2015年07月01日

(13)巨樹の物語

 いま、仕事の合間に『木霊(こだま)の物語』という本を編集している。僕の務めている和歌山県田辺市の新聞社、紀伊民報の紙面に、2年間100回に渡って連載した巨樹・巨木の物語を1冊の本にまとめ、出版する作業である。
 原稿の校閲から表紙の作成、推薦の言葉の依頼、そしてあとがきの執筆まで、1冊の本を仕上げるためには、気を遣う作業が山ほどある。それでも楽しく取り組めるのは、取り上げた100本の巨樹それぞれに、興味の尽きない100の物語があるからだ。
 それぞれが興味深い。源平争乱の歴史を背景にした樹木があれば、熊野詣での人たちが眺めた樹木もある。500年、1000年の歴史を刻んで成長してきた樹木と、それに寄せる名もない村人たちとの交歓。時には役人の打算から売り払われそうになった巨木があれば、節だらけで使い物にならないからと放置されているうちに、気がつけば誰も手を出せないほどに成長した巨木もある。しめ縄を巻き、御神酒を供えてもらえる風格のある巨樹もあるし、子どもたちの遊び場を提供している巨木もある。
 そういう巨樹・巨木の物語を丹念に読んでいるうちに、ハタと気がついた。ファイターズもいま、関西学院につながるすべての人々が仰ぎ見る存在になったのではないか。毎年毎年、人々の胸を打つプレーで年輪を刻み、根を張り葉を茂らせて、気がつけば日本フットボール界を代表する巨大な樹木になったのではないか。
 そんな風に考えていると、思い当たることがいくつも浮かんできた。
 まずは種をまいた人がいる。1941年、関西で4番目のチームとして鎧球倶楽部を発足させた人たちである。その芽は、戦争の激化と排外主義の嵐の中で、あっという間に摘まれてしまったが、戦後、戦地から復員してきたメンバーを中心に再興され、工夫と努力で1949年、甲子園ボウルに初出場、初優勝。
 その後も歴代の部員が新しい芽を伸ばし、チームを成長させてきた。卒業後もコーチ、監督としてチームに関わり、水をやり肥料をやり続けた人たちも数多い。一人一人名前を挙げ、それぞれの物語を綴っていけば、それだけで一冊の本ができるだろう。
 何よりも新芽が顔を出した時から、もっと大きくなろう、もっと強くなろうと自分を鍛えてきた歴代の部員がいる。戦争中の空白期間を含め、75年という歴史はそういう作業の積み重ねだった。
 しかし、水をやりすぎたら根っこが腐る。肥料をやり過ぎても生育に支障が出る。病害虫がついたら駆除しなければならない。強い風に見舞われたこともあるし、日照りの夏にに枯死しそうになったこともあるだろう。
 時には、木の形を整えるためにあえて剪定(せんてい)ばさみを入れた人もおられるに違いない。
 そういう歴史を積み重ねて現在の偉容がある。諸々の困難を乗り越え、常に堂々と立ち続けた結果である。甲子園ボウル出場49回、優勝27回という、どの大学も成し遂げたことのない数字がそれを証明している。巨樹という名こそふさわしい。
 大事なことは、この巨樹が記憶という名の写真に収まっているのではなく、いまも大地に根を張り、日々成長していることである。試合という名の光を浴びて枝葉を茂らせ、深く土中に張り巡らせた鍛錬という根っこから水分と養分を吸い上げる。大きくなればなるほど、その成長速度は速くなり、さらに周囲を圧倒する。
 しかし、一方でその偉容を保ち、さらに成長を促すためには、チームのマネジメントがこれまで以上に重要になり、リスク管理にも目配りが求められる。最新の戦術を考案し、勝つための戦略を練ることの大切さはいうまでもない。
 そういう諸々が調和し、全体のベクトルがさらなる発展に向かった時、初めてもっと強いチーム、負けないチームが見えてくる。幹周りが太くなったからといって、しめ縄を巻き、御神酒を供えて拝んでいるだけでは、勝ち続けるチームにはなれないのである。
 こういう「巨樹の物語」の細部を観察し、これからも綴っていきたい。

 付記
 このところ、夏休み恒例となった小野宏ディレクターの講演会が18日午後6時半から、大阪・中之島の朝日カルチャーセンターで開かれます。申し込みはすでに100人を超えていますが、主催者によると、まだ少し受付は可能だということです。昨シーズンのポイントとなった試合のビデオ解説を中心に、小野さんの鋭い分析と解説に加えて、大村アシスタントヘッドコーチも参加してコメントしてくれるとのことでフットボールの魅力を堪能できそうです。申し込みは朝日カルチャーセンターへ。
https://www.asahiculture.jp/nakanoshima/course/169adf9f-d34e-2065-2c8b-55432f0469b9
posted by コラム「スタンドから」 at 10:06| Comment(0) | in 2015 season