「疾風に勁草(けいそう)を知る」という言葉がある。本当に勁(つよ)い草か、それとも、強そうなのは外見だけで、実は簡単に倒れてしまうような草か、それは台風のような強い風に見舞われたときに初めて分かる、という意味である。
同じような言葉に「磐根錯節(ばんこんさくせつ)利器を分かつ」というのがある。磐(いわ)のようにごつごつした根っこや錯綜した節、つまり、とてもじゃないけど切断できそうにないものに出会って初めて、それを切断できる道具とできない道具の違いが分かる。転じて難局に出会ったときに、その人間の器が見えてくる、という意味に使われる。
順風に恵まれているときは、何をやってもうまくいく。人もちやほやしてくれる。けれども、人生はコインの裏表。順風があれば必ず逆風がある。人間の力では到底打開できそうにない壁にぶつかることもある。
そのようなときに、人はどう振る舞うのか。苦しい時の身の処し方にこそ、その人間の値打ち、本質が見えてくると、僕はつねづね考えている。だからこそ、こうした言葉を身近において自らを戒め、たとえ倒れても、再度立ち上がろうとしてきたのである。
ファイターズもいま、疾風に見舞われている。立命に敗れて「日本1」の文字が一気に遠くなった。チームに吹く風がいきなり逆風に変わった。関西リーグの残り2試合、たとえ勝ち続けても、甲子園ボウルに自力でたどりつくことはできなくなった。
この事態に、どう対処するのか。自分たちの努力の至らなさを嘆くのか。この逆境を招いたのは「監督の責任だ」とか「選手の気合が足りなかったから」と言い募るのか。
立命館との試合が終わった時に目にした、いくつかの光景を振り返りたい。
一つはスタンドでの一部OBたちの見苦しい振る舞いである。第4Q残り1分余りでファイターズが試みたオンサイドキックが立命の選手に確保された途端にどたばたと席を立ち、試合後のエール交換には見向きもせずに帰路についた人のなんと多かったことか。彼らは試合中、途切れることなくファイターズを罵倒していた人たちである。
「監督があほや」「こんな根性の入ってないチームは初めて見た」。試合中からビールを飲み、そういう罵詈雑言を浴びせ続けた人たちにとっては、エールの交換はつまらない儀式であり、敗れた選手をねぎらう必要も感じられなかったのだろう。でも、同じ関西学院に籍を置いた一人として、そのような心にゆとりのない卒業生の見苦しい振る舞いを見せつけられるのは耐え難かった。
二つ目は、試合後のスタンドの後片付けをされていた保護者の一人から、丁寧なご挨拶を頂いたことである。チームが敗れ、甲子園への道が限りなく遠くなったという事態にもかかわらず「4年間、いや高校のときから、息子がお世話になり、本当にありがとうございました」とお礼を言われたのである。その言葉を聞いて、僕は思わず泣きそうになった。
子どもをファイターズに預けた日から4年間、ひたすらその成長に思いをはせ、見守ってこられた親御さんにとって、この日の敗戦がどれほど悔しかったことか。毎週医者に通わなければならないほど体は傷ついているのに、それについては一言も言い訳せず、体を張ってチームを引っ張ってきたその選手の事情を知っているだけに、そんな事情も敗戦の悔しさも押し隠して、きちんと大人の挨拶をされる行き届いた姿に心を揺さぶられた。
三つ目は、もうすっかり日の落ちた正面出口でこの数年の間に卒業したファイターズの若手OBらと交わした会話。それぞれ久しぶりに会ったメンバーばかりで、久闊(きゅうかつ)を叙した後の彼らの言葉が印象深かった。
「池永って、1年生ですって。すごいプレーをしますね。これからが楽しみです」「立命は強かったですね。でも、ディフェンスは踏ん張っていたし、よく戦いましたよ」
異口同音に後輩の健闘をたたえる言葉が続く。立命と骨と骨がぶつかり、身のきしむような戦いをしてきたメンバーだからこそ、その立命の攻撃を必死になって受け止めてきた後輩をねぎらう言葉が出るのだろう。「気合が足りない」などといって後輩の戦いぶりを責めたOBは、僕が話した数人の中には一人もいなかった。
その直後には、顧問の前島先生から「尾崎は無事でした」と声をかけられた。尾崎君はこの日の第1プレー、キックオフされたボールをリターンしようとして、腹部に強烈なタックルを受け、そのまま病院に送られていた。検査の結果、内臓に損傷はなかったそうで、それをトレーナーの鶴谷さんと栗田さんから聞かされた先生が、たまたま顔を会わせた僕にも教えてくださったのだ。いつも、なによりも選手の心身を気遣われている先生からその言葉を聞いて、僕もスーッと気持ちが落ち着いた。そして、尾崎君に付き添って病院まで行ってくれた二人のトレーナーに、思わず頭を下げた。
疾風に勁草を知る。悔しい敗戦ではあったが、そんな中でも、人としてのたたずまいのよい人に次々と出会えたことは、僕にとって心慰められることであった。
2010年11月08日
(28)疾風に勁草を知る
posted by コラム「スタンドから」 at 09:08| Comment(17)
| in 2010 season
甲子園のフィールドはブルーのユニフォームがないと様になりませんね。アップセットにクヨクヨしていても仕方ないので、これからも声援を送ります。腐っても鯛?いいえ、恒久に腐ることのないFIGHTERSです。
心無い野次は残念ながら、私の座ってる席からも耳にしました。悲しくなりました。結果はどうであれ、この日のためにフットボール中心のストイックな生活を送り、鍛錬してきた選手たちを最後まで見届ける礼儀はあってほしいと望みます。
私は卒業生ではありませんが、数十年試合に通い続け、自然に「空の翼」を歌えるようになり、厚かましくも現役学生・卒業生の方に混じり、エール交換の時には斉唱参加しております。学外の者でも惹かれる魅力あるチームであるFIGHTERSをこれからも声援を送り続けます。
時には必要かなって、思うのですが。立命と関大の前の試合で両校に最高のプレーを見せ付けてください。特に4年生はこのメンバーで試合するのは、残り少ないのですから。
伝統やPRIDEに胡坐を掻いて不祥事や法に触れることをすれば忽ち腐臭の漂う団体に堕してしまいます。ゲームではヒヤヒヤさせられることもありますが、その点においては安心して応援出来るFIGHTERSです。また、泥臭さを強調される向きもありますが、出来ればスマートに勝ってほしいというのが本音です。「泥」「臭い」て…既に臭いって言葉が入っているじゃないですか(笑)なるたけ「臭く」なく行って〜みたいな(笑)
ラインのサイズについては悔しいけれど、京大と鎬を削っていた頃からの悩みで、バカでかいサイズの高校生を安定需要でけへんもんかニャ〜と、愚にも着かない考えが頭を過ることもあります。ないものねだりしても仕方ないので、チームの創意工夫に期待する次第です。
※管理人より
一部コメントを削除させていただきました。
もう3年も甲子園ボウルに出れていないチームがあまりにも大上段に構えることはあまり褒められたことではないような気がします。もう少し自らを見つめしっかり足元を固めて出直した方が良いと思います。
因みに関東学生フットボールリーグではKGは少し忘れられつつあります。
全てではないにせよ、ここまでチームの日々をオープンにし、かつファンやそうでない人の意見を載せるHPもそう見当たりません。風通しの良さは心地良いです。残りの同志社戦と関大戦も同じように楽しみたいです。
PS.卑下……「自分」を、人より卑しいとか劣っているとか思っている様子をすること。
オフェンスの手数ではKG優位とみました。また今年のKGチームは、本来のポテンシャルを発揮するに至っていない発展途上とも見てきましたのので、なおさらKG優位とみます。
関東リーグファンさんがおっしゃる通りの苦笑するようなプライドを持ち続ける、KGファンであり続けたいと思っています。(この時期にKGのホームページわざわざやってきて苦笑してくれる関東リーグファンというのもめずらしい方ですね)
甲子園ボウル云々、いわんや法政・早稲田云々を持ち出すなど、いわば筋違い。関東はブロック編成等が原因でライバルリーが存在しないらしいので理解できないのかもわかりませんが・・・。
蛇足ですが、甲子園ボウルに出られていないのは「2年」です。念のため、お間違えなきよう。
昨年誓った全勝対決は残念ながら実現しませんでしたが、お互い全力でぶつかりあう素晴らしいゲームを期待しております。
PS.一つの回に3つもコメントを寄せて申し訳ありません。
ところで3校1敗で並んだらスケジュール大変ですね。プレイオフですか?関西3校+地方1校かな?
PS:卑下 1、自分を劣ったものとしていやしめること 2、いやしめて見下すこと(goo辞書)
昨日の関大VS立命を関大側のスタンドで観戦しましたが、試合前のエール交換の際応援団の学生が「ご起立をお願いしま〜す」と観客席に大きな声をかけていました。そのためほぼ100%の人がエール交換中起立をしていました。KGのスタンドでは起立しない人を多く見かけます。この関大の応援団のかけ声はKGスタンドでもやるべきでしょうね。
いちアメフトファンも居るのでお間違えなく。
いちファンにとって帰る、帰らないかは個人の自由です。(笑)