2022年06月14日

(4)深い縁、不思議なご縁

 12日は東大との戦い。僕にとっては初めて見る組み合わせで、どんな試合になるのかと興味津々で王子スタジアムへ出掛けた。
 いつものように場内だけのFM放送を開局されるファイターズの席に付く。ところが、この日はいつもの試合とは異なり、ビシッとスーツ姿を決めた竹田OB会長や、その前のOB会長の奥井さんらが近くのファイターズ関係者席に陣取り、その周囲にはフットボール会場では余り見掛けることのない紳士や淑女の姿も見える。その人たちが互いに親しく挨拶を交わされている。
 一体、どういうことなんだろう、と新聞記者の血が騒ぐ。目は試合前の練習を追いながら、耳は周囲の会話の断片を聞き取り、忙しいことこの上ない。おまけに、この日の放送席のゲストは、今春、大学を卒業して社会人になったばかりの元トレーナーにして今春の卒業時にはアンサングヒーロー賞を受賞された萩原楓さん。僕が非常勤講師をしていた最後のころの受講生であり、いつもしっかりした小論文を提出し、グラウンドでも気持ちよく挨拶を交わしてくれていた部員である。
 やがて、FM放送を仕切る小野ディレクターが着席されるが、普段以上に忙しそうである。周囲のOB会長らに挨拶を交わし、ご婦人たちにもあれこれと、段取りを話されている。その会話から、目の前の試合より、ハーフタイムの儀式の段取り、その後の東大関係者との懇親会の手配など、あれこれとなさねばならないことが積み重なっていることが推測され、この日の試合が二つの大学にとって特別の意味を持っていることが見えてくる。
 そう、この日の試合は、60年以上も前、東大にアメフット部が誕生した時から結ばれてきたファイターズとの縁を思い出し、その繋がりの延長上に、新たな一歩を記す親善試合でもあるのだ。
 どういうことか。
 会場での小野さんの放送を聞き、帰宅後、小野さんから送信されていたメールで確認すると、東大アメフット部の誕生には関学の関係者が大きな役割を果たしており、この日の試合は、その時の繋がりを再確認し、現代につなげるという役割を持っていたのである。
 一つは、東大にアメフット部を作ろうと都立戸山高校でタッチフットボールをしていた市川氏が声を上げたとき、マネジャーを担当させてもらいたいと名乗りを上げたのが小宮太郎氏。僕が関西学院に在学中、院長をされていた小宮孝先生のご子息であり、関学高等部でもマネジャーをされていた人である。
 小宮氏は即座にマネジャーに任命され、その帰り際、「関西学院大学のコーチの方が来年1年間、国内留学で東大に来られる。その方にコーチをお願いしてはどうですか」と提案された。その提案が採用され、その方、つまり米田満先生が東大アメフット部の草創期を支えることが決まったそうだ。
 米田先生(僕にとっては保健体育の先生であり、新聞記者としての大先輩でもある)は、こういう因縁があって東大の監督に就任、同時に研究生と言う立場を生かし、寄せ集めで発足したチームの主力選手としてもプレーされたそうだ。
 小宮院長も米田先生も、60年近く前、僕が関西学院大学に在学中は雲の上の人だった。米田先生とはその後、いろんな形でお世話になり、甲東園のご自宅にうかがったり、関学会館のロビーで長時間話し込んだりしてきたが、そんな方々の名前が次々と出てくる。そこにフットボールが取り持つ不思議な縁を感じて、この日の試合は特別の感慨があった。
 そういえば、隣で放送されている小野ディレクターも、放送の合間に「東大にアメフット部を作った市川新さんは、戸山高校の先輩であり、僕が在学中は監督をされていた方です。不思議なご縁を感じますね」と話されていた。
 不思議な縁といえば、この日の東大の攻撃を仕切ったコーチは、ファイターズで強肩のQBとして活躍された加藤翔平氏(2010年度卒。香山コーチの1年先輩である)。試合後のグラウンドで「お元気ですか、加藤翔平です」と挨拶されて驚いた。聞けば、プロコーチとして東大アメフット部に採用され、チーム作りに励んでいるという。「近いうちに甲子園で会いましょう」と挨拶したが「頑張ります」と勢いよく応じてくれた。
 こういう深い縁(えにし)で結ばれた東大と関西学院の試合。その詳細は、稿を改めて書かせて頂くつもりである。
posted by コラム「スタンドから」 at 19:58| Comment(1) | in 2022 Season