昨日の午後からずっと、時間が停止したような感覚である。
もちろん、ファイターズが敗れたからといって、地球の自転が止まるわけでも、世の中の動きがストップするわけでもない。嘆いていても腹も減るし、眠くもなる。日常の時間は刻々と進み、仕事も粛々とこなしている。今日は月曜。とりわけ仕事量が多かったから、目の前の仕事を順番に片づけていくだけで、早々に時間は過ぎていった。
けれども、気持ちの中の時間は止まったままだ。17−7。ユニバースタジアムの掲示板に刻まれたこの数字をどう受け止めてよいのか、いまだに気持ちの整理がつかない。
「負けに不思議の負けなし」とは、プロ野球楽天イーグルスを率いる野村監督の言葉である。ついその言葉に共感しそうになるが、いや、勝つチャンスはあった、そのチャンスをつかみきれなかっただけだ、という負け惜しみに近い感情も払拭しきれない。あの「タッチダウンパスが通っていたら」という、死んだ子の年を数えるような気持ちを抑えるのにもに苦労する。
けれども、17−7。この数字は受け止めるしかない。いまさら消しゴムや修正液で消せるものでもない。敗北を受け止め、それを抱きしめ、再び立ち上がるエネルギーにするしかないのである。
考えてみれば、一昨年5月、このコラムが始まって以来、立命に敗れるのは初めてのことだ。2年半、好き放題なことを書かせてもらってきたが、関西リーグで敗れるという悔しい場面には一度も遭遇せずに、ただただファイターズがんばれ!と書いていればよかったのだから、思い起こせば気が楽だった。
試合終了後、サイドラインに整列した選手の中で、敗戦の責任を一人で背負ったようにうなだれたままの選手のことも、泣きながら後かたづけをするトレーナーやマネジャーのことも、書かずにすんだ。崩れ落ちるように芝生に座り、コーチに抱きかかえられて泣く4年生の姿も、相手チームの胴上げをにらみつけるように見続けている3年生の悔しい胸の内も、書く必要がなかった。
この2年間、強敵を下した喜びを全身で表現する選手やスタッフの姿を追い、その胸中に共感するだけで文章がつづれた。甲子園ボウル、ライスボウルへと続く道に思いを馳せるだけで原稿ができあがった。こんなに幸せな立場はしかし、グラウンドで選手が勝利をもぎ取ってくれたからだった。
しかしいまは、うなだれたままの選手にシンクロするしかない。泣きながら後かたづけをしていたトレーナーやマネジャーの胸中に思いを馳せるしかない。必死の表情で相手の胴上げをにらみつけていた3年生と同様、敗北を抱きしめ、捲土重来を期すのである。
昨日の夜、早川主将が電話をくれた。「4年間お世話になりました。ありがとうございます」という電話だった。慰めるに言葉もないまま、あれやこれやと話した。
「僕自身はやりきったという気持ちです。勝てなかったのは悔しいけど、気持ちはもう、すっきりしています。多分、他の4年生もみんなそんな気持ちじゃないでしょうか」と彼がいう。その言葉にうなずきながら、敗戦の夜、飲みに行く前に、わざわざ「お礼がいいたい」と電話をくれた彼の気持ちがうれしかった。
彼のことは、高校3年生のころから知っている。大学に入った当初も、やんちゃだった。そんな彼が、4年間でここまで成長してくれたかと、思わずこみ上げてくるものがあった。そして、人を人として成長させるファイターズのすごさを、いまさらのように思い知った。
敗戦の夜、悔しさを整理して、きちんとそれを総括する電話をかけられる人間。そんな人間を育てるファイターズ。たとえ、一敗地にまみれたとはいえ、こういう人間が育ち、育てる集団である限り、ファイターズは何一つ心配することはない。明日はある。いまはただ、敗北を抱きしめ、それを養分にして、再度、強敵にチャレンジし、王座を奪還するだけである。
◇
今季のコラムは、今回で終了。ご愛読ありがとうございました。来季は4月から、一段と気合を入れて再出発するつもりです。
2008年12月01日
(29)17−7
posted by コラム「スタンドから」 at 22:29| Comment(5)
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2008年11月26日
(28)決戦
先週末の2日間、上ケ原の第3フィールドに出掛けると、チーム練習が始まる3時間近く前だというのに、それぞれのパートごとに綿密な練習が始まっていた。加納君を中心にしたQB陣は、1球ごとにボールの感触を確かめるように決められたコースにパスを投げている。それをキャッチするのは同じく4年生の太田君を中心にしたWR陣。代わる代わる標的の位置に入り、体をほぐしながらボールをいとおしむようにキャッチしている。
スカウトチームを率いる幸田君は、立命マルーンのユニフォームを着用し、ヘルメットまでマルーンに塗り替えている。ご丁寧にヒョウの足跡まで描いている。彼だけではない。この季節のグラウンドには、立命のマルーンのユニフォームがやたらと目立つ。
少し離れた場所では、寥君や荒牧君を中心にしたオフェンスラインの面々が、スカウトチームの守備陣を相手に、綿密なカバーの練習を重ねている。足の運びの1歩1歩に神経を集中し、タイミングを合わせ、1プレーごとに連携の確認をとっている。
彼らを指導する小野コーチのよく通る声が響く。彼は今季、仕事の都合でグラウンドに出るのもままならなかっただけに、練習に参加し、選手たちに直接声をかけ、1プレーごとに身ぶりを交えて指導できるのが楽しくてならない様子だ。
別の場所では、早川主将を中心にした守備陣がせっせと当たる練習を重ねている。キッキングチームのメンバーも、普段以上に1球ごとに注意を集中してボールを蹴っている。
若手のOBたちも、ゾクゾクと集結しているようだ。力哉君と貴佑君の石田兄弟は防具を付けて練習に入り、「速くて強い」立命守備陣の役割を果たしている。2代前の主将、柏木君や今春卒業したレシーバーの岸君も顔を出していた。キッカーの大西君とは顔を会わせ、会話も交わした。
まさに決戦前夜である。この時季ならではのピーンと張りつめた空気がグラウンド全体を支配し、マネジャーやトレーナーを含め、どこにも無駄な動きをしている部員はいない。
こういう練習が始まれば、いよいよシーズンも大詰め。もはやスタンドからあれこれと口を挟む必要もないと実感する。
けれども、ここで終わってしまっては、このコラムは成り立たない。蛇足は承知の上で、僕の大好きな作家、北方謙三さんの近著から言葉を借りて、ファイターズの諸君に激励のメッセージを送りたい。
北方さんの『楊令伝7』(集英社)の中で、梁山泊軍の若き頭領・楊令は、宋の正規軍を相手の戦いに臨む梁山泊軍の戦士に向けて、心を揺さぶるゲキを飛ばしている。梁山泊軍をファイターズに置き換えて紹介すると、次のような意味になる。
……われらは勝つために戦うのだ。志がある。夢がある。それぞれの思いもある。どの一つをとっても、それは誇りだ。人が生きていくための誇りだと思う。
ファイターズの力は誇りの力だ。俺はそう信じる。そして勝つために戦う。練習中、グラウンドに掲げているファイターズの旗は、そのまま君たちの誇りだと思い切れる。……
まさに、ファイターズの部歌『Fight on, KWANSEI』の歌詞に通じるゲキである。この歌は、特別な試合のキックオフ直前に歌うと、一気に戦意が高まるが、このように文章にするときは、日本語でかみしめて見ても、また別の高揚感がある。英語に堪能な広報室の友人、井上美香さんの訳で味わってみよう。
『戦え、関西学院』
戦え、戦え、歴史ある関西学院のために
私たちは母校のために勝利する
戦え、戦え、歴史ある関西学院のために
母校のため、強い意志を持とう
懸命に戦え、そうすればゲームに勝利する
正々堂々と戦え、勝者の名に誇りを持って
戦え、戦え、歴史ある関西学院のために
世界一の関西学院
「Old Kwansei」すなわち「歴史ある関西学院」は、部歌ということから拡大解釈すれば「栄光ある歴史を営々と築いてきたファイターズ」という意味も含まれているのではないか。こんなチームソングを決戦の場で、全員で歌える諸君は幸せである。
願わくは、この歌の通り「強い意志を持ち」「誇りを持って」「正々堂々と」戦ってほしい。戦い、戦い、戦い抜くことから勝利の道が開ける。
スカウトチームを率いる幸田君は、立命マルーンのユニフォームを着用し、ヘルメットまでマルーンに塗り替えている。ご丁寧にヒョウの足跡まで描いている。彼だけではない。この季節のグラウンドには、立命のマルーンのユニフォームがやたらと目立つ。
少し離れた場所では、寥君や荒牧君を中心にしたオフェンスラインの面々が、スカウトチームの守備陣を相手に、綿密なカバーの練習を重ねている。足の運びの1歩1歩に神経を集中し、タイミングを合わせ、1プレーごとに連携の確認をとっている。
彼らを指導する小野コーチのよく通る声が響く。彼は今季、仕事の都合でグラウンドに出るのもままならなかっただけに、練習に参加し、選手たちに直接声をかけ、1プレーごとに身ぶりを交えて指導できるのが楽しくてならない様子だ。
別の場所では、早川主将を中心にした守備陣がせっせと当たる練習を重ねている。キッキングチームのメンバーも、普段以上に1球ごとに注意を集中してボールを蹴っている。
若手のOBたちも、ゾクゾクと集結しているようだ。力哉君と貴佑君の石田兄弟は防具を付けて練習に入り、「速くて強い」立命守備陣の役割を果たしている。2代前の主将、柏木君や今春卒業したレシーバーの岸君も顔を出していた。キッカーの大西君とは顔を会わせ、会話も交わした。
まさに決戦前夜である。この時季ならではのピーンと張りつめた空気がグラウンド全体を支配し、マネジャーやトレーナーを含め、どこにも無駄な動きをしている部員はいない。
こういう練習が始まれば、いよいよシーズンも大詰め。もはやスタンドからあれこれと口を挟む必要もないと実感する。
けれども、ここで終わってしまっては、このコラムは成り立たない。蛇足は承知の上で、僕の大好きな作家、北方謙三さんの近著から言葉を借りて、ファイターズの諸君に激励のメッセージを送りたい。
北方さんの『楊令伝7』(集英社)の中で、梁山泊軍の若き頭領・楊令は、宋の正規軍を相手の戦いに臨む梁山泊軍の戦士に向けて、心を揺さぶるゲキを飛ばしている。梁山泊軍をファイターズに置き換えて紹介すると、次のような意味になる。
……われらは勝つために戦うのだ。志がある。夢がある。それぞれの思いもある。どの一つをとっても、それは誇りだ。人が生きていくための誇りだと思う。
ファイターズの力は誇りの力だ。俺はそう信じる。そして勝つために戦う。練習中、グラウンドに掲げているファイターズの旗は、そのまま君たちの誇りだと思い切れる。……
まさに、ファイターズの部歌『Fight on, KWANSEI』の歌詞に通じるゲキである。この歌は、特別な試合のキックオフ直前に歌うと、一気に戦意が高まるが、このように文章にするときは、日本語でかみしめて見ても、また別の高揚感がある。英語に堪能な広報室の友人、井上美香さんの訳で味わってみよう。
『戦え、関西学院』
戦え、戦え、歴史ある関西学院のために
私たちは母校のために勝利する
戦え、戦え、歴史ある関西学院のために
母校のため、強い意志を持とう
懸命に戦え、そうすればゲームに勝利する
正々堂々と戦え、勝者の名に誇りを持って
戦え、戦え、歴史ある関西学院のために
世界一の関西学院
「Old Kwansei」すなわち「歴史ある関西学院」は、部歌ということから拡大解釈すれば「栄光ある歴史を営々と築いてきたファイターズ」という意味も含まれているのではないか。こんなチームソングを決戦の場で、全員で歌える諸君は幸せである。
願わくは、この歌の通り「強い意志を持ち」「誇りを持って」「正々堂々と」戦ってほしい。戦い、戦い、戦い抜くことから勝利の道が開ける。
posted by コラム「スタンドから」 at 06:00| Comment(1)
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2008年11月18日
(27)我慢、我慢の関大戦
関大のリターンで始まった試合は、いきなり相手リターナーに96ヤードを走り切られ、そのままタッチダウン(TD)。その後のキックは外れたが、たちまち6−0とリードされた。
さて、どう挽回するのかと思ったファイターズの攻撃シリーズが始まって2プレー目にファンブル。そのボールを相手に押さえられ、自陣38ヤード地点で痛恨のターンオーバー。そこから相手に右、左と走られ、わずか5プレーでゴール前1ヤード。そこでファイターズのお株を奪うようなトリッキーなパスを決められて再びTD。キックも決まって7点追加。試合開 始からわずか2分57秒で13−0とリードされた。
この間、関大が選択したプレーはすべて、ファイターズに備えて周到に準備してきたことがうかがえるものばかり。守備陣の気迫もすごく、春の関関戦とはまったく異なるチームに成長していた。逆に、ファイターズ守備陣は、立ち上がりで相手の動きに目が慣れていないせいもあったのか、ほとんど対応できないまま。前途の多難を思わせた。
しかし、この逆境にあっても、QB加納を中心に、ファイターズは全員が我慢のプレーを重ねた。自陣21ヤードから始まった次の攻撃シリーズ。加納からWR萬代、松原らへの短いパ ス、加納のスクランブル、RB稲毛、河原、石田らのランを織り交ぜ、約7分、14プレーを費やして、最後はRB河原の3ヤードTDランに結びつけた。
さらに2Q終了まで残り2分6秒、自陣30ヤードから始まった攻撃シリーズを今度はWR柴田、萬代へのパスと加納のスクランブルでリズムよく陣地を進め、加納がWR金村への35ヤードTDパスで仕上げた。ゴール右隅に浮かせたパスは、相手DBと競り合いになったが、最後は長身の金村が上からもぎ取る形でキャッチした。
この間、関大に2本のフィールドゴールを決められており、前半は結局19−14。関大リードのまま終えた。
後半はファイターズのリターンで攻撃開始。このシリーズから加納に代わって登場した2年生QB加藤がこれまた我慢のプレーコール。約8分30秒、17プレーを費やしたシリーズを、最後はRB多田羅の突進で締めくくって逆転。加納の2点コンバージョンも成功して22−19とリードを奪った。
このシリーズも、QBはインターセプトを警戒して派手なパスを封印。我慢の短いパスと確実なランプレーでじりじりと陣地を進めた。ベンチの作戦に応えた稲毛や河原、萬代や松原らの堅実なプレーが光った。短い距離を確実に稼ぎ、ダウンを更新した加納やRB多田羅の突進力も高く評価できる。
逆転した後はファイターズペース。次の攻撃シリーズでは、再び登場した加納が松原、萬代へのパスと豊富なRBを使い分けるランプレー交互に繰り出して陣地を進め、最後は残り1ヤードを加納が自ら押し込んでTD。リードを広げた。
後半は、守備もすっかり落ち着いた。LB吉井の見事なパスカットやLB深川のQBサックなどビッグプレーも飛び出し、関大の攻撃をほぼ完封した。
このように試合の流れを振り返っていくと、とにかく我慢、我慢だった。
いきなり自分たちのミスで13点を先行され、普通のチームならガタガタと崩れてもおかしくない状況でのスタート。勢いに乗っている相手の力をそぐためには、それ以上のミスは絶対に許されないという制約の中でのプレーコール。もちろん、どんなに苦しくても、イチかバチかのプレーは許されない。立命戦を前に、絶対に負けられないという重圧はどの選手にもあったろう。スタジアムに詰めかけたファイターズファンのすべてが「自分たちの方が力があるはず」と信じ込んでいる中でプレーする苦しさは、観客席の想像をはるかに越えるはずだ。
そういう苦しさに耐えきれず、自ら墓穴を掘って敗れた試合も、ファイターズの歴史に少なくはない。強力な陣容を整えながら法政に敗れた2000年の甲子園ボウル、せっかくリーグ戦で立命を倒しながら、ミスが相次いで足元をすくわれた2004年の京大戦。ともに地力では相手に勝っていたと思えるチームだっただけに、いま思い出しても悔しさがこみ上げてくる。
この日の関大戦も、そのように展開する可能性が少なくなかった。相手はファイターズを標的に、攻守とも周到な準備を重ねてきていることが、スタンドからでもよく分かった。選手も自分たちの思惑通りのプレーで13点を先行し、士気が上がっている。ベンチも自信を持ったに違いない。
そういう状況にあって、ファイターズが攻守のどこかで、新たなミスを一つでも犯せば万事休す、である。
しかし、早川主将を中心に、チームは攻守とも一丸となって我慢のプレーを重ねた。地味だが堅実なプレーコールをひとつひとつ確実に仕上げた。そのしたたかな精神力を、フィールドゴールをはじめ、すべてのキックの機会を確実に決めた1年生キッカー大西の冷静さとともに、心から称賛したい。
もちろん、立命を相手の戦いでは、関大戦のような立ち上がりは許されない。相手がかけてくる重圧も比較にならないほど大きいだろう。立命戦まで10日余り。この日の反省点を踏まえ、さらに高度な戦いができるように、しっかりと取り組んでもらいたい。それができるチームであると僕は信じている。
さて、どう挽回するのかと思ったファイターズの攻撃シリーズが始まって2プレー目にファンブル。そのボールを相手に押さえられ、自陣38ヤード地点で痛恨のターンオーバー。そこから相手に右、左と走られ、わずか5プレーでゴール前1ヤード。そこでファイターズのお株を奪うようなトリッキーなパスを決められて再びTD。キックも決まって7点追加。試合開 始からわずか2分57秒で13−0とリードされた。
この間、関大が選択したプレーはすべて、ファイターズに備えて周到に準備してきたことがうかがえるものばかり。守備陣の気迫もすごく、春の関関戦とはまったく異なるチームに成長していた。逆に、ファイターズ守備陣は、立ち上がりで相手の動きに目が慣れていないせいもあったのか、ほとんど対応できないまま。前途の多難を思わせた。
しかし、この逆境にあっても、QB加納を中心に、ファイターズは全員が我慢のプレーを重ねた。自陣21ヤードから始まった次の攻撃シリーズ。加納からWR萬代、松原らへの短いパ ス、加納のスクランブル、RB稲毛、河原、石田らのランを織り交ぜ、約7分、14プレーを費やして、最後はRB河原の3ヤードTDランに結びつけた。
さらに2Q終了まで残り2分6秒、自陣30ヤードから始まった攻撃シリーズを今度はWR柴田、萬代へのパスと加納のスクランブルでリズムよく陣地を進め、加納がWR金村への35ヤードTDパスで仕上げた。ゴール右隅に浮かせたパスは、相手DBと競り合いになったが、最後は長身の金村が上からもぎ取る形でキャッチした。
この間、関大に2本のフィールドゴールを決められており、前半は結局19−14。関大リードのまま終えた。
後半はファイターズのリターンで攻撃開始。このシリーズから加納に代わって登場した2年生QB加藤がこれまた我慢のプレーコール。約8分30秒、17プレーを費やしたシリーズを、最後はRB多田羅の突進で締めくくって逆転。加納の2点コンバージョンも成功して22−19とリードを奪った。
このシリーズも、QBはインターセプトを警戒して派手なパスを封印。我慢の短いパスと確実なランプレーでじりじりと陣地を進めた。ベンチの作戦に応えた稲毛や河原、萬代や松原らの堅実なプレーが光った。短い距離を確実に稼ぎ、ダウンを更新した加納やRB多田羅の突進力も高く評価できる。
逆転した後はファイターズペース。次の攻撃シリーズでは、再び登場した加納が松原、萬代へのパスと豊富なRBを使い分けるランプレー交互に繰り出して陣地を進め、最後は残り1ヤードを加納が自ら押し込んでTD。リードを広げた。
後半は、守備もすっかり落ち着いた。LB吉井の見事なパスカットやLB深川のQBサックなどビッグプレーも飛び出し、関大の攻撃をほぼ完封した。
このように試合の流れを振り返っていくと、とにかく我慢、我慢だった。
いきなり自分たちのミスで13点を先行され、普通のチームならガタガタと崩れてもおかしくない状況でのスタート。勢いに乗っている相手の力をそぐためには、それ以上のミスは絶対に許されないという制約の中でのプレーコール。もちろん、どんなに苦しくても、イチかバチかのプレーは許されない。立命戦を前に、絶対に負けられないという重圧はどの選手にもあったろう。スタジアムに詰めかけたファイターズファンのすべてが「自分たちの方が力があるはず」と信じ込んでいる中でプレーする苦しさは、観客席の想像をはるかに越えるはずだ。
そういう苦しさに耐えきれず、自ら墓穴を掘って敗れた試合も、ファイターズの歴史に少なくはない。強力な陣容を整えながら法政に敗れた2000年の甲子園ボウル、せっかくリーグ戦で立命を倒しながら、ミスが相次いで足元をすくわれた2004年の京大戦。ともに地力では相手に勝っていたと思えるチームだっただけに、いま思い出しても悔しさがこみ上げてくる。
この日の関大戦も、そのように展開する可能性が少なくなかった。相手はファイターズを標的に、攻守とも周到な準備を重ねてきていることが、スタンドからでもよく分かった。選手も自分たちの思惑通りのプレーで13点を先行し、士気が上がっている。ベンチも自信を持ったに違いない。
そういう状況にあって、ファイターズが攻守のどこかで、新たなミスを一つでも犯せば万事休す、である。
しかし、早川主将を中心に、チームは攻守とも一丸となって我慢のプレーを重ねた。地味だが堅実なプレーコールをひとつひとつ確実に仕上げた。そのしたたかな精神力を、フィールドゴールをはじめ、すべてのキックの機会を確実に決めた1年生キッカー大西の冷静さとともに、心から称賛したい。
もちろん、立命を相手の戦いでは、関大戦のような立ち上がりは許されない。相手がかけてくる重圧も比較にならないほど大きいだろう。立命戦まで10日余り。この日の反省点を踏まえ、さらに高度な戦いができるように、しっかりと取り組んでもらいたい。それができるチームであると僕は信じている。
posted by コラム「スタンドから」 at 19:24| Comment(2)
| in 2008 season
2008年11月13日
(26)月の兎
忙しい。毎年のことだが、この時期はやたらと仕事が立て込んでくる。月曜から木曜までは本業の新聞社だが、年末進行で日ごとに仕事が増えてくる。金曜日には大学の授業、先週からは土曜日にも就職試験対策の特別講座がスタートした。日曜日はボランティア活動で有馬温泉の「朝市」に協力、紀州ミカンの売り子をしている。
追い打ちをかけるように、役員を務めている野球関係の会議が今月は3日もある。会議そのものは1時間か2時間だが、和歌山県の田辺市から大阪市内の事務局まで往復すると1日がかりだ。夜は夜で、学生たちに書かせた小論文の添削(これが僕の授業の売り物)や採点をしなければならないから、遊びに出ることなど思いもつかない。
体がいくつあっても足りない毎日だが、ここまで追いつめられてくると、逆に目の前の仕事から逃げ出して本が読みたくなる。中学や高校のころ、定期試験が迫ってくると、決まって読書に逃げ込んでいたときの記憶が、半世紀を過ぎても体に染みついるようで、われながらあきれてしまう。
先日、中野孝次氏の「良寛 心のうた」(講談社+α新書)を読んでいたら、そこに良寛の「月の兎」という詩が紹介されていた。次のような内容である。
……遠い昔、あるところに猿と兎と狐がいて仲良く遊んでいた。その仲の良さを聞いた帝釈天が3匹の真実を知ろうと思い立たれ、よぼよぼの老人の姿に姿を変えて3匹の前に表れて「君たちは種族が違うのに、いつも仲良く遊んでいると聞いた。まことにその通りなら、この老人の飢えを救ってくれ」といった。
そんなのはおやすいご用だといって、猿は近くの林から木の実をどっさり拾ってきた。狐は川から魚をいっぱいくわえてきた。ところが兎はぴょんぴょん跳びはねるばかりで、何も手にすることはできなかった。
「君はあかんたれだな」と老人にののしられた兎は考えを定めて「猿は柴を刈ってきてくれ、狐はそれで火をおこしてくれ」といった。猿と狐が言われたとおりにすると、兎はその炎の中に身を投じ、見知らぬ老人に我が身を焼いて与えた。
老人はこれを見て大いに嘆き悲しみ、天を仰いでうち泣き、地に倒れて胸を叩きながら「なんじら3人の友達はいずれが劣るということはないが、兎はことに心が優しい」と申され、兎の死骸を抱えて月の宮に葬られた。いまになっても、満月に兎の形がうっすらと見えるのは、その昔に、こういうことがあったからだよ……。
これは、今昔物語集巻五の「三の獣菩薩の道を行じ、兎身を焼く話、第13」にある話が原型で、作者は「良寛はこの兎の自己犠牲に仏道の大慈悲の理想を見ていたに違いない」と評している。
僕の感想は、そういう高尚なことではなく「仲良く遊んでいる3匹の心を試そうとする天の仏様って意地悪だな」「そんなおせっかいをしなかったら、兎も死なずにすんだのに」という俗っぽいものである。というのは冗談で、僕のような俗物にも「人が生きるとはどういうことか」「この世に生を受けた意味とは」というようなことについて、真面目に考える機会を与えてくれる詩である。
ファイターズの諸君にとっても、心を揺さぶられる話であるにちがいない。いま、まさに決戦のとき。巨大な岩のように立ちはだかる強敵を相手に、猿の役割を果たすのはだれか。狐の仕事はだれが引き受けるのか。そして、わが身を焼いてまでチームに尽くす兎は、だれとだれか。
今夜は満月。晩秋の澄み切った空に、まん丸い月が上がっている。兎の姿もよく見える。その兎になるのは、果たしてだれなのか。
チームのために、仲間のために、なによりも自分自身のプライドをかけて戦おう。決戦の日は目の前である。まずは15日の関大戦。それを突破して、次は立命との戦いである。しっかり準備をして、存分に力を発揮しようではないか。
追い打ちをかけるように、役員を務めている野球関係の会議が今月は3日もある。会議そのものは1時間か2時間だが、和歌山県の田辺市から大阪市内の事務局まで往復すると1日がかりだ。夜は夜で、学生たちに書かせた小論文の添削(これが僕の授業の売り物)や採点をしなければならないから、遊びに出ることなど思いもつかない。
体がいくつあっても足りない毎日だが、ここまで追いつめられてくると、逆に目の前の仕事から逃げ出して本が読みたくなる。中学や高校のころ、定期試験が迫ってくると、決まって読書に逃げ込んでいたときの記憶が、半世紀を過ぎても体に染みついるようで、われながらあきれてしまう。
先日、中野孝次氏の「良寛 心のうた」(講談社+α新書)を読んでいたら、そこに良寛の「月の兎」という詩が紹介されていた。次のような内容である。
……遠い昔、あるところに猿と兎と狐がいて仲良く遊んでいた。その仲の良さを聞いた帝釈天が3匹の真実を知ろうと思い立たれ、よぼよぼの老人の姿に姿を変えて3匹の前に表れて「君たちは種族が違うのに、いつも仲良く遊んでいると聞いた。まことにその通りなら、この老人の飢えを救ってくれ」といった。
そんなのはおやすいご用だといって、猿は近くの林から木の実をどっさり拾ってきた。狐は川から魚をいっぱいくわえてきた。ところが兎はぴょんぴょん跳びはねるばかりで、何も手にすることはできなかった。
「君はあかんたれだな」と老人にののしられた兎は考えを定めて「猿は柴を刈ってきてくれ、狐はそれで火をおこしてくれ」といった。猿と狐が言われたとおりにすると、兎はその炎の中に身を投じ、見知らぬ老人に我が身を焼いて与えた。
老人はこれを見て大いに嘆き悲しみ、天を仰いでうち泣き、地に倒れて胸を叩きながら「なんじら3人の友達はいずれが劣るということはないが、兎はことに心が優しい」と申され、兎の死骸を抱えて月の宮に葬られた。いまになっても、満月に兎の形がうっすらと見えるのは、その昔に、こういうことがあったからだよ……。
これは、今昔物語集巻五の「三の獣菩薩の道を行じ、兎身を焼く話、第13」にある話が原型で、作者は「良寛はこの兎の自己犠牲に仏道の大慈悲の理想を見ていたに違いない」と評している。
僕の感想は、そういう高尚なことではなく「仲良く遊んでいる3匹の心を試そうとする天の仏様って意地悪だな」「そんなおせっかいをしなかったら、兎も死なずにすんだのに」という俗っぽいものである。というのは冗談で、僕のような俗物にも「人が生きるとはどういうことか」「この世に生を受けた意味とは」というようなことについて、真面目に考える機会を与えてくれる詩である。
ファイターズの諸君にとっても、心を揺さぶられる話であるにちがいない。いま、まさに決戦のとき。巨大な岩のように立ちはだかる強敵を相手に、猿の役割を果たすのはだれか。狐の仕事はだれが引き受けるのか。そして、わが身を焼いてまでチームに尽くす兎は、だれとだれか。
今夜は満月。晩秋の澄み切った空に、まん丸い月が上がっている。兎の姿もよく見える。その兎になるのは、果たしてだれなのか。
チームのために、仲間のために、なによりも自分自身のプライドをかけて戦おう。決戦の日は目の前である。まずは15日の関大戦。それを突破して、次は立命との戦いである。しっかり準備をして、存分に力を発揮しようではないか。
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| in 2008 season
2008年11月05日
(25)キーワードは集中
11月1日の西京極陸上競技場は晴れ。日は照っても、日差しは柔らかく、緑の芝生も少々色があせ始めている。公園の木々は赤や黄に色づき始め、吹く風が冷たい。
晩秋。京都のまちは、冬支度を始めるこの時季が一番美しい。新聞社の京都支局に勤務していたときに3年間、このまちに住んでいたが、そのころはこの時季になると、愛用の自転車に乗って、大原や嵐山、嵯峨野や東山、果ては鞍馬の奥、京北町のあたりまで走り回った。どこに立ち寄っても、魅力的な景色が広がり、その光景を眺めながら、しみじみと季節の移ろいを味わった。もう20年近く前のことである。
ファイターズにとってこの時季は、宿敵・京大との決戦の時である。しかし、このグラウンドには、あまりよい思い出がない。4年前。せっかく立命を倒しながら、ここで京大に足元をすくわれた。2年前。試合途中から冷たい北山しぐれがたたきつけ、手が凍えてメモが取れずに難儀した。急きょファイターズのグッズ売り場に走ってフリースの手袋を買い、震えながらメモをとったことを思い出す。
しかし、この日のファイターズは、そんないやな思い出を一気に払拭してくれた。キーワードで言えば「集中」。グラウンドに立つファイターズの全員が、すべてのプレーに集中して、見事なパフォーマンスを見せてくれたのである。
例えば、自陣20ヤード付近から始まったファイターズの最初の攻撃シリーズ。第1プレーはQB加納が確信を持った走りで中央を突破し16ヤード前進。ダウンを更新した最初のプレーではRB浅谷が果敢に中央を突いて5ヤードを稼ぐ。第3ダウン。加納が一度小さなフェイクを入れて右サイドに投じたパスをWR萬代が俊足を飛ばしてキャッチ、そのままエンドゾーンまで59ヤードを走り切って先制のタッチダウン(TD)。投げる方も受ける方も、一つのボールに気持ちを集中した見事なプレーだった。
まだある。2本目のTDを挙げたシリーズの集中力も光った。自陣44ヤードからの攻撃は、加納からTE垣内へのパス、浅谷やRB稲毛のランなどで、あっという間にゴール前21ヤード。ここで手痛い反則があり、第3ダウン10ヤードという状況に追い込まれたが、加納がWR松原に10ヤードのパスを通した。ダウンが更新できたかどうか微妙な距離だったが、松原が倒れ際に思いっきり体を伸ばしたのが奏功。ぎりぎりで次の攻撃につなげた。残る11ヤードからの攻撃も垣内のパスキャッチ、WR太田のランでダウン更新につなげ、最後は稲毛が中央のダイブプレーでTD。この間、ボールを手にしたプレーヤーのすべてが、相手の厳しいタックルにもめげず、相手ゴールに向かって倒れた。相手の執念を上回る執念を見せ、集中心をプレーで表現したのである。今季のこれまでの4試合には見られなかった集中力だった。
守備陣はもっとすごかった。
主将・早川を中心に、平澤、村上らDB並みのスピードを持ったラインが相手ラインを次々に突破、中央のランプレーをことごとく封じ込む。大げさに言えば、ボールがスナップされた瞬間に、相手OLの一角を突き崩しているというほどの素早さである。
こうなると2列目、3列目の守りにも余裕が出る。LB深川、DB徳井らが次々に強烈なタックルを見舞う。スピード豊かな2年生DB善元、三木らも負けじと相手のボールキャリアーを追いつめる。前半、攻撃がやや手詰まりになったときに連続した三木のインターセプトも、徳井のパントブロックも、彼らが常に集中力を切らさずにプレーしてきたたまものである。
後半になると、さらにビッグプレーが飛び出す。第4Q1分24秒、中央から割って入った深川の強烈なタックルを受けた相手QBが落としたボールをDL川島が素早く拾い、そのままエンドゾーンまで64ヤードを独走してTD。続いて第4Q7分46秒、自陣15ヤードで相手パスをインターセプトしたLB吉井優哉がそのまま85ヤードを走り切ってTD。ともに、相手の動きから一瞬たりとも目を離さない集中力がもたらせたビッグプレーだった。
特筆すべきは、二人が独走したとき、ともに周囲をファイターズの白いユニフォームが包み込み、京大の選手が入れないようにブロックしていたこと。これもまた、グラウンドに出ているすべての選手がそのプレーに集中していたことの証明である。
最終盤、この試合では初めて登場した1年生DB香山が、最初のプレーで相手のはじいたパスを反応よくインターセプトした。これもまた、ボールに対する集中力があったからこそである。一つひとつのプレーに集中するチームの雰囲気が、1年生までを巻き込み、好結果を生み出したのである。こういう集中力を持ってチームのみんなが戦う限り、強敵・立命とも対等に渡り合えるはずだ。
試合後、グラウンドを引き揚げる鳥内監督に「いい試合でしたね」と声をかけた。返ってきた答えは「たまたまですよ」。相変わらず素っ気ない感想だったが、表情はゆるんでいた。この日の試合で、ようやく立命と戦える資格を得たという手応えがあったからだろう。僕はそう受け止めている。
晩秋。京都のまちは、冬支度を始めるこの時季が一番美しい。新聞社の京都支局に勤務していたときに3年間、このまちに住んでいたが、そのころはこの時季になると、愛用の自転車に乗って、大原や嵐山、嵯峨野や東山、果ては鞍馬の奥、京北町のあたりまで走り回った。どこに立ち寄っても、魅力的な景色が広がり、その光景を眺めながら、しみじみと季節の移ろいを味わった。もう20年近く前のことである。
ファイターズにとってこの時季は、宿敵・京大との決戦の時である。しかし、このグラウンドには、あまりよい思い出がない。4年前。せっかく立命を倒しながら、ここで京大に足元をすくわれた。2年前。試合途中から冷たい北山しぐれがたたきつけ、手が凍えてメモが取れずに難儀した。急きょファイターズのグッズ売り場に走ってフリースの手袋を買い、震えながらメモをとったことを思い出す。
しかし、この日のファイターズは、そんないやな思い出を一気に払拭してくれた。キーワードで言えば「集中」。グラウンドに立つファイターズの全員が、すべてのプレーに集中して、見事なパフォーマンスを見せてくれたのである。
例えば、自陣20ヤード付近から始まったファイターズの最初の攻撃シリーズ。第1プレーはQB加納が確信を持った走りで中央を突破し16ヤード前進。ダウンを更新した最初のプレーではRB浅谷が果敢に中央を突いて5ヤードを稼ぐ。第3ダウン。加納が一度小さなフェイクを入れて右サイドに投じたパスをWR萬代が俊足を飛ばしてキャッチ、そのままエンドゾーンまで59ヤードを走り切って先制のタッチダウン(TD)。投げる方も受ける方も、一つのボールに気持ちを集中した見事なプレーだった。
まだある。2本目のTDを挙げたシリーズの集中力も光った。自陣44ヤードからの攻撃は、加納からTE垣内へのパス、浅谷やRB稲毛のランなどで、あっという間にゴール前21ヤード。ここで手痛い反則があり、第3ダウン10ヤードという状況に追い込まれたが、加納がWR松原に10ヤードのパスを通した。ダウンが更新できたかどうか微妙な距離だったが、松原が倒れ際に思いっきり体を伸ばしたのが奏功。ぎりぎりで次の攻撃につなげた。残る11ヤードからの攻撃も垣内のパスキャッチ、WR太田のランでダウン更新につなげ、最後は稲毛が中央のダイブプレーでTD。この間、ボールを手にしたプレーヤーのすべてが、相手の厳しいタックルにもめげず、相手ゴールに向かって倒れた。相手の執念を上回る執念を見せ、集中心をプレーで表現したのである。今季のこれまでの4試合には見られなかった集中力だった。
守備陣はもっとすごかった。
主将・早川を中心に、平澤、村上らDB並みのスピードを持ったラインが相手ラインを次々に突破、中央のランプレーをことごとく封じ込む。大げさに言えば、ボールがスナップされた瞬間に、相手OLの一角を突き崩しているというほどの素早さである。
こうなると2列目、3列目の守りにも余裕が出る。LB深川、DB徳井らが次々に強烈なタックルを見舞う。スピード豊かな2年生DB善元、三木らも負けじと相手のボールキャリアーを追いつめる。前半、攻撃がやや手詰まりになったときに連続した三木のインターセプトも、徳井のパントブロックも、彼らが常に集中力を切らさずにプレーしてきたたまものである。
後半になると、さらにビッグプレーが飛び出す。第4Q1分24秒、中央から割って入った深川の強烈なタックルを受けた相手QBが落としたボールをDL川島が素早く拾い、そのままエンドゾーンまで64ヤードを独走してTD。続いて第4Q7分46秒、自陣15ヤードで相手パスをインターセプトしたLB吉井優哉がそのまま85ヤードを走り切ってTD。ともに、相手の動きから一瞬たりとも目を離さない集中力がもたらせたビッグプレーだった。
特筆すべきは、二人が独走したとき、ともに周囲をファイターズの白いユニフォームが包み込み、京大の選手が入れないようにブロックしていたこと。これもまた、グラウンドに出ているすべての選手がそのプレーに集中していたことの証明である。
最終盤、この試合では初めて登場した1年生DB香山が、最初のプレーで相手のはじいたパスを反応よくインターセプトした。これもまた、ボールに対する集中力があったからこそである。一つひとつのプレーに集中するチームの雰囲気が、1年生までを巻き込み、好結果を生み出したのである。こういう集中力を持ってチームのみんなが戦う限り、強敵・立命とも対等に渡り合えるはずだ。
試合後、グラウンドを引き揚げる鳥内監督に「いい試合でしたね」と声をかけた。返ってきた答えは「たまたまですよ」。相変わらず素っ気ない感想だったが、表情はゆるんでいた。この日の試合で、ようやく立命と戦える資格を得たという手応えがあったからだろう。僕はそう受け止めている。
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2008年10月23日
(24)チーム内の切磋琢磨
強固なDLをそろえた神戸大相手に、終わってみれば44−7。記録を見れば、ファイターズの圧勝だった。攻撃は、パスで288ヤード、ランで196ヤード、トータル484ヤードを稼ぎ、守っては相手攻撃を172ヤードに抑えている。とくにランに対する守りは完璧で、わずか12ヤードの前進にとどめた。
試合終了間際に、今季初めて相手にタッチダウン(TD)を許したが、それはメンバーをごっそり入れ替えた後のこと。とくに守備のラインは1年生が中心で、試合経験を積ませる意味もあったようだから、ある程度進まれるのは覚悟の上だったと思う。
得点経過は、ホームページの試合結果を見てもらえばいい。パスとランをほどよく織り交ぜ、必要な時間帯、必要なタイミングで得点を重ねていることが理解できるだろう。
問題は内容である。強力な立命攻撃陣を相手に、あの守備が通用するのか、化け物のように速くて強いあのディフェンスをかいくぐって得点を重ねられるのか。その前に立ちはだかる「一撃必殺」で立ち向かってくる京大守備陣を突破できるか、ということである。
そういう視点で、毎回、観戦していると、僕のような素人にも、おぼろげながら見えてくるものがある。チームの層が厚くなったということである。
もちろん、けがで練習もままならない選手もいれば、成長が止まっているように見える選手もいる。チームを預かる監督やコーチの目から見れば、層が厚くなったなんておこがましい、まだまだ底上げが必要、こんなレベルで満足しているようではおしまいだ、というのが実感だろう。
けれども、スタンドから眺めていれば、チームは確実に成長している。個々の選手も、着実に力を付け、試合ごとに自分に対する信頼を高めているように見える。立ち上がり、2本のTDを奪うと、早々にベンチに下がったQB加納がその象徴。この日は、絶妙のタイミングでピンポイントのパスを何本も決めた。パスを100%成功させたからといって褒めるのではないが、相手をぎりぎりまで引きつけて思い通りにパスを通すというのは、自分の技量に対する完全な信頼があって、初めてなしうる事だろう。
2年生の成長も著しい。加納がベンチに退いた後、フル稼働したQB加藤は、試合に出るたびに自信をつけている。この日、鮮やかな身のこなしでゲインを重ね、それぞれTDを決めたRBの久司と稲村、長身を生かして6本のパスをキャッチし、79ヤードを稼いだWR春日も2年生。彼らはすべて交代要員としての出場だったが、人材が豊富な先発メンバーの座を脅かしそうな活躍ぶりだった。
ディフェンスに目をやれば、先発メンバーに名前を連ねている2年生が4人もいる。DLの平澤、LBの吉井、DBの三木と善元。上級生と競争してスタメンの座をつかんだ彼らの活躍が上級生を刺激することで、必然的に選手層は厚くなる。
1年生も負けてはいない。OLの中央で安定したスナップを出し続けた谷山(関西大倉)と、安定したキックを蹴り続けた大西(高等部)は、もはや堂々のスタメン。WRの和田(高等部)も鋭い走りで2本のパスをキャッチした。守備のラインで登場した長島(佼成学園)や佐藤(関西大倉)も、非凡なプレーを見せている。
課題とされることが多いオフェンスラインも、強力な神大DLを相手になんとか乗り切った。試合で失敗を重ねるたびに、それを糧にして一歩一歩、成長していることがうかがえる。
この日は、攻撃の切り札となるはずのRB河原や平田、WR柴田は出場していなかった。しかし、その不在が気にならないほど、控え選手が活躍した。それほど選手層が厚くなっているのである。
それは、チーム内の競争がいい方向で回転しているからだろう。レベルの高いQBがいることでWRが育てられる。その逆もいえる。同時にQBやWRのレベルが上がることで、DBやLBが鍛えられる。DBやLBが厳しく当たれるようになると、それに対抗するRBが鍛えられる。高いレベルの競争が日常的になってくると、必然的に下級生も鍛えられ、選手層も厚くなってくる。その回転がうまくいくようになって、ようやく戦う姿が見えてきたのが、ファイターズの現状だと僕は思っている。
願わくは、さらに一段上のレベルでチーム内の競争を繰り広げてもらいたい。それができて初めて、より選手層の厚い立命と真っ向から勝負ができるだろう。
試合終了間際に、今季初めて相手にタッチダウン(TD)を許したが、それはメンバーをごっそり入れ替えた後のこと。とくに守備のラインは1年生が中心で、試合経験を積ませる意味もあったようだから、ある程度進まれるのは覚悟の上だったと思う。
得点経過は、ホームページの試合結果を見てもらえばいい。パスとランをほどよく織り交ぜ、必要な時間帯、必要なタイミングで得点を重ねていることが理解できるだろう。
問題は内容である。強力な立命攻撃陣を相手に、あの守備が通用するのか、化け物のように速くて強いあのディフェンスをかいくぐって得点を重ねられるのか。その前に立ちはだかる「一撃必殺」で立ち向かってくる京大守備陣を突破できるか、ということである。
そういう視点で、毎回、観戦していると、僕のような素人にも、おぼろげながら見えてくるものがある。チームの層が厚くなったということである。
もちろん、けがで練習もままならない選手もいれば、成長が止まっているように見える選手もいる。チームを預かる監督やコーチの目から見れば、層が厚くなったなんておこがましい、まだまだ底上げが必要、こんなレベルで満足しているようではおしまいだ、というのが実感だろう。
けれども、スタンドから眺めていれば、チームは確実に成長している。個々の選手も、着実に力を付け、試合ごとに自分に対する信頼を高めているように見える。立ち上がり、2本のTDを奪うと、早々にベンチに下がったQB加納がその象徴。この日は、絶妙のタイミングでピンポイントのパスを何本も決めた。パスを100%成功させたからといって褒めるのではないが、相手をぎりぎりまで引きつけて思い通りにパスを通すというのは、自分の技量に対する完全な信頼があって、初めてなしうる事だろう。
2年生の成長も著しい。加納がベンチに退いた後、フル稼働したQB加藤は、試合に出るたびに自信をつけている。この日、鮮やかな身のこなしでゲインを重ね、それぞれTDを決めたRBの久司と稲村、長身を生かして6本のパスをキャッチし、79ヤードを稼いだWR春日も2年生。彼らはすべて交代要員としての出場だったが、人材が豊富な先発メンバーの座を脅かしそうな活躍ぶりだった。
ディフェンスに目をやれば、先発メンバーに名前を連ねている2年生が4人もいる。DLの平澤、LBの吉井、DBの三木と善元。上級生と競争してスタメンの座をつかんだ彼らの活躍が上級生を刺激することで、必然的に選手層は厚くなる。
1年生も負けてはいない。OLの中央で安定したスナップを出し続けた谷山(関西大倉)と、安定したキックを蹴り続けた大西(高等部)は、もはや堂々のスタメン。WRの和田(高等部)も鋭い走りで2本のパスをキャッチした。守備のラインで登場した長島(佼成学園)や佐藤(関西大倉)も、非凡なプレーを見せている。
課題とされることが多いオフェンスラインも、強力な神大DLを相手になんとか乗り切った。試合で失敗を重ねるたびに、それを糧にして一歩一歩、成長していることがうかがえる。
この日は、攻撃の切り札となるはずのRB河原や平田、WR柴田は出場していなかった。しかし、その不在が気にならないほど、控え選手が活躍した。それほど選手層が厚くなっているのである。
それは、チーム内の競争がいい方向で回転しているからだろう。レベルの高いQBがいることでWRが育てられる。その逆もいえる。同時にQBやWRのレベルが上がることで、DBやLBが鍛えられる。DBやLBが厳しく当たれるようになると、それに対抗するRBが鍛えられる。高いレベルの競争が日常的になってくると、必然的に下級生も鍛えられ、選手層も厚くなってくる。その回転がうまくいくようになって、ようやく戦う姿が見えてきたのが、ファイターズの現状だと僕は思っている。
願わくは、さらに一段上のレベルでチーム内の競争を繰り広げてもらいたい。それができて初めて、より選手層の厚い立命と真っ向から勝負ができるだろう。
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2008年10月13日
(23)スポーツ推薦、全員合格
先日、3年生マネジャーの蔀君から「スポーツ推薦入試を受けた受験生が全員合格しました」という連絡をもらった。うれしい知らせである。
今年、ファイターズでプレーすることを志望して関学を受験してくれたのは、東京の武蔵工大付属から3人、足立学園から1人、大阪の箕面自由2人、箕面、関西大倉各1人、兵庫の滝川、仁川、三田祥雲館各1人である。この中には、タッチダウン誌のトップボーイズに写真入りで選ばれた選手もいるし、チームが早々に敗退したり、けがに見舞われたりして、公式戦ではさほど活躍が目立たなかった選手もいる。けれども、入学後は全員、ファイターズを背負って立つ部員になってくれるという確信が、僕にはある。
というのは他でもない。毎年、恒例となっている小論文の勉強会を通じて、短い期間だが彼らと交流があるからである。東京組の4人とはファクスによって小論文をやりとりするだけだが、関西在住の7人とは、夏休みの間、毎週のように顔を会わせ、小論文の書き方を指導し、終了後は一緒に食事をしながら話し込んできた。
「文は人なり」。小論文を書かせると、必ずそこに書き手の考え方や知的能力、性格が表れる。食事をしながら話し込むと、その子の思いもよらない素顔が見えてくる。それらが与えてくれる情報はともに、みなさんが想像される以上である。だからこそ、推薦入試に小論文と面接試験が採用されているのだ。
前にもこのコラムで書いたことがあるが、僕はスポーツ推薦で関学を受験し、ファイターズでプレーしたいと希望する高校生に、小論文の書き方をアドバイスしている。毎年、高校が夏休みになると、週に1度は集まってもらって勉強会を開く(関西在住者以外は、基本的にはファクスでのやりとりになる)。そこでいろんな課題を与え、時間を区切って800字の小論文を書かせる。それを添削し、講評して、文章を書くことの入門編を指導するのである。
最初に、こういう勉強会を持ったのは10年前。池田高校から平郡君、箕面高校から池谷君が受験してくれたときである。当時は朝日新聞社に勤めていたので、中之島の本社まできてもらい、地下の喫茶店や社内の喫茶室でお茶を飲み、ケーキを食べながら勉強した。高校生に教えるのは初めての経験だったが、2人とも高い知的能力の持ち主だったので、手探りで進める僕の指導に的確に反応し、あっという間にコツをつかんでくれた。
それに自信を得て、翌年夏(佐岡君や石田貴祐君の年代である)からは、ファイターズが推薦する受験生全員にアドバイスする仕組みを作り、毎年、夏休みになる直前から試験の前まで、定期的な勉強会を開くことになった。この10年間に担当した受験生は65人に上る。
その間、ずっとファイターズの窓口になって受験生の世話をしてくれたのがリクルート担当のマネジャーであり、宮本敬士ディレクター補佐である。この10年間、担当してくれたマネジャーの名前を順に並べていくと、沢井紘平、祝翼、水野康二、藪西雄太、佐々木啓、岩辺憲昭の各氏と、現役の酒井祐輔、蔀保裕両君である。彼らの努力なしには、ファイターズのリクルート活動は語れない。
10数年前、最初に本格的なリクルート活動制度を導入した小野コーチによると、ファイターズのリクルート活動は元々、学生マネジャーが主体になって動かしていたそうだ。試合会場に出向いて試合を見たりビデオを撮ったりしながら有望選手を捜し、それをリストアップして監督やコーチに推薦し、高校の先生や保護者にコンタクトをとっていたという。
そういう背景があるから、いまもリクルート活動の最前線を支えるのは学生マネジャーである。チームのリクルート担当、宮本ディレクター補佐に協力し、彼の指導の元で各地の高校を訪ね、顧問の先生と話したり試合を見たりして有望な選手を探す。
現役の担当マネジャー、蔀君によると、春と秋のシーズンが始まると、週末ごとに高校の試合を見に行く。大阪・兵庫の公式戦はすべて現場でチェックし、重要な試合のあるときは滋賀や名古屋、東京にも出掛けるそうだ。ファイターズの試合と重なっても高校の試合が優先。チームの一員でありながら、チームを離れてスカウト活動に専念する。
チームのOBや現役部員から有望な選手の推薦を受けることもあるし、高校の先生と名刺を交換し、注目すべき選手の名前を教えてもらうこともある。有望な選手についてはビデオを撮り、添付資料をまとめて監督やコーチに見てもらう。
そうして候補者を絞り、小論文教室が始まると、今度はその世話役として僕を助けてくれる。会場の準備から選手との連絡、お茶の手配まで。チームの練習を手伝うのを棚上げしてこまめに仕事をこなしてくれる。今年は夏合宿の最終日と勉強会の日取りが重なっていたため、東鉢伏山から勉強会場まで直接、駆けつけてくれた。受験生が勉強している以上、担当マネジャーとして手を抜くわけにいかなかったのだろう。真っ黒に日焼けした蔀君の顔を見て、その熱意に頭が下がった。
他の有力なチームも、リクルート活動には全力を挙げている。有望な選手については競合することも多い。それだけにリクルート担当マネジャーの選手の能力をいち早く見抜く能力が要請される。そういう努力があって初めて将来のファイターズを背負う有望な部員が獲得できるのである。
本当は、彼らの活動のもっと細かい所まで書きたいのだが、チームの機密にふれる可能性もあるので、今日はここまで。推薦で合格した選手の固有名詞を挙げるのも、チームが発表するまでは遠慮したい。
今年、ファイターズでプレーすることを志望して関学を受験してくれたのは、東京の武蔵工大付属から3人、足立学園から1人、大阪の箕面自由2人、箕面、関西大倉各1人、兵庫の滝川、仁川、三田祥雲館各1人である。この中には、タッチダウン誌のトップボーイズに写真入りで選ばれた選手もいるし、チームが早々に敗退したり、けがに見舞われたりして、公式戦ではさほど活躍が目立たなかった選手もいる。けれども、入学後は全員、ファイターズを背負って立つ部員になってくれるという確信が、僕にはある。
というのは他でもない。毎年、恒例となっている小論文の勉強会を通じて、短い期間だが彼らと交流があるからである。東京組の4人とはファクスによって小論文をやりとりするだけだが、関西在住の7人とは、夏休みの間、毎週のように顔を会わせ、小論文の書き方を指導し、終了後は一緒に食事をしながら話し込んできた。
「文は人なり」。小論文を書かせると、必ずそこに書き手の考え方や知的能力、性格が表れる。食事をしながら話し込むと、その子の思いもよらない素顔が見えてくる。それらが与えてくれる情報はともに、みなさんが想像される以上である。だからこそ、推薦入試に小論文と面接試験が採用されているのだ。
前にもこのコラムで書いたことがあるが、僕はスポーツ推薦で関学を受験し、ファイターズでプレーしたいと希望する高校生に、小論文の書き方をアドバイスしている。毎年、高校が夏休みになると、週に1度は集まってもらって勉強会を開く(関西在住者以外は、基本的にはファクスでのやりとりになる)。そこでいろんな課題を与え、時間を区切って800字の小論文を書かせる。それを添削し、講評して、文章を書くことの入門編を指導するのである。
最初に、こういう勉強会を持ったのは10年前。池田高校から平郡君、箕面高校から池谷君が受験してくれたときである。当時は朝日新聞社に勤めていたので、中之島の本社まできてもらい、地下の喫茶店や社内の喫茶室でお茶を飲み、ケーキを食べながら勉強した。高校生に教えるのは初めての経験だったが、2人とも高い知的能力の持ち主だったので、手探りで進める僕の指導に的確に反応し、あっという間にコツをつかんでくれた。
それに自信を得て、翌年夏(佐岡君や石田貴祐君の年代である)からは、ファイターズが推薦する受験生全員にアドバイスする仕組みを作り、毎年、夏休みになる直前から試験の前まで、定期的な勉強会を開くことになった。この10年間に担当した受験生は65人に上る。
その間、ずっとファイターズの窓口になって受験生の世話をしてくれたのがリクルート担当のマネジャーであり、宮本敬士ディレクター補佐である。この10年間、担当してくれたマネジャーの名前を順に並べていくと、沢井紘平、祝翼、水野康二、藪西雄太、佐々木啓、岩辺憲昭の各氏と、現役の酒井祐輔、蔀保裕両君である。彼らの努力なしには、ファイターズのリクルート活動は語れない。
10数年前、最初に本格的なリクルート活動制度を導入した小野コーチによると、ファイターズのリクルート活動は元々、学生マネジャーが主体になって動かしていたそうだ。試合会場に出向いて試合を見たりビデオを撮ったりしながら有望選手を捜し、それをリストアップして監督やコーチに推薦し、高校の先生や保護者にコンタクトをとっていたという。
そういう背景があるから、いまもリクルート活動の最前線を支えるのは学生マネジャーである。チームのリクルート担当、宮本ディレクター補佐に協力し、彼の指導の元で各地の高校を訪ね、顧問の先生と話したり試合を見たりして有望な選手を探す。
現役の担当マネジャー、蔀君によると、春と秋のシーズンが始まると、週末ごとに高校の試合を見に行く。大阪・兵庫の公式戦はすべて現場でチェックし、重要な試合のあるときは滋賀や名古屋、東京にも出掛けるそうだ。ファイターズの試合と重なっても高校の試合が優先。チームの一員でありながら、チームを離れてスカウト活動に専念する。
チームのOBや現役部員から有望な選手の推薦を受けることもあるし、高校の先生と名刺を交換し、注目すべき選手の名前を教えてもらうこともある。有望な選手についてはビデオを撮り、添付資料をまとめて監督やコーチに見てもらう。
そうして候補者を絞り、小論文教室が始まると、今度はその世話役として僕を助けてくれる。会場の準備から選手との連絡、お茶の手配まで。チームの練習を手伝うのを棚上げしてこまめに仕事をこなしてくれる。今年は夏合宿の最終日と勉強会の日取りが重なっていたため、東鉢伏山から勉強会場まで直接、駆けつけてくれた。受験生が勉強している以上、担当マネジャーとして手を抜くわけにいかなかったのだろう。真っ黒に日焼けした蔀君の顔を見て、その熱意に頭が下がった。
他の有力なチームも、リクルート活動には全力を挙げている。有望な選手については競合することも多い。それだけにリクルート担当マネジャーの選手の能力をいち早く見抜く能力が要請される。そういう努力があって初めて将来のファイターズを背負う有望な部員が獲得できるのである。
本当は、彼らの活動のもっと細かい所まで書きたいのだが、チームの機密にふれる可能性もあるので、今日はここまで。推薦で合格した選手の固有名詞を挙げるのも、チームが発表するまでは遠慮したい。
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2008年10月08日
(22)試合後の一言半句
神戸の王子スタジアムには、独特の風情がある。阪急・王子公園駅のすぐ前、阪神間で生まれた子どもたちが「七五三参り」より前に訪れる王子動物園のすぐ隣という立地が、まずファイターズの本拠地という実感を与えてくれる。客席の規模が小さく、すぐに座る場所がなくなってしまうのは難点だが、こんもり茂った木立が適度な日陰をつくり、夜ともなれば、王子動物園の観覧車の電飾がちらちらと輝いて、見る者を幻想の世界に連れて行ってくれる。
観客席とグラウンドが近いから、選手の素顔がよく見える。試合終了後は、グラウンドのあちこちで選手やコーチが話し込む場面も身近に見られる。観客席とグラウンドが厳然と仕切られている大規模なグラウンドでは到底味わえない魅力である。
4日の近大戦終了後、そんなグラウンドに降りて、選手やコーチたちと「一言半句」のやりとりをした。その言葉を固有名詞をつけて掲載することは、なにかと差し障りがあるので控えるが、選手もコーチもそれぞれ現状に危機感を持ち、それを打開するためにいろいろと考えていることがよく分かった。
スコアは51−0。数字だけを見れば、不満はない。けれども、選手たちは試合を通じて突きつけられた課題に、浮かれた所はまったくなかった。
「体の切れが悪い、調整の仕方に問題があるのでは」とトレーニング担当コーチに真剣な表情で相談する下級生。せっかく出番をもらったのに、自らの不本意なプレーに悔し涙を流す控え選手。「オフェンスの練習のやり方を再検討しなければならない」と唇をかむ幹部……。
コーチ陣も「大量得点といっても、後半、試合が決まってからですから。前半、なかなかタッチダウン(TD)に持ち込めなかった点をしっかり見極めなくては」とか「パスプロが好くなったように見えたけど、それは相手守備が対応してこなかったから。現状のままでは立命のデフェンスには通用しません」と、異口同音に辛口の採点だった。
こういう話を聞くと、つくづく「社会人を破って日本1」という目標に到達するまでの道のりは長いと実感する。
試合は、立ち上がりから守備陣が奮起し、ファイターズのペース。QB加納のパスにRB稲毛、RB河原、RB石田のランを織り交ぜて着実に陣地を進める。
けれども、敵のゴールは遠い。なかなかTDまで持ち込めず、2回連続でフィールドゴール(FG)に追い込まれてしまう。幸い2度ともK大西が冷静に41ヤードと38ヤードのFGを決め、主導権は手離さなかったが、オフェンスの不安材料が目につく。
ようやく2Q7分33秒、加納からWR柴田への31ヤードTDパスが決まる。長身の柴田が、素早い身のこなしで相手DBを振り切り、一気にゴール中央に駆け込んだ。昨年から試合に出場。エースレシーバーの秋山や榊原らに見劣りしないパスキャッチを見せてきた選手ならではの好プレーだった。
後半は、ファイターズのレシーブでプレー再開。相手キックを確保した河原が一気に67ヤードをリターンする。相手陣28ヤードから始まった好機に、稲毛が左オープンを走り切ってTD。後半開始19秒。一気に流れがファイターズに傾く。
その後、QBは幸田に交代。WR春日への長いパスを立て続けにヒットしてつかんだ好機をTE垣内への19ヤードTDパスに結びつける。これで、すっかり落ち着いた攻撃陣はRB稲村、RB久司のTDを立て続けに決める。最後は残り2ヤード、残り時間2秒というシチュエーションでRB石田が走り込み、終わってみれば51−0。
後半途中からは、攻守とも控えのメンバーを次々に起用し、実戦練習を積ませた。僕がとくに注目している1年生も、DL長島、畑田、佐藤、DB香山、OL谷山らが次々に起用され、それぞれが期待通りの動きを見せてくれた。
けれども、これで満足しているのは、観客席だけ。試合後の選手やコーチの受け止め方は、冒頭に紹介した「1言半句」の通りである。目先の得点差に一喜一憂せず、自分たちの目標から逆算して現状を分析し、それに対策を立てようとする選手やコーチ。彼らが本気で対策に取り組む限り、ファイターズはまだまだ成長するはずだ。
それが確認できたことがこの日の収穫。ファイターズのこれからに期待を膨らませて、照明の消えた王子スタジアムを後にした。
観客席とグラウンドが近いから、選手の素顔がよく見える。試合終了後は、グラウンドのあちこちで選手やコーチが話し込む場面も身近に見られる。観客席とグラウンドが厳然と仕切られている大規模なグラウンドでは到底味わえない魅力である。
4日の近大戦終了後、そんなグラウンドに降りて、選手やコーチたちと「一言半句」のやりとりをした。その言葉を固有名詞をつけて掲載することは、なにかと差し障りがあるので控えるが、選手もコーチもそれぞれ現状に危機感を持ち、それを打開するためにいろいろと考えていることがよく分かった。
スコアは51−0。数字だけを見れば、不満はない。けれども、選手たちは試合を通じて突きつけられた課題に、浮かれた所はまったくなかった。
「体の切れが悪い、調整の仕方に問題があるのでは」とトレーニング担当コーチに真剣な表情で相談する下級生。せっかく出番をもらったのに、自らの不本意なプレーに悔し涙を流す控え選手。「オフェンスの練習のやり方を再検討しなければならない」と唇をかむ幹部……。
コーチ陣も「大量得点といっても、後半、試合が決まってからですから。前半、なかなかタッチダウン(TD)に持ち込めなかった点をしっかり見極めなくては」とか「パスプロが好くなったように見えたけど、それは相手守備が対応してこなかったから。現状のままでは立命のデフェンスには通用しません」と、異口同音に辛口の採点だった。
こういう話を聞くと、つくづく「社会人を破って日本1」という目標に到達するまでの道のりは長いと実感する。
試合は、立ち上がりから守備陣が奮起し、ファイターズのペース。QB加納のパスにRB稲毛、RB河原、RB石田のランを織り交ぜて着実に陣地を進める。
けれども、敵のゴールは遠い。なかなかTDまで持ち込めず、2回連続でフィールドゴール(FG)に追い込まれてしまう。幸い2度ともK大西が冷静に41ヤードと38ヤードのFGを決め、主導権は手離さなかったが、オフェンスの不安材料が目につく。
ようやく2Q7分33秒、加納からWR柴田への31ヤードTDパスが決まる。長身の柴田が、素早い身のこなしで相手DBを振り切り、一気にゴール中央に駆け込んだ。昨年から試合に出場。エースレシーバーの秋山や榊原らに見劣りしないパスキャッチを見せてきた選手ならではの好プレーだった。
後半は、ファイターズのレシーブでプレー再開。相手キックを確保した河原が一気に67ヤードをリターンする。相手陣28ヤードから始まった好機に、稲毛が左オープンを走り切ってTD。後半開始19秒。一気に流れがファイターズに傾く。
その後、QBは幸田に交代。WR春日への長いパスを立て続けにヒットしてつかんだ好機をTE垣内への19ヤードTDパスに結びつける。これで、すっかり落ち着いた攻撃陣はRB稲村、RB久司のTDを立て続けに決める。最後は残り2ヤード、残り時間2秒というシチュエーションでRB石田が走り込み、終わってみれば51−0。
後半途中からは、攻守とも控えのメンバーを次々に起用し、実戦練習を積ませた。僕がとくに注目している1年生も、DL長島、畑田、佐藤、DB香山、OL谷山らが次々に起用され、それぞれが期待通りの動きを見せてくれた。
けれども、これで満足しているのは、観客席だけ。試合後の選手やコーチの受け止め方は、冒頭に紹介した「1言半句」の通りである。目先の得点差に一喜一憂せず、自分たちの目標から逆算して現状を分析し、それに対策を立てようとする選手やコーチ。彼らが本気で対策に取り組む限り、ファイターズはまだまだ成長するはずだ。
それが確認できたことがこの日の収穫。ファイターズのこれからに期待を膨らませて、照明の消えた王子スタジアムを後にした。
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2008年09月29日
(21)司法試験合格者へのインタビュー
先日発表された新司法試験の合格者の中に、ファイターズOBの寺川拓氏(97年卒)の名前があった。ご承知の通り、この試験は法科大学院(ロースクール)を卒業した人だけが受験できる制度で、今年は受験者6,261人中2,065人が合格した。関学の法科大学院からは168人が受験し、合格者は51人だった。
従来の司法試験は何度でも受験できたが、この制度では受験機会が3回に限られている。判事や検事、弁護士になるためには必ず通過しなければならない難関中の難関である。
「ファイターズのOBには、税理士も医者もいますが、司法試験の合格者は初めてではないですか。よう頑張りました。彼の努力を知って、現役部員も大いに力づけられるでしょう」と鳥内監督も絶賛する。
寺川氏は大学を卒業後、阪急百貨店に入社、5年間勤務した。かたわら、社会人アメフットチーム「阪急ブルーインズ」でも活躍し、チームがXリーグの1部に昇格したときには主将も務めていた。
早速、寺川氏に会って、話を聞いた。
−会社務めを辞めて、弁護士を志望された動機からお聞きします。
−もともと、人とふれあう仕事がしたくて百貨店に就職したのですが、実際の仕事は仕入れとかもめごとの解決とか。自分自身が職場環境に合わせて成長すればよかったのですが、その努力もせず……。勉強し直して医者になろうか、針灸師になろうか、それとも司法書士はどうか、とか考えていました。悩んでいたところに、社会人チームの先輩の弁護士さんから「今度、ロースクールというものができる。そこを卒業すれば7割は(司法試験に)合格する」という話を聞いて「よし、それなら」と挑戦することにしたんです。
〈2004年春に関学の法科大学院に入学、2006年春に卒業。2006年5月から3年連続で司法試験に挑戦。3年目、つまり最後の受験機会となった今年、念願の合格通知を手にした〉
−会社を辞めてから、どんな風に勉強をされたんですか。
−まず、半年間は法科大学院に入るための勉強をしました。一応、法学部を出ているのですが、学生時代はアメフットに夢中で、司法試験のための勉強はまったくしていませんでしたので、法律の知識なんて経済学部や文学部の卒業生と同程度。大学院に入学してからも、最初の1年は授業についていけない状態でした。
−そこで、毎朝8時から、夜、大学院の閉まる11時まで、学校にこもって勉強を続けました。幸い自宅が近かったので、学校を勉強部屋のように使わせてもらいました。それだけ勉強して、ようやく大学院の2年目から法科大学院生らしい勉強ができるようになりました。
−司法試験を受け、不合格となった時はどんな気持ちでしたか。
−力不足を実感しました。1年目から短答式の試験には合格したのですが、論文式試験は不合格。勉強して知識を身につければ合格できる短答式はともかく、論文でどれだけのものを求められているのか分からず、恐ろしさを感じました。
−2年目も不合格となりましたが……。
−短答式の成績はすごくよかったのですが、論文がまたも不合格。何で落ちたのか。論文に何が足りなかったのか。人間が答案に現れるというのなら、自分のどこに問題があったのか。そんなことを考えるために3日間、大峰山に登り、山を歩き回って自分を見つめ直しました。
−その結論は。
−自分を変えなければ答案も書けない。自分の弱点から逃げるのではなく、壁を突破しない限り合格はない、ということでした。僕はもともと文を書くことが好きではなかったのですが、そういう言い訳を許す自分の甘さを乗り越えるしかないと思ったのです。
−それ以来、毎日2時間に1本ずつ、少なくても2本ずつの論文を書くことを自分に課し、それを家族や弁護士の先輩に見てもらうようにしました。他人に論文を見てもらうことは、自分をさらけ出す作業ですが、それによって自分の殻を破ることができました。
−自分の殻を破るとは。
−僕は学生時代から、自分を極めることがすべて、人の話を聞くよりも、まず自分を高めることに集中しようとして物事に取り組んできました。しかしそれは、裏返せば人の話が聞けないということでもあったのです。けれども、自分をさらけ出して書いた論文を人に見てもらうことで、素直に人から教えを乞う気持ちが生まれました。それが成長につながったのでしょう。自分の殻を破ったのだと思います。自分が心を開くことで、他人の教えを吸収するチャンスが広がり、それによって答案を書く力がどんどん上がっていく実感が持てました。
−そうして迎えた3度目、最後の試験。第4ダウン、ギャンブルという場面ですが、緊張しませんでしたか。
−気合は入っていたけど、緊張はしませんでした。これはファイターズの部員にもいえることでしょうが、大試合を前にやり残したことはないという実感を持って試合に臨むのと同じことだと思います。よく「勝敗は試合前の準備で決まっている」といいますが、そういう心境で試験に臨めました。
−法科大学院で勉強中、ファイターズの事は気になりませんでしたか。
−すごく気になりました。同じキャンパスですから、練習に向かう部員の姿もよく見かけます。そのたびに、グラウンドに行きたい衝動を抑えるのに必死でした。
−晴れて合格。いまの心境は。
−まっ先に鳥内監督に報告に行きました。「すごいな。やりおったわ。(この結果を聞いて)後輩も勇気づけられるわ」と言われて、本当にうれしく思いました。それと、試験に備えて勉強中、松本商店の前でばったりお会いした堀口コーチから「司法試験に合格するより、立命に勝つ方が難しいんやぞ」と言われたのも、うれしい励ましでした。自分一人の努力で何とかなる司法試験に比べて、立命に勝つためにはチーム全員が殻を破らなければならないから、より大変だ、俺たちもがんばっているからお前もガンバレという意味でしょうが、堀口さんらしい激励の仕方だと思い出します。
−ありがとうございました。
従来の司法試験は何度でも受験できたが、この制度では受験機会が3回に限られている。判事や検事、弁護士になるためには必ず通過しなければならない難関中の難関である。
「ファイターズのOBには、税理士も医者もいますが、司法試験の合格者は初めてではないですか。よう頑張りました。彼の努力を知って、現役部員も大いに力づけられるでしょう」と鳥内監督も絶賛する。
寺川氏は大学を卒業後、阪急百貨店に入社、5年間勤務した。かたわら、社会人アメフットチーム「阪急ブルーインズ」でも活躍し、チームがXリーグの1部に昇格したときには主将も務めていた。
早速、寺川氏に会って、話を聞いた。
−会社務めを辞めて、弁護士を志望された動機からお聞きします。
−もともと、人とふれあう仕事がしたくて百貨店に就職したのですが、実際の仕事は仕入れとかもめごとの解決とか。自分自身が職場環境に合わせて成長すればよかったのですが、その努力もせず……。勉強し直して医者になろうか、針灸師になろうか、それとも司法書士はどうか、とか考えていました。悩んでいたところに、社会人チームの先輩の弁護士さんから「今度、ロースクールというものができる。そこを卒業すれば7割は(司法試験に)合格する」という話を聞いて「よし、それなら」と挑戦することにしたんです。
〈2004年春に関学の法科大学院に入学、2006年春に卒業。2006年5月から3年連続で司法試験に挑戦。3年目、つまり最後の受験機会となった今年、念願の合格通知を手にした〉
−会社を辞めてから、どんな風に勉強をされたんですか。
−まず、半年間は法科大学院に入るための勉強をしました。一応、法学部を出ているのですが、学生時代はアメフットに夢中で、司法試験のための勉強はまったくしていませんでしたので、法律の知識なんて経済学部や文学部の卒業生と同程度。大学院に入学してからも、最初の1年は授業についていけない状態でした。
−そこで、毎朝8時から、夜、大学院の閉まる11時まで、学校にこもって勉強を続けました。幸い自宅が近かったので、学校を勉強部屋のように使わせてもらいました。それだけ勉強して、ようやく大学院の2年目から法科大学院生らしい勉強ができるようになりました。
−司法試験を受け、不合格となった時はどんな気持ちでしたか。
−力不足を実感しました。1年目から短答式の試験には合格したのですが、論文式試験は不合格。勉強して知識を身につければ合格できる短答式はともかく、論文でどれだけのものを求められているのか分からず、恐ろしさを感じました。
−2年目も不合格となりましたが……。
−短答式の成績はすごくよかったのですが、論文がまたも不合格。何で落ちたのか。論文に何が足りなかったのか。人間が答案に現れるというのなら、自分のどこに問題があったのか。そんなことを考えるために3日間、大峰山に登り、山を歩き回って自分を見つめ直しました。
−その結論は。
−自分を変えなければ答案も書けない。自分の弱点から逃げるのではなく、壁を突破しない限り合格はない、ということでした。僕はもともと文を書くことが好きではなかったのですが、そういう言い訳を許す自分の甘さを乗り越えるしかないと思ったのです。
−それ以来、毎日2時間に1本ずつ、少なくても2本ずつの論文を書くことを自分に課し、それを家族や弁護士の先輩に見てもらうようにしました。他人に論文を見てもらうことは、自分をさらけ出す作業ですが、それによって自分の殻を破ることができました。
−自分の殻を破るとは。
−僕は学生時代から、自分を極めることがすべて、人の話を聞くよりも、まず自分を高めることに集中しようとして物事に取り組んできました。しかしそれは、裏返せば人の話が聞けないということでもあったのです。けれども、自分をさらけ出して書いた論文を人に見てもらうことで、素直に人から教えを乞う気持ちが生まれました。それが成長につながったのでしょう。自分の殻を破ったのだと思います。自分が心を開くことで、他人の教えを吸収するチャンスが広がり、それによって答案を書く力がどんどん上がっていく実感が持てました。
−そうして迎えた3度目、最後の試験。第4ダウン、ギャンブルという場面ですが、緊張しませんでしたか。
−気合は入っていたけど、緊張はしませんでした。これはファイターズの部員にもいえることでしょうが、大試合を前にやり残したことはないという実感を持って試合に臨むのと同じことだと思います。よく「勝敗は試合前の準備で決まっている」といいますが、そういう心境で試験に臨めました。
−法科大学院で勉強中、ファイターズの事は気になりませんでしたか。
−すごく気になりました。同じキャンパスですから、練習に向かう部員の姿もよく見かけます。そのたびに、グラウンドに行きたい衝動を抑えるのに必死でした。
−晴れて合格。いまの心境は。
−まっ先に鳥内監督に報告に行きました。「すごいな。やりおったわ。(この結果を聞いて)後輩も勇気づけられるわ」と言われて、本当にうれしく思いました。それと、試験に備えて勉強中、松本商店の前でばったりお会いした堀口コーチから「司法試験に合格するより、立命に勝つ方が難しいんやぞ」と言われたのも、うれしい励ましでした。自分一人の努力で何とかなる司法試験に比べて、立命に勝つためにはチーム全員が殻を破らなければならないから、より大変だ、俺たちもがんばっているからお前もガンバレという意味でしょうが、堀口さんらしい激励の仕方だと思い出します。
−ありがとうございました。
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2008年09月24日
(20)甲南戦の収穫
試合が終わると、決まって鳥内監督の周囲に記者団が集まる。一般紙はもちろん、スポーツ紙や専門誌、はては関学スポーツの学生記者までが集まって、気のきいたコメントを求めようと質問する。
それを横合いから聞いているのが面白い。僕もその昔、兵庫県警や大阪府警を担当していたころは、事件のたびに現場に出掛け、捜査の幹部を取り囲んで似たような取材をしてきたから、彼らの取材方法や、質問の仕方、相手の反応に対するリアクションなど、いちいち思い当たることが多い。昔と違うのは、女性記者が増えたことぐらいだ。
甲南戦が終わった後、記者団が監督の取材をするのを、少し離れた所から聞いていた。質問はよく聞き取れないが、監督の答えはよく聞こえる。
「しっかり点がとれたようですが?」
「今日の試合で、何点とったか、取られたとか、そんなことは関係ないねん」
「問題は、今日の内容で立命に通用するかどうかや。社会人に勝って日本1、という目標を立ててるチームが、こんな内容の試合でええのんか、いうことや」
「今日の試合の収穫は?」
「雨の中でパスが通らんということが分かったことや」
「でも、今日は試合開始が遅れるなど、条件が悪かったでしょう?」
「去年の三原は、雨の中でも(パスを)通しとった。今年は、まだまだ練習が足らん、ということや。それが分かったことが、今日の収穫ですわ」
こういうナマの発言は、そのままでは新聞に掲載されない。うまく化粧を施して、そのエッセンスが紙面に載る。というより、せっかく取材しても、新聞には試合結果だけが掲載され、監督の談話も分析も、掲載されないことの方が多い。それでも記者は取材し、監督はインタビューに答えなければならない。仕事とはいえ、なかなか難儀なことである。
もちろん、懸命に質問し、それに答えが返ってきたからといって、それで本当のことが取材できているかどうかは定かでない。それより、スタンドから一生懸命試合を見ていた方が、事態がよく分かることがある。
ということで、雨中の戦いとなった甲南戦の報告である。
当日は、試合開始の30分ほど前から激しい雷雨。空は真っ黒である。落雷の危険があるから試合はできない。「雷鳴あるいは稲妻が最終確認されてから30分後に安全確認をした上で、試合を開始します」というアナウンスが、再三、流される。先日、高校のサッカーの試合で、落雷のために障害を負った高校生が、学校と主催者を相手取った訴訟で勝訴したばかりとあって、主催者は選手の安全管理を最優先に考える。
今日はこのまま中止になるかな、とあきらめかけていたが、ようやく1時間15分遅れでキックオフ。しかし、人工芝のグラウンドはあちこちに水たまりができている。ゴムのボールを使わなければならないし、空も薄暗い。選手にとっては最悪の状態で試合が始まった。
案の定、QB加納のパスは、思い通りに通らない。ようやく第2シリーズ。RB平田の30ヤード近いランでゴール前に迫り、RB河原が残り7ヤードを駆け抜けて先制。CB頼本のインターセプトでつかんだ次の攻撃シリーズはパントに追いやられたが、WR松原の好リターンで始まった続くシリーズでは、平田、稲毛の好走と加納のスクランブルで残り21ヤード。ここで河原が右オープンを独走してTD。前半を14−3で折り返す。
後半もランニングバック陣が鮮やかなランの共演。第3Q開始早々に稲毛が中央付近から49ヤードの独走TDを決めれば、次のシリーズでは4年生RB浅谷が7ヤードを走りきってTD。2年、3年と、2年続けてけがに泣いた副将RB石田も、走るたびに相手ディフェンス陣を5ヤードは引きずって走る「豪走」で完全復活を見せつける。
第4Qには、控えのQB加藤がWR正林へ、同じく浅海がWR勝本へとそれぞれ長いTDパスを決める。1年生キッカー大西のキックもことごとく決まって、終わってみれば45−3。得点だけを見れば、堂々たる勝利だった。
けれども、鳥内監督のいうように「社会人に勝って日本1」という目標を考えると、この日の内容で満足するわけにはいかない。立命の化け物のようなディフェンス、その前に当たる京大の執拗なディフェンスを考えると、この日のようなラン一辺倒のオフェンスでは、なかなか得点を重ねることは難しいだろう。試合経験の浅いメンバーで構成するオフェンスラインが持ちこたえてくれるかどうかも、予断を許さない。
すべては、これからの練習にかかっている。強敵を想定して、どれだけ密度の濃い練習ができるのか、試合で味わった苦い経験をどう自身の向上につなげていくのか。そう考えれば「収穫」はいっぱいあった。時ならぬ雷雨がもたらせてくれたこの試練を、今後に生かしてほしい。朝鍛夕錬あるのみである。
それを横合いから聞いているのが面白い。僕もその昔、兵庫県警や大阪府警を担当していたころは、事件のたびに現場に出掛け、捜査の幹部を取り囲んで似たような取材をしてきたから、彼らの取材方法や、質問の仕方、相手の反応に対するリアクションなど、いちいち思い当たることが多い。昔と違うのは、女性記者が増えたことぐらいだ。
甲南戦が終わった後、記者団が監督の取材をするのを、少し離れた所から聞いていた。質問はよく聞き取れないが、監督の答えはよく聞こえる。
「しっかり点がとれたようですが?」
「今日の試合で、何点とったか、取られたとか、そんなことは関係ないねん」
「問題は、今日の内容で立命に通用するかどうかや。社会人に勝って日本1、という目標を立ててるチームが、こんな内容の試合でええのんか、いうことや」
「今日の試合の収穫は?」
「雨の中でパスが通らんということが分かったことや」
「でも、今日は試合開始が遅れるなど、条件が悪かったでしょう?」
「去年の三原は、雨の中でも(パスを)通しとった。今年は、まだまだ練習が足らん、ということや。それが分かったことが、今日の収穫ですわ」
こういうナマの発言は、そのままでは新聞に掲載されない。うまく化粧を施して、そのエッセンスが紙面に載る。というより、せっかく取材しても、新聞には試合結果だけが掲載され、監督の談話も分析も、掲載されないことの方が多い。それでも記者は取材し、監督はインタビューに答えなければならない。仕事とはいえ、なかなか難儀なことである。
もちろん、懸命に質問し、それに答えが返ってきたからといって、それで本当のことが取材できているかどうかは定かでない。それより、スタンドから一生懸命試合を見ていた方が、事態がよく分かることがある。
ということで、雨中の戦いとなった甲南戦の報告である。
当日は、試合開始の30分ほど前から激しい雷雨。空は真っ黒である。落雷の危険があるから試合はできない。「雷鳴あるいは稲妻が最終確認されてから30分後に安全確認をした上で、試合を開始します」というアナウンスが、再三、流される。先日、高校のサッカーの試合で、落雷のために障害を負った高校生が、学校と主催者を相手取った訴訟で勝訴したばかりとあって、主催者は選手の安全管理を最優先に考える。
今日はこのまま中止になるかな、とあきらめかけていたが、ようやく1時間15分遅れでキックオフ。しかし、人工芝のグラウンドはあちこちに水たまりができている。ゴムのボールを使わなければならないし、空も薄暗い。選手にとっては最悪の状態で試合が始まった。
案の定、QB加納のパスは、思い通りに通らない。ようやく第2シリーズ。RB平田の30ヤード近いランでゴール前に迫り、RB河原が残り7ヤードを駆け抜けて先制。CB頼本のインターセプトでつかんだ次の攻撃シリーズはパントに追いやられたが、WR松原の好リターンで始まった続くシリーズでは、平田、稲毛の好走と加納のスクランブルで残り21ヤード。ここで河原が右オープンを独走してTD。前半を14−3で折り返す。
後半もランニングバック陣が鮮やかなランの共演。第3Q開始早々に稲毛が中央付近から49ヤードの独走TDを決めれば、次のシリーズでは4年生RB浅谷が7ヤードを走りきってTD。2年、3年と、2年続けてけがに泣いた副将RB石田も、走るたびに相手ディフェンス陣を5ヤードは引きずって走る「豪走」で完全復活を見せつける。
第4Qには、控えのQB加藤がWR正林へ、同じく浅海がWR勝本へとそれぞれ長いTDパスを決める。1年生キッカー大西のキックもことごとく決まって、終わってみれば45−3。得点だけを見れば、堂々たる勝利だった。
けれども、鳥内監督のいうように「社会人に勝って日本1」という目標を考えると、この日の内容で満足するわけにはいかない。立命の化け物のようなディフェンス、その前に当たる京大の執拗なディフェンスを考えると、この日のようなラン一辺倒のオフェンスでは、なかなか得点を重ねることは難しいだろう。試合経験の浅いメンバーで構成するオフェンスラインが持ちこたえてくれるかどうかも、予断を許さない。
すべては、これからの練習にかかっている。強敵を想定して、どれだけ密度の濃い練習ができるのか、試合で味わった苦い経験をどう自身の向上につなげていくのか。そう考えれば「収穫」はいっぱいあった。時ならぬ雷雨がもたらせてくれたこの試練を、今後に生かしてほしい。朝鍛夕錬あるのみである。
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2008年09月17日
(19)良寛の修行時代
本当は忙しいはずなのに、毎晩、狂ったように本を読んでいる。
「こんな日本でよかったね」(内田樹・バジリコ)「戦後詩」(寺山修司・ちくま文庫)「名文を書かない文章教室」(村田喜代子・朝日文庫)「センセイの鞄」(川上弘美・文春文庫)「溺レる」(川上弘美・文春文庫)「日本浄土」(藤原新也・東京書籍)「新聞と戦争」(朝日新聞「新聞と戦争」取材班・朝日新聞出版)「くろふね」(佐々木譲・角川文庫)「長谷川伸傑作選・股旅新八景」(長谷川伸・国書刊行会)「別冊太陽・良寛」(平凡社)……。
9月になって読んだうち、再読本も含めて面白かった本を並べてみた。われながら、支離滅裂な読書である。乱読という範畴さえ越えているかもしれない。このほかに、新刊で手頃な本が見あたらなかったら、昔読んだ藤沢周平を引っ張り出して読んでいるのだから、「狂ったように」というのも言い過ぎではなかろう。
乱読しているうちに、時々、気になる言葉やエピソードに出会う。今回は、江戸時代の禅僧・良寛(1758〜1831)の修行僧時代の話である。
さきの「別冊太陽・良寛」に紹介されている仁保哲明氏の論文によると、彼は22歳から34歳まで岡山県・玉島の円通寺で修行をした。毎朝3時に起床、夜9時に就寝するまで、日に3回の座禅を組み、その合間に清掃や読経、時には托鉢を続ける厳しい日課だったという。
座禅のときは誰よりも早く座に着き、師の講義にも遅れたことはない。真面目一徹な修行ぶりだったが、一人、気になる法兄(兄弟子)がいた。
彼は「座禅もせず、経も読まず、宗文一句たりとも語らず、ただひたすら畑仕事をして野菜を作り、典座として調理し、ふるまった」「典座はみなより早く起床し、朝食の準備にかかり、みなが座禅や読経をしているときもほとんど庫裏(台所)を離れることはない」「食事を作らせていただけることを喜びとし(喜心)、食べる人の身になって作り(老心)、自分を捨て、いまするべきことする(大心)典座という修行を一徹に貫いた」と仁保氏は紹介されている。
良寛は当時、この兄弟子の真価が分からなかったそうだが、後に彼こそ真の道者だったと讃嘆し、自分は到底及ばぬといって、彼をたたえる詩を作っている。
喜心、老心、大心。この話をファイターズというチームに置き換えて考えると、なかなか深い味わいがある。試合に出て活躍できるように鍛錬するだけが修行ではない。座禅を組み、師の講義を聴き、托鉢に出掛け、知識を蓄えるという修行もあれば、後輩の食事を作らせていただけることに喜びを感じ、自分を捨てる、という修行もあるのだ。
ファイターズでいえば、マネジャーやトレーナー、アナライジングスタッフの仕事がそれに相当するだろう。練習台になって、レギュラーの面々を鍛える選手たちがいなければ、チーム力の向上はおぼつかない。試合に出る機会のない1、2年生に対し、自分を捨てて懇切丁寧に指導する上級生の存在がなければ、200人の部員がいてもチームの底上げは難しい。
ファイターズが真のファイターズであるためには、そういう世間の人の目に触れないところで、それぞれの役割を「喜んで」「仲間の身になって」「自分を捨てて」行う存在が必要不可欠なのである。
良寛が修行をした円通寺には「一に石を曳(ひ)き、二に土を搬(はこ)ぶ」という家風があったそうだ。つまらぬ理屈を言わず、ひたすら座禅をし、作務(勤労)修行をしなさい、という意味だそうな。真理は座禅をする僧堂(グラウンド)にもあるが、料理をつくる台所にも、掃除をする廊下にも、草むしりをする庭にも、至るところ、まんべんなくあるのだという。
小難しい話になった。けれども「アメフットを通じてよき人間を作る」という目的を掲げたファイターズ、そこで活動する諸君にとっては、何かと心強い話だと思って紹介させていただいた。
「こんな日本でよかったね」(内田樹・バジリコ)「戦後詩」(寺山修司・ちくま文庫)「名文を書かない文章教室」(村田喜代子・朝日文庫)「センセイの鞄」(川上弘美・文春文庫)「溺レる」(川上弘美・文春文庫)「日本浄土」(藤原新也・東京書籍)「新聞と戦争」(朝日新聞「新聞と戦争」取材班・朝日新聞出版)「くろふね」(佐々木譲・角川文庫)「長谷川伸傑作選・股旅新八景」(長谷川伸・国書刊行会)「別冊太陽・良寛」(平凡社)……。
9月になって読んだうち、再読本も含めて面白かった本を並べてみた。われながら、支離滅裂な読書である。乱読という範畴さえ越えているかもしれない。このほかに、新刊で手頃な本が見あたらなかったら、昔読んだ藤沢周平を引っ張り出して読んでいるのだから、「狂ったように」というのも言い過ぎではなかろう。
乱読しているうちに、時々、気になる言葉やエピソードに出会う。今回は、江戸時代の禅僧・良寛(1758〜1831)の修行僧時代の話である。
さきの「別冊太陽・良寛」に紹介されている仁保哲明氏の論文によると、彼は22歳から34歳まで岡山県・玉島の円通寺で修行をした。毎朝3時に起床、夜9時に就寝するまで、日に3回の座禅を組み、その合間に清掃や読経、時には托鉢を続ける厳しい日課だったという。
座禅のときは誰よりも早く座に着き、師の講義にも遅れたことはない。真面目一徹な修行ぶりだったが、一人、気になる法兄(兄弟子)がいた。
彼は「座禅もせず、経も読まず、宗文一句たりとも語らず、ただひたすら畑仕事をして野菜を作り、典座として調理し、ふるまった」「典座はみなより早く起床し、朝食の準備にかかり、みなが座禅や読経をしているときもほとんど庫裏(台所)を離れることはない」「食事を作らせていただけることを喜びとし(喜心)、食べる人の身になって作り(老心)、自分を捨て、いまするべきことする(大心)典座という修行を一徹に貫いた」と仁保氏は紹介されている。
良寛は当時、この兄弟子の真価が分からなかったそうだが、後に彼こそ真の道者だったと讃嘆し、自分は到底及ばぬといって、彼をたたえる詩を作っている。
喜心、老心、大心。この話をファイターズというチームに置き換えて考えると、なかなか深い味わいがある。試合に出て活躍できるように鍛錬するだけが修行ではない。座禅を組み、師の講義を聴き、托鉢に出掛け、知識を蓄えるという修行もあれば、後輩の食事を作らせていただけることに喜びを感じ、自分を捨てる、という修行もあるのだ。
ファイターズでいえば、マネジャーやトレーナー、アナライジングスタッフの仕事がそれに相当するだろう。練習台になって、レギュラーの面々を鍛える選手たちがいなければ、チーム力の向上はおぼつかない。試合に出る機会のない1、2年生に対し、自分を捨てて懇切丁寧に指導する上級生の存在がなければ、200人の部員がいてもチームの底上げは難しい。
ファイターズが真のファイターズであるためには、そういう世間の人の目に触れないところで、それぞれの役割を「喜んで」「仲間の身になって」「自分を捨てて」行う存在が必要不可欠なのである。
良寛が修行をした円通寺には「一に石を曳(ひ)き、二に土を搬(はこ)ぶ」という家風があったそうだ。つまらぬ理屈を言わず、ひたすら座禅をし、作務(勤労)修行をしなさい、という意味だそうな。真理は座禅をする僧堂(グラウンド)にもあるが、料理をつくる台所にも、掃除をする廊下にも、草むしりをする庭にも、至るところ、まんべんなくあるのだという。
小難しい話になった。けれども「アメフットを通じてよき人間を作る」という目的を掲げたファイターズ、そこで活動する諸君にとっては、何かと心強い話だと思って紹介させていただいた。
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2008年09月09日
(18)試合が育ててくれる
9月7日午後6時15分。エキスポ・フィールドの空には、まだ夕焼けの雲が残り、半月がかかっている。その月に向かってキッカー松本が高々とボールを蹴り上げ、2008年ファイターズの戦いはスタートした。
待ちに待った開幕である。試合の始まる3時間も前にスタンドに着くと、関学の応援席になっているバックスタンドはほぼ満員。もちろん、一つ前の近大−京大戦を見に来たファンが多いのだが、よく見ると、ファイターズファンもあちこちに陣取っている。ギャングスターの応援席にいながら、まるで試合に集中していないから、すぐに「あれはファイターズの人たち」と分かるのである。
早くからスタジアムに来ると、練習前の選手たちの表情が手に取るように分かる。入り口付近で人を待っていると、練習開始を待ちかねた選手たちが次々に通る。ヘルメットを手にして歩く選手たちに声をかけると、彼らの「いよいよシーズンイン」というワクワクする気持ちと、初戦を迎える緊張感がひしひしと伝わってくる。
マネジャーからメンバー表をもらい、スタメンを確かめる。同時にこの試合に登録されているメンバーを一人一人確認する。思いのほか1年生が多い。背番号の若い順にK大西、RB松岡、LB辻本(以上、高等部)、DB香山(崇徳)、OL谷山(関西大倉)、OL濱本(箕面)、LB土橋(関西大倉)、DL長島(佼成学園)、片岡、好川、和田、飯田(以上、高等部)、佐藤、東元(以上関西大倉)の14人もいる。
秋の初戦から登録されるというのは、それだけ期待されているという証拠である。練習などで、彼らが元気に動いている姿を見ているから、僕も彼らが登場するところを想像してワクワクする。
試合が始まる。同志社の最初の攻撃。QBが投じたパスをLB古下がカット、大きく跳ね上がったボールをDB三木がキャッチする。いきなりのターンオーバーで、ファイターズは一気に流れをつかむ。
敵陣25ヤード付近でつかんだこの好機に、RB稲毛とRB河原が立て続けにロングゲインを奪い、たちまちタッチダウン(TD)に結びつける。攻守とも、文句の付けようのない鮮やかな立ち上がりだった。
その後も、坂戸や徳井のインターセプトで同志社の攻撃をしのぎ、松本のフィールドゴール(FG)や1年ぶりにグラウンドに立ったRB石田のダイブプレーでTDを奪って、前半を17−0で折り返す。
後半は、ファイターズのレシーブ。RB稲毛の好リターンで攻撃が始まる。RB河原の好走でダウンを更新した後、QB加納がWR柴田とWR松原に立て続けに長いパスを決め、たった3プレーでゴール前4ヤードに迫る。仕上げはWR太田のラン。わずか4プレー。あっという間のTDだった。ベンチに戻る加納の笑顔が「納得のいくシリーズ」だったことを正直に物語っている。
24−0となってベンチに余裕が出たのか、次の攻撃シリーズからは、次々に新しいメンバーを送り込む。QBには期待の2年生加藤が登場。登録メンバーに名前を連ねた1年生の谷山や大西、濱本、長島、松岡らも次々に登場してグラウンドを駆け回る。
けれども、相手は一軍のメンバー。なかなか練習通りのプレーはさせてもらえない。ボールをスナップした一瞬の隙をつかれたり、思い通りに相手をブロックできなかったりで、攻守ともどんどん手詰まりになっていく。
春の試合から登場し、余裕のプレーを続けていたQB加藤も、初めての公式戦に臨む緊張感が隠せない。スタンドからわき上がる大歓声に勝手が違ったのかもしれない。練習ではやすやすと通しているパスがなかなか決まらない。せっかく投げても短かったり投げるのをためらったり。日ごろの練習で快調に投げている彼を知っている人間としては「おいおい、何を怖がってんねん」というところである。
しかし、これが公式戦である。相手が本気になって倒しにくる、時には反則まがいのプレーも辞さない、という局面で経験を積んでいかないと、なかなか普段通りのプレーはできない。相手が目の色を変えてぶつかってくる試合。絶対に負けることが許されない試合こそが、仲間内の練習だけでは乗り越えられない試練を与えてくれる。試合が人を育てるのである。
その試練を乗り越え、経験を積んで、初めてフレッシュマンもファイターズの一員になれるのである。
その意味で、試合経験の少ない下級生にとっては、極めてありがたい試合だったと思う。この日の「屈辱」を胸に刻み、それを乗り越えて本当に戦える力を養ってもらいたい。
待ちに待った開幕である。試合の始まる3時間も前にスタンドに着くと、関学の応援席になっているバックスタンドはほぼ満員。もちろん、一つ前の近大−京大戦を見に来たファンが多いのだが、よく見ると、ファイターズファンもあちこちに陣取っている。ギャングスターの応援席にいながら、まるで試合に集中していないから、すぐに「あれはファイターズの人たち」と分かるのである。
早くからスタジアムに来ると、練習前の選手たちの表情が手に取るように分かる。入り口付近で人を待っていると、練習開始を待ちかねた選手たちが次々に通る。ヘルメットを手にして歩く選手たちに声をかけると、彼らの「いよいよシーズンイン」というワクワクする気持ちと、初戦を迎える緊張感がひしひしと伝わってくる。
マネジャーからメンバー表をもらい、スタメンを確かめる。同時にこの試合に登録されているメンバーを一人一人確認する。思いのほか1年生が多い。背番号の若い順にK大西、RB松岡、LB辻本(以上、高等部)、DB香山(崇徳)、OL谷山(関西大倉)、OL濱本(箕面)、LB土橋(関西大倉)、DL長島(佼成学園)、片岡、好川、和田、飯田(以上、高等部)、佐藤、東元(以上関西大倉)の14人もいる。
秋の初戦から登録されるというのは、それだけ期待されているという証拠である。練習などで、彼らが元気に動いている姿を見ているから、僕も彼らが登場するところを想像してワクワクする。
試合が始まる。同志社の最初の攻撃。QBが投じたパスをLB古下がカット、大きく跳ね上がったボールをDB三木がキャッチする。いきなりのターンオーバーで、ファイターズは一気に流れをつかむ。
敵陣25ヤード付近でつかんだこの好機に、RB稲毛とRB河原が立て続けにロングゲインを奪い、たちまちタッチダウン(TD)に結びつける。攻守とも、文句の付けようのない鮮やかな立ち上がりだった。
その後も、坂戸や徳井のインターセプトで同志社の攻撃をしのぎ、松本のフィールドゴール(FG)や1年ぶりにグラウンドに立ったRB石田のダイブプレーでTDを奪って、前半を17−0で折り返す。
後半は、ファイターズのレシーブ。RB稲毛の好リターンで攻撃が始まる。RB河原の好走でダウンを更新した後、QB加納がWR柴田とWR松原に立て続けに長いパスを決め、たった3プレーでゴール前4ヤードに迫る。仕上げはWR太田のラン。わずか4プレー。あっという間のTDだった。ベンチに戻る加納の笑顔が「納得のいくシリーズ」だったことを正直に物語っている。
24−0となってベンチに余裕が出たのか、次の攻撃シリーズからは、次々に新しいメンバーを送り込む。QBには期待の2年生加藤が登場。登録メンバーに名前を連ねた1年生の谷山や大西、濱本、長島、松岡らも次々に登場してグラウンドを駆け回る。
けれども、相手は一軍のメンバー。なかなか練習通りのプレーはさせてもらえない。ボールをスナップした一瞬の隙をつかれたり、思い通りに相手をブロックできなかったりで、攻守ともどんどん手詰まりになっていく。
春の試合から登場し、余裕のプレーを続けていたQB加藤も、初めての公式戦に臨む緊張感が隠せない。スタンドからわき上がる大歓声に勝手が違ったのかもしれない。練習ではやすやすと通しているパスがなかなか決まらない。せっかく投げても短かったり投げるのをためらったり。日ごろの練習で快調に投げている彼を知っている人間としては「おいおい、何を怖がってんねん」というところである。
しかし、これが公式戦である。相手が本気になって倒しにくる、時には反則まがいのプレーも辞さない、という局面で経験を積んでいかないと、なかなか普段通りのプレーはできない。相手が目の色を変えてぶつかってくる試合。絶対に負けることが許されない試合こそが、仲間内の練習だけでは乗り越えられない試練を与えてくれる。試合が人を育てるのである。
その試練を乗り越え、経験を積んで、初めてフレッシュマンもファイターズの一員になれるのである。
その意味で、試合経験の少ない下級生にとっては、極めてありがたい試合だったと思う。この日の「屈辱」を胸に刻み、それを乗り越えて本当に戦える力を養ってもらいたい。
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2008年09月03日
(17)「戦うのは俺だ!」
9月である。Septemberである。竹内まりやが明るく「そして9月はさよならの国」「めぐる季節の彩りの中で一番さみしい月」と歌うのである。
といっても、大昔の歌。いまの選手諸君はよほどのファンでない限りご存じないだろう。多分、親ごさんの世代が若いころに歌っていた歌である。
余談はさておき、9月といえば、シーズンの開幕である。タッチダウン誌特別号の発行を待ちかねて購入し、選手名鑑を眺めてワクワクされているファンの方もどっさりおられるだろう。「今年はこういうメンバーで戦うのか」「それにしても立命には、ヤバイ選手がそろっているよな」と、僕の頭の中でも次々と連想が広がる。
開幕を待ちかねて、この前の日曜日、練習を見に上ケ原のグラウンドに出掛けたら、同じように激励に来られた何人ものOBの方と顔を合わせた。車椅子で駆けつけられた猿木唯資さん、その同期で小学生のタッチフットボールチーム「上ケ原ブルーナイツ」の指導をされている岡本浩治さん。試合前にいつも、選手たちを集めてお祈りをされる顧問の前島宗甫先生の姿も見える。
久々の晴天で、人工芝のグラウンドはぎらぎらに光っている。真夏のような日差しに、立っているだけで汗が噴き出す。日陰を求めてうろうろしていると、グラウンドの片隅で武田建先生が1年生のレシーバーたちに懸命に声をかけておられる姿が見えた。僕より一回りも年上の先生が炎天下で走り回っておられるのに、と変な対抗心を燃やして炎天下に出たら、真っ黒に日焼けしてしまった。
選手たちはみんな、本番間近という練習ぶりである。例えば「練習開始10分前」というマネジャーの指示が飛べば、5分前にはみんながハドルを組んでいる。ぎりぎりの時間にあたふたと走り込んでくるような選手は一人もいない。キビキビしたその集散ぶりを見ているだけで、いよいよ近づいてきた、と実感するのである。開幕戦では、この選手たちが存分に活躍してくれるはずだ、と期待が高まるのである。
もちろん、シーズンは長い。開幕戦だけが試合ではない。一つひとつの試合に全力を尽くし、確実に勝ち星を挙げると同時に、リーグの最終戦で戦う立命に勝てるチームを作り上げていかなければならない。そこを突破して初めて関東の覇者と戦う道が開けるのだし、社会人の王者に挑戦する資格が手にできるのである。
戦いながら仕上げていく、といっても、事は容易ではない。関西リーグに参加しているチームの力が上がっているのは、タッチダウンが奪えなかった春の関大戦やニューエラボウルにおける各チームの主力選手の活躍ぶりを見ただけでも明らかだ。小手先の作戦で勝てるようなチームは一つもない、と心してかからなければならないだろう。
先日の朝日新聞のスポーツ面に、リーグ戦の開幕をアピールする記者会見で、鳥内監督と立命の古橋監督が「舌戦」を繰り広げた話が掲載されていた。その中で鳥内監督は「仕上がりはまだ3、4割ですよ」と話しておられたが、それは謙遜が半分、本音が半分の談話だと受け止めた。
それぞれの部員が自分のリミットを超えて、新しい力を獲得できるかどうか。個々の選手がここが限界だと思っているレベルを超えて新たな境地に到達できるかどうか。すべては、早川主将のいう今年のスローガン「Over The Limit」をチームとして、個人として、どこまで実行できるかにかかっている。
北京五輪の平泳ぎで2冠を達成した北島康介選手は「泳ぐのは僕だ!」というTシャツを着て、自分を鼓舞した。水着騒動をめぐる周囲の雑音に抗して、自ら退路を断ったこの言葉はしかし、ひとり北島選手だけのものではない。
ファイターズの選手諸君にとっても「戦うのは僕だ」であり、「限界を超えるのは僕だ」である。
目の前の一つひとつの試合を全力で戦うことで自らを鍛え、限界を超え、最後に笑えるシーズンにしてもらいたい。健闘を祈る。
といっても、大昔の歌。いまの選手諸君はよほどのファンでない限りご存じないだろう。多分、親ごさんの世代が若いころに歌っていた歌である。
余談はさておき、9月といえば、シーズンの開幕である。タッチダウン誌特別号の発行を待ちかねて購入し、選手名鑑を眺めてワクワクされているファンの方もどっさりおられるだろう。「今年はこういうメンバーで戦うのか」「それにしても立命には、ヤバイ選手がそろっているよな」と、僕の頭の中でも次々と連想が広がる。
開幕を待ちかねて、この前の日曜日、練習を見に上ケ原のグラウンドに出掛けたら、同じように激励に来られた何人ものOBの方と顔を合わせた。車椅子で駆けつけられた猿木唯資さん、その同期で小学生のタッチフットボールチーム「上ケ原ブルーナイツ」の指導をされている岡本浩治さん。試合前にいつも、選手たちを集めてお祈りをされる顧問の前島宗甫先生の姿も見える。
久々の晴天で、人工芝のグラウンドはぎらぎらに光っている。真夏のような日差しに、立っているだけで汗が噴き出す。日陰を求めてうろうろしていると、グラウンドの片隅で武田建先生が1年生のレシーバーたちに懸命に声をかけておられる姿が見えた。僕より一回りも年上の先生が炎天下で走り回っておられるのに、と変な対抗心を燃やして炎天下に出たら、真っ黒に日焼けしてしまった。
選手たちはみんな、本番間近という練習ぶりである。例えば「練習開始10分前」というマネジャーの指示が飛べば、5分前にはみんながハドルを組んでいる。ぎりぎりの時間にあたふたと走り込んでくるような選手は一人もいない。キビキビしたその集散ぶりを見ているだけで、いよいよ近づいてきた、と実感するのである。開幕戦では、この選手たちが存分に活躍してくれるはずだ、と期待が高まるのである。
もちろん、シーズンは長い。開幕戦だけが試合ではない。一つひとつの試合に全力を尽くし、確実に勝ち星を挙げると同時に、リーグの最終戦で戦う立命に勝てるチームを作り上げていかなければならない。そこを突破して初めて関東の覇者と戦う道が開けるのだし、社会人の王者に挑戦する資格が手にできるのである。
戦いながら仕上げていく、といっても、事は容易ではない。関西リーグに参加しているチームの力が上がっているのは、タッチダウンが奪えなかった春の関大戦やニューエラボウルにおける各チームの主力選手の活躍ぶりを見ただけでも明らかだ。小手先の作戦で勝てるようなチームは一つもない、と心してかからなければならないだろう。
先日の朝日新聞のスポーツ面に、リーグ戦の開幕をアピールする記者会見で、鳥内監督と立命の古橋監督が「舌戦」を繰り広げた話が掲載されていた。その中で鳥内監督は「仕上がりはまだ3、4割ですよ」と話しておられたが、それは謙遜が半分、本音が半分の談話だと受け止めた。
それぞれの部員が自分のリミットを超えて、新しい力を獲得できるかどうか。個々の選手がここが限界だと思っているレベルを超えて新たな境地に到達できるかどうか。すべては、早川主将のいう今年のスローガン「Over The Limit」をチームとして、個人として、どこまで実行できるかにかかっている。
北京五輪の平泳ぎで2冠を達成した北島康介選手は「泳ぐのは僕だ!」というTシャツを着て、自分を鼓舞した。水着騒動をめぐる周囲の雑音に抗して、自ら退路を断ったこの言葉はしかし、ひとり北島選手だけのものではない。
ファイターズの選手諸君にとっても「戦うのは僕だ」であり、「限界を超えるのは僕だ」である。
目の前の一つひとつの試合を全力で戦うことで自らを鍛え、限界を超え、最後に笑えるシーズンにしてもらいたい。健闘を祈る。
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2008年08月21日
(16)日本1のイヤーブック
自分が関係しているのに言うのも何だけど、ファイターズのホームページは読み応えがある。情報が早くて充実しているうえに、マネジャーの「リレーコラム」や畏友・川口仁さんの連載「日本アメリカンフットボール史」がある。前者は部員の「素顔」を伝えて秀逸だし、後者は無料で読ませてもらうのが申し訳ないほどの労作だ。そのうえ、友人(だけ)がこぞって褒めてくれる(単にお愛想をいわれているだけなんだけど)僕のコラムがある(自分で言ってどうするよ)。写真も素晴らしいし、デザインもしゃれている。更新の頻度も他大学に比べて圧倒的に多い。
というわけで、勝手に「日本1のホームページ」と自賛しているのだが、ファイターズには、もう一つ「日本1」がある、と僕は思っている。毎年、秋のシーズンが始まると同時に発行されるイヤーブックである。
毎年読んでいる分には、そんなに驚かないけれども、他の大学のイヤーブックと比較してみれば、その内容が充実していることに驚かされる。なにより特集記事が素晴らしい。編集にはまったく経験のない学生が作っているとは、とても思えない。
聞けば、イヤーブックは毎年、3年生のマネジャーが中心になって編集しているそうだ。今年も3年生マネジャーの豊田早穂さんを中心に、7月から本格的に作業を始め、前期試験と並行して企画・取材・執筆・編集・校正作業を進めている。秋のシーズンに間に合わせるためには、本当はもう少し早い時期から作業をスタートさせた方が、工程にゆとりが持てるのだが、春のシーズンの戦績を入れたり、対戦相手の分析をしたり、新入生メンバーがそろうのを待っていたりすると、どうしても本格的に作業できるのは7月からになるそうだ。
その作業が大変だ。まず200人もの部員の集合写真と個人写真を撮影しなければならない。幸い、カメラマンが手慣れた人なので、作業は流れるように進んでいくそうだが、今度はそれぞれにコメントをつけなければならない。パートごとの写真を撮り、その紹介も選手自身が書くのである。
呼び物の特集記事は、特別に力が入る。相手に依頼するだけで集まる原稿ならともかく、自分で取材し、執筆するのは大変だ。僕のようにそれを職業としている者にとっても気の重い作業なのに、編集も取材もほとんど経験のない学生にとっては、気の遠くなるような重圧がかかるだろう。
しかし、さすがはファイターズのメンバーである。そんな重圧をまったく感じさせないような物語を綴っている。
先日、編集作業中の記事を2本、校正段階で読ませていただいたが、それぞれに素晴らしい出来栄えだった。一つは昨年のチームの一員が書いた「挑戦への軌跡〜2007年のシーズンを振り返って〜」。筆者名は、イヤーブックを購入されてからのお楽しみとして伏せておくが、このホームページに連載され、衝撃を与えた小野宏コーチの「爆発(explosion)〜史上最高のパスゲーム〜」の向こうを張ったような中身の濃い力作である。
もう1本が「QBファクトリー」の物語。ファイターズがこの10年ほどの間に送り出し、いまも社会人の第一線でプレーしている名QB6人(名前は、読んでからのお楽しみ)に、豊田さんが直接インタビューしてまとめた読み物である。これまたファイターズのファンには、よだれの出るような企画であり、彼らが活躍した当時を思い出しながら読むと、なおさら興趣がつのるはずだ。
これらの記事を読ませてもらいながら、こういう特集をまとめ、質の高いイヤーブックが発行できる理由はなぜか、と考えた。答えはファイターズというチームに求められる。どういうことか。説明したい。
さきほど、イヤーブックは3年生マネジャーが中心になって作成していると書いた。しかし、それはあくまで「中心になっている」のであって、それをフォローする人たちが何人もいる。ディレクター補佐の宮本敬士氏や石割淳氏は、かつてマネジャー時代に編集に携わった経験があり、その経験を生かして現役のメンバーに適切な指導をしている。朝日新聞でスポーツ記者をしていた小野コーチも、特集記事については目を通し、専門家の目で助言をしている。写真スタッフである清水茂さんらの協力も大きい。
そういう、経験の蓄積と指導が惜しみなく注がれ、現役部員もそれに応えていくから、自ずと鍛えられる。「へなちょこ部員」が「ファイターズ」に成長していくのである。ホームページがリニューアルされて以来、営々と「マネジャーの日記」を綴ってくれた1昨年の神林琢己君、昨年の大石雅彦君の文章を読み直せば、それは納得していただけるだろう。そういう「成長する部員」がいるから、世間に「日本1」と自慢できる本もホームページも作れるのである。それがファイターズというチームである。
グラウンドで戦うのは選手である。けれども、彼らが存分に戦えるように育成するコーチやスタッフが充実していて、初めてチームは機能する。そのためには、兵站(へいたん)部門を充実させなければならないし、リクルート活動もがんばらなければならない。OBにも協力を仰がなければならないだろうし、大学当局の理解も不可欠だ。
そういうもろもろがどれ一つ欠けることなく機能して、初めてファイターズはファイターズになれるのである。ホームページを作る作業も、イヤーブックを編集する作業も同様である。というより、チームとして「日本1」を目指すのなら、ホームページもイヤーブックも「日本1」でなければならない、と僕は思うのである。
思わず力が入って、話が長くなったが、結論はこういうことである。
というわけで、勝手に「日本1のホームページ」と自賛しているのだが、ファイターズには、もう一つ「日本1」がある、と僕は思っている。毎年、秋のシーズンが始まると同時に発行されるイヤーブックである。
毎年読んでいる分には、そんなに驚かないけれども、他の大学のイヤーブックと比較してみれば、その内容が充実していることに驚かされる。なにより特集記事が素晴らしい。編集にはまったく経験のない学生が作っているとは、とても思えない。
聞けば、イヤーブックは毎年、3年生のマネジャーが中心になって編集しているそうだ。今年も3年生マネジャーの豊田早穂さんを中心に、7月から本格的に作業を始め、前期試験と並行して企画・取材・執筆・編集・校正作業を進めている。秋のシーズンに間に合わせるためには、本当はもう少し早い時期から作業をスタートさせた方が、工程にゆとりが持てるのだが、春のシーズンの戦績を入れたり、対戦相手の分析をしたり、新入生メンバーがそろうのを待っていたりすると、どうしても本格的に作業できるのは7月からになるそうだ。
その作業が大変だ。まず200人もの部員の集合写真と個人写真を撮影しなければならない。幸い、カメラマンが手慣れた人なので、作業は流れるように進んでいくそうだが、今度はそれぞれにコメントをつけなければならない。パートごとの写真を撮り、その紹介も選手自身が書くのである。
呼び物の特集記事は、特別に力が入る。相手に依頼するだけで集まる原稿ならともかく、自分で取材し、執筆するのは大変だ。僕のようにそれを職業としている者にとっても気の重い作業なのに、編集も取材もほとんど経験のない学生にとっては、気の遠くなるような重圧がかかるだろう。
しかし、さすがはファイターズのメンバーである。そんな重圧をまったく感じさせないような物語を綴っている。
先日、編集作業中の記事を2本、校正段階で読ませていただいたが、それぞれに素晴らしい出来栄えだった。一つは昨年のチームの一員が書いた「挑戦への軌跡〜2007年のシーズンを振り返って〜」。筆者名は、イヤーブックを購入されてからのお楽しみとして伏せておくが、このホームページに連載され、衝撃を与えた小野宏コーチの「爆発(explosion)〜史上最高のパスゲーム〜」の向こうを張ったような中身の濃い力作である。
もう1本が「QBファクトリー」の物語。ファイターズがこの10年ほどの間に送り出し、いまも社会人の第一線でプレーしている名QB6人(名前は、読んでからのお楽しみ)に、豊田さんが直接インタビューしてまとめた読み物である。これまたファイターズのファンには、よだれの出るような企画であり、彼らが活躍した当時を思い出しながら読むと、なおさら興趣がつのるはずだ。
これらの記事を読ませてもらいながら、こういう特集をまとめ、質の高いイヤーブックが発行できる理由はなぜか、と考えた。答えはファイターズというチームに求められる。どういうことか。説明したい。
さきほど、イヤーブックは3年生マネジャーが中心になって作成していると書いた。しかし、それはあくまで「中心になっている」のであって、それをフォローする人たちが何人もいる。ディレクター補佐の宮本敬士氏や石割淳氏は、かつてマネジャー時代に編集に携わった経験があり、その経験を生かして現役のメンバーに適切な指導をしている。朝日新聞でスポーツ記者をしていた小野コーチも、特集記事については目を通し、専門家の目で助言をしている。写真スタッフである清水茂さんらの協力も大きい。
そういう、経験の蓄積と指導が惜しみなく注がれ、現役部員もそれに応えていくから、自ずと鍛えられる。「へなちょこ部員」が「ファイターズ」に成長していくのである。ホームページがリニューアルされて以来、営々と「マネジャーの日記」を綴ってくれた1昨年の神林琢己君、昨年の大石雅彦君の文章を読み直せば、それは納得していただけるだろう。そういう「成長する部員」がいるから、世間に「日本1」と自慢できる本もホームページも作れるのである。それがファイターズというチームである。
グラウンドで戦うのは選手である。けれども、彼らが存分に戦えるように育成するコーチやスタッフが充実していて、初めてチームは機能する。そのためには、兵站(へいたん)部門を充実させなければならないし、リクルート活動もがんばらなければならない。OBにも協力を仰がなければならないだろうし、大学当局の理解も不可欠だ。
そういうもろもろがどれ一つ欠けることなく機能して、初めてファイターズはファイターズになれるのである。ホームページを作る作業も、イヤーブックを編集する作業も同様である。というより、チームとして「日本1」を目指すのなら、ホームページもイヤーブックも「日本1」でなければならない、と僕は思うのである。
思わず力が入って、話が長くなったが、結論はこういうことである。
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2008年08月17日
(15)熊が出た!
いやー、びっくりした。生まれて初めて、野生の熊に遭遇した。14日の夕方、東鉢伏山で行われているファイターズの合宿を見学して帰る途中だった。東鉢伏の民宿街を過ぎ、人家が全くない下り坂を車で走っている時に、前を走っている車に気付いて、あわててUターンして山に戻る熊の姿をはっきりと見た。時刻は午後6時過ぎ。夕立のあがった直後で、辺りはまだ明るかった。真っ黒いベルベットのような毛艶、独特の走り方、犬よりも大きい姿がはっきり見えた。それは、紛れもなくテレビや図鑑で見るツキノワグマだった。「こんな所に熊が出るんだ」というのが最初の感想。次に「そういえば、中国山地には熊がいると聞いたことがある。周囲に民家はないし、出没することもあり得る」と思った。「山道を走ってトレーニングしている選手が遭遇したら大変だ」というようなことは、そのときには、全然思い浮かばなかった。この文章を書いているいまになって、その危険性に気付いた。来年からも東鉢伏で合宿をされるのなら、とりあえず山を走る選手は団体でわいわい声を上げながら行動すること、できれば熊除けの鈴を腰にぶら下げることを心掛けてほしい。
ということで、今回は合宿を見学した感想というか報告である。
夏合宿の模様については、マネジャー諸兄姉が「リレーコラム」で連日報告されている。あえてその上に付け加えることはないような気もするが、それでもいくつかの場面を報告しておきたい。ファイターズならではの雰囲気を感じ取っていただけるのではないかと思う。
最初に目に付いたのは、麦藁帽子(大型のパナマ帽かもしれない)をかぶった鳥内監督が率先してグラウンドに水を撒いておられたことである。「これが僕の仕事ですねん」といいながら、午前中の練習時間の大半をホース片手に過ごしておられた。
それを見て、今度は練習の激励にきておられたOB会長の奥井さんも水まき作業に加わられた。「大物」二人が率先するそうした何げない行動が、選手たちを励まし、暑いグラウンドに清涼感を醸し出していた。
ほかのOBたちも熱心だ。若手OBが何人も防具を着けて「練習台」になっている。
奥井OB会長や会長と同期の小笠原さん、甲子園ボウル5連覇当時の名RB谷口さんとは、3年連続この合宿で顔を合わせている。とくに谷口さんは東京在住。この10年、夏合宿のたびに東京から朝一番の「のぞみ」で来阪、泊まりがけで鉢伏にきておられるそうだ。
「何歳になっても、合宿に来ると気持ちが引き締まります。この夏合宿がある意味ではファイターズを鍛える原点でもあるからでしょう」と谷口さん。毎年、練習を見ていると、自ら鍛えている選手、努力している選手が一目で見分けられるという。逆に、才能を持ちながらそれを生かし切れていない選手を見ると「腹立たしいというか、許せない気持ちになります」と厳しい。
寄せていただいた日は、合宿5日目。選手たちの気合は思い切り盛り上がっている。コーチ陣のムードもあがっている。明らかに普段の練習とは違う雰囲気がグラウンドを支配している。
あちこちで厳しい声が飛ぶ。選手同士でも、遠慮がない。よいプレーには思わず拍手が飛ぶし、ミスすれば遠慮なく罵声が浴びせられる。感情が高ぶって泣き出す選手も一人や二人ではない。オフェンスとディフェンスが本気でぶつかり合い、互いにやっつけあう本番さながらのシーンが続く。
こうなると、グラウンドの雰囲気はいやが上にも盛り上がる。ついには、ラインの1対1のぶつかり合いで、今春入学したばかりの1年生が4年前の主将であり、昨年のW杯代表選手でもある佐岡さんを指名して、まともに対決する場面まであった。
午後の練習開始直前にカミナリが襲来。激しい夕立にも見舞われて練習開始時間がずれ込み、最後もカミナリで練習を切り上げたが、それでも収穫はたっぷりあった。チームを支配する熱気である。願わくば、この熱気を今後の練習につなげ、チームの底上げをはかってほしい。その勢いを秋のシーズンに持ち込み、試合で鍛えながら終盤の宿敵との戦いに臨んでほしい。
そこから初めて、甲子園ボウルやライスボウルへの道が開け「社会人に勝って日本1」という目標に迫ることができるのだ。
ということで、今回は合宿を見学した感想というか報告である。
夏合宿の模様については、マネジャー諸兄姉が「リレーコラム」で連日報告されている。あえてその上に付け加えることはないような気もするが、それでもいくつかの場面を報告しておきたい。ファイターズならではの雰囲気を感じ取っていただけるのではないかと思う。
最初に目に付いたのは、麦藁帽子(大型のパナマ帽かもしれない)をかぶった鳥内監督が率先してグラウンドに水を撒いておられたことである。「これが僕の仕事ですねん」といいながら、午前中の練習時間の大半をホース片手に過ごしておられた。
それを見て、今度は練習の激励にきておられたOB会長の奥井さんも水まき作業に加わられた。「大物」二人が率先するそうした何げない行動が、選手たちを励まし、暑いグラウンドに清涼感を醸し出していた。
ほかのOBたちも熱心だ。若手OBが何人も防具を着けて「練習台」になっている。
奥井OB会長や会長と同期の小笠原さん、甲子園ボウル5連覇当時の名RB谷口さんとは、3年連続この合宿で顔を合わせている。とくに谷口さんは東京在住。この10年、夏合宿のたびに東京から朝一番の「のぞみ」で来阪、泊まりがけで鉢伏にきておられるそうだ。
「何歳になっても、合宿に来ると気持ちが引き締まります。この夏合宿がある意味ではファイターズを鍛える原点でもあるからでしょう」と谷口さん。毎年、練習を見ていると、自ら鍛えている選手、努力している選手が一目で見分けられるという。逆に、才能を持ちながらそれを生かし切れていない選手を見ると「腹立たしいというか、許せない気持ちになります」と厳しい。
寄せていただいた日は、合宿5日目。選手たちの気合は思い切り盛り上がっている。コーチ陣のムードもあがっている。明らかに普段の練習とは違う雰囲気がグラウンドを支配している。
あちこちで厳しい声が飛ぶ。選手同士でも、遠慮がない。よいプレーには思わず拍手が飛ぶし、ミスすれば遠慮なく罵声が浴びせられる。感情が高ぶって泣き出す選手も一人や二人ではない。オフェンスとディフェンスが本気でぶつかり合い、互いにやっつけあう本番さながらのシーンが続く。
こうなると、グラウンドの雰囲気はいやが上にも盛り上がる。ついには、ラインの1対1のぶつかり合いで、今春入学したばかりの1年生が4年前の主将であり、昨年のW杯代表選手でもある佐岡さんを指名して、まともに対決する場面まであった。
午後の練習開始直前にカミナリが襲来。激しい夕立にも見舞われて練習開始時間がずれ込み、最後もカミナリで練習を切り上げたが、それでも収穫はたっぷりあった。チームを支配する熱気である。願わくば、この熱気を今後の練習につなげ、チームの底上げをはかってほしい。その勢いを秋のシーズンに持ち込み、試合で鍛えながら終盤の宿敵との戦いに臨んでほしい。
そこから初めて、甲子園ボウルやライスボウルへの道が開け「社会人に勝って日本1」という目標に迫ることができるのだ。
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2008年08月09日
(14)夏に鍛える
このところの週末は、信州の山登り、高校野球の会議、友人の還暦祝いの集まりと行事が集中している。おまけに毎週金曜の夜は、高校生の小論文塾がある。とんとファイターズの練習を見にいく機会がない。
ようやく昨日、久しぶりに第3フィールドに出掛けた。夏の合宿直前とあって、みんな気合の入った練習をしていた。見れば、早くも秋のシーズンのように、つるつるの坊主頭になった選手が何人もいた。主将の早川君やフレッシュマンの香山君たちだ。何か不始末でもして、頭を丸めたのかと聞いたが、そうではなく「気合を入れるためです」という。そういえば、いつもは髪がばさばさの堀口コーチまで、丸坊主に近くまで髪を切っていた。夏合宿を前に、気合が入っているのが、そんなところにもうかがえる。
隣に座って練習を見ている鳥内監督に水を向けてみた。
「QBたちがいい感じになってきましたね。動きがキビキビしてきました」
ところが、意外な返事が返ってくる。
「まだあきません。ゴムのボールが投げられへんのですわ。合宿では、しっかり練習させます」
それなら、と別の質問。
「今年はけが人が少ないですね。松葉杖を突いた選手もいないようだし」
「まだ、けが人が出るほどの練習をしていませんもん。1日から練習を再開したばかりですからね。せっかく調子に乗ってきたと思ったら、連日のカミナリでしょう。思い通りに練習ができませんわ」
どうも話が盛り上がらない。それならと、今年のチームで評判のよい1年生のネタで迫ってみた。
「1年生がいいですね。よう日に焼けて。いい練習ができているんでしょう」
「海にでも行ったん違いますか。まだ日に焼けるほど練習していませんよ」
「それでも、もう上の練習に入っている子が何人もいますね。秋には、大いに活躍してくれるんでしょう」
「いい素質を持った子はいますよ。でも、すぐにけがしよるんですわ。上級生とは鍛え方が違いますから、無理はさせられませんよ」
なかなか、こちらが期待するような、調子のよい返事は返ってこない。それどころか、どんな話題を振っても、これからの課題ばかりに話が向かう。「社会人に勝って日本1」を目標に掲げるチームを預かる責任者だからこその発言だろう。
そういう課題を一つひとつ克服していくのが夏合宿であり、これから本格化するリーグ戦に向けた練習である。監督の心配が杞憂に終わるように、しっかり気合を入れて練習し、実りの秋を迎えてもらいたい。
ということで、話はころっと変わる。今年、スポーツ推薦入試で関西学院を志望してくれる高校生の話である。
さきに書いたように、いま彼らと毎週、小論文の勉強会をしている。誰が何学部を受験してくれるのかというようなことは公表できないが、今年もなかなか魅力的な高校生が集まっていることだけはお伝えできる。
もちろん、僕が教えているのは小論文の書き方である。アメフットではない。だから、ファイターズの部員として、どのように活躍できるのかは、直接には判断できない。
けれども、小論文を書かせてみると、物の考え方が分かるし、物事に取り組む姿勢も分かる。小論文の指導が終わった後、一緒に食事をしている時の言動などから、リーダーシップがあるとか、精神的に強いものを持っているとかも、ある程度は想像が付く。
このように高校生とつきあい始めて、今年で10年になる(第1期生があの平郡雷太君である)。この間に接した高校生がファイターズの一員となり、どんな選手に育っていったか、そして卒業してどのように生きているかということは見続けている。高校生のときの勉強会に対する取り組みと、その後の成長を照らし合わせた結果として「スポーツ推薦入試で小論文テストを課すのは意味がある」と実感できるのである。
そういう、いわば「採点者の目」で見ると、昨年に続いて「今年もまた将来が有望な高校生が集まってくれた」という結論になるのである。
僕の役割は、この高校生たちが自信を持って小論文を書けるようにすることである。今のところは順調にいっている。だが、試験まではまだ少し時間がある。夏合宿でがんばるファイターズの諸君の向こうを張って、いま一息、がんばってもらおうと思っている。
ようやく昨日、久しぶりに第3フィールドに出掛けた。夏の合宿直前とあって、みんな気合の入った練習をしていた。見れば、早くも秋のシーズンのように、つるつるの坊主頭になった選手が何人もいた。主将の早川君やフレッシュマンの香山君たちだ。何か不始末でもして、頭を丸めたのかと聞いたが、そうではなく「気合を入れるためです」という。そういえば、いつもは髪がばさばさの堀口コーチまで、丸坊主に近くまで髪を切っていた。夏合宿を前に、気合が入っているのが、そんなところにもうかがえる。
隣に座って練習を見ている鳥内監督に水を向けてみた。
「QBたちがいい感じになってきましたね。動きがキビキビしてきました」
ところが、意外な返事が返ってくる。
「まだあきません。ゴムのボールが投げられへんのですわ。合宿では、しっかり練習させます」
それなら、と別の質問。
「今年はけが人が少ないですね。松葉杖を突いた選手もいないようだし」
「まだ、けが人が出るほどの練習をしていませんもん。1日から練習を再開したばかりですからね。せっかく調子に乗ってきたと思ったら、連日のカミナリでしょう。思い通りに練習ができませんわ」
どうも話が盛り上がらない。それならと、今年のチームで評判のよい1年生のネタで迫ってみた。
「1年生がいいですね。よう日に焼けて。いい練習ができているんでしょう」
「海にでも行ったん違いますか。まだ日に焼けるほど練習していませんよ」
「それでも、もう上の練習に入っている子が何人もいますね。秋には、大いに活躍してくれるんでしょう」
「いい素質を持った子はいますよ。でも、すぐにけがしよるんですわ。上級生とは鍛え方が違いますから、無理はさせられませんよ」
なかなか、こちらが期待するような、調子のよい返事は返ってこない。それどころか、どんな話題を振っても、これからの課題ばかりに話が向かう。「社会人に勝って日本1」を目標に掲げるチームを預かる責任者だからこその発言だろう。
そういう課題を一つひとつ克服していくのが夏合宿であり、これから本格化するリーグ戦に向けた練習である。監督の心配が杞憂に終わるように、しっかり気合を入れて練習し、実りの秋を迎えてもらいたい。
ということで、話はころっと変わる。今年、スポーツ推薦入試で関西学院を志望してくれる高校生の話である。
さきに書いたように、いま彼らと毎週、小論文の勉強会をしている。誰が何学部を受験してくれるのかというようなことは公表できないが、今年もなかなか魅力的な高校生が集まっていることだけはお伝えできる。
もちろん、僕が教えているのは小論文の書き方である。アメフットではない。だから、ファイターズの部員として、どのように活躍できるのかは、直接には判断できない。
けれども、小論文を書かせてみると、物の考え方が分かるし、物事に取り組む姿勢も分かる。小論文の指導が終わった後、一緒に食事をしている時の言動などから、リーダーシップがあるとか、精神的に強いものを持っているとかも、ある程度は想像が付く。
このように高校生とつきあい始めて、今年で10年になる(第1期生があの平郡雷太君である)。この間に接した高校生がファイターズの一員となり、どんな選手に育っていったか、そして卒業してどのように生きているかということは見続けている。高校生のときの勉強会に対する取り組みと、その後の成長を照らし合わせた結果として「スポーツ推薦入試で小論文テストを課すのは意味がある」と実感できるのである。
そういう、いわば「採点者の目」で見ると、昨年に続いて「今年もまた将来が有望な高校生が集まってくれた」という結論になるのである。
僕の役割は、この高校生たちが自信を持って小論文を書けるようにすることである。今のところは順調にいっている。だが、試験まではまだ少し時間がある。夏合宿でがんばるファイターズの諸君の向こうを張って、いま一息、がんばってもらおうと思っている。
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2008年07月18日
(13)勝海舟の「段取り」
ころは幕末。薩長軍の江戸総攻撃を前に、攻撃方の参謀、西郷隆盛と談判して、江戸城の無血開城を成し遂げた幕臣・勝海舟の話は、いつ読んでも面白い。ご本人の言葉をまとめた「氷川清話」や「海舟座談」、それに最近、ちくま文庫から出版された半藤一利さんの「それからの海舟」などを読んでいると、140年後に生きているわたしたちにも、役に立つ話がテンコ盛りだ。
例えば、西郷と談判するにあたっての「段取り」である。彼は万一、交渉が決裂したときに備えて、新門辰五郎ら江戸の主立った侠客30余人、いろは組の火消しはもとより、日本橋の魚市場や神田の青物市場の血気盛んな若い衆に、ゲリラ戦を展開する準備をさせていたという。その上で房総の漁師を呼び寄せ「江戸で火の手が上がれば、ありったけの舟で漕ぎ寄せ、江戸の川や堀、海岸に着けて、逃げてくる者を収容してくれ」と依頼していたそうだ。
もちろん、徳川家の大将である15代将軍慶喜のためには、イギリスと渡りをつけ、軍艦に乗せてもらって安全なところにお移り願った上で、幕府軍の精鋭が薩長軍を迎え撃つという態勢を組んでいる。
このように、事が破れたときの段取りをしておかなければ談判にも力が入らない。鳥羽・伏見の戦いで勝ち、「勝てば官軍」の勢いに乗って江戸に乗り込んできた相手方の大将と1対1で対決し、互角に渡り合って和平交渉をまとめ、江戸を戦火から守るには、それだけの準備、心がまえをしておくことが、海舟にとっては、必須の条件だったのだ。
結果は歴史が語る通り。西郷隆盛と勝海舟の談判はまとまり、江戸城は無血開城。江戸八百八町は、火の海になることを免れた。
と、こんな話を長々と書いたのは、ほかでもない。海舟が事を構えるに当たって、周到に準備した「段取り」が、ファイターズの諸君にとっても、大いに参考になると思ったからである。
つまり、立命をはじめすべてのライバルに勝って関西リーグを制覇する。甲子園ボウルに勝ち、ライスボウルに勝って日本1になる。そういう困難な目標を達成するためには、そのための「段取り」を、日ごろから周到に行わなければならないと言いたいのである。
どのチームにも、どの選手にも負けないように鍛錬する。効率よく練習する。私生活を含め、誰よりも高い目標を持ってアメフットに取り組む。日々、互いに協力し、高めあう。グラウンドで戦う選手だけでなく、ファイターズのすべての構成員がチームに貢献する。具体的にいえば、こうしたことのすべてを貫徹することである。
それがあって初めて、勢いに乗って攻め込んでくる敵の大将とも「腹に力を入れて談判する」ことが可能になる。どんなに優れた選手と1対1で対決しても、互角に渡り合い、臆せずに戦えるのである。
海舟自身、後に「本当に修業したのは、剣術ばかりだ」(氷川清話・講談社学術文庫)と述懐。その修業の模様をこんな風に語っている。
「若いころは島田虎之助という師匠の元に寄宿して、自分で薪水の労をとって修業した。寒中になると、島田の指図に従うて、毎日稽古がすむと、夕方から稽古着一枚で王子権現にいって夜稽古をした。拝殿の礎石に腰掛けて瞑目沈思、心胆を錬磨し、しかる後、起って木剣を振り回し、さらにまた元の礎石に腰をかけて心胆を錬磨し、こういう風に夜明けまで5、6回やって、帰ってすぐに朝稽古。夕方になると、また王子権現に出掛けて、1日も怠らなかった」「修業の効は(幕藩体制)瓦解の前後に顕れて、あんな艱難辛苦に耐え得て、少しもひるまなかった」(同上)
こうした修業も含めて、海舟は「段取り」の人だった。こういう土台があったから、いざというときにも、ひるまず、臆さず、腹を据えて難局に対処できたのである。
時が移り、時代は変わっても、しょせんは同じ人間のすること。アメフットの戦士と、武士の心がまえや行動に、そんなに大きな違いがあるとは思えない。幕藩体制が崩壊していく渦中に身を置き、単身、敵の大将と互角に渡り合った海舟の心境に思いを馳せ、彼の行動を支えた「段取り」のすごみに習うことで、これからの戦いの糧が得られるのではないか。そう思って、長々と書いてみた。なにかの参考になれば幸いである。
例えば、西郷と談判するにあたっての「段取り」である。彼は万一、交渉が決裂したときに備えて、新門辰五郎ら江戸の主立った侠客30余人、いろは組の火消しはもとより、日本橋の魚市場や神田の青物市場の血気盛んな若い衆に、ゲリラ戦を展開する準備をさせていたという。その上で房総の漁師を呼び寄せ「江戸で火の手が上がれば、ありったけの舟で漕ぎ寄せ、江戸の川や堀、海岸に着けて、逃げてくる者を収容してくれ」と依頼していたそうだ。
もちろん、徳川家の大将である15代将軍慶喜のためには、イギリスと渡りをつけ、軍艦に乗せてもらって安全なところにお移り願った上で、幕府軍の精鋭が薩長軍を迎え撃つという態勢を組んでいる。
このように、事が破れたときの段取りをしておかなければ談判にも力が入らない。鳥羽・伏見の戦いで勝ち、「勝てば官軍」の勢いに乗って江戸に乗り込んできた相手方の大将と1対1で対決し、互角に渡り合って和平交渉をまとめ、江戸を戦火から守るには、それだけの準備、心がまえをしておくことが、海舟にとっては、必須の条件だったのだ。
結果は歴史が語る通り。西郷隆盛と勝海舟の談判はまとまり、江戸城は無血開城。江戸八百八町は、火の海になることを免れた。
と、こんな話を長々と書いたのは、ほかでもない。海舟が事を構えるに当たって、周到に準備した「段取り」が、ファイターズの諸君にとっても、大いに参考になると思ったからである。
つまり、立命をはじめすべてのライバルに勝って関西リーグを制覇する。甲子園ボウルに勝ち、ライスボウルに勝って日本1になる。そういう困難な目標を達成するためには、そのための「段取り」を、日ごろから周到に行わなければならないと言いたいのである。
どのチームにも、どの選手にも負けないように鍛錬する。効率よく練習する。私生活を含め、誰よりも高い目標を持ってアメフットに取り組む。日々、互いに協力し、高めあう。グラウンドで戦う選手だけでなく、ファイターズのすべての構成員がチームに貢献する。具体的にいえば、こうしたことのすべてを貫徹することである。
それがあって初めて、勢いに乗って攻め込んでくる敵の大将とも「腹に力を入れて談判する」ことが可能になる。どんなに優れた選手と1対1で対決しても、互角に渡り合い、臆せずに戦えるのである。
海舟自身、後に「本当に修業したのは、剣術ばかりだ」(氷川清話・講談社学術文庫)と述懐。その修業の模様をこんな風に語っている。
「若いころは島田虎之助という師匠の元に寄宿して、自分で薪水の労をとって修業した。寒中になると、島田の指図に従うて、毎日稽古がすむと、夕方から稽古着一枚で王子権現にいって夜稽古をした。拝殿の礎石に腰掛けて瞑目沈思、心胆を錬磨し、しかる後、起って木剣を振り回し、さらにまた元の礎石に腰をかけて心胆を錬磨し、こういう風に夜明けまで5、6回やって、帰ってすぐに朝稽古。夕方になると、また王子権現に出掛けて、1日も怠らなかった」「修業の効は(幕藩体制)瓦解の前後に顕れて、あんな艱難辛苦に耐え得て、少しもひるまなかった」(同上)
こうした修業も含めて、海舟は「段取り」の人だった。こういう土台があったから、いざというときにも、ひるまず、臆さず、腹を据えて難局に対処できたのである。
時が移り、時代は変わっても、しょせんは同じ人間のすること。アメフットの戦士と、武士の心がまえや行動に、そんなに大きな違いがあるとは思えない。幕藩体制が崩壊していく渦中に身を置き、単身、敵の大将と互角に渡り合った海舟の心境に思いを馳せ、彼の行動を支えた「段取り」のすごみに習うことで、これからの戦いの糧が得られるのではないか。そう思って、長々と書いてみた。なにかの参考になれば幸いである。
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2008年07月07日
(12)厄介な相手
「それにしても、厄介な相手だなあ」
ニューエラボウルを観戦中、終始、そんな芸のない言葉が頭の中を走り回っていた。それほど、立命の選手たちの動きが目に付いた。
まずはディフェンス。ゲームを支配するという言葉がぴったりのDL久司。近年のファイターズでは最強のDLだった石田力哉の全盛期と比べてもひけをとらないような速い動きと強い当たりである。それを隣からフォローする武知の突破力にも目を見張らされる。2列目の39番と99番の動きにも切れがある。ときたまのブリッツが威力満点だ。そしてDBの今西。彼もまたスピードがあって、当たりが強い。こんなメンバーが束になって襲いかかってくるのだから、ファイターズにとっては厄介というしかない。
オフェンスの面々も、この上なく厄介だ。スピードがあって身のこなしが軽快なWR呉田を止めるのは至難の業に思えるし、RB松森のスピードには、彼が1年生の時から苦しめられている。QB松田はパスに威力があり、カバーするのは難しそうだ。それ以上に難儀なのは大型ライン。試合中、立命のラインだけで固めた場面が何度かあったが、なかなか割って入るのは大変そうだった。
もちろん、関大や同志社、京大や近大のメンバーにも、目に付く選手は少なくなかった。とくに試合の終盤、じりじりと陣地を進め、最後に逆転のフィールドゴールを奪った関大のオフェンスには目を見張った。先日の関関戦では、ディフェンスの完成度の高さを見せつけられ、結局3点しかとれなかったが、今度は攻撃の面でも、相当警戒が必要なことを印象づけられた。
毎年、このオールスター戦では、普段、あまり見ることのできないライバル校の選手たちの仕上がりを見るのを楽しみにしている。しかし今年は、そんな気楽なことを言っておれないほど、彼らのすごさが印象に残った。グラウンドで戦った選手たちは、もっともっと強烈な印象を受けたのではないか。
もちろん、関学から選出された選手たちもしっかり戦ってくれた。
守備では早川主将が鋭い出足で相手オフェンスを崩し、QBサックなど好タックルを重ねていたし、DB徳井もボールのあるところに必ず飛び込み、厳しいタックルを連発していた。DB深川の動きも軽快だったし、LBの坂戸や古下もときおり、目を見張るようなプレーを見せてくれた。
オフェンスもがんばった。弱い弱いと言われ続けてきたラインも荒牧、新谷、村田で固めた左サイド(右サイドはほとんどが他大学の選手だった)はしっかりしていたし、QB加納も落ち着いたプレー。RB稲毛のドロープレーで陣地を稼ぎ、短いパスで活路を開いていた。あれだけ強力な守備陣を相手に、混成チームとしては堂々の戦いといってもいいだろう。スタンドから見ていた感想にしか過ぎないが、気心の知れたファイターズのメンバーで戦えば、もっともっと力を発揮できそうな感触があった。
ともかく、春のシーズン最後の試合は、大きな収穫があった。ライバルたちの実力の一端を肌で感じることができただけでも、貴重な体験である。彼らが「打倒ファイターズ」を合言葉に、懸命に取り組んできたことも、その仕上がりの早さから実感できた。
問題は、ライバル校の選手たちの春の成果を目のあたりにして「負けられない」「ぼやぼやしてはおれないぞ」と何人の選手が思ってくれるかである。
この試合には、グラウンドで戦った選手だけでなく、ファイターズのすべての部員が応援に駆けつけていた。シーズンになれば、他校の選手たちの動向はビデオでしか見ることのできない選手たちにとって、目の前で繰り広げられるライバルたちの動き、想像を絶するほど参考になったに違いない。
それを「すごいなあ」で終わらせてしまっては、進歩がない。「どうしてあのような素早い動きができるようになったのか」「あの強力な当たりに対抗するにはどうすればよいのか」と考え、自らその答えを探り出すことによって、初めて勝利への道筋が見えてくるのである。
シーズン開幕まで2カ月足らず。立命との決戦まで4カ月半である。いや、まだ4カ月半も残されていると言い換えてもよい。どのチームにとっても、この時間は対等である。その時間をいかに効率的に使うか。いかに実りの多い時間にしていくか。しっかり考え、実行し、遅れを取り戻してほしい。
そして、秋には「ニューエラボウルで、攻守ともに素晴らしいプレーを見せて頂いたおかげで勝てました」と言うような感想を聞かせてもらいたい。
ニューエラボウルを観戦中、終始、そんな芸のない言葉が頭の中を走り回っていた。それほど、立命の選手たちの動きが目に付いた。
まずはディフェンス。ゲームを支配するという言葉がぴったりのDL久司。近年のファイターズでは最強のDLだった石田力哉の全盛期と比べてもひけをとらないような速い動きと強い当たりである。それを隣からフォローする武知の突破力にも目を見張らされる。2列目の39番と99番の動きにも切れがある。ときたまのブリッツが威力満点だ。そしてDBの今西。彼もまたスピードがあって、当たりが強い。こんなメンバーが束になって襲いかかってくるのだから、ファイターズにとっては厄介というしかない。
オフェンスの面々も、この上なく厄介だ。スピードがあって身のこなしが軽快なWR呉田を止めるのは至難の業に思えるし、RB松森のスピードには、彼が1年生の時から苦しめられている。QB松田はパスに威力があり、カバーするのは難しそうだ。それ以上に難儀なのは大型ライン。試合中、立命のラインだけで固めた場面が何度かあったが、なかなか割って入るのは大変そうだった。
もちろん、関大や同志社、京大や近大のメンバーにも、目に付く選手は少なくなかった。とくに試合の終盤、じりじりと陣地を進め、最後に逆転のフィールドゴールを奪った関大のオフェンスには目を見張った。先日の関関戦では、ディフェンスの完成度の高さを見せつけられ、結局3点しかとれなかったが、今度は攻撃の面でも、相当警戒が必要なことを印象づけられた。
毎年、このオールスター戦では、普段、あまり見ることのできないライバル校の選手たちの仕上がりを見るのを楽しみにしている。しかし今年は、そんな気楽なことを言っておれないほど、彼らのすごさが印象に残った。グラウンドで戦った選手たちは、もっともっと強烈な印象を受けたのではないか。
もちろん、関学から選出された選手たちもしっかり戦ってくれた。
守備では早川主将が鋭い出足で相手オフェンスを崩し、QBサックなど好タックルを重ねていたし、DB徳井もボールのあるところに必ず飛び込み、厳しいタックルを連発していた。DB深川の動きも軽快だったし、LBの坂戸や古下もときおり、目を見張るようなプレーを見せてくれた。
オフェンスもがんばった。弱い弱いと言われ続けてきたラインも荒牧、新谷、村田で固めた左サイド(右サイドはほとんどが他大学の選手だった)はしっかりしていたし、QB加納も落ち着いたプレー。RB稲毛のドロープレーで陣地を稼ぎ、短いパスで活路を開いていた。あれだけ強力な守備陣を相手に、混成チームとしては堂々の戦いといってもいいだろう。スタンドから見ていた感想にしか過ぎないが、気心の知れたファイターズのメンバーで戦えば、もっともっと力を発揮できそうな感触があった。
ともかく、春のシーズン最後の試合は、大きな収穫があった。ライバルたちの実力の一端を肌で感じることができただけでも、貴重な体験である。彼らが「打倒ファイターズ」を合言葉に、懸命に取り組んできたことも、その仕上がりの早さから実感できた。
問題は、ライバル校の選手たちの春の成果を目のあたりにして「負けられない」「ぼやぼやしてはおれないぞ」と何人の選手が思ってくれるかである。
この試合には、グラウンドで戦った選手だけでなく、ファイターズのすべての部員が応援に駆けつけていた。シーズンになれば、他校の選手たちの動向はビデオでしか見ることのできない選手たちにとって、目の前で繰り広げられるライバルたちの動き、想像を絶するほど参考になったに違いない。
それを「すごいなあ」で終わらせてしまっては、進歩がない。「どうしてあのような素早い動きができるようになったのか」「あの強力な当たりに対抗するにはどうすればよいのか」と考え、自らその答えを探り出すことによって、初めて勝利への道筋が見えてくるのである。
シーズン開幕まで2カ月足らず。立命との決戦まで4カ月半である。いや、まだ4カ月半も残されていると言い換えてもよい。どのチームにとっても、この時間は対等である。その時間をいかに効率的に使うか。いかに実りの多い時間にしていくか。しっかり考え、実行し、遅れを取り戻してほしい。
そして、秋には「ニューエラボウルで、攻守ともに素晴らしいプレーを見せて頂いたおかげで勝てました」と言うような感想を聞かせてもらいたい。
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2008年06月30日
(11)多士済々
先日のイワタニ戦を、王子スタジアムで観戦できた人は、幸せだったと思う。ファイターズの未来を担う1、2年生が次々と登場し、それぞれ非凡な才能を見せてくれたからである。攻撃も守備もキッキングチームも見応えたっぷり。どこから紹介すればいいか、迷ってしまうほどだ。
まずは攻撃から紹介しよう。先発メンバーを見て驚いた。WRの金村(4年)、勝本(3年)を除いて全員が2年生である。ラインは左から宋、光山、村田、高田、酒井と並び、TEは垣内。WRは上記の2人に尾崎が加わり、QBが加藤、RBが久司である。それぞれ、少しずつは試合に出たことがあるが、ラインの先発全員が2年生というのは、今季初めてである。
このメンバーで、つい先日までファイターズで活躍した石田や市村、諏訪らが顔をそろえるイワタニのDLの突進を受け止められるだろうか、ボコボコにされて、加藤がけがするようなことになったら大変だ、と心配したのはしかし、杞憂だった。全員、一丸となって踏みこたえ、堂々と立ち向かった。相手の突破を許し、QBが追い回されるような場面は少しもなかった。OBの諏訪君が試合後、ファイターズラインの印象について「とにかくしつこい。下へ下へもぐってくるので、やりにくかった」と話していた通り、体格差を執拗なブロックでかわし、QBを守り抜き、RBに走路を切り開いた。
途中から交代出場した1年生のライン谷山(関西大倉)、浜本(箕面)、TE松田(高等部)らも、いつの間に交代したのかと思うほど、スムーズにチームにとけ込んでいた。
WRで目立ったのも正林、春日、渡辺(飛)らの2年生。それぞれ走力があるので、一発タッチダウンの威力を秘めている。それにTEの垣内、浜崎が器用なキャッチを見せ、攻撃の幅を広げている。
RBとなると期待の星がずらり。88ヤードのパントリターンタッチダウンを挙げて度肝を抜いた1年生の松岡(高等部)は、秋には確実に戦力になるだろうし、味方の不用意な反則でTDは取り消されたものの、70ヤード以上を独走した久司の走力にも目を見張らされた。北村や稲村らもこれから伸びてくるにおいがぷんぷんしている。
QBも加藤が終始安定したプレーを見せてくれた。まだ数試合しか出ていないのに、ずっとスタメンで出ているような雰囲気を醸し出している。レシーバーがはじいたボールを相手にキャッチされる不運なインターセプトが2本あったが、潜在能力は僕らが想像する以上にありそうだ。4Qになって登場した1年生糟谷(星陵)も堂々のデビュー。いきなりスナップをファンブルしたりして緊張は隠せなかったが、それでもこともなげにパスを投げ分け、4本中3本を成功させた。走る場面がなかったのが残念だったが、走力もあるので、これからぐんぐん伸びてくるだろう。
守備も宝の山である。この日登場し、活躍した1、2年生の名前を列挙すると、1列目は2年生の村上、1年生の東元(関西大倉)、好川(高等部)、長島(佼成学園)ら。それぞれ素早い動きが持ち味で、相手オフェンスに圧力をかけ続けた。
2列目、3列目にも人材は豊富。2年生の善元や三木はもう押しも押されもしない先発メンバーだが、それを追う人材がまた多士済々。2年生の福田、西岡、渡辺(駿)、西山らはいつでも交代出場ができそうだし、1年生にはもっと可能性を秘めた選手がいる。パントのカバーで、何度も相手パントをブロックする寸前まで詰めていた香山(崇徳)、鋭い出足でインターセプトを奪った降梁(高等部)、LBの辻本(高等部)らである。
忘れてならないのが、キッカーの1年生、大西(高等部)。昨年まで同じポジションで大活躍した大西史恭君の弟だが、彼のキックが素晴らしい。飛距離は出るし、正確だし、冷静だし。この日も、きちんとフィールドゴールとTFPのキックを決め、おまけにWRとして出場した場面では、余裕でパスをキャッチしていた。このまま鍛錬を怠らなければ、兄を上回るキッカーになるのではないかという期待さえ持てるほどだ。
こうして、名前を挙げて行くだけでもワクワクしてくる。彼らが期待通りに成長してくれれば、ファイターズの選手層は、一気に厚くなるだろう。
けれども、残念なことに、彼らが実戦で経験を積む機会は、驚くほど少ない。春のシーズンはもともと試合数が限られており、その試合に出場できるのは、どうしても1本目の選手が中心になるからである。春先は体力づくりが中心で、実質的には5月からしか試合が組めない。大学の前期試験が7月なので、6月末には春のシーズンを終えなければならないという制約もある。
この状況を打開するため、JV戦をもう何試合か多く組めばどうだろう。1本目のチームが試合をする同じ日に、その前座として別のチームとJV戦を組むのである。コーチやスタッフは大変だろうが、そうでもして実戦の機会を増やしていかなければ、多くの才能を持った選手が実戦の経験を積めないだろう。
ファイターズは選手だけで140人もいる大所帯である。そのレベルを上げ、試合でしか学べないことを身につけさせるために、来季は是非対策を考えてもらいたい。
まずは攻撃から紹介しよう。先発メンバーを見て驚いた。WRの金村(4年)、勝本(3年)を除いて全員が2年生である。ラインは左から宋、光山、村田、高田、酒井と並び、TEは垣内。WRは上記の2人に尾崎が加わり、QBが加藤、RBが久司である。それぞれ、少しずつは試合に出たことがあるが、ラインの先発全員が2年生というのは、今季初めてである。
このメンバーで、つい先日までファイターズで活躍した石田や市村、諏訪らが顔をそろえるイワタニのDLの突進を受け止められるだろうか、ボコボコにされて、加藤がけがするようなことになったら大変だ、と心配したのはしかし、杞憂だった。全員、一丸となって踏みこたえ、堂々と立ち向かった。相手の突破を許し、QBが追い回されるような場面は少しもなかった。OBの諏訪君が試合後、ファイターズラインの印象について「とにかくしつこい。下へ下へもぐってくるので、やりにくかった」と話していた通り、体格差を執拗なブロックでかわし、QBを守り抜き、RBに走路を切り開いた。
途中から交代出場した1年生のライン谷山(関西大倉)、浜本(箕面)、TE松田(高等部)らも、いつの間に交代したのかと思うほど、スムーズにチームにとけ込んでいた。
WRで目立ったのも正林、春日、渡辺(飛)らの2年生。それぞれ走力があるので、一発タッチダウンの威力を秘めている。それにTEの垣内、浜崎が器用なキャッチを見せ、攻撃の幅を広げている。
RBとなると期待の星がずらり。88ヤードのパントリターンタッチダウンを挙げて度肝を抜いた1年生の松岡(高等部)は、秋には確実に戦力になるだろうし、味方の不用意な反則でTDは取り消されたものの、70ヤード以上を独走した久司の走力にも目を見張らされた。北村や稲村らもこれから伸びてくるにおいがぷんぷんしている。
QBも加藤が終始安定したプレーを見せてくれた。まだ数試合しか出ていないのに、ずっとスタメンで出ているような雰囲気を醸し出している。レシーバーがはじいたボールを相手にキャッチされる不運なインターセプトが2本あったが、潜在能力は僕らが想像する以上にありそうだ。4Qになって登場した1年生糟谷(星陵)も堂々のデビュー。いきなりスナップをファンブルしたりして緊張は隠せなかったが、それでもこともなげにパスを投げ分け、4本中3本を成功させた。走る場面がなかったのが残念だったが、走力もあるので、これからぐんぐん伸びてくるだろう。
守備も宝の山である。この日登場し、活躍した1、2年生の名前を列挙すると、1列目は2年生の村上、1年生の東元(関西大倉)、好川(高等部)、長島(佼成学園)ら。それぞれ素早い動きが持ち味で、相手オフェンスに圧力をかけ続けた。
2列目、3列目にも人材は豊富。2年生の善元や三木はもう押しも押されもしない先発メンバーだが、それを追う人材がまた多士済々。2年生の福田、西岡、渡辺(駿)、西山らはいつでも交代出場ができそうだし、1年生にはもっと可能性を秘めた選手がいる。パントのカバーで、何度も相手パントをブロックする寸前まで詰めていた香山(崇徳)、鋭い出足でインターセプトを奪った降梁(高等部)、LBの辻本(高等部)らである。
忘れてならないのが、キッカーの1年生、大西(高等部)。昨年まで同じポジションで大活躍した大西史恭君の弟だが、彼のキックが素晴らしい。飛距離は出るし、正確だし、冷静だし。この日も、きちんとフィールドゴールとTFPのキックを決め、おまけにWRとして出場した場面では、余裕でパスをキャッチしていた。このまま鍛錬を怠らなければ、兄を上回るキッカーになるのではないかという期待さえ持てるほどだ。
こうして、名前を挙げて行くだけでもワクワクしてくる。彼らが期待通りに成長してくれれば、ファイターズの選手層は、一気に厚くなるだろう。
けれども、残念なことに、彼らが実戦で経験を積む機会は、驚くほど少ない。春のシーズンはもともと試合数が限られており、その試合に出場できるのは、どうしても1本目の選手が中心になるからである。春先は体力づくりが中心で、実質的には5月からしか試合が組めない。大学の前期試験が7月なので、6月末には春のシーズンを終えなければならないという制約もある。
この状況を打開するため、JV戦をもう何試合か多く組めばどうだろう。1本目のチームが試合をする同じ日に、その前座として別のチームとJV戦を組むのである。コーチやスタッフは大変だろうが、そうでもして実戦の機会を増やしていかなければ、多くの才能を持った選手が実戦の経験を積めないだろう。
ファイターズは選手だけで140人もいる大所帯である。そのレベルを上げ、試合でしか学べないことを身につけさせるために、来季は是非対策を考えてもらいたい。
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| in 2008 season
2008年06月21日
(10)アメフト探検会
ファイターズに関することなら、たいていは知っているつもりでいたが、それがとんでもない勘違いであることを知らされた。僕の知らないところで、ファイターズを秘かに、しかし熱烈に応援する「秘密結社」があったのである。
その名前は「アメフト探検会」。ファイターズに熱狂する関西学院大学の先生方の集まりである。「秘密結社」だから、正式な構成員も事務局もつまびらかではない。7年ほど前に結成されたと聞いたが、普段、どのような活動をされているかも不詳である。
しかし、それぞれのファイターズに寄せる思いはただごとではない。狂の字が付くくらいの熱烈なファンばかりである。
商学部の先生からは「甲子園ボウルのビデオを年間50回は見ています」と聞いた。その先生は、ゼミでアメフットのビデオを見せ、それを具体例として授業を進めておられるそうだ。ファイターズの部員を積極的にゼミに受け入れ、特別に力を入れて勉強させている先生もおられるし、ゼミ生を引率して応援に出掛ける先生もいる。漏れ聞くところでは、学長も有力な構成員の一人だというし、ファイターズのビデオ分析システムの開発にかかわってくくださった先生もおられる。
普段は秘密のベールに包まれているが、年に1度だけ、その活動が公然化することがある。監督とコーチを招いて食事の会を持ち、ファイターズをテーマに大いに語り、かつ飲む集まりである。このコラムを愛読して下さっている先生から声がかかり、今年初めて、結社の集まりに参加することができた。
「2年前の春、あなたがこのコラムを連載されるようになってから、ファイターズの快進撃が始まりました。特別ゲストとしてお招きします。会員の先生方とぜひお話し下さい」と声をかけられたのである。
僕は平日、和歌山県田辺市の新聞社で働いている。けれども、秘密結社の年に一度の集まりとあっては、何が何でも参加しなくてはならない。午後早くに仕事を切り上げ、西宮まで懸命に車を飛ばして駆けつけた。
想像以上に熱い集まりだった。開会の挨拶もそこそこに、いきなり鳥内監督に「今年もぜひ甲子園ボウルで勝ってください」と注文が飛ぶ。酒のピッチが上がるにつれて、自分たちのゼミに所属するファイターズの部員の自慢話が始まる。過去の卒業生の隠されたエピソードが固有名詞入りで暴露される。監督や小野コーチには、ファンならではの細かい注文が飛ぶ。
先生方も大半が関学の卒業生。監督やコーチとは先輩、後輩の間柄だから、話に遠慮がない。なによりファイターズを愛する気持ちで結ばれているから、少々話が脱線しても、結局はファイターズに話が戻る。
座が盛り上がる中で、若手コーチ育成の話が出た。
「コーチに登用したい若手を、2年ほどアメリカに留学させたいと思っているんですけど……」と鳥内監督。
「いいですね。長期的な視点に立って、ぜひ行かせてください」。ある教授が賛同の声を挙げる。
「でも、そのお金がないんですわ」と監督。
僕が調子に乗って「今日、ここに集まっているメンバーから寄付を募ったらどうですか。行けるでしょう。僕は乗りますよ」と提案する。
「いいですね。先生方は現役ですから、(定年退職した)石井さんの10倍は出してほしいですね」と監督も悪のりする。
なんせ、お互いアルコールが入っているから、気が大きくなる。話もデカくなる。どこまでが本気でどこまでが座興か、境界線もあいまいになる。最後は再び「今年も甲子園ボウルで勝って、ライスボウルに連れて行ってください。いい夢、見せてくださいよ」ということで、ようやくお開きになった。
「秘密結社」とわざわざ強調しなくても、ファイターズを熱心に応援する人たちのこうした集まりは、実はあちこちで持たれているに違いない。ファイターズを肴に友情を確かめ合い、往事を懐かしむOBやファンの会合も機会あるごとに開かれているだろう。
それだけ、ファイターズというチームに存在感があるということだ。チームが優勝したから、勝っているからというだけでなく、時代を超えて、ファイターズを構成してきたそれぞれのメンバーに、存在感があるから、応援する方も熱が入るのである。その証拠が、先生方の口から懐かしそうに、また誇らしげに飛び出す選手たちの名前である。それぞれがファイターズの部員というだけでなく、それぞれのゼミの学生として存在感を示してきたから、先生方もここまで熱を入れてくれるのだ。わがこととして応援してくださるのだ。うれしい話ではないか。
その名前は「アメフト探検会」。ファイターズに熱狂する関西学院大学の先生方の集まりである。「秘密結社」だから、正式な構成員も事務局もつまびらかではない。7年ほど前に結成されたと聞いたが、普段、どのような活動をされているかも不詳である。
しかし、それぞれのファイターズに寄せる思いはただごとではない。狂の字が付くくらいの熱烈なファンばかりである。
商学部の先生からは「甲子園ボウルのビデオを年間50回は見ています」と聞いた。その先生は、ゼミでアメフットのビデオを見せ、それを具体例として授業を進めておられるそうだ。ファイターズの部員を積極的にゼミに受け入れ、特別に力を入れて勉強させている先生もおられるし、ゼミ生を引率して応援に出掛ける先生もいる。漏れ聞くところでは、学長も有力な構成員の一人だというし、ファイターズのビデオ分析システムの開発にかかわってくくださった先生もおられる。
普段は秘密のベールに包まれているが、年に1度だけ、その活動が公然化することがある。監督とコーチを招いて食事の会を持ち、ファイターズをテーマに大いに語り、かつ飲む集まりである。このコラムを愛読して下さっている先生から声がかかり、今年初めて、結社の集まりに参加することができた。
「2年前の春、あなたがこのコラムを連載されるようになってから、ファイターズの快進撃が始まりました。特別ゲストとしてお招きします。会員の先生方とぜひお話し下さい」と声をかけられたのである。
僕は平日、和歌山県田辺市の新聞社で働いている。けれども、秘密結社の年に一度の集まりとあっては、何が何でも参加しなくてはならない。午後早くに仕事を切り上げ、西宮まで懸命に車を飛ばして駆けつけた。
想像以上に熱い集まりだった。開会の挨拶もそこそこに、いきなり鳥内監督に「今年もぜひ甲子園ボウルで勝ってください」と注文が飛ぶ。酒のピッチが上がるにつれて、自分たちのゼミに所属するファイターズの部員の自慢話が始まる。過去の卒業生の隠されたエピソードが固有名詞入りで暴露される。監督や小野コーチには、ファンならではの細かい注文が飛ぶ。
先生方も大半が関学の卒業生。監督やコーチとは先輩、後輩の間柄だから、話に遠慮がない。なによりファイターズを愛する気持ちで結ばれているから、少々話が脱線しても、結局はファイターズに話が戻る。
座が盛り上がる中で、若手コーチ育成の話が出た。
「コーチに登用したい若手を、2年ほどアメリカに留学させたいと思っているんですけど……」と鳥内監督。
「いいですね。長期的な視点に立って、ぜひ行かせてください」。ある教授が賛同の声を挙げる。
「でも、そのお金がないんですわ」と監督。
僕が調子に乗って「今日、ここに集まっているメンバーから寄付を募ったらどうですか。行けるでしょう。僕は乗りますよ」と提案する。
「いいですね。先生方は現役ですから、(定年退職した)石井さんの10倍は出してほしいですね」と監督も悪のりする。
なんせ、お互いアルコールが入っているから、気が大きくなる。話もデカくなる。どこまでが本気でどこまでが座興か、境界線もあいまいになる。最後は再び「今年も甲子園ボウルで勝って、ライスボウルに連れて行ってください。いい夢、見せてくださいよ」ということで、ようやくお開きになった。
「秘密結社」とわざわざ強調しなくても、ファイターズを熱心に応援する人たちのこうした集まりは、実はあちこちで持たれているに違いない。ファイターズを肴に友情を確かめ合い、往事を懐かしむOBやファンの会合も機会あるごとに開かれているだろう。
それだけ、ファイターズというチームに存在感があるということだ。チームが優勝したから、勝っているからというだけでなく、時代を超えて、ファイターズを構成してきたそれぞれのメンバーに、存在感があるから、応援する方も熱が入るのである。その証拠が、先生方の口から懐かしそうに、また誇らしげに飛び出す選手たちの名前である。それぞれがファイターズの部員というだけでなく、それぞれのゼミの学生として存在感を示してきたから、先生方もここまで熱を入れてくれるのだ。わがこととして応援してくださるのだ。うれしい話ではないか。
posted by コラム「スタンドから」 at 08:05| Comment(1)
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