最近読んだ村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」(文藝春秋)に、面白い言葉が紹介されていた。
マラソンランナーは、走っているときに、どんなマントラ(呪文)を唱えているか、というインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙の特集記事に掲載されていたあるランナーの言葉である。それは、日本語に訳すと「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」という意味になる。そのランナーは、同じマラソン走者の兄に教わったこの文句を、レース中、ずっと頭の中で反芻(はんすう)していたという。
村上は、この言葉について【例えば、走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかは、あくまで本人の裁量にゆだねられていることである。この言葉は、マラソンという競技の一番大事な部分を簡潔に要約していると思う】と書いている。
ご存じの通り、村上春樹は「ノルウェイの森」などのベストセラーで知られる売れっ子作家であり、日本で一番ノーベル文学賞に近い人といわれている。作家活動のかたわら、この4半世紀、走り続ける事を日課としているランナーでもある。年に1度はフルマラソンを走り、トライアスロンに挑戦する。サロマ湖の100キロレースを11時間42分で完走した記録も持っている。
そういう走る小説家・村上が自分自身について書いたこの本の、いわば急所にあたる言葉が「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(選択事項)」であり、オプショナルとしての苦しみを通して学んだメモワールを綴ったのがこの本である。
これは、このマラソン走者、あるいは作家・村上春樹の人生哲学を象徴する言葉であるだけではなく、ファイターズの諸君にこそ当てはまる言葉ではないか。
日本1の座を目指すチームの活動は厳しい。日々の練習から落後せずに参加するだけでも大変だし、体力づくりや頭脳の鍛錬も求められる。個人的な活動に割ける時間も、思い切り制約される。それらはみな、避けられない「痛み」である。
けれども、それを「苦しい」と思うかどうかは、本人次第。苦しければ苦しいほど、やりがいがあると思える人もいるだろうし、それを乗り越えたときの充足感を想像して、苦しみに耐える人もいるだろう。ただ、負けるのが嫌いだから、苦しくても弱音を吐かずにがんばっている人もいるに違いない。
そういう「苦しみ」を自ら志願し、喜んで求める人がいれば、逆に逃げ出してしまう人もいる。両者の間で、もだえ、悩み、揺れ動いている人もいる。それぞれが人間社会における自然な振る舞いであり、「苦しみは個人の選択事項」といわれる由縁である。
けれども、いまこの時期のファイターズにおいては、すべての部員に「苦しみ」を喜びとして、あるいは「生き甲斐」として、受け止め、対処してもらいたい。
10日は京大戦。そして25日は立命戦。ようやく待ちに待った強敵と戦える日が来た。その戦いのために、長い時間、修練を積んできたのである。
傑出した力を持った相手に、自らの力の限界を試せる幸せ。脳髄を締め上げるようにして絞り出した作戦を晴れて披露できる興奮。縁の下で支えてきたスタッフを含めたチームの結束力の強さを計れる喜び。それらのすべてを力に替えて、全身全霊で戦ってほしいのである。
「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル」。気持ちの持ち方ひとつ、取り組む姿勢ひとつで、すべての景色が変わってくる。諸君の人生のありようまでが変わってくる。
苦しみを力に替え、エネルギーにして、勝利への道を突っ走ってもらいたい。
2007年11月10日
(29)苦しみは選択事項
posted by コラム「スタンドから」 at 02:16| Comment(0)
| in 2007 Season
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