2006年07月12日

(12)イチローの流儀

 メジャーリーグのオールスター戦。われらがイチローは、アメリカンリーグの1番打者として出場した。
 結果は3打席とも凡退。本人が狙っていたという本塁打は出なかった。でも、本人は「このメンバーの中で1番を打つのは格別です」と、無邪気に喜んでいたという。
 舞台は、プロ野球界の頂点に位置するメジャーリーグのオールスター戦。6年連続6度目の選出である。そこで先発の1番で登場し、3打席も打たせてもらえた。メジャーが彼の力を認めているなによりの証拠であろう。
 そこまでの彼の長い道のりを理解する格好の読み物がある。イチローが唯一信頼を寄せ、心を開いている記者という共同通信の小西慶三記者の書いたノンフィクション「イチローの流儀」(新潮社、本体1400円)である。今春、出版されたときに朝日新聞のインターネットサービス「アスパラクラブ」のコラム・スポーツジャーナル(4月26日付)で紹介したが、あらためてファイターズのブログでも取り上げたい。
 この本には、ファイターズの選手にとって、参考になることがいくつも書かれている。その一つが「準備」である。「120%の準備」という章に細かく記されている。
 例えば彼は、いつかアクシデントで眠れない日の来ることを想定して、前夜、わざと眠らないで試合に出たことがあるそうだ。まだメジャーに行くことも決まっていない1998年3月、熊本でのオープン戦である。「普段から意識していないことを突然やれと言われてもできない。だからやってみた」という。
 6年後の8月、ボルチモアで行われたオリオールズとのダブルヘッダー。彼は長時間の移動で体調を崩し、前夜は一睡もせずに試合に出た。結果は第1試合が5打数5安打。夕方からの第2試合は代打で出場してヒット。結局6打数6安打の固め打ちだった。6年前に予行演習をしていたから、一睡も出来ない不測の事態にも平静に対処し、試合で実力を発揮できたのである。
 こういう周到な準備が「イチローの流儀」である。彼は、自分の打撃感覚を確かめるために、日本のオールスター戦で、あえて試合前の打撃練習をせずに試合に出たこともある。メジャー2年目のオープン戦では、故意に2ストライクを取られて打者不利の状況を設定し、自分を試したこともあるそうだ。
 打席での儀式のようなしぐさも準備のひとつだし、試合前のキャッチボールも必ずシーズン前に決めた選手と行う。わずか数分のことだが、そこで肩の開きとか、グラブを出すタイミングとかをチェックし、体がきちんと動いているかどうかを確認するのである。たまたま手の空いた選手を相手にしているようでは、この微妙なチェックが出来ないから、必ず同じ相手と組んでおこなうのだという。
 当然、球場入りの時間は誰よりも早い。公式戦はもちろん、オールスター、オープン戦を含めて、一度もチームの集合時間に遅刻したことはない。「絶対に遅刻しないことが、彼の野球に対する誠意の表れ」(元同僚の長谷川滋利投手)という。
 木製のバットは、湿気によって重くなったり軽くなったりする。その微妙な違いがバットコントロールを狂わせることがある。それをできるだけ防ごうと、彼はバットを特製のジュラルミンケースに入れ、乾燥剤を入れて持ち歩いている。これもまた、周到な準備のひとつである。
 レストランで食事をするときも、注文を取りに来る前に出される水は飲まない。しっかりしたシェフがいないと判断した店では生ものは口にしない。これらもまた、プロの選手として、体調を管理するのが最低の義務と心得ているからこその自己抑制であろう。
 野球をアメフットに置き換えれば、こういう話の一つひとつがファイターズの諸君にとっても、大いに参考になる話だと思う。
 選手たちは、いまから前期試験というもう一つの戦いに入る。その期間が過ぎれば、夏休みの練習、合宿とハードなスケジュールが始まる。そこで秋に向けた準備が個人として、チームとしてどこまで出来るか。世界のイチローをライバルと見立て、厳しく自己管理をして、シーズンに備えてほしい。
 ちなみに「イチローの流儀」を書いた小西記者は、ファイターズのOBである。以前、ファイターズの納会で小野コーチに紹介されて立ち話をしたことがあるが、新聞記者には珍しいほど(?)理知的な人だった。そういう人だから、イチロー選手も全幅の信頼を置いているのだろう。そういう人材を送り出しているファイターズという組織の奥行きの深さとともに、ひとこと紹介しておきたい。
posted by コラム「スタンドから」 at 18:22| Comment(1) | TrackBack(1) | in 2006 Season
この記事へのコメント
すごい事を普通の事のようにやってしまうイチロー。人並みはずれた努力も外に出さない。すごくカッコイイ。何年か前、イチローの親の事をとてもうらやましいと思った事がある。あんなすばらしくたくましい息子を持ち、どんなに誇らしい事か。その後、それの一欠片程の思いかもしれないが感じた。”青の息子”をフィールドで見た時、誇らしくどんなに胸おどった事か。皆卒業していく時、親に感謝の気持ちを涙ながらに話す。感謝したいのはこちらの方である。あの感動は何にもかえがたい。世界のイチローに負けない感動を与えられるファイターズであってほしいと心から願っています。
Posted by ぴーの母 at 2006年07月15日 18:41
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/960559
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック

イチロー高校野球時代(愛工大名電VS中京)
Excerpt: そういえば「イチロー」って愛知出身なんですよね。 あの頃から4番を打ってたんですね。...
Weblog: 都道府県別おもしろ動画
Tracked: 2007-03-26 15:38