2006年12月19日

(34)来年、またがんばろう

 惜しい! 悔しい!
 わずか2点が届かなかった。後半、ファイターズのオフェンスは押しに押していた。ディフェンスも必死になって持ちこたえた。けれども、甲子園は無情。逆転のための時間は、ファイターズに回ってこなかった。
 どうしても勝ってほしい試合だった。前評判は、誰に聞いても、どの新聞を見ても、法政優位。けれども、ファイターズの選手やコーチやスタッフ、そして5年生コーチたちの今年の取り組みを、サポーターとしてずっと見守ってきた人間の一人として、今年のチームには、なんとしても勝ち切ってほしかった。それは、僕だけではなく、ファイターズに声援を送るすべての人の願いだったろう。
 立命を破り、5年ぶりに登場した甲子園。相手は学生界ナンバーワンの称号を受けるに値する突出した力を持つ法政。計り知れない能力を持ったタレントを集めた集団である。けれども、ファイターズにはどこにも負けないチームの結束力がある。集中力がある。頭脳がある。主力選手を故障で欠いても、全員でその穴を埋め、それを補う。たとえ、素材としての能力で劣っているといわれても、それをカバーする作戦を立てる。相手に長所を発揮させない試合運びをし、自分たちのペースに引き込んでフィールドを支配する。そして、勝つ。というのが、僕の計算だった。
 だが、法政の選手たちの能力は、想像を超えてすごかった。立ち上がりの第1プレーでいきなり80ヤードの独走TD。続いて、パス攻撃を立て続けに決めてまたもTD。ファイターズがWR榊原をパサーに使う、とっておきのプレーで、33ヤードのTDパスを決めて1本差に追い上げた直後に、今度は96ヤードのキックオフリターンTD。甲子園の広い外野席を埋めたファイターズの応援席が思わず静まりかえったよ。
 けれども、選手もコーチもくじけなかった。次のシリーズ、計算しつくしたパスとランで相手ゴール前9ヤードまで攻め込むと、ここでファイターズに「10年越しに暖めていたスペシャルプレー」(小野コーチ)が飛び出す。誰もが中央のダイブプレーと思った布陣と選手の動きだったが、一瞬QB三原がしゃがみ込み、大柄なOLの陰に隠れる。相手ディフェンスが中央に飛び込んできた背後にTEの韓が回り込み、そこへ三原がパスを通してTD。背筋に冷たいものが走るようなプレー。脳髄を振り絞り、知能の限りを尽くして編み出した必殺のプレーが、ここぞという局面で決まった。そのプレーを見て「これならいける。ファイターズは死んでいない」と確信したのは、僕だけではないだろう。
 しかし、法政も負けてはいない。怒涛のような攻撃を繰り返し、一時は3本差までリードを広げた。けれども、取られても取られても、ファイターズはくじけない。QB三原のランをキープレーに、要所で榊原や岸、徳井へのパスを決め、攻撃権を取るたびに相手ゴールに迫る。第2Q終盤に三原のランで2本差にすると、後半最初のシリーズも水口のTDに結びつけ、1本差まで追い上げる。
 そして第4Q12分33秒。RB古谷が9ヤードを走りきって4点差。ここで意表をつく浅海から水原へのパスでトライ・フォー・ポイントを決め、ついに2点差。フィールドゴールで逆転できる所まで追い込んだ。
 結局、「時間切れ」で、逆転勝利はかなわなかったが、見事な追い上げだった。「第5Qがあれば、ファイターズが勝っていた」と思ったのは、僕だけではなかっただろう。それほど、チームが一丸となり、力のすべてを出し切った素晴らしい試合だった。
 もちろん、甲子園で勝てなかったことは悔しい。2点差でも負けは負け。ちょうど関西リーグで立命の選手たちが味わったのと同じ点差である。けれども、この2点差は「来年、またがんばれよ。がんばって、この2点差を克服しなさい」という天の声と、僕は受け止めている。3万人の観客の前で、全知全能を傾け、全身全霊を込めて戦ったファイターズへの神様の励ましと思っている。
 悔しいけど、来年、またがんばろう。試合の途中、とんでもない雷鳴を伴って甲子園上空に現れた平郡雷太君(あの雷鳴を聞いたとき、平郡君が可愛い後輩のために、気合を入れにきた、と僕は確信した。タイミングは少々悪かったけど)も、空の上から、そんな風に呼びかけているように思えてならない。

PS
 ファイターズの今季公式戦は甲子園ボウルで終了。それに伴って、5月から書いてきたこの駄文もしばらく休みます。ご愛読ありがとうございました。来春、またお目にかかりましょう。
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2006年12月11日

(33)師走に練習できる幸せ

 12月である。師走である。寒くて忙しいのである。
 特段、師と呼ばれるほどの存在ではないけれども、人並みに忙しい。この1カ月ほどは、毎日、何かに追われるように、飛び回っている。先週は東京へ日帰り出張。今週もまた東京に出掛ける予定が入っている。
 新聞は毎日発行しなければならない。並行して、年末には正月に発行する特別紙面の作業も進めなければならない。ない知恵を絞ってその企画を立てなければならないし、ときには「編集局長インタビュー」というのにも出かけなければならない。おまけに、この時期には毎週末、関西学院で3年生に就職試験を想定した小論文の指導も請け負っている。
 そのくせ、友人からマージャンの誘いがかかったら、どんなに忙しくても、高速道路を飛ばして出掛けていく。この年齢になって、徹夜マージャンは、いい加減くたびれるが、親しい友人の誘いを断るほどヤボな生き方はしていない。
 それでなくても忙しい時期なのに、今年は県知事が逮捕され、出直し知事選がある。投開票日は、甲子園ボウル当日の17日だ。
 そんなこんなで、「定年後」の老人(自称はナイスミドル。でも、だれもそのようには呼んでくれない)とはいえ、ファイターズのことだけにかまけておれる身分ではないのである。といいながら、大学の広報室が発行している「関学ジャーナル」が「甲子園特集号」を出すというので、その原稿まで引き受けてしまった。
 根がお調子者なんだろう。忙しい、忙しいといいながら、その忙しさに、生活の張り合いを求めてしまう。人サマがみれば、アホとちゃうか、というような毎日でも、本人はその境遇を楽しんでいるのだから、世話はない。
 忙しさを楽しむといえば、ファイターズの諸君も、いままさにその渦中にある。
 昨日、上ケ原のグラウンドに練習を見学に出掛け、何人かの選手に声をかけたら、異口同音に「この時期にアメフットの練習をするのは初めてなんです。なんだか楽しいですね」という答えが返ってきた。
 LBの坂戸君は「12月までアメフットやるのは、高校時代を含めて初めてなんです。でも、こうして練習出来るのはいいですね。ちょっと寒いけど」。隣にいたDLの早川君も「僕も初めて。この時期に、試合に向けて、ずっと練習出来るって、本当に楽しいですね」とニコニコ顔で答えてくれた。
 いわれてみれば、いまの部員は全員、関西リーグが終われば、そこでシーズンが終わっていたのだ。正確に言えば、3年生と4年生は1昨年、立命との「甲子園ボウル出場決定戦」を経験しているので、関西リーグが終わってからも、試合はしているけれども、12月中旬の甲子園ボウルに向けた練習というのは、全員が未経験である。
 過去4年間は、甲子園ボウルに出場出来なかった悔しい思いを抱え、雪辱の気持ちはあっても、それをぶつける試合は次の年の春までなかった。もちろん、各自がそれぞれの思いを込め、翌年に向けて、トレーニングに入っていたにせよ、今年のように、12月になっても、目の前の敵を倒すという共通の目標を持って毎日を過ごすのとは、環境がまったく異なっていたのである。
 甲子園に出るのは当たり前、アメフットシーズンは甲子園ボウルまで、と当然のように思って過ごしてきた「関学独走期」の先輩たちには、想像も及ばないところで、いまの部員たちは戦っているのである。
 それだけに、リーグ戦が終わってからのこの3週間の取り組みは、選手たち全員に貴重な財産となるに違いない。もちろん、いま現在の練習は、法政との戦いを想定して、そのための準備をしているのだが、その取り組みを貫徹することで、チームとしての結束力が一層強化され、選手たちを一段上のステージに運びあげてくれることは断言できる。
 逆に言えば、この4年間、選手たちはそういう「師走の3週間」の体験がなかったから、翌年のシーズンになって、それを体験している立命の選手たちに、見えないところで差をつけられていたのではないか。それがリーグ戦で戦ったときに、結果として2点差、3点差となって表れてしまったのではないか。
 六甲おろしの吹きすさぶ師走のグラウンドで走り、当たり、声を掛け合う選手たちの姿を見て、僕はそんなことを考えた。
 そして、いま法政との戦いに向けて、懸命に取り組んでいるその体験が継承される限り、ファイターズはその強さを継承していけると確信した。
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2006年11月28日

(32)『君の可能性』

 僕の尊敬する人に斎藤喜博という教育者がいる。子どもたちの可能性を引き出し、伸び伸びと育てる教育実践で、一世を風靡した人である。群馬県の小学校で教員や校長を務め、1981年、70歳で亡くなられた。
 僕は朝日新聞に入って最初の任地である群馬県・前橋支局で勤務中、先生が個人的に主宰される教育研究会に参加したり、群馬版に掲載する「上毛歌壇」の選をしていただくためにご自宅に通ったりして、教えを受ける機会があった。直接、薫陶を受けたのは1年足らずのことだったが、その後も先生の「全集」などを読んで、大きな影響を受けた。
 先生に『君の可能性』(ちくま文庫)という、子どもたちに向けて書かれた本がある。いまも、気持ちが落ち込んだり弱くなったりしたときには、引っ張り出して読み返す。
 その中に、先生が作られた『一つのこと』という詩がある。子どもの教科書に掲載されていた記憶があるから、ご存じの方もあるかもしれないが、全文を紹介する。

いま終わる一つのこと
いま越える一つの山
風わたる草原
ひびきあう心の歌
桑の海光る雲
人は続き道は続く
遠い道はるかな道
明日のぼる山もみさだめ
いま終わる一つのこと

 わかりやすい内容だが、先生自身の解説をそのまま引用する。
………………
 いま自分たちはみんなと力を合わせて一つの仕事をやり終わった。それは、ちょうど一つの山に登ったようなものである。山の上に立ってみると、草原にはすずしい風が吹いている。そこに立つと、いっしょに登ってきた人たちと、しみじみ心が通い合うのを感じる。そこから見ると、はるか遠くに桑畑が海のように見え、雲が美しく光っている。そしていま登ってきた道を、人が続いて登ってくるのが見える。自分たちはいま一つの山を登り終わったが、目の前にはさらに高い山が見えている。こんどはあの山を登るのだ、という意味である。
………………
 ファイターズの諸君も、こういうことを仲間と力を合わせて次々とやっていくのである。立命という一つの山を登り終えると、次の関東代表校(おそらく法政大学であろう)という、より高い山に立ち向かう。そういうことがおもしろく、楽しくてならないように、チーム全体で力を合わせて鍛錬していくのである。一人ひとりがよいものを出し合い、それがチームのみんなに影響し、より高いものになって自分に返ってくる。
 一人ひとりがより高い、よりよいものに近づこうとする願いを持ち、そのためにはどんな骨折りでもしようとするようになり、またどんな骨折りでも出来るようになるためには、チームでのこういう経験が必要になる。そういう趣旨のことも解説されている。
 立命という強敵を倒して、チームのみんなは目標を達成した満足感に浸っているだろう。ある種の解放感もあるだろう。心の中にさわやかな風が吹き、遠くに雲が光っているようにも思えるだろう。
 それは、立命という強敵を倒して甲子園ボウルへの出場を決めた、君たちの働きに対するご褒美である。
 けれども、いつまでもその満足感に浸っているようでは、君らの可能性は閉ざされてしまう。その達成感、充足感を明日登る山、より険しく高い山へ挑戦するためのエネルギーに変えなければ、さらなる未来は開けない。
 「明日登る山」を見定め、そこに登り切るために、チームのみんなが「あらゆる骨折り」をすることで、初めてファイターズの諸君は目の覚めるような高いところに到達できるのである。
 甲子園ボウルまで、あと20日。立命に勝った喜びは喜びとして、さらに鍛錬し、チームとしての力を10%でも11%でも向上させて、難敵に立ち向かってもらいたい。
 『君の可能性』を開拓するのは、君自身である。がんばろう。
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2006年11月27日

(31)究極の秘密兵器

 勝ちました。あの強い立命を相手に16−14。相手には力を存分に発揮させず、自分たちは持てる力のすべてを発揮して、見事に勝利につなげました。終盤、相手に追い上げられて冷や冷やしたけれども、フィールドで戦う選手は誰もバタバタせず、しっかりと自らの役割を果たし、勝利をもぎ取りました。
 選手、スタッフ、コーチのみなさん。心からおめでとうと申し上げます。そして、ありがとうと感謝の言葉を贈らせていただきます。スタンドから懸命に応援したファンのみなさん、日本全国、全世界からこの試合に声援を送ったファイターズサポーターのみなさん。一緒に喜びを分かち合いましょう。
 この試合が始まる前、僕は立命戦に向けた秘密兵器は何か、どんなプレーなら、相手を崩せるか、どういう守備をすれば、相手の勢いを止められるか、ずっと考えていた。もちろん、戦術や戦略はコーチと選手を中心にチームが考えることである。観客席の僕らがとやかく言うことではない。そういうことは承知の上で、自分なりにゲームの進行を想定し、その対策を考え、楽しみながら、頭の体操をしていたのである。
 けれども、ファイターズの諸君は今日、僕が想定していたレベルをはるかに超えた戦いを見せてくれた。それは戦術とか作戦とかいう次元のものではなかった。彼らが見せてくれたのは、チームに寄せる絶対の信頼、仲間に対する徹底的な信頼に基づくプレーだった。
 立ち上がり、どうひいき目に見ても、ファイターズは劣勢だった。快足RB松森のランとWR前田へのパスを組み合わせた立命の攻撃に、どんどん陣地を稼がれ、あれよあれよという間にゴール前に迫られた。最初の攻撃シリーズこそ、立命がファンブルを犯して、かろうじて失点は防いだが、相手オフェンスの威力をまざまざと見せつけられた。
 次のシリーズになっても、ファイターズは立命の攻撃を止められない。テレビで解説していた立命館OBの河口正史氏が「このまま守備が対応しなかったら、どこまでも進みますよ」というほどの切れのよいドライブが続く。案の定、1Q10分55秒。木下から中林へのパスでタッチダウン。ファイターズが先取点をとって優位に進めたい試合を、逆に先制されてしまった。
 けれども、そこからファイターズが反撃に出た。オフェンスがしっかり攻めて、すぐに相手陣深く攻め込む。相手ゴール前7ヤードから自らボールを抱えて走った三原がファンブルしたが、転がったボールをOL生田が冷静に抑えてタッチダウン。同点に追いつく。
 一見、幸運に見えたこのプレー。しかし、実際はファイターズのオフェンスラインが相手守備陣を押し込んでいたからこそ、ファンブルボールに素早く対応できたのである。その意味では、OLがQBを走らせるためにしっかり仕事をした結果としてのファンブルリカバー、タッチダウンといってもよいだろう。ラインとバックスがお互いを信頼し、フィールドに出ている11人が結束して戦っていることを象徴したプレーだと、僕は思った。
 オフェンスの踏ん張りに今度はディフェンスが応えた。立ち上がり、パスとランで好きなように翻弄されたのがウソのように、徐々に相手攻撃に反応していく。早川を中心としたラインやLB佐藤、柏木が鋭いタックルで相手攻撃陣に迫り、自由にパスを投げさせない。DBも、きわどいタイミングで相手パスをカットする。
 前半終了間際には、相手攻撃をゴール前に釘付けし、パントをするしかない状況に押し込んで、相手にとっては痛恨のスナップミスを誘い出す。セーフティーをもぎ取り、逆に2点のリード。これもまた、守備陣が互いに信頼し、11人が束になって相手を止めるというプレーに徹したからこそ、もたらされた幸運であろう。
 そう。この日のファイターズは、攻撃も守備も、とにかくフィールドに出ている11人が結束して強敵・立命に立ち向かった。守備は11人で守る、攻撃は11人で攻める。これが終始、徹底されていた。だからこそ、立ち上がり、到底止められないと見えた立命の攻撃を止め、反応が早くてとても突破できないと見えた相手守備をかわして、攻撃を進めることが出来たのだろう。
 特定の選手がヒーローになるのではなく、チームがチームとして結束し、オフェンスとディフェンスが互いを信頼する。ベンチは選手を信頼してプレーをコールし、選手もその信頼に応えて、自らの役割を果たす。そういう絆が強く結ばれていたからこそ、多分、技術的にも能力的にも、トータルとして相当上回っていると思える相手を倒すことが出来たのに違いない。
 その意味では、この日のファイターズの勝利は結束力の勝利といってもよい。選手がチームを信じ、コーチが選手を信頼する。ファイターズに所属するすべての人間が仲間を徹底的に信じたその力が、立命を倒す「究極の秘密兵器」になったのである。
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2006年11月20日

(30)夢は夢見るものでなく

 朝日新聞社で支局長(いまはなぜか総局長と呼んでいる)をしていると、必ず果たさなければならない仕事がある。夏の全国高校野球選手権大会のお世話というか、主催者としての業務である。
 野球が好きとか嫌いとかいうまえに、支局長(東京や大阪は社会部長)は朝日新聞の各都道府県における責任者だから、地元の高野連の先生方とともに、大会の準備から運営、さらに甲子園に出場するチームのお世話などを担当しなければならない。主催者だから、開会式で参加全選手の前で挨拶をしなければならないし、閉会式では高野連の会長と手分けして、優勝校と準優勝校の選手全員にメダルをかけ場面もある。高校や県庁で壮行会があれば、それぞれ挨拶しなければならないし、もし、担当しているチームが優勝したりすると、翌朝、朝日新聞大阪本社に優勝報告をするときや、高校に「凱旋」するときに、先導役も務める。
 どうして、こういうこまごましたことを知っているかというと、僕が朝日新聞の和歌山支局長をしているときに、智弁和歌山が全国優勝したからである。1998年夏だった。
 和歌山県庁で行われた壮行会で、ユニフォーム姿で並んだ選手たちを激励したときの挨拶を覚えている。こんな内容だった。

<夢は夢見るだけでなく>
 厳しい和歌山大会を勝ち抜き、あこがれの甲子園に出場する選手のみなさんに、一つだけ、いっておきたいことがある。夢は夢見るだけでは、意味がない。夢はかなえてこそ夢である。このことである。
 夢には労苦や屈辱、試練や厄災を輝きに変える力がある。仲間との信頼、友情、絆を深める力を持っている。けれども、ただ夢見ているだけでは、夢はその力を君たちに与えてくれない。夢を実現するために死にものぐるいで練習し、仲間とともに戦い、苦しみや喜びを分かち合う過程を通して初めて、君たちはその力を手にすることができる。そういう過程があって初めて勝利を手にする資格が得られるのだ。
 その力を手に入れようではないか。夢をかなえようではないか。厳しい練習に耐え多くの試練をくぐり抜けてきた諸君には、その力を手にする資格がある。和歌山大会で君たちと真っ向から戦い、敗れ去ったチームのためにも、君たちは甲子園で力いっぱい戦う義務がある。
 甲子園の優勝旗は深紅である。君たちのアンダーシャツやストッキングも深紅である。君たちに一番似合うのは深紅の優勝旗である。それを持ち帰ってくれ。健闘を祈る。

 ざっとこんな趣旨だった。いまこうして書いてみると、相当に乱暴な論旨だったと思うが、後で聞くと、選手たちには好評だったという。知事や教育長の話は長くて難しいのに、僕の話は短かくて分かりやすかったからだろう。後に、ドラフト1位で阪神に入団した捕手の中谷主将や慶応大学からロッテに入った外野手の喜多選手らが「あの激励のメッセージはよく覚えています。気合が入りました」といってくれた。
 実際、彼らは甲子園の大会で優勝し、夢をかなえた。その意味で、少々支離滅裂ではあるが、「夢は夢見るだけでなく」というのは、いわば「縁起のよい」メッセージである。
 そのメッセージを、ファイターズの諸君にも贈りたい。「夢は夢見るだけでなく、かなえてこその夢である」
 いよいよ立命戦である。
 大げさにいえば、1年間、ファイターズの暦は、この試合から逆算してめくられてきた。この試合にすべての照準を合わせ、準備し、鍛え、知恵を絞ってきた。チームにとっては1年の総決算の日であり、4年生にとっては4年間のすべてをぶつける日である。
 文字通りすべてをぶつけようではないか。知力、体力、技術、そして気力。自分たちが取り組んできたことに絶対の信頼を置き、仲間を敬い、絆の深さを確かめよう。
 「聖地奪回」を夢見るだけでなく、その夢をかなえようではないか。諸君はそれだけの取り組みをしてきたはずだ。
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2006年11月15日

(29)ファイターズの背骨

 選手でもなく、コーチでもないのに、同志社戦が終わってからは毎日、アメフット漬けである。土曜の夜と日曜には、立命戦の前に発行されるファンクラブの機関誌に原稿を書き(前号に続く登場。またまたテンションを上げています。乞うご期待)、今日はこのコラムを書いている。
 それだけでは終わらない。毎晩、ファイターズに関係した文字を眺めないと眠れない。タッチダウン誌を読み、イヤーブックを眺め、立命のメンバー表を眺め……。寝床に入ってからも、今季のすべての試合のメンバー表を引っ張り出して「立命戦に秘密兵器として登場するのは誰だろう」と想像したり、第3ダウン・ロングの状況で、確実にファーストダウンのとれるプレーを頭の中で描いたり。ゴール前3ヤードから、必ずタッチダウンを決める秘策はないか、なんて考え出すと、なかなか寝付けない。
 とうとう今日は、昼間から仕事をサボって、ずっと『Fight On, DOK!!』という冊子を読んでいた。1997年のチームに、堀口直親コーチが送り続けた「激励の文章」を、当時主務をしていた石割淳氏が中心になって、卒業10周年(少し早いが)の記念誌として発行した冊子である。シーズンが始まる前、石割氏からいただいて読んでいたが、立命戦を前に、再度引っ張り出して読み返したのである。
 97年のチームはその前年まで3年間、京大と立命館の後塵を拝し、連続して3位に終わっていた。全員が「甲子園を知らない」メンバーであるという意味では、昨年及び今年と同じ状況にあったチームである。そんなチームに活を入れ、叱咤激励し、「ファイターズとはどういう存在か」「ファイターズでアメフットをすることの意味とは」と、厳しく、また愛情を持って問い掛け、選手を指導してきた軌跡が熱い文章にまとめられている。
 巻末には、小野宏コーチの「59秒の真実」という、ファイターズが伝説的に語り継いでいる文章が掲載されている。
 そう、ここで取り上げている97年のチームとは、甲子園ボウルで法政を相手に、残り59秒から、ライン際へのパスを駆使してロングドライブを継続。残り4秒、残り10ヤードというぎりぎりの場面から、QB高橋がWR竹部にパスを通し、奇跡的なタッチダウンを挙げて優勝したチームである。主将米澤順司、QB高橋公一、キッカー・パンター太田雅宏と、主力メンバーの名前を挙げていけば、連鎖的に次々と懐かしい名前を思い出されるファンも多いだろう。
 そのときのメンバーを、コーチはどんな風に指導し、選手はどのように応えてきたか。その軌跡を振り返り、現在の4年生にそれを読ませることで「ファイターズの魂」を伝えようとして作られた冊子である。A4判、100ページ足らずだが、ファイターズの歴史を語り、その背骨の所在を明らかにし、底力の片鱗を知るには、最適の冊子である。
 最初のページにいきなり「死中活あり」という見出しがある。読みすすむと「己の手で自らの道を開け」「私を捨てるというより、一度死んでご覧」「せめて潔くここで11人が死んだらどうです」「逆境に弱いのは、真実のフットボール・プレーヤーではありますまい」「腰抜けだから勝てる試合も勝てないのです」などという挑発的な言葉が並んでいる。
 「あなたが変われば周りが変わる」という、当時、部室のすべての掲示物を外して張り出されていた標語も大書されている。
 堀口コーチの文章がまたすごい。具体的な練習の場面、試合の場面の出来事に即して、熱く、また執拗に部員に問いかける。「本気でフットボールに取り組んでいるのか」「ファイターズの一員として戦う覚悟は出来ているのか」「これで京大や立命に勝てるのか」
 細部に付いては、あえて省略するが、こんな調子で全96ページ。コーチに根気と熱気があり、選手にそれに応える覇気があったからこそ続いたやりとりだと、いま読み返しても胸に迫る。
 この檄文に応えた選手たちは、見事、立命を倒し、京大を破って甲子園に出場。そこで、あの「59秒の奇跡」を実現してくれた。
 さて今年。この『檄文集』を読んで精進を続けてきた選手たちは、どのように振るまい、どのように戦うのであろうか。立命戦まであと10日である。
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2006年11月05日

(28)応援メッセージ

 今季からファイターズは、支援者の方々から応援メッセージをいただいて、それをチームの「お守り」のようにしている。試合会場に足を運んで下さる人には、もうお馴染みだろうが、グラウンド入口のファイターズのブースに、毎試合、1メートル四方ほどの白い布を張り付け、そこに思い思いに応援の言葉を書いてもらうのである。
 みんなどんな言葉を書き込んでいるのか気になって、関大戦の試合開始前、とくとその文言を眺めてきた。
 「今シーズンは2007年1月3日まで」。説明するまでもないことだが、立命を破って甲子園ボウルに出場し、そこで関東代表に勝って1月3日のライスボウルまでがんばれ、という意味である。
 「日ハムに続け! KGファイターズ」というのもある。同じ「ファイターズ」という名前をチームの愛称にしている「日ハム」がパ・リーグのプレーオフを勝ち抜き、日本シリーズにも勝ってプロ野球の日本1になったのに続け、というのだろう。そういわれてみれば今季は「ファイターズ」という名前が幸運を運んできてくれるような気がしてきた。
 「オーストラリアから見てる!池P」というのもあった。オーストラリア在住の「池P」(2003年度卒業の池谷陽平君)がメッセージを書き込むのは物理的に無理なので、これは「池Pの母」(このコラムにも時々、応援のコメントを書き込んで下さっている)による書き込みだろう。
 母親といえば「うちの息子をいつかファイターズに入れたいです。がんばれファイターズ!」というのもあった。いつのことになるのかは分からないけれど、しっかり小魚を食べさせて丈夫な子に育て、ファイターズで活躍できるよう教育してほしい。
 そんないわば「私情」の絡んだメッセージは、いかにも「KGファミリー」らしくてほほえましいが、僕がもっとも共感したのが「全勝で立命に勝つ 激勝!!」という書き込みである。びっくりマークが二つも付いているからというのではないが、ファンの気持ちとしては一番分かりやすい。「全勝で立命に勝つ」というのは、チームの悲願であり、ファンの願望でもある。それも、ただ勝つだけではなく「激勝」してほしい。そこに、ファイターズをずっと支援してきたファンの切ない気持ちがあふれているようで、僕は他人事とは思えなかったのである。
 「応援メッセージ」を書き込んだ布は、試合ごとに回収し、次の試合からはベンチの後ろに全部張り出している。つまり、関西リーグ最終戦の立命戦には、それまでの試合に寄せられたすべてのメッセージがベンチの後ろに張り出され、選手を励ます仕組みになっている。次の同志社戦にも、立命戦にも、試合前のファイターズのブースで書き込めるようになっているから、ぜひとも熱い言葉を書き込んで、選手を励ましてほしい。
 励ますといえば、僕もこのコラムを読んで下さっているみなさんに励まされている。
 先日、「3年生の力」という題で、「今年は3年生が『4年生の気持ちになって』チームを引っ張っている。その取り組みが4年生に刺激を与え、2年生の力を引き出す原動力になっている」という趣旨のことを書いたら、「特定の選手の活躍を取り上げて、とやかくいうのは間違い。ファイターズは、選手もそれを裏で支える部員も一緒になり、全員で戦っているチームだ。筆者はファイターズのことがまったく分かっていない」と批判する書き込みがあった。
 「それは事実誤認。言い掛かりと違いますか」と、思わず反論しようかと思ったが、僕がいうより前に、多くの方が僕の代わりに、いろいろ具体的な例を挙げて「反論」して下さった。反論して下さった方がどういう方か、まったく存じ上げないけれども、このコラムを熱心にお読みいただいていることは、その文面を見ればよく分かる。本当にありがたいことだ。
 こういうときに、このコラムも読者のみなさんに支えられていることが実感できる。志半ばで亡くなった、あの平郡雷太君が口癖のようにいっていた「支えてくれる人」という意味が、わがこととして納得出来るのである。
 ファイターズは「支えてくれる」人の多さでは、どのチームにもひけをとらない。「応援メッセージ」に代表される、そうした「支えてくれる」人たちの期待に応えるためにも、関西リーグの残り2試合、そしてその後に控えているはずの2試合に向けて、さらなる精進を続けてほしい。同志社戦まであと1週間、立命戦まであと3週間である。
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2006年11月01日

(27)関大戦、最後の攻撃

 関大との試合を観戦中、読書用の眼鏡を紛失してしまって、不便をかこっている。急遽、眼鏡屋さんに走ったが、新しい眼鏡ができあがるのは、明日の午後という。もちろん、試合の観戦や車を運転する時に使用する眼鏡はあるが、度が強すぎて近くのものが見にくい。読書は裸眼で何とかなるが、パソコンの画面が見にくいのには閉口する。メールのやりとりが不自由だし、仕事にも差し障る。原稿を書くのもひと苦労だ。
 それにしても、関大戦は厳しかった。勝つには勝ったが、胃が痛むというか、冷や汗ものの勝利だった。
 その辺の事情については「主務のブログ」や「関学スポーツ」が詳しく書いているので、あえて触れないが、一つだけ気になることがあるので、書いてみたい。31−21とファイターズがリードして迎えた試合終了直前の攻撃シリーズのことである。
 フィールド中央付近から始まったこのシリーズ。まずはRB古谷が22ヤードほどを駆け抜けてダウンを更新。続く攻撃もRB稲毛が13ヤードを走って再びダウン更新。残り15ヤードとなった場面でも、古谷、稲毛、山田が確実にランプレーで陣地を稼ぎ、時間を消費しながら3度目のダウン更新。ゴール前5ヤードに迫った。
 ここまでは順調だった。問題はここからである。ゴール前5ヤードからファイターズは3度ランプレーを選択し、正面から押し込もうとしたが、それをことごとく跳ね返された。最後はK大西がフィールドゴールを決め、そこで試合終了となったが、僕にとっては大いに不満の残る結末だった。
 4度も攻撃のチャンスがあるのに、なぜ残り5ヤードが進めなかったのか。
 一番は、勝敗に関係なく、関大が「宿敵・関学」を相手に、最後まで戦うという意地を見せたことが原因だろう。「たとえ試合に負けても、ここは押し返してやる」という彼らの気持ちが、関学オフェンスの気持ちを上回っていたということだ。
 ここを0点に抑えても、時間がないから、攻撃のチャンスは回ってこない。けれども、宿敵にむざむざと得点を許すようなことは、プライドが許さない。何が何でもタッチダウンだけはさせない。そういう関大のチームとしての意思が貫徹され、3度のランプレーをことごとく跳ね返したのだ。
 それに対して、関学には「絶対にタッチダウンで試合を締めくくってやる」「苦しい試合だったけど、最後にガチンコ勝負で力の差を見せつけてやる」というチームとしての意思があったのかどうか。気持ちはあったとしても、3度の攻撃で、結局1ヤードも進めず、フィールドゴールを選択しなければならなかった結果からいえば、その意思は空回りしたというしかない。
 これが、腹立たしい。もちろん、もう勝負が決着しているから、あえて攻撃はしなくてもいいという選択肢があるのは承知である。ならば攻撃を放棄して、4度ともQBがニーダウンをすればいいではないか。それをせず、タッチダウンを取りに行ってとりきれなかった中途半端な攻撃が気にいらないのである。
 関大との試合でリーグ戦が終わるのなら、何も言うことはない。でも、僕らのファイターズは立命に勝って甲子園に行くこと、そこで関東代表に勝って、日本1になることが目標のチームである。日本1になって、ファイターズこそが日本の学生アメフット界の模範である、リーダーであるということを示すことを使命にしているチームである。
 ならば、チームとしてのプライドを賭けて止めにきている相手を、さらに上回る気持ちで向かっていくのが当然ではないか。必死懸命の相手を上回る必死懸命があって初めて、立命と戦う資格が得られるのではないか。
 相手の気迫に飲み込まれ、たった5ヤードが進めないというのは、どういう事か。それが立命に勝ち、日本1になることを使命としているチームの、悔しいけれども現実なのか。
 立命は強い。その強い立命に勝つためには、オフェンス、ディフェンスを問わず、心技体すべてに渡って、相手を上回る力が必要だ。その力を付けるためには、一瞬の停滞も気のゆるみも許されない。あらゆる場面で、全身全霊を込めて戦わなければならない。それが挑戦者に課せられた責務である。
 立命戦まであと4週間足らず。途中に同志社戦もある。残された日は少ない。ファイターズに所属するすべての人間が精進し、力を蓄え、気力を養ってほしい。そして、1点の悔いもないように戦ってほしい。
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2006年10月18日

(26)3年生の力

 今季のファイターズは、先発メンバーに4年生が少ない。先日の関学−近大戦の先発メンバーを見ても、攻守とも4年生は3人ずつしか出ていなかった。オフェンスではラインの白水、生田にRBの古谷。ディフェンスはLBの橋本、DBの岡本、藤井。
 この話は、ファンクラブの会報(次号に僕の観戦記が掲載される予定。乞う!ご期待)にも少しばかり書かせてもらったが、4年生に故障者が増えているのか。それとも下級生の力が伸びて、4年生からポジションを奪っているのか。下級生に注目して関学−近大戦を観戦した。
 結論からいえば、下級生が力を付けている。というか、3年生や2年生が4年生のつもりで試合に臨み、4年生のような活躍をしているのである。
 それを証明する象徴的なシーンがあったので紹介したい。
 先制しながら、近大の矢継ぎ早の攻撃で7−7に追い上げられた直後の第1Q9分過ぎ。近大のキックしたボールを榊原(3年)が自陣20ヤード付近でキャッチし、そこから一気にゴール前数インチまでリターンした場面である。ボールを確保した時点では、相手のキッキングチームが殺到していたから、いかにセンスのある榊原であっても、リターンは難しそうに見えた。ところが、あれよあれよという間に相手を交わし、気がつけば一気に左サイドライン沿いを駆け上がっていた。多分、萬代(3年)だったと思うが、ブロックもしっかり決めていたので、相手はリターンタッチダウン(TD)を逃れるのが精一杯だった。
 このプレーを見ていたほとんどの人は、榊原のリターンはすごい、と舌を巻いただろう。その通りである。けれども、僕はそのすごさ以上に、彼の試合に臨む「意志」の強さに感動した。自分の所へ飛んできたボールは、何が何でもリターンするんだ、という強い「意志」であり、自分のプレーで試合を動かすんだ、という明確な「意図」である。
 ブロックに行った萬代のプレーにも「意志」が感じられた。ボールをキャッチしたのは榊原、ならば俺は確実に相手をブロックして彼の走路を確保する、という意志である。初戦の神戸大戦で彼が90ヤード近いキックオフリターンTDを決めたときに、榊原が確実に相手をブロックし、萬代の走路を確保したのと、ちょうど逆のパターンだった。
 リターナーに並ぶ3年生WR2人が期せずして見せてくれた明確な意志。それは「4年生に甲子園に連れて行ってもらうのではない。俺たちが甲子園に行きたいんだ」という意志である。それは榊原や萬代だけではない。今季、グラウンドで戦っている3年生が共通して発しているメッセージである。
 この日の最初のTDパスをキャッチしたTEの韓。守備の要として強烈なタックルを連発し、ファンブルリターンTDも奪ったLB佐藤。時にはDE、時にはLBの位置から素早い突っ込みと強烈なタックルで相手QBを悩ませるDL國方。毎試合、絶妙のキックでフィールドを支配しているK大西。そして、初戦から不動の主戦QBとして勇気と知恵を振り絞っている三原。そういった面々である。
 誇張した表現かもしれない。僕が勝手に思っているだけかもしれない。でも、僕は、彼らが代表する今季の3年生の動きを見るたびに「俺たちは甲子園に行きたいんだ。俺たちがみんなを甲子園に連れて行くんだ」というオーラを感じてしまう。そして、そのオーラが4年生に刺激を与え、2年生や1年生にも感染して、チームの力を日々伸ばしていると、僕はにらんでいるのである。
 4年生の白水と生田を中心に、春とは見違えるような安定感を見せているOL、相手ディフェンスが待ちかまえているど真ん中に飛び込み、駆け抜けていく4年生RB古谷と川村。2年生ながら、DLの中軸としてチームを引っ張る早川。彼にあおられるように試合ごとに成長を見せつけている同期のDL黒澤、荒牧、川島。彼らの活躍が目立つのは、榊原や三原、國方や佐藤など、常時、試合に出ている3年生がそれぞれのプレーを通じて、強烈な意志、明確な意図を発しているのを受け、それに負けるモノかと発奮しているからに他ならない。
 ファイターズは4年生のチームといわれる。実際、今季も、すべての面で柏木主将を中心とした4年生がリーダーシップを発揮し、チームを支えているようだ。だからこそ、ファイターズは試合ごとに成長しているのだろう。
 けれども、それは3年生以下が4年生に任せておけばいいという意味ではない。ファイターズのメンバーとして、フィールドに出るすべての人間には「俺たちがみんなを甲子園に連れて行くんだ」という強い意志を、プレーを通じて表現する義務がある。それを表現しているのが榊原や三原であり、今年の3年生のすごさである。
 次は関大戦。これまた強敵である。強敵を相手に3年生や2年生がどんなパフォーマンスを見せるか。4年生がどうリーダーシップを発揮するか。次回はその辺に注目したい。
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2006年10月13日

(25)練習は裏切らない

 いま、パ・リーグのプレーオフで、日本ハムがソフトバンクを破って日本シリーズへの進出を決めた。セ・リーグでは、阪神の驚異的な追い上げを振り切って、一足早く中日が優勝を決めている。
 中日が優勝を決めた翌日の朝日新聞に、1番打者としてチームを引っ張ってきた荒木選手のインタビューが載っていた。その中で彼は「この3年間でチームは本当に強くなった。なにより練習量が違う。朝から晩まで、キャンプの練習時間は3時間は長くなった」といっている。続けて、落合監督の絶妙のノックが自分を鍛えてくれたことについて話し、「シーズン中、どんなに苦しくても、あれだけ練習をやったんだ、と思うと、乗り切れた」と振り返っている。
 練習は裏切らない、ということだろう。
 似たような意味のことを、京大戦の後、ファイターズの早川悠真君(2年)が僕に話してくれた。前半終了直前のフィールドゴール、後半開始早々のタッチダウンと、京大が立て続けに10点を取り、13−10と追い上げてきた局面で、起死回生のセーフティーをもぎ取ったプレーについて、質問した時のことである。
 そのプレーをご覧になっていない人のために説明すると、次のような場面だった。両軍ディフェンスの健闘で、膠着状態のまま迎えた第3Q8分36秒。大西史恭君(3年)の絶妙のパントで、京大の攻撃はゴール前数インチから始まった。そこで京大は、FBが確実に中央を突くプレーを選択したが、ボールがスナップされると同時に早川君が素晴らしいスタートと当たりで相手センターを押し込んでFBの進路をふさぐ。そこへ左サイドから飛び込んできた國方雄大選手(3年)がタックルを決め、セーフティーを奪い取った。
 このプレーについて、早川君は「練習で想定していた通りに動けた。練習では、もっと厳しい状況を設定してやっているから、相手の動きもよく見えた」と解説してくれた。プロ野球とアメフットという違いはあっても、練習をしっかりやってきたから、本番でも力を発揮できた、という点が荒木選手の談話に通じていた。
 練習で出来ないことが試合で出来るはずがないといわれる。相撲界には「3年先の稽古」という言葉がある。あの宮本武蔵も「五輪書」の中で、しきりに朝鍛夕錬(つまり朝に鍛錬、夕べに鍛錬という意味である)の大切さを説いている。「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。よくよく吟味あるべし」ともいっている。それぞれに、技術の向上は目的を持った適切な稽古抜きにはあり得ない、ということを表す言葉であろう。
 そういえば、同じセーフティーの場面について解説してくれた堀口コーチは「早川も成長しているけど、その両脇を固める荒牧と黒澤が成長しているから、早川も安心して突っ込めるんです」といって、最前線を守る3人の2年生の成長を評価していた。
 個々の選手がしっかり練習すれば力が付く。選手に力が付けば、周囲の選手も動きやすくなる。それが相乗効果として機能すれば、チームとしても試合の流れを変えるプレーが実現できる。そういうことだろう。しっかりした投手陣を中心に、守りを鍛えてセ・リーグを制した中日、同じくパ・リーグを制した日本ハムと通じる話である。
 しっかり練習して、個々の選手の力を底上げし、それをチーム全体の力としてゲームに発揮する。そういう片鱗を見せてくれたのが10月1日、雨の西京極競技場で行われた関学−京大戦である。「学生界最強」と評価される京大の強力なディフェンスに仕事をさせないように、すべての攻撃に工夫をこらしたオフェンスの成長とともに、なかなか見応えのある試合だった。
 京大に勝って、ともかく甲子園への「第一関門」は突破した。残り4試合。それぞれ力を秘めた相手だが、京大戦のように「相手の力を発揮させず、自分たちの力を発揮する工夫」を重ね、残る試合も勝ち進んでほしい。
 練習で鍛えられ、チームとしての力は、間違いなく上がっている。けれども、これに満足せず、さらに吟味し、鍛錬を重ねることで、さらに高いレベルを目指してほしい。
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2006年10月06日

(24)コラムを書くということ

 前回に書いた「審判団への注文」に、いろんな方からご意見をたまわっている。
 代表的なご意見は、コメント欄に寄せられているようなものだが、今日は現役の審判の方からもメールでご意見をいただいた。「ファイターズのOBでもなく、父母でもなく、スタンドからファイターズの試合を観戦している立場からの率直なご注文、ありがとうございました。審判技術の向上は日本のアメフット界にとって、いいグラウンドを確保するのと同様、必要不可欠なことです。もっと『辛口』の注文も歓迎です」という趣旨の、身に余る温かいお言葉だった。
 僕はただ、ファイターズに強くなってほしい、品格のあるチームになってほしいということだけを願って、このコラムを書かせてもらっている。ファイターズのOBでもなく、アメフットの技術的なことには素人同然だが、卒業するときに、このチームでアメフットをやってきてよかったと、すべての部員に思ってもらえるように、そのお手伝いをさせてもらっている。
 その思いが余って言葉が過激になり、時には関係者に不愉快な思いをさせるようなことがあるかもしれない。あるいは、書いているのは僕個人の思いであっても、発表している場がファイターズの公式ホームページだから、巡り巡ってファイターズに迷惑のかかるようなこともあるかもしれない。
 今回の「審判団への注文」もそんな内容を含んでいる。あくまで僕個人の願望として、審判団にこういう風にしてもらいたいな、と書いているのだが、それを公式のホームページで公表してしまえば、それは個人の見解にとどまらず、ファイターズからの審判団への注文と受け止められる可能性がある。そういう危険性をはらんでいる内容だけに、僕としてはいつになく言葉遣いに気をつけて書いたつもりだったが、それでも実際、どんな風に読んでいただけるか、胸の奥ではびくびくしていた。
 そこへ、現役の審判の方からのメールである。一瞬、お叱りの言葉が並んでいるのかとドキッとしたが、僕のいいたいことをきちんと理解して下さっていたので、ホッとした。このコラムにお寄せ下さったいくつかのコメントも、それぞれに「書き手の良識」を感じさせてくれる内容で、いまごろになってホッとしている。
 新聞記者生活も約40年。いい加減長い間、文章を書いて過ごしてきた。いまも書いている。その間、叱られたこともあったし、ごくたまには、褒められたこともある。
 そういう評価は別にして、新聞(ごくまれには週刊朝日やAERAに書いたこともある)に書いている以上、あくまでその記事はその新聞社のモノである。書き手の主観が色濃く出ていたとしても、読者はそれを○○新聞の記事として読んでくれる。
 ところが、ファイターズの「公式ホームページ」に書くとなれば、それを個人の名前で、個人の責任で書いたとしても、内容によっては、累がファイターズに及ぶことを覚悟しなければならない。
 でも、それを深刻に考えていたら、ろくな文章は書けない。だからといって、無味乾燥な「岡目八目」のような論評では、どなたにも読んでいただけない。勢い、過激な筆遣いになってくる。その辺のさじ加減の難しさ。
 それはマネジャーのブログにしても同じである。いや、彼は現役の部員だから、僕以上にそのスタンスの取り方が難しかろう。書きすぎれば叱られるし、しっかり書かないとただのクラブ紹介になってしまう。
 そういう中で、マネジャーも僕も、毎週のようにあれやこれやと書いている。より多くの方にファイターズのことを理解してほしい、という気持ちがあるからである。ファイターズをして、日本1の素晴らしいチームになってもらいたいからである。ついでに、僕らがこんな文章を書いていることで「ファイターズは日本1、ホームページも日本1」という評価が定まれば、それ以上にうれしいことはない。
 僕は褒められるのが大好きな人間である。
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2006年10月03日

(23)審判団への注文

 その昔、プロ野球の名監督として知られた三原脩監督から判定について抗議を受け、「それはルール・ブックのどこに書いてある」と追及されたとき、「私がルール・ブックだ」といって、その抗議を退けた審判がいた。別の日、彼がアウトと判定した微妙な場面について、翌日、新聞記者が写真を見せながら「どうみてもセーフでしょう」とクレームを付けてきたときには「写真が間違っている」と突き放した。
 ともに、戦後間もないころのプロ野球界で鳴らした名審判、二出川延明氏のエピソードである。この話は、審判の権威を象徴する言葉として、あるいは審判も時には間違いを犯すけれども、判定は絶対だということを説明する言葉として、いまも時々引用される。
 そんな古い話を思い出したのは、ほかでもない。先日、雨の西京極競技場で行われた関学と京大の試合で、首をかしげたくなるような判定があったからである。前半、得点差も少なく、双方がぎりぎりと押し合いをしている場面での出来事だった。
 京大のオフェンスが自陣20ヤード付近からの攻撃で中央のランプレーに出たとき、ボールがキャリアの手からはじき飛ばされた。そのボールの確保に双方の選手が飛び込んだが、審判が場内放送で説明したところでは「ニーダウン」。つまり、キャリアの手からこぼれる前に、プレーが完了していたという判定だった。しかし、ボールの置かれた位置は、ニーダウンした場所ではなく、最後に双方の選手が入り乱れ、ボールが確保された場所だった。
 これが解せない。ボールがこぼれる前にニーダウンでプレーが完了していたのなら、その位置から次の攻撃を始めなければならないし、プレーが完了する前にファンブルがあったとすれば、そのボールを確保したチームがそこから次の攻撃をすることになる。
 審判が「ニーダウン」と説明した以上、「ニーダウン」をした位置から京大の攻撃を始めるのがルールだと思うのだが、実際に京大が次のプレーを始めたのは最後にボールを確保した地点だった。つまり、問題のプレーはニーダウンではなくファンブルで、それを京大サイドがリカバーしたと審判団が判定したから、そこから次のプレーが始まったということだろう。
 この判定と説明との食い違いについては、関学ベンチも納得できなかったようで、鳥内監督が審判団に説明を求めていた。どういう説明が審判団からあったのかは伺っていないが、そのまま試合が再開されたから、多分、ニーダウンという放送が間違いで、ファンブルボールを京大がリカバーしたという説明があったのだろう。
 でも、スタンドで見ている私たちには最初の放送以外、何の説明もなかったから、どういうことだかさっぱり分からず、審判団に対する不信感が残った。
 そうなると、審判の判定が微妙に不公平に見えてくる。25秒計がゼロを指しているのに「ディレー・オブ・ゲーム」の反則をとらないのはなぜかとか、細かいところまで気になって仕方がない。
 もちろん、僕が関学を応援し、関学のプレーをひいき目で見ているからこその思い過ごしであろう。審判は公平に判定しているのに、先ほどの判定に対する不信感から、ほかのプレーについても不信の目が働いてしまったというだけのことだとは思う。
 だが、双方がしのぎを削っているぎりぎりの局面で「ニーダウン」と審判が場内に放送で説明しながら、実際のプレーはファンブルボールのリカバーと判定して進められるという場面を目の当たりにすると、審判に対する信頼が揺らいでしまう。
 このような事態、つまり審判が観客席から不信の目で見られるということは絶対に避けなければならない。なぜなら、アメリカンフットバールは時間からボールを置く位置まで、ゲームの進行に関するすべてを審判の判断にゆだねているスポーツであるからだ。
 冒頭の二出川審判の例を挙げるまでもなく、審判は神様ではない。たとえ選手が反則を犯していても、それを見過ごす場合もあるだろうし、運悪く雨が目に入ることだってあるだろう。ボールを置く位置を何インチかは間違うこともあるだろうし、ゲームの進行に気を取られて25秒計から目が離れることもないとはいえないだろう。
 それはすべて承知のうえでいうのだが、せめてベンチから抗議が出たときだけでも、その抗議の内容と審判団が判定に至った理由の説明はすべきではないか。
 今後、日本のフットボール界がさらに発展していくためには、審判技術のさらなる向上が不可欠である。この観点からいって、審判にはゲームの進行に責任を負うだけでなく、観客への説明ということについても、もう少し心を配っていただけたらと思う。
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2006年09月25日

(22)正々堂々の戦い

 毎年のことだが、イヤーブックの部員紹介のページには、部員たちのファイターズに入った動機がいろんな言葉で書かれている。「新しいスポーツをしたかった」「日本1になりたい」「ファイターズに憧れて」「高校からの流れで」というような答えが多いが、なかには「妹にすすめられた」「人生の大博打」「その時のテンション」というような独特の言い回しで表現している選手もいる。
 もちろん、「なぜファイターズなのか」「なぜアメフットなのか」という問いに、一言では答えられないというのが本音かもしれないし、入部後、ファイターズで活動する中で、ファイターズにかける思いが変わってくることもあるだろう。アメフットという競技を通して、青春を燃焼させたいという学生もいるだろうし、人生の真実を見つけたいと期す部員もいるだろう。あくまで、勝ち負けにこだわるという人もいれば、思った通りの力を発揮することに意味があると考える人もいるはずだ。
 試合で活躍することだけがすべてではない。さまざまな形でチームに貢献し、仲間を信頼することの大切さや自らの可能性に目覚めることが出来たら、それは勝敗以上に価値があるという考え方も出来る。
 これは僕の勝手な思い込みかもしれないが、表現の仕方は違っても、アメフットという競技、ファイターズという組織の中で、思い切り自分を燃焼させたい、自らの可能性を極限まで追求したいというのが、ファイターズの門を叩いた学生たちの「本音」だと、僕は考えている。そしてそれは、ファイターズに限らず、ほかのチームでアメフットに取り組んでいるほとんどの選手たちにもいえることだと思う。
 なぜなら、スポーツとは本来、そういう魅力を持ったものだし、人間とは元来がそういう挑戦をすることに喜びを感じ、自らの可能性を切り開く中で、楽しさや充足感を獲得する生き物であるからだ。
 にもかかわらず、実際の試合になると、時として醜悪な場面が出現する。その最たるものが、相手選手を傷つけることを目的にしたラフプレーである。それは反則をとられたからだめ、反則と認定されないからよい、という次元の問題ではない。勝つために相手選手を傷つけようと思ったその瞬間に、その選手はグラウンドを立ち去らなければならない性質の行為なのである。
 例えば、昨年のリーグ戦で、WRの榊原選手が傷つけられた時のことである。パスをキャッチして倒れ込み、プレーが終了して立ち上がろうとした無防備な場面で、彼は強烈なタックルを受けた。審判はその場面に気付かなかったのか、反則はとらなかったけれども、スタンドから見ていても、ビデオで見ても、明かにレートヒット、それも、故意に相手選手を傷つけようとする行為だった。
 そういう卑劣なプレーが、どれほどそのチームの値打ちを落としていることか。アメフットというスポーツをおとしめていることか。グラウンドに立つ選手もコーチも、もっと深刻に考えるべきである。
 審判は見ていなくても観客は見ている。観客が見ていなくても天は見ている。誰よりも、ラフプレーをした自分自身がその意図と行為を知っている。
 考えてもみたい。大学生活の4年間をかけた晴れ舞台で、僕は相手選手を傷つけるための卑劣なタックルをしました、というのでは、その選手は将来、愛する人に僕はアメフットに人生をかけていました、と胸を張っていえるだろうか。生まれた子どもに、おれはアメフットに青春を燃焼させてきたと語り継ぐことが出来るだろうか。
 勝敗にこだわるのはいい。負けるより勝った方がうれしい。それは当然だが、勝つことにこだわる余り、自らの誇りを捨ててしまうようなことはしてほしくない。
 試合の結果は試合にのみ帰する。10月1日は京大戦。因縁の試合である。しかし、両チームとも「負けは失敗」という価値観からもう少し自由になって、自らの青春を燃焼させた、自らの可能性を切り開いた成果を、西京極の緑の芝生の上で表現してほしい。将来、彼女や子どもに胸を張って語れる、正々堂々の戦いを繰り広げてほしい。
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2006年09月17日

(21)甲子園で校歌を歌う資格

 16日の大産大戦は58−0の圧勝。相変わらず「21世紀最強」(僕が勝手に名付けているだけだけど)のレシーバー陣が切れ味鋭い走りを見せつけ、一発タッチダウンの連続だった。
 得点経過を見れば、そのすごさが分かる。第1Q、最初の攻撃シリーズは三原から秋山への21ヤードのパスでTD。次のシリーズこそ大西のフィールドゴールで終わったが、第2Qに入って最初のシリーズは、幸田から萬代へ85ヤードTDパス。続いて、またも同じコンビで58ヤードTDパス。後半に入ってからも幸田から榊原へ57ヤード、幸田から秋山へ45ヤード、幸田から徳井へ19ヤードと、立て続けにTDパスを重ねた。ランプレーによる得点は、後半の立ち上がり、川村が5ヤードを走り切っただけ。あとは、最後に向畑がインターセプトリターンでタッチダウンを奪っただけである。
 数字から想像がつくように、パスをキャッチしてからのランにすごみがあった。とにかくボールを確保した瞬間に相手デイフェンスを振り切り、後は独走してしまうのだ。
 もちろん、ほかのレシーバーが巧妙にブロックして走路を確保したこともあったし、相手の選手がバテバテで、追いかけきれなかったことも考慮する必要はある。京大や立命の強力なディフェンスが相手なら、とてもあのように自在に走らせてくれないだろう。そういう点は割り引かなければならないけれども、初戦の神戸大戦に引き続き「一発タッチダウン」の威力をまざまざと見せつけたオフェンスには、近年のファイターズには見られなかった切れ味があった。
 その「一発タッチダウン」の大半を演出したのが、2年生のQB幸田。春はほとんど試合に出ず、この日が事実上のデビュー戦だったが、まったく物怖じすることなく、自慢の強肩を披露してくれた。
 彼のプレーぶりをつぶさに見たのは、以前(7月5日付)このコラムにも書いた流通科学大とのJV戦が最初である。その前の明治大との定期戦の最後にちょこっと登場して非凡な所を見せていたが、JV戦でも素晴らしい強肩を披露した。それを見て僕は「三原君と加納君のスターター争いに割り込んできそうなパフォーマンス」と書いたが、その予感が本物になるかもしれない。
 試合経過の報告が長くなった。今日の本題に入る。控え選手の話である。
実はこの日の試合には、メンバー表に記載されている選手(1年生15人を含む88人)の大半(正確には数えていないけれども、多分70人以上)が試合に出場したのである。いくら選手交代が自由に出来る競技だといっても、練習試合ならいざしらず、前後半48分の公式戦に70人以上が出場するというのはただごとではない。
 例えばDL。ファイターズは通常、3人か4人で守っているが、この日はとっかえひっかえして、14人中13人が試合に出た。おもちゃ箱をひっくり返したというか、蜂の巣をつついたというか、大げさにいえば審判の笛の鳴るたびにメンバーが替わっていた。
 どうしてか。ひとつは1、2年生には公式戦の雰囲気を味あわせて経験を積ませるという意味がある。もうひとつは普段、出場機会がなく、裏方に回っている上級生に晴れ舞台を経験させて、日ごろの労苦に報いるという意味もあるだろう。
 そういう欲張りな目的を持って、選手を起用した結果の「70人以上」である。でも、試合には勝たなければ意味がない。温情やテストで選手を起用できるほど、気楽な試合はリーグ戦ではほとんどない。実際、前半大量にリードして、後半、控えのメンバーを起用した途端に試合のリズムがおかしくなり、苦戦した試合は、過去にいくらでもある。
 しかし、この日は違った。普段、出場機会がほとんどない選手が出ても、公式戦は初めてという新人が出ても、スタンドから見ている限り、ほとんど戦力的な差はないように見えた。控え選手が続々登場した後半になっても、次々に得点が積み上がったのが、その証拠である。
 この試合で活躍したそういう選手の代表が、QBとして登場した幸田であり、最後に相手パスをインターセプトし、そのまま63ヤードを走りきってTDを決めたDB向畑であろう。このプレーの伏線を作ったDL谷越の鋭い出足も印象に残った。彼が相手QBに襲いかかり、無理な体勢からパスを投げざるを得なくさせたからこそのインターセプトといっても過言ではないだろう。
 向畑も谷越も4年生。でも、試合ではほとんど見かけない選手である。しかし彼らは、グラウンドに登場したその瞬間に、記憶に残るプレーを演じてくれた。
 これが素晴らしい。ファイターズは、控え選手もスタメンの選手も一緒に戦っている。そのことを証明したのが、70人以上が出場したこの試合であり、期待に応えて活躍した控え選手である。彼らのプレーを見ながら、こういうチームにこそ勝ってほしい。彼らにこそ、甲子園で高らかに校歌を歌う資格があると思った。
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2006年09月10日

(20)青い鳥は家にいる

 先日、電車の中で偶然、アシスタントコーチの森栄市氏と出会った。高等部の練習も見ているということで、話は当然、アメフットのこと。アメフット選手としての鍛え方の話になった。
 その中で彼は、練習のための練習ではダメ。ただ重い物を挙げて満足しているより、石ころだらけの山道を走った方がよほど実戦的だ。体のバランスが養われ、アメフットに必要な筋力が身につく。そういう話をしてくれた。現役のころ、阪急梅田駅のコンコースの人込みの中を、いかにぶつからずに早く走り切るか競争したこともある。通行人には迷惑な話ですけど、あの人込みの中で人にぶつからず、右左にカットを切って歩くというのは、なかなか難しいんですよ。そんな話もあった。
 興味深かったのは、選手に家の手伝いをしなさいという話。洗濯や掃除をすれば、普段とは違う筋肉を使う。どういう段取りですれば効率がいいか考える。仕事の中から身体の機能を開発し、段取りを考える習慣を身につけていけば、必ずアメフットにも生きてくるはずだ。そういう話だった。
 興味深かった。まったく同じ趣旨のことを、武芸者の甲野善紀さんが最近、盛んに言っているからだ。彼は、古伝の武術を探求しながら人間の可能性を追求している人で、ファイターズにも何度か来て、その絶妙な体捌きを見せて下さった。RBの川村君や横山君は直接、その技を体験している。
 その甲野氏が最近、自身のホームページで「(幸せの)青い鳥は家にいた」という表現で、日常の何気ない動きに、技としての意味のある動きが隠されている、と盛んに強調しておられる。
 そこには「真に有効な技は、身体の中の野生状態にしかないのではないかという思いは確信に近くなってきている」「武術の世界でも職人の世界でも、入門した者にはいろいろな掃除や雑用をさせたというが、これはより自然な状態での身体の運用法を身に着けさせるために非常に意味のある稽古であったように思われてならない」「これからは掃除や工作、農作業なども体育として考えていくべきだ」などと書いている。
 そういえば、僕が子どものころに仰ぎ見たスポーツ選手は、家の手伝いをして身体を鍛えた人が多かった。年間42勝という、今では信じられないような記録を作ったプロ野球の稲尾投手は、少年のころ、大分の海で舟を漕いでいたことで足腰が鍛えられ、それが財産になったと言われる。土俵の鬼と呼ばれた横綱若ノ花も少年時代、北海道・室蘭の港で、石炭を船から運ぶ仕事に従事しており、それで筋肉が養われ、足腰が鍛えられたそうだ。
 今は、そういう機会が減った。ぼくが子どものころは米俵1俵が16貫(60キロ)。それを担げて初めて一人前だった。和歌山県古座川町あたりでは「俵1俵担いで崖を上れないようでは嫁に行く資格がない」といわれたそうだ。司馬遼太郎さんが「街道をゆく」の中で書いている。
 しかし、いまは60キロの米俵はない。あっても、ほとんどの人がかつげないだろう。いまは30キロの袋が単位である。セメント袋も昔は50キロだったが、それが40キロになり、いまは25キロになっている。ともに、現場で作業する人たちの筋力が落ちてきたのにあわせて軽くしたそうだ。
 万事が便利になって、最近は日常生活の中で、体の発達を促す習慣、行動様式が激減した。親も子どもに家の手伝いをさせることが少なくなった。その結果、筋力を付けようとすれば、ジムに通い、重い機材を持ち上げたり、トレーニング機器を使って足腰を鍛えたりしなければならない。
 しかしそれは、日常生活の中の動きとは異なって、重いものを持ち上げること、筋力を鍛えることのみが目的となっているから、暮らしの中で養われる筋力とは、自ずと違ってくる。マシンを相手に鍛えた足腰と、波の上で舟を漕いだり、不安定な足場を渡って石炭を運んだりして育んだ身体能力とでは、実戦では決定的な違いが生まれるのである。
 シーズンに入って、選手たちは日々、実戦を想定した激しい練習に励んでいる。そういう練習は必要不可欠だが、同時に、練習のための練習、トレーニングのためのトレーニングになっていないかどうか、いつも点検する目も持ってほしい。
 試合で動ける体づくり。実戦で生かせるトレーニング。大学の4年間は短い。常在戦場である。日常生活の中から、試合を想定した工夫、段取りを考えながら、取り組みを深めてほしい。
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2006年09月05日

(19)「もう5%」「もう10%」の努力

 3日は秋のシーズン初戦。ファイターズは神戸大学を相手に40−10で勝った。試合の内容や評価については、チームが目標とする高さ、コーチや選手自身が要求している水準によって異なるだろうから、観客席の僕がエラそうにいうことではない。
 ただ、オフェンスでは榊原、萬代、秋山を中心に、レシーバー陣が昨年以上に力を付けており、「一発タッチダウン」の威力をまざまざと見せつけた。ライバルチームにとっても脅威となるに違いない。
 ディフェンスも、2年生の早川、深川ら今季の活躍が期待される若手がスタメンで起用され、それぞれの持ち味を発揮した。後半から起用された1年生のLB古下も、将来性を感じさせるセンスのよい動きを見せてくれた。これは、僕の勝手な思いこみだが、今後、しっかり練習して体を作っていけば、あの平郡君の後継者としての活躍が期待できる素材である。
 ということで、勝利の話はここまで。本題に入る。
 先日発行されたファイターズの2006年版イヤーブックに掲載されている、堀古英司氏(1988年卒WR。彼のスーパーモンキーキャッチは、いまも鮮明な映像となって脳裏に刻まれている)のインタビューである。その中で彼は、現役部員に送るメッセージとして、次のように答えている。
 「とにかく少しずつでいいから、人よりも5%でも10%でも多く努力するくせをつけて、それをずっと積み重ねることが大事ですね。自信を持って5%、10%の積み重ねを淡々とやっていけば、自ずとよい結果に結びつきます」
 読んだ瞬間、「その通り。こいつは分かっている」と、思わず叫んでしまった。
 こいつなんて呼び方は、アジアの50人のトップビジネスマンに選ばれた堀古氏には、失礼千万な話だが、彼の言っていることには、全面的に賛同できる。
 彼の言わんとすることは、僕も、勤務先の小さな新聞社で若い記者たちに毎日のように言っていることである。このイヤーブックを読んだ前夜には、たまたま月に一度の拡大編集会議があり、席上、8月の「編集局長賞」を発表したのだが、その表彰理由は「日常の仕事を適切にこなし、紙面の評価をあげる記事を書いた。同時に、それにとどまることなく、その取材で生まれた取材先との信頼関係を生かして、新たなニュースを発掘した。与えられた仕事がすめば終わりではなく、そこからもうひと踏ん張りしようという姿勢を評価する」ということだった。
 まさに、堀古氏のいわれる「人より5%、10%の努力」を評価したのである。
 何事によらず、人より優れた仕事をしようと思えば、それにふさわしい努力が要請される。自らの天分だけで、人より優れた仕事のできる人は、100人に1人か2人いれば上等だろう。凡人が、人より一歩前に出ようと思えば、昨日より今日、今日より明日という向上心を持ち、たゆまぬ努力をするしかない。
 それも、形の上だけの努力では、力につながらない。日々工夫をこらし、試行錯誤を重ねながら、より効率のよいやり方を求めながらの努力が必要である。つまり、向上心に裏打ちされた努力が求められるということである。
 これを「5%、10%の努力」と呼んでもよいし、「もうひと膝乗り出す」積極性と呼んでもいい。とにかく、人より優れた成果を求めようとするなら、人一倍の努力が必要なのである。
 よく「練習は人を裏切らない」といわれる。相撲界には「3年先の稽古」という言葉もある。意味は同じである。高い目標に到達したいと思えば、それにふさわしい努力が必要である。その努力は、普段の鍛錬にほんの少しの要素を付け加えるだけでよい。それを日常の生活の中に習慣として取り込むことで「5%の努力」が、はかりしれない成果を生み出すのである。
 ファイターズの諸君も、この趣旨を汲み取って、ふだんの生活の中から、しっかり努力してほしい。「ローマは1日にして成らず」である。
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2006年08月27日

(18)武蔵の言葉

 内輪褒めみたいで、気が引けるけど、主務のブログが素晴らしい。忙しい中、せっせと新しいブログを書き続け、内容的にも回数を重ねるごとに密度が濃くなってきている。
 文章を書く仕事を40年近く続けてきた僕のような人間でも、いざ書くとなると、多少なりとも困難を伴う作業なのに、彼はしっかりとした考え、主張を明晰な文章で毎週、堂々と展開している。彼とは、挨拶を交わす程度で、じっくりと話し合ったことはないけれども、大学生であれだけ内容のある文章が毎週書けるというのは、ただ者ではない。
 と、思いっきり褒めたうえで、今回の「死に方用意」に関連して、余計なことを付け加えたい。
 宮本武蔵である。
 江戸時代初期の武芸者。佐々木小次郎との巌流島の決闘で名を残し、いまも映画や舞台に何度も取り上げられている人物である。最近では漫画「バガボンド」の主人公として、若い人たちにも知られている。
 彼は晩年、「五輪書」という書物を著しているが、その中で「数え13歳から30歳近くなるまでに都合60余度の勝負をしたが、一度も負けたことがない」と書いている。
 実際に、彼は腕が立ったらしい。その強さを物語るエピソードは数多く伝えられている。僕が数年前、朝日新聞日曜版の「名画日本史」という連載で、彼を取り上げた時の文章から一部を引用してみよう。
 「ある屋敷で試合を挑まれた。武蔵は近くにいた小姓を立たせ、その前髪の結び目につけた一粒の飯粒を上段から打ち下ろした刀で二つに切り裂いた。」
 「ある日。旗差物用に選んでと百本ほどの竹を差し出された。無造作に一本づつ振り下ろし、手元で止めると、次々に折れた。たった一本残ったものを『これがよろしかろう』と選んだが、人々はあまりの腕の力に恐れ入った。」
 加えて、彼は勝つための作戦というか、駆け引き、心理戦にもたけていた。京都で隆盛を誇っていた吉岡一門との決闘では、戦いのはるか前から現場を踏み、その地の利を得て戦った。逆に巌流島の戦いでは、わざと約束の時刻に遅れて相手をいらだたせ、心理戦で優位に立ったと伝えられる。
 人並み外れた腕があり、心理戦や兵法にも長じていた武蔵だが、その武芸について「五輪書」の中で「戦闘の役に立たなければ用はない」と何度も強調している。「死を覚悟するという程度のことは、百姓、町人だってできる。武士は戦って勝つことに意味がある。勝たねば意味がない」とも書いている。
 神林マネジャーの「死に方用意」という言葉に即して言えば、「死に方用意」という程度のことは、だれだっていえる。問題はその戦に勝つかどうかだ。勝たなければ「死に方用意」と言葉には意味がない。そのような意味に受け取ればいいのだろう。
 戦国時代に生を受け、武芸の腕一本で時代を生き抜いてきた人間ならではの言葉である。
 武芸者とは、その武術に命を預けた人間である。敗れたら、命もなくなる。すべての理論も理屈も終わりである。
 それだけに「負けたくない」という意識は、想像を絶するほどのプレッシャーになって、その武芸者に襲いかかってきただろう。だからこそ、山にこもり、野に伏して「負けないための工夫」「勝つための技」を鍛錬し、襲いかかる心理的な重圧をはねつけ、なだめるための精進を重ねてきたのだ。
 そうした日常があったからこそ、60余度戦って無敗という境地に立てたのである。
 ファイターズの諸君も、いざ出陣である。戦いのフィールドに出ていくにあたり、「死に方用意」と決意するとともに、勝つための工夫を存分に凝らし、準備を重ねてほしい。
 「武士は戦って勝つことに意味がある」という、武蔵の言葉を抱きしめ、戦いに臨んでほしい。
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2006年08月17日

(16)力哉の背中

 先日、兵庫県の北部・鉢伏高原で合宿中のファイターズを訪ねた。
 秋に備えて、選手たちがグラウンド一杯に広がって練習を繰り広げている。いつもの上ヶ原のグラウンドと似たような光景だが、「合宿」という言葉がもたらす先入観か、あるいは「鉢伏」という場所のせいか、中身はひと味違って見える。
 そんな中で、ひときわ存在感のある選手がいた。アメフット界の頂点・NFLでの活躍を目指してトレーニングを続ける石田力哉氏である。
 ファイターズが初めてライスボウルに勝ち、日本1になった時の主将。鍛え上げた体と抜群の運動能力を持ち、人並み外れた闘争心と統率力のある選手だった。1年生の時からディフェンスラインとして活躍。4年生ではラインバッカーに転向し、試合に出るたびに相手オフェンスを粉砕した。その雄姿を記憶しておられる方も多いだろう。
 卒業後は、NFLを目指して毎年、NFLヨーロッパに参戦。けがで不本意なシーズンを送ったこともあるが、NFL関係者からも注目され「NFLに一番近い日本人選手」といわれている。
 彼のどこに存在感を感じたのか。
 もちろん、現役部員の相手をするときの動きは素晴らしい。僕のような素人が見ても、そのスピードと技術、力強さは際だっていた。それでいて、自らの力量をひけらかすようなプレーは一つもなく、もっぱら相手の力を引き出すような動きに専念していたのも好感が持てた。
 けれども、そういう動きが出来るのは、彼ほどの実績を持った選手なら当然のこと。わざわざ紹介するまでもない。
 紹介したいのは、まったく目立たないところでの彼の行動である。
 朝食後、彼はまず宿舎の裏手にある鉢伏山に登る。往復ざっと1時間の走り込みである。標高差約330メートル。コースは整備されているが、大半が急な坂道である。歩いて登っても息が切れる。このコースを彼は毎朝、一人で走りきる。その後は、体育館で懸垂をしたり、重しを乗せた器具を引っ張ったりのトレーニング。休憩後は、フレッシュマンとのストレッチにつきあい、レギュラー選手の練習の相手をする。
 感心したのは、筋力トレーニングでもランニングでもストレッチでも、彼が一切手を抜かないことだ。懸垂6回を5セットと言えば、必ず6回ずつ確実に体を引き上げ、5セットをやり遂げる。どんなに苦しくても、誰も見ていなくても、回数をごまかすようなことはしない。重い器具を腰で引きずって何十メートルも歩くトレーニングでも、必ず自分でゴールと決めたラインまで引っ張り、たとえ50センチでもごまかすようなことはしない。大勢に混じって行うストレッチでも、確実に膝を曲げ、筋肉を伸ばし、股関節を広げている。
 驚いたのは、彼が練習で移動する時に必ず、スキップするようにして動いていたことだ。たいていの選手が疲れて足を引きずるようにして歩いているときでも、彼だけは違う。サーブを待ち受けている時のテニス選手のように、絶えず体を小刻みに動かして、筋肉の働きを促し、膝の柔軟性を確保するように務めているのだ。「そういう風に丁寧に体を動かすのは、プロになってからか」と聞くと「学生時代からですよ。僕はきっちりやるのが好きなんです」という答えが返ってきた。
 聞けば、普段の日も毎日、4時間ぐらいはトレーニングを続けているという。「ベーシックなものばかりです」というが、その一つひとつを、一切手を抜かずにやり続けていることは、彼の鋼のように鍛えられた体が証明している。なんせ体重が110キロもあるのに腹筋は割れているし、40ヤードを4秒台で走れるのだ。
 目標を持ったトレーニングだから、一切手を抜かない、妥協しない、という厳格な姿勢。自己に対する厳しい規律。鉢伏のグラウンドで見た彼の背中は、目標を立てた人間がその目標に到達するために、何をなすべきかということを、黙って語っていた。
 これこそ、現役のファイターズの諸君に見習ってほしいことである。アメフット界の頂点を目指そうというのなら、それを言葉にするだけでなく、そのための行動がまず要請される。自己抑制、自己規律。力哉先輩の背中はその大切さを物語っている。
 石田力哉氏は、9月で27歳になる。
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2006年08月09日

(15)スポーツという長い旅

 先日、高校生と小論文の勉強会をしたときの教材に、サッカーの中田英寿選手が引退にあたってホームページに掲載したコメントを使用した。
 8歳の冬、山梨県のとある小学校の校庭の片隅から始まり、6月22日、ドイツでのワールドカップ・ブラジル戦で一区切りをつけた「サッカー」という長い旅の話である。
 彼が肉声で綴った約2500字の文章は、多くのメッセージを送っている。サッカーをしている現役選手、いまサッカーを始めたばかりの子どもたち、彼を応援し、支えてきたファン……。読む人によって、伝わる意味はさまざまだろうが、メッセージは確実に発信されている。
 サッカーというスポーツに出会った楽しさ、サッカーを通して授けられた喜び、悲しみ、友、そして試練。サッカーを素直に「好きです」といえない鬱屈、成功と引き換えに失われてしまったサッカーに対するみずみずしい感情。そうした心の揺れを率直に綴り、自らのサッカーに対する「姿勢」が間違っていなかったと自信を持って言い切る。
 そこにはサッカーに、全身全霊を込めてぶつかり、取り組んだ人間の赤裸々な感情があふれている。自らの「誇り」を高らかに宣言し、関わってくれたすべての人に、心のそこから「ありがとう」という開けっぴろげの感情がある。
 こうした文章に、いまアメリカンフットボールを通して「それぞれの旅」に出ようとしている高校生たちが、どのような感想を書いてくれるのか。スポーツと人生について、どんな考えを披露してくれるのか。それが、僕の問い掛けだった。
 結論から言えば、高校生は高校生なりに人生と取り組み、スポーツの意味を考えていることが、小論文を通じて伝わってきた。教材に使った目的は達成された訳である。
 けれども、中田選手のあの文章は、高校生以上に、いままさにアメリカンフットボール漬けになっているファイターズの諸君にこそ考えてもらいたい内容を含んでいる。
 人生におけるスポーツの意味。スポーツを通して突きつけられる試練、喜び、悲しみ。そして友情や信頼……。
 ボールを抱いてひたすら走ること。ただただ目の前の敵を倒すこと。絶対に捕れそうにないボールを身を挺して確保すること。脳髄を絞り出すようにして作戦を立て、その作戦を試合で実行すること。
 アメフットには、ポジションごとに多様な役割があり、その多様な役割が有機的に機能したしたときに初めて、勝利への道が開ける。グラウンドでプレーする選手だけでなく、それを支えるマネジャーやスタッフの役割も奥が深い。
 それぞれの役割をじっくりと考え、人生におけるスポーツの意味について答えを見つけてほしい。答えが見つからず、鬱屈や疑問だけが残ったとしても、それを丸ごと抱え、その意味を真剣に考えてほしい。しっかり考え、本気になって取り組むところから、初めて仲間との絆が深まり、協力が生まれる。互いの信頼も高まる。
 アメフットの出来る頑強な身体や、ファイターズでプレーできる環境は与えられたものかもしれない。しかし、その身体や環境を生かすのは、選手諸君である。
 10日からは夏の合宿。自らを見つめ、自らの能力を開花させるための修練の場である。しっかり練習して、それぞれの「長い旅」を切り開いてほしい。
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2006年07月27日

(14)夏の受験勉強

 暑い。熱い。アツイ。梅雨は明けたのかどうか知らないけれど、僕がいま働いている紀州・田辺は毎日、うだるような暑さである。当地では、これからが梅の「土用干し」のシーズンだが、南高梅よりも先に、老骨が日干しになってしまいそうである。
 でも、来春、大学を受験する高校生にとっては、暑いとか夏バテだとか言っておれない。暑さに耐え、遊びの誘惑に耐えて、しっかり勉強しなければならない季節である。
 ファイターズを目指して、スポーツ推薦入試やAO入試に挑もうとしている高校生にとっても、同様である。高校生活最後のシーズンに備えて練習に励むとともに、しっかり勉強して難関突破を目指さなければならない。
 ご承知の通り関西学院大学は、スポーツ推薦入試とAO入試の制度を設けている。ファイターズにも毎年、この制度を利用して入部してくる選手がいる。彼らは、どの学年でもチームの主力選手として活躍している。熱心なファイターズファンなら、スポーツ推薦で入ってきた選手の名前を10人や20人はたちどころに数え上げることが出来るだろう。
 けれども、多くのライバル校とは違って、関学のスポーツ推薦入試は、当該クラブから「声がかかった」からといって、合格と決まる訳ではない。しっかり小論文を書いて、面接試験を突破して、初めて合格となる。もちろん受験の資格を得るためには、教科の「評定平均」がある水準に到達していなければならないし、スポーツ活動の優れた実績も証明できなければならない。実質として一定の学力がないと、どんなにスポーツの才能があっても合格しないのである。
 もちろん、スポーツ推薦というのなら、学業成績は関係ない、4年間の学費を免除してでも獲得せよ、という意見もあるだろう。監督が責任を持って推薦して「無試験」で「合格」を保証できるようにするのが合理的だという意見があることも承知している。
 けれども、僕はそうは思わない。
 私事になるが、僕はこの8年間、スポーツ推薦でファイターズへの入部を希望する高校生に、ボランティアで「小論文指導」を続けてきた。今年もやっている。新聞記者という仕事柄、文章を書くことには、それなりの経験があるし、入社試験の小論文採点委員を何年も続けた経験もある。新聞社から派遣されて立命館宇治高校や立命館大学(立命館はそういう事業にやたら熱心なのです)で延べ5年間、小論文を教えたこともある。
 その経験を、ファイターズのために多少でも役立てることが出来たらと、小論文指導のお手伝いをしているのだが、その過程で「無条件で合格の保証を与えるより、しっかり勉強して合格した方が、その選手は伸びる」ということを実感しているのである。
 もちろん、僕が教えられることなんて、たかがしれている。指導期間も夏休みの2ヶ月ぐらい。回数にして10回か12回が精々だ。
 けれども、普段、アメフットの練習は熱心だが、勉強となると、ついおろそかになるという高校生たちに、マンツーマンで教えるのは楽しい。彼らも、親子以上に年齢の離れている僕の言うことをよく聞いて、しっかり勉強に励んでくれる。
 だから、ほんの少し水を向けただけで、ぐんぐん力が付いてくる。文章を読むことも書くことも苦手という高校生たちが、ほんの2カ月ほどの間に、苦もなく原稿用紙2枚に自分の主張や意見を書けるようになるのを見るたびに、お手伝いが出来てよかったと思う。
 高校生も、そういう時間が楽しい思い出になっているのか、大学に入ってからも、いろんな形でぼくに話しかけ、相談を持ちかけてくれる。就職試験の小論文まで面倒を見てくれというちゃっかりした選手もいる。
 そういう経験があるから、僕は高校生を教える合間に、いつもこんな話をしている。
「君らは、スポーツ推薦というのなら、何で無条件で合格させてくれへんねん、と思っているやろ。せやけど、それは間違いやで」
「君らの周りの高校生を見てみ。いま受験勉強で目の色変えているやろ。せやのに、君らだけが勉強もせんと大学に入れてもらえるなんて、おかしいとは思わないか。クラスで浮いてしまうで」
「君らがスポーツ能力に優れているのは、親からもらった運動能力のおかげや。体がデカいのも親のおかげ。親のおかげだけで大学に入って、それで満足出来るか。自分が難関を突破したという手応えがあって初めて自分の人生。本当に喜べるのんと違うか」
「君らの人生がアメフットだけで終わるのなら、それでもよいやろ。けど、人生は続くんやで。一人前の大人として、社会人として生きていくためには、人生の節目節目でしっかり勉強することが大事や。節目を刻んでいない人生なんて、本当に切ないで」
 また、こんな話もする。
「大学に入っても、講義には出席せなあかんし、単位もとらなあかん。関学は、アメフット部と書いて名前を書けば、それで卒業させてくれるほど甘いところではないで」
「せやけど逆に言えば、それがエエとこなんや。講義に出たら友達も出来る。モノの見方も広がる。授業と練習を両立させて、日本1になるという高い目標を持ってがんばるから、世間も評価してくれるんや。ファイターズの部員は就職試験で高く評価されてるけど、そういうがんばりがあるからやで」
 勉強会の後、ケーキセットを食べながら、こういう話をすると、高校生たちは喜んで耳を傾けてくれる。そしてまた、せっせと課題に取り組むのである。
posted by コラム「スタンドから」 at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | in 2006 Season