2017年07月26日

(15)愛されるチーム

 大学はいま前期の試験中。15日からスタートし、学生諸君は暑さにも負けずに机に向かっている。当然、試験前からチームとしての練習は休みである。もちろん、個人個人は試験の合間を縫って、筋トレとか走りモノと呼ばれるトレーニングに取り組んでいる。単位の取得が進んでいる上級生はミーティングや個人の課題克服にも余念がない。
 けれども、チームが全体で取り組む練習は休みだから、このコラムからもまた、グラウンドの消息が途絶えている。
 代わりに、ファイターズを取り巻くあれやこれやの話題を断片的にお伝えしている。小野ディレクターの講演会、コーチやスタッフとしてチームを支える「大人の力」、リクルート担当者の眼力、卒業生からの伝言……。今週もまた、先日、甲東園の居酒屋で開かれた「アメフト探検会」の様子とそこで抱いた僕なりの感慨をお伝えしよう。
 「アメフト探検会」のことは、このコラムでも毎年のように取り上げているから、古くからの読者にはおなじみだろう。関西学院大学の先生たち限定のサークルで、ファイターズとその部員をこよなく愛される先生方が多数参加されている。活動の詳細についてはまったく知らないが、断片的に聞こえてくるところでは「年に一度、総会を開き、ファイターズをサカナに大いに語り、愉快に飲む」のが目的の集まりらしい。
 参加者の中には「年間50回はファイターズのビデオを見る。ゼミ生にもそれを見せて授業を進める」と豪語される先生がいるし、もう少し控えめに「年に一度は必ず試合会場に出掛けて応援する。今季は少なくとも3回は応援に行く」「毎年一人はファイターズの部員をゼミに受け入れる」といった個人的な目標を立て、それを実行されている先生もいる。自己紹介で「ヨメさんがファイターズファンなので、それにつられて僕もファンになりました」といって拍手を浴びた新参の先生もいる。
 先日の集まりには、先生方が十数人、チームからは小野ディレクターや大村アシスタントヘッドコーチ、神田コーチが参加され、大いに盛り上がった。僕も、例年のようにゲストとしてお招きを頂き、酒も飲めないのに、大いに語り合った。
 「野原コーチは僕のゼミの卒業生」と毎年自慢される先生は「今年は○○君と○○君がいます。二人ともよく頑張っていますよ」と学生たちが可愛くて仕方がないという口調で話される。別の先生もまた、対抗するように「今年僕のゼミを卒業したマネジャーの○○君は留年生だったけど、後輩たちに溶け込んで、よく頑張ってくれました」と自慢される。中には「ファイターズの諸君は就職活動でも実績を残してくれるから、ゼミの評判もよくなる」と言われた先生もいる。
 こうしてファイターズの部員が部活を離れた勉学の場でも存在感を発揮し、卒業してからもなお先生方に強い印象を与えていることを知ると、聞いている方もなんだかうれしくなってくる。そして「ファイターズというのは、本当に多くの方に愛されているチームだなあ」と感慨を新たにする。
 先生方の応援だけではない。例えば、僕のこのコラムにも毎週のように「いいね」のサインが集まる。少ない時でも150件、多いときには200件、300件を超す。いま主将を務めている井若君が1年生の時、学生会館の更衣室のドアに「足下のゴミ一つ拾えないような人間に何ができましょうか……」と書いて張り出した話を紹介したときには、たしか800件前後の「いいね」が集まった。
 それは、僕の文章に対する「いいね」ではなく、そこで紹介しているファイターズというチームの在り方、たたずまいに対する「いいね」であると、僕は思っている。
 試合に勝った、負けたということだけではなく、それを超えて、ファイターズの選手たちがどのようにして成長し、そのためにどんな努力をしているのか。部員のがんばりに監督やコーチ、スタッフとして関わる周囲の「大人たち」がどのようにして応えているのか。その指導を部員がどのように受け止め、成長の糧にしているのか。上級生下級生、関係なく、仲間同士はどのように励まし合い、高め合っているのか。
 そうしたことを毎週のようにこのコラムを通じて問い掛け、チームの素顔を紹介していることに対する数多くの「いいね」。それはぼくの文章に対する評価というよりも、ファイターズという「毎年毎年、人を育てる。その営みを戦後一貫して続けてきた」組織に対する「いいね」であると理解しなければ、その本質を見失う。
 逆にいえば、そういう組織に対して、数多くの「いいね」が集まるというところに、ファイターズの素晴らしさがある。これもまた、このチームが多くの方々に愛されているチームであることの証明であり、「アメフト探検会」の先生方に愛されていることにも通じる話である。
 もう少し大きく言えば、今後、こういう組織が課外教育の主流になっていくことで、大学スポーツの一つの模範が形成されるのではないか。
 ファイターズをこよなく愛される先生たちとの談笑の中でも、ファイターズが課外教育の王道を歩んでいると確認できた。それが愉快でならない。
posted by コラム「スタンドから」 at 18:15| Comment(1) | in 2017 Season

2017年07月18日

(14)フットボールの本当の魅力

 先週末は、小野宏ディレクターの公開講座「アメリカンフットボールの本当の魅力」。年に一度、朝日カルチャーセンターで続けられているファンに向けた「勉強会」である。今年は「西日本代表決定戦の後半に何が起きたか」という副題で2時間、170人の参加者を前に内容の濃い解説が続いた。
 講座の内容は、準備されたレジュメの目次に示されている。@代表決定戦までの状況Aリーグ戦(立命戦)の振り返りB代表決定戦前半の“完勝”C後半の思わぬ展開D絶体絶命のピンチE起死回生のロングパスF1プレーを巡る戦術の攻防G復活のドライブHモメンタムの不思議さ。この目次に沿って、ビデオを再生し、試合がどのように進行したか、その裏に両軍ベンチがどういう決断をし、その決断の背景にどういう思考が働いたか、選手たちがその役割を果たすために、どのように準備したか、というようなことを微に入り細にわたって解説されたのである。
 具体的には前半、ファイターズが2本のFGと2本のTDで20−0と引き離し、余裕で進めた試合が、後半にがらりと様相を変え、一気に20−17と追い上げられ、逆転は必至という状況に追い詰められたのはなぜか。試合の流れが立命に傾き、大逆転劇が完成しつつあるときに、ファイターズが自陣2ヤードから放った起死回生のロングパスは、どうして意図され、成功したのか。そこにはどんな決断が秘められていたのか。そのプレーに関わるQBやWRはそのプレーを成功させるためにどんな動きをしたのか。それに続く70ヤードのドライブは、どのようにしてTDに結び付けられたのか。そうしたことを一つ一つのプレーを再現しながら、フットボールというスポーツの怖さと魅力、決断と実行の背景を説明していく。
 同じチーム、同じプレーヤーが戦っているのに、なぜ前半と後半では天地が逆になったような試合になったのか。立命側から言えば、前半、全く進まなかったラン(4回でマイナス2ヤード)とパス(8回で成功は4回10ヤード、逆に2本のインターセプトを喫している)が後半には一気に進む(ランは13回で106ヤード、パスは18回で150ヤード)ようになったのか。一つ一つのプレー選択から見える両軍ベンチの駆け引きと騙し合い。近年、ずっと大学王者の座を競ってきた両チームの高度な戦いの背景が次々と説き明かされていく。
 そうした試合の流れを振り返りながら、小野さんをして「2016年のベストプレー」と言わしめた自陣2ヤードからの攻撃でファイターズが選択したQB伊豆からWR松井へのロングパスの解説に入る。
 一つ間違えばセーフティーを奪われる危険があり、パントを蹴るにも不自由なゾーンで、なぜベンチはパスを選択したのか。そのプレーが成功するとコーチが確信した根拠は何か。その選択を選手たちはどのようにして成功につなげたのか。相手ディフェンス、とくにベストアスリートを配置しているコーナーバックとセーフティーの動きをどのように封じたのか。伊豆の動きと松井の動きを克明に説明し、ベンチからの指示を受け取った二人の心の動きにまで分け入っての解説が続く。
 そこに見られるベンチと選手の信頼関係。昨年の試合で手痛いインターセプトを喫した悔しい思いを糧に技量を向上させ、相手CBを振り払った松井の動き。絶対に成功させなければならない30ヤードのパスに挑んだ伊豆の決意と、成功の伏線となったちょっとした仕草。そうした細かな所まで目を配った解説者の観察眼と取材力。長年、プレーヤー、コーチとしてチームを率い、ファイターズの頭脳とまで言われた小野さんならではの解説は、期待に違わぬ素晴らしさだった。
 同時に、この解説はベンチの意図を確実に実現する細かなデザインの重要性を指摘し、そのデザインを実現する選手の強い意志と高い技量の大切さも語りかけてくれた。
 そうした意志と技量を体現したのが続く70ヤード、13回のドライブである。オフェンスの11人が互いに協力し、絶対にTDに結び付ける、このシリーズで決着を付けると確信し、ひたすらランプレーで陣地を進めた「魂のフットボール」である。伊豆から松井への起死回生のパスから始まったこのシリーズは、何度見ても感動する。それに今回のような適切な解説があれば、フットボールの「本当の魅力」が堪能出来る。
 幸い、この日の講演会の模様は、マネジャーが一部始終をビデオで録画してくれている。これを今春入部した1年生にはぜひ見てもらいたい。フットボールの底知れぬ魅力を知り、一つのプレーが持つ意味の重さを知ることで、必ず成長のきっかけがつかめるはずだ。
 さらに、関西学院の学生諸君にも、学内限定の「フットボール講座」としてビデオ鑑賞会を開けばどうだろう。このビデオを通じて、フットボールの魅力にふれた学生がどんどんスタジアムに足を運んでくれれば、選手たちの励みにもなるに違いない。
posted by コラム「スタンドから」 at 09:22| Comment(2) | in 2017 Season

2017年07月10日

(13)アシスタントの力

 どんな組織にも、アシスタントという役割がある。アメリカ大統領には補佐官、新聞社の編集局には局長補佐、社会部には次長。映画監督には助監督がおり、テレビ番組の製作ならディレクター補佐がいる。呼び名や役割、待遇などは、それぞれの組織によって異なるが、この役割を果たす人間がいなければ、組織は円滑には運営できない。その人間に能力がなければ、組織の力は発揮できない。その証拠に、いまを去る千年以上も前、お公家さんが政治を仕切っていた時代にも輔佐(ほさ)役がいた。旧の日本軍にも大佐、中佐、少佐という佐官がおり、それぞれが一軍を率いて将軍を補佐していた。輔佐の輔も佐も助けるという意味である。
 僕が新聞社で社会部次長や夕刊編集長という仕事をしていたときも、紙面づくりの実務はこういう補佐役たちに任されていた。もちろん、部長や編集局長は全体を掌握し、現場に行きすぎがあったらやんわりと指摘してくれたし、他の部局とトラブルになるようなことがあったら、適切な指揮をしてくれた。時には現場に任せるふりをしながら、自分の権勢を見せつけるために、つまらないことに口出しする上司もいたようだが、僕の場合は幸いなことに、おおむね上司運には恵まれていた。
 こんな話を持ち出したのはほかでもない。ファイターズにも補佐という肩書きを持
つ人たちが何人も存在し、それぞれが組織の運営に強力な力を発揮しているのを知っているからである。ヘッドコーチ(監督)の補佐役にはは、アシスタントヘッドコーチ(大村和輝氏)、ディレクターの補佐役にはアシスタントディレクター(宮本敬士氏と石割淳氏)、コーチの補佐役にはアシスタントコーチ(社会人の菅野、野村、高橋、島野、池田コーチと現役の学生である橋本亮君や松本英一郎君ら)がついて、実務を切り回している。
 その人たちの能力の素晴らしさは、折りにふれて体感することだし、時にはこのコラムでその一端を紹介してきた。チームの運営、学生たちへの技術指導から高校生のリクルート、そして就職相談まで、いわばチームの成長に関係するあらゆることに適切なアドバイスを送り、注意を促し、アイデアを出し、体を張って鍛えてくれるのである。
 こうした役割を果たすメンバーは、どのチームにも存在するだろう。けれども、僕が直接目にする限りでは、ファイターズほどその役割を過不足なく果たしているメンバーはいないのではないか。
 急所は「過不足なく」という点にある。監督やコーチを差し置いて勝手なことを教えるのは禁物だし、熱が入り過ぎて、選手の自発性を摘み取るようなこともよろしくない。外部からの介入で組織自体が沈滞したり混乱したりする例は少なくないし、そうかといって「外部の目」にさらされない組織は独善に陥る懸念がつきまとう。
 注意すべき点は厳しく指摘し、同時に母親のような包容力も求められる。コーチはもちろん、すべてのアシスタント(補佐役)にそれが求められる。社会人の場合は多彩な人生経験があり、組織の中で活動されてきた実績もあるから、補佐役を引き受けた時点で、その呼吸はよく理解されている。けれども、学生コーチの場合は全く異なる。
 つい数ヶ月前までは最上級生と下級生の関係にあった部員たちに、今度は指導者として向き合うわけだから、その距離の取り方が難しい。昨年のチームは自分たちが主導したチームだが、今年は井若主将が率いるチームである。直接、運営方針に介入することは御法度である。昨年とはまた異なる立場で適切に指導し、アドバイスを送らなければならない。体を張り、練習台として後輩に見本を見せながら、伸び悩んでいる原因を探り、要点をついた助言が求められる。時には個人的な悩みを聞くことも必要だし、耳に痛いことも言わなければならない。
 そういう難しい役割を考えた時、思い出すのは、2011年度、4年振りに甲子園ボウルを制覇した松岡主将とDB香山君や重田君らがアシスタントコーチを務めてくれた時のことである。
 彼らは常に「練習第一」の姿勢を貫き、どんなことがあってもグラウンドに降りて練習相手を務めてくれた。3年間、覇権から遠ざかっていた悔しさを2度と後輩に味合わせたくないと、懸命に指導し、体を張ってくれた。それでいて、当時のチームを運営していた梶原主将らの方針には介入せず、チーム運営については側面から応援する姿勢を貫いていた(細かい点までは分からないが、少なくとも僕が見ている限りでは、練習相手としては厳しく立ちはだかるが、チームの運営には介入しないと自分たちで決めていたような行動をとっていた)。
 その姿勢が伝統となり、いま現在のアシスタントコーチにも受け継がれている。それが「過不足のない」指導という由縁である。アシスタントが力を発揮してくれる組織は強い。それは国家の経営から映画作り、スポーツチームの育成にまで通じることである。
posted by コラム「スタンドから」 at 08:30| Comment(0) | in 2017 Season