2008年01月05日

(36)敗れてなお強し

 「敗れてなお強し」。東京ドームを埋めた3万4487人のほとんどがそう実感したのではないか。それほどライスボウルにおけるファイターズの戦いぶりはすさまじかった。
 獲得ヤードは、松下電工の453ヤードを大きく上回る597ヤード。そのうちパスだけで564ヤードを獲得。パスの獲得ヤードは、チームとしても、QB三原君個人(553ヤード)としても大会記録である。ダウンの更新数は30で、これまた大会記録。前半に31−3と、TD4本の差をつけられながら、後半は逆に35−21で2本のリードを奪った。日本代表選手を8人もそろえた「オールスター軍団」「モンスター軍団」を相手に、臆せず、ひるまず、一歩も引かずに戦ったことを、この数字が裏付けている。残念ながら勝負には敗れたが、学生代表として、日大にも立命にも堂々と胸を晴れる試合内容だった。そして、選手たちがよくぞここまで成長してくれたと思った。
 正直にいうと、春先からしばらく、このチームに対する僕の評価は低かった。ずっとこのコラムを読んで下さっている方には多分、その気持ちは分かっていただけるだろう。4月末から5月にかけてのコラム、具体的には、日体大と7−7で引き分けた後の「初戦の収穫」、日大に敗れた後の「すべては選手に帰す」、その次の「ファイターズの使命」などに、その胸中が表現されている。
 理由は、それらのコラムにも書いたが、昨季の甲子園ボウルを経験し、勝てなかった悔しさを自らの成長の糧にしようとしている部員と、その悔しさが実感できていない部員との取り組みの落差が、僕のような部外者にも感じられるほど大きかったからだ。もう少し具体的にいうと、主将、副将をはじめ、三原君や榊原、岸、秋山、萬代君らが素晴らしい取り組みをしているのに、それがチームのスタンダードになっていなかったからだ。
 その落差は例えば、試合後の選手たちのちょっとした振る舞いにも見受けられた。春先の王子スタジアム。不本意な試合の後、みんなが重苦しい表情で整列し、スタンドに向かって挨拶をしているときに、隣の選手とニヤけた表情でしゃべっている上級生を見たことがある。そのときには、こんな緊張感のない選手が引っ張っていくチームに明日はない、とさえ思ったことだった。
 そんなチームが変貌した。秋が深まり、強敵との試合を重ねるたびに、部員たちの表情が変わってきた。主将や副将、三原君や榊原君らの取り組みの水準に、徐々にチームのメンバーが追いついてきたのである。
 印象に残っている場面が二つある。
 一つは立命戦に勝った後、日大との戦いを控えていた時だった。上ケ原のグラウンドでチーム練習が終わった後、平郡君を記念したヤマモモの木の下で一息ついていた森コーチの元に、1年生ディフェンスラインの平澤君と村上君が走ってきた。「練習を見てください」という。「ああ、ええよ」。森コーチは気安く応え、二人の後を追ってグラウンドに降りていく。双方の姿を見ながら、チームとしての練習が終わった後も、1年生がコーチを引っ張り出して個人練習に取り組むようになったかと、少なからぬ感動を覚えた。
 もう一つは、ライスボウルを間近に控えたある日の夕暮れである。冷たい雨の中の練習を終え、みんなが学生会館に引き揚げていった後、三原君と秋山君が雨の中、連れ立ってグラウンドに戻ってきた。聞けば「明日の練習の準備です」という。その日1日の予定がすべて終わっても、なお翌日の練習のために骨折りを惜しまない二人。彼らが毎日、チーム練習が始まる2時間も前からグラウンドに出て、自主練習をしていることは前にも書いたが、その日の練習が終わった直後から、もう翌日の準備に入っているとは知らなかった。ちょうど冬休み中ということもあり、まさに24時間アメフット漬けの生活。そこに、彼らがグラウンドで繰り広げる華やかなプレーの秘密を見たような気がした。そして、チームをリードする彼らがこういう隠れた努力をしている限り、松下電工にだって負けるものか、と確信したのである。
 チームに関係するすべての人間が勝ちたいと願い、技量を高めるために努力する。それはどのチームにも見られることだろう。けれども、それが日常生活のあらゆる場面を支配するようになるまでには、長い階段を登らなければならない。
 秋以降のファイターズの選手たちは、確実にその長い階段を登っていた。キッカーの大西君はいつ見ても、5年生コーチの馬場君と行動をともにし、自らの技量を磨いていた。オフェンスラインは「ラインは家族や。一心同体や」(by上村君)と結束を固めていた。互いに切磋琢磨すれば、チームとして求める水準はますます高くなる。高い水準にある選手は、さらなる高みを目指して自らを鍛え、自らに欠けた所があると自覚した1年生は、それを補うためにコーチを呼び戻してでも教えを請う。それは、厳しい戦いを糧にして自らの可能性を切り開き、自らを耕してきた者だけに許された取り組みであろう。
 そういう取り組みを重ね、立命と戦い、日大と戦うなかで、ファイターズの選手は驚くほどに成長し、たくましくなった。そのトータルとしてのライスボウルである。596ヤードという数字である。リーグ戦5試合の合計で、わずか31点しか許さなかった「守備の電工」からもぎ取った38点である。「モンスター軍団」を相手に、あわやというところまで追いつめた戦いは「敗れてなお強し」というしかない。
 もちろん、勝負に敗れたことは事実である。一瞬とはいえ、勝利の女神の姿をとらえかけただけに、それを我がものにできなかったことの悔しさも残る。
 けれども、だからといって、あれだけの戦いをした選手たちの輝きが損なわれることは決してない。結果として勝利できなかったこの試合を糧に、新しいチームの全員が自らの可能性を開拓し、さらなる高みに登ってくれたら、それで物語は完結する。いまはファイターズの今季の戦いに、心からの敬意を表すのみである。ありがとう。
    ◇
このコラムはしばらく休載し、新しいシーズンとともに再開します。
posted by コラム「スタンドから」 at 12:37| Comment(6) | in 2007 Season

2007年12月25日

(35)もう一度「君の可能性」

 昨年の甲子園ボウルを前に、このコラムで「君の可能性」という文章を書いた。僕の尊敬する斎藤喜博先生の『君の可能性』(ちくま文庫)という本と、そこに掲載されている『一つのこと』という詩の話である。未読の方や、もう忘れたという方は、昨年のブログのバックナンバーを見てもらえばいい。この詩をもう一度紹介し、ファイターズの諸君に贈りたい。

ひとつのこと

いま終わる一つのこと
いま越える一つの山
風わたる草原
ひびきあう心の歌
桑の海光る雲
人は続き道は続く
遠い道はるかな道
明日のぼる山もみさだめ
いま終わる一つのこと

 先生自身の解説をそのまま引用する。
………
 いま自分たちはみんなと力を合わせて一つの仕事をやり終わった。それは、ちょうど一つの山に登ったようなものである。山の上に立ってみると、草原にはすずしい風が吹いている。そこに立つと、いっしょに登ってきた人たちと、しみじみ心が通い合うのを感じる。そこから見ると、はるか遠くに桑畑が海のように見え、雲が美しく光っている。そしていま登ってきた道を、人が続いて登ってくるのが見える。自分たちはいま一つの山を登り終わったが、目の前にはさらに高い山が見えている。こんどはあの山を登るのだ、という意味である。
………
 ファイターズの諸君も、こういうことをチームの仲間と力を合わせて次々とやってきた。立命という一つの山を登り終えるとすぐ、次の日大という、より高い山に立ち向かった。その山を登り終えていま、松下電工という巨大な山に挑もうとしている。
 それは苦行ではある。けれども、その挑戦はおもしろく、楽しくてならないはずだ。なぜなら、チームに属するすべての人間が自らを鍛錬し、結束を強め、互いを高めあって、ようやく頂上を極めた結果として見えてきたのが、松下電工という山であるからだ。一人ひとりがよいものを出し合い、それがチームのみんなに影響し、より高い境地までチーム全体を高めてきて、初めて挑戦することが許された山であるからだ。
 立命という強敵を倒し、日大という永遠のライバルに勝って、チームのみんなは目標を達成した満足感があるだろう。ある種の解放感もあるに違いない。心の中にさわやかな風が吹き、遠くに雲が光っているようにも思えるだろう。
 それは、立命、日大という強敵を倒してライスボウルの舞台までたどり着いた君たちの働きに対するご褒美である。
 けれども、甲子園ボウルで勝っただけで満足するような君たちではない。「戦う限り、絶対に勝ちにいく」と言い切った岡田主将の言葉や「最大の準備をして立ち向かう」と、懸命に知恵を絞っている小野コーチの言を待つまでもなく、君たちにはまだまだ可能性が開けている。全国の数多くのライバルの中でただ一つファイターズの諸君にのみ、強敵を倒した達成感、充足感を、明日登る山、より険しく高い山へ挑戦するためのエネルギーに変える事が許されているのである。
 「明日登る山」は決まった。それを登り切るには大変な苦労があるだろう。けれども、ここまでの困難な山々を登ってきた経験を生かし、チームのみんなが互いに「あらゆる骨折り」をすることで、道は開ける。目の覚めるような高いところに到達できるのである。
 「正月に試合ができる幸せ」をかみしめ、さらに鍛錬し、チームの力を10%でも15%でも向上させてほしい。立命や日大との困難きわまりない戦いを切り抜けて、諸君の力は1カ月前とは比較にならないほどの高い境地に到達しているはずだ。それを信頼し、さらなる高みを目指すのである。
 『君の可能性』はいま、ようやく花を開きかけたところである。ここで手をゆるめず、君自身と真剣に向き合い、チームのみんなと高めあっていけば、かならずや大輪の花が咲くであろう。
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2007年12月22日

(34)関学ジャーナル特別号

 今朝、大学が発行する「関学ジャーナル」のライスボウル特別号が刷り上がってきた。2ページ全面カラーで、すべてをファイターズの記事で埋めている。甲子園ボウルの激戦から一夜明けた月曜日に特別号の発行を決め、すぐに紙面企画と取材準備。火曜日に取材と執筆、記事と写真の出稿。水曜日に編集作業と校閲。木曜日に最終校閲と印刷。そして金曜日に納品。自前の印刷工場がない条件を考慮すると、考え得る最速の行程で発行に漕ぎ着けた。
 「とにかく学生が冬休みに入る前に紙面を届けたい」「あの甲子園ボウルの感動を全学で分かち合い、ライスボウルへの意気込みを伝えたい」という方針で、急きょ、特別号の発行を決断、若い広報室員3人が全力で取り組んでくれた結果である。
 1面が「ファイターズ日本1へ再び」という主見出しで甲子園ボウルの熱戦を伝える記事と得点経過の一覧表、そして鳥内監督のライスボウルに向けての決意表明。2面が「『これぞ関学』を伝えよう」という主見出しで関係者の談話集。平松学長、岡田主将、QB三原君、小野コーチ、そしてOBから松下電工の塚崎泰徳選手、ライスボウルで初優勝した時の主将、石田力哉氏、副将の榊原一生氏という、ファイターズファンにとっては、垂涎ものの顔ぶれが、あの長居スタジアムの熱気をそのまま談話にして伝えている。
 この特別号は、学内で学生に配布するほか、東京のライスボウル会場でも配布するそうだ。だが、部数は限られているし、入手できる人はもっと限られている。そこで広報室の了解を得た上で、このコラムで談話のエッセンスだけでも紹介したい。
 鳥内監督 「社会人は強い。能力もレベルも違う。とにかく準備して挑戦するしかない。日大や立命に、なんやといわれんように、学生でもこれだけできるというところを見せる」「ちゅうちょせず、思い切りやれ、走り回って全員でタックルしろと選手たちにいっている」「ライスボウルは簡単に出られるゲームではない。全員がこのチャンスを必ずものにしてほしい」「うちの選手はみんな優しくておとなしい。応援がないとあかん。たくさんの応援を期待しています」
 平松学長 「甲子園ボウルの日大との対戦は『関学スピリット』を見事に示してくれた試合だった。(ライスボウルは)同窓生や現役学生、また関学ファンが長い間待ち望んでいた試合です。みんなで東京ドームをKGブルーに染めましょう!」
 岡田主将 「日本1を決める試合に出られるのは本当に幸せです。相手は10回勝負して1回勝てるかどうかの強敵。でも選手全員が集中力を高め、その1回を必ず取りにいきます。負ける気はまったくありません」
 三原君 「三段ぐらい格上のチームとの対戦なので、自分たちがどのくらいのレベルにいるのか分かるだろうし、純粋に勝負できるのが楽しみです。チャレンジャーとして学生らしく思い切りぶつかっていきます。1回一回のプレーを大切にして、とくにレシーバーで勝負したいと思います」
 小野コーチ 「傑出して質の高い選手がそろっている松下電工は、立命、日大よりも数段上のチームであることは疑う余地がない。50点差を付けられても不思議はない」「ファイターズとしては選手、分析スタッフ、コーチが一体となって知恵を絞り、あらゆる可能性を検討し、あらゆる準備をして、今季最高の状態で巨大な的に食らいつきたい」「選手をはじめ部員たちは立命戦、甲子園ボウルという歴史的な試合を経験して一回り成長した。ひるまず、ひたむきに挑戦し続ける中から勝機を見出したい」
 塚崎選手 「母校と日本1をかけて戦える。これほど幸せなことはない」「ファイターズは後輩といえども学生チャンピオン。試合では勝負に徹します」
 石田氏 「甲子園ボウルで終わるのと、ライスボウルを勝って終わるのではまったく違います」「ファイターズの組織力、練習量、コーチの能力、ミーティングの充実、どれをとっても一流です。社会人チームでプレーすることで、あらためて気付きました」「ライスボウルは勝つことに意味がある。学生チャンピオンのプライドを持って戦ってほしい」
 榊原氏 「グラウンドでの練習、真剣に日本1を目指してきた学生時代の経験は、社会に出てから必ず役に立つ」「私が対戦したときも、社会人には特有の強い当たりがあった。当時は、どうせ負けるなら思い切ったことをしようと思った。悔いの残らない試合ができて、結果的に勝つことができた」「ライスボウルは勝っても負けても最後の試合。自分のすべてを出し切ってほしい。そうすれば勝機は開けるだろう」
 みんながみんな、素晴らしいことを言っている。言葉の端々に、ファイターズにかける熱い気持ちがほとばしっている。この気持ち、激励に、選手たちがどう応えてくれるか。決戦の日まで、あと13日である。
posted by コラム「スタンドから」 at 01:04| Comment(1) | in 2007 Season

2007年12月17日

(33)感謝の気持ちを捧げたい

 「生きててよかった」と思われた古いOBやファンが、わんさかおられたのではないか。それほどの感動を与える試合だった。16日、大阪市の長居スタジアムで行われた「甲子園ボウル」は、17年ぶり30回目の日本大学と2年連続45回目の関西学院の対戦。日本のアメフット史に燦然と輝く宿命のライバルの戦いは、また一つ歴史に名を残す名勝負を演じた。
 先行したのは日大。エースランナーの金が前評判通りの豪快な走りで関学ゴールを駆け抜ける。
 だが、ファイターズも負けてはいない。エースQB三原がファイターズの誇るレシーバー陣に的確なパスを決め、小柄なRB陣が相手DLの素早くて強烈なタックルをかいくぐるようにして陣地を進める。2Qに入ったところで、RB横山が1ヤードのランで待望のTD。K大西のキックも決まって同点。その後、双方が1本ずつFGを決め、10−10のまま前半を折り返す。
 後半、双方の守備陣が奮起し、互いに攻めあぐねていたが、均衡を破ったのはファイターズ。三原のパスとランを中心にゴール前1ヤードまで攻め込み、3Q9分29秒、大西のFGで3点をリードする。本当はTDがほしい状況だったが、日大の強力な守備陣がそれを許してくれない。
 リードして余裕の出てきたファイターズは三原のパスがさえる。3Q終了間際にWR榊原へのピンポイントのパスがヒット。榊原が相手DB2人をかわしてサイドライン際を駆け上がってTD。待望の10点差を付ける。
 しかし、ホッとしたのもつかの間。大西がゴール前までけり込んだキックをキャッチした相手のエース金がそのまま96ヤードを走りきり、鮮やかにTD。一気に流れを日大に引き戻す。かさにかかって攻め込む日大は、次の攻撃シリーズで、今度は自陣5ヤード付近からのパスを受けたWR秋山が一気にゴールまで走りきった。あっという間に逆転。関学応援席から悲鳴が上がる。
 だが、選手たちはくじけない。三原からWR秋山へのパスを効果的に使って陣地を進め、仕上げは岸への35ヤードTDパス。相手DBにジャージをつかまれながら、10ヤード近くを引きずってゴールに向かった執念の走りで、再びファイターズがリードを奪う。
 日大も譲らない。その次の攻撃シリーズでファイターズの息の根を止めるようなプレーが飛び出す。関学守備陣を翻弄するリバースプレーでTDをもぎ取り、またまた逆転。関学応援席の悲鳴が大きくなる。
 残り時間は4分少々。ファイターズに残された攻撃時間は少ない。時計は刻々と進む。しかし、選手たちはめげない。小柄なRB稲毛や平田が敢然と巨大な相手守備陣の壁をかいくぐって陣地を進める。OLの面々も懸命のブロックで走路をこじ開ける。第4ダウンのギャンブルや秋山へのパスで活路を開き、最後は三原のキーププレーでついに相手ゴール前1ヤードまで攻め込む。
 残り時間は1分を切っている。ここからファイターズは慎重に時間を使い、タイムアウトを織り交ぜて逆転のTDを狙う。だが、中央のランプレーはことごとく跳ね返され、たった1インチを残して第4ダウン。残り時間は6秒。「ここが男の見せどころや。死ぬ気で飛び込め」と必死に祈る。
 3万2000人の観客がかたずを飲む中、RB横山がワンテンポずらして中央左にダイブ。相手守備陣の頭の上を飛び越えてTD。劇的な逆転勝利をもぎ取った。1年生の時に衝撃的なデビューを果たしながら、3年間、故障で練習もままならなかった横山が、最後の最後で男になった。
 「甲子園ボウル」で日大を倒したのは30年ぶり。途中、同点優勝は一度あったが、ファイターズにとって、まさに待望の勝利。攻守ともに強力なタレントを擁する日大を相手に、くじけず、あきらめず、ひるまずに戦う選手たちが全員でつかみ取った勝利だった。
 喜びにわき上がる応援席。しかしぼくは、喜ぶよりも、懸命に練習に取り組み、試合に取り組んだ選手たちに感謝する気持ちで一杯だった。たまにグラウンドに顔を出すと、いつも練習開始時間のはるか前から、三原や秋山、榊原、岸、萬代君らがグラウンドの中央を占領して、自主練に励んでいた。練習だけでなく、普段の生活から行動をともにし、互いの意志疎通に励んできた彼らの日常を見ているだけに、この大舞台で努力が報われたことがうれしかった。そういう取り組みを続けてくれたことに感謝する気持ちで一杯になった。そして、彼らを必死になって支えてきた人たちの顔が次々に浮かんできた。
 仕事と両立させながら、懸命に指導を続け、作戦を練ってきたコーチ陣やマネジャー、アナライジングスタッフの功績はいうまでもない。川村君、辻君、水口君、馬場君、武島君ら5年生のコーチの努力がなかったら、この日の勝利はなかっただろう。試合前のお祈りで選手を奮い立たせた前島先生のことや選手のメンタル面をサポートし続けた片山昌人氏、坂井誠氏、小川原秀哉氏らの努力を知る人は少ないだろう。この機会に特筆し、特別の感謝を捧げたい。
 ファイターズはこうした人たちの心からの献身と、選手たちのたゆまぬ努力、精進によって、勝利を手にしたのである。ありがとう。
posted by コラム「スタンドから」 at 11:07| Comment(8) | in 2007 Season

2007年12月10日

(32)選手たちの戦場

 「甲子園の芝生には、赤と青が似合う」といったのは、いまは亡き篠竹監督である。
 常勝軍団「フェニックス」を率いて、日本のアメリカンフットボール史に一つの時代を築いた監督は、その独特のキャラクターで、ライバルからも一目置かれる存在だった。悪気はなかったと思うが、時に聞き手を不愉快にさせるような発言もあった。このせりふも、1980年代半ばから、関西が関学と京大の2強対決の時代に入り、時にファイターズが京大の後塵を拝することがあることにいらだった監督が、ファイターズに「赤は毎年、甲子園に来ている。青も毎年、甲子園に出てこいよ」と呼びかける(挑発する)ニュアンスが込められていたように記憶している。
 言うまでもなく、関学と日大は長年、最大のライバルとして、甲子園の覇を競った。その戦いの歴史は、ある意味で日本のアメフット発達史といってもよいほどだった。どうしても関学が勝てなかった時代もあるし、逆に青が赤を圧倒した時代もあった。日大がショットガン攻撃を完成させた全盛期には、63−7とか48−0とかいう、いまでは想像もつかない大差で関学が破れたこともあった。
 甲子園ボウルの試合開始前、圧倒的多数を占める応援席でKGファンとともに「空の翼」を歌いながら「ここまでは圧勝だ」と、ほんの少ししかいない日大応援席に向かって叫んでいた事もある。実際、試合が始まれば、あれよあれよという間に得点を重ねられる。なんせ、3度パスを失敗し、第4ダウン残り10ヤードという場面になってもパントを蹴らず、平気でパスを投げ、それを通してダウンを更新してしまうという、アメフットの常識にないようなプレーを何度も見せつけられた相手である。悔しかった。
 逆に90年代に入ると、日大の戦力が急激に衰えた。甲子園から遠ざかっただけでなく、毎年春に実施している定期戦でも、赤は青にまったく勝てなくなってしまった。92年から2005年まで14年連続で関学は日大に勝ち続けたのである。その間、2001年の74−12、2004年の57−6という、過去の青と赤の対決では考えられないような大差で青が勝った試合もある。
 これに、その折々に活躍した名選手の名前を絡ませながら、青と赤の戦いの歴史を振り返れば、大げさではなく一晩でも語り続けることができる。ただのファンでさえ、この通りだから、実際に対決したファイターズやフェニックスのOBにしてみれば、1週間や2週間では語り尽くせぬ濃密な内容を伴ったライバル関係であろう。
 そんな相手が、雌伏の時を経て、17年ぶりに甲子園(今年は長居だが)に戻ってくる。さて、ファイターズはどう戦うか。
 先日の朝日新聞に、鳥内監督が記者会見で発言したこんな言葉が載っていた。「強さ速さがえげつない」「昔の強い日大が戻ってきた。いまのままでは勝負にならん」
 それにしても弱気な発言だと思って、直接、監督に聞いてみた。
 「先日の記者会見の発言、本音ですか。試合前だから、わざと弱気を装っているのとちがいますか」
 「そんなことないですよ。ほんまにラインは体がデカいやつばっかり。そのくせ速いんですよ」
 「立命のラインも強くて大変だったじゃないですか。それより強いんですか」
 「また違う強さです。個人の反応する能力が高いから、作戦でどうこうできるレベルじゃないんですよ。厄介な相手ですわ」
 そういう厄介な相手にどのように立ち向かうのか。選手もコーチもスタッフも、対戦相手が日大と決まってからは寝る間も惜しんでその対策を立てているはずだ。東京で日大と対戦したり、そのプレーぶりを見たOBたちもビデオを持ち込んだり、実際に対戦した経験談を伝えたりして、アイデアを出してもいるようだ。実際、この前の週末には、関東からXリーグで活躍しているOBたちが何人も駆けつけ、練習を手伝っていた。
 その成果がどう出るか。ファンとしては、立命戦で、相手ベンチをあわてさせたような作戦や試合運びを期待したい。しかし、その前にまず、戦うのは選手自身だ、というごく当たり前の事を確認することから試合に臨んでほしいと願うのである。
 青と赤の対決とか、あるいは「30年ぶりの雪辱」とか、周囲はライバルとして覇を競ってきた両チームのこれまでの歴史に絡めて、あれやこれやと前評判を煽り立てるだろう。けれども、そういう歴史は、物語としては興味深いけれども、16日に長居で対戦する選手たちにとっては直接的な関係はないのである。目の前の選手に勝つか負けるか。目の前のユニットをユニットして抑えられるか、否か。相手を粉砕するのか、それとも粉砕されるのか。
 要するに個人対個人、チーム対チームの戦いに勝つか、負けるか。それだけのことなのである。青と赤。過去の物語は物語として、いま現在、戦いの場に臨もうとしている選手たちにとっては、自らの戦場でいかに戦うか、いかにして死ぬか。ただその一点にしぼって神経を集中し、全勢力を傾けるしか、活路は開けないのである。そのことだけに思いを込め、存分に戦ってほしい。健闘を祈る。
posted by コラム「スタンドから」 at 06:58| Comment(5) | in 2007 Season

2007年11月27日

(31)<特別号>立命戦、勝利の譜

 勝った。ファイターズがパンサーズに勝った。31対28。またもや3点差。だが、われらがファイターズは堂々と力勝負で強敵に立ち向かい、一丸となって勝利をもぎ取った。
 今季もまた、最後の1プレーまで勝敗が分からない劇的な幕切れ。だが、僕にとっては「すべてが想定通り。ひょっとして、僕は予言者の才能があるのじゃないか」と思ってしまうほど、予測通りの結果だった。
 試合の前日、小野コーチと少しだけ話す機会があった。そのときの会話を再現しよう。
 「いよいよですね。明日は天気も良さそうだし」。僕の話はいつもながら能天気である。
 対する小野コーチの口調は、いつもながら、理路整然としている。
 「攻撃は、僕たちが考えられる最高の状態にまでなってきました。後は守備がどれだけ持ちこたえてくれるか。ランにもパスにも絶対的な決め手を持っている立命の攻撃陣を相手に、どれだけ耐えてくれるか。我慢が続けば勝ちが見えてきます」
 「4本が勝負ですかね」
 「そうですね。21点で勝つのは難しい。28点取らないと。キッキングが勝敗を分けるでしょうね」
 「28点にフィールドゴールの3点を積み上げて勝負。できれば前半に2本差をつけて折り返したいですね。いつも後半、相手に追い上げられていますから」
 「前半に2本差は厳しいけど、いずれにしろ勝負にいくしかないですよね」
 会話はこんな風に終わったが、現実の試合はまさにこの通りの進行。ファイターズは先行されたものの、相手の意表をついたRB河原へのショベルパスを効果的に使ってすぐに追いつく。
 7対7で迎えた次の攻撃シリーズ。ファイターズは立て続けにスペシャルプレーを繰り出す。QB三原からWR榊原を経て河原に渡るリバースプレー、昨季の甲子園、三原からボールを受けた榊原がパサーになってWR岸にTDパスを投げたプレーを逆手にとった榊原のラン、QBに三原と浅海の二人を並べ、三原からピッチを受けた浅海が再び三原にパスし、三原がレシーバーになってゴール前まで駆け込んだプレー。まるで「スペシャルプレーの見本市」のようなプレーコールで、一気にリードを奪う。
 「見本市」はさらに続く。次のキッキングゲームで、K大西がまさかのオンサイドキック。深いキックに備えた立命守備陣の裏をかいて、大西が短く浮かせたボールをDB磯野が空中でキャッチし、ハーフライン付近で攻撃権を確保する。大胆なプレーに、観客席から大歓声が上がる。
 スタンドのどよめきが収まらないうちに、また一つビッグプレーが生まれる。三原がRBにフェイクを入れて相手守備陣を引き寄せた後、一転してゴールポストめがけてロングパス。これを右サイドから走り込んだWR秋山が見事にキャッチしてそのままTD。一気に流れを引き寄せた。
 わずか1プレーで待望の2本差。試合後、小野コーチは「あそこは一気に勝負にいくところ。リードしているときのオンサイドキックは、ある種のギャンブルだけど、それでも、勝つためにはいくしかないと思いました」。
 この後、両チームが1本ずつTDを決め、前半を終わって28対14。前日に予言した通り、2本差がついた。
 後半戦。予想通り立命の反撃は厳しい。パスとレシーブを織り交ぜた攻撃が面白いように決まってあっという間にTD。1本差に追い上げられる。逆に、ファイターズの攻撃は徐々に手詰まりになり、なかなか進まない。一方的な守勢に追い込まれたところでしかし、僕の「予言その2」が現実になる。
 この朝、偶然出会って会話を交わしたDB藤本が起死回生のパス・インターセプトを決めたのだ。相手のエースレシーバー前田に投じられたパスを、鋭い突っ込みで横取りし、そのまま23ヤードを走ってゴール前7ヤードに迫った。
 わき上がるスタンド。もう興奮のるつぼである。守備陣の踏ん張りでつかんだこの好機を大西のフィールドゴールに結びつけ、待望の「プラス3点」が入った。「よしっ、これで勝負になる」。スタンドで応援する声にも力が入る。
 だが、ファイターズの勢いもここまで。その後は、得点差にもひるまず、腰を低くして攻め込んでくる立命に、一方的に押し込まれる展開。第3Q終了時には、相手のランで3点差に追い上げられ、その後もファイターズは守勢一方。残り時間が刻々と少なくなっていく中で、立命の攻撃がどうしても止まらない。絶対絶命のピンチである。
 しかし僕は「心配ない。DB徳井がきっと何かをしてくれる」と確信していた。
 昨シーズンの終盤、徳井と藤本が「志願して」(鳥内監督)WRからDBに転出した時から、僕は「来季は必ずこの二人がやってくれる」と、意味もなく確信していた。周囲の人たちにも、ことあるごとに「この二人はいいよ。間違いなく救世主になる」と言い続けてきた。
 この日の試合前、開門前の列に並ぼうとしていたときに、偶然、その藤本と出会った。
 「体調は大丈夫か。けがとかはないやろな」
 「ばっちりです。今日はやりますよ」
 「徳井君はどうや。今日は出られるのか」
 「はいっ。彼も大丈夫です。スタメンです」
 「二人そろえば大丈夫や。期待してるぜ」
 「はいっ。思い切りいきますっ」
 大試合を前に、ナーバスになることもなく、いつも通りのにこやかな顔で返事をする彼の声の調子から「よーし。今日は絶対にこの二人が救世主になる日だ」と確信を持った。
 案の定、藤本は起死回生のインターセプトを決めてくれた。しかし徳井は、随所でいいタックルを決めていたが、まだ本当の見せ場は作っていなかった。
 「残るは徳井。いまに必ずヒーローになる」。そう確信してグラウンドに目をやると、やってくれました。ゴール前10ヤード付近から走り抜けようとした相手RBに守護神・LB佐藤が激しくタックルした所へ、横から強烈なタックル。走者が必死に抱えていたボールを見事にはじき飛ばした。それをDL平澤が押さえ、ターンオーバー、流れは一気に逆転した。1分余を残した立命の最後の攻撃も、懸命のディフェンスでしのぎ、勝利に結びつけた。
 @28点プラス、フィールドゴールの3点で勝つ。
 A藤本と徳井が救世主になる。
 この試合前の予測がことごとく的中し、僕はいま、一人で鼻を高くしている。
 けれども、本当に鼻を高くする資格があるのは、僕ではなく、この試合を戦った選手であり、的確なプレーコールを出し続けたベンチである。もっと言えば、そうしたプレーコールに応えられるように練習を積んできたすべての部員であり、その下支えをしてきたスタッフのみなさんである。
 実際、傑出した能力を持った強敵を相手に、事前に十分な準備をしてきたとはいえ、そのすべてを成功させるのは至難の業である。相手の激しい突進を受けながら、正確なパスを投げ続けた三原、そのパスをこともなげに捕り続けたWR陣。相手ディフェンスの壁に果敢に挑み、コースをこじ開けて走ったRB陣。それを支えたラインメン。
 守備陣も一歩もひるまず戦った。怒涛のように攻め込んでくる相手攻撃陣に果敢にタックルを浴びせた。何度も続く正確なヒットに、さしもの相手も次第に体力を消耗しているのが、スタンドからでもうかがえた。
 その総和としての3点差。ファイターズは勝つべくして勝ったのである。
 一部の新聞に「相手のミスにつけ込んで勝った」とか「トリックプレーを連発して勝った」とかいうような意味のことが書かれていたが、誤解も甚だしい。ミスに見えるような結果を誘発させる果敢なタックルと、思い切った戦術があったからこそ、相手にミスに見えるプレーが出現したのである。さきにふれた、佐藤と徳井が相手のファンブルを誘発させたプレーが示すように、チームが結束して相手にぶつかったからこそ、相手の腕からボールがはじき出せたのである。目くらましに見えるプレーにしても、選手たちは1年がかりで周到な準備を重ねてきたのである。
 それを相手のミスとかトリックとかいう言葉でくくってしまうようでは、新聞記者も目が見えていない。当のプレーヤーに対しても失礼千万である。
 ファイターズは堂々と勝った。頭をつるつるに丸めた岡田主将の、試合後の晴れ晴れとした表情がそのすべてを物語っていた。
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2007年11月19日

(30)武士に二言はない

 寒いッ。週末から一気に寒くなった。大阪管区気象台によれば、18日は近畿地方で木枯らし1号が吹いたという。
 上ケ原のグラウンドは、普段の日でも、六甲山から吹き下ろす風が強いのに、土曜日曜ともに、冷たい風が吹きすさび、夕方の体感温度は真冬並み。先日までのぽかぽか陽気が一転して、厳冬期に突入した。寒さに何の備えもせず、いつものようにブラッと練習を見学に出掛けた僕は、体の芯まで凍り付いた。
 でも、練習は熱かった。この1年の総決算となる立命戦(もちろん、この後に甲子園ボウルもライスボウルも控えているけれども、立命戦に負けたら、それまで)を1週間後に控えているのだから、熱くならなければおかしいけれど、それでも、普段とはまったく異なった次元の練習を見ていると、こちらまで思わず緊張してしまう。
 普段の練習と違うのはまず、Xリーグでバリバリの現役選手として活躍している若手OBたちが大勢詰めかけ、実際に防具を付けて練習相手を務めていることだ。日ごろは5年生コーチらがやっている役割を、社会人のビッグネームが務め、プロ級の技と力で現役の相手をしている。次元の違うスピードと当たりを目の前にして、現役選手の意気が上がらないはずがない。
 もちろん、スカウトチームの面々も、この1週間が最後の勝負だ。立命の選手たちと同じ色のユニフォームを着て、スタメンの選手たちに立ち向かっている。QBは9番、WRは11番、RBは26番。背番号も、相手のキープレーヤーとまったく同じ。それがファイターズ守備陣の備えを破ってパスを通し、ランで切り込んでいく。
 そういうスカウトチームを相手に、実際に試合に出て戦うメンバーがそれぞれ守備隊形を工夫し、選手の動きを一つひとつ確認しているのだが、その動きのすべてに、決戦近しの雰囲気がにじみ出ている。
 オフェンスも負けてはいない。チーム練習の前から、パートごとに、さまざまな状況を設定して、立命戦に準備してきたプレーをひとつづつ確認する作業が続く。ときにはコーチから叱声が飛ぶ。その声の厳しい調子一つをとっても、決戦近しである。
 毎年のことだが、練習がこういう雰囲気になってくると、もう部外者が言うべき言葉は何もない。すべてはグラウンドで戦う選手たちにゆだねるしかないのである。
 けれども、あえて一言、いわせてほしい。
 それは、このシーズンが始まる前、自分自身が誓った目標を思い出してほしいということである。ファイターズに入部したときに自分自身に約束したことを思い出し、それを果たすことに全身全霊を捧げてほしいということである。
 ファイターズに所属するすべての選手、スタッフは「立命を破って日本1」を目標にしているはずである。チームを「日本1」にするために、一人一人が全力を尽くす、と誓ったはずである。
 もちろん、ファイターズの門を叩いた180人の部員には、180通りの動機があるだろう。アメフットを通じて充実した学生生活を送りたいとか、自己実現を図りたいとか。あるいは単純にアメフットを楽しみたいとか、負けるのがイヤだとか、支援してくれる人のためにがんばりたいとか。しつこく勧誘されたから、という人もいるかもしれない。
 けれども、このチームの一員になって、日々練習を重ね、試合に勝ったり負けたりする中で、すべての部員が、とにかく勝ちたい、日本1になりたい、そういう気持ちを高め、それを自らの目標にすると決めたはずである。
 その約束を守ってほしい。自分自身への誓いを果たしてもらいたい。
 敵は立命であって立命ではない。立命を破って日本1になると決めた自分自身である。勝つのも負けるのも、まさに自分自身との戦いである。長居のフィールドを舞台に、自らの「約束」「誓い」に恥じぬ振る舞いを見せてほしい。
 武士に二言はないはずだ。
posted by コラム「スタンドから」 at 07:29| Comment(5) | in 2007 Season

2007年11月10日

(29)苦しみは選択事項

 最近読んだ村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」(文藝春秋)に、面白い言葉が紹介されていた。
 マラソンランナーは、走っているときに、どんなマントラ(呪文)を唱えているか、というインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙の特集記事に掲載されていたあるランナーの言葉である。それは、日本語に訳すと「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」という意味になる。そのランナーは、同じマラソン走者の兄に教わったこの文句を、レース中、ずっと頭の中で反芻(はんすう)していたという。
 村上は、この言葉について【例えば、走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかは、あくまで本人の裁量にゆだねられていることである。この言葉は、マラソンという競技の一番大事な部分を簡潔に要約していると思う】と書いている。
 ご存じの通り、村上春樹は「ノルウェイの森」などのベストセラーで知られる売れっ子作家であり、日本で一番ノーベル文学賞に近い人といわれている。作家活動のかたわら、この4半世紀、走り続ける事を日課としているランナーでもある。年に1度はフルマラソンを走り、トライアスロンに挑戦する。サロマ湖の100キロレースを11時間42分で完走した記録も持っている。
 そういう走る小説家・村上が自分自身について書いたこの本の、いわば急所にあたる言葉が「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(選択事項)」であり、オプショナルとしての苦しみを通して学んだメモワールを綴ったのがこの本である。
 これは、このマラソン走者、あるいは作家・村上春樹の人生哲学を象徴する言葉であるだけではなく、ファイターズの諸君にこそ当てはまる言葉ではないか。
 日本1の座を目指すチームの活動は厳しい。日々の練習から落後せずに参加するだけでも大変だし、体力づくりや頭脳の鍛錬も求められる。個人的な活動に割ける時間も、思い切り制約される。それらはみな、避けられない「痛み」である。
 けれども、それを「苦しい」と思うかどうかは、本人次第。苦しければ苦しいほど、やりがいがあると思える人もいるだろうし、それを乗り越えたときの充足感を想像して、苦しみに耐える人もいるだろう。ただ、負けるのが嫌いだから、苦しくても弱音を吐かずにがんばっている人もいるに違いない。
 そういう「苦しみ」を自ら志願し、喜んで求める人がいれば、逆に逃げ出してしまう人もいる。両者の間で、もだえ、悩み、揺れ動いている人もいる。それぞれが人間社会における自然な振る舞いであり、「苦しみは個人の選択事項」といわれる由縁である。
 けれども、いまこの時期のファイターズにおいては、すべての部員に「苦しみ」を喜びとして、あるいは「生き甲斐」として、受け止め、対処してもらいたい。
 10日は京大戦。そして25日は立命戦。ようやく待ちに待った強敵と戦える日が来た。その戦いのために、長い時間、修練を積んできたのである。
 傑出した力を持った相手に、自らの力の限界を試せる幸せ。脳髄を締め上げるようにして絞り出した作戦を晴れて披露できる興奮。縁の下で支えてきたスタッフを含めたチームの結束力の強さを計れる喜び。それらのすべてを力に替えて、全身全霊で戦ってほしいのである。
 「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル」。気持ちの持ち方ひとつ、取り組む姿勢ひとつで、すべての景色が変わってくる。諸君の人生のありようまでが変わってくる。
 苦しみを力に替え、エネルギーにして、勝利への道を突っ走ってもらいたい。
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2007年11月01日

(28)以て瞑すべし

 最近、やたらと初対面の方から声を掛けられる。試合を観戦したり、練習を見にいったりしているときのことだ。
 「あのー、失礼ですが、ファイターズのホームページでコラムを書いておられる方ですよね」
 大体、こんな調子で声が掛かってくる。
 「はい、そうですが……」
 とまどったように返事をすると、相手の方は、必ずといっていいほど「いつも楽しみにしています。ありがとうございます」と、丁寧に続けられる。
 僕は、新聞記者を40年もやってきたくせに、初対面の方と挨拶するのは、いまだに苦手である。人見知りをするというのか、せっかく丁寧なご挨拶をいただいても、返事は「はあ、ありがとうございます」ぐらいのことしかいえない。
 顔なじみになると、誰とでも気楽に話せるのだが、どういうわけか、初対面の人には応対がしどろもどろになる。そして、後から「もっと、ちゃんとお話せんとあかんやろ」と自己嫌悪に陥るのである。
 先日も、子どもたちにタッチフットを指導されているファイターズOBの方2人から、ご挨拶を受け、「いつもファイターズのために力を尽くしていただき、ありがとうございます」と、丁寧なお言葉をいただいた。
 そのときも、例によって、きちんと返事ができなかったので、ここで僕がこのコラムを書かせていただいている理由を書いて、お礼の気持ちを表したい。
 ホームページをリニューアルするので、ファイターズを中心にしたスポーツコラムを書いてもらえないか、と小野コーチから声がかかったのは、昨年4月の終わりごろだった。当時僕は、アサヒ・コム(途中からアスパラ・クラブ)という朝日新聞のニュースサイトで毎週1度「スポーツ・ジャーナル」というコラムを書いていたが、それを読んでくれていた小野コーチが「彼に書かせてみよう」と思いついたのだ。
 僕はファイターズのOBでもないし、アメフットの専門家でもない。しかし、ファイターズが好きで、ずっと試合を追っかけている。スポーツ推薦で関学を受験する高校生たちに毎年、小論文を教えていることもあって、チームの事情も、多少は知りうる立場にある。自分が小論文や面接試験のお手伝いをした選手たちがチームの主力として活躍しているから、彼らを激励するぐらいのことはできるだろう。それに、学生たちが作るホームページに、多少は社会的な経験を積み、少しは見聞も広げたオヤジが、学生たちとは違う立場で発言することにも意味はあるだろう。そんなことを考えて、無謀にも「書きましょう」と引き受けた。
 もちろん、僕もジャーナリストの端くれ。専門家の目から見た日本のスポーツジャーナリズムの底の浅さに対する不信感も、根底にはあった。試合に勝った負けたのことしか関心がなく、どうして勝ったのか、どのようにして敗れたのか、彼らはスポーツを通して何をつかみ、どのように自己実現を図ったか、というような部分に光を当てたコラムがほとんどないから、ならば僕が書いてやろう、という野心も少しはあった。スポーツを興業とか娯楽とか趣味ではなく、もっと文化的、教育的な側面からとらえる見方があってもよかろう、及ばないかもしれないが、それに挑戦しようという心意気もあった。
 決心すると、即座に朝日新聞のコラム(これは原稿料が出ていた)を打ち切り、翌週からファイターズのコラムを書き始めた。
 これがハマった。ファイターズのチームとファンが対象だから、内容も相当突っ込んで書ける。原稿料をもらっていないから、公正も中立も関係ない。ただ「ファイターズのためになる」と、自分が判断したことだけを書けばいい。こんなにありがたい条件で文章を書く経験は、過去にはなかった。
 もちろん、朝日新聞に在職中から、ほかの記者に比べると、僕は相当好き放題に記事を書いてきた。少なくとも大阪本社には、僕ほど好き勝手に取材したいことを取材し、記事にしてきた記者は、最近ではいないだろう。度量のある新聞社だった。
 けれども、このコラムはそのとき以上に、充実した気持ちを持って書ける。ファイターズを応援する、ファイターズを素晴らしいチームにするために少しでも貢献したい、という立ち位置がはっきりしているからだろう。
 そのコラムが褒めていただける。ご丁寧な挨拶までしていただける。本当にありがたい。もって瞑すべし、である。
posted by コラム「スタンドから」 at 16:15| Comment(1) | in 2007 Season

2007年10月26日

(27)禅の言葉

 禅に「卒啄同時」(そったくどうじ)、もしくは「卒啄一如」ともいわれる言葉がある。卒の字は、正しくは「口偏に卒」と書くのだが、僕のパソコンにはその字がないので、とりあえず「卒」で代行させてもらう。
 意味は、鶏の卵がかえるとき、殻の内側から雛がつつく音が「卒」、母鳥が外から卵を噛み破るのが「啄」。内と外とのタイミングがぴたりと合って、初めて卵が孵化することから、師匠と弟子の働きが合致すること、両者の呼吸が合って初めて、弟子が一人立ちすることを表す。そこから「逃したら、またと得難いよい時機」という意味も生まれた。
 と、いかにも知ったかぶりで書いているが、実は4年前の春、朝日新聞の「言葉の旅人」という週末版の連載を取材中に聞きかじっただけのことである。
 話の主役は「あの月に向かって打て」という名言を残したプロ野球・東映の飯島滋弥コーチと大杉勝男選手。二人ともとっくに亡くなっているが、一人の選手の才能を開花させるきっかけとなったこの言葉が生まれた事情を知る人を、東京から伊豆半島へと「探偵!ナイトスクープ」のような手法で訪ね歩き、その秘密を解明した。その取材のことはほとんど忘れているが、なぜか、チラッと聞いただけのこの言葉が記憶に残っている。
 そして、ファイターズの練習を見るたびに、この言葉が浮かんでくるのである。その理由を書いてみたい。
 ご存じの方も多いと思うが、ファイターズの練習は、一般的な体育会系クラブに比べても、部員の自主性というか主体性が重んじられている。初めて練習を見たときに「これが日本1を争うチームの練習か」と意外に思われる方も多いだろう。
 コーチや監督が頭ごなしに怒鳴り上げ、一方的に練習を引きずっていくという場面はほとんどない。いま話題の大相撲のような「無理偏にゲンコツ」とか「かわいがり」という名の「しごき」とは無縁だし、教える側が教わる側に、理不尽な服従を要求するような場面も、僕は見たことがない。上級生が下級生を暴力で支配するようなこととも無縁である。
 要するに、大学の体育会に所属しながら、世間で「体育会系」と揶揄(やゆ)される事の多い世界とは、明確に一線を画している組織である。それを「歯がゆい」と批判する声を聞いた事はあるけれども、僕の周囲では、それ以上に「それがファイターズの伝統だ」と誇りを持っていう人の方が多い。
 そんな、いわば春の陽光に包まれたようなファイターズの練習風景が、毎年この季節になると一変する。春の穏やかな陽気が「秋霜烈日」に変わってくるのである。
 練習場への外部の人間を立ち入り禁止にするのはその第一歩だし、ハドルへの集散のスピードも上がってくる。4年生の多くは、練習開始の2時間も前からグラウンドに出て、率先して練習しているし、マネジャーの掛け声ひとつとっても、切羽詰まってくる。コーチ陣の取り組みは明らかに変わっているし、けがで練習がままならない部員も含めて、フィールド全体がピリピリしてくるのである。
 シーズンが深まり、宿敵との決戦の日が目前に迫っている以上、それは当然のこと。この時期に「春うらら」のような雰囲気が支配しているようでは、さすがにヤバかろう。
 この時期が、さきの禅の言葉で言えば「卒」に当たるのではないか。いままさに雛が卵を内側からつついている状態。こうなって初めて、コーチの「啄」、つまり外からのアドバイスの一つひとつが部員の滋養になり、骨になり、血液になる。
 つまり、目標はあっても、なお漠然としているシーズンオフの走り込みや春先の練習(それはそれで、極めて大切なことだが)とは違って、いまこの時期、弟子の側に「上達したい」「勝ちたい」という意欲がむき出しになっているからこそ、教える側の一つひとつの言葉が生きてくる。部員に「教わるための準備」が整ってきた「いま、この時」こそ、飛躍の好機だと、僕は思うのである。
 気持ちが集中し、決戦に臨む準備が整いつつあるこの時期。昨年、神林マネジャーがこのブログに書いた「死に方、用意」ができたこの時期の練習こそ、心技体ともに、一段上のステージに飛躍する好機である。
 それぞれの部員がこの好機をつかみ、一気に階段を駆け上がってほしい。「卒啄同時」。チャンスは前髪しかない。
posted by コラム「スタンドから」 at 05:42| Comment(0) | in 2007 Season

2007年10月18日

(26)「99%の汗」

 秋のリーグ戦4試合目。神戸大学との試合を観戦したファイターズのファンは幸せ者である。多分、ファイターズ史上でも例のないようなタッチダウンシーンの目撃者となったのだから、果報者というしかない。
 立ち上がり、ファイターズのレシーブで始まったシリーズ。相手キックをゴールライン際でキャッチしたWR榊原がいきなり50ヤード近くをリターンし、相手陣48ヤードという絶好の位置から攻撃を開始した。
 その最初のプレーで、目を見張るような場面が表れた。ショットガンの体形からまず、QB三原がRB平田にハンドオフ。ボールを確保した平田がまっすぐ走り出す。
 ここまでは通常のランプレーだが、そこからが違った。
 2、3歩走った平田がくるっと後ろを振り向き、5ヤードほど後ろに構えた三原にボールをピッチ。それを受けた三原が、今度は中央深くに走り込んだWR岸にロングパス。神戸大の守備陣は、ランプレーを見極めて思い切り前がかりになっていたから、深いゾーンはがら空き。そこを岸が独走して余裕のTD。たった1プレーで先制点を挙げた。
 フリーフリッカーというプレーの応用だというが、少なくともこの20年以上、ファイターズの公式戦を欠かさず観戦している僕も見たことがないプレーだった。それを公式戦で見事に成功させたのだから、ファイターズのオフェンス、恐るべしである。
 というより、そういうプレーを考え出し、練習し、試合で成功させた選手とコーチ陣の発想と実行力に驚かされた。そして、彼らの頭の中に詰まっているであろう、計り知れないほどのアイデアと作戦を想像して、背筋が寒くなった。ビデオを見たはずのライバルチームの面々も、おそらく同じ思いだったろう。
 世界の発明王・エジソンはこんな言葉を残している。「天才とは、天が与える1%の『霊感』(インスピレーション)と、彼が流す『汗』(パースピレーション)の99%から成るものである」。この言葉を引用させてもらうと、ファイターズの諸君も、1%の霊感と99%の汗で、あのプレーを成功させたのである。すごいじゃないですか。
 この99%の汗の一端を、先日、見せてもらう機会があった。
 攻撃担当のアナライジングスタッフたちと懇談したときのことである。オフェンス担当の小野コーチの手にしている資料をちらっと拝見させてもらったのだが、その内容がすごかった。資料の性格上、詳細は省かせてもらうが、とにかく4年生の高都持君や中田君を中心にしたスタッフが寸暇を惜しんでチームのために貢献していることを、無条件に納得させる内容だった。
 「よくぞ、ここまで」と驚くと同時に「これがエジソンのいう、99%の汗だ」と実感したことだった。
 こういう不断の努力があって初めて、神戸大戦の最初に成功させたような鮮やかなスペシャルプレーが生まれてくるのだ。それは、天才の発想と言うより、私的生活をなげうち、睡眠時間も削って敵軍のプレーを分析し、自軍の戦力を把握して、初めて発想できることである。その発想を実行に移すための鍛錬をチームを挙げて重ねたからこそ、成功し、得点に結びつけることができたのである。
 その意味で、神戸大戦のファーストプレーを成功させたことは、チームにとっても重要だったろうが、僕にとっても特別の感慨をもたらせるものだった。
 もう決して、表面に表れた部分だけで、チームの事をあれこれ言うことはするまい。これまでも、そういうことのないように心掛けてきたつもりだが、あのプレーの陰にある「99%の汗」と「1%の霊感」の一端を知った以上、この駄文を書くのにも、プロの物書きとしての誇りと使命感をもって当たらなければならないと決意した次第である。
posted by コラム「スタンドから」 at 13:02| Comment(0) | in 2007 Season

2007年10月10日

(25)チャンスは3度

 思わぬアクシデントで、車のドアミラーが壊れてしまった。すぐに修理に出そうとしたが、そこは和歌山の田舎暮らし。まずは修理のできる自動車屋さんを探さなければならないし、並行して新しい部品も調達する必要がある。その間も車は必要なので、ガムテープを巻き付けて応急処置をしている。友人の口利きで購入したオシャレな車なのに、めちゃくちゃカッコ悪い。
 この事故で、初めて車を運転したころの事を思い出した。ハンドル操作はそれほどでもなかったが、難しいことはいっぱいあった。クラッチ操作から坂路発進、バックでの車庫入れ……。路上教習に出れば、スピードが出過ぎだと叱られるし、左右の安全確認にも手間取った。これで運転免許が取れるのか、と自信を失いそうになったこともあるし、威張りまくっている指導員に頭ごなしに怒鳴られて、ブチ切れそうになった事もある。
 けれども、いまになってみれば、車の運転なんて、高下駄を履いて街頭を歩くより簡単なことだ。
 自転車に乗るのも同じ事。僕の子どものころは、子ども用自転車なんて出回っていなかったから、父親の乗っているいかつい「実用自転車」で練習をしたのだが、簡単には乗り回せない。後ろから荷台を支えて一緒に走ってもらい、何度も練習して、ある日突然乗れるようになった。どういうきっかけだったか、まるで覚えていないが、一度乗れるようになると、まだペダルに足がろくすっぽ届かないのに、毎日のように乗り回していた。
 泳ぎを覚えたのも、似たような経過をたどった。三田の田舎育ちだから、プールや水泳教室なんてしゃれたものはない。近くの川やため池で子ども同士、バチャバチャやっていたのだが、最初はどうしても息継ぎができない。それが何かの拍子にできるようになると、10メートルぐらいは簡単に泳げる。10メートル泳げると50メートル泳げるようになるのは時間の問題。気がつけば100メートルでも200メートルでも、平気で泳げるようになっていた。
 アメフットでも、同じような事があるのではないか。どうしても体の芯で当たれない。足は速いのだが、相手を吹っ飛ばすタックルができない。ボールがスナップされた瞬間に素早くスタートが切れない。何年練習しても、そういう技術を身につけることができず、悩んでいる選手が少なくないのではないか。
 一度コツをつかめば、車を運転したり、自転車に乗ったりするのと同様、ごくごく簡単なことでも、そのコツをつかめない選手にとっては、コーチや先輩に教えられるすべての事が難しく感じられるだろう。
 水泳における息継ぎのような簡単なことでも、それができない人に、言葉で教えるのは難しい。「一度おぼれてみろ」と、背の立たない場所で突き放せば簡単かもしれないが、逆に水を怖がって、水泳から遠ざかってしまうかもしれない。
 ディフェンスラインを指導している森コーチが先日、選手の体の使い方について、こんな話をしていた。
 「とにかく目の前の相手に当たろうと、頭から突っ込んでいく子が多いけど、それでは相手に響くタックルはできない。」
 「まずは自分の体の芯を意識するように。人間の筋肉の中で一番強力な太股の筋肉を意識し、腰を意識し、足と腰で当たることを意識して取り組んでほしい。」
 「ちょっとしたコツ、ちょっとしたきっかけをつかめば、強く当たれるようになれる。けれども、そのちょっとしたことを教えるのが難しい。結局は練習や試合を重ねて、自分の体で覚えてもらうしかないんですけど、教える側の僕らにも工夫が必要です。」
 別の日。鳥内監督も、タックルのできる選手とできない選手のことを、自転車に乗ることに例えてこんな風に話していた。
 「自転車に乗るのと同じで、一度覚えてしまえば、タックルなんて簡単なこと。その簡単なことをどうして身につけるか。結局は本気で練習に取り組み、真剣に試合に臨むしかない。どんな場面でも手を抜かず、本気で取り組んでいたら、知らないうちに体が反応してくれるようになりますよ。」
 ふたりとも、言葉は違っても「高い意識を持って練習に取り組め。本気で試合に臨め。道はそこから開ける」という意味の事を言っている。その通りだと思う。
 今季、立命戦までに、ファイターズに残されているのは3試合。今週末の神戸大、次の関西大、その次の京都大との戦いである。それぞれに、ファイターズが相手だと、その年のチーム事情に関係なく、特別の気持ちでぶつかってくる難敵である。相手にとって不足はない。そういう難敵と本気で戦う中から、一流選手になるために不可欠な「ちょっとしたコツ」を身につけてほしい。チャンスは3度ある。そして、3度しかない。
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2007年10月03日

(24)薄い氷の上

 リーグ戦3戦目、同志社との試合は「強いファイターズ」と「弱いファイターズ」を同時に見ることができた。
 関学のキックで始まった前半は、強いファイターズ。同志社最初のランプレーに、守備陣が鋭く突っ込んでファンブルを誘発し、そのボールを1年生DE村上が素早くカバーして、いきなりターンオーバー。ゴール前17ヤードで手にした攻撃権をわずか4プレーでTDに結びつけた。
 続く同志社の攻撃も、DL早川のQBサックなどで難なく押さえ込み、自陣48ヤードから再びファイターズの攻撃。RB横山や稲毛のランに、WR秋山へのパスなどを織り交ぜる多彩な攻撃で3度ダウンを更新し、最後は稲毛が13ヤードを走り込んでTD。K大西のキックも決まって14−0とリードを広げる。
 第2Qに入ってもファイターズの勢いは止まらない。自陣5ヤードからという厳しい位置からの攻撃だったが、最初のプレーでRB平田が11ヤードを走ってダウン更新。ここから稲毛のラン、三原からTE水原へのパスなどで着実に陣地を進め、最後は平田が6ヤードを走り切ってTD。パスとランを交互に織り交ぜ、ゲームを支配する三原の冷静なプレー判断がさえる。
 同志社もRB太刀掛の切れのよいランを中心に反撃を試みるが、それ以上にLB佐藤、DB徳井を中心にしたファイターズ守備陣の反応が早い。ダウンは更新されても、ロングゲインは許さない。守備陣が安定しているから攻撃にもリズムが出てくる。
 次のファイターズの攻撃がその典型。反則で5ヤード下げられ、自陣45ヤードから始まった攻撃だったが、ここで三原から秋山への長いパスがヒット。ボールを確保した秋山は相手DBを置き去りにして一気にゴールまで走り切った。55ヤードのTDパス。長身で加速力のある秋山の特長を100%生かした美しいプレーだった。
 これで流れは完全にファイターズに傾く。勢いづいた守備陣は、次の同志社の攻撃シリーズを完封。「3球三振」で、相手攻撃をパントに追いやる。
 当然、攻撃陣も勢いづく。相手陣39ヤードという絶好のポジションから始まった次のシリーズでも、三原からWR榊原へのあわやTDかと思わせるパスなどで一気にゴール前に迫り、最後は稲毛が走り込んで5本目のTD。35−0で前半を終えた。
 気がつけば、前半の攻撃シリーズでファイターズがパントを蹴る場面は一度もなし。すべての攻撃をTDで完結させた。短いパスと長いパス、フェイクを巧みに盛り込んだランと、多彩な攻めを繰り広げる三原の安定感が傑出している。それを支える攻撃ラインも、先日の近大戦とは違って、簡単には相手守備陣を寄せ付けない踏ん張りを見せた。
 守備陣も早川、国方を柱にした1列目、佐藤や古下の2列目、そして徳井や深川の3列目が有効に機能し、相手に一度もロングゲインを許さなかった。攻守とも、前半は強いファイターズだった。
 ところが、後半になると事情は一変する。攻守ともに少しずつメンバーを入れ替えたのが影響したのか、交代のたびに動きがギクシャクしてくる。前半、面白いほど決まっていたパスが通らず、苦し紛れのランも相手の早いつぶしにあって抑え込まれる。結局、得点は3Q2分49秒に大西のフィールドゴールで挙げた3点のみ。
 攻撃が振るわないと、守備にも影響する。相手の攻撃はラン一辺倒なのに、それが止まらない。ずるずると進まれて、何度もダウンを更新される。それでも要所要所でDB陣のタックルが決まっていたから、なんとか得点は防げたが、攻撃と守備が互いにリズムを崩しあうという悪循環に陥ってしまった。
 2戦目の近大戦の後半と同様「弱いファイターズ」が顔を出したのである。最善のメンバーで臨んだときには力を発揮するのに、攻守ともわずか数人の選手を交代させただけで、戦力が一気にダウンする。まるで薄い氷の上を歩いているようなチームである。その原因はどこにあるのか。
 言うまでもなく、アメフットは控え選手も含めて、全員で戦うスポーツである。選手が何人交代しようとも、グラウンドに出ている限りは先発メンバーと同じように力を発揮してもらいたい。さもなければ、立命には勝てないだろう。薄い氷の上では危ないのである。
 まずは、現状、控えに甘んじている選手たちに奮起を促したい。交代する機会が巡ってきたら、そのチャンスを必ずつかむという気構えを持って試合に臨んでほしい。そのためには練習の時からいつも試合を意識し、立命と戦っているイメージで取り組んでほしい。あの平郡君は、最後の夏合宿で、いつも相手QBの名前を叫びながら、稲妻のようなタックルを繰り返していたと聞いている。
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2007年09月22日

(23)朝鍛夕錬ということ

 リーグ2戦目の近大戦を観戦したファイターズファンの背筋には、冷たいモノが流れたのではなかろうか。
 立ち上がり早々から、何度も相手ディフェンスに割られるオフェンスライン。逆に、ファイターズのディフェンスは、ランプレー一辺倒で攻め込んでくる相手の攻撃がなかなか止められない。試合は48−21とダブルスコアで勝ったが、内容的には、どうひいき目に見ても押しまくられていた。エースQB三原からWR榊原とWR秋山に決めた(彼らをはじめとするレシーバーとQBのレベルは本当に高い。どれだけ褒めても褒め足りないほどだ)目の覚めるようなタッチダウン・パスがなかったら、勝敗すら動いていたかもしれないような厳しい試合だった。
 立命は同じ近大と初戦に当たって、零封している。ファイターズの苦戦を目の当たりにしたファンはみな「これで『立命に勝って甲子園ボウル』なんていうのはおこがましい」と思ったのではないだろうか。
 もちろん、観客席がとやかく言う前に、ベンチ自身がファイターズの課題を把握し、対策を立てているに違いない。最終戦で「立命に勝つ」という行程表から逆算し「試合を通じて選手を育てる」チーム作りに励んでいるからこそ、こういう苦しい戦いになったともいえよう。試合のなかで新しい戦力を試し、これからのチームを支える人材を育成しようとしていることも、よく分かった。いつものように、後半、リードしてからといわず、前半から次々に1、2年生を投入した選手の起用に、その意向は表れていた。
 実際、この試合に起用された新しいメンバーたちの多くは、期待に応えるプレーを見せてくれた。1年生に限っても、DL平澤(高等部)と村上(関西大倉)、DBの吉井駿哉(高等部)と善元(箕面)らは先発メンバーにもひけを取らない活躍だった。初戦でいきなり2本のロングパスをキャッチ、ともに独走でタッチダウンに結びつけたWR松原(箕面自由)も、同じ高校から来たRB久司も、元気よくフィールドを駆け回った。それぞれが「ファイターズの明日」につながる素晴らしい素材である。
 2年生だって負けてはいない。フットボールセンスの固まりのようなRB河原やLB古下の目を見張るようなプレーがあったし、普段は控えのQBに甘んじている浅海も、キッキングチームの機敏なホールダーとして、ピンチをチャンスに変えてくれた。
 けれども、トータルしてみると「前途多難」というしかなかった。原因はどこにあったのか。
 もちろん、試合は相手があってのこと。近大には素晴らしい選手が何人もいた。スタンドから見ていても、DL平原、LB高山、RB山上らの動きは迫力たっぷり。敵ながら、見ていてほれぼれする動きだった。それぞれが関西を代表する選手だろう。彼らを止められなかったというのは、ある意味では「仕方のない」ことかもしれない。
 でも、立命には彼らと同等、いやそれ以上の才能を持った選手が攻守ともずらりと並んでいるのである。選手の層も厚い。一人や二人がけがをしたくらいで、戦力がダウンするほどヤワなチームではない。
 そんなチームを相手にして「仕方がない」といっているようでは、始まる前から試合は終わっている。
 ならばどうするのか。
 特効薬はない。結局は個人として、チームとして鍛錬するしかないと、僕は思う。「他人事」ではなく、「我が事」と思い定めて、ファイターズに所属するすべての選手が朝な夕なに心身を鍛えることだ。練習のための練習、自己満足の練習なんて、まったくいらない。試合に勝つための練習、ファイターズの使命を果たすための練習、チームに貢献できる練習を意識して、毎日、取り組むしかないのである。
 宮本武蔵は、その著『五輪書』のなかで「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。よくよく吟味有るべきもの也」といっている。朝鍛夕錬という言葉も再三にわたって使っている。生涯に62度の戦いをし、そのすべてに勝った武芸者は、武芸を志す者一人一人に、それだけの事を要求しているのである。
 「よくよく吟味有るべし」である。
posted by コラム「スタンドから」 at 11:59| Comment(3) | in 2007 Season

2007年09月15日

(22)「チキン宰相」

 安倍首相が突然、政権を投げ出した。どうしていま、このタイミングで辞める決断をされたのか、何が引き金になったのか。本当の理由は、当事者以外には分からないだろう。あえて知りたいとも思わない。さきの参議院選挙で、自民党が歴史的な大敗を喫したことで、市民の審判はとっくに下っていたから、正直いって「ようやくですか」というのが僕の感想である。
 けれども、政治の世界は大騒ぎだ。新聞やテレビも連日、盆と正月が一緒に来たような調子で、このニュースを取り上げている。
 そんな中で、14日付けの朝日新聞が伝える海外メディアの報道ぶりが興味深かった。未読の方のために、ざっと紹介しよう。
・安倍首相が参院選で惨敗して以来「生けるしかばね」だったと酷評(ワシントン・ポスト)
・「闘う政治家」と自らを表現したが、「明らかに闘う度胸を持っていなかった」と戦意喪失の様を紹介(ニューヨーク・タイムズ)
・東京在住の外資系ヘッジファンド社長の「武士道ではない、臆病者(チキン)だ」との談話を使い、参院選直後に辞めるべきだったと指摘(英フィナンシャル・タイムズ)
・「政権は風に揺れる竹のようにいつも外因になびいていた」(ドイツの経済紙ハンデルスブラット)
 ざっとこんな調子である。ほかにも「日本流のハラキリ」(アルゼンチンのニュースサイト、ウルヘンテ24)「翼が短かったタカ」(英BBCのスペイン語版サイト)などという刺激的な言葉が並んでいる。
 自国の首相が、こんな風にいわれているのを「興味深かった」というと、不愉快に思われる方がおられるかもしれない。けれども、海外のメディアが失脚した宰相のことを「臆病者(チキン)」とか「闘う度胸を持っていなかった」と表現したことに、僕は物書きの端くれとして、またスポーツ愛好家の一人として、興味を持ったのである。
 彼らは、本来は参院選で惨敗した直後に、責任をとって辞めるべきだったのに、その決断ができなかった宰相を「臆病者(チキン)」と呼び、突然、政権を投げ出したことを「闘う度胸を持っていなかった」と表現した。つまり、戦いの場にあって、決断できなかった宰相を侮蔑し、自らの責任を放棄して敵前逃亡したことをののしったのである。
 気持ちは分かる。
 戦いの場にあって勇気を失うこと、臆することは、卑怯な振る舞いである。自らの責任に背を向け、逃亡するのは、仲間に対する裏切りである。アメリカンフットボールという疑似の戦場で、僕たちはそのことを、試合のたびに思い知らされる。
 逆に、いかに劣勢に立たされた局面にあっても、たった一人のプレーヤーの勇気ある行動がチームを立て直し、士気を奮い立たせ、勝利につなげることも少なくない。どんなに地味な仕事であっても、じっとその責任を全うする存在があって初めて、チームが円滑に運営されることも、僕たちは知っている。
 例えばRBである。オフェンスラインが確保してくれた走路を走るだけならたやすい。問題は、走路がことごとく塞がれた局面でどう振る舞うかである。走路が塞がれているから走れないと言い訳するようではチキンと呼ばれても仕方がない。逆に、たとえ一人でも相手守備陣をかわし、たとえ1ヤードでも、自らの力で走路を切り開けば、それは仲間に大きな自信をもたらすはずだ。
 DBが相手のパスを警戒して、ひたすら後方に下がっているだけなら、相手は好き放題に攻め込んでくる。チキン相手の闘いなら、ランもパスもねらい通りに通るに違いない。逆に、リスクを承知で相手ランナーに襲いかかる勇気があり、とっさの決断ができるプレーヤーなら、確実に攻撃の芽を摘むことができる。味方の士気も上がる。
 そういう勇気と決断力のあるプレーヤーと、どんな場面にあっても自らの責任をひたすら果たすことのできる選手。双方が互いに尊敬しあい、力を合わせることで、勝利への道が開けるのである。
 「チキン宰相」の記事を読みながら、政治の世界はともかく、せめてファイターズだけは、チキンでなく、ファイターの集団であってほしいと思った。
posted by コラム「スタンドから」 at 00:36| Comment(0) | in 2007 Season

2007年09月06日

(21)ブルーな毎日

 日曜日以来、ずっと落ち込んでいる。ブログを書かなければとは思うのだが、なかなか書けない。せっかくシーズンが開幕したというのに、気分はブルーである。
 理由は、はっきりしている。シーズンの初戦で主力選手がバタバタと倒れてしまったからである。1年、人によっては2年がかりのリハビリ生活に耐え、やっと試合に出るところまで漕ぎ着けたのに、再び故障。試合が始まってすぐ、まだ汗をかくところまでもいかないうちに相次いだ出来事だった。
 故障し、担架で運ばれたのはチームのリーダーばかり。さあやるぞ、と決意も新たにシーズンに臨んだのに、その初っぱなの戦いで負傷してしまった選手たちの心中を思うと、かける言葉もない。
 もちろん、悪いことばかりではない。QB三原を中心にしたパス攻撃は成功率100%。4年生WR陣の充実とあいまって「すごい!」としかいいようがないできだった。スーパーサブのQB加納も、ほかのチームなら堂々のエースQBとして働けるパフォーマンスを見せてくれた。
 それだけではない。期待の新人WR松原は、登場してすぐに2本続けてTDパスをキャッチした。2本とも相手DBを完全に置き去りにした独走TD。本番に強い、というスターに不可欠の資質を見せてくれた。
 守備も格段に成長し、安定感を見せつけた。早川、國方を中心としたDL陣は素早い出足でQBサックを連発したし、LB佐藤が率いる2列目、3列目の守りも完璧といってよかった。吉井兄弟や善元、桜間など1年生も次々に登場し、非凡な所を見せてくれた。
 これで落ち込むなんて、贅沢を言うにもほどがある、としかられそうだ。
 けれども、そんな素晴らしいパフォーマンスが相次いだ初戦も、けが人の方が気になって、全然喜べなかった。次からの戦いに思いを馳せると、悲観材料ばかりが胸を横切り、とてもブログを書くどころではなかった。
 いまも気持ちはブルーである。けれども「ピンチはチャンス」と呪文のように繰り返し、なんとかそんな気分に折り合いをつけて、パソコンに向かっている。
 そう、ピンチはチャンスである。
 スタメンに名前を連ねる選手が負傷したということは、彼らに代わって出場機会を得られる選手にとっては、願ってもないチャンスである。主軸選手が治療に専念している間に、スタメンを奪いとる機会が転がり込んできたのだから、それを確保してしまえばいいのである。練習のための練習ではなく、試合に出るための練習、試合で活躍するための練習を心掛け、自らの力を養えばいいのである。
 幸いファイターズには、豊かな資質を持っている選手が少なくない。まだ体力的に無理だからとか、経験が浅いからとかいうことで、2枚目以下の立場におかれていた有望な選手が何人もいる。選手層の厚いパートにいるため、出場機会が得られず、才能を開花させる機会に恵まれなかった選手もいる。
 そういう選手をどんどん登用し、チャンスを与えればよい。「家貧しくして孝子出ず」という言葉もあるではないか。ふだん、試合に出る機会のない選手が、チャンスを与えられて、思わぬ活躍をするということだって、十分に考えられる。
 主力選手のけがというピンチは、才能を発掘するチャンスであるという発想で、チームを挙げて発奮してもらいたい。
 幸い、シーズンは始まったばかりである。立命戦まではまだ時間がある。これもある意味では幸運である。いまからでも遅くはない。チームに埋もれている才能豊かな選手を発掘し、チャンスを与え、存分に鍛えようではないか。
 僕は、けがをした主力選手の1日も早い回復を心待ちにするとともに、新たに起用する選手たちの成長を祈ることで、なんとかブルーな気持ちに折り合いを付けようとしているのである。
posted by コラム「スタンドから」 at 19:31| Comment(4) | in 2007 Season

2007年08月31日

(20)「陰のキャプテンたち」

 縁があって、この夏は高校野球関係者とも、親しくおつきあいをした。知っているようで、以外に知らない世界だから、そこでナマの情報に接して、何かと勉強になることが多かった。
 とりわけ印象に残っている場面が一つある。アメフットの世界にも通じる話だと思うので、ご紹介したい。
 8月23日朝。甲子園球場で前日、全国高校野球選手権大会の決勝を戦った佐賀北高校と広陵高校の選手たちが、大会を主催した朝日新聞社に優勝と準優勝の報告に訪れた。彼らを出迎える側の一員として、僕もその席に居合わせたのだが、そこでなかなか興味深いことを発見した。
 まず最初に訪れたのが、優勝した佐賀北高校の選手たち。優勝旗を先頭に優勝メダルをかけて意気揚々と会場を訪れ、席に着いた。朝日新聞社社長、日本高野連会長からお祝いの言葉を受けた後、監督が選手一人一人を紹介し、それぞれの選手が一言ずつ、簡単に優勝の感想を述べた。
 時間にしてほんの30分余り。出されたジュースを飲む間もないくらいのあわただしい報告会だったが、それでも、言葉の端々からチームの雰囲気が伝わってきた。監督が選手全員の個性を把握し、チーム全員を掌握していることも分かったし、記録員として甲子園のベンチに入っていたマネジャーが、誰よりもしっかりした発言ができることも知った。
 つぎに訪れた準優勝の広陵高校。こちらは、9分9厘手中に収めていた優勝を、一瞬のうちに逃がしてしまった悔しさがありあり。一夜明けても、監督や選手の言葉やちょっとしたしぐさにそれが表れた。
 そんな中、一番しっかりと自分の言葉で語ったのが、記録員としてベンチに入っていたマネジャーだった。監督自身が彼のことを「陰のキャプテン」「陰の監督」と紹介し、選手も全員がそれに同意していた。実際、甲子園で監督が体調を崩し、思うように指揮が執れなかったときも、彼がチームを掌握し、統率者の役割を果たしたそうだ。
 監督はこんなこともいっていた。
 「今年のチームは、選手が自主的に方針や作戦を立て、練習や試合に臨んだ。僕はそれを追認してきただけ。だから、甲子園で僕が倒れても、大きな支障はなかった。選手に自主性があったからです」
 「でも、来年、同じようにやれるかと言われると、できないでしょう。だって、このマネジャーは卒業してしまいますから」
 つまり、言葉は違うけれども、この夏の甲子園で決勝を戦った二つのチームの双方がともに、自分たちのチームのマネジャーの素晴らしさ、統率力をたたえ、彼らなくして、決勝の舞台には上れなかった、といっていたのである。甲子園のグラウンドに立って好投した投手や逆転満塁本塁打を打った選手に対する以上の信頼を、ずっとベンチに座っている記録員(マネジャー)に寄せていたのである。
 僕の周囲の古いファイターズファンも、常々「マネジャーがしっかりしている年のファイターズは強い」と言い続けている。この言葉も同じ文脈で理解すればいいのだろう。
 実際、甲子園の大会でベンチに入れる選手は18人。それに対して、記録員は1人である。少々乱暴に言えば、選手として甲子園のベンチに入れるのは佐賀北高校野球部58人中18人。広陵野球部94人中18人。けれども記録員はそれぞれ58分の1、94分の1の確率である。はるかに難関であり、だからこそ、チームで一番信頼されている部員が記録員(マネジャー)として選出された、という見方もできる。
 そこまで仲間に信頼されている「裏方」がいれば、チームはスムーズに運営できるに違いない。広陵の監督がいうように「あいつがいれば、僕はいなくてもいいんです」である。
 もちろん、ことは一人の記録員に限らない。この話の眼目は、グラウンドで戦う選手以外にも、チームのために汗をかく裏方が必要であり、そういう役割を完全に果たしてくれる裏方がいれば、選手は安心して戦える、試合にも勝てる、ということである。ファイターズで言えば、マネジャーやトレーナー、分析スタッフ、さらには5年生コーチや練習台になっている選手たちがそうだろう。試合には出ていなくても、練習計画を立てたり、新入生を指導したりしている4年生も、忘れてはならない。
 そういう、外部からはなかなかうかがい知れない役割を、それぞれの部員がしっかりと果たすことが、栄光への道を切り開くのだ。ファイターズにとっても、大いに参考になる話ではないか。
 いよいよ2日から秋のリーグ戦が開幕する。「陰のキャプテンたち」を含めて、ファイターズの諸君が心おきなく戦ってくれることを祈っている。
posted by コラム「スタンドから」 at 00:28| Comment(0) | in 2007 Season

2007年08月27日

(19)君は川流を汲め……

 炎暑、猛暑、酷暑……という言葉を全部まとめて進呈したいような今年の夏。還暦を過ぎた僕には、耐え難い暑さだったけれども、ファイターズの諸君にとっては、鍛える夏。鉢伏山での1次合宿、上ケ原での2次合宿と、暑さを吹っ飛ばして鍛錬を続け、秋に備えていることと思う。
 この時季はまた、来春、ファイターズを目指す高校生にとっても、鍛える夏である。しっかり勉強して、まずは合格を勝ち取らなければならない。とりわけ、スポーツ推薦で試験を受ける生徒にとっては、試験日が目の前に迫っている。夏の合宿、秋のシーズンに備えた練習の合間を縫って、勉強にも取り組まなければならない。
 ご承知の通り、関西学院大学のスポーツ推薦制度は、あくまで入試である。しっかり小論文を書き、面接試験を受けて合格しなければならない。いま話題になっている多くの私立高校のスポーツ特待生や一部の大学のスポーツ推薦とは違って、当該のクラブや監督が推薦すれば、それで合格が決まるというような仕組みにはなっていない。当然、小論文が書けなければならないし、面接試験でもしっかり自分をアピールし、担当の先生とコミュニケーションがとれなければならない。
 そのためには、準備がいる。たとえ短期間でも、小論文を書く勉強をしておけば自信がつくし、時事問題に関心を高めておけば、ゆとりを持って試験を受けられるだろう。そのためには、まず鍛錬である。
 そのように考えて、ファイターズは毎年、この時期にスポーツ推薦入試に挑む高校生を集めて小論文の勉強会をしている。その講師を僕が担当しているのである。
 それが面白い。通っている高校も住まいも異なるメンバーだから、最初のうちは互いに緊張しているけれども、何度か勉強会を重ね、一緒に食事をしているうちに打ち解け、同じチームのメンバーのように、にぎやかに盛り上がる。勉強会がチームのミーティングのような雰囲気になってくる。
 そういうメンバーを見ていると、中学3年の時、小柄でしわくちゃな顔をした、ちょっと近寄りがたい雰囲気を持った漢文の先生に習った漢詩が思い浮かぶ。19世紀の初頭、いまの大分県日田市で塾を開いていた漢学者、広瀬淡窓の「休道詩」である。

 休道他郷多苦辛 同胞有友自相親
 柴扉暁出霜雪如 君汲川流我拾薪

 どこかで聞いた覚えのある詩だ、という人も多いだろうが、読み下せば、「道(い)うことを休(や)めよ他郷苦辛(くしん)多しと。同胞友有り自ずから相親しむ。柴扉(さいひ)暁(あかつき)に出(い)ずれば、霜雪の如し。君は川流(せんりゅう)を汲め、我は薪(たきぎ)を拾わん。」となる。諸国から勉学に集まった青年たちの、家郷を遠く離れた寂しさと、お互い同士、慰め合い、励まし合い、助け合って生活していく状況を詠み込んだ詩である。
 昼間、それぞれの高校で練習が終わった後、夜間、西宮に集まり、そこで慣れない小論文に取り組み、先生(僕のことです)に気合を入れられながら、それでも仲間同士励まし合って、1日もサボらず、勉強に励む。そういう勉強を続けて入試にチャレンジし、そして合格する。
 大学も高校も勉強する場所である。たとえスポーツ推薦といえども、しっかり勉強し、しっかり試験を受けてもらいたい。優れた競技能力があるというだけで進学が保証されるのではなく、きちんと努力をして関門をくぐり抜けることが、本人にとって人生の重要な節目となるのだ。そうしてこそ、一般入試を受けて進学してきた級友たちと、対等な学校生活が送れるし、実りある学校生活につながるはずだ。
 僕はそう信じて、アメフットは大好きだが、小論文は不得手であるという高校生に、懸命に文章の書き方を教えているのである。それに汗を流して食いついてくる高校生が可愛くてならない。
posted by コラム「スタンドから」 at 20:41| Comment(1) | in 2007 Season

2007年08月17日

(18)「本気」が試される

 ファイターズの夏合宿を見学に、鉢伏高原まで行ってきた。盆の帰省客の交通渋滞に巻き込まれないようにと、朝6時に西宮の自宅を出発、午前の練習から夕方の練習まで、たっぷりと見学させていただいて、深夜に帰宅。その後、和歌山県田辺市の勤務地まで直行する強行軍である。本当は泊まりがけで出掛けたいところだが、この夏は事情があって、夏休みはすべて高校野球のために振り向け、時間の許す限り甲子園球場に詰めなければならないので、ファイターズのためにさける時間は限られているのである。
 そんなタイトな日程を縫っての鉢伏行きだったが、選手たちが元気に練習している姿を見て、大いに元気をもらった。合宿を訪ねて、選手を激励されている古いOBや、練習の相手をしている若いOBらとも、いろいろ話をする機会があって、楽しく充実した時間を過ごすことができた。
 選手たちは、午前と夕方の2回に分けて練習しているが、1回あたりの時間は、普段の練習とそんなに違いはない。昼休みにパートごとにビデオを見てミーティングをしたり、練習メニューを工夫したりはしているが、見た目には普段、上ケ原のグラウンドでやっている内容と、大きな差はない。
 それでも、何かが違う。
 まず、練習に対する部員やスタッフの「一生懸命度」が違う。もちろん、普段の練習だって手を抜いてはいないと思うが、鉢伏ではすべての動きが違う。例えば、マネジャーがグラウンドを移動するときはすべて駆け足。それも全力疾走に近い。今春入部したばかりの新人マネジャーまでがグラウンド内を全力で走る姿を見て、なるほどこれが合宿かと納得した次第である。
 コーチのみなさんの動きも、普段とは全然違う。自分で動き、見本を見せながらプレーを解説している姿は、上ケ原でもよく見かけるけれども、合宿ではその動き方に特段の迫力があるのである。例えば、森コーチが腕でダミーをかちあげたときの音は、現役のスタメンDLよりすごかったといえば、その迫力のほどが分かってもらえるだろう。なんせ、まだ新しいダミーの中の詰め物が、衝撃で飛び出すほどの迫力だった。
 選手はどうか。秋のシーズンを間近に控えている時期でもあり、個々の名前を挙げて具体的なことを書くのは遠慮するが、一口でいうと「みんな元気でやっていました」というところだろう。
 しかし、そうはいっても、もの足りないところもあった。これは、同じチームで練習していることによる限界かもしれないが、選手同士が本気でぶつかり合う場面が意外に少ないのである。個々の選手同士もそうだし、攻撃側と守備側のバトルについても、それはいえる。100%の力でぶつかり合って、けがをされたら大変ということで、早めに笛を吹いてプレーを中断させるせいか、最後のせめぎ合いの場面で、個々の選手がどれだけがんばれるのかという部分が、外から見ていると、なかなか見えてこないのである。
 もちろん、練習で選手を壊してしまうようではしゃれにならない。けれども、選手層の厚い立命や法政なら、もっと激しくぶつかり合い、そのぎりぎりのところで、個々の力を伸ばす練習をしているのではないかと想像すると、つい、これで大丈夫だろうか、と心配してしまうのである。
 単にぶつかりあえば、練習の密度が上がったというような、短絡的な見方はしたくない。一日練習を見学したくらいであれこれ言うのもはばかられる。けれども、試合で試されるのは、選手の「本気度」である。当然、日ごろの練習から、選手の「本気度」を上げていかなければならない。まとまった時間、チームが一緒に行動できる夏合宿ともなれば、なおさらである。
 そういう意味では、これから秋のシーズン、そして立命戦を見据えると、チーム全員の「本気度」を上げる取り組みこそ、力を入れなければならないことだろう。
 もちろん、現状でも「本気度100%」の選手は少なからずいる。しかし、それが全員だとは言い切れないのがつらいところだ。正直に言って、ファイターズに所属さえしていれば、栄冠がつかめると勘違いしている選手が一人もいないと断言できる状態には、まだ遠いように思う。
 今年入部したばかりの新人マネジャーが全力でグラウンドを走り回っているのである。40歳を過ぎたコーチたちが体を張って、お手本を見せているのである。実際にグラウンドで戦う選手諸君も全員、「本気度100%」の存在になってほしいと思いながら、鉢伏を後にした。
posted by コラム「スタンドから」 at 20:03| Comment(0) | in 2007 Season

2007年08月07日

(17)フェアということ

 先日、敬愛するスポーツノンフィクション作家、佐山和夫さんから、フェアプレーをテーマにしたお話を伺う機会があった。スポーツの背骨ともいえるお話だったので、この場を借りてご紹介したい。
 例えば、イギリスの紳士階級から発達したハンティングでは、鳥が木を飛び立って初めて撃つことが許される。木に止まった標的を撃つのは卑怯な振る舞いであり、対等な条件で戦ってこそ妙味があるという考え方に基づくものという。
 こういうイギリス流フェアプレーの精神がアメリカに渡って野球に受け継がれ、それが野球とともに日本に伝えられた。例えば、1875(明治8)年、イギリスから東京英語学校の教師として着任したフレデリック・ストレンジは、彼の教え子たちにスポーツの必要性を説くとともに、フェアなスポーツマンシップの精神についても丁寧に説明している。佐山さんによれば、次のような言葉が、彼の教え子のメモに残されているそうだ。
 「運動は人の獣力のみを練るを目的とはせず、吾人の知恵を磨かんがためなり。運動は手段にして目的にあらず、吾人の体躯を練るは、病を防ぎ、寿を保たんがためのみにあらず、期するところはこれ以上にあり」
 具体的には、
 1)定刻を厳守せよ。
 2)奮闘努力せよ。負けても負け惜しみをいうな。
 3)競技は公明正大にやれ。卑怯なことをするな。
 4)審判に服従せよ。人は神にあらず。ときに判定を誤ることもあるが、異議を唱えず、冷静を保て。
 5)プレーを楽しめ。自分より優れた相手を敵視するのではなく、師とせよ。
 6)賞品は記念品のみにせよ。
 7)倹約はスポーツマンの第一の信条。他人に憐れみを乞うてまでして贅沢をするものではない。
 8)練習は学業の暇にせよ。練習場に立ったときにはさっさと練習をして、終わったら速やかに去れ。克己、節制、制欲、忍耐、勇敢、沈着、敏活にして機知縦横、明快にして気宇壮大、これらの気質特性こそ、天がスポーツマンに与える最高の賞品ではないか。
というような内容である。
 佐山さんと言えば、作家であり、日本の野球発達史研究の第一人者でもある。その関係の著書も多い。とりわけ高校野球の発達史に詳しく、僕は氏の著書を読むたびに、いつも有益な示唆を受けている。今回のフェアプレーについてのお話も、心して聞かせていただいた。
 そして、この基本線さえゆるがせにしなかったら、いま話題の「特待生問題」をはじめとする高校野球界の諸々の問題についても、誤りなく対処できると意を強くした。この話は、実は佐山さんの新刊『日本野球はなぜベースボールを超えたのか−フェアネスと武士道』(彩流社、1800円)という本にも詳しく記述されている。
 そこでは終始、スポーツの意義、フェアな精神について強調。「スポーツの精神は武士道の精神に通じる。いくらスポーツをしても、フェアにやらなければ何にもならない」という、氏のかねてからの考え方が、余すところなく書かれている。
 いま各地の高校に「特待生」という名でアンフェアなことがまかり通っている。勝負の結末のみに心を奪われ、勝つことのみが称賛され、品位や名誉がないがしろにされがちな現実もある。その現実を追認することが「大人の対応」「柔軟な姿勢」と、居丈高に主張するマスコミや評論家も少なくない。
 けれども、佐山さんのお話を聞き、この本を読めば、そんな主張がいかにご都合主義であり、いかに浅薄であるかは、ただちに判断できる。
 話は野球を超えて、スポーツ全般に通じる内容である。高貴なる戦いに価値を置き、品位を重んじたプレーを称賛するファイターズの選手やスタッフにとっても、参考になることが多いはずだ。興味ある方は、是非お読みいただきたい。僕のつたない説明ではこぼれ落ちている部分も含めて、フェアプレーの精神やスポーツマンシップについて、大いに理解が進むと思う。
posted by コラム「スタンドから」 at 06:54| Comment(1) | in 2007 Season