2006年10月06日

(24)コラムを書くということ

 前回に書いた「審判団への注文」に、いろんな方からご意見をたまわっている。
 代表的なご意見は、コメント欄に寄せられているようなものだが、今日は現役の審判の方からもメールでご意見をいただいた。「ファイターズのOBでもなく、父母でもなく、スタンドからファイターズの試合を観戦している立場からの率直なご注文、ありがとうございました。審判技術の向上は日本のアメフット界にとって、いいグラウンドを確保するのと同様、必要不可欠なことです。もっと『辛口』の注文も歓迎です」という趣旨の、身に余る温かいお言葉だった。
 僕はただ、ファイターズに強くなってほしい、品格のあるチームになってほしいということだけを願って、このコラムを書かせてもらっている。ファイターズのOBでもなく、アメフットの技術的なことには素人同然だが、卒業するときに、このチームでアメフットをやってきてよかったと、すべての部員に思ってもらえるように、そのお手伝いをさせてもらっている。
 その思いが余って言葉が過激になり、時には関係者に不愉快な思いをさせるようなことがあるかもしれない。あるいは、書いているのは僕個人の思いであっても、発表している場がファイターズの公式ホームページだから、巡り巡ってファイターズに迷惑のかかるようなこともあるかもしれない。
 今回の「審判団への注文」もそんな内容を含んでいる。あくまで僕個人の願望として、審判団にこういう風にしてもらいたいな、と書いているのだが、それを公式のホームページで公表してしまえば、それは個人の見解にとどまらず、ファイターズからの審判団への注文と受け止められる可能性がある。そういう危険性をはらんでいる内容だけに、僕としてはいつになく言葉遣いに気をつけて書いたつもりだったが、それでも実際、どんな風に読んでいただけるか、胸の奥ではびくびくしていた。
 そこへ、現役の審判の方からのメールである。一瞬、お叱りの言葉が並んでいるのかとドキッとしたが、僕のいいたいことをきちんと理解して下さっていたので、ホッとした。このコラムにお寄せ下さったいくつかのコメントも、それぞれに「書き手の良識」を感じさせてくれる内容で、いまごろになってホッとしている。
 新聞記者生活も約40年。いい加減長い間、文章を書いて過ごしてきた。いまも書いている。その間、叱られたこともあったし、ごくたまには、褒められたこともある。
 そういう評価は別にして、新聞(ごくまれには週刊朝日やAERAに書いたこともある)に書いている以上、あくまでその記事はその新聞社のモノである。書き手の主観が色濃く出ていたとしても、読者はそれを○○新聞の記事として読んでくれる。
 ところが、ファイターズの「公式ホームページ」に書くとなれば、それを個人の名前で、個人の責任で書いたとしても、内容によっては、累がファイターズに及ぶことを覚悟しなければならない。
 でも、それを深刻に考えていたら、ろくな文章は書けない。だからといって、無味乾燥な「岡目八目」のような論評では、どなたにも読んでいただけない。勢い、過激な筆遣いになってくる。その辺のさじ加減の難しさ。
 それはマネジャーのブログにしても同じである。いや、彼は現役の部員だから、僕以上にそのスタンスの取り方が難しかろう。書きすぎれば叱られるし、しっかり書かないとただのクラブ紹介になってしまう。
 そういう中で、マネジャーも僕も、毎週のようにあれやこれやと書いている。より多くの方にファイターズのことを理解してほしい、という気持ちがあるからである。ファイターズをして、日本1の素晴らしいチームになってもらいたいからである。ついでに、僕らがこんな文章を書いていることで「ファイターズは日本1、ホームページも日本1」という評価が定まれば、それ以上にうれしいことはない。
 僕は褒められるのが大好きな人間である。
posted by コラム「スタンドから」 at 01:47| Comment(2) | TrackBack(0) | in 2006 Season
この記事へのコメント
早速のコラム更新を読ませていただきました。石井さんの「いまごろになってホッとしている。」というところを読んで、私もホッとしました。不必要なコメントを書いたかなと思っていたので。現役の審判からもメールがあったとのこと。今回のコラムがきっかけで審判技術が向上するようになれば、ありがたいことです。石井さんのコラムと主務ブログを含んだ、今年のファイターズの広報活動は、すばらしいと思います。今後も「過激な筆遣い」を期待しています。
Posted by セナサラの父 at 2006年10月10日 12:43
いつも楽しみにコラム読ませて頂いています。
「コラムを書くということ」では、言葉遣いに気をつけて書いたつもりとのことですが、私の印象としては、いつもよりトゲがあると感じました。
まず、導入に過去の極端な思考を持った審判の例を挙げていますが、京大戦での審判との共通点が全くなく、審判の悪いイメージを最初に植え付けようという意図を感じてしまった。
『25秒計がゼロを指しているのに「ディレー・オブ・ゲーム」をとらない』を不公平としていますが、文面から判断すると、これは審判のミスであって、不公平ではないのではありませんか?不公平とは、片方のチームをひいきすることで、審判として、第1にやってはいけないことです。この文は当該審判に失礼なものではないでしょうか?
本題は、審判が判定を変更した(事実未確認)のに、観客への説明がなかったこと関して、結論として、観客にしっかり説明してほしいとしていますが、この様なケースが何回も起こっていますか?通常、レフリーは、変更があったら、再度観客に説明するのがあたりまえで、あれおかしいというケースは、極めて稀ではないでしょうか?審判も人間ですから、忘れることもあるでしょう。このような稀なケースを取り上げて、審判への注文とするより、もっと他に注文することがいっぱいあると思います。
いろいろ、一方的に批判的な意見をしてしまいましたが、審判への注文は、多くのフットボール・ファンが多かれ少なかれ、持っているものです。審判自身もゲームでのクレームや野次などから、よく分かっていると思います。特にルールの複雑なフットボールの審判は、高い知識と経験が必要なものです。審判のジャッジにチャレンジをするコーチも、練習試合で審判をやらせると、たいていは、ひどいものです。見るとやるでは大違いです。
では、審判が期待されるレベルに達していないのは、なぜでしょうか?
私は、人数が足りないからとだ思います。審判になりたい人って、どういう人なんですかね?休日を何日も使って、高いレベルのジャッジがうまくできてあたりまえで、ミスするとクレームは出るし(ミスしなくてもでるでしょうが)、ゲームを壊してしまうことすらある。こんな魅力のない商売ありません。結局、なりたい人が少ないから、(失礼ですが)半人前でもゲームでジャッジしなければならない。
審判の人数が十分いないのは、なぜでしょうか?
審判は、フットボール経験者でしょうから、その経験者を輩出する高校、大学、社会人などのチームが、十分な人数の審判を輩出しきれていない。つまり、自分たちのゲームをしっかり審判してもらいたいなら、チーム自らもっと審判員を提供し、育てていかなければならないのではないでしょうか?
極論を言えば、コラム「審判への注文」の根底の原因は、「ファイターズへの注文」ということになるのかもしれません。随分長い文になってしまいました。スミマセン。
Posted by どうも腑に落ちません at 2006年10月25日 14:27
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