのメッセージを日々読ませていただき、感銘を受けると同時に、これだけ愛情あふれる熱心なファンに支えられているチームのことに思いを馳せ、涙の出る思いである。
これも伝統の力というのだろうか。このように苦しい時期に、チームのみんなを叱咤激励し、愛情あふれる言葉で包んでくださるファンの方々。このこと一つとっても、ファイターズというチームの魅力、底力が表現されている思いがする。
このコラムを書くようになって4年目。時々、自分の立っている位置が分からなくなることがある。傍観者でないことだけははっきりしているが、ファイターズに寄り添って部員を激励する立場にあるのか、外野席から応援しているファンの一人なのか。それとも、現役の新聞記者として現実を冷静に分析するのが役割なのか。時に応じて、立ち位置を使い分けてきたが、今回のような事態になれば、その曖昧さがそのまま文章に表れてしまう。感情がむき出しになってしまったのがその証拠である。物書きの端くれとしては、恥ずかしい限りだ。
けれども、というか、だからこそ、多くの方々がこのコラムに反応してくださったのかもしれない。
ファンの心情としては「まだ、わからん。勝負は下駄を履くまでわからん」と思いつつ、新聞記者としては敗戦の現実を受け止めなければならない。その狭間で書いた文章。少々感情がむき出しになったが、それを読者の方々が気持ちを込めた「書き込み」でフォローしてくださったということだろう。
ファイターズが多くの良質なファンに支えられているのと同様、このコラムも読者の方々に支えられているということが、今度ばかりは身にしみて分かった。心から「ありがとうございます」と申し上げたい。
さあ、今週末は神戸大との戦いだ。チームは新型インフルエンザの襲来で、またまた苦しい状況にあるが、そんな事態を吹き飛ばすような試合を期待したい。続く京大、立命館との対戦に向けて、弾みのつくような戦いぶりを見せてもらいたい。
合言葉は「まだ、わからんて」である。最後の最後まで、全力を尽くしましょう。「絶対的能力の向上が、自己実現という喜びにつながる」のである。
蛇足を一つ。先日の昼間、鳥内監督を訪ねてトレーニングセンターの事務所に行くと、隣で大村コーチが熱心にこれから対戦する相手チームの試合のビデオを再生し、繰り返し繰り返しチェックされていた。どんな状況に追い込まれても、勝つための手段を最後まで追求するコーチの姿に接して、どんなにか心強く感じたことだった。
posted by コラム「スタンドから」 at 16:24| Comment(1)
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2009年10月14日
(24)「よき敗者」の矜持
茫然自失である。何から書けばいいのか、どう書けばいいのか、パソコンを前にして手が止まってしまう。
月曜の昼は、立命−関大戦の結果を待ってコラムを書こうと準備していた。けれども大阪ドームで観戦していた鳥内監督から届いた知らせは、関大14−7立命という、ファイターズにとっては最悪の結果。このまま関大が残された下位チームとの戦いを勝ち抜けば、もう追いつくすべはない。夜になっても気持ちの整理ができないまま、コラムを書くのをあきらめた。一晩おいても、まだ立ち直れない。けれども、ここで書くことをやめたら、永久に書けそうにない。悔しいけれど、この結果を受け止め、とにかく書いてみる。
前節、関大に苦杯を喫した後は、それでも「立命が関大を破り、ファイターズが立命に勝てば、3校優勝の可能性がある。甲子園ボウル進出決定戦で勝てば、まだチャンスはある」と勝手なことを考えていた。立命を破って日本一、という目標を達成するためには、どんな状況にあっても勝ち続けるしかない。そのための戦力も徐々に整備されている。関大に敗れたという事実は消せないけれども、まだチャンスが残されている。ならば、全力を挙げて目の前の試合に勝ち、とにかく代表決定戦に進出する権利を手にするしかない。自分に甘いといわれても、そう思ってがんばり続けることが「よき敗者」の在り方だ、と自分自身を鼓舞し、選手たちにも声をかけていた。
だが、そんな勝手な思いは、関大が立命を破ったことで粉砕された。
昨日、連絡をくれた3年生の一人は「4年生のモチベーションが……」といって口をつぐんだ。鳥内監督も「甲南も同志社もいいチーム。彼らにがんばってもらうことを期待するしかない」と、言葉は少なかった。
日曜日、王子スタジアムであった甲南との試合は、現在のチームが完成に向かって着実に成長している事を見せてくれた。3節目に関大に敗れた悔しさをバネに、しっかり取り組んできた成果が随所に現れていた。とりわけ先発メンバーの充実ぶりが目立った。思わぬアクシデントで、攻守の中心メンバーを欠いたが、それでも前半は圧倒的に攻めて35点。守備も相手を完封した。
とりわけ関大戦で悔しい思いをした3年生のWR松原やTE垣内、2年生のRB松岡が素晴らしいプレーを見せた。松原が立て続けにロングパスをキャッチし、9回の捕球で164ヤードを獲得、2タッチダウンを記録すれば、松岡は95ヤードのキックオフリターンタッチダウンを含め4本のTDを決めた。
QB加藤も、小野コーチが「3年生の時の三原より高いレベルにあります」という能力を見せつけた。途中で交代したのに、パスを22回投げて19回成功、310ヤード獲得という数字がその威力を物語っている。
前半で大量リードを奪ったので、これまでほとんど試合に出ていなかったメンバーも次々投入された。2年生QB糟谷は、加藤が欠場した同志社戦で出場した経験を糧に、落ち着いてパスを投げ、走力を生かして敵陣に突っ込んだ。1年生WR小山も長身を利したしなやかな捕球を披露、3回で71ヤードを獲得して攻撃の幅を広げた。
ディフェンス陣も負けてはいなかった。DLの柱になる平澤を欠いたが、3年生の村上、2年生の長島、好川、1年生の梶原らが素早い動きで相手の動きを封じた。DB陣も善元と吉井駿哉が立て続けに相手パスを奪取、攻撃権を取り戻した。1年時にスターターを務めた吉井は長い間、故障で苦しんできたが、堂々の復活だった。
このように、日曜日の甲南戦は、攻守とも関大戦の敗戦を吹っ切ったような素晴らしいプレーが相次ぎ、チームとしての力が付いてきたことを実感させてくれた。敗戦を薬に、チームが一丸となって戦っているということを観客に見せつけた試合だった。
それから24時間後、舞台は暗転した。遠くで結果を聞いた僕でさえ、茫然自失、放心状態になっているのだから、選手たちの落胆ぶりは想像にあまりある。「4年生のモチベーションが……」といった3年生の気持ちは、痛いほど分かる。
けれども、落ち込んだままでは、何一つ生まれはしない。現実を取り消すこともリセットすることもできない。敗北を抱きしめ、そこから立ち上がるしかない。それがアメフットに対する敬意であり、戦う者の矜持(きようじ)である。
優勝の可能性はかなり少なくなったかもしれない。けれども、秋のリーグ戦はまだ3試合が残されている。その試合をすべて雄々しく戦うことが、ファイターズ魂を見せることになる。幸いこれから対戦するのは神戸大、京大、立命館という強力なチームである。彼らを相手に、存分に戦うことが使命であると心得て、全力を尽くしてもらいたい。「よき敗者」の矜持を、対戦チームにも、天下のアメフットファンにも見せてやろうではないか。
月曜の昼は、立命−関大戦の結果を待ってコラムを書こうと準備していた。けれども大阪ドームで観戦していた鳥内監督から届いた知らせは、関大14−7立命という、ファイターズにとっては最悪の結果。このまま関大が残された下位チームとの戦いを勝ち抜けば、もう追いつくすべはない。夜になっても気持ちの整理ができないまま、コラムを書くのをあきらめた。一晩おいても、まだ立ち直れない。けれども、ここで書くことをやめたら、永久に書けそうにない。悔しいけれど、この結果を受け止め、とにかく書いてみる。
前節、関大に苦杯を喫した後は、それでも「立命が関大を破り、ファイターズが立命に勝てば、3校優勝の可能性がある。甲子園ボウル進出決定戦で勝てば、まだチャンスはある」と勝手なことを考えていた。立命を破って日本一、という目標を達成するためには、どんな状況にあっても勝ち続けるしかない。そのための戦力も徐々に整備されている。関大に敗れたという事実は消せないけれども、まだチャンスが残されている。ならば、全力を挙げて目の前の試合に勝ち、とにかく代表決定戦に進出する権利を手にするしかない。自分に甘いといわれても、そう思ってがんばり続けることが「よき敗者」の在り方だ、と自分自身を鼓舞し、選手たちにも声をかけていた。
だが、そんな勝手な思いは、関大が立命を破ったことで粉砕された。
昨日、連絡をくれた3年生の一人は「4年生のモチベーションが……」といって口をつぐんだ。鳥内監督も「甲南も同志社もいいチーム。彼らにがんばってもらうことを期待するしかない」と、言葉は少なかった。
日曜日、王子スタジアムであった甲南との試合は、現在のチームが完成に向かって着実に成長している事を見せてくれた。3節目に関大に敗れた悔しさをバネに、しっかり取り組んできた成果が随所に現れていた。とりわけ先発メンバーの充実ぶりが目立った。思わぬアクシデントで、攻守の中心メンバーを欠いたが、それでも前半は圧倒的に攻めて35点。守備も相手を完封した。
とりわけ関大戦で悔しい思いをした3年生のWR松原やTE垣内、2年生のRB松岡が素晴らしいプレーを見せた。松原が立て続けにロングパスをキャッチし、9回の捕球で164ヤードを獲得、2タッチダウンを記録すれば、松岡は95ヤードのキックオフリターンタッチダウンを含め4本のTDを決めた。
QB加藤も、小野コーチが「3年生の時の三原より高いレベルにあります」という能力を見せつけた。途中で交代したのに、パスを22回投げて19回成功、310ヤード獲得という数字がその威力を物語っている。
前半で大量リードを奪ったので、これまでほとんど試合に出ていなかったメンバーも次々投入された。2年生QB糟谷は、加藤が欠場した同志社戦で出場した経験を糧に、落ち着いてパスを投げ、走力を生かして敵陣に突っ込んだ。1年生WR小山も長身を利したしなやかな捕球を披露、3回で71ヤードを獲得して攻撃の幅を広げた。
ディフェンス陣も負けてはいなかった。DLの柱になる平澤を欠いたが、3年生の村上、2年生の長島、好川、1年生の梶原らが素早い動きで相手の動きを封じた。DB陣も善元と吉井駿哉が立て続けに相手パスを奪取、攻撃権を取り戻した。1年時にスターターを務めた吉井は長い間、故障で苦しんできたが、堂々の復活だった。
このように、日曜日の甲南戦は、攻守とも関大戦の敗戦を吹っ切ったような素晴らしいプレーが相次ぎ、チームとしての力が付いてきたことを実感させてくれた。敗戦を薬に、チームが一丸となって戦っているということを観客に見せつけた試合だった。
それから24時間後、舞台は暗転した。遠くで結果を聞いた僕でさえ、茫然自失、放心状態になっているのだから、選手たちの落胆ぶりは想像にあまりある。「4年生のモチベーションが……」といった3年生の気持ちは、痛いほど分かる。
けれども、落ち込んだままでは、何一つ生まれはしない。現実を取り消すこともリセットすることもできない。敗北を抱きしめ、そこから立ち上がるしかない。それがアメフットに対する敬意であり、戦う者の矜持(きようじ)である。
優勝の可能性はかなり少なくなったかもしれない。けれども、秋のリーグ戦はまだ3試合が残されている。その試合をすべて雄々しく戦うことが、ファイターズ魂を見せることになる。幸いこれから対戦するのは神戸大、京大、立命館という強力なチームである。彼らを相手に、存分に戦うことが使命であると心得て、全力を尽くしてもらいたい。「よき敗者」の矜持を、対戦チームにも、天下のアメフットファンにも見せてやろうではないか。
posted by コラム「スタンドから」 at 14:50| Comment(15)
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2009年10月04日
(23)うれしい手紙
先日、朝日新聞社の先輩で、日本高校野球連盟の副会長をされている内海紀雄さんから、写真を同封した丁寧な手紙が届いた。私信であるし、アメフットとは直接関係のない話ではあるが、関西学院というファミリーを象徴したような内容なので紹介してみたい。次のような文面である。
冠省
甲子園選抜チームと渡米しましたが、関学の山崎裕貴選手が参加していることを知ったロスの関学同窓会が、大歓迎して声援を送りました。その写真を同封します。貴兄から学校か、同窓会事務局にお渡しいただければ幸いです。
山崎君は代走で出たり、DHでヒットを打ったり、応援団は大喜び。18人の選手中、一番のモテモテでしたよ。
往きの機内で、小生の隣席の男性がなんと関学のOB(高校−大学)でした。ロスに着いて空港で山崎君を引き合わせたところ、その人は2日間、同窓会長とともに球場へ来てくれました。(以下略)
同封された写真は2枚。1枚は校旗を背景に山崎君を囲んで集合写真、もう1枚は関西学院と書いたブルーの幟(のぼり)を立てた応援席の風景写真である。
少し話を補足すると、内海さんはこの夏、アメリカの若者と親善試合をするために渡米した高校野球日本選抜チームの団長を務められた。選抜チームは、今夏の甲子園で活躍した選手の中から18人が選出され、その一人に高等部の山崎選手が選ばれた。それを知ったロサンゼルス在住の関学の卒業生が大挙して球場につめかけ、応援席に関学の校旗とブルーの幟を立てて応援してくださった、という話である。
この話には前段がある。こんな話である。
夏の全国高校野球選手権大会を前に開かれた高野連の理事会の終了後、僕はあえて発言を求め(実は、僕は高野連の理事の末席を汚しているのです)、その日の議事とはまったく関係のないこんなお願いをした。「関西学院の高等部が今年、70年ぶりの選手権大会に出場します。うれしい話です。つきましては、高野連のみなさんにお願いがあります。校名を、間違えても『かんさい』学院とは呼ばないでください。関西学院の22万同窓生は『かんせい』という校名に特別の愛着を持っています。その名前を間違われると、放送局にも高野連にも抗議が殺到しますよ。それと『かんがく』というのも、できるだけ使わないでいただきたい。関西では何の問題もありませんが、東京では関東学院や関東学園と混同されるおそれがあります。フルネームの関西学院をよろしくお願いします」というような内容である。
そのことを覚えてくれていた副会長がわざわざ、こんな私信を寄せ、アメリカで関西学院のファミリーが温かく迎えてくれたことを伝えてくださったのである。
関西学院は、海外在住者を含め、そこに連なる多くの人たちが家族のように特別の愛着を持った共同体である。高等部が甲子園に出場したといって喜び、ラグビー部が全国大会で1勝を挙げたといって大喜びする。もちろんアメフット部が甲子園ボウルに出場し、ライスボウルに出場すれば、自分の身内が出場したように感激する。ワンダーフォーゲル部が冬山で遭難したら、わがことのように心配するし、後輩が会社訪問に来たら、喜んで応対してくれる。少なくとも、僕はそのように心掛けてきた。
先日、僕の働いている和歌山県田辺市に学内のサークル「上ケ原ハビタット」の学生たちが立ち寄った。彼らは本州の最南端、和歌山県の串本町から上ケ原まで自転車で走り、各地の高校で自分たちの活動をアピールして回っている途中だった。その日、炎天下のイベントで疲れている彼、彼女たちを慰労しようと田辺・白浜の同窓生たちが集まり、ホテルの食事をごちそうした。田辺だけではない。多分、他の宿泊地でも、同窓生らが似たような歓迎、慰労会を持ったことだろう。これもファミリーならではの活動である。
そういう多くのファミリーに見守られ、支えられて関西学院での学びがある。ファイターズの活動もその一つである。
ファイターズは先週、手痛い敗戦を喫し、つらい状況に置かれている。けれども、このような状況に追い込まれたことは初めてではない。もっと厳しい状況に追い込まれたことだって少なくない。そのたびにファイターズは自らの力で道を切り開いてきた。それを忘れないでほしい。
諸君は決して孤立してはいない。どんな状況にあっても見守り、支えてくれるファミリーがいる。このコラムへの書き込みが増え、グラウンドに顔を見せるOBが増えたこと一つとっても、それは裏付けられている。
それを力に、自らが立ち上がってほしい。一人一人がチームを奮い立たせる気概を持ってほしい。上級生、下級生は関係ない。自ら求め、自ら門を叩かなければ門は開かない。
「関西学院」の幟が立つ球場(ロス郊外のコンプトンで)

山崎選手を囲んで−南カリフォルニアの関学同窓会の皆さん(コンプトンで)
冠省
甲子園選抜チームと渡米しましたが、関学の山崎裕貴選手が参加していることを知ったロスの関学同窓会が、大歓迎して声援を送りました。その写真を同封します。貴兄から学校か、同窓会事務局にお渡しいただければ幸いです。
山崎君は代走で出たり、DHでヒットを打ったり、応援団は大喜び。18人の選手中、一番のモテモテでしたよ。
往きの機内で、小生の隣席の男性がなんと関学のOB(高校−大学)でした。ロスに着いて空港で山崎君を引き合わせたところ、その人は2日間、同窓会長とともに球場へ来てくれました。(以下略)
同封された写真は2枚。1枚は校旗を背景に山崎君を囲んで集合写真、もう1枚は関西学院と書いたブルーの幟(のぼり)を立てた応援席の風景写真である。
少し話を補足すると、内海さんはこの夏、アメリカの若者と親善試合をするために渡米した高校野球日本選抜チームの団長を務められた。選抜チームは、今夏の甲子園で活躍した選手の中から18人が選出され、その一人に高等部の山崎選手が選ばれた。それを知ったロサンゼルス在住の関学の卒業生が大挙して球場につめかけ、応援席に関学の校旗とブルーの幟を立てて応援してくださった、という話である。
この話には前段がある。こんな話である。
夏の全国高校野球選手権大会を前に開かれた高野連の理事会の終了後、僕はあえて発言を求め(実は、僕は高野連の理事の末席を汚しているのです)、その日の議事とはまったく関係のないこんなお願いをした。「関西学院の高等部が今年、70年ぶりの選手権大会に出場します。うれしい話です。つきましては、高野連のみなさんにお願いがあります。校名を、間違えても『かんさい』学院とは呼ばないでください。関西学院の22万同窓生は『かんせい』という校名に特別の愛着を持っています。その名前を間違われると、放送局にも高野連にも抗議が殺到しますよ。それと『かんがく』というのも、できるだけ使わないでいただきたい。関西では何の問題もありませんが、東京では関東学院や関東学園と混同されるおそれがあります。フルネームの関西学院をよろしくお願いします」というような内容である。
そのことを覚えてくれていた副会長がわざわざ、こんな私信を寄せ、アメリカで関西学院のファミリーが温かく迎えてくれたことを伝えてくださったのである。
関西学院は、海外在住者を含め、そこに連なる多くの人たちが家族のように特別の愛着を持った共同体である。高等部が甲子園に出場したといって喜び、ラグビー部が全国大会で1勝を挙げたといって大喜びする。もちろんアメフット部が甲子園ボウルに出場し、ライスボウルに出場すれば、自分の身内が出場したように感激する。ワンダーフォーゲル部が冬山で遭難したら、わがことのように心配するし、後輩が会社訪問に来たら、喜んで応対してくれる。少なくとも、僕はそのように心掛けてきた。
先日、僕の働いている和歌山県田辺市に学内のサークル「上ケ原ハビタット」の学生たちが立ち寄った。彼らは本州の最南端、和歌山県の串本町から上ケ原まで自転車で走り、各地の高校で自分たちの活動をアピールして回っている途中だった。その日、炎天下のイベントで疲れている彼、彼女たちを慰労しようと田辺・白浜の同窓生たちが集まり、ホテルの食事をごちそうした。田辺だけではない。多分、他の宿泊地でも、同窓生らが似たような歓迎、慰労会を持ったことだろう。これもファミリーならではの活動である。
そういう多くのファミリーに見守られ、支えられて関西学院での学びがある。ファイターズの活動もその一つである。
ファイターズは先週、手痛い敗戦を喫し、つらい状況に置かれている。けれども、このような状況に追い込まれたことは初めてではない。もっと厳しい状況に追い込まれたことだって少なくない。そのたびにファイターズは自らの力で道を切り開いてきた。それを忘れないでほしい。
諸君は決して孤立してはいない。どんな状況にあっても見守り、支えてくれるファミリーがいる。このコラムへの書き込みが増え、グラウンドに顔を見せるOBが増えたこと一つとっても、それは裏付けられている。
それを力に、自らが立ち上がってほしい。一人一人がチームを奮い立たせる気概を持ってほしい。上級生、下級生は関係ない。自ら求め、自ら門を叩かなければ門は開かない。
「関西学院」の幟が立つ球場(ロス郊外のコンプトンで)

山崎選手を囲んで−南カリフォルニアの関学同窓会の皆さん(コンプトンで)

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2009年09月28日
(22)「もう一丁、やったろかい」
負けました。秋のリーグ戦、3試合目の関大に、もろくも負けてしまいました。13−17。僅差ですが、負けは負けです。
何から書いたらいいのか分からない。どう書いたらいいのかも分からない。
このコラムがスタートして4シーズン目。関西リーグで、立命以外のチームに敗れたのは初めてである。9月のこんなに早い時期に敗れたことも、もちろんない。
最初の年、柏木主将の代は関西リーグを全勝で乗り切り、甲子園ボウルまで進んだ。次の年、岡田主将の代は三原君の大活躍で甲子園ボウルに進出し、そこで日大を倒し、ライスボウルでも松下電工相手に史上最高のパスゲームを繰り広げた。3年目、早川主将の代は、最終戦で立命館に敗れたけれど、それまでは全勝でリーグ戦を乗り切った。
なのに今年は、9月のこんなに早い時期に敗戦を振り返らなければならない。思いもよらないことだし、書く用意もない。どうしよう。
試合の前日、練習を見た帰りに、自宅まで鳥内監督の車に便乗させてもらった。別れ際、監督は「明日は楽には勝たしてくれませんよ。でも、がんばります」といわれた。関大は強い、厄介な相手だとは、監督以外のスタッフからも何度も聞かされてきた。6月に第3フィールドで行われた関々戦も、最後の攻撃シリーズを必死につなげ、最後の最後で逆転に結びつけたが、それまでは完全な負けゲーム。そのときから、この日の結果は予想されていたことだろうか。
もちろん、相手がどれほど強くても、負けることを予測して試合に臨んだ人はいないはずだ。強ければ強いほど、周到な準備をし、万全の策を持って臨んだに違いない。けれども勝てなかった。相手の方がこちらの準備を上回り、より深く戦術を研究してきたからだろう。
例えば、ファイターズの攻撃陣にあって、抜群の切れとスピードを持ったRB松岡君やQB浅海君がほとんど走らせてもらえなかったことに、それが表れている。相手ディフェンスは、二人が登場した場面に限ってはランプレー1本にしぼって、守りを固めてきた。パスを通されたら仕方がない、それよりまずは二人に走らせないことだと思い定めた守備である。
攻撃でも、ファイターズのLB陣の背後とDBの間を狙ったパスを盛んに投げ、それを再三成功させた。これもファイターズの守備陣の傾向を徹底的に分析し、それに対抗する戦術を研究してきた成果だろう。
逆にファイターズは、得点に結びつけるための最後の決め手に欠けた。相手ゴールまで20ヤードの圏内に進んだのが5回。しかし、その好機をタッチダウンで締めくくったのは1回きりである。あとはフィールドゴールが2回、ピッチの連携ミスによるファンブルで攻撃権を失ったのが1回、そして第4ダウン、残り2ヤードがとれず、攻撃権を失ったのが1回。結局、5回の好機を得ながら、得点は13点に終わった。
逆に相手の得点は67ヤードの独走TDと第3ダウン残り8ヤード、ゴールまで28ヤードという状況で投じられたロングパスによるTD、そして44ヤードのフィールドゴールである。20ヤード以内から攻撃する場面が一度もないまま、効率よく得点を重ねた。
この違いが勝敗を分けた。得点に結びつけるため、あの手この手で陣地を進めながら、結局は最後の詰めが決まらなかったファイターズと、陣地を進めることが目的ではなく得点することが目的と割り切った攻めに徹した関大と。陣地を進められるのは仕方がない、けれどもTDされるのだけは防ごうと割り切って守った相手の思い切りが、結果的にはファイターズの攻撃を食い止めた。
相手がここまで思い切った試合運びをしてきたのは、この試合が最後という、チーム全員の決意があったからではないか。リーグ戦は7試合だが、この試合に勝たないとすべてが終わるという、必死懸命の気持ちが全員に浸透していたからではないか。その決意があって初めて、自分たちの長所を生かすことだけに集中して試合に臨めたのではないかと僕は思っている。
対するファイターズは、最終戦の立命戦を意識する余り、この試合にかける思いの深さが相手チームほどではなかったのではないか。相手は強敵である。けれども、もっと強い相手が最後に控えているという気持ちがチームにあったから、この試合にかける集中力に微妙な差が生まれてきたのではないか。
悔しい敗戦である。手痛い負けである。けれども、これで今年のリーグが終わったわけではない。戦いは続く。捲土重来。まだまだ巻き返しのチャンスは残されている。立命を倒して日本1という目標に向かって、全力を尽くしてほしい。
試合が終わった後、全員が意気消沈していた。新谷主将、亀井副将をはじめ、これまで懸命に練習に取り組んできた選手ほど、悔しさが大きかったようだ。試合後、スタンドに向かって整列し、深々と頭を下げたままの姿に、それは表れていた。
けれども、チームはすべてを失ったわけではない。この悔しい気持ちが残されている限り、まだ望みはある。悔し涙をエネルギーに代え、試練に立ち向かってほしい。
「もう一丁、やったろかい」
何から書いたらいいのか分からない。どう書いたらいいのかも分からない。
このコラムがスタートして4シーズン目。関西リーグで、立命以外のチームに敗れたのは初めてである。9月のこんなに早い時期に敗れたことも、もちろんない。
最初の年、柏木主将の代は関西リーグを全勝で乗り切り、甲子園ボウルまで進んだ。次の年、岡田主将の代は三原君の大活躍で甲子園ボウルに進出し、そこで日大を倒し、ライスボウルでも松下電工相手に史上最高のパスゲームを繰り広げた。3年目、早川主将の代は、最終戦で立命館に敗れたけれど、それまでは全勝でリーグ戦を乗り切った。
なのに今年は、9月のこんなに早い時期に敗戦を振り返らなければならない。思いもよらないことだし、書く用意もない。どうしよう。
試合の前日、練習を見た帰りに、自宅まで鳥内監督の車に便乗させてもらった。別れ際、監督は「明日は楽には勝たしてくれませんよ。でも、がんばります」といわれた。関大は強い、厄介な相手だとは、監督以外のスタッフからも何度も聞かされてきた。6月に第3フィールドで行われた関々戦も、最後の攻撃シリーズを必死につなげ、最後の最後で逆転に結びつけたが、それまでは完全な負けゲーム。そのときから、この日の結果は予想されていたことだろうか。
もちろん、相手がどれほど強くても、負けることを予測して試合に臨んだ人はいないはずだ。強ければ強いほど、周到な準備をし、万全の策を持って臨んだに違いない。けれども勝てなかった。相手の方がこちらの準備を上回り、より深く戦術を研究してきたからだろう。
例えば、ファイターズの攻撃陣にあって、抜群の切れとスピードを持ったRB松岡君やQB浅海君がほとんど走らせてもらえなかったことに、それが表れている。相手ディフェンスは、二人が登場した場面に限ってはランプレー1本にしぼって、守りを固めてきた。パスを通されたら仕方がない、それよりまずは二人に走らせないことだと思い定めた守備である。
攻撃でも、ファイターズのLB陣の背後とDBの間を狙ったパスを盛んに投げ、それを再三成功させた。これもファイターズの守備陣の傾向を徹底的に分析し、それに対抗する戦術を研究してきた成果だろう。
逆にファイターズは、得点に結びつけるための最後の決め手に欠けた。相手ゴールまで20ヤードの圏内に進んだのが5回。しかし、その好機をタッチダウンで締めくくったのは1回きりである。あとはフィールドゴールが2回、ピッチの連携ミスによるファンブルで攻撃権を失ったのが1回、そして第4ダウン、残り2ヤードがとれず、攻撃権を失ったのが1回。結局、5回の好機を得ながら、得点は13点に終わった。
逆に相手の得点は67ヤードの独走TDと第3ダウン残り8ヤード、ゴールまで28ヤードという状況で投じられたロングパスによるTD、そして44ヤードのフィールドゴールである。20ヤード以内から攻撃する場面が一度もないまま、効率よく得点を重ねた。
この違いが勝敗を分けた。得点に結びつけるため、あの手この手で陣地を進めながら、結局は最後の詰めが決まらなかったファイターズと、陣地を進めることが目的ではなく得点することが目的と割り切った攻めに徹した関大と。陣地を進められるのは仕方がない、けれどもTDされるのだけは防ごうと割り切って守った相手の思い切りが、結果的にはファイターズの攻撃を食い止めた。
相手がここまで思い切った試合運びをしてきたのは、この試合が最後という、チーム全員の決意があったからではないか。リーグ戦は7試合だが、この試合に勝たないとすべてが終わるという、必死懸命の気持ちが全員に浸透していたからではないか。その決意があって初めて、自分たちの長所を生かすことだけに集中して試合に臨めたのではないかと僕は思っている。
対するファイターズは、最終戦の立命戦を意識する余り、この試合にかける思いの深さが相手チームほどではなかったのではないか。相手は強敵である。けれども、もっと強い相手が最後に控えているという気持ちがチームにあったから、この試合にかける集中力に微妙な差が生まれてきたのではないか。
悔しい敗戦である。手痛い負けである。けれども、これで今年のリーグが終わったわけではない。戦いは続く。捲土重来。まだまだ巻き返しのチャンスは残されている。立命を倒して日本1という目標に向かって、全力を尽くしてほしい。
試合が終わった後、全員が意気消沈していた。新谷主将、亀井副将をはじめ、これまで懸命に練習に取り組んできた選手ほど、悔しさが大きかったようだ。試合後、スタンドに向かって整列し、深々と頭を下げたままの姿に、それは表れていた。
けれども、チームはすべてを失ったわけではない。この悔しい気持ちが残されている限り、まだ望みはある。悔し涙をエネルギーに代え、試練に立ち向かってほしい。
「もう一丁、やったろかい」
posted by コラム「スタンドから」 at 08:36| Comment(6)
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2009年09月15日
(21)「まだまだようなりますよ」
試合が終わった直後、新聞やテレビの記者がグラウンドに降りて、監督や選手から取材をする。業界用語で「囲み」とか「ぶら下がり」とかいわれる取材である。
取材対象と1対1になって向き合うインタビューではなく、大勢が取り囲んで、次々と質問するから、話は拡散し、底は浅くなりがちだ。取材慣れしている監督やコーチは、そういう場では当たり障りのないことしか話さないことも多い。逆に、話の内容が選手やこれから対戦するチームに伝わることを計算に入れて発言する「食えないオヤジ」もいる。楽天の野村監督などはその代表だろう。
けれども、試合が終わった直後は、まだ戦いの熱気がグラウンドに残っていることもあって、注意深く聞いていれば、思わず本音が漏れることもある。そういう一言を聞きたくて、僕はいつも試合終了後、大勢の記者が鳥内監督を囲んで取材している外側から、聞き耳を立てている。
例えば、13日の同志社戦の後の「囲み」取材の最後に、監督はこんな一言をぽろっと漏らした。「まだまだようなりますよ」
多分、記者のみなさんにとっては、監督が試合を振り返って解説した言葉の方が「記事になる」内容だったと思うけれども、僕にとっては、この一言が一番値打ちがあった。
解説しよう。
この日の先発メンバーを学年別に見ると、オフェンスは4年生5人、3年生4人、2年生2人。ディフェンスは4年生4人、3年生4人、2年生2人、1年生1人。攻守とも4年生より3年生以下のメンバーの方が多いのである。
その下級生が活躍した。これまでから試合に出ている3年生は当然としても、2年生や1年生が素晴らしいセンスを披露したのである。オフェンスラインの右側を固める2年生コンビ、谷山、濱本は素晴らしいセンスを感じさせるプレーぶりだったし、交代メンバーで出場した2年生のRB松岡、QB糟谷、WR和田は先発メンバーと遜色のない動きを披露した。42ヤードの難しいフィールドゴールをあっさりと決めた大西も2年生だ。終盤に登場し、立て続けに難しいロングパスをキャッチして観客の度肝を抜いたWR小山は1年生だし、同じ1年生のTE榎、C和田も非凡な所を見せた。
ディフェンスでも下級生が活躍した。試合開始直後に相手パスをインターセプトした2年生DB香山は、今春卒業した徳井君を思わせるような突き刺すタックルも披露した。初戦から先発で出場している1年生DL梶原がはつらつと動き回れば、後半から出てきた同じ1年生DLの金本や岸も、彼に刺激されたように元気なプレーを見せてくれた。
もちろん、2年生の交代要員も負けてはいない。DLの長島や好川、DB重田らが元気なプレーを披露してくれた。
ファイターズは4年生が中心になって運営するチーム。4年生の取り組みがその年の成績を決めてきたともいわれている。その通りである。
けれども、チームは4年生だけでは成り立たない。3年生、2年生の力強い突き上げと協力があって、ようやく動き始めるのである。「2年生が活躍するチームは強い」という言葉も、昔からある。
今年のチームは、交代要員も含めて学年間のバランスがよくなった。3年生以下の4人が最前列を守り、その後ろに経験豊富な4年生3人がLBとして立ちはだかるディフェンスはその典型である。ここに名前を挙げなかった選手も含め、将来が期待される多くの1年生がこれにからんで、攻守ともチーム内の競争が激化している。
鳥内監督が「まだまだようなりますよ」と漏らしたのは、そういうチーム事情を背景にしている。下級生が突き上げてチーム内の競争が激化し、それがチーム力を向上させているという手応えを感じたからこそ、監督の口から思わず「ようなりますよ」という本音が漏れたのである。
この信頼を裏切ってはならない。
次週の関大をはじめ、これから厳しい相手が次々と立ちはだかってくる。「立命に勝って日本1」という目標を達成するためには、一瞬の遅滞も許されない。厳しい相手との対戦を肥やしにして自らの技量を磨き、チームとしての力を向上させることだ。一層の奮励努力を求めたい。
取材対象と1対1になって向き合うインタビューではなく、大勢が取り囲んで、次々と質問するから、話は拡散し、底は浅くなりがちだ。取材慣れしている監督やコーチは、そういう場では当たり障りのないことしか話さないことも多い。逆に、話の内容が選手やこれから対戦するチームに伝わることを計算に入れて発言する「食えないオヤジ」もいる。楽天の野村監督などはその代表だろう。
けれども、試合が終わった直後は、まだ戦いの熱気がグラウンドに残っていることもあって、注意深く聞いていれば、思わず本音が漏れることもある。そういう一言を聞きたくて、僕はいつも試合終了後、大勢の記者が鳥内監督を囲んで取材している外側から、聞き耳を立てている。
例えば、13日の同志社戦の後の「囲み」取材の最後に、監督はこんな一言をぽろっと漏らした。「まだまだようなりますよ」
多分、記者のみなさんにとっては、監督が試合を振り返って解説した言葉の方が「記事になる」内容だったと思うけれども、僕にとっては、この一言が一番値打ちがあった。
解説しよう。
この日の先発メンバーを学年別に見ると、オフェンスは4年生5人、3年生4人、2年生2人。ディフェンスは4年生4人、3年生4人、2年生2人、1年生1人。攻守とも4年生より3年生以下のメンバーの方が多いのである。
その下級生が活躍した。これまでから試合に出ている3年生は当然としても、2年生や1年生が素晴らしいセンスを披露したのである。オフェンスラインの右側を固める2年生コンビ、谷山、濱本は素晴らしいセンスを感じさせるプレーぶりだったし、交代メンバーで出場した2年生のRB松岡、QB糟谷、WR和田は先発メンバーと遜色のない動きを披露した。42ヤードの難しいフィールドゴールをあっさりと決めた大西も2年生だ。終盤に登場し、立て続けに難しいロングパスをキャッチして観客の度肝を抜いたWR小山は1年生だし、同じ1年生のTE榎、C和田も非凡な所を見せた。
ディフェンスでも下級生が活躍した。試合開始直後に相手パスをインターセプトした2年生DB香山は、今春卒業した徳井君を思わせるような突き刺すタックルも披露した。初戦から先発で出場している1年生DL梶原がはつらつと動き回れば、後半から出てきた同じ1年生DLの金本や岸も、彼に刺激されたように元気なプレーを見せてくれた。
もちろん、2年生の交代要員も負けてはいない。DLの長島や好川、DB重田らが元気なプレーを披露してくれた。
ファイターズは4年生が中心になって運営するチーム。4年生の取り組みがその年の成績を決めてきたともいわれている。その通りである。
けれども、チームは4年生だけでは成り立たない。3年生、2年生の力強い突き上げと協力があって、ようやく動き始めるのである。「2年生が活躍するチームは強い」という言葉も、昔からある。
今年のチームは、交代要員も含めて学年間のバランスがよくなった。3年生以下の4人が最前列を守り、その後ろに経験豊富な4年生3人がLBとして立ちはだかるディフェンスはその典型である。ここに名前を挙げなかった選手も含め、将来が期待される多くの1年生がこれにからんで、攻守ともチーム内の競争が激化している。
鳥内監督が「まだまだようなりますよ」と漏らしたのは、そういうチーム事情を背景にしている。下級生が突き上げてチーム内の競争が激化し、それがチーム力を向上させているという手応えを感じたからこそ、監督の口から思わず「ようなりますよ」という本音が漏れたのである。
この信頼を裏切ってはならない。
次週の関大をはじめ、これから厳しい相手が次々と立ちはだかってくる。「立命に勝って日本1」という目標を達成するためには、一瞬の遅滞も許されない。厳しい相手との対戦を肥やしにして自らの技量を磨き、チームとしての力を向上させることだ。一層の奮励努力を求めたい。
posted by コラム「スタンドから」 at 12:30| Comment(2)
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2009年09月09日
(20)ファイターズの財産
この季節、ファイターズの練習は夕方から始まる。熱中症など炎天下の練習に伴うリスクを避けるためである。夕方からなら、大学の幹部職員として働いているコーチたちが練習に出やすくなるという利点もある。
しかし、残暑は厳しい。夕方の4時、5時といっても、まだまだ太陽が照りつけている。先週末に2日間、練習を見に上ケ原の第3フィールドに出掛けたが、日陰を探すのに大わらわ。結局は2日とも、例の「平郡君のヤマモモ」の下で、冷たいペットボトル片手の見学となった。
ところが、その炎天下に、平然とグラウンドに降りていく「ご老体」が二人もおられた。ご老体なんて呼べば、叱られるかもしれないが、ともに70歳を過ぎておられるから、まあよろしかろう。武田建先生と前島宗甫先生である。
少々、頭頂部は寂しくなられたが、心は万年ヘッドコーチの武田先生は、フレッシュマンのパス練習を見守り、もっぱら選手を褒めることに徹しておられる。選手が好プレーをするたびに、即座に「ナイスキャッチ」と声をかけ、手を叩く。
前島先生は故障から回復途上の選手たちをめざとく見つけて声をかけ、回復具合を聞いたり、「あせるなよ」と慰めたりされている。いまは引退されているが、元々は関西学院の宗教総主事。試合前には必ず選手たちを集めてお祈りをし、士気を鼓舞したり、平常心を保つようにし向けたりされている。そんな慈父のような先生から声をかけられると、苦しい練習をしている選手たちの表情が一瞬、ゆるんで見える。砂漠にオアシス、干天に慈雨。見ている方もホッとする光景である。
お二人が醸し出される、そういう光景を見るたびに、僕はファイターズの伝統を感じる。これがファイターズの財産だ、アドバンテージだと実感する。
ファイターズを支えている存在といえば、真っ先に思い浮かぶのは、マネジャーであり、トレーナーであり、アナライジングスタッフである。5年生コーチやサンデーコーチの役割も重要だし、裏方を裏から支えるディレクター補佐の存在も、他のチームに傑出して優れている。
けれどもそれは、チームを内部から支える人たちである。他のチームにも大なり小なりそういう役割を果たす人たちはいる。
しかし、武田先生や前島先生のような役割を果たしている人は、そうそうどのチームにも存在するものではない。
考えても見よう。しっかりしているように見えても、大学生はまだまだ発展途上。アメフットの技量に秀でているだけでは、よき社会人とはいえない。試合に出る体力を養い、相手を倒す技を身につけ、試合に勝ったとしても、それで人格が陶冶されたことにはなるまい。次々と明るみに出る大学体育会を舞台にした不祥事がそれを物語っている。
200人を超す所帯の中で多様な経験をし、困難を乗り越え、多方面から与えられた教育の機会を自分の血とし、肉として初めて人は成長する。鳥内監督のいわれる「一人前の男になる」とはそういうことである。
大学のスポーツに期待される役割、存在意義に思いを馳せたとき、武田先生や前島先生を有していることの素晴らしさが実感できる。これもまたファイターズをファイターズたらしめている伝統であり、財産であろう。
けれども、そういう恵まれた環境を生かすも殺すも、部員次第。まずは、自ら覚醒し、日々、支えてくださる方々の心情に思いを馳せて鍛錬することだ。何事にも向上心を持って取り組めば、必ず人は成長する。「一人前の男」「よき社会人」への道は、洋々と開けている。
しかし、残暑は厳しい。夕方の4時、5時といっても、まだまだ太陽が照りつけている。先週末に2日間、練習を見に上ケ原の第3フィールドに出掛けたが、日陰を探すのに大わらわ。結局は2日とも、例の「平郡君のヤマモモ」の下で、冷たいペットボトル片手の見学となった。
ところが、その炎天下に、平然とグラウンドに降りていく「ご老体」が二人もおられた。ご老体なんて呼べば、叱られるかもしれないが、ともに70歳を過ぎておられるから、まあよろしかろう。武田建先生と前島宗甫先生である。
少々、頭頂部は寂しくなられたが、心は万年ヘッドコーチの武田先生は、フレッシュマンのパス練習を見守り、もっぱら選手を褒めることに徹しておられる。選手が好プレーをするたびに、即座に「ナイスキャッチ」と声をかけ、手を叩く。
前島先生は故障から回復途上の選手たちをめざとく見つけて声をかけ、回復具合を聞いたり、「あせるなよ」と慰めたりされている。いまは引退されているが、元々は関西学院の宗教総主事。試合前には必ず選手たちを集めてお祈りをし、士気を鼓舞したり、平常心を保つようにし向けたりされている。そんな慈父のような先生から声をかけられると、苦しい練習をしている選手たちの表情が一瞬、ゆるんで見える。砂漠にオアシス、干天に慈雨。見ている方もホッとする光景である。
お二人が醸し出される、そういう光景を見るたびに、僕はファイターズの伝統を感じる。これがファイターズの財産だ、アドバンテージだと実感する。
ファイターズを支えている存在といえば、真っ先に思い浮かぶのは、マネジャーであり、トレーナーであり、アナライジングスタッフである。5年生コーチやサンデーコーチの役割も重要だし、裏方を裏から支えるディレクター補佐の存在も、他のチームに傑出して優れている。
けれどもそれは、チームを内部から支える人たちである。他のチームにも大なり小なりそういう役割を果たす人たちはいる。
しかし、武田先生や前島先生のような役割を果たしている人は、そうそうどのチームにも存在するものではない。
考えても見よう。しっかりしているように見えても、大学生はまだまだ発展途上。アメフットの技量に秀でているだけでは、よき社会人とはいえない。試合に出る体力を養い、相手を倒す技を身につけ、試合に勝ったとしても、それで人格が陶冶されたことにはなるまい。次々と明るみに出る大学体育会を舞台にした不祥事がそれを物語っている。
200人を超す所帯の中で多様な経験をし、困難を乗り越え、多方面から与えられた教育の機会を自分の血とし、肉として初めて人は成長する。鳥内監督のいわれる「一人前の男になる」とはそういうことである。
大学のスポーツに期待される役割、存在意義に思いを馳せたとき、武田先生や前島先生を有していることの素晴らしさが実感できる。これもまたファイターズをファイターズたらしめている伝統であり、財産であろう。
けれども、そういう恵まれた環境を生かすも殺すも、部員次第。まずは、自ら覚醒し、日々、支えてくださる方々の心情に思いを馳せて鍛錬することだ。何事にも向上心を持って取り組めば、必ず人は成長する。「一人前の男」「よき社会人」への道は、洋々と開けている。
posted by コラム「スタンドから」 at 21:50| Comment(0)
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2009年08月31日
(19)ありがたい「試合速報」
総選挙で民主党が大勝、308議席を確保して、政権を奪取した。自民党は惨敗、119議席しかとれず、公明党も小選挙区で全敗した。前回の総選挙で圧勝し、この4年間、日本の政治をほしいままにしてきた自民、公明の与党体制の崩壊である。
朝日新聞政治エディター、根本精樹氏(というより政治部長の根本君といった方が僕にはなじみがある。彼は大阪社会部時代の後輩であり、論説委員時代の同僚である)の筆法を借りれば、それは1955年の結党以来続いてきた自民党の「第1党」体制の終焉であり、明治憲法が制定された1889年から数えて120年、この国の憲政史上で初めて「有権者の手で首相を交代させ、その後継を自分たちでやってのけた」経験である。
そんな歴史年表に残る一大事が、まさに進行している当日、ファイターズの今季第一戦が王子スタジアムで幕を開けた。
僕は残念ながら、その試合を現場で観戦できなかった。新聞社の編集責任者として、選挙報道を指揮しなければならなかったからである。日ごろは「ファイターズ命」の気ままな生活を送っていても、ときには「我に返って」仕事に励まなければならない。それが勤め人の現実である。
思えば、ファイターズの公式戦を丸ごと観戦できないなんて、この20年近くはなかったことだ。毎年、ファイターズの日程を最優先させて仕事のスケジュールを組み、プライベートの行事もそれに合わせてきた。実家の法事を早々に切り上げて西宮スタジアムに駆けつけたのは93年の京大戦、豪雨だった。結婚式用の黒服で観戦したこともあるし、大学の特別授業の開講時間を2時間ばかり繰り上げてもらって、ユニバースタジアムの京大戦に間に合わせたこともある。
それでも、総選挙には勝てなかった。「ファイターズの初戦に投票日をぶつけてくるなんて、麻生内閣も状況が読めない。きっと大敗するぞ」と毒づいてみたが、さすがにどうしようもない。
仕方なく職場に出掛け、代わりにインターネットで配信されるOB会の公式ホームページの試合速報にかじりついていた。
これがすごい。文字通りの速報である。試合が動くたびに、その状況がアップされる。現実の試合とのタイムラグは2分から5分。インターネットの画面を眺めているだけで、刻々と試合の状況が伝わってくる。競技場の歓声までが聞こえてくるような気もする。
実は試合前、いつも一緒に観戦する友人に、節目ごとにメールで速報をよろしくと依頼していたのだが、それよりも早かった。短い文章で、状況報告も的確だ。
これまでは、当然のように競技場に行くことができたから、インターネットによる試合速報の値打ちも役割も実感することがなかったけれど、今度ばかりは驚いた。
考えてみれば、居住地や体調など、さまざまな事情で競技場で観戦したくてもできないファイターズファンやOBは少なくない。王子スタジアムに集まることができるというのは、それだけでも果報者である。
現場に行けなくても、なんとかファイターズの情報がほしい、と願う人たちにとって、このOB会のホームページほど頼りになるモノはないだろう。この速報を担当されている方々に、心からの敬意と謝意を表したい。
同時に、同じようにファイターズの公式ホームページを通じて、世界にファイターズを巡るコラムを配信している僕の役割の重さをあらためて思い知った。
これまで以上に、インターネットの向こうにおられる読者の方々を意識して、このコラムを書いていきたいと思ったことだった。
朝日新聞政治エディター、根本精樹氏(というより政治部長の根本君といった方が僕にはなじみがある。彼は大阪社会部時代の後輩であり、論説委員時代の同僚である)の筆法を借りれば、それは1955年の結党以来続いてきた自民党の「第1党」体制の終焉であり、明治憲法が制定された1889年から数えて120年、この国の憲政史上で初めて「有権者の手で首相を交代させ、その後継を自分たちでやってのけた」経験である。
そんな歴史年表に残る一大事が、まさに進行している当日、ファイターズの今季第一戦が王子スタジアムで幕を開けた。
僕は残念ながら、その試合を現場で観戦できなかった。新聞社の編集責任者として、選挙報道を指揮しなければならなかったからである。日ごろは「ファイターズ命」の気ままな生活を送っていても、ときには「我に返って」仕事に励まなければならない。それが勤め人の現実である。
思えば、ファイターズの公式戦を丸ごと観戦できないなんて、この20年近くはなかったことだ。毎年、ファイターズの日程を最優先させて仕事のスケジュールを組み、プライベートの行事もそれに合わせてきた。実家の法事を早々に切り上げて西宮スタジアムに駆けつけたのは93年の京大戦、豪雨だった。結婚式用の黒服で観戦したこともあるし、大学の特別授業の開講時間を2時間ばかり繰り上げてもらって、ユニバースタジアムの京大戦に間に合わせたこともある。
それでも、総選挙には勝てなかった。「ファイターズの初戦に投票日をぶつけてくるなんて、麻生内閣も状況が読めない。きっと大敗するぞ」と毒づいてみたが、さすがにどうしようもない。
仕方なく職場に出掛け、代わりにインターネットで配信されるOB会の公式ホームページの試合速報にかじりついていた。
これがすごい。文字通りの速報である。試合が動くたびに、その状況がアップされる。現実の試合とのタイムラグは2分から5分。インターネットの画面を眺めているだけで、刻々と試合の状況が伝わってくる。競技場の歓声までが聞こえてくるような気もする。
実は試合前、いつも一緒に観戦する友人に、節目ごとにメールで速報をよろしくと依頼していたのだが、それよりも早かった。短い文章で、状況報告も的確だ。
これまでは、当然のように競技場に行くことができたから、インターネットによる試合速報の値打ちも役割も実感することがなかったけれど、今度ばかりは驚いた。
考えてみれば、居住地や体調など、さまざまな事情で競技場で観戦したくてもできないファイターズファンやOBは少なくない。王子スタジアムに集まることができるというのは、それだけでも果報者である。
現場に行けなくても、なんとかファイターズの情報がほしい、と願う人たちにとって、このOB会のホームページほど頼りになるモノはないだろう。この速報を担当されている方々に、心からの敬意と謝意を表したい。
同時に、同じようにファイターズの公式ホームページを通じて、世界にファイターズを巡るコラムを配信している僕の役割の重さをあらためて思い知った。
これまで以上に、インターネットの向こうにおられる読者の方々を意識して、このコラムを書いていきたいと思ったことだった。
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2009年08月24日
(18)「文武両道」の話
金曜日の夕方、高校生との小論文の勉強会が始まる前に、上ケ原のグラウンドに練習を見学に出掛けた。
10日から15日までの東鉢伏山での合宿に続く、上ケ原での2次合宿。その最終日とあって、なかなか気合の入った練習が続いていた。特定のパートを集中して見ている訳ではないし、なにより素人の僕がボヤーと見ているだけだから、その詳細については適切に報告する能力はない。ただ、全体の雰囲気を感じ取るだけだ。
例えば、春のシーズン中の練習、夏休みになって再開されてからの練習、鉢伏の合宿中の雰囲気、そしていま現在の雰囲気。あるいは4年生を中心とした個々の選手の動き、マネジャーやトレーナー、アナライジングスタッフの行動、コーチの声の調子。それらのことを、練習をかいま見る中で感じ取り、そこからなにがしかの感想を持つだけである。
その感想を一言で表現すれば「気合が入ってきた」。選手の表情は精悍(せいかん)さを加えているし、一つひとつの動きのスピードも上がってきた。なにより、選手の集散が激しいから、グラウンドが狭く見える。
こうなってくると、毎年の事だが、シーズンの開幕が近付いてきたことを実感する。そう思って見れば、今季に備えた新しいプレーもいくつか確認されていたようだ。
そうこうするうちに、アシスタントディレクターの宮本氏が現れた。手には、刷り上がったばかりの今季のイヤーブックを何冊か持っている。
早速、1冊頂戴し、読ませてもらう。
いつもながら、盛りだくさんの内容だ。恒例の選手紹介から、過去の戦績、相手チームの分析、今季にかける4年生の意気込みなどが丁寧に紹介されている。高等部、中学部、啓明学院の高校、中学、そして女子タッチフットボール部まで、選手名鑑だけでも大変な分量だ。
今年はこれを、竹田ゆいマネジャーが中心になって制作したそうだ。広告集めから取材、写真の手配、記事の編集、校正と続く作業の大変さは、僕も新聞づくりの現場にいるだけによく分かる。これだけの水準のイヤーブックを毎年、シーズン開幕という締め切りに遅れることなく、かつ誤りなく発行できるというだけでも、ファイターズというチームの底力が想像できる。
このイヤーブックには毎年、趣向を変えて掲載してくれる特集がある。今年のそれは「審判特集」と「スペシャルインタビュー」。インタビューは、6月下旬に来日された南メソジスト大学のダン・モリソンコーチと大村和輝コーチによる「関学の可能性」をテーマにした対談である。
いつものことながら読み応えがある。その内容も面白かったが、それ以上に、英語で行われたこの対談を翻訳したのがファイターズの現役選手だということに驚かされた。
大村コーチに聞くと、翻訳の作業は2年生のDL畑田峻輔君と4年生のOL藤本翔平君が担当。畑田君が直訳した文章を、藤本君が日本語として仕上げたそうだ。
英語が苦手で、生涯苦しめられた僕にとっては、アメリカの人の英語を聞き取り、それをさらさらと翻訳できるなんて、想像を絶する世界。もちろん、いまの関西学院は、国際化をうたい、英語教育のレベルも上がっているそうだから、現役の学生諸君にとっては「できて当然」のことかもしれない。けれども、毎日、練習に明け暮れ、勉強の時間も確保するのが難しいアメフット部員が、こういう作業をこともなげにやってしまうというのは、僕にとっては驚きだった。
「文武両道」と、口でいうのはたやすい。けれども、それを実行するのは難しい。学内の試験で単位を取得するのに苦労している選手が少なくないという話を聞くにつけ、文武両道を鮮やかに成し遂げている選手の話を聞くだけでもうれしい。
関学には「MDS(複数分野専攻制)」といって、所属する学部のカリキュラムに加えて、他の学部等から提供されたプログラムを体系的に履修することによって学部の枠を超えた領域を学ぶことができる制度があり、優秀な学生がそれに挑んでいる。聞けば、藤本君はそれにも挑戦、優秀な成績を収めているそうだ。
鉢伏の合宿で、ぶっ倒れそうになりながら、根性練習に取り組んでいた彼の姿と「MDS」に挑む彼の姿が二重写しになって、僕はいま、ファイターズというチームに対する敬意をさらに深めたところである。
10日から15日までの東鉢伏山での合宿に続く、上ケ原での2次合宿。その最終日とあって、なかなか気合の入った練習が続いていた。特定のパートを集中して見ている訳ではないし、なにより素人の僕がボヤーと見ているだけだから、その詳細については適切に報告する能力はない。ただ、全体の雰囲気を感じ取るだけだ。
例えば、春のシーズン中の練習、夏休みになって再開されてからの練習、鉢伏の合宿中の雰囲気、そしていま現在の雰囲気。あるいは4年生を中心とした個々の選手の動き、マネジャーやトレーナー、アナライジングスタッフの行動、コーチの声の調子。それらのことを、練習をかいま見る中で感じ取り、そこからなにがしかの感想を持つだけである。
その感想を一言で表現すれば「気合が入ってきた」。選手の表情は精悍(せいかん)さを加えているし、一つひとつの動きのスピードも上がってきた。なにより、選手の集散が激しいから、グラウンドが狭く見える。
こうなってくると、毎年の事だが、シーズンの開幕が近付いてきたことを実感する。そう思って見れば、今季に備えた新しいプレーもいくつか確認されていたようだ。
そうこうするうちに、アシスタントディレクターの宮本氏が現れた。手には、刷り上がったばかりの今季のイヤーブックを何冊か持っている。
早速、1冊頂戴し、読ませてもらう。
いつもながら、盛りだくさんの内容だ。恒例の選手紹介から、過去の戦績、相手チームの分析、今季にかける4年生の意気込みなどが丁寧に紹介されている。高等部、中学部、啓明学院の高校、中学、そして女子タッチフットボール部まで、選手名鑑だけでも大変な分量だ。
今年はこれを、竹田ゆいマネジャーが中心になって制作したそうだ。広告集めから取材、写真の手配、記事の編集、校正と続く作業の大変さは、僕も新聞づくりの現場にいるだけによく分かる。これだけの水準のイヤーブックを毎年、シーズン開幕という締め切りに遅れることなく、かつ誤りなく発行できるというだけでも、ファイターズというチームの底力が想像できる。
このイヤーブックには毎年、趣向を変えて掲載してくれる特集がある。今年のそれは「審判特集」と「スペシャルインタビュー」。インタビューは、6月下旬に来日された南メソジスト大学のダン・モリソンコーチと大村和輝コーチによる「関学の可能性」をテーマにした対談である。
いつものことながら読み応えがある。その内容も面白かったが、それ以上に、英語で行われたこの対談を翻訳したのがファイターズの現役選手だということに驚かされた。
大村コーチに聞くと、翻訳の作業は2年生のDL畑田峻輔君と4年生のOL藤本翔平君が担当。畑田君が直訳した文章を、藤本君が日本語として仕上げたそうだ。
英語が苦手で、生涯苦しめられた僕にとっては、アメリカの人の英語を聞き取り、それをさらさらと翻訳できるなんて、想像を絶する世界。もちろん、いまの関西学院は、国際化をうたい、英語教育のレベルも上がっているそうだから、現役の学生諸君にとっては「できて当然」のことかもしれない。けれども、毎日、練習に明け暮れ、勉強の時間も確保するのが難しいアメフット部員が、こういう作業をこともなげにやってしまうというのは、僕にとっては驚きだった。
「文武両道」と、口でいうのはたやすい。けれども、それを実行するのは難しい。学内の試験で単位を取得するのに苦労している選手が少なくないという話を聞くにつけ、文武両道を鮮やかに成し遂げている選手の話を聞くだけでもうれしい。
関学には「MDS(複数分野専攻制)」といって、所属する学部のカリキュラムに加えて、他の学部等から提供されたプログラムを体系的に履修することによって学部の枠を超えた領域を学ぶことができる制度があり、優秀な学生がそれに挑んでいる。聞けば、藤本君はそれにも挑戦、優秀な成績を収めているそうだ。
鉢伏の合宿で、ぶっ倒れそうになりながら、根性練習に取り組んでいた彼の姿と「MDS」に挑む彼の姿が二重写しになって、僕はいま、ファイターズというチームに対する敬意をさらに深めたところである。
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2009年08月17日
(17)甲子園と「空の翼」
高等部が第91回全国高校野球選手権大会に出場、大いに気を吐いている。激戦の兵庫大会では、報徳学園、神戸弘陵、滝川二などの強豪を次々に撃破、決勝では育英を破った。堂々の進撃である。夏の甲子園大会に出場するのは、関西学院中学校と呼ばれていた1939年以来、70年ぶりである。
勇躍乗り込んだ甲子園では、雨で2日も日程が延び、やきもきさせられた。
でも8月12日、山形代表の酒田南高校を相手に7−3で勝ち、堂々と初戦を飾った。その試合の模様をテレビ中継で見ながら、いくつか思うことがあった。アメフットと直接関係のない話のようにも思うが、書いてみたい。
一つは、これまでに夏の甲子園で聞いたどの高校の校歌よりも、「空の翼」が甲子園に似合うということである。北原白秋作詞、山田耕筰作曲というネームバリューだけではない。日ごろから聞いたり歌ったりしてなじみがあるというだけでもない。甲子園の広いスタンドと緑の芝生、浜風と青空に、あの軽快なメロディーと「風に思う空の翼、輝く自由」という歌詞が見事に調和していることを発見し、一人で興奮している。
もちろん、甲子園で「空の翼」を聞くのは初めてではない。ファイターズが甲子園ボウルに出場するたびに聞いている。一緒に歌ったことも数え切れない。けれども、その舞台は冬枯れの芝生であり、六甲おろしの冷たい風の吹くスタンドである。青空と緑の芝生の上をさわやかに浜風が舞う季節ではない。
高等部の諸君が初戦に勝って、誇り高く「空の翼」を歌っているのを聞きながら、あの躍動感のあるメロデーと、大空に夢と希望が羽ばたいていくような歌詞は、ここで歌われるためにこそ作られたのではないか、という錯覚にとらわれた。
そして、今度はファイターズの諸君に「空の翼」を誇り高く歌ってもらいたい、冬の甲子園にも「空の翼」は似合うんだということを確認させていただきたいと思ったのである。
もう一つは、戦う相手に敬意を払うということの大切さを確認したことである。
こんな場面があった。2−2の同点で迎えた6回表、関西学院は2死3塁と攻め付けた。打線は下位にまわるとはいえ、願ってもないチャンス。相手にとっては、一つのミスが得点に結びつくピンチである。この場面で、相手投手は関学の7番打者に死球を与えた。2死1、3塁。ピンチが広がる。
ここで相手投手は、死球を与えた打者に頭を下げるとか、申し訳ないというようなそぶりをしないまま、味方の内野陣を振り返り「死球を与えたことは気にしていない」というようなジェスチャーをし、指を2本出して「ツーアウトだから、大丈夫。締めていこう」というようなしぐさをした。
死球というアクシデントはあったが気にするな、締まっていこうということを味方に伝えたいという気持ちは、よく分かる。自身がエースで4番打者という立場にあるだけに、味方の前で動揺したそぶりを見せられない、ボクは大丈夫というメッセージを伝えたかった気持ちもよく分かる。
でもその前に、痛い目に遭わせた相手に対して帽子をとって一礼するぐらいの行為はあってしかるべきではないか。それが同じ舞台で戦っている相手に対する最低限の礼儀であると僕は思っている。
それをせず、味方を鼓舞しようというしぐさを優先させた行為に対して、僕はすごく寂しい気持ちになった。「死球を与えたときには、まず相手に謝りなさい。それがスポーツマンとしての礼儀です」ということを、彼は十分に学ばないままに甲子園に出場してしまったのではないかと感じたからである。
勝負は勝たなければ意味はないといわれる。けれどもそれは、どんな手段を使ってでも勝てばいいということではあるまい。同じ戦場を共有する相手に対する敬意を胸に秘め、堂々と戦うこと、雌雄を決すること。その気持ちが底流にあって初めて、作戦とか戦術とかが意味を持つのであって、相手に対する敬意を欠いたまま、いくら全力を尽くしてもそれは空回りになるだけだろう。
彼を責めているのではない。そうではなくて、あの場面がスポーツの意味を考えるうえで、大切なことを物語っていると思ったから、あえて取り上げた次第ある。
大切なこと。それは同じ舞台に立つ相手に対し、心の底からの敬意を払うことである。強いとか弱いとかは関係ない。戦う相手に敬意を持った上で、互いに全力を尽くし、激しく戦うこと。それこそがスポーツの醍醐味であり、原点である。対戦相手がいなくては、だれも勝者になれないということを考えただけでも、この意味は分かるはずだ。
勇躍乗り込んだ甲子園では、雨で2日も日程が延び、やきもきさせられた。
でも8月12日、山形代表の酒田南高校を相手に7−3で勝ち、堂々と初戦を飾った。その試合の模様をテレビ中継で見ながら、いくつか思うことがあった。アメフットと直接関係のない話のようにも思うが、書いてみたい。
一つは、これまでに夏の甲子園で聞いたどの高校の校歌よりも、「空の翼」が甲子園に似合うということである。北原白秋作詞、山田耕筰作曲というネームバリューだけではない。日ごろから聞いたり歌ったりしてなじみがあるというだけでもない。甲子園の広いスタンドと緑の芝生、浜風と青空に、あの軽快なメロディーと「風に思う空の翼、輝く自由」という歌詞が見事に調和していることを発見し、一人で興奮している。
もちろん、甲子園で「空の翼」を聞くのは初めてではない。ファイターズが甲子園ボウルに出場するたびに聞いている。一緒に歌ったことも数え切れない。けれども、その舞台は冬枯れの芝生であり、六甲おろしの冷たい風の吹くスタンドである。青空と緑の芝生の上をさわやかに浜風が舞う季節ではない。
高等部の諸君が初戦に勝って、誇り高く「空の翼」を歌っているのを聞きながら、あの躍動感のあるメロデーと、大空に夢と希望が羽ばたいていくような歌詞は、ここで歌われるためにこそ作られたのではないか、という錯覚にとらわれた。
そして、今度はファイターズの諸君に「空の翼」を誇り高く歌ってもらいたい、冬の甲子園にも「空の翼」は似合うんだということを確認させていただきたいと思ったのである。
もう一つは、戦う相手に敬意を払うということの大切さを確認したことである。
こんな場面があった。2−2の同点で迎えた6回表、関西学院は2死3塁と攻め付けた。打線は下位にまわるとはいえ、願ってもないチャンス。相手にとっては、一つのミスが得点に結びつくピンチである。この場面で、相手投手は関学の7番打者に死球を与えた。2死1、3塁。ピンチが広がる。
ここで相手投手は、死球を与えた打者に頭を下げるとか、申し訳ないというようなそぶりをしないまま、味方の内野陣を振り返り「死球を与えたことは気にしていない」というようなジェスチャーをし、指を2本出して「ツーアウトだから、大丈夫。締めていこう」というようなしぐさをした。
死球というアクシデントはあったが気にするな、締まっていこうということを味方に伝えたいという気持ちは、よく分かる。自身がエースで4番打者という立場にあるだけに、味方の前で動揺したそぶりを見せられない、ボクは大丈夫というメッセージを伝えたかった気持ちもよく分かる。
でもその前に、痛い目に遭わせた相手に対して帽子をとって一礼するぐらいの行為はあってしかるべきではないか。それが同じ舞台で戦っている相手に対する最低限の礼儀であると僕は思っている。
それをせず、味方を鼓舞しようというしぐさを優先させた行為に対して、僕はすごく寂しい気持ちになった。「死球を与えたときには、まず相手に謝りなさい。それがスポーツマンとしての礼儀です」ということを、彼は十分に学ばないままに甲子園に出場してしまったのではないかと感じたからである。
勝負は勝たなければ意味はないといわれる。けれどもそれは、どんな手段を使ってでも勝てばいいということではあるまい。同じ戦場を共有する相手に対する敬意を胸に秘め、堂々と戦うこと、雌雄を決すること。その気持ちが底流にあって初めて、作戦とか戦術とかが意味を持つのであって、相手に対する敬意を欠いたまま、いくら全力を尽くしてもそれは空回りになるだけだろう。
彼を責めているのではない。そうではなくて、あの場面がスポーツの意味を考えるうえで、大切なことを物語っていると思ったから、あえて取り上げた次第ある。
大切なこと。それは同じ舞台に立つ相手に対し、心の底からの敬意を払うことである。強いとか弱いとかは関係ない。戦う相手に敬意を持った上で、互いに全力を尽くし、激しく戦うこと。それこそがスポーツの醍醐味であり、原点である。対戦相手がいなくては、だれも勝者になれないということを考えただけでも、この意味は分かるはずだ。
posted by コラム「スタンドから」 at 20:35| Comment(2)
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2009年08月05日
(16)「死中活あり」
8月1日午後4時半。上ケ原の第3フィールド。待ちに待った夏の練習がスタートした。今年は新型インフルエンザの余波で、前期試験が7月末までずれ込んだ。ファイターズの諸君もその影響を受け、いつもは走り込みにあてる期間を、勉強する時間に費やした。
早く練習がしたい。グラウンドで思い切り汗を流したい。そういう部員の気持ちが盛り上がり、練習開始の笛が鳴るのを待ちかねているのが、見ていても肌で感じられた。けがで長い間、戦線を離脱していた選手も、この日に復帰の照準を合わせて戻ってきた。
練習前のハドルが始まる。この日のために出掛けてきたOB会長の奥井さんがグラウンドに降り、部員たちに短い訓示をする。スタンドからでは、遠すぎて聞こえない。後で、ご本人に聞くと「今年のスローガンを胸に刻み、自らの足跡を残せ。OBのためでも、母校のためでもない。君たち自身のために、存分に練習し、自分の足跡をファイターズの歴史に刻んでくれ。そういう話をしました。長話は嫌われるので、一言だけです」ということだった。
練習は一気に盛り上がった。喉の乾いた馬が水を飲むように、キビキビと動く。自発的に声が出る。集散が早い。隣の席で、選手たちの動きを俯瞰していた鳥内監督に「さすがに動きがいいですね。練習開始を待ちかねていたという気持ちが出ていますね」と声をかける。返事は「当然ですよ。やっと練習ができるようになったのに、ここで気持ちが表れないようでは話にならんでしょう」。
それにしても部員が多い。グラウンドを全面的に使っているのに、それでも狭苦しく見える。今春入部した1年生の多くが上級生の練習に加わってきたからだ。その中には、秋の試合にスタメンで出られそうな期待の星も少なくない。
だが、どのコーチに聞いても「合宿までにメンバーの振り分けを急がないと。このままでは効率的な練習ができない」と口をそろえる。この数年、絶えて聞けなかった贅沢な悩みである。
全体練習は、約50分で終了。初日ということで、まずは体を慣らす程度のレベルから始めたようだ。もちろん、全体練習の後は、各パートに別れた居残り練習がある。それがいわば「本番」の練習になる。
その間のハドルで、今度は小野コーチが気合を入れる。ハドルの空気が引き締まる。もちろんスタンドからでは遠くて内容は聞き取れない。
これも後からご本人に聞くと「長い間、クラブで受け継がれてきた『死中活あり』 という文章を全員に配り、そのことについて話をしました。この何年かは、この話をしていなかったのですが、今年の部員には聞かせておきたかったのです」ということだった。
「死中活あり」。元は「晋書―呂光載記」にある「死中求生、正在今日也」という言葉である。読み下せば「死中に生を求むるは、正に今日にあり」。難局を打開するためには、あえて死地(危険な状況)に飛び込んでいく勇気、決心が必要。身を捨ててこそ、そこから活路が見いだせる、ということを説いている。
ファイターズにとっては、特別に意味のある文章である。この言葉はかつて、日大を相手に苦しい戦いを強いられていた時代に、昭和28年卒のOBから贈られたものだそうだ。
「一度死んでご覧。そこから新しい境地が開ける」と挑発するこの言葉を、歴代の部員は胸に刻み、苦しい状況を打破してきた。近年は、その過激な表現が誤解を受けかねないとして、あまり聞く機会もなかったが、チームが新しく出発するに当たって、小野コーチはあえて、その意図する所を全部員に伝えたかったようだ。
「死中活あり」。ファイターズに席を置くすべての部員が、この言葉を自分の言葉として受け止めた時、彼、彼女らは必ず新しい足跡、輝かしい歴史を刻むに違いない。
早く練習がしたい。グラウンドで思い切り汗を流したい。そういう部員の気持ちが盛り上がり、練習開始の笛が鳴るのを待ちかねているのが、見ていても肌で感じられた。けがで長い間、戦線を離脱していた選手も、この日に復帰の照準を合わせて戻ってきた。
練習前のハドルが始まる。この日のために出掛けてきたOB会長の奥井さんがグラウンドに降り、部員たちに短い訓示をする。スタンドからでは、遠すぎて聞こえない。後で、ご本人に聞くと「今年のスローガンを胸に刻み、自らの足跡を残せ。OBのためでも、母校のためでもない。君たち自身のために、存分に練習し、自分の足跡をファイターズの歴史に刻んでくれ。そういう話をしました。長話は嫌われるので、一言だけです」ということだった。
練習は一気に盛り上がった。喉の乾いた馬が水を飲むように、キビキビと動く。自発的に声が出る。集散が早い。隣の席で、選手たちの動きを俯瞰していた鳥内監督に「さすがに動きがいいですね。練習開始を待ちかねていたという気持ちが出ていますね」と声をかける。返事は「当然ですよ。やっと練習ができるようになったのに、ここで気持ちが表れないようでは話にならんでしょう」。
それにしても部員が多い。グラウンドを全面的に使っているのに、それでも狭苦しく見える。今春入部した1年生の多くが上級生の練習に加わってきたからだ。その中には、秋の試合にスタメンで出られそうな期待の星も少なくない。
だが、どのコーチに聞いても「合宿までにメンバーの振り分けを急がないと。このままでは効率的な練習ができない」と口をそろえる。この数年、絶えて聞けなかった贅沢な悩みである。
全体練習は、約50分で終了。初日ということで、まずは体を慣らす程度のレベルから始めたようだ。もちろん、全体練習の後は、各パートに別れた居残り練習がある。それがいわば「本番」の練習になる。
その間のハドルで、今度は小野コーチが気合を入れる。ハドルの空気が引き締まる。もちろんスタンドからでは遠くて内容は聞き取れない。
これも後からご本人に聞くと「長い間、クラブで受け継がれてきた『死中活あり』 という文章を全員に配り、そのことについて話をしました。この何年かは、この話をしていなかったのですが、今年の部員には聞かせておきたかったのです」ということだった。
「死中活あり」。元は「晋書―呂光載記」にある「死中求生、正在今日也」という言葉である。読み下せば「死中に生を求むるは、正に今日にあり」。難局を打開するためには、あえて死地(危険な状況)に飛び込んでいく勇気、決心が必要。身を捨ててこそ、そこから活路が見いだせる、ということを説いている。
ファイターズにとっては、特別に意味のある文章である。この言葉はかつて、日大を相手に苦しい戦いを強いられていた時代に、昭和28年卒のOBから贈られたものだそうだ。
「一度死んでご覧。そこから新しい境地が開ける」と挑発するこの言葉を、歴代の部員は胸に刻み、苦しい状況を打破してきた。近年は、その過激な表現が誤解を受けかねないとして、あまり聞く機会もなかったが、チームが新しく出発するに当たって、小野コーチはあえて、その意図する所を全部員に伝えたかったようだ。
「死中活あり」。ファイターズに席を置くすべての部員が、この言葉を自分の言葉として受け止めた時、彼、彼女らは必ず新しい足跡、輝かしい歴史を刻むに違いない。
posted by コラム「スタンドから」 at 18:01| Comment(1)
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2009年07月27日
(15)真夏の勉強会
忙しい。めちゃくちゃ忙しい。
仕事や会合の予定を書き込んだ愛用の手帳を見ると、これが還暦をとっくに過ぎたじいさんのスケジュールかと思うほど、予定が立て込んでいる。
この1カ月ほどの間に、和歌山県田辺市で開かれたシンポジウムのコメンテーター、友人からから頼まれた京都嵯峨芸術大学での特別講義、和歌山県の教員研修の講師などを立て続けにこなしてきた。先日は和歌山県の橋本高校で、体育館を埋めた高校生と併設の中学生を相手に「夏休みには思いっきり本を読もう」とゲキを飛ばしてきた。週が開ければ、全国高校野球大会の運営委員会がある。
小さな新聞社とはいえ、フルタイムで働いているから、会社の仕事も手が抜けない。これはどこの事業所でも同じだと思うが、人が集まれば、大なり小なり必ず問題が起きる。それを解決するのは管理職の仕事。この季節はまた、株主総会はあるし、入社試験の面接もしなければならない。
毎日の紙面をつくる仕事には、もちろん全力投球。忙しいからといって、読者の期待を裏切るわけにはいかない。
そのうえに、週末には、関西学院で仕事が待っている。体がいくつあっても足りない。
けれどもその合間を縫って、この時期には毎年、スポーツ推薦でファイターズを目指す高校生に小論文を指導する「寺子屋」を開講しなければならない。夏休みの練習を終えた高校生に集まってもらい、小論文の書き方の入門編を教えるのである。彼らが無事、推薦入試の関門を突破できるように、文章の書き方を教え、物事をとらえる感受性とか想像力とかについて、多少でも役に立てそうな話をするのである。
この勉強会を始めて今年で11年目になる。
最初は、僕がまだ朝日新聞社の論説委員をしている時で、教える相手も少なかった。仕事が一段落する時間に新聞社まで来てもらい、社内の喫茶室やビルの地下にある喫茶店で面談しながら、個別指導をしていた。教え方は手探りだったし、なにより僕自身が未熟だった。けれども、最初に担当した塾生が平郡雷太、池谷陽平という、とびきりセンスのよい生徒だったので、思った以上に効果が上がった。
それに自信を得て、翌年からは指導の手引きを作り、それを基に分かりやすく教える工夫をした。佐岡君や石田貴祐君の代である。平郡君や池谷君とは違って、やんちゃで勉強嫌いの面々だったが、その代わり、本気になって取り組むと上達は早い。毎回、わいわい言いながら勉強会を続けたことを思い出す。
今年も10人ほどの高校生が集まってもらい、週末ごとに勉強会を続けている。宮本敬士ディレクター補佐や歴代のリクルート担当マネジャー(今年は3年生の橋本拓真君)の熱心な協力で、適切な会場が確保できているし、教室の運営も軌道に乗ってきた。人数が多くなったから、当初のような徹底した個人指導はできないけれども、それでも「書くこと」だけはしっかり教えているつもりである。
小論文を書くとは、文章を通した自己表現であり、コミュニケーションである。せっかくあこがれのファイターズに入ったとしても、自分を表現できず、チームメートやコーチ、スタッフとコミュニケーションがとれないようでは、成長はおぼつかない。その前に、充実した大学生活を送ることが困難になるだろう。それでは入学しても意味がない。
だから、推薦入試には必ず小論文試験が科せられる。当然である。大学は勉強するところであり、自分を磨き、高める場所である。4年間、充実した学生生活を送り、社会に役立つ人間として巣立って行くためには、学問に対する好奇心とか、未知のモノに対する探求心とか、自らを高めたいという向上心とかが不可欠である。
運動能力が優れているというだけで、無条件で合格を保証することが、そういう探求心や向上心を刺激することにつながるとは、僕には到底思えない。苦しくとも、しっかり勉強し、自らの能力を鍛えて試験に臨み、その関門を突破してこそ、大学生活はより実り多く豊かになると僕は信じている。
だからこそ、どんなに忙しくても、時間を確保して高校生に「書くこと」について教え、「考えること」の大切さについて、くどくどと説いているのである。そういう勉強会に取り組むことで、明日のファイターズを担う面々が、成長のきっかけをつかんでくれたらと願っているのである。
仕事や会合の予定を書き込んだ愛用の手帳を見ると、これが還暦をとっくに過ぎたじいさんのスケジュールかと思うほど、予定が立て込んでいる。
この1カ月ほどの間に、和歌山県田辺市で開かれたシンポジウムのコメンテーター、友人からから頼まれた京都嵯峨芸術大学での特別講義、和歌山県の教員研修の講師などを立て続けにこなしてきた。先日は和歌山県の橋本高校で、体育館を埋めた高校生と併設の中学生を相手に「夏休みには思いっきり本を読もう」とゲキを飛ばしてきた。週が開ければ、全国高校野球大会の運営委員会がある。
小さな新聞社とはいえ、フルタイムで働いているから、会社の仕事も手が抜けない。これはどこの事業所でも同じだと思うが、人が集まれば、大なり小なり必ず問題が起きる。それを解決するのは管理職の仕事。この季節はまた、株主総会はあるし、入社試験の面接もしなければならない。
毎日の紙面をつくる仕事には、もちろん全力投球。忙しいからといって、読者の期待を裏切るわけにはいかない。
そのうえに、週末には、関西学院で仕事が待っている。体がいくつあっても足りない。
けれどもその合間を縫って、この時期には毎年、スポーツ推薦でファイターズを目指す高校生に小論文を指導する「寺子屋」を開講しなければならない。夏休みの練習を終えた高校生に集まってもらい、小論文の書き方の入門編を教えるのである。彼らが無事、推薦入試の関門を突破できるように、文章の書き方を教え、物事をとらえる感受性とか想像力とかについて、多少でも役に立てそうな話をするのである。
この勉強会を始めて今年で11年目になる。
最初は、僕がまだ朝日新聞社の論説委員をしている時で、教える相手も少なかった。仕事が一段落する時間に新聞社まで来てもらい、社内の喫茶室やビルの地下にある喫茶店で面談しながら、個別指導をしていた。教え方は手探りだったし、なにより僕自身が未熟だった。けれども、最初に担当した塾生が平郡雷太、池谷陽平という、とびきりセンスのよい生徒だったので、思った以上に効果が上がった。
それに自信を得て、翌年からは指導の手引きを作り、それを基に分かりやすく教える工夫をした。佐岡君や石田貴祐君の代である。平郡君や池谷君とは違って、やんちゃで勉強嫌いの面々だったが、その代わり、本気になって取り組むと上達は早い。毎回、わいわい言いながら勉強会を続けたことを思い出す。
今年も10人ほどの高校生が集まってもらい、週末ごとに勉強会を続けている。宮本敬士ディレクター補佐や歴代のリクルート担当マネジャー(今年は3年生の橋本拓真君)の熱心な協力で、適切な会場が確保できているし、教室の運営も軌道に乗ってきた。人数が多くなったから、当初のような徹底した個人指導はできないけれども、それでも「書くこと」だけはしっかり教えているつもりである。
小論文を書くとは、文章を通した自己表現であり、コミュニケーションである。せっかくあこがれのファイターズに入ったとしても、自分を表現できず、チームメートやコーチ、スタッフとコミュニケーションがとれないようでは、成長はおぼつかない。その前に、充実した大学生活を送ることが困難になるだろう。それでは入学しても意味がない。
だから、推薦入試には必ず小論文試験が科せられる。当然である。大学は勉強するところであり、自分を磨き、高める場所である。4年間、充実した学生生活を送り、社会に役立つ人間として巣立って行くためには、学問に対する好奇心とか、未知のモノに対する探求心とか、自らを高めたいという向上心とかが不可欠である。
運動能力が優れているというだけで、無条件で合格を保証することが、そういう探求心や向上心を刺激することにつながるとは、僕には到底思えない。苦しくとも、しっかり勉強し、自らの能力を鍛えて試験に臨み、その関門を突破してこそ、大学生活はより実り多く豊かになると僕は信じている。
だからこそ、どんなに忙しくても、時間を確保して高校生に「書くこと」について教え、「考えること」の大切さについて、くどくどと説いているのである。そういう勉強会に取り組むことで、明日のファイターズを担う面々が、成長のきっかけをつかんでくれたらと願っているのである。
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2009年07月13日
(14)「どうした関学」といわれて
いま発売中のタッチダウン誌に「どうした関学」という小さな特集記事がある。お読みになっていない方のために、ポイントだけをお伝えしよう。
結論から言えば、その記事は春のシーズンのファイターズの戦いぶりを振り返り「どうした?関学」と問いかけているのである。
今季のファイターズは、初戦の日体大戦こそ大差で勝ったが、続く日大と京大の試合は、終盤にかろうじて逆転勝ち。内容的には、ともに押しまくられていた。唯一、社会人との戦いとなったアサヒ飲料戦は、なすすべなく大敗。東京に出掛けて戦った明治大戦も、相手に存分に走られて敗れ、最後の関大戦も終始リードを許し、最後の攻撃シリーズでなんとか逆転勝ち。
こういう戦いの足跡を振り返って「どうした?関学」と疑問を投げ掛け、本当の力はどの辺にあるのか、もたつきの原因はどこにあるのかと探っているのである。
たしかに今季の戦いぶりを見る限り、ファイターズのひ弱さは際立っている。その辺りのことは、このコラムの9回目や12回目にも書いてきた。僕自身が「どうした?ファイターズ」と聞きたいぐらいだ。
タッチダウン誌では、主将の新谷君や副将の亀井君へのインタビューを紹介したり、大村コーチの発言を補足したりしながら「どうした」の内容を突き止めようとしていた。しかし、当然のことながら、そう簡単に原因が突き止められるわけではない。その前に、本当に実力が落ちているのかどうかも検証できないだろう。
第一、監督をはじめコーチ陣があたふたしていない。僕のような素人がスタンドから見ていると、かなり今季は苦しそうだと見えるのだが、内部をよく知る監督やコーチから見れば、それほど心配することではないのかもしれない。例年になく2年生や1年生に成長を期待できるタレントがそろっていることで、チーム内の競争が激しくなり、夏から秋にかけてチーム力が飛躍的に上昇する手応えをつかんでいるのかもしれない。
あるいは、いまは昨年とは根本的に異なるチーム作りをしている途上であり、春の試合結果や内容は、そんなに気にしていないのかもしれない。「どうした関学」と問われても、本当のことは答えたくない、あるいは答えようがないのである。あえて答えを求めても「秋のシーズンを見てください」というのが正解かもしれない。
ならば、春のシーズンを振り返って、外野からとやかく言っても仕方がない。
それよりも、選手たちにとって、少しは実のあること、成長につながるかもしれないことを言っておく方がまだ生産的だろう。
こんな話がある。紹介したい。
先日、和歌山県田辺市で、関学の「教育フォーラム」が開かれ、関学の教授で精神科医の野田正彰さんが講演をされた。タイトルは「現代の子どもを考える」。題名の通り、現代という、子どもにとって生きにくい社会をどう生きるか、という内容の話だった。1時間半ほどの内容の濃い話だったが、その結論の部分で、野田先生は「私たちが生きていくために大切なこと」として次のようなことを話された。
一つは、情報化社会の中で、単なる知識は流れる情報と同じですぐに古くなってしまう。だからこそ知識に偏るのではなく、生きていくモチーフ、意欲が必要です。社会と接する中で、子どもは「あんな事がしたい」「こんな風になりたい」と思っています。その社会性を広げ、大人が一緒になって楽しむことが必要ではないでしょうか。だからモチベーションを持つことが最も大切なことです。自分の成長過程で得たそれぞれの物語から、自分の関心を高めていくという確かなモノを持つことが必要なのです。
もう一つある。人と人との信頼を形成する判断力を大切にすることです。「有名な会社に行っている」ということは、人を判断する材料にはなりません。自分なりの判断力を持つことが必要なのです。
そういう話だった。
これは「子どもが生きていくために必要なこと」として話をされたのだが、それを「ファイターズで成長するために必要なこと」と置き換えて考えれば、分かりやすい。
つまり、アメリカンフットボールに志したころはだれも「あんな選手になりたい」「あんなプレーがしてみたい」と思ったはずだ。自ら選んだ、その憧れというか目標に向かって意欲的に取り組むことが、自分を高めることにつながり、それが確固たる自信になって社会を生きていく力になるはずである。
もう一つの自分の判断力を磨く、自分なりの物差しを身につけることは、人と人との信頼を形成することから始まる。それもまたアメフットという競技の根底を成す事柄である。仲間への信頼、コーチと選手との信頼関係、自分自身への信頼。それを築き上げるためには、自らが立ち上がるしかない。自分自身に厳しい課題を課し、それを実現して見せなければ、周囲の信頼は得られない。口先だけでは通用しないのである。
アメフットには、まったく門外漢の先生の話だったが、こう考えると、ファイターズの諸君にとっても、示唆に富む内容が一杯含まれていた。あえて紹介させていただいた理由である。
結論から言えば、その記事は春のシーズンのファイターズの戦いぶりを振り返り「どうした?関学」と問いかけているのである。
今季のファイターズは、初戦の日体大戦こそ大差で勝ったが、続く日大と京大の試合は、終盤にかろうじて逆転勝ち。内容的には、ともに押しまくられていた。唯一、社会人との戦いとなったアサヒ飲料戦は、なすすべなく大敗。東京に出掛けて戦った明治大戦も、相手に存分に走られて敗れ、最後の関大戦も終始リードを許し、最後の攻撃シリーズでなんとか逆転勝ち。
こういう戦いの足跡を振り返って「どうした?関学」と疑問を投げ掛け、本当の力はどの辺にあるのか、もたつきの原因はどこにあるのかと探っているのである。
たしかに今季の戦いぶりを見る限り、ファイターズのひ弱さは際立っている。その辺りのことは、このコラムの9回目や12回目にも書いてきた。僕自身が「どうした?ファイターズ」と聞きたいぐらいだ。
タッチダウン誌では、主将の新谷君や副将の亀井君へのインタビューを紹介したり、大村コーチの発言を補足したりしながら「どうした」の内容を突き止めようとしていた。しかし、当然のことながら、そう簡単に原因が突き止められるわけではない。その前に、本当に実力が落ちているのかどうかも検証できないだろう。
第一、監督をはじめコーチ陣があたふたしていない。僕のような素人がスタンドから見ていると、かなり今季は苦しそうだと見えるのだが、内部をよく知る監督やコーチから見れば、それほど心配することではないのかもしれない。例年になく2年生や1年生に成長を期待できるタレントがそろっていることで、チーム内の競争が激しくなり、夏から秋にかけてチーム力が飛躍的に上昇する手応えをつかんでいるのかもしれない。
あるいは、いまは昨年とは根本的に異なるチーム作りをしている途上であり、春の試合結果や内容は、そんなに気にしていないのかもしれない。「どうした関学」と問われても、本当のことは答えたくない、あるいは答えようがないのである。あえて答えを求めても「秋のシーズンを見てください」というのが正解かもしれない。
ならば、春のシーズンを振り返って、外野からとやかく言っても仕方がない。
それよりも、選手たちにとって、少しは実のあること、成長につながるかもしれないことを言っておく方がまだ生産的だろう。
こんな話がある。紹介したい。
先日、和歌山県田辺市で、関学の「教育フォーラム」が開かれ、関学の教授で精神科医の野田正彰さんが講演をされた。タイトルは「現代の子どもを考える」。題名の通り、現代という、子どもにとって生きにくい社会をどう生きるか、という内容の話だった。1時間半ほどの内容の濃い話だったが、その結論の部分で、野田先生は「私たちが生きていくために大切なこと」として次のようなことを話された。
一つは、情報化社会の中で、単なる知識は流れる情報と同じですぐに古くなってしまう。だからこそ知識に偏るのではなく、生きていくモチーフ、意欲が必要です。社会と接する中で、子どもは「あんな事がしたい」「こんな風になりたい」と思っています。その社会性を広げ、大人が一緒になって楽しむことが必要ではないでしょうか。だからモチベーションを持つことが最も大切なことです。自分の成長過程で得たそれぞれの物語から、自分の関心を高めていくという確かなモノを持つことが必要なのです。
もう一つある。人と人との信頼を形成する判断力を大切にすることです。「有名な会社に行っている」ということは、人を判断する材料にはなりません。自分なりの判断力を持つことが必要なのです。
そういう話だった。
これは「子どもが生きていくために必要なこと」として話をされたのだが、それを「ファイターズで成長するために必要なこと」と置き換えて考えれば、分かりやすい。
つまり、アメリカンフットボールに志したころはだれも「あんな選手になりたい」「あんなプレーがしてみたい」と思ったはずだ。自ら選んだ、その憧れというか目標に向かって意欲的に取り組むことが、自分を高めることにつながり、それが確固たる自信になって社会を生きていく力になるはずである。
もう一つの自分の判断力を磨く、自分なりの物差しを身につけることは、人と人との信頼を形成することから始まる。それもまたアメフットという競技の根底を成す事柄である。仲間への信頼、コーチと選手との信頼関係、自分自身への信頼。それを築き上げるためには、自らが立ち上がるしかない。自分自身に厳しい課題を課し、それを実現して見せなければ、周囲の信頼は得られない。口先だけでは通用しないのである。
アメフットには、まったく門外漢の先生の話だったが、こう考えると、ファイターズの諸君にとっても、示唆に富む内容が一杯含まれていた。あえて紹介させていただいた理由である。
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2009年07月01日
(13)ヤマモモの木の下で
関西学院大学の第3フィールドを見渡す小高い場所に、ヤマモモの木がある。2003年8月16日、夏合宿の最終日に、不慮の事故で亡くなった平郡雷太君を偲んで植えられた記念樹である。
当初は上ケ原のグラウンドを見下ろす高台に植えられていたが、2006年春、第3フィールドの完成とともに、現在の場所に移された。初めは、きれいに樹形が整えられ、いかにも植木です、という風情だったが、年を重ねるに連れてぐんぐん成長し、ずいぶん大きくなった。これから、5年、10年と歳月を重ねると、グラウンドを睥睨(へいげい)する大木になりそうな予感さえする。
梅雨晴れのひととき、照りつける日差しをさえぎるその木の下で、ファイターズの練習を眺めていると、なぜか平郡君が隣にいるような気がしてくる。あのはにかんだような笑顔やサラサラの髪が目の前に浮かんでくる。
その木の下で、先週末は大阪学院大とのJV戦を観戦した。関大戦に続き、2週連続のホームグラウンドでの試合である。
面白かった。なんといっても、普段、試合に出ることの少ない下級生がどんどん登場してくれるのが楽しい。その下級生がまた、次々と素晴らしいプレーを見せてくれる。ファンには、こたえられないゲームである。
先発メンバーや得点経過は「試合結果」から確認していただくとして、まずは目に付いた選手の名前を並べていきたい。
オフェンスでは、RBの稲村(3年)。春の試合に何度も出場している選手だから、JV戦で活躍するのは当然かもしれないが、バランスのとれた走りっぷりが素晴らしかった。43ヤードの独走TDランをはじめ、5回で93ヤード、格の違いを見せつけた。
2番手のRB林(2年)も、7回ボールを持って45ヤード。RB陣は層が厚いから、1本目の選手を追い抜くのは大変だが、今後の成長に期待したい選手だった。
注目のQBは前半が2年生の糟谷、後半途中から1年生の遠藤(啓明)が出場した。どんぴしゃのタイミングで投げたパスが相手の反則(インターフェア)で通らなかったり、レシーバーがぽろりと落としたりして、記録上はそんなに目立たなかったが、ともにファイターズのQBとして必須の資質であるパスを投げる能力は十分だった。
レシーバー陣も先発した正林、渡辺(ともに3年)、赤松(2年)、それにタイトエンドで出場した1年生の榎(仁川学院)が潜在能力の高さを見せた。あとはしっかり練習を積んで、正確に捕球できるようにすることだ。このポジションも、1本目に高い能力を持った選手が多いから、そこに割り込むのは大変だろうが、これまた練習を重ねるしかない。
ラインも同様である。対戦相手との力関係で、よくも悪くも見えるポジションだから、この日の出来は割り引いて考えなければならないが、それでもDLから移ってきた4年生の藤本をはじめ、3年生の村田や1年生の徳植(武蔵工大付)などは、1本目に割り込んでいけそうな可能性を感じさせてくれた。これまた、これからの練習次第だろう。
ディフェンスは、目立った選手が目白押し。なかでも2年生のDB重田、1年生DLの梶原(箕面自由)、金本(滝川)の活躍が素晴らしかった。重田は強烈なタックルが魅力だし、なによりプレースタイルが熱い。試合を決定づけた2Q終盤のインターセプトTDは、いつも集中してプレーに取り組んでいる彼へのご褒美だったと思える。
ラインの外側を守った梶原と金本は、ともに186センチの長身。それでいて、動きが素早い。相手主将に、一度ははねとばされながら、その力を利用してQBサックを決めた梶原のプレーや、正確性には欠けるが、毎回のように相手のラインを割っていく金本の動きを見ていると、ともに秋は先発メンバーかという期待さえ抱かされた。
1年生では、ほかにもDLの早坂(法政二)やLB高吹(武蔵工大付)らが潜在的な能力の高さを見せてくれた。
これにいまU19の日本代表として、アメリカに遠征中の2年生3人、1年生3人が戻ってくる。
春はどの試合も、苦しい戦いを強いられたファイターズだが、こうして下級生までを視野に入れると、なかなか層が厚い。彼らが才能をどう伸ばすか。彼らの活躍に刺激を受けた1本目の選手たちが、どのように力を伸ばしていくか。それが秋のファイターズの成績に直結する。
夏の合宿でしっかり鍛錬し、力を蓄えた彼らが秋のシーズンに登場する姿を想像しただけでワクワクする。
当初は上ケ原のグラウンドを見下ろす高台に植えられていたが、2006年春、第3フィールドの完成とともに、現在の場所に移された。初めは、きれいに樹形が整えられ、いかにも植木です、という風情だったが、年を重ねるに連れてぐんぐん成長し、ずいぶん大きくなった。これから、5年、10年と歳月を重ねると、グラウンドを睥睨(へいげい)する大木になりそうな予感さえする。
梅雨晴れのひととき、照りつける日差しをさえぎるその木の下で、ファイターズの練習を眺めていると、なぜか平郡君が隣にいるような気がしてくる。あのはにかんだような笑顔やサラサラの髪が目の前に浮かんでくる。
その木の下で、先週末は大阪学院大とのJV戦を観戦した。関大戦に続き、2週連続のホームグラウンドでの試合である。
面白かった。なんといっても、普段、試合に出ることの少ない下級生がどんどん登場してくれるのが楽しい。その下級生がまた、次々と素晴らしいプレーを見せてくれる。ファンには、こたえられないゲームである。
先発メンバーや得点経過は「試合結果」から確認していただくとして、まずは目に付いた選手の名前を並べていきたい。
オフェンスでは、RBの稲村(3年)。春の試合に何度も出場している選手だから、JV戦で活躍するのは当然かもしれないが、バランスのとれた走りっぷりが素晴らしかった。43ヤードの独走TDランをはじめ、5回で93ヤード、格の違いを見せつけた。
2番手のRB林(2年)も、7回ボールを持って45ヤード。RB陣は層が厚いから、1本目の選手を追い抜くのは大変だが、今後の成長に期待したい選手だった。
注目のQBは前半が2年生の糟谷、後半途中から1年生の遠藤(啓明)が出場した。どんぴしゃのタイミングで投げたパスが相手の反則(インターフェア)で通らなかったり、レシーバーがぽろりと落としたりして、記録上はそんなに目立たなかったが、ともにファイターズのQBとして必須の資質であるパスを投げる能力は十分だった。
レシーバー陣も先発した正林、渡辺(ともに3年)、赤松(2年)、それにタイトエンドで出場した1年生の榎(仁川学院)が潜在能力の高さを見せた。あとはしっかり練習を積んで、正確に捕球できるようにすることだ。このポジションも、1本目に高い能力を持った選手が多いから、そこに割り込むのは大変だろうが、これまた練習を重ねるしかない。
ラインも同様である。対戦相手との力関係で、よくも悪くも見えるポジションだから、この日の出来は割り引いて考えなければならないが、それでもDLから移ってきた4年生の藤本をはじめ、3年生の村田や1年生の徳植(武蔵工大付)などは、1本目に割り込んでいけそうな可能性を感じさせてくれた。これまた、これからの練習次第だろう。
ディフェンスは、目立った選手が目白押し。なかでも2年生のDB重田、1年生DLの梶原(箕面自由)、金本(滝川)の活躍が素晴らしかった。重田は強烈なタックルが魅力だし、なによりプレースタイルが熱い。試合を決定づけた2Q終盤のインターセプトTDは、いつも集中してプレーに取り組んでいる彼へのご褒美だったと思える。
ラインの外側を守った梶原と金本は、ともに186センチの長身。それでいて、動きが素早い。相手主将に、一度ははねとばされながら、その力を利用してQBサックを決めた梶原のプレーや、正確性には欠けるが、毎回のように相手のラインを割っていく金本の動きを見ていると、ともに秋は先発メンバーかという期待さえ抱かされた。
1年生では、ほかにもDLの早坂(法政二)やLB高吹(武蔵工大付)らが潜在的な能力の高さを見せてくれた。
これにいまU19の日本代表として、アメリカに遠征中の2年生3人、1年生3人が戻ってくる。
春はどの試合も、苦しい戦いを強いられたファイターズだが、こうして下級生までを視野に入れると、なかなか層が厚い。彼らが才能をどう伸ばすか。彼らの活躍に刺激を受けた1本目の選手たちが、どのように力を伸ばしていくか。それが秋のファイターズの成績に直結する。
夏の合宿でしっかり鍛錬し、力を蓄えた彼らが秋のシーズンに登場する姿を想像しただけでワクワクする。
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2009年06月22日
(12)鮮やかな逆転勝利、だけど。
11−10。19日の関大戦は、試合終了8秒前、ファイターズがQB加藤からRB久司に鮮やかなショベルパスを決め、2点をもぎ取って逆転勝ち。詰めかけた大勢のファンが「すごい追い上げ。まるで1昨年の甲子園ボウルみたい」と大喜びする幕切れだった。
たしかに、自陣27ヤード地点から始まった最後の攻撃シリーズは素晴らしかった。実は、この攻撃シリーズは、ある意味で関大からもらったチャンスだった。説明しよ
う。
物語は、その前のファイターズの攻撃シリーズから始まる。3−10でリードする関大を追うファイターズの攻撃は、自陣26ヤード付近から。まずQB浅海のキープで8ヤード、続く久司のランでダウンを更新。ここまではよかった。しかし、ここでファイターズのOLに手痛いパーソナルファールがあり、15ヤードの罰退。起死回生のパスを狙ったが、相手守備陣に狙い澄ましたブリッツを決められ、陣地は後退するばかり。第4ダウンでパントを蹴ろうとした時点ではゴール前3ヤード付近まで追いつめられた。
あわやセーフティーというピンチだったが、K高野が落ち着いてパントを決め、自陣47ヤード付近まで盛り返して、攻撃権は関大に移る。勢いに乗る相手は、この局面からぐいぐいとランプレーで押し込み、気がつけばゴール前25ヤード付近に迫っている。第4ダウン1ヤード。さあ、フィールドゴールを決めてファイターズを突き放すか、それとも勢いに乗って第4ダウンも攻撃してくるか。3点を取られ、3−13とされれば、残り時間から考えて、ファイターズにほとんど勝ち目はない。けれども、強い風が吹く中で42ヤードという距離は、微妙。この日の彼我の勢いから考えると、押せ押せムードに乗ってギャンブルに来る選択も当然考えられる。
案の定、関大は第4ダウンも攻撃を選択。それをファイターズ守備陣が極端に言えば「全員ブリッツ」とでもいうようなプレーで食い止めたのだ。この時のDLは、4人中3人が1年生。金本(滝川)、梶原(箕面自由)、早坂(法政二)という、ほとんど試合経験のない面々である。彼らが相手OLに真っ向から当たった瞬間に、吉川を中心にしたLB陣が相手のボールキャリアに襲いかかり、攻撃を食い止めた。チーム一丸となった見事なプレーだった。
もし、相手がFGを選択していたら、もし、QBがRBにボールを渡さず、自ら中央を突破するプレーを選択していたら、というのは結果論。だが、とにかくファイターズは、最高の形で攻撃権を手に入れたのである。
そこからの攻撃は、鮮やかだった。まず、加藤からTE垣内への短いパスを決めて陣地を進め、次は加藤からWR松原への22ヤードパスで相手陣に攻め込む。次のパスは失敗したが、続けてWR萬代に10ヤードのパスを決めてダウン更新。敵陣35ヤードからの攻撃はまたもやWR柴田へのパス。ここで相手DBがインターフェアの反則で敵陣21ヤード。ここでまた垣内への短いパスとRB松岡へのスクリーン気味のパスが通ってついにゴール前10ヤード。
相手がパスを警戒する中で、あえてパスを投げ続け、一気に60ヤード以上を稼いだファイターズのパス攻撃がさえる。しかし、ここで再び、OLが手痛い反則。トリッピングで15ヤードを下げられてしまう。
残り時間はどんどんなくなっていく。パスを警戒されても、パスで行くしかない、と思ったところで、加藤から松岡への絶妙のドロープレー。松岡が中央を走り込み、残り4ヤード。ここでタイムアウトをとり、じっくり作戦を練って加藤から松原へのパス。これを相手DBがゴール内でインターフェア。ゴール前2ヤードからの攻撃を加藤が右隅に走り込んでTD。残り時間8秒というギリギリの場面で9−10に追い上げる。
さあ、ここでどうする。成功する確率は低くても2点を取って勝ちに行くか、確実にキックで同点、引き分けを狙うか。当然のことながら、ベンチが選択したのは勝ちに行くプレー。ここで、加藤から久司へのショベルパスが見事に決まって、11−10。薄氷の逆転勝利を収めた。
と、ファイターズが鮮やかに攻め込んだ場面だけを取り上げれば、まさに1昨年の甲子園ボウル、日大戦の幕切れを思わせる劇的な勝利である。だが、現実はそんなにかっこいいモノではない。試合開始当初から、関大の周到なランプレーに押しまくられ、ディフェンスは四苦八苦。攻撃も、要所要所で相手にラインを割られたり手痛い反則を犯したりして、リズムに乗れない。終始、相手に先手を許し、最後の最後まで苦しい戦いを強いられたのが実情である。それは相手の獲得ヤードが237ヤード、ファイターズが最後の73ヤードのTDドライブを含めて185ヤードという数字をみても、明かである。
かろうじてK高野のロングパントと、K大西の45ヤードフィールドゴールで、接戦に持ち込んでいたが、これが秋のリーグ戦だったら、と背筋が寒くなったのでは、僕だけではあるまい。
思えば、春のシーズンは日大、京大に勝つには勝ったが圧倒され、その後の明治とアサヒ飲料には敗戦。そして最終の関大戦も、あわやというところまで追いつめられた。鮮やかな逆転勝ちを喜んでいるような状況ではないのである。
これらの試合で突きつけられた、たくさんの宿題にどんな回答を用意するか。立命に勝って日本1というのなら、ファイターズの全員が、宮本武蔵が「五輪書」にいう「よくよく工夫し、朝鍛、夕錬を重ねるべし」。すなわち、自分のやるべきことを見据え、工夫し、朝に鍛錬、夕べに鍛錬を重ねるしかないのである。がんばろうではないか。
たしかに、自陣27ヤード地点から始まった最後の攻撃シリーズは素晴らしかった。実は、この攻撃シリーズは、ある意味で関大からもらったチャンスだった。説明しよ
う。
物語は、その前のファイターズの攻撃シリーズから始まる。3−10でリードする関大を追うファイターズの攻撃は、自陣26ヤード付近から。まずQB浅海のキープで8ヤード、続く久司のランでダウンを更新。ここまではよかった。しかし、ここでファイターズのOLに手痛いパーソナルファールがあり、15ヤードの罰退。起死回生のパスを狙ったが、相手守備陣に狙い澄ましたブリッツを決められ、陣地は後退するばかり。第4ダウンでパントを蹴ろうとした時点ではゴール前3ヤード付近まで追いつめられた。
あわやセーフティーというピンチだったが、K高野が落ち着いてパントを決め、自陣47ヤード付近まで盛り返して、攻撃権は関大に移る。勢いに乗る相手は、この局面からぐいぐいとランプレーで押し込み、気がつけばゴール前25ヤード付近に迫っている。第4ダウン1ヤード。さあ、フィールドゴールを決めてファイターズを突き放すか、それとも勢いに乗って第4ダウンも攻撃してくるか。3点を取られ、3−13とされれば、残り時間から考えて、ファイターズにほとんど勝ち目はない。けれども、強い風が吹く中で42ヤードという距離は、微妙。この日の彼我の勢いから考えると、押せ押せムードに乗ってギャンブルに来る選択も当然考えられる。
案の定、関大は第4ダウンも攻撃を選択。それをファイターズ守備陣が極端に言えば「全員ブリッツ」とでもいうようなプレーで食い止めたのだ。この時のDLは、4人中3人が1年生。金本(滝川)、梶原(箕面自由)、早坂(法政二)という、ほとんど試合経験のない面々である。彼らが相手OLに真っ向から当たった瞬間に、吉川を中心にしたLB陣が相手のボールキャリアに襲いかかり、攻撃を食い止めた。チーム一丸となった見事なプレーだった。
もし、相手がFGを選択していたら、もし、QBがRBにボールを渡さず、自ら中央を突破するプレーを選択していたら、というのは結果論。だが、とにかくファイターズは、最高の形で攻撃権を手に入れたのである。
そこからの攻撃は、鮮やかだった。まず、加藤からTE垣内への短いパスを決めて陣地を進め、次は加藤からWR松原への22ヤードパスで相手陣に攻め込む。次のパスは失敗したが、続けてWR萬代に10ヤードのパスを決めてダウン更新。敵陣35ヤードからの攻撃はまたもやWR柴田へのパス。ここで相手DBがインターフェアの反則で敵陣21ヤード。ここでまた垣内への短いパスとRB松岡へのスクリーン気味のパスが通ってついにゴール前10ヤード。
相手がパスを警戒する中で、あえてパスを投げ続け、一気に60ヤード以上を稼いだファイターズのパス攻撃がさえる。しかし、ここで再び、OLが手痛い反則。トリッピングで15ヤードを下げられてしまう。
残り時間はどんどんなくなっていく。パスを警戒されても、パスで行くしかない、と思ったところで、加藤から松岡への絶妙のドロープレー。松岡が中央を走り込み、残り4ヤード。ここでタイムアウトをとり、じっくり作戦を練って加藤から松原へのパス。これを相手DBがゴール内でインターフェア。ゴール前2ヤードからの攻撃を加藤が右隅に走り込んでTD。残り時間8秒というギリギリの場面で9−10に追い上げる。
さあ、ここでどうする。成功する確率は低くても2点を取って勝ちに行くか、確実にキックで同点、引き分けを狙うか。当然のことながら、ベンチが選択したのは勝ちに行くプレー。ここで、加藤から久司へのショベルパスが見事に決まって、11−10。薄氷の逆転勝利を収めた。
と、ファイターズが鮮やかに攻め込んだ場面だけを取り上げれば、まさに1昨年の甲子園ボウル、日大戦の幕切れを思わせる劇的な勝利である。だが、現実はそんなにかっこいいモノではない。試合開始当初から、関大の周到なランプレーに押しまくられ、ディフェンスは四苦八苦。攻撃も、要所要所で相手にラインを割られたり手痛い反則を犯したりして、リズムに乗れない。終始、相手に先手を許し、最後の最後まで苦しい戦いを強いられたのが実情である。それは相手の獲得ヤードが237ヤード、ファイターズが最後の73ヤードのTDドライブを含めて185ヤードという数字をみても、明かである。
かろうじてK高野のロングパントと、K大西の45ヤードフィールドゴールで、接戦に持ち込んでいたが、これが秋のリーグ戦だったら、と背筋が寒くなったのでは、僕だけではあるまい。
思えば、春のシーズンは日大、京大に勝つには勝ったが圧倒され、その後の明治とアサヒ飲料には敗戦。そして最終の関大戦も、あわやというところまで追いつめられた。鮮やかな逆転勝ちを喜んでいるような状況ではないのである。
これらの試合で突きつけられた、たくさんの宿題にどんな回答を用意するか。立命に勝って日本1というのなら、ファイターズの全員が、宮本武蔵が「五輪書」にいう「よくよく工夫し、朝鍛、夕錬を重ねるべし」。すなわち、自分のやるべきことを見据え、工夫し、朝に鍛錬、夕べに鍛錬を重ねるしかないのである。がんばろうではないか。
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2009年06月16日
(11)驚嘆の技は工夫から
江戸後期の剣客、千葉周作の弟子に驚異的な脚力を持つ飛脚がいた。信じがたい話だが、江戸と高崎(群馬県)の間、200余キロを1昼夜で往復できたという。ある時、高崎藩で大阪の蔵屋敷に至急の用件が持ち上がり、3日で大阪へ到着しなければならなくなった。国家老から直々の要請で、彼がその仕事を請け負い、3日で東海道を走破して大阪に到着、帰りも3日で戻ってきたという。
この話は、武術家の甲野善紀さんに教えてもらったが、千葉周作自身が書き物にしている有名な話だという。司馬遼太郎さんも「北斗の人」(角川文庫)で、このエピソードを紹介している。
異能の人というしかないが、さらにそれよりすごい話がある。甲野さんの「武術の新・人間学」(PHP研究所)によると、昔、仙台藩にいた源兵衛という早道の達人は、江戸を朝の6時に発ってその日の内に仙台に着いたという。江戸と仙台は300キロ以上。それを1日で走りきるというのだから、まさに人間離れした能力である。
そんなに古い話ではなく、比較的身近なところにも、異能の人は少なくない。
紀伊山地のど真ん中にある釈迦ケ岳(1799メートル)の山頂に、高さ3.6メートルもある青銅製の釈迦如来像を担ぎ上げた大峯山脈の強力、岡田雅行もその一人だろう。彼は奈良県天川村の人で、大正13年夏、これをふもとの前鬼口から一人で担ぎ上げたそうだ。標高差にして約1300メートル、距離は約20キロ。仏像は分解して運んだそうだが、一番重い台座は134キロもあったそうだ。前鬼から釈迦ケ岳への道は、山伏が修行をする大峯奥駈道の一部。僕も歩いたことがあるが、自分の体を運ぶだけでも息の上がる険路である。それを134キロの荷物を背負って登り切るなんて人間の技とも思えない。
こういう伝説の中の人ばかりではない。紀伊山地で炭を焼く人たちの女房は、夫が焼いた備長炭を詰めた重さ15キロの炭俵を4俵も5俵も背中に背負い、険しい山道を半日がかりで歩いて里に運んだ。幼い子がいれば、その炭俵の上に、さらに子どもを乗せて歩いたそうだ。想像を絶する話である。
しかし、いずれも実話である。強力の話は和歌山県田辺市在住の山の作家、宇江敏勝さんが「熊野修験の森」(新宿書房)で紹介しているし、炭焼きの女房の話は同じ田辺市の山びと、坂口貞男さんが「熊野山ごよみ」(角川春樹事務所)に、自分の母親を例に、よくある話として記述している。
似たような話は、司馬遼太郎さんも「街道を行く・古座街道」の中で紹介している。
和歌山県の古座川筋では、重さ60キロの米俵を担いで船着き場から荷揚げできない女性は嫁に行く資格がないといわれていたという話である。
それぞれ、いまでは想像もつかない世界であり、驚嘆の技としかいいようがない。
では、彼、彼女らは、どうしてこのような技というか、体力というか、体の使い方を身につけたのだろうか。
先日、朝日カルチャーセンターの講義で、久しぶりに大阪に来られた甲野さんにお会いし、この疑問をぶつけたところ、返ってきた答えは明確だった。
「それは石井さん、仕事だからですよ」
「つまり、重い荷物を担ぐのも、速く走るのも、それが毎日の仕事ということになれば、少しでも楽にしたいと考える。効率よく仕事をしようと工夫する。どうすれば、重い荷物を背負っても疲れないか、自分の体を使って工夫し、実証していく。その工夫の中から、バランスのとれた体の使い方を見つけることで、2俵の俵しか担げなかった人が4俵、5俵と担げるようになる。そうすると、同じ時間働いても、稼ぎは2倍にも3倍にもなる。その切実さがあるから、想像を絶する体の使い方が発見できるのですよ」
なるほど。そういえば、さきに紹介した宇江さんも坂口さんも、若いころ、それぞれが早く一人前以上の山仕事ができることを周囲に認めさせる(つまりは、一人前以上の日当を稼げるようになる)ために、特別な工夫をして自分の能力を開発していったことを、それぞれの著書に書いている。
つまり、ここがポイントである。自分を追い込み、苦しくするための練習ではなく、自分を楽にするための工夫。より稼ぎを多くするための体の使い方の発見。そこから技と呼べる体の使い方、異能の人が生まれてくるのである。
その発想の転換がない限り、努力をしても、質的な向上はなかなか期待できない。それは古来、名人と呼ばれた剣客が弟子を鍛え、秘伝の奥義を伝授しても、師を越える弟子はなかなか育たず、ついにはその流儀が形骸化していった日本の武術史が証明している。
事情はファイターズの諸君にとっても同じこと。周囲から言われるがままの、受け身の反復練習だけではなかなか上達は望めない。自分自身の頭で考え、体で確かめながら、能動的に取り組むことで、初めて質的な向上が促されるのである。いつの時代にあっても、驚嘆の技は、創意と工夫から生まれる。
この話は、武術家の甲野善紀さんに教えてもらったが、千葉周作自身が書き物にしている有名な話だという。司馬遼太郎さんも「北斗の人」(角川文庫)で、このエピソードを紹介している。
異能の人というしかないが、さらにそれよりすごい話がある。甲野さんの「武術の新・人間学」(PHP研究所)によると、昔、仙台藩にいた源兵衛という早道の達人は、江戸を朝の6時に発ってその日の内に仙台に着いたという。江戸と仙台は300キロ以上。それを1日で走りきるというのだから、まさに人間離れした能力である。
そんなに古い話ではなく、比較的身近なところにも、異能の人は少なくない。
紀伊山地のど真ん中にある釈迦ケ岳(1799メートル)の山頂に、高さ3.6メートルもある青銅製の釈迦如来像を担ぎ上げた大峯山脈の強力、岡田雅行もその一人だろう。彼は奈良県天川村の人で、大正13年夏、これをふもとの前鬼口から一人で担ぎ上げたそうだ。標高差にして約1300メートル、距離は約20キロ。仏像は分解して運んだそうだが、一番重い台座は134キロもあったそうだ。前鬼から釈迦ケ岳への道は、山伏が修行をする大峯奥駈道の一部。僕も歩いたことがあるが、自分の体を運ぶだけでも息の上がる険路である。それを134キロの荷物を背負って登り切るなんて人間の技とも思えない。
こういう伝説の中の人ばかりではない。紀伊山地で炭を焼く人たちの女房は、夫が焼いた備長炭を詰めた重さ15キロの炭俵を4俵も5俵も背中に背負い、険しい山道を半日がかりで歩いて里に運んだ。幼い子がいれば、その炭俵の上に、さらに子どもを乗せて歩いたそうだ。想像を絶する話である。
しかし、いずれも実話である。強力の話は和歌山県田辺市在住の山の作家、宇江敏勝さんが「熊野修験の森」(新宿書房)で紹介しているし、炭焼きの女房の話は同じ田辺市の山びと、坂口貞男さんが「熊野山ごよみ」(角川春樹事務所)に、自分の母親を例に、よくある話として記述している。
似たような話は、司馬遼太郎さんも「街道を行く・古座街道」の中で紹介している。
和歌山県の古座川筋では、重さ60キロの米俵を担いで船着き場から荷揚げできない女性は嫁に行く資格がないといわれていたという話である。
それぞれ、いまでは想像もつかない世界であり、驚嘆の技としかいいようがない。
では、彼、彼女らは、どうしてこのような技というか、体力というか、体の使い方を身につけたのだろうか。
先日、朝日カルチャーセンターの講義で、久しぶりに大阪に来られた甲野さんにお会いし、この疑問をぶつけたところ、返ってきた答えは明確だった。
「それは石井さん、仕事だからですよ」
「つまり、重い荷物を担ぐのも、速く走るのも、それが毎日の仕事ということになれば、少しでも楽にしたいと考える。効率よく仕事をしようと工夫する。どうすれば、重い荷物を背負っても疲れないか、自分の体を使って工夫し、実証していく。その工夫の中から、バランスのとれた体の使い方を見つけることで、2俵の俵しか担げなかった人が4俵、5俵と担げるようになる。そうすると、同じ時間働いても、稼ぎは2倍にも3倍にもなる。その切実さがあるから、想像を絶する体の使い方が発見できるのですよ」
なるほど。そういえば、さきに紹介した宇江さんも坂口さんも、若いころ、それぞれが早く一人前以上の山仕事ができることを周囲に認めさせる(つまりは、一人前以上の日当を稼げるようになる)ために、特別な工夫をして自分の能力を開発していったことを、それぞれの著書に書いている。
つまり、ここがポイントである。自分を追い込み、苦しくするための練習ではなく、自分を楽にするための工夫。より稼ぎを多くするための体の使い方の発見。そこから技と呼べる体の使い方、異能の人が生まれてくるのである。
その発想の転換がない限り、努力をしても、質的な向上はなかなか期待できない。それは古来、名人と呼ばれた剣客が弟子を鍛え、秘伝の奥義を伝授しても、師を越える弟子はなかなか育たず、ついにはその流儀が形骸化していった日本の武術史が証明している。
事情はファイターズの諸君にとっても同じこと。周囲から言われるがままの、受け身の反復練習だけではなかなか上達は望めない。自分自身の頭で考え、体で確かめながら、能動的に取り組むことで、初めて質的な向上が促されるのである。いつの時代にあっても、驚嘆の技は、創意と工夫から生まれる。
posted by コラム「スタンドから」 at 08:48| Comment(2)
| in 2009 season