2016年09月28日

(21)「松岡はいるか、香山はどこだ」

 秋のリーグ戦3試合目。龍谷大との戦いは、ファイターズの現状をあぶり出す絶好の試験紙となった。
 その試験紙は何をあぶり出したのか。
 その答えは、試合終了後の鳥内監督の談話に現れている。「今のチームの状況は」との記者団からの問いに「チームの力が4年前とは全然違う。まだまだ精神面のレベルの低さが出ている。こんなんでは、日本1になるのは無理やと思う」。僕も、現場で耳を傾けていたが、その言葉には本音が現れていたように思う。
 実際の試合も、最初からピリッとしなかった。ファイターズのレシーブで始まった最初のシリーズ。RB山口のナイスリターンで自陣48ヤードの好位置から始まったが、第3ダウン残り4ヤードでこの日の先発QB西野がファンブルして攻守交代。
 ここはDLの藤木、安田が素早い出足で相手を押し込み3&アウト。自陣27ヤードから再びファイターズの攻撃が始まる。ここはRB野々垣、橋本のランプレーで確実に陣地を稼ぎ、RB加藤が右オープンを駆け上がって残り8ヤード。橋本の中央突破と西野のドローキープでTD。K西岡のキックも決まって7−0。
 これで落ち着くかと思ったが、オフェンス陣の歯車はなかなかかみ合わない。いいパスが通ったと思えば、不要な反則があり、がら空きのレシーバーにパスが投じられたと思ったら、それをレシーバーが落とす。ようやく2Qの半ば、西野に代わって出場したQB伊豆から1年生WR阿部に44ヤードのTDパスがヒットし、西岡のキックも決まって14−0。残り1分少々で西岡が40ヤードのFGを決め、17−0で前半を折り返した。
 振り返ると、先発メンバーを揃えた守備陣こそ鋭い出足で相手オフェンスを完封したが、積極的に下級生を登用したオフェンスはどこかちぐはぐ。トントンとリズムに乗って攻め込むファイターズらしい攻撃がなかなかつながらず、逆にファンブルや反則で自ら墓穴を掘ってしまう。せっかく相手をパントに追い込みながら、リターナーは陣地を回復するためのチャレンジをためらう。
 そんな場面の繰り返してている内に、後半は相手が勢いに乗ってくる。ファイトの固まりのようなQBがぎりぎりまで粘ってパスを投げ、突破力のあるRBが真っ向から走ってくる。後半になってファイターズが投入した交代メンバーでは、それを止めきれず、何度もダウンを更新される。
 最終的には31−3でファイターズが勝ったが、後半の戦い振りは5分と5分。攻守ともラインの圧力とスピードでは、ファイターズに分があったが、相手にはそれを補って余りあるファイティング・スピリットがある。QBもRBもWRも「ファイト・ハード」。激しい気持ちで立ち向かってきているのが、スタンドからでもひしひしと感じられた。
 同じような場面は、この試合の前に行われた京大と甲南大の試合の後半にも見受けられた。その試合、第4Q半ばまでは京大が17−6でリードしていたが、甲南大は背番号12のQBが龍谷大のQBと同様、激しい闘志で相手守備陣を突破、急所で2本のTDパスを決めて20−17の逆転勝利を収めた。
 そのQBが試合終了後、人目もはばからず号泣しているのを見た。自分が試合をリードし「ファイト・ハード」で何度も危機を突破した結果としてつかんだ勝利。その実感を体が覚えているから、全身で号泣できたのだろう。何度も何度もファイターズの守備陣に跳ね返され、サックを浴びながら、一歩もひるまずに立ち向かってきた龍谷のQBやRBも同様だ。そのひたむきさに、ファイターズの交代メンバーが圧倒されたといってもよい。
 そういう現実を目の前に突きつけられて、冒頭の鳥内監督の「チームの力が4年前とは全然違う」「精神面のレベルの低さが出ている」という言葉になったのだろう。
 監督のいう4年前が、どの年代のことを指しているのかは確認していないが、僕にも思い当たることがある。RB松岡君が主将でDLに副将の長島君、DBにハードタックルが持ち味の香山君がいた年代である。彼らが最終学年の時、チームは3年連続で甲子園ボウルに出場できておらず、その年に勝てなければ、甲子園ボウルを経験しないまま卒業することを余儀なくされていた。
 それだけに、4年生はみな、春から殺気だった練習をしていた。練習中、相手に隙が見えれば激しく言い合い、時には互いに殴りかかる。絶対に立命を倒す、という気持ちが上ヶ原のグラウンドにほとぼしっていた。
 そういう闘志をむき出しにした練習を日々重ねてきた結果が立命戦での香山君のハードタックルである。突貫小僧のような相手のエースQBを一発で倒したタックルは偶然ではない。日々の練習から「ファイト・ハード」を体現してきたからこそ、ここぞというときに完璧なタイミングで、魂のこもったタックルができたのである。
 そういう練習をやろうではないか。立命に勝つ、というだけでなく、勝つために集中しようではないか。そのための「Fight Hard」であろう。
 幸いなことに「残りの数試合で変われるチャンスがある」(鳥内監督)。先発メンバーも交代メンバーも、試合に出る以上はファイターズの戦士である。ひたむきさやファイティングスピリットで、自分に負けているようでは話にならない。
 「松岡はいるか。香山はどこだ」。今こそファイターズの全員にそう問い掛けたい。
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2016年09月14日

(20)失敗は天からの贈り物

 関西リーグ第2戦は、今季からT部リーグに復帰した甲南大との対戦。相手にはどんなメンバーがいて、どんな戦い方をするのか、手持ちのデータは少ない。当然、戦術以前に個々の選手のファンダメンタルが問われる試合になりそうだ。ファイターズの選手が持っている基礎的な力が未知の相手にどこまで通用するのか。とりわけ試合経験の少ないメンバーの動向に注目して観戦した。
 結果は「うれしい便りと、悔しい便りをお届けします」。
 ファイターズのレシーブで試合開始。RB野々垣が27ヤードをリターンし、自陣29ヤードから攻撃が始まる。まずはQB伊豆からWR前田泰へのパスで22ヤード前進。相手陣に入ると野々垣とRB橋本のラン、WR松井へのパスで敵陣35ヤード。そこで再び前田泰への短いパスがヒットしてゴール前18ヤード。野々垣の切れのよいランでゴール前7ヤードに進むと、橋本が中央を突破してTD。西岡のキックも決まって7−0。わずか9プレーで、試合の主導権を握った。
 守備も踏ん張る。相手の攻撃を完封してパントに追いやり、センターライン近くからファイターズの攻撃。しかし、ここで伊豆が投じた長いパスが相手DBに確保され、痛恨のインターセプト。だが、ここでも守備陣が相手のランをことごとく止め、再び、自陣41ヤードからファイターズの攻撃。今度は伊豆からWR萩原、松井へのパスがヒットし、わずか4プレーでゴール前7ヤードに迫る。RB山口のランの後、仕上げは再び橋本の中央ダイブ。西岡のキックも決まって14−0。
 ここで第1Q終了。第2Qに入っても守備陣はDL安田のロスタックルなどで確実に相手の攻撃を防ぐ。1度もダウンの更新を許さず、ファイターズ4度目の攻撃シリーズは自陣49ヤードから。ここでも野々垣と橋本のランで確実にダウンを更新。山口が12ヤードを走った後、今度は伊豆からWR亀山への28ヤードのパスが通ってTD。攻めては4回の攻撃シリーズで3本のTDを決め、守っては相手に一度もダウン更新を許さない。
 ここまでは、攻守とも完全なファイターズペース。とりわけ、腕のけがで長いリハビリ生活を続けてきたエースランナー橋本が復帰第1戦で、パワフルな走りを見せつけたのが頼もしかった。RB陣には、橋本以外にもスピード系の野々垣、加藤、高松、パワー系の山本、山口と、それぞれ違った持ち味と一発TDの威力を秘めたメンバーが揃っており、橋本の復帰で、プレー選択の幅がさらに広がるに違いない。
 しかし、得点差がつき、攻守とも交代メンバーが少しずつ入って来るようになると、状況は一転する。オフェンスの反則が相次ぎ、長いパスは2度3度と奪い取られる。最終的なスコアは41−0となったが、気分は快勝というにはほど遠い。反則回数は5回、罰退は30ヤード。インターセプトも4本。そのうち3本も同じDBに喫したというのがつらい。過去に見たこともない屈辱的な試合といってもよいだろう。
 その試合を見ながら「こうした未熟な場面も含めて、学生スポーツの魅力というのではないか」と考えた。
 経験豊富なメンバーを中心に臨めば、確かに安定した試合はできる。実力相応の得点を重ねると、ファンは満足だろう。個々の選手もまたパスキャッチやランプレーの数字を大幅に積み重ねていける可能性がある。
 しかし、大学生活は4年間。最初の半年間は基礎的なトレーニングが中心だから、どんなに才能にあふれた選手でも、プレーできるのは3年半しかない。その間に試合経験を積み、成功体験と悔しい経験を互い違いに重ねて成長していくことで、常に優勝争いのできるチーム作りが可能になる。
 試合の登録メンバーが限定され、一度ベンチに下がった選手は、再び出場できない野球やサッカーと違って、フットボールは交代が自由。状況に応じて何度でも選手を出し入れできる。振り返れば1試合に50人、60人の選手が出場していることも珍しくはない。
 その特徴を生かして、どのチームも盛んに交代メンバーを繰り出し、下級生や故障明けの選手に試合経験を積ませ、成長の芽を伸ばそうとする。いつの試合でも最後までベストメンバーで臨む、ということになると、一握りの選手を除いて、その失敗も成功も味わうことができない。
 それでは年々、選手が卒業していく大学スポーツ、課外活動としてのスポーツは成り立たない。200人の選手がいれば、それぞれの選手に成長の機会を保証し、チャンスを与え、それを戦力にしていくノウハウを構築したチームが勝つのが大学スポーツである。例え育成組織が十分に機能しなくても、有望な選手をトレードで獲得したり、金にあかせて外国からの助っ人を集めたりすることで成り立っているプロスポーツとはここが決定的に異なる。
 それを十分に承知し、試合が人を成長させるという確信を持っているからこそ、監督やコーチは「負けたら終わり」のリーグ戦であっても、新しい交代メンバーを次々と投入し、成長のきっかけをつかませようとしているのである。
 もちろん、不要な反則も、度重なるインターセプトもない方がいいに決まっている。けれども、その失敗、その悔しさを胸に刻んで、選手が成長してくれたら、それはそれで教育の場としての部活動では意義がある。
 4年生の幹部が「立命に負けた悔しさを忘れるな」「ライスボウルで負けた悔しさを下級生に伝える」と必死で言うことも大切だ。けれども個々の選手が一つの失敗、一つの判断ミスを「わがこと」として胸に抱え、2度と同じミスはしないと誓って練習に励み、試合に臨むことの方が、より話は具体的だ。
 そういう失敗の機会が与えられたことに感謝して練習に励めるのも、課外活動としてのスポーツの意義であり、魅力だろう。
 失敗は負けではない。それを再度の精進と挑戦の機会と捉えて全力を尽くす人間にとっては、天からの贈り物である。がんばろう。
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2016年09月08日

(19)見守る人

 折に触れて読み返す、藤沢周平の「蝉しぐれ」に、次のような一節がある。剣術の道場主がいまが伸び盛りの主人公に向かっていう台詞である。
 「兵法を学んでいると、にわかに鬼神に魅入られたかのように技が切れて、強くなることがある。剣が埋もれていた才に出会うときだ。わしが精進しろ、はげめと口を酸くして言うのは、怠けていては己が真の才にめぐり会うことができぬからだ」
 「しかし、精進すれば、みんながみんな上達するかといえば必ずしもそうではない。真に才のある者は限られている。そういう者があるときから急に強くなるのだ」
 こういう台詞に出会うと、ついついファイターズで活動する諸君の精進、努力にその言葉が重なる。監督やコーチが「わしが精進しろ、はげめと口を酸っぱくして言うのは、怠けていては己が真の才にめぐり会うことができぬからだ」と、部員を叱咤激励されている場面を連想してしまう。
 もちろん、小説に取り上げられた剣術と、いま現実の世界で取り組んでいるフットボールでは、舞台も条件も全く異なる。剣術では個人の力量が直接反映されるが、フットボールはチームスポーツであり、チームとしての力量が試される。一人の選手が鬼神に魅入られたかのように「技が切れ、強くなっても」、ほかのメンバーが昨日のままでは、勝負には勝てない。
 だからこそ、チームとしての力量を上げるための精進がすべての選手に求められるのである。監督やコーチが毎日のようにグラウンドで練習をチェックし、繰り返しビデオを見ているのは、そこである。この部員は100%、あるいは120%の力を出して練習に取り組んでいるか。練習が終わった時には、練習前よりたとえ半歩でも上達しているか。選手もまた、自分のことだけではなく、ゆるみの見える仲間に厳しく要求しているか。けがや体調不良を言い訳に、手を抜いた練習をしている部員はいないか。
 このように書くと、200人以上のメンバーの動きを一人の人間が見られるはずがないという疑問が出るかもしれない。自身が全力で取り組んでいるときに、仲間の動きにまで目が届くはずがないという疑問を持たれる方もおいでになるかもしれない。
 しかし、実際にグラウンドに立ってみると、なぜか選手の動きがよく見える。全くプレーヤーとしての経験がない僕のような人間でも、手を抜いている部員、体のどこかに異常を抱えた選手はすぐに分かる。ほんの些細な仕草であっても、全体の流れとは異なる動きをするからだ。
 百戦錬磨、経験豊富な監督やコーチのセンサーは僕よりもはるかに感度がいい。プレーごとにチームの動きをチェックしつつ、常に一人一人の選手の動きを視野に入れている。だから、少しでもおかしな動き、緩慢な仕草があれば、その部分がクローズアップしたように浮かんでくるのだろう。
 そういう選手には、現場で注意されることもあるし、別の形で奮起を促されることもある。「精進しろ、はげめ」というわけだ。
 その証拠は、上ヶ原のグラウンドの片隅に置かれているホワイトボードに見つけることができる。そこには毎日、オフェンスとディフェンスに分けて、ポジションごとに選手の名前が張り出されている。選手にはV、準V、JV、ファームと4段階(練習から除外されているリハビリメンバーを加えれば5段階)の格付けがあり、コーチが前日までの練習内容を参考に、格付けを上げたり下げたりされるのである。
 みんなの前で大声で怒鳴りつけなくても、この格付けの変動を見ただけで、監督やコーチが誰に注目し、どの選手に期待を寄せているかは一目で分かる。時には次の試合の先発メンバーや主な交代メンバーまでが推測できるようになる。
 成果が出れば格付けは上がる。期待外れな練習ぶりだと、ランクが落ちる。それをチェックする監督、コーチの目が揺るぎないから、チーム内の競争が激しくなり、必然的に質の高い練習につながる。日々、質の高い練習に100%の力で取り組んでいる中で、ある日「鬼神に魅入られたように技が切れて、強くなることがある」のである。
 今秋土曜日、京セラドームで行われる甲南大学との試合で、そうした選手が何人出てくるか。刮目して待っている。
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2016年09月01日

(18)「こんなもんちゃうか」

 シーズンの初戦といえば、毎年、特別の感慨がある。新しい戦力は出てきたか。昨年まで活躍した選手が一段と進化したプレーを披露してくれるか。けがでしばらく試合から遠ざかっていたメンバーの回復具合はどうか。交代メンバーの底上げは進んでいるか。スタッフの動きはどうか。チームとしての一体感は生まれているか……。
 スタンドから眺めているファンの一人として、チェックしたいことはいくらでもある。練習ではずいぶん成長していると思った選手が、公式戦でその力が発揮できるかどうかは、また別の問題だ。
 秋のリーグ戦、初戦の同志社との試合は、そういう意味で、見所がいっぱいだった。
 まずは先発メンバー。攻撃ではラインに左から3年生の井若、1年生の川部、2年生の光岡と、箕面自由学園出身の3人が並ぶ。右に4年生の清村と藏野、TEには3年生の三木という布陣だ。昨年まで中央をがっちりと固めていた左ガードの橋本は卒業し、センター松井と右のガード高橋はけがのために欠場している。左右のタックル井若と藏野以外は試合経験が少なく、鳥内監督の試合前の言葉を借りれば「相当いかれまっせ」という状況だ。
 守備に目をやると、DL松本、DB小池という二人のエースの名前がなく、代わって高槻高校出身の1年生、小川が先発に名を連ねている。DLのパングや藤木はこれまでからも交代メンバーで活躍していたから、そんなに違和感がないが、初めて公式戦のスタメンを任された小川がどんな働きをするか。OLの川部ととともに、特別なチェックが必要だ。
 関学のキック、同志社のレシーブで試合が始まる。なんとなんと、同志社が多彩なプレーを次々に繰り出す。最初のシリーズは自陣40ヤード付近で第4ダウン残り5ヤード。当然のようにパントを蹴ると思ったら、なんとフェイクパスでダウンを更新。ファイターズ守備陣が混乱するのを見澄ましたようにリバースプレーやQBキープで一気にに陣地を進める。
 ここはなんとかDB稲付やDL安田のロスタックルでなんとかパントに追いやったが、同志社の思い切った攻めにスタンドからは何度も感嘆の声が上がる。
 ようやく手にしたファイターズの最初の攻撃シリーズ。満を持して登場したQB伊豆がWR池永、前田泰、中西に10ヤードから15ヤードのパスを確実に決めて陣地を回復。相手陣に入ると、RB野々垣、山口、高松を使い分けながらゴール前に迫る。仕上げはオフタックルを突いた野々垣の1ヤードランでTD。K西岡のキックも決まって7−0と先制する。
 しかし、この日の同志社は元気がいい。攻撃陣はKG守備の反応の早さを逆手にとったようなプレ−を連発。右や左と目先を変えながらじっくり時間を使いながら攻め込む。攻撃がストップすると今度は守備陣が奮起する。攻守の歯車がかみ合い、とても2部から復帰したばかりとは思えないようなプレーが続く。
 ファイターズはようやく3度目の攻撃シリーズを高松の切れのよい走りでTDに結び付けて14−0。前半はこのスコアで終了したが、スタンドからは「同志社が思い通りに試合を動かしている。後半、何が起きるか心配だ」という声も出る。
 その懸念を払拭したのが後半最初のファイターズの攻撃。伊豆が自陣39ヤードから池永や高松に立て続けにパスを通し、加藤、山口、山本、加藤と豊富RB陣を走らせ、仕上げは再び野々垣のオフタックルランでTD。21−0として、ようやく主導権を手にする。
 こうなると、ファイターズは新しい戦力を次々と投入。QBも控えの2年生西野に交代する。西野は得意のキーププレーでリズムをつかみ、相手陣37ヤードからWR松井にロングパス。少しオーバースローに見えたが、松井が最後にスピードを上げ、ぎりぎりでキャッチしてTD。最後に一段ギアの上がる加速力と長身を利用した松井ならではのキャッチは、2007年のシーズン、QB三原と組んで活躍したWR秋山を彷彿させた。これでまだ2年生というのだから、鳥内監督が昨年「ファイターズ史上最高のレシーバーになりますよ」といった言葉に嘘はなさそうだ。
 ファイターズはこの辺りから、攻守蹴ともに下級生の交代メンバーを次々と起用。相手にキックオフリターンのTDを許すなど、不細工な場面もあったが、逆に4年生RB北村が一度は倒されそうになりながら、体を立て直してTDを決めるシーンもあって、終わって見れば35−7。
 鳥内監督は試合後、報道陣の質問に「こんなもんちゃうか」と答えておられたが、それが正直な感想だろう。
 試合経験の少ない下級生は失敗はあっても経験を積んだ。下級生の頃から試合に出ている選手は、肝心なところで踏ん張った。相手オフェンスがファイターズに一泡吹かせてやろうと準備したプレーを次々と繰り出しても、守備陣は何とか得点は許さなかった。けが人を抱えて不安なままにスタートした攻撃陣も、経験豊富な伊豆のリードで、なんとかぼろを出さずに乗り切った。
 そのトータルが「こんなもんちゃうか」という言葉だろう。
 シーズンは始まったばかりである。11月のリーグ最終戦まで必死の練習を重ね、個々の力を伸ばし、チームとしての力量を高めてもらいたい。それが実現すれば「今年のチームはよくまとまっている」とか「ようがんばった」とかいう言葉が監督の口から聞けるに違いない。「こんなもんちゃうか」に安住している場合ではない。
posted by コラム「スタンドから」 at 09:27| Comment(1) | in 2016 season

2016年08月27日

(17)いざ、出陣

 今日は8月27日。前日までの猛暑とは少し様子が異なり、吹く風が少し涼しく感じられる。台風襲来の前兆だろうか。
 27日は、1年365日のうちの1日。誕生日とか結婚記念日とか、親族の命日とかいう日に関係する人以外は、特段の意味はない。 しかし、僕にとっては2016年ファイターズが出陣する前夜であり、特別の意味を持った日である。今季を戦う部員の無事を祈り、チームの勝利を祈願する大切な日である。
 上ヶ原のグラウンドを訪れ、平郡君の記念樹とプレートの前に立って頭を下げ、帰りには上ヶ原の八幡さまに勝利を祈り、ついでに大学の正門から時計台に「今年もファイターズにご加護を」とお願いする。それだけのことをすると、ようやくシーズンを迎える準備が整う。後は、グラウンドで戦う選手達の活躍を祈り、それを支えるスタッフたちの奮闘に期待するだけである。
 振り返れば、昨年の11月22日。立命館に敗れたその日から今季のチームはスタートした。それまで4年連続で1月3日までのシーズンを戦い、暮れも正月もない生活を送ってきた部員たちの1年がその日をもって、突然、打ち切られてしまった。さて、どうするか。どのように気持ちを切り替え、新しいシーズンを迎えるか。
 そんなことを体験したことのない部員たちにとって、新たなシーズンを迎えるまでの日々は試行錯誤の連続だったと推測する。4年生たちの不安と動揺、そして俺たちがチームを作り直す、という決意。けがでチーム練習に参加できないメンバーもいたし、気持ちは4年生でも、それに行動が伴わないメンバーもいたに違いない。「Fight Hard」というスローガンで結束し「俺がチームを勝たせる」といっても、日常の行動に濃淡があったことも否めない。
 それはしかし、例年のチームも同様である。スタートする時期が異なり、冬季の練習メニューが変わっても、ファイターズで活動する選手、部員の目指すべき目標は常にこの世界の「てっぺん」であり続けた。そこは、4連覇がスタートした松岡主将の代から、いやそれ以前のチームを含め、歴代の学年が新たな歴史を刻むべく立ち上がり、毎年、必死にその登山口を探し、ルートを切り開いてたどり着こうとした場所である。
 今年、山岸主将が率いるチームにとっても、それは同様である。
 たとえ、いまは未完成でも、ルートを見つけあぐねていても、28日から始まる秋のリーグ戦の中でその道を探し出し、自分たちを鍛え、高めあって頂上を目指すしかない。それがファイターズというチームの看板を背負う選手、部員全員に課せられた責務であり、使命である。
 その責務、使命をいかにして果たすか。
 それはファイターズの部員を名乗る一人一人の向上心と努力、献身にかかっている。4年生もなければ1年生もない。全員が同じ目標を目指し、同じ気持ちを持って日々戦うしかないのである。
 それは、試合会場だけで試されることではない。日々の練習、日々の学習への取り組み、そして大学への登下校に至るまで、すべての場所で問われることである。もっと言えば、よき部員が勝つのではなく、よき学生にこそ勝利の女神がほほえむのである。
 ファイターズの先輩たちは、そのことを自覚し、常に最善を目指して努力を重ねてきた。それが報われた年もあれば、報われない学年もあった。いえることはただ一つ。人並み外れた努力を抜きにてっぺんに上がったチームは一つもない。
 ライバルは常に爪を研いで向かってくる。それは最終戦の相手だけではない。どこもかしこも、ファイターズを倒すことに全力を挙げてくる。それをいかに跳ね返すか。
 「皮を切らせて骨を断つ」という言葉がある。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある」という言葉もある。さらに言えば「死中に活」という禅の言葉もある。それぞれが困難な戦いの中で、武術家や禅僧が実感として吐露した言葉である。困難な戦いを突破した者にこそ口にできる言葉である。
 2016年の出陣にあたり、ファイターズの諸君にこれらの言葉を贈りたい。是が非でも、これらの言葉をわが手につかんでくれ。健闘を祈る。
posted by コラム「スタンドから」 at 23:49| Comment(0) | in 2016 season

2016年08月18日

(16)相撲部屋の流儀

 先週末、盆の休みを利用して、日帰りで夏合宿の見学に出掛けた。
 午前4時過ぎ、西宮市の自宅を出発。さすがにこの時間は車が少ない。夜が明けると、お盆の帰省客で渋滞する中国道の宝塚〜西宮北間もすいすい走れる。快調に飛ばして2時間後には鉢伏高原のかねいちやに到着する。
 すると、もうグラウンドにはJVのメンバーが集まり、思い思いに体を動かしている。聞けば6時半から練習だという。靴を履き替え、荷物を整理して、まずは宿舎のロビーへ。早起きのコーチらに挨拶を交わすと、即座にグラウンドに向かう。
 例年通りグラウンド入り口の机の上には「平郡雷太 ファイターズとともに」のプレートが立てかけられている。いつも、シーズンが始まると試合会場のベンチに置かれてているプレートである。
 「平郡さん、勇気を与えて下さい。僕らが高き頂きに挑むことに」に始まる誓いの言葉を黙読していると、ああ、今年も合宿に来たんだ、という実感が湧く。
 そうこうしているうちに、Vのメンバーも次々にグラウンドに降りてくる。JVのメンバーの練習が始まる頃には、大半のメンバーが顔を揃え、グラウンドのあちこちで体を動かしている。彼らの練習も8時前から始まるからだ。
 6時ごろからグラウンドに出て、一体、朝食はどうするのか、と聞くと、練習が終わってから食べさせます、との返事。朝の練習が終わるのはJVが8時、Vは9時半。2班に分けて食事の時間を設けており、Vのメンバーが朝食にありつけるのは10時からだという。
 「まるで相撲部屋ですな」というと、コーチから「そうです。まずは稽古。その後に朝食。それが終わると、昼食の時間までは昼寝をさせます。昼食が終わると、ポジションごとにミーティングの時間を設け、夕方の練習はJVが3時から、Vが4時過ぎからのスタートです」という答えが返ってきた。
 長期の合宿で、時間がたっぷりあるからといって、だらだらと長時間の練習を続けても効果が薄い。逆に、疲労が蓄積され、体重は落ちる、けがはしやすくなるという弊害がある。それよりも、鍛錬と、栄養補給、休息のバランスを心掛けた方が、よほど効果的な練習につながるということらしい。
 これは大相撲の世界で、各部屋が歴史的に続けている鍛錬の方法と同じである。朝起きるとまずは稽古。それが終わるとちゃんこを食って、その後は昼寝。このサイクルで弟子を鍛え、育ててきた相撲界の手法を、そのままフットボールの世界に導入したということらしい。
 そういえば、今年の春、シーズンが始まる前も連日、早朝から練習をスタートさせ、昼間は休養と勉学の時間に充てていたことを思い出す。その結果、ラインのメンバーを中心に各自が体重を増やすことに成功し、見違えるようにたくましくなっていた。その「成功体験」を夏の合宿にも取り入れたということだろう。
 真夏とはいえ、鉢伏高原の朝夕は涼しい。その時間に効率的に練習し、炎天下の昼間はゆっくり昼寝で体を休める。そうすることで栄養分をしっかり体内に取り入れ、体重減や疲労からくるけがを少なくさせる。そういう目的を持ったファイターズの流儀である。
 この手法が効果的なことは、以前、この欄で紹介した武術家の甲野善紀さんからも聞いたことがある。「ライオンが満腹の時に獲物を襲いますか。獲物を襲う前に、準備運動をしますか。空腹だからこそ、即座に体を動かし、目標の獲物に襲いかかる。そのときに一番効率のよい体の使い方ができていると考える方が自然でしょう」。甲野さんはそんな言い方で、スポーツ界にはびこる練習のための練習、惰性で続ける反復練習の弊害を説かれていた。
 合宿に限らず、スポーツ界には、ひたすら長時間の根性練を重視するチームは少なくない。その練習法がチーム力の向上に効果があったかどうかを検証せず、毎年、同じ練習法を墨守しているチームも多い。輝かしい実績を持つ伝統校もそうだし、それに追いつき追い越そうとするチームもそれを真似する。長期間の合宿となれば、さらにその傾向は強くなる。高校、大学を問わず、真剣に上位を目指すチームであればあるほど、そういう風潮は定着していく。
 そういう中で、練習は朝夕の涼しい時間に限定。たっぷり食事を摂った後は睡眠をとって体を休めよう。それが効率的な練習につながり、選手の心身の成長を促す。そう確信すれば、その手法を取り入れることには躊躇(ちゅうちょ)しない。ファイターズの柔軟で合理的な思考と実践の片鱗を見せてもらった夏合宿だった。
 こうした相撲部屋の流儀で鍛えた今年のチームがどんな活躍を見せてくれるか。秋のシーズン開幕まで、もう2週間を切っている。
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2016年08月10日

(15)グラウンドの片隅で

 8月。世間では夏休みの話題が飛び交っているが、新聞記者の予定表はぎっしり詰まっている。仕事の予定は切れ目なく入ってくるし、友人知人との親善、交友も欠かせない。
 スケジュール表を繰ってみれば、1日はPL花火大会の鑑賞に紀州・田辺から大阪・羽曳野まで車で往復。ざっと300キロを走って、花火を鑑賞。せっかくいつものメンバーが揃ったからと、花火の後は2日の未明まで雀卓を囲む。一端、田辺に戻っていつもの仕事に従事し、夕方からは和歌山で「ワインを楽しむ会」。
 希代のワイン通で、収集家としても知られる某社長のお招きで、おいしいワインと会話が楽しめるとあって、酒も飲めないくせにいそいそと出掛ける。カリフォルニアの有名ワインを根来塗りの瓶子でついでもらって飲むという趣向で盛り上がった後、締めくくりは1995年産のロマネ・コンティ。社長が自宅の蔵から持参して下さった特別の一本である。
 なんせ1年に6千本から7千本しか生産されない特別のワインである。世界のワイン通がよだれを流し、大金をはたいて求める最高級品である。自慢じゃないが、こんなに高級なワインは一度も目にしたことがない。もちろん飲んだこともない。開高健や柴田錬三郎のエッセーなどで読んだことはあるが、実物にお目にかかるのは初めてである。
 これを惜しげもなく振る舞ってもらえたのだから、驚いたのなんの。「これは冥土への土産話になりますな」なんていいながら、しげしげと眺め、香りをかいで、おもむろに口に含む。正直言って、味は全く分からなかったが、それでも「神話の世界」そのもののようなロマネ・コンティをいただいたことは事実である。ファイターズとは何の関係もないが、僕にとっては特筆すべきことであり、あえて、紹介させていただいた。
 週末は、マイカーの買い換えに伴う各種手続きで東奔西走。大手ディーラーから定価で購入するような甲斐性はないから、格安の車を手に入れるためには、友人の知恵を借りながら自分で走り回るしかない。合間に、高校生の勉強会をはさんで3日間、東へ西へと走り回って、待望の車を入手した。
 そんなこんなでスケジュールが混み合っていても、ファイターズの練習は見に行きたい。土曜日の午後、少し時間がとれたのを幸い、上ヶ原まで汗をかきかき自転車で駆け上がった。
 練習開始時間には間に合ったが、直前に雷が鳴ったため、しばらく練習は見合わせ。仕方なく武田先生に誘われてメキシコでの戦いの模様を撮影したビデオを鑑賞する。周囲には練習開始時間を今か今かと待ちながらそわそわしている部員がひしめいているから、どうも落ち着かない。
 「練習開始」という声がかかったのを幸い、勢いよくグラウンドに出る。
 さすがに8月。夏の合宿を直前に控えた時期である。グラウンドの熱気は、6月末とは全く異なる。春先はグラウンドの片隅で固まってトレーニングをしていた1年生も各ポジションに散って、上級生と一緒に練習しているから、どこのパートも人であふれている。練習メニューも、合宿を意識して強度が上がっている。
 グラウンドのあちこちを回りながら各パートの練習を見せてもらったが、どこもしっかり声が出ている。集散も速い。一つ一つのメニューの間隔も心なしかスピードアップされている。
 驚いたのは、グラウンドの端っこで、リハビリのトレーニングに励んでいる選手達の緊張度が上がっていること。周囲の動きがよくなっているせいか、グラウンドの練習にメリハリが出てきたことの反映か。事情は分からないが、チーム練習には参加できない悔しさを抑え、今、自分たちがやるべきトレーニングに集中して取り組んでいる姿が印象的だった。
 延々と腹筋を続ける選手、患部をほぐし、バランスボールで体幹を鍛える選手、あるいは足腰の動きを強化するためにどんどん強度を上げてジャンプを繰り返す選手。それぞれが早くけがを治してチーム練習に参加したい、早く試合に出たいという意欲をそのまま行動に表して取り組んでいるのが目に付いた。
 これは、僕がチームの状態を見るための尺度としているのだが、リハビリ中の選手達の動きを見ていると、チームの雰囲気はおおむね見当がつく。グラウンドの選手が声を出し、気合いを入れるのは当たり前。だから、それだけを見ていては、チームの状態の善し悪しはなかなか見抜けない。けれども、練習に加われない選手達の行動を注意して眺めていると、チームの士気の高さが自然に見えてくる。
 同じようにリハビリのメニューに取り組んでいても、早くチーム練習に合流したい、というオーラが感じられる状態と、どうせけがで出遅れているんだからという気分で取り組んでいるのでは、場の空気が違う。
 その尺度で測ると、この夏のチーム状態は上がっている。「よーし、いい感じになってきたぞ。秋にはこの子らがきっと頑張ってくれるに違いない」とほくそ笑んだ。
 こういう場面に出くわすことがあるから、練習を見に行くのが楽しくてならない。今週末は日帰りで東鉢伏に出掛け、合宿中の動きを眺めてこよう。
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2016年08月06日

(14)ありがたい勉強会

 高校の期末試験が終わった直後から、毎週末、西宮市の某所に高校生を集めて「ミーティング」を開いている。受講生は、今秋のスポーツ選抜入試に挑むメンバーである。
 関東の高校からの挑戦者には、ファクスのやりとりしかできないが、大阪圏に住む面々には週に1度、集合してもらって過去問や大学が作った参考問題、そして不肖僕が選んだ「課題文」などを教材に、文章を読むこと、それを基に考えること、考えたことを表現することの訓練をしている。
 週に1度の限られた時間にできることは少ない。しかしそれでも、毎週課題文を読み、考え、表現することには意味がある。普段の高校の授業では、決してお目にかからないようなボリュームがあって、歯ごたえのある文章をじっくり読む。その内容を要約して文章にまとめる。そして、課題文を読んで考えた結果を文章に書き留める。
 この作業を毎週続けていると、一つは「重い内容を含んだ文章」を読むことに抵抗感がなくなる。もう一つは、その文章に触発されて自分の考えをまとめることが「難儀」ではなくなる。そして三つ目。これが大事なことだが、考えたことを表現することに慣れてくる。当然、それなりに自信も付いてくる。
 その証拠に、この夏5回目となる昨晩の授業では、文章の分量は少ないが内容的には難しい課題文を出して要約させ、その後、700字前後の小論文を書けという課題を出したが、参加した全員が所定の時間内に仕上げることができた。小論文の内容もそれぞれしっかりしていた。僕が関学で担当している「文章表現」の授業でも、80点が取れるような小論文を書いた高校生も少なくなかった。
 数えて見れば、こうした夏の勉強会を始めて、今年で19年。始めた当初、僕はまだ朝日新聞社の論説委員をしており、仕事の合間を縫っての「家庭教師」だった。高校生には毎週、大阪・中之島の朝日新聞社に集まってもらい、社内の喫茶室や見学者室、さらには地下にある喫茶店などを転々としながら、勉強会を開いた。受講生は一人。池田高校の秀才、平郡雷太君だけだったが、間もなく箕面高校の池谷陽平君が加わった。それぞれ日程調整が難しく、当初は別々にマンツーマンの勉強会だった。喫茶室でケーキセットを食べながら、話し込んでいたことを思い出す。
 それが翌年の佐岡真弐君の代には5人となり、その後、毎年のように増えていった。対象者が増えてくると、社内の喫茶室では手狭になる。周囲の目も気になる。そこでリクルート担当マネジャーらの協力で西宮市内に会場を用意してもらい、そこに集合して定期的に勉強会を開くことになった。たしか柏木佑介君の代からだったと記憶している。
 そういう勉強会を続けていた頃、僕は縁があって立命館宇治高校で2年間、週に一度、授業を担当することになった。朝日新聞社と立命館が提携して、高校生に文章表現を教えるということになり、論説委員をしていた僕に声がかかったのである。
 大変な仕事だと思ったが、会社から給料をもらっている手前、断ることはできない。それでも授業そのものは自信を持って担当できた。平郡君や佐岡君らを相手に、小論文の書き方をあれこれ手探りで教えてきたことがすべて役立ったからだ。
 そうこうするうちに、今度は立命館大学から「マスコミ志望者のための小論文講座」を期間限定で開講する、ついてはその講座を担当してほしいという声がかかり、これまた週に1度、「社命」によって派遣された。これも、3年間担当したが、このときもファイターズを志望する高校生を相手に勉強会を続けてきた経験が大いに役立った。そのときに教えた学生の何人かは見事に朝日、毎日、読売、NHKなどの入社試験を突破し、いまも記者をしているから、僕の授業も相当水準が高かったのだろう。
 そうした経験もあって、朝日新聞社を定年で退職した後、今も非常勤講師として関西学院大学で文章表現の講座を担当している。最近は生意気にも「カリスマ講師」と自称し、かなり自由にいろいろな手法を使って授業を展開しており、毎年、学期末に実施される学生による「授業に関する調査」のアンケートでは、「全体としてこの授業に満足している」「この授業を履修して、自分にとって新しい知識(技能)や物事の見方が得られた」「この授業を後輩に薦めたい」などという評価項目の平均点(5点満点)はそれぞれ、よいときは5点、一番悪いときでも4.8だから、自分でいうのも何だが、結構、評価されているのではないか。
 それもこれも、元を訪ねれば、高校生を相手に始めた寺子屋授業にたどり着く。「文章を書くのも読むのも苦手」という高校生に、なんとか入試を突破してもらいたい、ファイターズに入って頑張ってもらいたい、そう思って真夏の勉強会を続けてきたことが、結果として僕を指導者として成長させてきたのである。さらに言えば、そうした経験が新聞記者として、あるいは新聞社のコラムニストとしての成長にも資しているのだろう。
 ありがたいことである。
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2016年07月26日

(13)アメフト探検会

 先日、甲東園の駅前で、夏恒例の「アメフト探検会」が催された。KGファイターズの活動に理解を示してくださる関西学院大学の先生方の同好会である。
 年に1度、春学期が終わった頃を見計らって鳥内監督やコーチ達を招き、和やかにフットボール談義をされる場といった方がよい。不肖私もファイターズの「専属コラムニスト」(勝手に僕が思っているだけです)として招待していただいた。
 紀州・田辺の新聞社の仕事を早々に切り上げて西宮に向かう。自宅に車を駐め、急ぎ足で会場の料理屋に向かう。出席された先生方に読んでいただくつもりでリュックに入れた「2015年FIGHTERSの軌跡」と「水鉄砲抄2015」が重い。ともに、僕がこの1年間、ファイターズのホームページと勤め先の新聞に書いたコラムを集成して出版した本である。双方合わせて24冊。それだけ参加者、つまりファイターズの活動に心を寄せ、あれこれと応援して下さる先生が増えているということである。ありがたいことだ。
 この会の長老の一人、文学部の永田先生の挨拶で開会。すぐにビールで乾杯。先生は相撲部の部長をされており、アメフト探検会というのに話題はもっぱら十両で活躍している宇良関のこと。とんとん拍子に出世しているが、それで天狗になることもなく、好感度満点の相撲を取っていることがうれしくてならないという口ぶりで、どんどん話が脱線する。
 その話に絶妙の突っ込みを入れるのが文学部の後輩、鳥内監督。いつも応援してもらっている先生方の集まりとあって、日ごろ、新聞記者のインタビューに対応されているときとは雰囲気がまったく違う。先生方と監督との「掛け合い漫才」で、座が一気に盛り上がる。
 出席されたメンバーの中には「ゼミでは必ず甲子園ボウルのビデオを見せます」とか「ゼミ生を連れて応援に行きます」とかいう先生がおられるし、毎年のように「野原コーチは、僕のゼミでも優秀な教え子」と自慢される先生もおられる。
 理工学部で情報工学を担当されている先生は、ファイターズのために特別のソフトを次々に開発。ビデオを担当するスタッフの仕事を大いに軽減されている。ビデオ作成のスピードと効率アップだけでなく、今度は、練習や試合のビデオを部員がどれだけ熱心に見たかを計測する仕組みまで開発されたそうだ。部員が「自宅でビデオを見ていました」と自己申告しても、それが本当かどうかが、即、数字で分かるという。怠け者の部員には、やっかいな仕組みだ。
 一方で「嫁さんがファイターズのファンなので、僕もつられてファンになりました」という若い先生がいるし「楽しい集まりだと聞いたから」と初めて参加された先生もいる。
 共通しているのは「ファイターズを応援してやろう」「ファイターズは素晴らしいチームだ」ということで、特別に気を配って下さる先生が学部や年齢に関係なく、あちこちに存在すること。そうした先生方が年に一度、教授や助教授という肩書きとは関係なく、ファイターズが好きだ、応援しているよ、といって集まり、監督やコーチと忌憚(きたん)なく意見を交わし、放談する機会を持って下さること。
 僕は、2007年のライスボウルの後、会のリーダーでもある商学部の福井先生と東京で杯を交わした(ほんの1杯だが)のが縁で親しくなり、この会にも招かれるようになったのだが、回を重ねるごとに、先生方がこういう集まりを持って下さることに感謝する気持ちが強くなっている。定年で大学を去られたメンバーも多いが、そうした人も含めて、ファイターズのことを常に気にかけ、見守って下さる先生方がいるというのは、本当に心強い。
 近年、大学における課外活動の意味、役割はますます大きくなっている。それは昨年のプリンストン大学との交流でも確かめられたし、就職活動の場でも実証されている。
 しかしながら、一方で、大学の先生方が課外活動を見る目が厳しくなっているのも現実である。部活動が優先され、授業に出られない部があるとか、試合に出る部員が優先され、それ以外の部員はスポイルされているとかいう話を学生から聞くこともある。僕も非常勤講師として、多少とも学生を教える立場にあるから、ほかの部で活動している教え子たちからそうした話を聞かされることがある。
 そういう状況にあっても、ファイターズはなお先生方に愛されている。それは歴代の部員や指導者が営々と積み重ねてきた実践と実績があってこその話である。優勝回数やその内容だけでなく、日ごろの授業への取り組みや就職活動の実績までをトータルした実践がチームのカラーとなり、それを好ましく思っていただけているのである。現役部員への評価というより、歴代の先輩方に対する評価といった方が正確かもしれない。
 ローマは一日にして成らず。ファイターズも一日にして成らず。現役の諸君も、そういう歴史的な背景をよくわきまえていただきたい。ファイターズの歴史から学ぶこと大切さがここにある。
 「ファイターズの部員はいつも、多くの人に見られている」というのは、鳥内監督が常に言われる言葉である。
 グラウンドでの練習や戦いだけでなく、通学途上の電車の中での振る舞いから授業を受ける態度まで、チームの評価が高くなればなるほど、その行動に責任が伴うという意味である。その意味をよく理解し、これからも先生方に支援していただけるにふさわしいチームの一員として行動していただきたい。それが自身の成長につながることは、多くの先輩が証明している。
posted by コラム「スタンドから」 at 08:39| Comment(1) | in 2016 season

2016年07月14日

(12)「二つの魂」

 朝日新聞で一緒に働いた同僚と後輩が立て続けに読み応えのある本を出版した。
 一人は元朝日新聞社会部員で、論説委員や編集委員を務めた稲垣えみ子さん。今年1月、51歳で早期退職した後、立て続けに「魂の退社」(東洋経済新報社)と「アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと」(朝日新聞出版)を出版した。ともに、新聞記者として生き、悩み、苦しみ、もがき続けてきた軌跡を描きながら、究極の「節電生活」をする中で見つけたある種の「解脱」ぶりを軽快な筆で綴っている。今の時代を鋭く切り取った極上の文明批評といってもよい。その一端は、毎日テレビの「情熱大陸」や朝日放送の「報道ステーション」でも取り上げられたから、ご存じの方も多いだろう。
 彼女とは僕が京都支局のデスクをしていた時代に一緒に働き、大阪の社会部でも一時期、同僚として働いた。僕が夕刊取材班の編集長をしているときには、著名人の死生観をロングインタビューで描き出す「死に方が知りたくて」という連載を担当し、後にパルコ出版から出版された。彼女が30歳になる前である。
 連載の途中、阪神大震災が発生。とてもこのタイトルでは紙面に連載できないと、急きょ「いつかあなたに花束を」にタイトルを変え、北海道・奥尻地震と九州・雲仙岳の噴火、そして日航機墜落事故の犠牲者の遺族などに取材し、悲惨な事故からの「再生の物語」を綴ったのも、懐かしい思い出である。
 もう一人は、川名紀美さんの「井村雅代 不屈の魂」(河出書房新社)。こちらは日本のシンクロナイズドスイミングを世界のトップレベルに引き上げ、その後、コーチとして招かれた中国でも、世界のトップ争いをするチームを育てた井村雅代さんの軌跡を描いたノンフィクション。なぜか、二人の書名に「魂」の文字が入っていたので、今回のタイトルは「二つの魂」とした。
 川名さんは、丹念な取材で、「シンクロの母」とも「シンクロの鬼コーチ」とも呼ばれる井村さんの指導者としての哲学を描き、それを支える人たちにも光を当てることで、現代におけるコーチの役割と指導者、教育者としての責任を見事に描き出している。
 彼女は大阪の学芸部で育った記者だが、僕とは年齢も近く、新聞記者の師匠と仰ぐ人との縁もあって、何かと親しくしてきた。論説委員室の仲間でもあり、社会部でも一時期、一緒に働いたことがある。
 もっぱら、女性や虐げられた人に焦点を当てた取材を得意としてきた記者だが、今度は畑違いのスポーツノンフィクション。人気はあるが、比較的マイナーなスポーツでもあり、取材が大変だったろうなと想像しながら読んだが、これがまた読み応えたっぷり。
 スポーツにおけるコーチの役割とは何かを考えるうえで、いくつものヒントが転がっている本だった。
 いわく、コーチとは「選手を目的地に連れて行く人」。シンクロを教える最終目標は「メダルではない。スポーツを通じて努力することや耐えること、力を合わせることを覚えてよりよい人間になってもらいたい。私の究極の目標はそこなんです」。
 そういう言葉を井村さんから引き出した筆者は、この言葉を裏付けるこんなエピソードを紹介している。
 「ある国際大会のおりに、勝者に贈られる花束が無造作に部屋に放り出されているのを見つけて井村が声を荒げた」
 「お花も生きているんやから、水に入れてあげなさい!」
 「容器がないから」という選手たちの言い訳に、井村の怒りは倍増した。「少しは考えなさいよ」
 「空になったペットボトルの上部を切り取り、即席の花入れにする。試合が終わった後で、その花束にありがとうという言葉を添えて、お世話になったコーチやトレーナーのところに持っていく−−。井村に教えられて、以後、選手たちはそれを実行している」
 なんだか既視感のある話である。
 そう。「スポーツを通じて、努力することや耐えること、力を合わせることを覚えてよりよい人間になってもらいたい」という言葉は、鳥内監督がいつもファイターズの部員に問い続けている「どんな人間になんねん」という言葉にそのまま置き換えられる。
 「花の命を大切に」という話は、2年前の12月、このコラムで紹介した「足下のゴミ一つ拾えない人間に何ができましょうか……」という張り紙のエピソードにつながる。ある1年生部員が「自分たちがフットボール用具の収納室、更衣室として利用する部屋を乱雑にしているようでは、高いモラルを持って戦えない」と、あえてこの文字をA4用紙1枚に書いて、仲間に覚醒をうながした張り紙である。
 花を大切にする。自分たちの使う部屋を美しくする。対象は異なっても、日常生活の中で人間としてのモラルを大切にするところから勝負はスタートする、人間としての成長なしに勝利はない、という意識は共通のものである。
 井村雅代という希代の指導者の軌跡を描いたノンフィクションに、ファイターズのコーチや部員が日ごろから「当たり前」のこととして取り組んでいることと共通する話がいくつも紹介されていることに驚き、同時にファイターズが目指している方向が間違っていないことを確認して、読後、爽快な気分になった。
 川名さん、ありがとう。稲垣もがんばれ。僕もファイターズのホームページと紀伊民報を舞台に、シコシコとコラムを書き続けるぜ、と気持ちを新たにしたのである。
posted by コラム「スタンドから」 at 09:48| Comment(0) | in 2016 season